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「核兵器廃絶」と憲法9条



2024.6.10

米国の広島・長崎への核兵器投下の法的責任を問う「原爆国際民衆法廷」の準備のための「第2次国際討論会」に参加して

はじめに
 6月7日と8日、広島で開催された韓国の「平和と統一のための連帯」(SPARK)が主催する標記の討論会に参加した。「原爆国際民衆法廷」というのは、韓国の被爆者が原告となって、米国の原爆投下を裁こうという反核平和運動である。
 米国政府を米国の裁判所で裁かせるという構想もあわせ持つ模擬法廷の提起だ。正式の法廷であれ、模擬法廷であれ、法的構成も含めて、その主張を整理しておくことは必要である。だから、彼らは英知を結集するための「国際討論会」を企画しているのだ。
 今回は、米国、ドイツ、スイス、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、日本などからの研究者、弁護士、市民活動家などが参加している。私も、日本反核法律家協会会長という立場で、昨年から討論者の一人になっている。

私のテーマ
 今回、私に与えられたお題は「韓国被爆者の立場から見る米国の広島・長崎への核兵器投下の歴史的意味」だ。前回は「韓国人被爆者にとっての原爆投下の軍事的・政治的意味」だったから、似たようなテーマではある。今回も討論原稿はそれなりに準備したつもりでいる。結びだけ紹介しておくと、「植民地支配と被爆という二重の被害を受けている韓国人被爆者は、過去の清算と『核なき世界』という未来の形成に深くかかわっています。私は、日本の市民社会の一員である法律家として、過去の清算には加害者としての自覚を持ちながら、そして、『核なき世界』の実現のためには同じ志を持つものとして連帯していこうと決意としています」というものである。
 ところで、会場の若い参加者から質問があった。「日本には戦争を終わらせようという市民社会の声はなかったのか」ということと「天皇の聖断というけれど、本当にそうなのか」という質問だ。何とも、鋭い質問だと思う。
 私は、「大日本帝国時代の日本は万世一系の天皇が支配する国で、その国体に反対するものは、治安維持法の下で弾圧され、転向を迫られ、戦争に反対する声はかき消されてしまった」、「天皇は、終戦詔書で、敵は残虐な兵器を使用したのでこれ以上戦争を続けられないとして、敗戦を核兵器のせいにしている。戦争を始めたことを全く反省していない。ずるい態度だ」と答えておいた。彼女が納得したかどうかはわからないけれど、私はそのように考えている。

他のテーマ
 他の分科会のテーマは、「1945年の米国の核兵器投下以降の国際法・特に国際人道法から見た核兵器使用の不法性」と「拡大核抑止の不法性と、それの朝鮮半島・北東アジアとの両立不可能性及び克服方策」だ。
 「1945年以降の国際法から見た核兵器使用の不法性」についての報告者の一人は山田寿則さんだった。ジェノサイド条約や国際刑事裁判所規程などが紹介され、結論は「不法である」であった。
 「拡大核抑止」についての報告も興味深かった。米国のチャールズ・モクスリー弁護士の報告は原稿を見ないで歩き回りながらだった。きっと、彼は法廷でこんな調子で弁論をしているのかもしれない。内容はともかくとして印象には残った。
 報告者や討論者の原稿は、全て、韓国語、英語、日本語でかつての電話帳並みの分厚い報告書に収録されている。河上暁弘さんに奨められて私の話を聞きに来たというNHKの小野文恵アナウンサーが「これをタダでもらっていいのかしら」というので、「大丈夫です。彼らの意気を感じておきましょう」と対応しておいた。
 韓国の市民団体が広島で国際会議を企画し運営するのだからその意欲とエネルギーには驚嘆する。韓国からは2世、3世の被爆者を含む80名からの参加だ。日本を含む外国からの参加者を含めれば200名近い規模だ。平岡敬元広島市長の姿もあった。韓国語、英語、日本語の同時通訳が行われていた。青年たちの溌剌とした姿がまぶしい。マスコミからの取材も受けた。どのように生かされるのか楽しみではある。

平和資料館と韓国人被爆者慰霊塔
 「国際討論会」に合わせて平和資料館の見学や韓国人慰霊塔前での慰霊祭なども開催された。資料館の展示はいつ見ても怒りが湧いてくる。こんな悲劇を惹き起こす核兵器に依存しようとしている勢力に対する怒りだ。平和公園にある韓国人被爆者の慰霊塔前での慰霊式で、日本からの参加者を代表してのスピーチを依頼された。何を語ればいいのか悩んだけれど、次のような内容にした。

慰霊の言葉
 慰霊の式典に際して、日本人参加者の一人として、一言ご挨拶させていただきます。
私の父は、大日本帝国陸軍の一兵卒として、中国大陸に従軍しました。その父は、私に「戦争だけは絶対だめだ」と言っていました。父は私に語ることができないようなことをしてきたのかもしれません。
母は私に「原爆が落とされた時、銀行が開くのを待っていた人が、影だけを石に残して死んだ」という話をしたことがあります。資料館に展示されている「人影の石」のエピソードです。私は、この話を聞いた時、何とも言えない恐怖心に襲われました。日常が、抗えない力によって、一瞬のうちに奪われることの恐怖です。 
 私は、その父や母の子供として、戦争も核兵器もない世界を作りたいと考えるようになったのだと思います。
 もう一つの話をさせてください。私の小学生時代の恩師が、弁護士になった私に電話をかけてきました。「ケンちゃん。うちの子が朝鮮人と結婚すると言っているんだ。何とか止める方法はないだろうか」というのです。私は驚きました。朝鮮人に対する差別意識がこのように深く日本人に沁み込んでいることに対する驚きでした。
 私は、そういう風土の中で生活していることを忘れないようにしようと思ったものです。

 ところで、私たち日本反核法律家協会は、この8年間、「朝鮮半島の非核化のために」をテーマとして、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、中国などの人も含めて、意見交換をしてきました。その問題意識は、朝鮮半島で核戦争は絶対に起こしてはならない、そのためには「北の核」だけを問題にすればいいわけではないとうことでした。多くの有意義な議論はできたとは思っていますが、朝鮮半島の非核化はまだ実現していません。

 更に、現在、ロシアやイスラエルは、核兵器使用の威嚇を伴いながら、侵略戦争やジェノサイドを行っています。国連のグテーレス事務総長は核戦争の危機はかつてなく高まっていると警告しています。核戦争の危機は朝鮮半島だけではなく全世界に広がっているのです。核兵器が人間に何をもたらすかは誰でも知っているにもかかわらず、核戦争の危機が高まっていることはまさに異常な事態です。

 その異常の原因は核兵器保有国や核兵器依存国が「核兵器は相手の攻撃を抑止する道具」としているからです。核兵器が国家安全保障の道具だとする核抑止論こそが、核戦争の危険性を生み出しているのです。核兵器が「死であり、世界の破壊者」であることは「原爆の父」と言われるオッペンハイマーが自覚していたことです。核抑止論者は核兵器という「死神」に地球の命運を委ねようとしているのです。

 核抑止力が破綻しない保証は誰もしていません。それが破綻した時、「壊滅的人道上の結末」が起きることは、核兵器禁止条約が明言するところです。私たちは、この核抑止論を乗り越えなければ、また、原爆慰霊碑を作らなければならないどころか、慰霊碑を建立する人がいなくなってしまう事態を迎えるかもしれないのです。

 そのような事態を起こさせないための根本的方法は、核兵器を廃絶することです。そのために求められることは、米国の政府や市民社会の核兵器観を変えることです。
 私は、韓国の被爆者やその支援者にしかできないことは、原爆投下は植民地解放に役立ったかどうかにかかわらず、絶対に使用してはならない非人道的で国際人道法に違反する行為であることを、米国政府と市民社会に訴えることだと考えています。
 この碑には、「韓民族は、この太平洋戦争を通じ、国家のない悲しみを骨身にしみるほど感じ、その絶頂が原爆投下の悲劇であった」と記されています。
私は、植民地支配と侵略戦争を行った日本人の末裔の一人として、自らの原点を忘れないようにしながら、韓国の皆さんとも連帯して、核兵器も戦争もない世界の実現のために微力を尽くしたいと考えています。
皆さん。ともに、頑張りましょう。
ありがとうございました。

まとめ
 演壇から降りるとき「ありがとうございました」という声が聞こえた。席に戻ったら、隣に座っていた韓国人被爆者のリーダーのシム・ジンテさんから握手を求められた。硬い掌だった。なぜかうれしかった。
 国際反核法律家協会のメンバーであるスイスのダニエル・リティエカーやドイツのマンフレッド・モアも参加していた。彼らと、佐々木猛也、足立修一、山田寿則、田中恭子さんたち日本反核法律家協会のメンバーと一献傾ける機会があった。ダニエルとマンフレッドが、SPARKの運動をどう思っているのかを私に聞いて来た。
 私はこんなふうに答えておいた。
 米国の原爆投下を米国の裁判所で裁かせるというプロジェクトは「ミッション・インポシブル」かもしれない。私もそれに挑戦したことがあるのでそう思う。けれども、彼らはそれに挑戦しているのだ。それを知ってしまった私は「逃げるわけにはいかない。出来ることはしなければ」と思っている。
 彼らもうなずいていた。(2024年6月10日記)




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