2025.8.11
日本テレビの取材
先日、日本テレビから取材を受けた。日本テレビからの取材は初めてだった。「原爆裁判」のことで話を聞きたいという。「どういう経緯ですか」と聞いたら、高桑昭さんの話と私の話を聞いてみたいと昨年から考えていたということだった。それならもっと早く来ればいいのにと思ったけれど、取材を断る理由はない。ディレクターやカメラマンたち4名に、3時間ほどあれこれ話をさせてもらった。
若い担当者は事前に質問を用意していたけれど、まだまだ不慣れだった。少し年上の人は、部屋にある12時前で止まっている時計を見て「あれは終末時計に合わせてあるのですか。」と訊いてきた。その時計は、単に電池切れで止まっていただけなのだけれど、89秒前と言われれば、そう見えるのだ。私は「そういうことではない」と否定しながらも、彼の感性に共感していた。彼は、取材の翌日、「私たち報道に携わる者も、もっと『原爆裁判』のことを知らなければと思いました。」とメールをくれた。そんな気持ちで番組を作ってくれたのだ。
日本テレビの番組
日本テレビは、高桑さんと私を取材して、『【戦後80年】“核兵器は国際法違反”…核廃絶や被爆者救済に光明をもたらした「原爆裁判」判決に、いま再び光』と『“核は国際法違反”指摘の裁判官・高桑昭さん死去 核保有論もくすぶる戦後80年 最後の取材に寄せた言葉』という二つの番組を制作した。前者は8月1日に放送され、YouTubeに残っている。後者は8月8日にヤフーニュースで配信されている。両方とも、今も、視聴することはできる。両方とも、核兵器使用の危険性が高まっていることを指摘しながら、「原爆裁判」の内容と現代的意義を伝えている。例えば、こんな調子だ。
ウクライナを侵攻したロシアは、核の脅しを繰り返す。トランプ大統領は今年6月、イランの核施設を攻撃した際、「(イラン核施設への)あの攻撃が戦争を終わらせた。広島や長崎の例を使いたくないが、戦争を終わらせたということでは本質的に同じだ」と、広島や長崎への原爆投下を引き合いに出して、攻撃を正当化した。
国内でも、初当選を果たした参政党の塩入清香参院議員が、選挙期間中に核保有を容認するかのような発言をして、物議を醸している。
東京地裁は1963年の判決で、「個人に国際法上損害賠償請求権が認められた例はない」などとして、原告の賠償請求そのものについては棄却した。だが同時に、原爆投下について「放射線の影響により18年後の現在においてすら、生命をおびやかされている者のあることは、まことに悲しむべき現実」と指摘し、「不必要な苦痛を与えてはならないという戦争法の基本原則に違反している」とした。
そして、私の次のようなコメントも紹介している。
裁判の資料を継承し、その意義を伝える日本反核法律家協会会長の大久保賢一弁護士は「核兵器が国際法に違反すると断言した、世界初の判決」と評価する。判決のなかには、核兵器という究極的な暴力に理性で立ち向かう方法はないのか、法は無力で良いのかという問いかけが含まれていると、大久保さんは考えている。
正確には「核兵器が国際法に違反する」ではなく、「原爆投下が国際法に違反する」という判決なのだけれど、その判決の価値と論理を継承する核兵器禁止条約は「核兵器を違法」として、その廃絶を展望しているのだから、訂正しなければならないような間違いではないであろう。このような間違いは「大久保さんによると、判決は、国際法による兵器の禁止や、被爆者救済運動の広がりなどの足がかりになったという。」として、「核兵器の禁止」を「兵器の禁止」としていることにもある。この間違いも、判決は「戦争をなくすことは人類共通の希望」としているのだから、許容しておきたいと思う。
高桑昭さんのこと
ところで、もっとも強調されているのは「原爆裁判」判決に直接かかわった高桑昭さんの当時の心構えと現在の心境についてだ。高桑さんは、番組の取材時、家族を通じて対応することはできたようで、8月1日の放送時にはそのことが紹介されている。けれども、高桑さんは8月3日に永眠されたのだ。88歳だった。私は、生前にお会いしておきたかったと悔やんでいる。日本テレビは高桑さんについてこんな紹介をしている。
今の社会の現状をどう見ているのか。7月末、亡くなる直前の高桑さんに取材すると、「時が経ち、人々の感覚が狂ってきたのであろう。時勢の変化で致し方ないのだろう」というコメントが返ってきた。核兵器が国際法違反だと断じた原爆裁判。その裁判官が核保有論もくすぶる今の日本を、なぜ「致し方ない」とするのか。家族が真意を尋ねると、高桑さんは「情けないと思っている」と悔しさをにじませた。生前、高桑さんは「8月6日は嫌だ」とよく漏らしていたという。終戦の日の15日までは、テレビや新聞などとも距離をおいた。自身が関わった裁判で原爆の悲惨さを思ったのかもしれない。だが、それと同時に、自分自身の戦争体験と結びつき、何かしらの忌まわしさの感覚があったのだろうと、家族は考えている。
私は、高桑さんの「時が経ち、人々の感覚が狂ってきたのであろう。時勢の変化で致し方ないのだろう」というコメントについて、8月1日の放送の中で「核兵器禁止条約はできている。高桑さんのまいた種は大きくなっていますよ」とコメントしておいた。核兵器禁止条約は核兵器を違法とする「法的枠組み」だからだ。高桑さんが起案した「原爆裁判」は、間違いなく現代に生きているのである。私のこのコメントについて吉村清人弁護士はFaceBookで次のように書いている。
この大久保先生の言葉は、逝去される直前に、時世の変化を嘆いていた高桑さんにとって、原爆裁判の判決裁判官としての高桑さんの業績に対する、永訣の最高の讃辞になったのではないだろうか。この讃辞が、8月1日の放送により、生前の高桑さんに届いたことを、私は信じる。
私は吉村さんの情報収集力とその感性に敬服する。
記事への反応
YouTubeやYahooニュースで人の目に触れると、いろいろなコメントが寄せられることになる。少し紹介しておく。
核を持たないことが本当に弱いことか。戦争を放棄することが本当に弱いことか。人を殺すことに正義はあるのか。攻撃だけが強さなのか。この判決は世界中を揺るがせた大きな判決だ。今年の広島県知事のスピーチを聞いてみて欲しい。強さとは何か考えて欲しい。
核をもつことで抑止力になると思っている人、安上がりだと思っている人こそ完全な平和ボケ。日本を守るどころか、経済的にも武力的にも日本を破滅させる超愚策。
まずこのタイトルが誤解を招きます。違法とされたのは「原爆の使用」であって核兵器自体は国際法違反ではありません。違反だったら核保有国が国連で違法性を問われているでしょ?また感情的に核はダメ。と核を絶対悪として議論してこなかった結果、安易な核武装論が出てしまったと思いますよ?核兵器を『兵器』として認識するためにも、絶対悪とはせずに議論はするべきだと思いますよ?兵器として知りもしないで廃絶なんて出来るわけがない。
今や国際法なんて空手形ですからね。今は宣戦布告などしないし、空爆によって一般人を攻撃しているし、ハマスなどは軍服を着ないで軍事活動を行なっている。全部国際法違反。国際法は紳士協定みたいなものなので、力のある国が国際法を破っても、それを裁くことが出来ない。せいぜい、公式に批判糾弾するくらい。
核は国際法違反…だからどうしたの?
強制力を持たない法律なんて机上の空論…国際法でプーチンでもネタニヤフでも逮捕できてから言って欲しいんだけど。
戦勝国が正義という理屈で成り立っている世界で、敗戦国の裁判所が下した判決が何らかの影響を与えることができるのだろうか…「核兵器廃絶」という夢想の中で。
それぞれに「共感した」とか「なるほど」とか「うーん」とかの反応も示されている。
何とも活発に意見が出されているのだ。共感できる意見もあるし、批判したい意見もある。日本テレビが作成したニュースは、このように波紋を起こしているのだ。
とてもいいことだと思う。核兵器問題は、すべての人にかかわりがあるのだから、大いに議論しなければならないのだ。このような反響を引き起こしている日本テレビに感謝したい。(2025年8月10日記)
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