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「核兵器廃絶」と憲法9条



2024.12.11

原爆裁判と「虎に翼」

 11月26日、新婦人(新日本婦人の会)光が丘21班主催の「オータムフェスタ」で「原爆裁判と『虎に翼』」というテーマで特別講演をした。東北大学法学部の後輩の斎藤文子さんによると、そのフェスタで落語をやるか私を呼ぶかで迷ったけれど、私が「虎に翼」に関わっているので、呼んでみようということになったのだという。「お金は少ししか出せないし、難しい話は駄目だけれど来てくれるか」というから、可愛い後輩の頼みだし、所沢と練馬の光が丘は近いし、核廃絶と憲法の話をするいい機会だからと二つ返事でオーケーしたのだ。

 主催者は感じのいいチラシを作っていた。そこにはこんなリード文が書かれていた。


 私の講演だけではなく、サークルの展示も行われていた。

 会場は光が丘区民センターの会議室で40人が定員のマイクが使えない部屋だった。そこに50名の人が来てしまったので立ち見が出る盛況だった。パワポは使えないというので、6ページのレジメを40部持参したけれど足りなくなってしまったし、マイクがないので立ったまま声を張り上げなければならなかった。声帯にコラーゲンを注入しておいてよかった(片方の声帯にマヒがあるのだ)。それでも後ろの方は聞きにくかったらしい。せっかくのいい話なのに申し訳ないことをした。

 斎藤さんの注文は「あなたの話はむずかしいから、普通のおばさんでもわかるように話して」というものだったので、それなりに工夫をした。「虎に翼」を最大限活用したし、「裏話」もそれなりに混入した。けれども、そもそも「原爆裁判」というのは核兵器という究極の暴力を法で裁くということなのだから、どこかでむずかしくなることは避けられない。おまけに、憲法9条の背景には原爆投下があっという話もするのだから、わかり易くと言われても限度がある。そこで、資料に語ってもらうことにした。「原爆裁判」の判決の抜粋や当時の政府の見解や幣原喜重郎の国会答弁などをレジメに含めたのだ。これは大いに役に立った。参加者は「虎に翼」で判決のさわりを知っているけれど、詳しくは知らないので、うけるのだ。加えて、当時の政府が「一度び戦争が起これば人道は無視され、個人の尊厳と基本的人権は蹂躙され、文明は抹殺されてしまう。原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、または逆に戦争の原因を収束せしめるかの重大な段階に達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を滅ぼしてしまうことを真剣に憂へているのである。ここに、本章(2章・9条)の有する重大な積極的意義を知るのである。」などとしていたことや幣原喜重郎が語ったことなど「初耳」だろうから、真剣に聞いてくれたのだ。やはり、事実と道理が持っている説得力は違う。

 ところで、このフェスタには何人かのおじさんも参加していた。何ともほほえましい光景だった。その中に東北大学法学部の先輩で自由法曹団の元団長の菊池紘弁護士がいた。光ヶ丘団地に住んでいて、斎藤さんの知り合いということで参加していたのだ。何ともうれしかった。その菊池さんが、斎藤宅での「打ち上げ」の場で、私の話を「メモを取りながら聞いていた」と言っていた。私も斎藤さんも、授業にはあまり出ていなかったことを反省する立場にあるけれど、菊池さんは活動もしていたけれど、さっさと司法試験に受かった人だ。その人がメモを取ったというのだから私の話もそれなりのものだったのだろう。

 この団地には私の連れ合いの後輩も住んでいる。半世紀以上前の話に花が咲いた。共通の友人や知人がいるからだ。悲しいことに既に鬼籍に入った人もいる。自分たちも後期高齢者になっているのだから無理もない。
 それでも、まだ、みんな、核兵器廃絶や憲法9条にこだわって、何かをしているのだ。「90の凄さが分かる80歳」という川柳があるけれど、80歳にはもう少しだけ時間がある。「百歳は通過点」という故肥田舜太郎医師の言葉を思い出しながら帰路に着いたものだった。(2024年12月3日記)




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