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「核兵器廃絶」と憲法9条



2025.6.19

日本弁護士連合会(日弁連)の被爆80年にあたっての決議

日弁連の決議
 6月13日、日弁連の定期総会で『被爆80年に際して「核兵器のない世界」を目指す決議』が採択された。その要旨は以下のとおりである(全文は日弁連のHP参照)。「核兵器のない世界」を求めるだけではなく「戦争とは永遠に決別する」決意が述べられていることを確認してほしい。
 核兵器は「極まりなく非人道的兵器」、「決して使われてはならない兵器」であり、国際社会は「核兵器を違法とする理論」を構築してきたけれど、いまだ、1万発を超える核兵器が存在し、うち数千発は作戦配備されている。しかも、近時、核兵器使用のリスクが「極めて高くなっている」。核戦力を維持しようとする根拠は「核抑止論」や「拡大核抑止論」であるが、この理論は「効果の不確実性が高い危険な理論」である。核抑止論から脱却し、世界から核兵器を廃絶するためには、すべての国が核兵器禁止条約(TPNW)に署名、批准し、核兵器不拡散条約(NPT)6条を具体化することが必要不可欠である。あわせて、北東アジア地帯を非核地帯とすることが求められている。
 そこで、当連合会は日本政府に対し「核兵器廃絶の実現に重大な懸念」があることを全世界と共有するとともに、①TPNWに署名し、批准すること。②NPT6条を具体化するために、核兵器国と非核兵器国の対話の場を設け、核兵器廃絶のタイムスケジュールを策定するなどの取組を行うこと。③北東アジア非核兵器地帯の締結に向けた取り組みを行うこと。を求める。
 当連合会としても、いかなる国際状況の下にあっても、核兵器の存在に断固として反対し続け、「核兵器のない世界」の実現を目指し、戦争とは永遠に決別することを決意する。

核兵器についての日弁連の基本的スタンス 
 日弁連は、1950年5月12日、広島市で開催した第1回定期総会に引き続いて開催した平和大会において「地上から戦争の害悪を根絶し、(中略)平和な世界の実現を期する。」と 宣言して以来、核兵器廃絶を訴え続けてきた。1954年5月29日には、「原子爆弾等の凶悪な兵器の製造並びに使用を禁止しなければ、人類の破滅は火を睹る(みる)より明らかである。」としている。2010年10月8日には、日本政府に対して「非核三原則」の法制化、北東アジア地帯を非核地帯とするための努力、核兵器禁止条約の締結を世界に呼び掛けることを求め、法律家団体として、非核三原則を堅持するための法案を提案し、広く国民的議論を呼び掛けることを決意していた。
 最近では、核兵器禁止条約の締約国会議、NPTの再検討会議、広島でのG7などに際して、政府に対して「核兵器のない世界」に向けて積極的役割を果たすよう要望する会長声明や被団協のノーベル平和賞受賞を歓迎する会長声明なども発出している。
日弁連は「戦争は最大の人権侵害である」として、日弁連の草創の時期から「究極の暴力」である核兵器に「法という理性」で対抗しようとしてきたのである。今回の決議は、被爆80年にあたって、そのことを再確認したのである。
 現在、日本の弁護士は約4万7千人である。そのすべての弁護士が所属する日弁連が、その定期総会でこのような決議をあげたことの意味は大きい。

決議までの経過
 日弁連の総会で決議を採択するためには、それなりの手続きを踏まなくてはならない。今回の決議も簡単に実現したわけではない。日弁連の憲法問題対策本部の核兵器廃絶部会で「核戦争の危機が迫っている。基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする弁護士が黙っているわけにはいかない。被爆80年に際して、日弁連の初心に帰って、核兵器も戦争もない世界を創るための決議をあげよう。」と議論されたのは、昨年秋のことであった。決議案文とその理由を起案し、対策本部に提案し、その議を経て日弁連の執行部に提案され、そこでの質疑応答を経て、執行部から理事会に提案してもらい、さらにそこでの質疑と意見交換を経て、総会への提案という過程を経たのである。
 そもそも、執行部がその気にならなければ総会決議などありえない。けれども、現在の渕上玲子会長は、長崎の出身ということもあり、この決議の総会への提起を選択したのである。私は英断だと受け止めている。部会の問題意識はもちろん通奏低音として生きているけれど、決議案の構成や表現は修正されている。そういう意味では、この決議案は集団による労作であり、日弁連の現在の到達点なのである。

総会での議論
 総会でもいろいろな意見が出されたし、満場一致ということでもない。強制加入団体の日弁連の総会で、政府の核政策を根底から非難し、その政策転換を迫る決議がシャンシャンと成立することなどありえない。いくつかの意見を紹介しておく。
 まず、「決議は安全保障について理解していないので反対だ。」という意見である。この意見は「核兵器をなくすことは、わが国の安全保障を危うくする。」という認識に基づくものである。政府の見解と同様のものであるので、会内に存在することは間違いない。問題はどのような形でそれが噴出するかである。総会でも、その意見は堂々と開陳されていた。日弁連は、まさに、国家安全保障のために核兵器を必要とする思考と行動(核抑止論・拡大核抑止論)に対する根本的批判を対置しているのであるから、そのような意見が出てくることは想定の範囲内であろう。
 次に興味深かったのは「核兵器国の意向に反しない形で核兵器廃絶を現実化することは極めて困難というが、では、核兵器国の意向をどう変えるというのか。核兵器国からどのように核兵器を取り上げるというのか。」という質問である。この質問は大事な論点を含んでいる。核兵器国が核兵器を放棄するとの政治的意思を持たない限り、核兵器はなくならないからである。日弁連は、そのために、まず、わが国政府が、核抑止論から脱却することを提起しているのである。わが国が核兵器のない世界の実現に向けて積極的な行動をとることは、核兵器国の政府や市民社会の意思を変えることに寄与するとの発想である。質問者にそのことが理解してもらえたかどうかはわからないけれど、ぜひ理解してほしいポイントである。
 もう一つは、「日米による中国侵略戦争」に触れなければ「戦争と永遠に決別することを決意することにはならない。」という意見である。これも一つの論点であることは間違いない。日米両国政府が、中国を対象とする軍事力に依存しての「安全保障政策」をとっていることは公知の事実だからである。日弁連はそれを指摘し反対している。そのことは「安保法制」や「安保三文書」に対するこれまでの日弁連の姿勢を見れば明らかである。「中国侵略戦争」という表現をしなければ「戦争と永遠に決別することを決意することにはならない。」とすることは偏狭に過ぎるというべきであろう。

まとめ
 これららの反対意見や質問などはあったけれど、決議は圧倒的な賛成で採択されている。感動的な賛成討論があったことも忘れないでおきたい。そして、決議の理由は次のように締め括られている(要旨)。
今年は、広島及び長崎への原子爆弾投下から80年である。被爆者は「核兵器と人類は共存できない」、「被爆者は私たちで終わりにしてほしい」との思いから粘り強く運動してきた。日本被団協の田中熙巳代表委員は、ノーベル平和賞受賞記念講演で「人類が核兵器で自滅することのないように。そして、核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう。」と述べた。核兵器が使用されれば全人類に影響が及ぶことになる。「核兵器も戦争もない世界」は被爆者にとどまらず私たち人類の悲願である。核兵器使用の危機が迫る今、私たちは、核兵器の恐怖を排除できない「核抑止論」から脱却し、核兵器廃絶を実現しなければならない。当連合会は「戦争は最大の人権侵害である」との理念の下、反戦と核兵器の廃絶を訴えてきた。核兵器は、人類を含む地球を破滅させる残虐な兵器であり、地球上に存在する限り、最大の人権侵害のおそれを排除できない。だからこそ、我々は、核兵器の廃絶を強く求めるのである。
 そして、その結びは、先に紹介した決議本文と同様に「いかなる国際状況の下であっても、核兵器の存在に断固として反対し続け、『核兵器のない世界』の実現を目指し、戦争とは永遠に決別することを改めて決意し、本決議をする。」である。
 私は、核兵器廃絶部会の座長として、この決議の最初から最後までかかわってきた。部会や対策本部のメンバー、担当の事務次長や副会長、そして執行部会議や理事会でも、様々な意見交換をして来た。総会決議をあげることは決して簡単ではないことも体験した。それだけに、この決議が採択されたことに対する感慨はひとしおである。
 日弁連は、被爆と終戦の80年の今年、この総会決議でおしまいとするのではなく、12月に長崎で予定されている人権大会でも、引き続き核兵器廃絶と日本の戦争準備にかかわるテーマでのシンポなどを予定している。私も一人の弁護士として「核兵器も戦争もない世界」を実現するために尽力したいと改めて決意している。(2025年6月17日記)




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