2024.4.15
昨日、井上ひさし作「夢の泪」を観た。井上ひさしファンであるカミさんと一緒だった。私も彼の作品は決して嫌いではない。学生時代、寮のテレビで何気なく視ていた「ひょっこりひょうたん島」以来、井上ひさしは忘れられない名前なのだ。そんなにたくさんの作品に接しているわけではないけれど、彼が「日本国憲法は世界史からの贈物、最高の傑作」としていることを知っている私は彼を贔屓にしている。
井上さんは1934年(昭和9年)11月の生まれだから、私より一回り(12歳)年上だ。12年の齢の差というと、接した年齢によって、大きな違いを意味することになる。10歳の時に接すれば相手は22歳だ。子供と大人だ。77歳で接すれば89歳だ。両方とも老人だ。
私は井上さんと直接接したことはないけれど、彼と仙台一高の同級生だった樋口陽一先生には、学生時代に学生と助教授という関係で接しているので、12年の歳の差を樋口先生と重ね合わせている。私が20歳の時、2人は32歳だった。樋口先生は今でも「雲の上の人」だ。けれども、「9条の会」の呼びかけ人をしている井上さんは、決して遠い人ではないように思っている。
話を「夢の泪」に戻すと、私には難解な舞台だった。井上作品は決して単純ではない。この作品もそうだ。テーマは、東京裁判の評価、特に事後法の禁止、戦争の被害者、米国における日系人の処遇、朝鮮人差別、官憲の野蛮さなどから、弁護士の実態や娘の恋物語まで盛り込まれている。
しかも、表現方法は歌とセリフという凝りようだ。一番前の席で観ていたから俳優たちの息遣いやこぼす泪まで、リアルに受け止めることはできたけれど、彼が伝えようと思ったことをどこまで理解できたかは心もとないところではある。
井上さんは何を伝えたかったのであろうか。
会場で買い求めた『the座』120号に再録されている「裁判儀式論」で、彼はこんなことを書いている(元々は2003年)。
東京裁判には「正しいところと、間違ったところがあった」。
チャーチルがナチスについて「あんな非道な連中のやったことに法律的議論をしても仕方がない。ナチス首脳など即刻死刑にすべきだ」としていたけれど、スターリンが「裁判抜きの死刑はありえない」と反対し、アメリカが「裁判は儀式なのだから…」となだめて、ニュルンベルク裁判が行われた。
この裁判儀式論を、東京裁判に転用すると「あれは、不都合なものはすべて被告人に押し付けて、お上と国民が一緒になって無罪地帯へ逃走するための儀式のようなものだった」ということになる。
では、どうやって逃げたのか、それも今回きちんと書き込んだつもりです。
少しネタバレで申し訳ないけれど、この劇では、ラ・サール石井さん扮する伊藤菊治弁護士とその妻である秋子弁護士が、清瀬一郎の推挙で、松岡洋右を弁護するという設定が縦糸になっている。けれども、「東京裁判」についての評価が明示されているわけではない。インドのパル判事が展開した「事後法の禁止」は、大日本帝国が不戦条約などの脱法をしたことと対比されて否定されているけれど、結論は出されていない。また、その他の論点についても観劇する者に考えさせようと工夫されている。
井上さんが「書き込んだ」としていることを私なりに理解すると、戦中派には「あなたはあの戦争にどのようにかかわったのか」であり、戦後派である私たちには「あなたはあの戦争をどう思うのか」ということのように思う。
菊治と秋子の娘である永子の次のセリフにそれが凝縮されているように思うからだ。
「日本人のことは、日本人が考えて始末をつける。」
「ひとさまに裁いてもらうと、あとで、あれは間違った裁判だった、いや、正しい裁判だった…。そういうことになるでしょう。」
『the座』では、加藤正弘氏の「『劇場型』っていうくらいだし―こまつ座の芝居で政治を考えるー」というコラムが連載されている。確かに、過去と現在と未来の「政治を考える」機会になる作品ではあった。
付け加えておくと、山田洋次さんも鑑賞していた。山田さんは、1931年生まれだから、井上さんや樋口さんよりも少し年上だけど、この劇をどのように見ているのか、機会があったら聞いてみたいと思っている。(2024年4月14日記)
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