2024.7.11
この記事は、『やめさせよう裏金政治ー「政治とカネ」問題を考える-』をテーマに
「憲法改悪反対飯能日高共同センター」「小選挙区制・政党助成法の廃止をめざす飯能連絡会」が共催した学習会にて、講師としてお話させていただいた内容をまとめたものです。
世界を見ると、ロシアのウクライナ侵略やイスラエルのガザ地区でのジェノサイドなど、目を覆いたくなる事態が続いています。侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する武力の行使です。ロシアの行為はこれに該当します。ジェノサイド( genocide)とは、(種族:英語のgenos)と(殺害:英語のcide)の合成語で、国民的、民族的、人種的又は宗教集団の全部又は一部を集団それ自体として破壊する意図をもって行われる行為です。日本語では「集団殺害」、「集団虐殺」などと言われます。イスラエルの行為はこれに該当します。
けれども、ロシアに対する制裁は強調されていますが、イスラエルの暴挙を止めようとする動きは鈍いままです。
同時に、気候危機が進行し、地球という人類の生息環境そのものが脅かされています。国連のグテーレス事務総長は、「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が到来したのです」としています。
にもかかわらず、「民主主義国家」と「権威主義国家」などと対立が煽り立てられ、人類の危機に対する国際社会の足並みはそろっていません。
ロシアは核兵器使用をちらつかせているし、イスラエルも核兵器国であることを隠そうとしません。米国も未臨界核実験を継続しているし、中国も核兵器を増産しているようですし、北朝鮮も核兵器先制使用を憲法に書き込んでいます。日本や韓国は米国の「核の傘」依存を強めています。
国際情勢をもっともよく知る立場にある国連のグテーレス事務総長は、冷戦終結後最大の「核戦争の危機」だと言っています。米国の核兵器のことをよく知る科学者たちは、1947年以降で最も「終末」に近づいているとしています。
核戦争になれば「壊滅的人道上の結末」が起きることになることや「核戦争に勝者はない。核戦争を戦ってはならない」ことは、誰でも知っていることだけれど、核戦争は近づいているし、核兵器はなくなりそうもないのです。
気候危機を前にして、戦争や軍拡競争などしている場合ではないのに、「先進国」の政治リーダーたちは対立と分断を前提に物事を考えているのです。
G7が開催されているけど、そこで語られているのは、ロシアや中国との対立を前提とする話ばかりですし、核兵器への依存はそのままです。
国内では、「台湾有事は日本有事」と言われ、対中国戦争を念頭に、米軍と自衛隊の一体化や南西諸島の要塞化が進められています。まさに、日本版「先軍思想」に基づいて、現代版「国家総動員体制」が進行しているのです。
それを進めているのは自公政権です。それをサポートするのは日本維新の会や国民民主党などです。その中核にある自民党の腐敗と堕落は目を覆うばかりです。
私は、その腐敗と堕落が深刻化する原因は、30年前の1994年の「政治改革」にあると考えています。政治改革の柱は小選挙区の導入と政党助成金の導入でした。
ところで、当時、飯能では「小選挙区制・政党助成法の廃止を目指す飯能連絡会」が結成されており、2001年11月には「政党助成金訴訟の会」が結成されました。そして、2002年3月には、飯能、日高、名栗の住民113名が原告となって、東京地裁に「政党助成金違憲訴訟」を提起しました。
政党助成金は、1994年、政治改革と称して小選挙区制とともに導入された制度です。国会議員数や国政選挙での得票数に比例して、国民一人当たり年間250円の税金を各政党に交付する仕組みです。年間320億円もの税金が各政党に分配されることになったのです。
けれども、国民のなかには政党を支持している人もいれば、どの政党も支持していない人もいます。一方、国民は憲法によって思想・表現の自由や、集会・結社の自由が保障されていますから、どの政党に政治資金を寄付するか、寄付しないかというのは、各個人の自由に属することです。
だから、その各個人が支払った税金が勝手に支持もしていない政党に分配されてしまうというのは、憲法に保障された「良心の自由」の一形態である「政党支持の自由」を侵害することになるのです。
自民党などは、党員や支持者などの個々人から政治資金をコツコツと集める努力をせず、財界・大企業から巨額の政治献金をもとめる一方、より安定的に税金からも政治資金を得ようとして政党助成金制度を導入したのです。
また、政党というものは本来、国などから独立した存在ですから、税金で政党の運営資金をまかなうなどは邪道です。
ということで、原告は裁判を起こしたのです。
この裁判は、地裁・高裁で勝つことはできませんでした。裁判所は「政党への寄付への自由」は「思想・良心の自由」の一側面であって、憲法19条の保障を受けることは認めました。けれども、政党助成法は原告に対して特定の思想を強制したり、不利益を強制したりするものではない。税金の徴収と政党交付金の交付とは、その法的根拠や手続きが異なり、原告らの支払った税金が直ちに政党交付金としてそのまま政党に交付されているわけではないなどとして、請求を棄却したのです。
税金の徴収と助成金の交付は別の法律によるものだから、「政党への寄付の自由」とは関係ないという理屈です。税金の徴収も政党への交付も、国家の行為によって行われていることを無視した形式論なのです。
とうてい納得できない「肩透かし判決」と言えるでしょう。
もちろん上告し、最高裁への要請行動も数次にわたって行われました。
上告の理由は、政党助成法は、個人の直接的かつ自主的判断で決定されるべき「政党への寄付の自由」を侵害する法律であり、その制定と執行は憲法19条に違反する、というものでした。憲法判断を求めたのです。
飯能市の杉田實さんは、六年生は社会科教科書で、税金は本来、国民生活を豊かにするものと学習していることを紹介し、「政党が税金から自分たちの活動費を分けてもらうことは、小学生が学ぶ、税金の正しい使い方に照らして本来の姿ではないでしょう。純真な小学生にも理解できるような正しい判断を切望します」との陳述書を提出しました。
残念ながら、上告は棄却されました。憲法問題ではないという理由です。政党助成金は国民個人の「政党支持の自由」という基本的人権にかかわる事柄であるし、政党という私的団体に公費を投入することは民主主義の在り方にかかわる事柄であるにもかかわらず、最高裁は憲法問題ではないとしたのです。
これが、最高裁の人権観であり民主主義観なのです。
1994年当時の政権は日本新党の細川護熙氏を首班とする連立政権でした。政治改革関連法案は否決されたのですが、衆議院議長だった土井たか子氏は、細川総理と自民党の河野洋平総裁との「総総協定」を斡旋し、法案を成立させました。
国民の政治的意思と国会の議席との間に乖離が生ずる小選挙区比例並立制と憲法違反の政党助成金が日本の政治に導入されたのです。私は、この時に、現在の日本の政治の歪みが始まったと考えています。
「政党支持の自由」という基本的人権を侵害し、少数派の意思を切り捨てることにより国民の政治的意思を国会に反映しない選挙制度が、国会の多数派によって制定されたのです。しかも、最高裁は「問題なし」としたのです。立法も司法も基本的人権と民主主義の原理を軽視してしまったのです。
これでは、日本の政治状況や人権状況が悪化することは避けられないでしょう。それにしても、「総総協定」を仲立ちした土井たか子氏はとんでもないことをしたものです。
私は、その「政治改革」の歪みが、今、自民党の腐敗と堕落という形で噴出していると考えています。自民党の支持率と議席の占有率には大きな乖離が生まれています。2021年の衆議院選挙の自民党の小選挙区の得票率は48.4%だったけれど、65.4%の議席を確保しています。半分以下の得票率で3分の2近い議席を確保しているのです。小選挙区制は一人しか当選しないので、相対的多数派は議席においては絶対的多数を得ることが可能なのです。
また、政党助成金の導入と企業・団体献金の禁止は一体となるはずでした。それが、政治家個人への寄付は禁止されるけれど、政党や政治団体への寄付は許容されたのです。政党助成金と企業・団体献金の二重取りが始まったのです。
「政治改革」によって、自民党にとっては、議席も金も自分に都合よくなったのです。それが腐敗と堕落の温床となっているのです。
企業・団体からの政治家個人への寄付は禁止されています。政党や政治団体への寄付は、制限がありますが、禁止はされていません。対価を求めないで寄付をすることは背任となりうるし、対価を求めれば贈賄ということになります。税理士団体が自民党に献金することは、税理士個人の「政党支持の自由」を侵害することになるというのは最高裁の判断です。企業・団体献金は、そもそもそのような問題を抱えているのですから、禁止されなければならないのですが、そうはなっていないのです。
ところで、本来、パーティ券販売は寄付ではありません。会費をパーティで使えば余りはないからです。けれども、実際に販売されるパーティ券は対価性がありませんから寄付になります。政党や政治団体に対する寄付の制限の脱法行為ということになります。
更に問題は、ノルマを超えて販売されたパーティ券の代金は、政治家個人にキックバックされていたことです。政治家個人にかかわる政治団体がそのキックバック分を帳簿に記載しなければ「裏金」となるのです。これでは、政治家個人に対する献金が禁止されている意味がありません。その仕組みを誰が創ったのかは明らかにされていませんが、自民党が創ったことは間違いありません。
政治資金規正法は「議会制民主政治における政党や政治団体の重要性にかんがみ、政治資金の収支の公開などの措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、民主政治の健全な発達に寄与する」ために制定されています。
キックバック議員は、正確な「政治資金の収支」が大前提なのに、それを意図的にごまかしたのです。今回の事態は、政治の「公明と公正」を害し「民主政治」の根幹を揺るがす大問題なのです。彼らは「民主政治」を理解しない「犯罪者」であることを確認しておくことにしましょう。そもそも、彼らに国政を担う資格がないのです。
これは、政治資金規正法に問題があるのではなく、自民党や自民党議員に問題があるのです。規正法改正などと大騒ぎしていますが、どんな規制をしても、自民党の金権体質は変わらないでしょう。企業や保守系団体から献金を受け、その献金をした勢力のための政治を行うために、その勢力とは違う勢力の票も集めなければならないからです。要するに買収や供応による票集めです。河井夫妻の買収や「桜を見る会」の経緯を観れば、容易に理解できるのではないでしょうか。
領収書のいらない金を欲しがる人やタダの飲み食いが好きな人はいるのでしょう。だから、政治活動費の「透明化」など出来ないのです。河井夫婦の買収事件など、氷山の一角だと私は思っています。大企業や米国の利益とは縁のない人たちの票を集めるには「現ナマ」が有効なのでしょう。「後援会」の維持のためにもお金が必要なのでしょう。
そういう政治家に群がる人にも問題があるとしても、そういう政治家こそが問題であることは言うまでもありません。それがこの国の「民度」であるとすれば、私たちはその改善に取り組まなくてはなりません。
また、世論誘導をするためにも金は必要です。2013年、麻生太郎氏は「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と言っていました。
そのナチスの宣伝大臣などを務めたゲッペルスは、ナチスが初めて第一党として選挙に臨んだとき、「われわれは国家組織を動員できるようになったので運動は容易である。新聞とラジオは意のままである。われわれは政治宣伝の傑作を作るつもりだ。金は有り余っている」としていました。麻生太郎氏は、きっと、そのゲッペルスの手口を念頭に置いているのでしょう。自民党の諸君は「支持上げるちょろいもんだぜ民なんて」と思っているのかもしれません。
改憲のための国民投票に際して、金にものを言わせた、フェイクがあふれかえるような気がしてなりません。今、日本では、自民党流改憲に正面から反対するマスコミはほとんどありませんから、その危険性は一層高くなるでしょう。
各党に2024年に交付される政党助成金(もちろん国庫金です)総額は315億3652万円で、その内、自民党は160億5328万円です。
このようなことが、この30年間行われてきたのです。
2021年9月24日のNHKによれば、政党交付金を使い切らず積立てられた金額は、総額323億円で、その内、自民党は252億7200万円とされています。「金は有り余っている」のではないかと思うのですが、まだまだ足りないようです。腐敗と堕落に貪欲も加わっているようです。
ただし、彼らの腐敗と堕落を政治不信一般にしてはなりません。この事態は「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」という箴言のとおりの自民党の腐敗だということを見抜かなければなりません。マスコミは「政治不信」という言葉を使用し、自民党の問題だということを隠ぺいしようとしているので注意が必要です。
この「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」という言葉は、イギリスの思想家であるアクトン卿が1887年に使用したそうです。何とも鋭い指摘だと思います。
「権力を担当する者がすべての権力を濫用しがちであることは永遠の経験が示すところである。権力が濫用されないようにするためには、権力が権力を抑制するようにしておかなければならない。」(モンテスキュー『法の精神』・1748年)という言葉と合わせて記憶しておきたいと思います。これは、三権分立の考え方であり、権力を憲法という鎖で縛るという「立憲主義」の源流となる思想だからです。
自民党も永年権力を握ってきたので腐敗することは「永遠の経験」なので避けられないのでしょう。けれども、私たちはそれを許してはなりません。腐ったリンゴを排除しないと他のリンゴもダメになるからです。市民社会から腐ったリンゴを排除することは、市民社会の健全さを維持するために必要なことですが、腐ったリンゴではなく、リンゴ全体の問題とすることは、問題のすり替えです。
自民党が腐っているのに、政治一般に問題があるような言説は事態の把握としては不正確です。「政治不信」などと言う言葉は、リンゴ全体に問題があるかのように取り扱っているのです。これでは、「無関心層」を増やし、結果として、自民党の延命に手を貸すことにしかなりません。
私たちは、そのことをしっかり見抜き、自民党政治を終わりにしなければならないのです。そのための工夫が求められています。立憲野党の共同はその最も大きな課題です。
また、中長期的には、小選挙区制を基本とする選挙制度を改め、政党助成金を廃止することが求められています。これは、日本社会に民主主義と基本的人権を根付かせるために必要な作業だからです。
引き続き、自民党政治の特徴についての話をします。
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