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「核兵器廃絶」と憲法9条



2024.4.5

「1789-バスティーユの恋人たち―」を観た!!

去年の7月26日。東京宝塚劇場で「1789-バスティーユの恋人たち」という宝塚歌劇星組公演を観た。生まれて76年、宝塚歌劇とは全く縁のない生活を送ってきた私としては、何とも刺激的な3時間だった。
これは埼玉弁護士会憲法委員会の企画だ。この企画に参加しようと思った動機は、何といっても、そのテーマである。1789年というのはフランス大革命の年だ。バスティーユというのはフランスの要塞であり監獄である。フランスの民衆がその監獄を襲撃し、武器・弾薬を奪い、政治犯を解放した事件は、フランス革命のハイライトだ。その革命を背景にした「恋物語」を連想させるネーミングに魅かれたのだ。革命と恋は、多くの物語のテーマだし、私もそれは嫌いではない。社会変革と身を焦がすような恋愛。きっと、あなたもそれは気にかかるテーマであろう。ということで、事務所の村山志穂を誘って参加したのだ。


恋物語
(以下、ネタバレを含む)。物語は1788年のフランスの農村で始まる。王の命令で税金を滞納している農民が射殺され、孤児となった兄がパリに行くことを決意する。それが主人公のロナンだ。彼が実在の人物かどうかは知らないけれど、バリでは、カミーユ・デムーラン、マクシミリアン・ロペスピエール、ジョルジュ・ダントン、ジャン・ポール・マラーなどの実在の人物との交流が始まる。
他方、フランス王家も描かれ、マリー・アントワネットやルイ16世、その弟のシャルル、国務大臣ネッケルなどが登場する。そして、ヒロインは、アントワネットとルイの子どもの養育係のオランプである。ちなみに、彼女の父親はバスティーユの管理人なのだ。彼女が実在の人物であるかどうか、私は知らない。
王の命令で父を殺されたロナンと父とともに王家に仕えるオランプの「決して一緒になれない運命」にある二人が「バスティーユの恋人たち」である。そのきっかけが、アントワネットの不倫話というのだから、なかなか面白い設定になっている。

なお、ロナンは、民衆がバスティーユに押し掛けた際に、オランプの父を説得し、父を民衆側に立たせるのだが、自身はその命を落とすことになる。オランプは、王家への忠誠とロナンへの愛との間で深い葛藤に悩むが、その葛藤を解消するのは、アントワネットの「愛する人のところに行きなさい」という一言であった。アントワネットも、フランス王の后であり、三人の子どもたちの母ではあるが、スウェーデンの将校と恋をしていたのだ。けれども、彼女は、民衆の蜂起を見て、フランス王の后として王と王家の子どもたちを選択する。(この歌劇では、ギロチンの模型は出てくるけれど、王族の処刑は描かれていない。王がギロチンの模型について語るシーンは暗喩的で、心憎い仕掛けになっている。)
ロナンとオランプの恋物語に止まらず、アントワネットの心情を重ねることによって、この物語の深みが増している。「さすが、宝塚」だ。


革命物語
恋物語だけではなく、革命物語も描かれている。ロナンの妹ソレーヌがバリに流れてきて娼婦になっている。彼女は「こんな私にどんな生き方ができるのと」と兄に言う。いささかステロタイプかとも思うけれど不自然ではなかった。貧困と差別に苛まれた女性が「身を売る」ということは今でもありうることだ。妹がロナンの仲間に大事にされていたというのもうれしかった。

陰謀家であるルイ16世の弟は、カミーユやロペスピーエールたちは、プチブルの出身で、頭でっかちで、本当の苦労は知らないとして革命派の分断を図るけれど、それは功を奏していない。ロナンも彼らとの違いを意識しつつ、彼らが「俺たちは兄弟だ」と言ってくれることを信頼しようとしている。この歌劇は、フランスの旧体制を撃ち破りたいという情熱を持つ青年を好意的に描いている。

民衆がなぜ蜂起しなければならなかったのか。なぜ、王家を打倒し新しいフランスを創ろうとしたのか。王家との対象で描かれている。 王家では、王妃は不倫をしている。弟は兄の王座を狙っている。民衆を暴力で押さえつけるか、それともうまいこと説明してなだめるのかでの対立もある。秘密警察も登場する。何となくピエロ的な存在として扱われている。演出家の遊び心かもしれないと思いつつも、日本の特高警察の行状を知る私としては笑っているだけでは済まないところでもあった。王家や王党派の「神から権力を授かった」とする奢りと強欲、民衆の蜂起を前にして王家を見捨てて逃亡する貴族たちの振る舞いは冷ややかに描かれていた。

革命は、その生命と生活を理不尽に奪われる者たちの、奪う者たちの支配を打倒するための命をかけた戦いである。立ち上がる側も受けて立つ側もその全存在をかけての闘争である。その間で右往左往する存在ももちろんあるし、むしろ多数かもしれない。
それは、古今東西問わず、世界のあちこちで起きた史実である。今も、革命という形ではないけれど、ウクライナのゼレンスキー大統領は、プーチンのロシアの侵略を受け、「To be or not to be」というシェイクスピアの言葉を引用している。
歴史は、そのようにして、進むのであろう。


歌と踊り
ストーリはこのようなものだけれど、宝塚歌劇を啓蒙芸術としてみるのは野暮であろう。ソロもデュエットもトリオもカルテットも合唱も素晴らしい。趣向を凝らした群舞も何とも華やかだ。パレ・ロワイヤルでの市民たちの歌と踊りはエネルギッシュだ。王党派との立ち回りもある。鳥の羽を頭につけた短いスカートの踊り子たちのラインダンスは、中学時代の修学旅行で見た日劇でのラインダンスの以来の衝撃だった。
私は、2010年、NPTの再検討会議でニューヨークを訪れた時、ブロードウェイで「オペラ座の怪人」を観たけれど、この公演はその時の感動を明らかに凌駕するものだった。宝塚は日本語、ブロードウェイは英語なので、宝塚の方が親しみやすかったのであろう。

最後に
すごいと思ったのは、フランス人権宣言の暗唱があったことだ。私も、それを黙読したことはあるけれど、朗読したことはない。この歌劇の中でいくつかの条文が読み上げられていた。

人は、自由かつ諸権利において平等なものとして生まれ、そして生存する。
すべての政治的結合の目的は、人の自然かつ消滅しえない諸権利の保全にある。
あらゆる主権の原理は本質的に国民に存する。
自由とは他者を害しないすべてをなしうるということである。
すべての人は有罪を宣言されるまでは無罪と推定される。

などのフレーズが、力強い声で語り掛けられていた。
松元ヒロさんの憲法前文の暗唱もすごいけれど、タカラジェンヌたちの朗誦も涙がにじむくらいにうれしかった。

このような素晴らしい企画を実現してくれた憲法委員会のみなさん。
本当にありがとうございました。(2024年4月6日)




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