2024.4.8
朝ドラ「虎に翼」が始まった。ブギヴギも面白かったけれど、今回は初めての女性弁護士の一人三淵嘉子をモデルにしているというので、職業柄からの興味もある。
嘉子さんはブギヴギのモデル笠置シヅ子さんと同じ1914年(大正3年)生まれだという。笠置さんのブギヴギは、少年時代、ラジオから流れていた記憶があるけれど、嘉子さんを知ったのは、弁護士になって20年以上も過ぎて、「原爆裁判」の判決書の中にその名前を見てからだ。
大正12年(1923年)生まれの私の母(101歳)よりも10歳ほど年上の人の物語だけれど、私と嘉子さんがかぶっていることがないわけでない。嘉子さんは、1979年(昭和54年)11月に横浜家庭裁判所所長を退官するけれど、1980年には弁護士登録している。私は、1979年4月に弁護士登録しているので、嘉子さんがなくなる1984年(昭和59年)までは、日弁連の会員として同じ名簿に登載されていたことになる。
「だから何だ?!」と言われるかもしれないけれど、今の私は、日本で最初の女性弁護士だとか裁判所所長だとかということよりも(もちろんそれもすごいと思うけれど)、「原爆裁判」に最初から最後までかかわった裁判官だった嘉子さんに、勝手に「親近感」を覚えているのだ。「原爆裁判」を無視して「核の時代」である現代を語れないからだ。
残念ながら、私には生の嘉子さんとの交流はない。けれども、嘉子さんと交流のあった人に知り合いはいる。例えば、元裁判官の鈴木經夫弁護士だ。鈴木さんは私が敬愛する法曹の一人だ。
鈴木さんは、1964年(昭和39年)に、東京家庭裁判所に判事補として赴任している。その年4月、歓迎会を兼ねた裁判官の飲み会に三淵さんも参加していたという。その時、開始早々、古手の裁判官が「三淵さん、どうですか」と声をかけたそうだ。鈴木さんは、何かを強要しているような、今思うとこれはセクハラではないのかという感じだったという。けれども、嘉子さんは、予想外に、にこにこしながら立ち上がって、モン・パパというシャンソンを堂々と歌ったというのである(清永聡『三淵嘉子と家庭裁判所』・日本評論社)。
モン・パパの歌詞はこうだ。
うちのパパと/うちのママが話すとき/大きな声で怒鳴るのは/いつもママ/小さな声で謝るのは/いつもパパ…。
気が付いた人もいると思うけれど、朝ドラの寅子の親友と寅子の兄の結婚式で、寅子が父親に「強要」されて歌っていた歌だ。
鈴木さんは、「この歌をなぜ選ばれたかは、わかりませんが、歌詞が今でも記憶に残っているのは、三淵さんが『強要』に対して、何ともしなやかに対応されたと感じていたからかもしれませんね。」としている。
脚本の吉田恵里香さんは、もちろんこの清永さんの著作を読んでいるだろうから、鈴木さんのこのエピソードも承知していて、シナリオに組み込んだのであろう(と空想している)。
史実とドラマが違うものだということは承知しているけれど、こういうエピソードが組み込まれていると、登場人物の息遣いが聞こえてくるようで、本当に楽しい。
まだ、第1週が終わったばかりだけれど、「地獄への道」を果敢に選択する寅子のこれからが、伊藤沙莉さんの好演もあって、楽しみだ。伊藤さんという女優は見る人をその物語に自然と誘い込むような魅力がある人だ。
これからも、「虎に翼」関連のブログを書くことにする。
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