2025.1.24
広島の高校生たちが被爆者の話を聞きその体験談を絵に描くという実話をもとにした青年劇場の「あの夏の絵」を所沢でも上演した。昨年12月17日のミューズでの公演には300名を超える観客が訪れてくれた。
上演の前には、ノルウェー・オスロでのノーベル平和賞授賞式から帰国したばかりの田中熙巳 日本被団協代表委員からのご挨拶もいただいた。何とも光栄なことであった。
この公演を企画したのは、核兵器廃絶を一刻も早く実現するための運動の一環としたいとの想いだった。青年劇場からのお誘いを受け、一年以上をかけて準備をしてきた。所沢市内の著名人に呼びかけ人になってもらい実行委員会を立ち上げた。演劇と映画や講演との大きな違いは、生身の人間が観客の面前で演技をすることにある。私も、こまつ座を含めて演劇を鑑賞する機会はあるけれど、自らが公演を企画するなどということは初めての体験だった。
やってみようと思ったのは、核兵器使用の危険性が迫っているにもかかわらず、核兵器廃絶を「永遠の彼方」に追いやっている日本政府や核兵器国の姿勢を見ていて、何とかしなければという気持ちからだった。そして、「あの夏の絵」のビデオや青年劇場の舞台を観ていると、この劇はきっと多くの人の心を動かせるとも思ったのだ。
もちろん、不安がなかったわけではない。そこに、日本被団協のノーベル平和賞受賞のビッグニュースが飛び込んできたのだ。平和賞の評価は様々あるけれど、この六十数年間、「被爆者は私たちを最後にして欲しい」、「人類と核兵器は共存できない」として、「核のタブー」を形成し、核兵器が三度使用されることを阻止してきた被団協の受賞に異議を唱える人はいないだろう。
ということで、親しくお付き合いをしている田中熙巳さんに協力を得ることにしたのだ。
12月11日、田中さんは平和賞受賞記念スピーチをしている。その演説は多くの人の心に響いている。その田中さんが会場に来てくれることは「あの夏の絵」公演に花を添えたことは間違いない。田中さんが舞台に現れた時の観衆の拍手は本当に心のこもったものだった。そして、俳優の皆さんも熱演だった。 実行委員長としてこんなにうれしいことはなかった。関係者の皆さんとともに喜び合いたい。
あわせて、一刻も早く「核兵器も戦争もない世界」を創るための運動を続けたいと決意を新たにしている。(2025年1月14日記 写真は公演後、盛寿司にて)
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