2026.5.26
―「死神のパシリ」に負けるな―
核軍縮への合意の不在
今回のNPT再検討会議でも合意文書は作られなかった。3回続けて、再検討会議での合意が成立していないことになる。これは、国際社会に「核兵器のない世界」実現の具体的合意が形成されていないことを意味している。この事態がNPT体制の崩壊を意味するとは思わないけれど、「『骨抜き』になった最終草案が基準として残らなかったことを考えれば、悪いことではなかった」などというコメント(秋山信将一橋大学教授)にも同意できない。国際社会に核軍縮に向けた合意がないということは、私たちは核兵器が使用され「壊滅的人道上の結末」に襲われる危険の中に放置され続けることになるからである。これは深刻な事態だ。秋山コメントにはその切迫感が欠けている。私たちは、核兵器使用の危険性がかつてなく高まっているにもかかわらず、核軍縮を進めるための合意が形成されていない現実を直視しなければならない。その上で、「核兵器のない世界」への道程を探索しなければならない。まず、合意が成立しなかった理由を考えてみよう。
合意が成立しなかった理由
合意が成立しなかった理由は、核兵器に依存する国があるからだ。毎日新聞は「責任は、核兵器保有の既得権にしがみつく大国にある。条約が定める軍縮交渉の義務を果たそうとせず、身勝手な核軍拡に走り、互いを責めあう」と指摘し「大国エゴが深めた核危機」と論評している(5月24日付社説)。私は共感を覚えている。アメリカは自国の核は棚上げしてイランの核開発を責め立てている。しかも、イランの核開発を制御するための合意から離脱しただけではなく、協議中にもかかわらず武力の行使を開始したのである。「俺は持つお前は持つな核兵器」という身勝手な論理でイランに無法な武力攻撃をしているのだ。再検討会議で、アメリカは自らの無法を棚に上げて振る舞うだけではなく、他の国からもアメリカの行動に対する批判は少なかったと言われている。何とも情けないことだと思う。また、他の核兵器国も核軍縮には消極的であった。彼らには核兵器を手放す意思などないのだ。NPTは核不拡散だけではなく、核兵器国の軍縮義務も定めているけれど、核大国はそんなことは無視しているのだ。核兵器国と非核兵器国の溝の深さを原因とする見解もあるけれど、それは皮相というものであろう。合意不成立の原因は、核兵器国の核兵器依存体質にあることを見抜いておきたい。
日本政府の態度
日本政府の中途半端な態度も指摘しておく。日本政府は今回の会議に閣僚は派遣していない。「核なき世界」のために核兵器国と非核兵器国の橋渡しをするというのなら、それなりの態勢で臨むべきであろうが、その熱意は見られなかった。そもそも、日本政府は「核なき世界」を言うけれど、アメリカの核の傘に依存することを国策としている。自国の防衛力を強めるだけではなく、アメリカの核を含む拡大抑止力によって自国の安全保障を確保するというのが基本戦略なのである。アメリカの核兵器の役割を減ずるような政策選択などありえないのだ。要するに、今すぐ核兵器をなくすことなど考えていないのである。「核なき世界」はいつ実現するかわからない「見果てぬ夢」とされているのだ。核兵器を実際に使用された唯一の国が、使用した唯一の国の核兵器を頼りにしているようでは、核兵器はタブーではないことになってしまう。しかも、高市早苗首相は「非核三原則」の見直しを言っている人だし、官邸には「核保有」を主張する人が執務している。そんな政府が核軍縮のために率先して行動することなどありえないであろう。茂木敏允外相は「核軍縮を巡る国際社会の分断が深まる中、NPTの維持・役割は重要だ。日本は『核兵器のない世界』実現へ現実的かつ実践的な取り組みを一歩ずつ進める」などと言っているが、私にはむなしい言い訳にしか聞こえない。
核兵器を必要する勢力がいる
核兵器国も日本政府も、国家の安全保障のために核兵器は必要だとしている。核兵器は敵国の侵略を抑止する道具だというのである。いわゆる核抑止論である。だから、彼らは核兵器の不拡散には熱心だけれど、核軍縮などサボりたいのだ。その点、アメリカは露骨である。けれども、日本政府は、被爆者をはじめとする反核世論にも配慮しなければならない立場にある。だから、政府は「核なき世界」を口にするのだ。核兵器を必要としながらそれを口にすることは「二枚舌」である。政府は、その謗りを避けるために「核兵器がなくても安全が確保できれば、核兵器を廃絶する」などと意味不明のことを言い募るのである。核兵器を必要だとする国がある限り「核兵器のない世界」は実現しない。安全保障のために核兵器が必要だということは、私たちの命運を「死神」や「悪魔」に任せろということを意味している。それをベスト&ブライテストだとする勢力が核兵器国や日本にもいるのだ。私は「死神のパシリ」と見做している。
ではどうするか
核兵器の必要性を説く勢力を駆逐することである。今回の会議でも、核抑止論批判は多くの国が述べていた。もちろん、市民社会はそのようなスタンスである。正論を述べる勢力は存在しているのだ。NPT6条は核兵器国に核軍縮義務を課している。約束を守ることは文明と「法の支配」の基盤である。また、核兵器禁止条約の署名国や加盟国は99か国になっている。国際法は「核兵器のない世界」に向けて発展しているのである。そのことに確信を持ちたい。
市民社会の存在理由は政府がやらないことをやろうとすることにある。王や皇帝がいない国では、政府の正統性の根拠は国民の支持にある。政府は国民の支持がなければその正統性を失うことになるのだ。だから、市民社会は政府を批判するだけではなく、自分たちの政府を創る母体でもあるのだ。日本でも世界でも平和を愛する人たちは多数である。戦争を表立って望む者はいない。ただし「平和を望む者は戦争に備えよ」と呪文を唱える者やそれを信じてしまう人はいる。
万国の反核平和勢力の大同団結が求められている。その団結の力で、NPT6条の実現を求めなければならない。中満泉国連事務次長は、「NPTは平和と安全の基礎であり、すべての国にとって利益であることは変わらない。次に向かって動き出さなければ」としている。その提案に協力したい。
そして、核抑止論を克服している核兵器禁止条約が発効していることも想起しておこう。「核兵器のない世界」の法的枠組みは存在しているのである。
更に、戦争も一切の戦力も交戦権も放棄する日本国憲法は「核兵器も戦争もない世界」の法的枠組みであることも確認しておこう。「核兵器も戦争もない世界」は決して「見果てぬ夢」ではない。私たちの意思と行動で実現できる世界なのだ。私たちにその力があるのだ。「死神のパシリ」たちに負けるわけにはいかない。(2026年5月25日記)
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