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「核兵器廃絶」と憲法9条



2024.5.7

「有害な男らしさ」に基づく抑止力論
 不断の努力とジェンダー平等の実現で克服を

はじめに

 このタイトルは、日本平和委員会[1] の代表理事である岸松江弁護士の「核抑止論を克服するために」と題する講演に際してのものだ(『平和運動』2024年5月号掲載)。核抑止論を不断の努力とジェンダー平等で克服しようという決意がにじみ出ているタイトルといえよう。
 私も「核兵器のない世界」を実現するためには、核抑止論の克服が必要だと考えているので、その問題意識に共感している。加えて、ジェンダー平等という視点は、重要な論点とされているので、大いに興味を覚えている。
 そこで、ここでは、岸さんの講演を紹介しながら、ジェンダーと核兵器について考えてみたい。防衛研究所の核抑止論者たちは、冷戦終結による「核の忘却」の時代から、「新たな核時代」に入ったとして、「核の復権」をまことしやかに言い立て、核抑止論の維持・改善を主張しているので[2] 、そのことも念頭に置きながら論を進めることとする。

核抑止論

 岸さんは、抑止力を次のように要約している。


 抑止力とは、相手より優位に立つ強力な武器を持つことによって相手を威嚇し、攻撃を思いとどまらせようとする威嚇政策です。相手にナイフを突きつけながら仲良くしようというもので、相手を尊重し、相互信頼を前提とする対話と交流による平和外交とは真逆の概念です。
 
 少し付け加えておくと、この「強力な武器」を核兵器に置き換えれば「核抑止論」ということになる。相手国に、自国を攻撃すれば核兵器によって懲罰的な反撃をするぞと威嚇することによって攻撃をためらわせて、自国の平和と安全を確保するという理論である。「平和を望むなら核兵器に依存せよ」という「平和を望むなら戦争に備えよ」というローマ時代の格言の現代版であり、核兵器保有国や日本政府などの核兵器依存国が信奉している原理・原則である。
 日本政府は、中国、北朝鮮、ロシアが、わが国の安全を脅かしているとしているので、抑止の対象国はこれらの三国、とりわけ中国である。そして、これら三国はいずれも核兵器保有国なので、米国の核兵器(核の傘)によって抑止しようというのである。
 唯一の被爆国が唯一の加爆国の核兵器によって、安全保障を確立するという「倒錯の構図」がここにある。核抑止論は、核兵器という「究極の兵器」に自国の運命を委ねようという理論だということを確認しておく。
 抑止論は、岸さんがいうように「対話と交流による平和外交とは真逆の概念」なのだ。


 では、抑止論とジェンダーはどういう関係にあるのか、岸さんの考えを聞いてみよう。

ジェンダーとは

 岸さんはジェンダーについては次のように言う。


 ジェンダーとは、社会的・文化的に作られた性差です。社会が構成員に押し付ける、女性はこうあるべき、男性はこうあるべきだという行動規範や役割分担を指します。男らしさ・女らしさの背景には家父長制度、「家」制度があります。男性は家を発展させ支えるものだという家父長制度の要請のもとに、女らしさ、男らしさが作られてきたのです。
 
 ここでは、「男らしさ」、「女らしさ」が求められた背景が語られている。それは、大日本帝国時代にさかのぼるが、その男性優位の社会は日本国憲法のもとでも続いているという。それは職場における「男らしさを競う文化」だとされている。

「男らしさを競う文化」の背景にある要素

 岸さんは、飯野由里子氏の見解を引用して次のように言う。


そこに共通する要素は、①「弱さを見せるな」。失敗や間違いを認めたら負け。②強さとスタミナ。長時間労働に耐えられること。③仕事第一主義。家庭を顧みないことをよしとする職場文化。④弱肉強食。仕事は協力ではなく競争。同僚は仲間ではなく競争相手、などです。資本主義社会の職場で成果と評価をえるために、こうした「男らしさ」を誇示することが暗黙裡に求められ、また評価されてきました。

「男らしさを競う文化」の弊害

 そして、この「男らしさを競う文化」には弊害があるという。


 相手より優位に立ち、相手を打ち負かそうとする「男らしさを競う文化」は、資本主義社会における競争原理、利潤第一主義に親和性があり、思想的に補強しています。「有害な男らしさ」は、資本主義社会の中で再生産・強化されます。市場の外には家庭や教育現場、自然がありますが、これらは本来利潤第一主義という原理はなじまない。でも、家庭から労働力を市場に提供し、市場で勝ち抜ける子が求められますから、勉強ができ、いい大学に行って、いい企業に入れるような子どもを育てたいという要求になります。とりわけ母親がその責任を負います。
 

 ここでは、職場だけではなく、家庭も「男らしさを競う文化」に取り込まれていることが述べられている。

 その上で、岸さんは、資本主義が発展し独占化し国家と結びつくとき、戦争になるという故畑田重夫さんの理論を援用している。「国家が戦争を遂行するとき、武器産業の買い手は国家である。国家は資本の利潤追求のために戦争を起こすことも厭わない」という理論だ。私は、この理論の説得力は世界の現実によって証明されていると考えているので、岸さんの援用に異議はない。

戦争を正当化するのが「有害な男らしさ」

 岸さんは、戦争を正当化する思想の背景にあるのが「有害な男らしさ」だとしている。「相手をリスペクトするのではなく、勝つか負けるか、弱みを見せたら負けだというものです」というのである。そして、次のように続ける。
 マウントをとるという言い方がありますが、相手より優位に立とうとしたり相手に威圧的な態度で接したりする文化が、知らず知らずのうちに内面化されていくことがあります。それが抑止論を支えているのではないかと思います。

戦争の遂行に利用されるジェンダー

 岸さんは、シンシア・エンロ―を引用して、「男らしさ」の観念による軍事化とは、例えば、男は自分の家族と国を守るために命をかけて戦場に行く。これが男の使命だと考える。戦場に行くことが男の使命だからと内面化することで出兵するわけです。そこに、「男らしさ」、「男の使命」というジェンダーが働いています、としている。 


 その上で、橋下徹の「命をかけて戦っている時に、精神的に高ぶっている集団を休息させようと思ったら、慰安婦制度が必要だということは誰だってわかる」という発言を、戦前の慰安婦制度はまさにこういう発想で作られたと評している。橋下流の愚劣さの指摘である。


 更に、「女らしさ」の観念による軍事化については次のように言う。


 兵士を生み出す軍国の「母」と、夫を送り出して家を守る「妻」が賞賛されます。一方で道徳的純潔と母性的自己犠牲の観念から外れた売春婦や、戦争に反対する女性は凌辱されてもしょうがない、「戦利品」として女性を与えるということが起こりました。

岸さんの結論

 岸さんは、ここまでに述べてきたことに加えて、ジェンダーは戦争の場合だけに問題になるわけではない、日常生活にある性差別・性暴力と戦争は地続きだということとか、「女性の権利」についての国際的潮流の紹介などもしている。いずれも貴重な情報だし、勉強になる。その上で、岸さんの結論は次のとおりである。

 社会の中の差別をなくす運動なしに平和は守れないというのが、今の到達点です。その一つとしてジェンダー平等を実現していかなければ抑止論を克服できず、平和が脅かされていくということではないでしょうか。

私の感想

 岸さんの講演は、ジェンダーと抑止論ということで、核抑止論に焦点を当てているものではない。けれども、核抑止論も抑止の論法である「強力な力で相手を従わせる」ということでは共通している。だから、抑止論一般を問題にすることに意味はある。
 そして、岸さんの議論は、「戦争が日常に入り込むとき、あるいは、日常が『軍事化』されるとき、支配する性―支配される性、という伝統的で父権的なジェンダーが正当化され、そして、強化されていく」という、宮本ゆき氏の議論と共鳴している[3] 。

 けれども、核兵器という「死神・破壊者」が現に存在し、いつ使用されるか分からない状況下においては、核抑止論にもっと焦点を当てて欲しいとも思う。
 核軍拡競争のなかで、巨大な核戦力をうらやましく思うような男性の言葉や感情がみられることを指摘し、それが男性主義に根差すものであるとことを明らかにし、力への依存をジェンダー観点から解明する言説も存在しているからである[4] 。

 冒頭紹介した防衛研究所の諸君は「核の復権」を歓迎しているかのようである。彼らも「巨大な核戦力をうらやましく思うような男性」なのであろう。
 抑止論とは、結局は、力で相手の行動を制約しようとする理論である。人を脅して義務なきことを行わせたり、権利行使を妨害すれば、国内法的には「強要罪」として処罰されることになる。けれども、国際政治においては「皆殺しにするぞ」という脅しが幅を利かしているのである。しかも、その脅しが効いているかどうかは誰も検証できないのである。核抑止論は「最悪の集団的誤謬」とされていたことを想起しておきたい 。

 この核抑止論を克服しない限り、核兵器は存続し続ける。そして、核兵器が存在する限り、それが使用される可能性は残り、いかなる理由であれそれが使用されれば「壊滅的人道上の結末」が人類社会を襲うことになる。

 岸さんはそれを避けるための知恵を提供しているのである。(2024年5月5日記)


[2] 一政祐行(いちまさ・すけゆき)防衛研究所政策研究部サイバー安全保障研究室長編著『核時代の新たな地平』(2024年3月)は、「核の威嚇や核強要が横行する中、抑止力を維持・改善しつつ、意図せざる核戦争勃発を防止するための合理的な軍備管理の手段を講じることが先決だ」として、抑止力の維持・改善を主張している。軍備管理の必要性はいうが、核兵器廃絶という発想はない。意図せざる核戦争の勃発を防ぐには核兵器を廃絶することが唯一の効果的手段であるけれど、彼らはその論理は排除している。

[3] 宮本ゆき著「なぜ、原爆は悪ではないのか」(岩波書店、2020年)

[4] 川田忠明著『市民とジェンダーの核軍縮』(新日本出版社、2020年)は、ヘレン・カルディコットの研究を紹介している。

[5] 1980年国連事務総長報告 服部学監訳『核兵器の包括的研究』(連合出版、1982年)




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