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BLOG

「核兵器廃絶」と憲法9条



2024.12.11

「はだしのゲン」と「原爆裁判」

新潟からのお誘い
 12月1日、新潟で「『原爆裁判』を現代に活かす―核兵器も戦争もない世界を創るために-」と題する講演をする機会がありました。「新潟の新しい未来を考える会」の片桐奈保美会長からの依頼でした。この会は原発の再稼働に反対して小泉純一郎元首相の講演会を開催したり、「柏崎・刈羽原発再稼働を問う県民投票条例」の制定を求める運動をしている市民団体です。
 片桐さんから、NHKの「視点・論点」を視ていたら興味深い話をしているので、新潟に呼びたいという連絡をもらったのは、9月半ばのことでした。「虎に翼」は終わっていませんでしたし、被団協のノーベル平和賞受賞はまだの時期でした。片桐さんは、「視点・論点」を録画して仲間に相談したそうです。「視点・論点」のテーマは「現代に生きる原爆裁判」で、その結びは「(日本国憲法の)徹底した非軍事平和主義を踏まえながら、原爆裁判の現代的意義を再確認し、核兵器も戦争もない世界を創造することが、原爆裁判からの私たちへの宿題だと受け止めています。」でした。片桐さんは、その番組に共感して、共通の知人である和田光弘元日弁連副会長の紹介で連絡をくれたのです。
 私は喜んでお受けしました。核兵器廃絶や憲法9条の話を聞いてもらえる機会を大事にしたいと思っているからです。

当日の様子
 当日、会場の万代シルバーホテルには、220名からの人たちが参加していました。西村智奈美議員と米山隆一議員お二人とあいさつを交わしました。赤井純治新潟大学名誉教授が「日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める署名」を呼びかけていました。赤井さんからは「原水爆禁止世界大会2023年科学者集会の記録」をいただきました。
 会場がホテルというのは凄いことです。私の講演はだいたいが公共施設だからです。しかも、社会派講談師の神田香織さんとのコラボでした。こういうこともありません。だいたいが一人なのです。神田さんの演題は「はだしのゲン」でした。私は中沢啓治さんの原作を読んでいますが、神田さんの創作講談は初めてでした。神田さんの語りに漫画のゲンの姿を重ね合わせながら聞き入りました。神田さんは「はだしのゲン」が広島の学校教材から外されることに強い怒りを持っていることや、被団協のノーベル平和賞受賞は核兵器が使用される危険性が高まっていることを意味しているなどと「前口上」で語っていました。「そうだ、そうだ」と共感したし、講談がこんなに胸に迫ってくることを初めて体験しました。

私の話
 そのあと私の話です。神田さんの語りの後なので、「原爆裁判」の話は大変やりやすくなりました。原爆が人間に何をもたらしたかを神田さんが表現してくれていたからです。「はだしのゲン」と「原爆裁判」のコラボです。
 私は「原爆裁判」は被爆者支援についても、核兵器の違法性を確立する国際法の分野でも大きな役割を果たしているということと、憲法9条の背景には原爆投下があったことを話しました。パワーポイントの資料を参加者に配布してもらうだけではなく大型スクリーンも利用しました。口を開けて上を向いて寝ている参加者は気になりましたが、多くの人は静まり返るように聞いてくれていました。リアルで講演していると参加者の受け止め方は痛いほど感ずるのです。

うれしかったこと
 私を最初に迎えてくれて、しかも最後までお付き合いしてくれた近藤正道弁護士(元参議院議員・会派は社民党護憲連合)は、「憲法は『専守防衛』とか『集団的自衛権の禁止』ではないもっと徹底した平和主義だということが分かった。そこから話し始めていたことを反省しなければならない。」と懇親会のスピーチで述べていました。私は日本国憲法の到達点を「専守防衛」に留めてしまうことは「核のホロコースト」の上に制定されている憲法の現代的意義を過小評価することになると考えています。だから、近藤さんの受け止めは本当にうれしいことでした。
 また、神田さんは「ゲンの話をこういう形で深めてもらえることは嬉しい」と言っていました。私は神田さんの講談を講演の中で大いに活用させてもらいました。こういうタッグは聞く人にとっても理解しやすくなるのではないでしょうか。企画した人は凄いと思ったし、「またこういう機会を持ちましょう」と神田さんと約束しました。
 ところで、先の総選挙で、新潟の5小選挙区は全て立憲民主党の候補者が当選しました。当日、新潟を訪れていた野田佳彦代表は「全員当選は2009年以来で画期的なこと」と評価しています(「新潟日報」12月2日付)。その背景には新潟での「市民と野党の共闘の伝統」があることは間違いないでしょう。私は、今回、新潟の皆さんと触れ合うことによって、新潟には地道で包摂性のある運動があるのだということを実感しました。「市民と野党の共闘」があれば政治は変えられます。それがなければ政治の停滞は続くでしょう。 
 昭和40年に東北大学法学部に一緒に入学した中村哲也君(新潟大学名誉教授)もその活動に参加していました。故広中俊雄先生の愛弟子だった彼らしいことだと、何ともうれしい思いになりました。なお「新潟日報」が写真入りで報道していました。貴重で有意義な新潟行きでした。新潟の皆さん、ありがとうござました。(2024年12月2日記)




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