2026.3.30
はじめに
3月14日、全日本教職員組合(全教)と教組共闘連絡会主催の「平和な未来を子どもたちに手渡したい」をテーマとする憲法闘争学習交流会に講師として参加した。第1部は「戦争も核兵器もない世界を創るのはわたしたち」と題する私の講演、第2部は「行動する子どもたち・その想いをききとるとりくみ」というテーマで、高校生平和ゼミナールのメンバーの報告と高校で戦争展を企画した愛知の県立高校の先生の報告、第3部では「子どもたちと深めたい平和のための学びのテーマ」を題材にする小グループによるディスカッションだった。参加者はオンラインを含めて120名と報告されていた。
『赤旗』の報道
3月17日付の『赤旗』は次のように報じていた(要旨)。
全教などは憲法闘争交流集会を開き、「憲法を守る闘いは正念場だ」として改憲阻止の運動強化を呼びかけました。全教の檀原毅也委員長は、高市政権による国会審議の軽視や地元への説明もないミサイル配備など憲法の理念をないがしろにする状況や、改憲準備の危険性を指摘。政府の行為による戦争の惨禍を二度と起こさないようと決意した憲法を不断の努力で守っていこうと訴えました。大久保氏は、政府の核兵器の見解は原爆投下を国際法違反と言えなかった原爆裁判の時から変わらず、米国の「核の傘」への依存を強めていることを指摘。憲法を土台に核兵器禁止条約を普遍化し、核兵器も戦争もない世界を創ろうと呼びかけました。高校生平和ゼミナールで活動する青年は「若い世代は決して無関心ではない。戦争反対や核兵器をなくさないといけないという点では一致できる」と強調。参加者が「子どもたちと深めたい平和の学び」を交流し、「日本が平和なのはなぜ」、「教室は平和だろうか」などを切り口に実践を語りました。
私の講演
私は、事前に資料をPDFにして渡しておいた。カラー版で66頁のものだ。ふつうは、白黒で集約されたものが配布されるのだけれど、なんと、今回は小冊子にされていた。これはうれしかった。私は、私の話は時間切れになることがあるので、資料はできるだけ丁寧に作っている。だから、小冊子の体裁にされていたことはうれしいのだ。
ところで、講演が終わった後、檀原委員長が真剣な面持ちで近寄ってきた。その資料を示しながら、「反核平和勢力と護憲平和勢力の相互理解と相互協力が必要不可欠」とあるけれど、その意味をもう少し詳しく教えてほしいというのだ。確かに、私は「核兵器廃絶や9条の擁護と世界化を希求する私たちには、『戦争前夜』と言われているほどに急速に進行している戦争の準備を阻止する運動が求められている。」として、そのために両勢力の共同が必要だと話したのだ。檀原さんは、二つの課題をテーマにたたかいを組んでいるので、私がそのような言い方をすることに違和感を覚えたのであろう。「反核平和勢力と護憲平和勢力の相互理解と相互協力など当たり前」と考えることは無理もないことだからである。
私は、檀原委員長が、そこに注目してくれたことはうれしかった。というのは、私は、反核平和勢力と護憲平和勢力との間で十分な相互理解と協力が行われていないという問題意識があるので「核兵器廃絶と9条擁護・世界化を!!」という公開書簡を、私のかかわる「平和勢力」に出したことがあるからだ。これは拙著『「原爆裁判」を現代に活かす』(日本評論社、2024年)にも収録されている。
私は檀原さんに「核兵器廃絶と9条擁護は、平和運動としては共通項もあるけれど、核兵器がなくても戦争はできるので、別々の課題もある。それはそうなのだけれど、もっとリンクしてもいいと思っている。双方の共闘があれば、それぞれの課題を実現しやすくなるのではないかと考えている。」という問題意識を伝えておいた。あわせて、講演で志位和夫共産党議長が、原子爆弾の出現と9条の誕生を結び付けていることを紹介したのもその問題意識からなのだということも伝えた。きっと、その問題意識は共有してもらえたと思っている。9条誕生背景に「核のホロコースト」があったことは厳然たる史実だからだ。
長野高校の先生
私も最後まで参加したので、高校生や先生方がどのような実践を行い、どのように工夫しているのかを知ることができて本当に楽しかった。特に、私の出身校である長野高校の先生と同じグループで議論できたことは、なんとも言えない不思議な体験だった。高校時代の先生たちの顔を思い出したり、今、私と話をしている先生は、私が高校生の頃はまだ生まれていなかったのではないかなどと思ってしまったからだ。遠い記憶になるけれど、私が中学生や高校生の頃、組合員といわれていた先生の授業は面白かったように思い出す。その長野高校の先生は「戦争はダメだは当たり前のこと」ということと「社会情勢の厳しさの中での高校生の平和活動の大切さ」を感想として述べていた。
長野高校の図書館には何冊かの拙著を贈呈しているので参考にしてもらえればと思う。
まとめ
高校生平和ゼミに参加している青年の話や先生の実践報告は感動的だった。「サナエ推し」が蔓延る風潮の中でも、まっとうな問題意識を持ち、それを実践している生徒や先生がいることを確認できたからだ。もちろん、それが大きな流れではないかもしれない。むしろ、私が高校生だったころと比較すれば戦争が近づいているのかもしれない。
けれども、それが現実であるならば、それを前提として行動しなければならない。
アンケートにはこんなことが書かれていた。
核兵器使用や戦争があってはならないことは感覚的なものだったのが、法律・法理として間違っているということが整理できた。…今起こっている例えばトランプ政権やイスラエルの一方的な戦争をどのように止めればいいのか、深く考えました。
豊富な事実や資料を提示していただきとても勉強になりました。原爆裁判のことで改めて考えると、戦争で被害を受けた人々(他国の人々も含めて)の補償もなく、補償もできない戦争なんて初めからするなと言いたいし、国が始めたのだから責任をきちんと取るべきだと改めて思いました。…日々無力感に押しつぶされそうになりますが、周囲の人と対話し続けていかないといけないと思いました。
最初に感じているのは政府の無責任、行政の失策について何も責任を負わず反省しないという悲しさ。今、戦争中な現実があって、この地球上では、一つの戦争は世界中にマイナスの影響を与えるという事。まさに今、戦争が続くほど、日々生活が苦しく平和な日々が失われているという事。国民の意思を示さなければならない。
高校生平和ゼミの子も「とても学びになりました」と書いていた。私も少しは役に立てたようだ。こういう機会を提供してくれた主催者に感謝している。
そして、私の子どもの頃の先生がそうしてくれたように、私も「平和な未来を子どもたちに手渡すために」今できることをしておくこととする。(2026年3月20日記)
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