2025.3.13
非核の政府を求める会と「非核5項目」
1月11日、甲府で講演をする機会があった。「非核の政府を求める山梨の会」の2024年度総会に際しての記念講演を依頼されたのだ。「非核の政府を求める会」というのは、1986年に、核戦争の不安と日本の核戦場化の危険を根絶したいと願う団体・個人によって結成された非政府組織(NGO)だ。この会の特徴は、そのホームページによると「主権者である国民の手によって、『非核の政府』実現を目的としていることです。私たちは、そのための国民共通の目標として「非核5項目」を掲げています。」とされている。
「非核5項目」とは、①全人類共通の緊急課題として核戦争防止、核兵器廃絶の実現を求める。②国是とされる非核3原則を厳守する。③日本の核戦場化へのすべての措置を阻止する。④国家補償による被爆者援護法を制定する。⑤原水爆禁止世界大会のこれまでの合意にもとづいて国際連帯を強化する、である。
私は、この会の常任世話人の一人なのだ。
山梨の会の世話人
ところで、この山梨の会の世話人の一人を友人の加藤啓二弁護士(33期、75歳)がやっている。彼とは自衛隊がカンボジアに派遣された1992年、その実態を調査したいとして企画された「自由法曹団カンボジア調査団」の一行として行動を共にした仲だ。その後30年以上会っていなかったけれど、連絡をくれたのだ。山梨の会で講演して欲しいと言うのだ。テーマは核廃絶であれば好きにしゃべっていいとも言っていた。私にどのように言えば動くかは先刻お見通しのようだ。もちろん、私に断る理由はないし、被団協のノーベル平和賞受賞もあったので引き受けたのだ。
講演のテーマ
演題は「核兵器も戦争もない世界を創るために」として、サブタイトルは「『原爆裁判』を現代に活かす」にした。私の新著(日本評論社、2024年12月)のタイトルは「『原爆裁判』を現代に活かす」サブタイトルは「核兵器も戦争もない世界を創るために」だけれど、それを逆にしたのだ。その理由は二つあった。一つは、2021年に「学習の友社」から『核兵器も戦争もない世界を創る提案―「核の時代」を生きるあなたに―』を出版していることだ。もう一つは、ノーベル平和賞受賞式での田中熙巳さんの記念スピーチの最後が「人類が核兵器で自滅することのないように‼そして、核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう‼」となっているので、その呼びかけに応えたいという気持ちだった。私には被団協や田中さんと伴走してきたという自負はあるので「共に頑張りましょう!!」という言葉を受け止めたいと思ったのだ。
講演の内容
私は58枚に及ぶスライドを用意した。「虎に翼」やノーベル平和賞などを大いに活用して、「原爆裁判」の背景や原告と被告国の主張、鑑定人の意見、裁判所の判断、判決に対する評価、被爆者運動への影響、国際法への影響、核兵器禁止条約の到達点、憲法9条との関係、ラッセル・アインシュタイン宣言、現在の情勢などについて、90分ばかり話をした。結論は、「核の時代」の非軍事平和規範である憲法9条を土台に、「原爆裁判」をルーツに持つ核兵器禁止条約を普遍化し、核兵器も戦争もない世界の一刻も早い実現を!!である。主催者からは80分程度と言われていたのだけれど、会場の皆さんが一生懸命聞いてくれているのが伝わってくるので、ついつい伸びてしまったのだ。リアルで話していると参加者の感じ方が伝わってくる。聞いていてもらえるとなるとこちらもノッてくる。今回もそんな感じだった。30人ばかりの会だったけれど楽しく話すことができた。
質問と意見
質問や意見交換の時間は短くなってしまったけれど、こんな質問があった。「何で政府は核兵器に依存したり、原発依存を続けるのか。」というものだ。核心を突いた質問である。核兵器に依存する理由は、講演の中で、政府は「米国の核とドルの傘」に依存するという姿勢でいると説明しておいたので、それと原発依存の関係での質問であろう。私は「電力会社の意向に応え、その利潤を確保するためと、石破さんがいうように原発は『抑止力』という軍事的必要性によるものだ。国民の安全よりも、利潤追求と軍事力を優先する発想だ。」と答えておいた。あわせて、私たちは核兵器と原発という二本の「ダモクレスの剣」の下で生活しているという私の新著で紹介している話も付け加えておいた。
感想としては「こんな話を全国でやって欲しい。」とか「よく理解できたので、質問はないけれど、この話を活動に活かしたい。」などと言われていた。また、被爆者運動に深くかかわっていた伊東 壯(いとう たけし1929年~ 2000年。経済学者で平和運動家。山梨大学学長、日本被団協代表委員などを歴任)と一緒に活動していたという方の発言もあった。私は、伊東さんとの交流はなかったけれどその著作には触れているし尊敬している方なので、感謝の言葉を述べておいた。
まとめ
閉会後、トイレに入ったらある参加者が「今日はいい話を聞かせてもらった。」と隣で用を足している人に話しかけていた。順番待ちをしていた私は、思わず「ありがとうございました」と声をかけてしまった。二人が振り向いて会釈をしてくれた。「あ、やばい。途中だったら…」と思ったけれど、事故は起きていなかったようだ。こういうシーンに出会うと、核兵器廃絶は決して夢ではないと思う。また、どこかで話をしたくなる。
私に何ができるか分からないけれど、愚直に運動を続けようと思う。甲府の駅まで送って、甲州ワインをお土産に持たせてくれた加藤さんと「お互いに後期高齢者だ。健康は大事にしよう!」と握手をして別れた。加藤さん。甲府の会の皆さん。お世話になりました。
(2025年1月12日記)
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