2026.2.25
はじめに
2月21日、「非核の政府を求める大阪の会」で講演をした。テーマは「激動する国際情勢と法の支配」だ。憲法公布80年、被団協発足70年、核兵器禁止条約発効5年ということで「原爆裁判」を題材に話をした。「原爆裁判」は核兵器という究極の暴力に法という理性を対置した裁判だ。「終末」まで85秒とされているのに「私に国際法はいらない」と高言するトランプ米国大統領のような人がのさばっている今、「法の支配」を考える絶好の題材なのだ。
その講演で、総選挙での自民党の「躍進」と革新の「退潮」の原因をどう考えるか、この状況をどう変えればいいのかという質問があった。私は「正解」を持っているわけではないとしたうえで、選挙制度のトリックがあるけれど、それだけではなく、人々は自分が欲しいものをどうすれば実現できるのか、それを考える力を身につけていないのではないかと答えた。
元教師の指摘
そうしたら、元教師だった方が、子どもたちは憲法について学ぶ機会がない、教職免許で憲法が必須科目でなくなってからもう永い。その影響ではないかと発言した。
「我が意を得たり」である。学校教育の中で憲法の諸価値を学ぶ機会は少ないそうだ。そもそも、それを教える先生が養成されていないのだ。これでは、憲法が生活の中で生かされるはずがない。私は「くらしに憲法を生かそう」のスローガンのもとに、この半世紀近く、仕事と活動をしてきた。1988年には『憲法ルネサンス-パンと自由と平和を求めて―』を出版している。そんな個人的努力など何の役にも立っていないのだ。
憲法は、国民を主権者として、絶対平和主義の下で、一人ひとりの生命と自由と幸福追求権が尊重される社会を創ろうとしている。けれども、この国はこの憲法的価値とかけ離れようとしている。「先軍思想」に基づく「国家総動員体制」が築かれつつあり「新たな戦前」になっている。憲法は忘れ去られているかのようである。
私は憲法がくらしの中に生かされていないことが問題だと思っている。その正体は、憲法がもつ合理的思考と行動を学ぶ機会がないことによる未熟さである。それは高市首相だけではなく「サナエ推し」をしている選挙民も同様である。
高市首相の憲法観のお粗末さ
2月20日に行われた施政方針演説で、高市首相は次のように言っている。
どのような国を創り上げたいのか、その理想の姿を物語るものが憲法です。憲法改正に関し、衆議院及び参議院に設置された憲法審査会において、党派を超えた建設的な議論が加速するとともに、最終的に判断を行う国民の皆様の間でもこれまで以上に積極的な議論が深まり、国会における発議が早期に実現されることを期待します。
彼女は、憲法を「国の理想を物語るもの」としている。けれども、この憲法理解は誤解というよりも無知に等しいのである。
そもそも、憲法は「理想物語」などではない。権力者を暴走させないための「最高規範」である。例えば、米国の「建国の父」の一人であるトーマス・ジェファーソン第3代大統領は「権力の問題においては、人間への信頼を語るな。悪さなどしないよう、憲法の鎖で縛りつけよ。」と言っている。「憲法は権力の乱用を防ぐ鉄鎖」だという意味だ。
日弁連は「憲法は、国民の権利・自由を守るために、国がやってはいけないこと(またはやるべきこと)について国民が定めた決まり(最高法規)です。このように、国民が制定した憲法によって国家権力を制限し、人権保障をはかることを『立憲主義』といい、憲法について最も基本的で大切な考え方です。」としている(絵本『憲法って何だろう』)。
彼女は憲法が何たるかを知らないのだ。彼女に権力を与えているのは憲法である。だから、彼女は憲法に従わなければならない立場にある。憲法も「国務大臣の憲法擁護義務」を定めている(99条)。彼女の憲法理解は政治家として「ありえないレベル」なのである。にもかかわらず、彼女は改憲までいうのである。「何様のつもり」なのだろうか。
「サナエ推し」の恐ろしさ
高市首相の憲法観のお粗末さは以上のとおりである。けれども、彼女の人気は極めて高いのだ。例えば、2月23日付『毎日新聞』によれば、高市内閣の支持率は前回1月の57%から61%に上昇している。そして、その支持する理由として、59%の人が「首相の指導力に期待するから」としている。この国には憲法を理解していない首相の「指導力」に期待している人が多数のようである。おそろしいことだ。
けれども、この国でサナエを批判することにはリスクが伴うのだ。なぜなら、彼女がNHKの党首討論に欠席したことを批判したら「サナエをいじめるな」と批判した方が悪者にされ、それが自民党大勝へと潮目が変わったという先例があるからだ。
それはそれとして、高市首相がどのような憲法観を持っているかは重要である。自分に権限を付与している憲法を「理想を語るもの」としてその規範性を無視することは、憲法の「最高規範」としての役割を無視することを意味しているからである。
これは、トランプ大統領が「私に国際法はいらない」としていることと同質の無知と傲慢である。この無知と傲慢は「自分は戦後生まれだから戦争責任など関係ない」という歴史観と相まって「自覚なき暴走」の原因となるであろう。「自覚なき暴走」とは偏狭な正義感と安直な高揚感に基づく強権政治を意味している。その暴走は、理性や道理を黙らせ、むき出しの欲望と力の猛威をもたらすことになる。そして、人々の生命や自由や幸福追求権などは、完全に無視されるディストピアが出現する。国民は重税にあえぎながら、スパイ容疑で情報機関の監視下に置かれ、自衛隊員は米軍の先兵として死地に送り込まれ、国土のあちこちに核ミサイルが飛来するかもしれないことになる。「サナエ推し」は「貧乏神」や「死神」の呪いのようなものなのだ。
施政方針演説を乗り越えるために
施政方針演説次のように結ばれている。
若者たちが、日本に生まれたことに誇りを感じ、「未来は明るい」と自信を持って言える。そうした国を創り上げていく。今の時代を生きる私達には、その大きな責任があります。皆様、未来への挑戦を共に進めてまいりましょう。「希望」を生み出す政治を、共に進めていこうではありませんか。
彼女は「明るい未来」と「希望」を語っている。憲法も歴史も無視し「自覚なき暴走」をすでに始めている人がそれを語っているのである。そして、熱狂的な「サナエ推し」が喝采を送っている。それがこの国の現状なのだ。
かつて、幣原喜重郎は「軍拡競争は際限のない悪循環を繰り返す。常に相手より少しでも優越した状態に己れを位置しない限り安心できない。この心理は果てしなく拡がって行き何時かは破綻が起る」、「集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景 ― それが軍拡競争の果ての姿である。」と予言していた(『平野文書』)。その予言を知っている私は今の状況に危機感を抱くのである。
だとすれば、私たちは何をすればいいのだろうか。私は、日本国憲法が指し示す、国民主権、基本的人権の擁護、絶対平和主義といった諸価値と権力制約という憲法の役割の再確認から始めたいと思っている。「急がば回れ」と昔からいわれているからだ。改憲阻止や悪法阻止のたたかいはもとよりとして「憲法のルネサンス」が求められている。
(2026年2月24日記)
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