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「核兵器廃絶」と憲法9条



2026.3.3

原爆投下と9条の誕生

はじめに
 志位和夫共産党議長が、2月21日に仙台で行われた革新懇のシンポで、憲法9条がどうして生まれ、戦後どういう役割を果たしてきたか丁寧に明らかにすることが大切だという話をしている。その中で、原爆投下と9条の関係を深く解明した文書として当時の政府が作成した『新憲法の解説』を紹介している。そして、そこに書かれている「文明が戦争を抹殺しなければやがて戦争が文明を抹殺するであろう。ここに、憲法9条の持つ『重大な積極的意義』がある。」という記述を引用している。
 
『新憲法の解説』と「制憲議会」での議論
 『新憲法の解説』のこの一節は、私もよく引用している(拙著「『原爆裁判』を現代に活かす」など)。該当部分は次のとおりである
 一度び戦争が起れば人道は無視され、個人の尊厳と基本的人権は蹂躙され、文明は抹殺されてしまう。原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、又は逆に戦争の原因を終息せしめるかの重大な段階に到達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を滅ぼしてしまうことを真剣に憂えているのである。ここ於いて本章(2章・九条)の有する重大な積極的意義を知るのである。

 この中で識者とされているのは幣原喜重郎である。彼は、「制憲議会」において、吉田茂首相(当時)や金森徳次郎憲法担当大臣(当時)と政府答弁に立っている。その中で、彼は次のような答弁をしている。

 我々は今日、広い国際関係の原野に於きまして、単独にこの戦争放棄の旗を掲げて行くのでありますけれども、他日必ず我々の後についてくるものがあると私は確信しているのであります。原子爆弾というものが発見されただけでも、戦争論者に対して、再考を促すことになっています。日本は今や、徹底的な平和運動の先頭に立って、この一つの大きな旗を担いで進んで行くのであります。即ち戦争を放棄するということになると、一切の軍備は不要になります。軍備が不要になれば、我々が従来軍備のために費やしていた費用はこれもまた当然に不要になるのであります(1946年8月30日貴族院本会議)。 

 「新憲法」は、衆議院では賛成421票、反対8。貴族院では賛298、反対2で採択されている。
 当時の国会や政府は、「新憲法」についてこのように理解して制定していたのである。
『新憲法の解説』には、吉田茂の「新憲法は、国民の真摯なる熱意と自由なる意思により、第九十議会を通じて成立した。」との序と金森徳次郎の「…国民諸君が速やかにこの憲法の本体に親しみ、これと融合し、いわばこれと一体となり、歴史の導く新たな段階に、全身を歓喜に奮わせて、突入せられんことを希望してやまない。」との序が掲載されている。私は、これらの序に感動を覚えている。

『綱領教室』での記述
 ところで、志位さんは『綱領教室』(新日本出版社・2013年)で次のように書いている。

 原子爆弾の出現によってもはや文明と戦争は両立できなくなった。文明が戦争を抹殺しなければ、やがては戦争が文明を抹殺してしまう。それならば文明の力で戦争を抹殺しよう。戦争を放棄し、陸海空一切の戦力を放棄しよう。それを世界に先駆けて実行しよう。ここから私たちが誇る、世界に誇る日本国憲法9条が生まれたのです。

 志位さんには原爆と9条との関係についてのこだわりがあるのだ。私は志位さんのそのこだわりに共感している。なぜかというと、志位さんがいうように、原爆投下と9条誕生とは、深いかかわりがあるからである。
 先にみたように、当時の政府や議会は、人類は核兵器を手に入れてしまった、このまま戦争をするようであれば、人類は滅びてしまう。だから、戦争をなくさなければいけない。そのためには戦力を持たないことだ。そうすれば、戦力にかけていたお金も不要になる、という価値観と論理に基づいて9条を制定したのである。 
 私は、当時の政府や議会の判断は正しいと思っている。核兵器に依存すれば人類が滅びる。そうならないためには、戦争も戦力もなくし、生存と安全を「平和を愛する諸国民の公正と信義」に委ねようとしたのである。それは「核の時代」における人類の最良の知恵なのだ。

まとめ
 そして、この知恵は、核兵器禁止条約が「核兵器のいかなる使用も『壊滅的人道上の結末』をもたらすので、それを避けるための唯一の方法は核兵器をなくすことだ」としていることよりも、「一切の戦力をなくす」としていることからして、一歩先を進んでいるのである。
 現在の政府や与党とそれに迎合する勢力は、巨額の軍事予算を計上し、自衛隊という戦力と米国の「核の傘」に依存している。核兵器に依拠して自国と自国民の命と財産を確保しようというのである。そのことを疑いもせずに「サナエ推し」に狂奔する人々もいる。
 今、私たちは「死神であり破壊者である核兵器に依存するのか」、「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼するのか」の選択を迫られているのである。「核持って絶滅危惧種仲間入り」といわれる時代であるからこそ迫られている「究極の選択」である。
 私は、80年前の議会と政府の結論を共有し、その再生(ルネサンス)を提起したい。
 それこそが「核兵器も戦争もない世界」を実現する道だからである。
(2026年2月27日記)




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