2024.7.11
引き続き、自民党政治の特徴についての話をします。
岸田文雄首相は、吉田茂元首相を「傑出した政治指導者の一人」と評価しています。その理由は、吉田氏が日本防衛を米国に任せ、米国資本を導入して、日本に奇跡的な高度成長をもたらしたからだということです。「日本は核とドルの下で生きていく」という「吉田ドクトリン」を最大限の評価しているのです。この「日本国の命運を米国の核とドルに委ねる」という基本姿勢は、現在も、何も変わっていません。岸田首相はそのことを私たちに判りやすく教えてくれているのです。
このことを違う言葉でいえば、米国に「自発的に従属する」ということです。この思考パターンによれば、米国に逆らったり、独自の政策をとることなど出来ないことになります。米国の「核の傘」という究極の暴力に依拠し、経済関係での利害を同一にしている立場からすれば、自主・自立など想定できないからです。「昔天皇、今アメリカ」という現象が起きているのです。日米安保条約の解消などは「国体の変革」を求めることと同様に「危険思想」扱いされるのです。
米国では、戦争を商売とする軍人と金儲けの機会とする軍事産業とその使い走りをする議員とそれを支持する愚かで野蛮な選挙民がいまだ力を持っています。「軍産複合体」の支配です。日本の支配層はその勢力に抵抗せずむしろ迎合しようというのです。それが「核とドルに依存する」という意味です。
私たちは、日米関係の基礎には、このような発想が根強くはびこっていることを視野に入れておかなければならないのです。その端的な表れが核兵器禁止条約についての日本政府の姿勢です。
核兵器のいかなる使用も「壊滅的人道上の結末」をもたらすので、それを避けるための唯一の方法は、核兵器を廃絶することであるとして「核兵器禁止条約」が発効しています。ところが、日本政府は「禁止条約は国民の命と財産を危うくする」として、禁止条約への署名・批准は拒否しているし、締約国会議へのオブザーバ参加にも消極的です。
ところが、岸田首相は核兵器廃絶を言っているのです。それは、核兵器がもたらす「容認できない苦痛と被害」や「壊滅的人道上の結末」、そして国民の反核感情を無視できないからでしょう。核兵器廃絶をいうことは大事なことです。けれども、氏は「核とドルの支配」を全面的に受け入れているので、米国の核兵器を否定する禁止条約を容認することはできないのです。だから、岸田さんは「今すぐなくす」とは言わないのです。それが日本の首相の正体です。
私たちは、核兵器廃絶を未来永劫の理想ではなく、喫緊の現実的課題とするリアリストでなければなりません。核戦争の危機が迫っているからです。被爆者の願いに応えるためにも、また、私たちと次世代の未来のためにも、核廃絶の掛け声だけでない行動が求められているのです。そして、そのたたかいは「核とドルの支配」を全面的に受け入れている政治勢力との戦いでもあることを忘れてはならないのです。
ここで、核兵器廃絶と憲法9条擁護の関係について考えておきましょう。
ここで、政府が1946年11月に発行した『新憲法の解説』を紹介しておきます。
一度び戦争が起これば人道は無視され、個人の尊厳と基本的人権は蹂躙され、文明は抹殺されてしまう。原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、または逆に戦争の原因を終息せしめるかの重大な段階に達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺するであろうと真剣に憂えているのである。ここに、本章(2章・9条)の有する重大な積極的意義を知るのである。
ここで識者とは幣原喜重郎氏のことです。幣原氏は、憲法改正が議論されていた帝国議会で政府を代表して次のような答弁をしています。
我々は今日、広い国際関係の原野に於きまして、単独にこの戦争放棄の旗を掲げて行くのでありますけれども、他日必ず我々の後についてくるものがあると私は確信しているものである。…原子爆弾というものが発見されただけでも、或戦争論者に対して、余程再考を促すことになっている、…日本は今や、徹底的な平和運動の先頭に立って、此の一つの大きな旗を担いで進んで行くものである。即ち戦争を放棄するということになると、一切の軍備は不要になります。軍備が不要になれば、我々が従来軍備のために費やしていた費用はこれもまた当然に不要になるのであります。
当時の政府は、次の世界戦争では核兵器が使用され、人類社会は滅びることになると予測して、核兵器のみならず、全ての戦力の放棄を提案していたのです。
日本国憲法9条は、「核の時代」を自覚し、核兵器だけではなく「一切の戦力」を放棄する徹底した非軍事平和思想に基づく最高規範として誕生したのです。憲法9条は「核のホロコースト」を経て創られた「核の時代の申し子」なのです。
現在の政府はそのことを忘れたかのようです。政府が忘れても、私たちは忘れてはならない「平和思想の到達点」なのです。9条の改悪は許さず、これを世界の規範としなければならないのです。
人類社会が水爆時代に入った1955年(ビキニ水爆実験は1954年)。ラッセルやアインシュタインたちは「もし多数の水爆が使用されれば、全世界的な死が訪れるでしょう。瞬間的に死を迎えるのは少数に過ぎず、大多数の人々は、病いと肉体の崩壊という緩慢な拷問を経て、苦しみながら死んでいくことになります」としていました。そして「私たちが人類を滅亡させますか、それとも人類が戦争を放棄しますか」と問いかけていました。
この「ラッセル・アインシュタイン宣言」の問いかけに私たちはどのように答えたらいいのでしょうか。
Copyright © KENICHI OKUBO LAW OFFICE