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「核兵器廃絶」と憲法9条



2026.8.21

創価大学生との交流

はじめに

この10年近く、創価大学の学生たちとの交流がある。創価大学法学部の中山雅司先生のゼミ生が、日本反核法律家協会の活動を知りたいとして、夏休みに私の事務所を尋ねてくるのだ。私は、毎年、その訪問を楽しみにしていた。今年も4人の学生と中山先生も初めてお見えになった。学生たちは、事前に、いくつかの質問を寄せていた。その問と私の回答を紹介しておく。

問1 政府がたびたび述べる「核保有国と非核保有国の橋渡し役」って、実際にどれくらい役に立っているのでしょうか

 答 核兵器がなくなっていないことからすれば役に立っていない。今回のNPT再検討会議でも合意は成立しなかった。政府は、合意形成のために意味のある行動をとっていなかった。むしろ、核抑止論・拡大抑止論にこだわっているので「核兵器のない世界」を遠ざけている。そういう意味では有害な役割を果たしている。

 

問2 もし、日本が核兵器禁止条約に署名した場合、アメリカとの関係や日本の防衛は具体的にどうなってしまうのでしょうか

 答 日本をどこから防衛するのか、どのように防衛するのかを考えなければならない。政府は、中国、北朝鮮、ロシアが日本の安全保障を危うくしているので、自衛隊と国を挙げての防衛力を強化し、日米同盟をより発展させ米国の核を含む抑止力に依存し、同志国との連携を強めて、抑止力と対処力を強化して三国の行動を抑止するとしている。要するに三国との軍事的対立を根幹に置いているのである。この政策をとる限り、核兵器禁止条約の選択はありえない。

禁止条約を選択するということは、少なくとも、核兵器に依存しない安全保障政策を採用していることになる。けれども、軍事力に依存する限り、核兵器は「究極の兵器」なので核兵器依存は解消されない。禁止条約を選択するということは、軍事力による安全保障政策を放棄することになる。


それは、三国との敵対関係を解消し、共存共栄の選択を意味している。北朝鮮とは国交がないが、中国とは平和条約や共同宣言があるし、ソ連の日本侵略は「絵空事」であった。故安倍晋三氏は「ウラジーミル。僕と君は同じ夢を見ている」と言っていた[i]

三国に対する敵視政策の解消の可能性を検討しなければならない。この三国の脅威の正体の検討が求められている。 

 

問3 「条約に批准する・批准しない」の2択ではなく、「会議にオブザーバーとして参加してみる」のような中間の関わり方は望ましくないのでしょうか

 答 選択肢としてはありうる。ただし、オブザーバーとして参加して何を語るかが問題。
2025年2月18日、岩屋毅外務大臣は第3回核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加を見送ると表明。
その理由は「我が国周辺では質的、量的な核軍拡が進んでいるという厳しい現実を直視しなければなりません。核兵器の使用をほのめかす相手を通常戦力だけで抑止することはできません。…国民の生命と財産、我が国の独立と平和を守り抜くためには、核による拡大抑止が不可欠な状況にございます」、「核兵器を包括的に禁止する核兵器禁止条約は、この核抑止とは相容れず、現状におきましては、核兵器国がこれを締結する見込みはありません」、「オブザーバー参加した上で、核抑止の重要性を強調するとともに、条約の締結を否定する発言を行うという選択肢もないわけではありません。しかしながら、締約国会合にオブザーバー参加する一方で、条約とは相容れない我が国の立場を表明することは、我が国の核軍縮外交の考え方を不明瞭なものとし、その主張や取組の訴求力を損ないかねないと考えます」としていた。
オブザーバー参加を求めることは、政府の頑なな姿勢を浮き彫りにする意味はあるが、リスクもあることも念頭に置いておく必要がある。


問4 核兵器禁止条約ができても、核保有国が無視していたら、結局この条約にどれくらい意味があるのでしょうか

 答 この問いは核兵器国が条約を無視すれば意味がないのではないかという問いを意味している。政府筋が流している見解で、政府は核兵器国が入らない条約は意味がないので「橋渡しをする」という論法になる。また、アメリカはこの条約が発効しないように色々と賛成国に干渉した。それは、この条約が意味を持っていることの裏返しである。条約を無視していれば自国に対する拘束力はないというのであれば、そんな行動に出る必要はない。禁止条約は核兵器を違法な存在としてその廃棄を展望している。核兵器に汚名を着せているのである。核兵器国はその禁止されている兵器に依存するという不名誉が耐えられないであろう。彼らも無法者とは言われたくないのである。それが法規範の持つ力だ[ii]


問5 仮に日本が将来的にTPNWへ署名・批准を目指す場合、日米安全保障条約や防衛政策のどの部分を再構築する必要が生じますか

 答 問2と重なるテーマ。日米安保があっても、条約に入ることは、法理的には可能。
軍事同盟=核兵器容認ではないから。
けれども、政治的・軍事的にはありえない。軍事力による安全保障体制の確保が国策とされている限り、核兵器の廃絶はありえない。核兵器禁止条約を選択するということは、国家安全保障政策の「革命的転換」を意味している。日米安保条約はその軍事的側面が解消され、北東アジア非核地帯条約は形成され、日中友好条約は実質化され、北朝鮮とは国交が樹立され、ロシアとは平和友好条約が締結されることになる。「平和を愛する諸国民の公正と信義」に依拠する安全保障環境が整えられることになる。

 

問6 国家の生存を最優先する「国家の安全保障」と個人の生命や尊厳を守る「人間の安全保障」の対立は、具体的な防衛政策の場でどのように折り合いをつけるべきでしょうか

 答 国家の安全なくして国民の命と財産は守れないのだから、国民は国家の命令で命も財産も国家に捧げよ、それがお前の生き残る道だ、「希望の世界」への道だという考え方と、人間の尊厳は何物にも優先する。国家の命令で国民個人の命や財産を、その意に反して、他国との戦闘に提供することは許されないとする考え方との間に接点はない。国家は人間の道具であって、道具が人間を道具にすることなどできないからである。

とりわけ、核兵器という人類社会の滅亡を可能とする兵器が存在している「核の時代」にあっては、国家の安全を守るはずの核兵器が自国の滅亡をもたらすという「究極のパラドックス」(ハンス・モーゲンソー)も想定される。核兵器に依存しての国家の安全の確保という議論は「天動説」のようなもの。核兵器が自分を守るという発想は「悪魔信仰」であり「邪教」である。折り合いなどつけようがないし、つけてはならない。

戦争を仕事とする勢力、儲けの機会とする勢力、そういう連中の御用学者や太鼓持ちなどのフェイクに煽られてはならない。平和を愛する諸国民はあまねく存在する。人は殺し合いよりも「公正と信義」を選択する方が幸せであろう。


まとめ

この交流には、明治大学の山田寿則さん、核兵器廃絶日本キャンベーンの浅野英男さん、日本反核法律家協会の田中恭子さんにも同席してもらった。終了後、参加者で懇親会をした。学生たちはまだ19歳だったから飲酒はできない。中山先生も一緒だった。私の答えについては共感してもらえたようだ。中山さんは戸田記念国際平和研究所の代表理事だ。そういう方と共鳴できることは本当にうれしいことだ。酒は旨かったし、貴重な時間だった。(2026年8月21日記)

[i]  2019年9月5日、ウラジオストクで開催された「第5回 東方経済フォーラム」で、安倍晋三首相(当時)は「日本人とロシア人は、労働の喜びを分かち合い、若者同士は屈託のない笑いをともにする中で、歴史上初めて夢を一緒に見る力を、そしてその習慣を育み合っているのではないでしょうか。ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている。行きましょう、プーチン大統領。ロシアの、若人のために。そして、日本の、未来を担う人々のために」 、「ゴールまで、ウラジーミル、二人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか」と語っている。拙著「『核兵器廃絶』と憲法9条」78頁

[ii]  法規範とは何なのか。例えば、日本の刑法は「人を殺した者は、死刑又は無期懲役若しくは5年以上の懲役に処する」としているが、殺人はなくなっていない。刑法という法規範があっても、殺人という事実はなくならないのである。そういう意味では刑法に「実効性がない」のである。だからといって、殺人罪は不要だと誰が言うだろうか。殺人という行為が法的に禁止されているかどうかと、その禁止が破られるかどうかは、まったく別の問題なのである。法規範は、それが存在するからといって、現実の問題をすべて解決するわけではないけれど、事の善悪の基準としての役割を果たすのである。それが法規範の存在理由である。拙著「『核兵器も戦争もない世界』を創る提案」83頁




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