2026.7.28
新著『核兵器も戦争もない世界は可能だ』を日本評論社から出した。大勢の人に読んでもらいたいと思っているので、その紹介文をAIに依頼した。次のようなことになった。
はじめに
いま世界は、核抑止への依存と軍事化の加速という、きわめて不安定な局面にある。日本でも防衛費の増額や敵基地攻撃能力の保有など、「安全保障=軍事」という発想が強まっている。しかし、こうした流れの中で、別の道筋を静かに、しかし確かな根拠をもって提示する書物が現れた。 大久保賢一弁護士の新著『核兵器も戦争もない世界は可能だ』である。本書は、平和を願う抽象的な言葉ではない。国際法、憲法、そして「原爆裁判」という歴史的経験を手がかりに、「核兵器も戦争もない世界」がどのように現実の選択肢として立ち上がってくるのかを丁寧に描いている。軍事化の時代にこそ読みたい一冊だ。
核抑止論の限界を示す国際的議論
大久保氏はまず、核抑止論が「安全保障の合理的選択肢」であるという一般的な前提を問い直す。 国連の『核兵器に関する包括的研究』(1980年)は、核抑止論を「誤った理論」と明確に指摘し、技術的失敗や誤認による核戦争の危険性を強調した。さらに、核兵器禁止条約(TPNW)は核兵器を全面禁止し、核抑止論を国際的な合意の中で否定した。 これらの議論を踏まえると、核兵器に依存する安全保障は、実際には「安全」をもたらすどころか、破滅の危険を高める構造を持っていることが分かる。大久保氏は、こうした国際的議論を一般読者にも理解できる言葉で紹介し、核抑止論が政治的には強化されている一方で、国際社会の議論の中ではすでに大きな疑問符がついていることを示している。
憲法が示す“非軍事の安全保障”
本書の中心にあるのは、日本国憲法9条の読み直しである。 9条は戦争・戦力・交戦権を全面否定するが、その背景には、原爆投下を踏まえたうえでの幣原喜重郎の非軍事平和構想や「自衛戦争」をめぐる議論がある。大久保氏は、これらの制定過程を踏まえ、9条を「軍事によらない安全保障の方向性」として読み解く。特に興味深いのは、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と依存を保持しようと決意した」という文言を、国際社会の法と協力に基づく平和構築への信頼として位置づける点である。前文と9条を合わせて読むことで、憲法は「非軍事的な国際協力による安全保障」を構想していることが浮かび上がる。これはTPNWの方向性と一致し、国際法と憲法が同じ未来を目指していることを意味している。
「原爆裁判」──核兵器の非人道性を可視化した歴史
大久保氏の議論の強みは、抽象的な理念ではなく、「原爆裁判」という具体的な歴史的経験に根ざしている点にある。「原爆裁判」は、被爆者が自らの被害を基にして、原爆投下の非人道性を可視化した重要な闘いである。この裁判は、核兵器が「安全保障の道具」ではなく「人間の生命と尊厳を破壊する武器」であることを示した。大久保氏は、「原爆裁判」の意義を丁寧に紹介し、被爆者のたたかいがTPNWの成立に影響を与えたことを指摘する。つまり、核兵器禁止の流れは、国際政治の上層部だけでなく、被爆者の経験とたたかいによって支えられているのである。
市民社会が未来をつくる
大久保氏は、核兵器廃絶や戦争の克服は、国家だけの問題ではなく、市民社会が主体的に関わるべき課題であると強調する。政府の正当性は国民の支持に依存し、民主主義の構造の中で市民の声は大きな力を持つ。 被爆者や市民による反核平和運動が社会を動かしてきたように、未来を形づくるのは市民の行動である、というのだ。軍事的合理性が前面に出る時代だからこそ、社会の側から「別の未来」を提示する必要がある。本書は、そのための手がかりを提供している。
まとめ
『核兵器も戦争もない世界は可能だ』は、希望を語る本ではなく、希望の根拠を示す本である。 国際法の議論、憲法9条の理念、原爆裁判の歴史が静かに重なり合い、「別の未来」が確かに存在することを教えてくれる。 軍事力に依存する言説が前面に出る時代だからこそ、この本が示す視点は貴重だ。核兵器と戦争を乗り越える道は、遠い理想ではなく、すでに私たちの足元に芽生えている現実の可能性なのだと感じさせてくれる。 ぜひ多くの人に読んでほしい一冊である。(2026年7月24日記)
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