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「核兵器廃絶」と憲法9条



2026.3.18

スパイ防止法のことー41年前のことを思い出しながらー

はじめに
 1985年6月、自民党は「国家秘密法」(正式名称:国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案)を国会に提出した。けれども、その法案は成立せず、最終的に廃案となった。その理由は、「国家秘密」の範囲が広すぎる、刑罰が重すぎる、表現の自由・報道の自由や「知る権利」が侵害されるなどの批判が強く、国会内外で大きな反対が起きたからである。その後も再上程の動きはあったし、特定秘密法などは成立しているけれど、スパイ防止法は制定されていない。それが、今、また、現実味を帯びようとしているのである。

国家情報局の設置
 というのは、3月13日、「国家情報局設置法案」が閣議決定され、今国会で成立し、早ければ7月にも国家情報局が設置されそうだからである。国家情報局は、新設される、首相が議長を務める「国家情報会議」の事務局で、警察庁・防衛省・外務省・公安調査庁などが収集した国民の個人情報を一元的に管理する権限が付与されることになる。内閣情報調査室が強化され、国民監視の総本山が設置されるのだ。これは、政府による国民監視機能が強化されることを意味している。戦争を予定する国家は、国民を戦争に動員することとあわせて、政府に反対する勢力を排除しなければならないので、その体制を整えているのである。

スパイ防止法の目論見
 そして、次に予定されているのがスパイ行為を取り締まる法律、すなわち、スパイ防止法である。既に、国民を監視するための法律や機関はたくさんあるけれど、それでも足りないとして包括的スパイ取締法を作ろうというのである。自民・維新の連立政権合意書にもその「速やかな成立」が明記されており、後戻りしにくい流れになっていることは周知のとおりだ。スパイ防止法は、政府に反対する勢力の排除のための法律であるから、スパイの範囲はできるだけ広げておきたいし、その処罰はできるだけ厳しくされることになる。そのことは、「論より証拠」で41年前の法案を見れば明らかである。

41年前のスパイ防止法
 41年前の「国家秘密法」はこんな法律だった。
「国家秘密(防衛秘密)」とは、防衛および外交に関する事項、それに関する文書・図画・物件、防衛上秘匿する必要があり、公になっていないものとされていた。これでは何が秘密なのかなど国民に知る方法はない。何が秘密なのか分からないままに処罰されてしまうことになるのだ。
 また、それを「不当な方法」で漏洩してはならないとされていた。その不当な方法とは法令違反、対価の供与、偽計、秘匿文書の開披などだけではなく「社会通念上認められない方法」とされていたのだ。しかも、未遂、予備、過失による漏洩まで犯罪とされていたのである。これでは、日常生活の隅々まで監視されてしまうし、日常会話まで取り締まりの対象とされることになる。「何気ない家族の会話も要注意」、「秘密保全、まずはあなたの家族から」、「あなたも私も秘の用心、一人ひとりが情報マン」などという標語が作られていたようである。

 加えて、外国のために国家秘密を通報した者や、外国のために国家秘密を探知・収集(外国のために行動する者を含む)した者は、死刑または無期懲役、または3年以上の懲役で処罰されるとされていたのである。これは、当時の殺人罪の刑罰と同様の重罰なのであるから、自民党はスパイ行為を殺人と同程度の重大犯罪と見做していたことになる。

 当時の自民党の感覚はこのようなものであったことを確認しておく。現在も、その感覚が変わったという情報はないし、維新の会というアクセル役が付いていることも忘れてはならない。私たちの機敏な反対運動が求められているのである。そこで、ここでは、40年前のエピソードを紹介しておく。1989年2月18日「朝日新聞」の『声』欄に掲載された私の投稿だ。

保守派市議も秘密法に慎重
 先日、わたしは市民グループ「所沢国家機密法を阻止する会」のメンバーと、アンケートへの協力要請のため、所沢市議会の保守派の議員宅を訪問した。
 対話を拒む市議は一人もいなかった。ある市議は「日本がスパイ天国かどうかは分からない。スパイ防止法は中曽根さんが必要と言うんだから必要なんだろう」といささか投げやりだった。「自分は沖縄出身だ。スパイということで日本軍が沖縄でしたことを忘れてはいない」と語気を強めた方もいた。「私たちの中にも戦争経験者はいる。この法案が言論の自由と深いかかわりのあることは分かっている」と応じた幹部もいた。
 留守の方も多く、会えたのは十人足らずではあったが、保守派の市議の中に、積極的に推進すべきだとする方はいなかった。むしろこの国家秘密法に戦争とファシズムのにおいを敏感にかぎとっていたのである。
 自民党国会議員の中に慎重論も多いと報道されている。実際に一地方都市の保守派の市議たちと面談してみて、国家秘密法の制定を推進しようとする勢力は、だれに依存しているのだろうか、との感を強くしたものである。

まとめ
 当時、所沢では「国家機密法を阻止する会」が結成され、保守系の市議宅を訪問するという活動をしていたのだ。法案を廃案に追い込んだだけではなく、二度と出せないようにしようとしていたのだ。なんかすごいことをしていたように思う。

 ところで、私の処女出版『憲法ルネサンスーパンと自由と平和を求めて―』(図書出版イクオリティ、1989年)の第3部は「国家秘密法なんかいらない」をテーマとしていた。そこには、「住民たちは、それらのことを知っていたが、雨戸を閉めて何も知らなかった」という宮本百合子の『播州平野』の一節を利用した論稿(「法と民主主義」1988年6月号所収)、「『国家秘密』は誰のものか」という自由法曹団通信への投稿、「国家秘密法反対は日弁連の責務である」という「スパイ防止法の制定を支持する法律家の会」の日弁連に対する「公開質問状」への批判(「自由と正義」39巻6号所収)、「国家秘密法の制定を阻止するために」と題する全運輸航空管制支部での講演などが収録されている。何とも懐かしく思い出してしまう。

 あれから40年経った今、また、同様のテーマでのたたかいが求められている。トランプが暴れ、高市がのさばるという意味では状況は悪化している。老骨にムチ打たなければならない。絶望などしている場合ではないからだ。(2026年3月18日記)




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