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「核兵器廃絶」と憲法9条



2025.6.19

吉田敏浩著『ルポ軍事優先社会』を読む

はじめに
 吉田敏浩さんから『ルポ軍事優先社会』(岩波新書・2025年)の贈呈を受けた。この本のサブタイトルは「暮らしの中の『戦争準備』」だ。帯には「いま、この国に必要なのは、他国を攻撃できるミサイルか、生きるためのケアの充実か。全国各地で進行する軍事化の実態を明らかにし、主体性なき安保政策を問う。」とある。カバーには「集団的自衛権行使を容認した安倍政権以降、日本の軍事化が加速している。自衛隊のミサイル部隊の配備や弾薬庫の建設は地域を戦争への拠点と変え、自治体による自衛隊への若者の名簿提供なども広がる。私たちの暮らしを犠牲に、戦争の準備が進行する実態を丹念な取材で明らかにし、対米従属の主体性なき安保法制を問う。」とある。
 吉田さんの問題意識は、対米従属と主体性なき軍拡、主権なき「軍事大国」化と侵食される社会保障と生存権、有事法制に組み込まれる自治体などである。軍事大国化が進む一方で、国民生活が蔑ろにされているということに対する怒りといえよう。そして、私が特に注目したのは「『安保三文書』による軍事優先の国策は、新たな“総動員体制”を築こうとしている。」との指摘である(202頁)。
 私も、現在の日本は、日本版「先軍思想」に基づいて現代版「国家総動員体制」が進行していると考えているので、吉田さんの問題意識に共感している。また、私は、その総動員体制が着々と進行していることはそれなりに理解しているつもりだったけれど、この本は、その総動員体制が、全国各地でどのように進行しているのかについて、「丹念な取材」で私の想像を超えて明らかにしている。まさに、日本がどのような「軍事優先社会」にあるのかについての迫真のルポルタージュなのである。私は「そうだったのか。そこまで進行していたのか。」と驚きを禁じえなかった。この国では、米国の世界戦略の下で、対中国を念頭に「熱い戦い」の準備が急ピッチで進行しているのである。ただし、この本は決して政府の行為を暴露するだけではなく、それに抵抗する市民や専門家や弁護士、そして首長たちのたたかいも紹介している。吉田さんは希望も語っているのである。大切なことだと思う。

この本の構成
 第1章は「地域が戦争の拠点に」である。ミサイル基地・弾薬庫がもたらす棄民政策が取り上げられている。有事の扇動と自衛隊だけは生き残る基地の強靭化がすすめられ、住民は国民保護という名目で棄民される。その背景にあるのは、日本や台湾や韓国への武器輸出の増大で潤う米国の兵器産業と、組織の維持・拡大を図る米軍、科学技術の軍事利用を推進する学術界とが結びついた「軍産学複合体」だとされている。
 第2章は「徴兵制はよみがえるのか」である。自治体が自衛隊に若者名簿を提供している事態が紹介されている。高校卒業時や大学卒業時の若者に自衛隊からの勧誘文書が直接届くそうだ。その対象者の選別に協力する自治体があるというのだ。戦前、各市町村には兵事係があり、国民を戦争に動員する任務を担っていたけれど、日本国憲法下ではありえない事態である。自衛隊員になろうとする若者が減少しているので、自衛隊も焦っているのであろう。けれども、そもそも、見ず知らずの人間との殺し合いをしたいなどと考える若者はいないであろうし、また、そういう状況に彼らを追い込むべきではない。昔、「9条があるから入った自衛隊」という川柳があったけれど、今はそんな牧歌的なことを言える時代ではないようである。
 第3章は「軍事費の膨張と国民負担」だ。ミサイル特需と軍需産業の利益は拡大する一方で、社会保障は侵食され生存権は脅かされている実態にかかわる論述だ。この章の特色は、防衛省が設置する「防衛力の抜本的な強化に関する有識者会議」に防衛省と最も取引のある三菱重工会長が参加していることを指摘していることと「いのちのとりで裁判」を対比していることである。「死の商人」の優遇と最低限度の生活さえ維持できない人とが対照されている。吉田さんは「私たちの社会はいま『ミサイルか、ケアの充実か』の岐路に立たされている。」と結んでいる。吉田さんは憲法9条と25条も視野に入れているのである。
 第4章は「主体性なき軍拡、主権なき『軍事大国』化」である。米戦略への歯止めなき従属がテーマである。本書の肝ともいえるパートである。吉田茂首相(当時)の自衛隊指揮権は米軍にあるとする「密約」や「統帥権はアメリカにある」ことなどにも触れられている。この章の結論は「日本は、台湾有事を煽るアメリカの対中封じ込め・攻撃戦略の軍事的ニーズ(集団的自衛権の実効性)に合わせて、敵基地攻撃能力を持つ長距離ミサイル中心の大軍拡を進めている。『安全保障のジレンマ』を招き、日本が戦場となるリスクまで高めている。」である。軍事優先社会の背景には米国の世界戦略があるという指摘だ。「昔天皇、いま米軍」という言葉を髣髴とする記述である。
 第5章は「対米従属の象徴・オスプレイ」である。危険な欠陥機を受け入れる唯一の国であること。オスプレイの超低空飛行を認めていることなどだけではなく、佐賀空港へのオスプレイ配備をめぐる裁判などについても触れられている。この章の結びは「台湾有事を煽って武器輸出で儲けるアメリカの軍産学複合体、『ミサイル特需』など軍需景気を期待してうごめき始めた日本版軍産学複合体。このような有事を煽り、戦争を欲する構造にからめとられて、軍事優先に踏み込み迷う社会を未来の世代に残してしまっていいのか、いまそれが問われている。」である。私たちはその問いに真剣に応えなければならないであろう。
 第6章は「有事法制に組み込まれる自治体」である。自治体が管理する空港や港湾を、自衛隊や米軍が使いやすくするよう法制度が整備されつつある。大軍拡の下で、これらを軍が優先的に使用しようというのである。吉田さんは「新たな総動員体制」を築こうしていると表現している。他方で、吉田さんは「自治体は空港・港湾の軍事利用は拒否できる」として「非核神戸方式」などを紹介している。この章の結論は、「アメリカ優先、米軍優先の、主権なき軍拡を進める〈安全保障政策〉に反対しなければ、『再び戦争の惨禍』を招くことになる。いまその分岐点に私たちは立たされている。」である。

まとめ
 私も、吉田さんと同じように私たちは分岐点に立たされていると考えている。核兵器に依存して「壊滅的人道上の結末が訪れる世界」へと進むのか、それとも、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存できる世界」を創るのかの分岐点にあると考えているのだ。ついでに言うと、吉田さんがこの本で何度も言及している『国家安全保障戦略』も「我々は今、希望の世界か、困難と不信の世界のいずれかに進む分岐点にある」としている。政府は「希望の世界」に進むためには、中国を封じ込め、北朝鮮やロシアに対抗する力がなければならない。そのためには、自衛隊の強化はもとより、国家挙げての防衛体制を強化し、米国との核の傘を含む「拡大抑止」の一層の強化や「同志国」との連携が必要だとしているのである。そうしなければ、国民の命や財産を守れないという理屈である。
 政府は、吉田さんが報告している「軍事優先社会」は「希望の世界」への道だとしているのである。他方、吉田さんは、それを止めなければ「再び戦争の惨禍」を招くと指摘しているのである。私もその意見に賛成である。このように、私たちと政府の溝は深い。まさに、私たちは大分岐点にあるのだ。吉田さんのこの本は、改めてその冷厳な現実と、それに抗う市民社会の動きを丁寧に紹介している。(2025年6月14日記)




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