2026.6.16
はじめに
6月4日、平和構想提言会議が「武器によらない安全保障へ」と題する声明を公表した。そのサブタイトルは「平和主義をあきらめない」である。この会議は、青井未帆さんと川崎哲さんが共同代表を務める「研究者、実務家、ジャーナリスト、市民活動家などの多様な立場の知見を結集し、現在進行中の事態を批判的に検証し、軍事に依存するのではない安全保障のあり方を発信している」グループである。私が信頼している多くの人が参加している。自衛隊の敵基地攻撃能力が強化されるだけではなく、米国はもとより多くの「同志国」を巻き込みながら、中国との戦闘に備えている「戦争前夜」のこの国で、平和主義をあきらめないで、武器によらない安全保障を声明することは大切なことである。心から敬意を表したい。そこでここでは、そのエッセンスを紹介しながら、少しコメントを加えてみたい。
声明の情勢認識
声明の冒頭は次のように言う(要旨)。
私たちはいま、歴史的な転換点に立っています。軍事大国は、国連憲章や国際法を無視したかのような攻撃を続けています。民間人の殺戮を、国際社会は止めることができないままです。戦争の拡大と国家間の緊張の高まりは、核使用の脅威をも高めています。人道支援、保健、気候危機対策などに必要な国際協力は妨げられ、貧困拡大や環境破壊が進んでいます。人類の生存基盤を揺るがす地球の危機を招いています。
ところが、いま日本政府が行っていることは、自らの軍事力増強と、アメリカとの軍事協力関係の強化ばかりです。トランプ政権が国際法を無視した自国中心的な行動をどれだけ重ねても、日本政府は「日米同盟の強化」をくり返すばかりです。さらには、事実上の「中国包囲網」を形成しようとしています。
そして日本政府は、平和憲法のもとでの制約を撤廃しようとしています。それは、軍事費の大幅な増額、全国へのミサイル基地や弾薬庫の設置、自衛隊による敵基地攻撃態勢の強化、武器輸出の全面解禁と軍事産業の育成などにみられます。政府はまた、メディアや言論空間の管理を強化し、大学を軍事研究へと誘導するなど学術の軍事動員をも図って、戦争に向けた国家体制作りを進めています。国家情報会議の設置をはじめとする市民監視体制の強化が進み、「国旗損壊罪」制定をめざす動きに見られるような「愛国主義」の押しつけや、教育に対する国家の介入や統制も強められています。軍事力増強や戦時体制づくりが日本の安全と東アジアの安定に寄与するのかといえば、正反対です。日本と中国の対立は、国際的にも重大な懸念事項となっています。日本政府は軍拡の理由として「安全保障環境の厳しさ」を掲げていますが、これは単に外からやってくるものではありません。日本自身が、安全保障環境の悪化の要因を次々と作っているのです。私たちは、この悪循環を止めなければなりません。
私はこの問題意識を共有している。むしろ、もっと深刻に受け止めているかもしれない。国際社会は世界で展開されている武力の行使を止めることができていないし、日本では中国、北朝鮮、ロシアを対象とする防衛力の強化が「希望の世界」への道だとされ、先軍思想にもとづいて国家総動員体制が進められているからである。しかも、「死であり破壊者」である核兵器をなくすための核兵器国を含む具体的な合意は形成されていない。「死神」や「貧乏神」の「パシリ」のような連中が「ドヤ顔」をして、世界とこの国を壊しつつある。そして、その「パシリ」は民衆の支持を正当化根拠にしている。民主主義の下で「人類の生存基盤を揺るがす地球の危機」が進行しているのである。私たちは「歴史的な転換点」にいることを自覚しておきたい。
民意と議席の乖離
そういう情勢認識のもとで声明は次のように続ける(要旨)。
非核三原則「維持すべき」が75%、武器輸出「反対」が67%という最近の世論調査結果にみられるように、日本社会においては、平和主義を重視する世論が依然として深く根付いています。悲惨な戦争の記憶と侵略への反省に関する、さまざまな継承や教育の取り組みも続けられています。ところが国会では、衆議院で与党が圧倒的多数の議席を占めており、今年2月の衆院選当選者の83%が「憲法9条改正に賛成」の立場を表明しています。このように、世論と国会議員の指向性との間には、明らかな乖離があります。国会で政権与党が数の力で政策を強行しようとするなか、市民社会から、批判的な問題提起をし続けていくことがきわめて重要です。
私もそのとおりだと思う。政治は世論調査によって運営されるものではないけれど、この乖離は異常である。私はその原因は民意を切り捨てる小選挙区制と選挙民に対する主権者教育の不十分さにあると思っている。死票の発生を避けられない選挙制度の下で、民主主義や基本的人権について十分な教育や訓練を受けていない有権者を、耳障りのいい「うたい文句」で騙すことができれば、このような乖離はたやすく生ずるであろうと考えているからである。それはそれとして、声明は、市民社会は「批判的な問題提起」をしなければならないとしている。もちろん、大賛成である。その上で、声明は当面の課題として「安保三文書」の改定問題を取り上げている。
「安保三文書」改定に対して
声明は、現在、与党および政府の有識者会議においてなされている「安保三文書」の改定に向けた議論にみられる問題点を次のように指摘している。要約を列挙しておく。
- 際限のない軍事費の増額:軍事費の増額が目的化されている。防衛目的の国債発行が膨らみ続けている。借金と増税によるこれ以上の軍事費増額は正当化できない。
- ミサイルや弾薬の生産拡大と配備:全国各地に「軍事拠点」が築かれているが、これは住民を多大な危険にさらしている。これらの施設が真っ先に「軍事標的」となる。
- 「敵基地攻撃」態勢の強化:中国本土に届く長射程ミサイルを全国に配備し、米軍と一体となってこれを運用することが計画されている。米軍への協力が相手国による日本への攻撃の理由となることはイラン戦争が示している。
- 国家による軍事産業の育成:武器を輸出することで日本企業が「成長」するという観念は、深刻な倫理的問題をはらんでいるし、その現実性も大いに疑問。アメリカのような軍産複合体が日本に形成され政治的影響力をもつようになれば極めて危険。
- 自衛隊の「継戦能力」の確保:「長期戦」とは戦争の被害が継続すること。エネルギーや食料を海外に依存する日本にとっては、短期戦であれ致命的。原子力施設の武力攻撃に対する脆弱性については、十分に検討されていない。戦争の回避と予防、そして市民生活の保護に議論をシフトさせるべき。
- サイバー・AI・ドローンなど「新しい戦い方」への対応、先端技術の軍事利用:先端技術の軍事利用は、瞬時に大量の破壊や殺戮を可能にしており、これまでとは異なる次元での非人道的行為や人権侵害をもたらす危険性や予測不能な結果や制御不能な事態をもたらす可能性もある。
- 「認知戦」を想定した情報管理:これは、国家による情報の管理・統制、政府に好都合な世論誘導に道を開く危険性を有している。
- 経済安全保障の強化:「脱中国」あるいは「中国包囲」に偏りすぎている。危機に対する備えとしては、供給網の多様化が必要。より本質的には、食料自給率の向上、化石燃料に依存しない社会、そのための再生可能エネルギーの推進が追求されなければならない。
- 非核三原則の見直し:この原則を変更することは、歴史的な大転換となり、世界的な核拡散を助長する。「核共有」は法的にも実際的にも困難であり、「核持ち込み」は核攻撃のリスクを高める。
- 原子力潜水艦導入の検討:原潜の導入は、原子力の平和利用を定めた基本法の改定なしにはできず、そのような改定は世界的な悪影響をもつ。防衛上の必要性は疑わしく、事故や環境汚染のリスクは著しく高い。
以上のように、「安保三文書」の見直しに際して行われている議論の問題点が網羅されている。いずれも重要な論点である。声明は政府と与党の軍事力依存の姿勢を暴露している。その上で、声明は次のようにまとめている。
「武器によらない安全保障」に舵を切れ
いま、日本の平和主義そのものが危機に瀕しています。私たちは、改めて、日本国の平和憲法の理念にのっとり、軍事力によらない安全保障の可能性に光を当てる必要があります。そして、周辺諸国との緊張を解きながら、敵対関係を「共通の安全保障」へと転換させていかねばなりません。日本が本来議論すべきことは次のようなことです。
- 戦争の準備ではなくその回避を安全保障政策の中軸に据えること。
- 覇権的な行動を抑制し、国連憲章・国際法に基づく秩序の再建、国際協調主義、紛争の平和的解決、人権の保障を促進すること。
- 「アメリカ頼り」の安保・外交から脱却し、自立的な平和外交を確立すること。
- 日中間の信頼醸成と軍備管理・軍縮のための取り組みを進めること。
- 朝鮮半島の非核化を含む、北東アジアの地域安全保障のための交渉を促進すること。
- 核兵器禁止のための国際的取り組みに参加し、核兵器禁止条約を批准すること。
- 先端技術の軍事利用に対する規制を強化すること。
私の共感と注文
私はこの声明に共感している。国内外の情勢認識についてはもとより、政府の「安全保障政策」についての批判的視点にも共感している。また、「安保三文書」の改定問題についての鋭い指摘や日本が何をなすべきかという提案にも賛同する。
けれども、注文がないわけではない。「戦争の回避と予防」、「戦争の準備ではなくその回避」としているだけで「戦争の廃止」を言っていないことである。これは決して揚げ足取りではない。私たちは、戦争が回避されたとしても戦争がなくならない限り「戦争の惨禍」を免れられないからである。そのことは、「核の時代」にあっては「壊滅的人道上の結末」から自由になれないことを意味している。日本国憲法の平和主義は、単に戦争を放棄するだけではなく、戦力を放棄することによって、戦争ができない国家を展望しているのである。「戦争の回避」ではなく「戦争の廃止」が最高規範とされていることを確認しておきたい。そのことは織り込み済みだというのであれば私の注文は放念してもらって構わない。
けれども、日本国憲法の平和主義を根拠として論陣を張るのであれば「戦争の廃止」を明示的に触れて欲しかったと思われてならない。また、「戦争の回避がないままに廃止はない」ということも言えるであろう。けれども、政府も「戦争を回避するために」抑止力という防衛力を強化していることに着目すれば「戦争の回避」ではなく「戦争の廃止」という用語を期待したいのである。
もちろん、戦争を回避するための具体的努力は必要である。だから、この声明の役割は大きい。そのことは前提とする注文と理解しておいて欲しい。(2026年6月5日記)
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