▲TOP



BLOG

「核兵器廃絶」と憲法9条



2026.3.17

原爆投下と日本国憲法9条の関係

はじめに
 私は、2年前、「核兵器廃絶と9条擁護・世界化を!!―被爆80年・敗戦80年に向けての提案―」と題する公開書簡を発出した(拙著『「原爆裁判」を現代に活かす』(日本評論社、2024年所収)。埼玉弁護士会などいくつかの組織からは好意的返信はあったけれど、多くは「梨の礫」状態になっている。「核兵器も戦争もない世界」を一刻も早く実現したいと思っている私からすれば、凄く残念だし悲しいことなのだ。そこで、ここでは、その公開書簡の趣旨を再確認した上で、先人たちの「原爆投下と憲法9条」の関係についての見識を紹介しておく。「核兵器廃絶と9条擁護・世界化」には密接な関係があることを共有することは、反核運動と憲法擁護運動の連携強化に役立つと思うからだ。

呼びかけの趣旨と動機(以下「公開書簡」の要約)
 呼びかけの趣旨は、核兵器廃絶運動と9条の擁護・世界化の運動の連帯と共同で、非核・非軍事平和の日本と世界を実現しようというものです。
 核廃絶運動と9条運動とには共通性もありますが、別の課題です。核兵器抜きでも戦争はできるからです。けれども、現実に行われている武力の行使において、核兵器使用の威嚇が行われている状況からして、核兵器廃絶と戦争を関連付けて考える必要性が高まっているように思われてなりません。
 そこで、被爆80年・敗戦80年という節目の年を前に、核兵器廃絶と9条の課題をリンクさせる共同行動を呼びかけるものです。

9条は「核の時代の申し子」
 現在の政府は「純法理的な問題」として「核兵器であっても、必要最小限度の実力にとどまるものがあるとすれば、それは必ずしも憲法の禁止するところではない。このことは核兵器の使用についても妥当する。」としています。憲法は核兵器の保有や使用を排除していないというのです。
 けれども、1946年の「制憲議会」おいて、幣原喜重郎は政府を代表して「次回の世界戦争は人類を木っ端みじんに粉砕する」、「文明が戦争を全滅しなければ、戦争が文明を全滅する」と答弁していました。当時の政府は、次の世界戦争では核兵器が使用され、人類社会は滅びることになると予測して、核兵器のみならず、全ての戦力の放棄を提案していたのです。
 憲法9条は、「核の時代」を自覚し、核兵器だけではなく「一切の戦力」を放棄する徹底した非軍事平和思想に基づく最高規範として誕生したのです。憲法9条は「核のホロコースト」を経て創られた「核の時代の申し子」なのです。「核の時代」にあっては、戦争は政治的意思を実現するための手段にはなりえないのです。自衛という目的を実現するための核兵器が、防衛の対象である国家と社会を壊滅させてしまうからです。9条はそのような事態を避けるために残された唯一の方法であることを確認しておきましょう。

先人たちの見識

 主な見識を紹介する。(前掲拙著ではさらに多くの見識を紹介している。)

  1. 日本国憲法が平和的生存「権」と規定したのは、平和的生存のための戦争という論理を否定する意味がある。政策に対抗し、政策を制約するのが、本当の憲法上の権利である。また、権利主体が「全世界の国民」とされていることも、「正義の戦争」の想定の下で相手国国民の生命の犠牲はやむを得ないとする論理と整合しない。それは、言うまでもなく、(中略)第2次世界大戦における戦争被害と、ナガサキ、ヒロシマにおける絶対悪としての核戦争の経験からきている。(浦田一郎「現代の平和主義と立憲主義」日本評論社・1995年・115頁)

  2. 「ヒロシマ・ナガサキ」の体験は、核兵器の巨大な破壊力により、ひとたびこれが使用されれば、政治や政策の手段としての戦争が、それによって達成すべき目的まで破壊してしまうことをリアルに明らかにした。その意味で、日本国憲法は、「核時代」の歴史的刻印を帯びて誕生している。(水島朝穂、浜林正夫・森英樹編「歴史の中の日本国憲法」地歴社・1996年・155頁)

  3. 憲法9条の規範は、戦争による惨禍を経てきた人類が、武力によらざる国際紛争の解決への道を模索するなかで到達した最良の規範である。特にそれは、核兵器の登場した時代における人類が生き残るため唯一道を示す規範であり、普遍的価値を有する。(池田眞規「法律時報」1996年68巻2号)

  4. 「核・宇宙(地球)時代」となった今日、「人類が核戦争と核兵器(中略)よって絶滅され、地球の墓地で人類が―死の―永遠平和を弔われる」方向を拒否し、「人類が生き残って発展し、地球が保全される―生の―永遠平和を確立する」方向を「至上命令」として、人類普遍の実践理性により、選択すべきだという根本命題を読み取る。(深瀬忠一「恒久世界平和のために 日本国憲法からの提言」日本評論社・1998年・8頁)

  5. 憲法9条が「正しい戦争」という観念それ自体を否定しているのは、立憲主義展開史の中での断絶を画そうとしているのです。1945年6月(国連憲章)と1946年11月(日本国憲法)の間には、1945年8月の広島・長崎という人類史的体験があったことが、ここで思い出されるべきでしょう。(中略)9条は神権天皇から象徴天皇への移行(1条)及び政教分離(20条・89条)とともに、日本社会をタブーから解放し、権力批判の自由を作るものとして不可欠だったのです。(樋口陽一・憲法再生フォーラム編『改憲は必要か』岩波新書・2004年・16頁)

  6. 憲法9条は非核・平和の国際的課題を達成するうえでも積極的意義を持つものといえよう。核兵器の廃絶は人類共通の課題であり、とりわけ広島・長崎の体験を持つ日本はこの課題に世界の先頭に立って取り組むべき使命を持っている。(山内敏弘「法律時報増刊憲法改正問題・平和主義と改憲論」日本評論社・2005年・12頁)

  7. 一切の戦争、武力行使・威嚇を否定した上で、それを手段レベルにまで徹底して、武力の不保持と戦力行使を支える交戦権を否認するという選択を行ったのである。そこには、憲法9条と「広島・長崎の核ホロコースト」との間の「直接的連関」が存在したとみることができよう。(水島朝穂「安全保障の立憲的ダイナミズム」岩波書店・2014年所収・4頁)

  8. ヒロシマっていうのは、まさにホロコーストの場になってしまったわけですが、ホロコーストの犠牲を負ってしまったことの意味を紡いでいかなきゃいけない。犠牲になってしまったけれども、9条ができたというのは非常に大きな物語になっているわけで、このことを抜きにして憲法を作ることはできなかった。(石川賢治、2017年7月22日広島弁護士会での講演録)

  9. 国連憲章では、戦争を原則否定しましたが、その後に原爆が使われました。その惨状を知った日本が作ったのが9条2項です。侵略戦争は禁じるが自衛戦争は許すとの従来の考えをさらに進め、戦争の目的ではなく、戦争の手段である戦力を保持させないことによって一切の戦争を放棄することにしたのです。(伊藤真「9条の挑戦」大月書店・2018年・62頁)

まとめ
 原爆が絶対的非軍事平和主義に基づく憲法9条を生み出したことを確認していただけただろうか。今、世界と日本は、核兵器を容認する勢力によって破壊されつつある。それと対抗して「核兵器も戦争もない世界」を実現しなければならない。その核心が9条にあるのだ。(2026年3月16日記)




Copyright © KENICHI OKUBO LAW OFFICE