2026.9.1
はじめに 高市早苗氏は憲法のどこを変えようというのか
高市早苗首相・自民党総裁は、2026年4月12日の「自民党第93回党大会」の総裁演説 で「立党から70年。時は来ました」、「国民のみなさまに堂々と問おうではありませんか」、「憲法改正に向けて、結論のための議論を進めていきましょう」と演説している。彼女は「改憲の時が来た」と宣言しているのである。
高市氏は憲法の何を変えようとしているのであろうか。彼女は、2000年9月21日 の衆議院憲法調査会で、「『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』この非常におめでたい一文を、もし、改憲の機会があれば真っ先に替えようと思っている」と発言していた[i]。その理由を「諸外国がすべて平和を愛するようになれば理想的だけれど、50年後、万が一のことが起きても国家の主権と国民の命を守りうる体制を作ることが「政治家としての責務」だとしていた。それが、彼女の「基本的スタンス」だったのである。
高市氏は憲法の非軍事平和を「おめでたい」と思っている人なのである。この発想は決して彼女だけのものではない。自民党は、2012年、9条2項を削除し「国防軍」を保有する改憲案(自民党改憲草案)を示していた。2018年には、9条2項を残したまま、新たに「自衛隊」を書き込む案(自民党改憲4項目案)を示していた。この案のように、2項が残されても、自衛隊という軍隊が憲法上の存在になれば「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という9条2項は死文化することになる。「後法は前法に優先する」というのは法の大原則だからだ。結局、これらの自民党の改憲案では、日本国憲法の徹底した非軍事平和主義は廃棄されることになるのだ。
その背景にあるのは、「特に問題なのは、『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』という部分です。これは、ユートピア的発想による自衛権の放棄にほかなりません。」という発想である(自民党改憲草案Q&A増補版)。自民党や高市氏が改廃を狙うのは、憲法9条2項であり、その背景にある非軍事平和思想なのである。ユートピアというのは「理想郷」という意味である。心ある政治家なら、その理想を高く掲げればいいのにと思うのだけれど、彼らはそうではないのだ。「国際政治はそんな甘いものではない」として理想の放棄を求めるのだ。
加えて、忘れてならないことは、高市氏は「非核三原則」の見直しを考えていることである。彼女は、今年の広島と長崎の平和式典に際して、「非核三原則は堅持されている」としたけれど「今後も堅持する」とはしなかった。なぜなら、彼女は「非核三原則」について「日本は米国の核の傘に依存している」、「非核三原則の『持ち込ませず』を絶対視するのは矛盾する」、「現実に即した議論が必要だ」という考えの持ち主だからである[ii]。また、「核共有」についても「議論することは排除しない」としている人でもある[iii]。彼女は非軍事平和主義の憲法を改定して、アメリカの核兵器に依存して「国家の主権と国民の命を守りうる体制」を創ろうとしているのである。これは、彼女の個人的見解にとどまるものではなく自民党を挙げての決意なのである。
今、この国では、政治権力を握る勢力によって、非軍事平和主義を放棄させられ、核兵器と軍隊に依存しろと迫られているのである。政府は戦争の準備を整えているのである。政府の行為によって、戦争の惨禍がもたらされようとしているのである。それは、「核の時代」にあっては、人類社会が「壊滅的人道上の結末」(核兵器禁止条約)を迎える危険を意味している。
こういう改憲が進められている状況の中で、日弁連はどう対抗することが求められているのであろうか。まず、核兵器と戦争についての日弁連のスタンスを確認しておこう。
日弁連の核兵器と戦争に対するスタンス
2025年6月13日、日弁連は定期総会において次のような決議をしている。
当連合会は、法律家たる弁護士の団体として、「戦争は最大の人権侵害である」との理念の下、反戦と核兵器の廃絶を訴えてきた。したがって、日本政府に対し、改めて上記各施策[iv]を早期に実現し、核兵器廃絶のために真摯に取り組むことを求めるとともに、当連合会としても、いかなる国際状況の下であっても、核兵器の存在に断固として反対し続け、「核兵器のない世界」の実現を目指し、戦争とは永遠に決別することを改めて決意する。
同年12月12日。長崎で開催された人権擁護大会では次のような決議が採択されている。
80年前に原子爆弾が投下されたこの長崎の地で、当連合会は、この危機の時代において、日本と世界の市民と共に、日本も、また、他のいかなる国も、戦争をしない、させないため、そして核兵器のない世界を実現するため、強く警鐘を鳴らし、全力を尽くしていくことを、ここに宣言する。
これらの宣言・決議は、人権擁護と社会正義の実現を職責とする弁護士の団体として、核兵器廃絶と戦争との決別を誓うものである。この姿勢は、1950年、広島市で開催された第1回定期総会に引き続いて開催された平和大会において「地上から戦争の害悪を根絶し、(中略)平和な世界の実現を期する」と 宣言して以来、日弁連の一貫した姿勢である。
このような日弁連の立場からすれば、現在の支配的政治勢力が主導する非軍事平和主義を改廃して核を含む軍事力に依存する方向での憲法改定に反対することは、自然の流れであろう。問題は、どのような論点で、そのような改憲に反対するかである。私は、「憲法改正の限界」という視点も必要なのではないかと考えている。私の問題意識は次のとおりである。
憲法改正の限界
憲法9条を改定することはフリーハンドなのだろうか。それは、憲法9条改定に賛成か反対かということは、安全保障や国防に関する政治的意見が違うだけの話であって、各人の完全に自由な選択に委ねられているのだから「法的限界」などないと考えるのか、それとも、9条改定には「法的限界」があり、その限界を超えることは許されないので、完全に自由ではない、と考えるのかという問題である。それはまた、改憲は国民投票という多数決原理で完結する問題ではなく、裁判所での法的判断が可能かという問題でもある。
9条改正の限界についての議論状況
新版「体系憲法事典」(2008年・青林書院)は、憲法改正の限界について「憲法改正限界説が支配的であるが、何をもって限界とするかは、国民主権主義と人権尊重の原理に限定する説と平和主義を加える説(多数説)に分かれ、またその説も9条2項の改正により戦力を保持することができるという説(多数説)と許されないとする説(少数説)がみられる」としている。
註解日本國憲法上(1953年・有斐閣、「注解」)は、9条の平和主義の改正について「憲法改正無限界説には賛成しえない。1項を改正して侵略戦争を認めることは法的に不可能である。2項を改正することは不可能とする説(少数説)[v]と可能とする説(多数説)があるが、後者が正当」としている。2項を改正することは憲法原理的には可能という見解である。
これらから見て取れることは、憲法の改正は無限界とする学説は稀有であり、平和主義の改定についても限界があるとする学説が多いことである。ただし、9条1項の改定は限界を超えるけれど、2項の改定は限界を超えないとする学説が多数であり「9条2項改正は憲法改正の限界を超える」という学説は少数とされている。
私の見解
私は、この9条2項改正は「憲法改正の限界を超える」という説を支持する[vi]。なぜなら、9条の戦争放棄、戦力放棄、交戦権否認の平和主義が改変されてしまうことは、「核を発明してしまった人類社会」にとって危険で大きな後退だと思うからである。もし、核戦争によって文明が消滅するようなことになれば、国民主権や立憲主義も無意味になるであろう。「核の時代」においては、9条2項の非軍事平和主義が、最も優先されるべき憲法思想であり、且つ、最も現実的な安全装置であると考えるからである。自らを危険に追い込む事態を憲法が容認するとすることは背理であり、憲法の到達点を後退させることになる[vii]。そのような「憲法改正」を許しては「日弁連の名が廃る」と思えてならないのである。
だから、私は、日弁連が法律家団体として9条2項を改廃してしまう改憲に反対する際には、この「憲法9条2項の改廃は、憲法改正の限界を超える」という論点に触れて欲しいのである。この意見が日弁連全体の意見になるかどうかはともかくとて、その論点をスルーすることは「画竜点睛を欠く」からである。私の意見に賛成してくれる人もいるけれど「その意見でまとまらないだろう」という理由での消極的意見や「そんな意見はない」として反対する意見もある。けれども、9条2項の改正は「憲法改正の限界を超える」という学説が現実に存在するのである。そもそも、戦争をなくすというのであれば軍隊をなくすことはもっとも確かで唯一の方法であることは論理的必然である。だから、「そのような見解はない」とするのは単なる無知だし、スルーすることは論理的帰結を視野に入れないことになる。事実や論理を無視する議論に説得力はないであろう。
非軍事平和主義は説得力を持っているのか
ところで、高市氏が「諸外国がすべて平和を愛するようになれば理想的だけれど、50年後、万が一のことが起きても国家の主権と国民の命を守りうる体制を作ることが政治家としての責務だ」としていたことは先に述べた。私の眼から見れば、彼女は日本国憲法の非軍事平和主義を無視する首相にあるまじき人ということになる。けれども、他方では、中国、北朝鮮、ロシアの脅威からこの国を守ろうとしている最初の女性宰相と評価されているのである。なぜそのような違いが起きるのだろうか。
それは「基本的スタンス」の違いがあるからだ。戦争がない世界など理想だけれどありえない。隙を見せれば必ず誰かが攻めてくる。軍隊なくして国は守れない。軍隊のない国などありえない。アメリカとの同盟は大事だ、と考える人は決して少なくない。もちろん、弁護士の中にもいる。世界には26の軍隊のない国があるけれど(国連加盟国は193)、そんなことは知らされないままに、軍隊があることが「普通の国」とされているのだ。だから、高市氏たちが語っていることが説得力を持ち、「丸腰になる」ことなど「お花畑」か「狂気の沙汰」とされてしまうのである。非軍事平和主義は十分な説得力を持っていないのである。それがこの国の現実である。その現実を無視することはできない。では、どうするかである。
宮澤俊義氏のコメント
憲法学者の宮澤俊義氏(1899年~1976年)は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という部分ついてこんな注釈をしている(コンメンタール編『日本國憲法』、1955年、日本評論社。一部現代用語にした)。
この点については、「他国の善意などというものは、今日の国際社会の現実において、いざという場合に、頼りになるものではない」との批判は以前からあり、ことに独立回復後は、「いやしくも独立国が他国民の善意に信頼して、自らの安全と生存を保持しようというのは不当であるし、また、無責任でもある」という意見が唱えられる。しかし、これに対しては、「この原子力時代には、自国の武力だけで自国の安全と生存を保持することは不可能だ。平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼しないで、いったいどうやってこの世界で生存して行かれるのか」という反対論も有力である。
ここでは、「原子力時代」における安全と生存は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する以外の方策はないとする学説が有力であるとコメントされているのである。
まとめ
このコンメンタールは1952年に日本が独立を回復した後の1955年に発刊されている。ここに紹介されているように、当時から、どのように国家の安全と独立を確保するか、国民の命と財産をどのように守るのかについての対立はあったのだ。そもそも、「汝、平和を欲するならば戦争に備えよ」はローマ時代から言われていたことである。だから、高市氏のような人がいても不思議ではないのである。世界はまだそれが「普通」だからである。
けれども、ここで留意してほしいのは、このコンメンタールも「原子力時代」に言及していることである。「原子力時代」とは人類が自らを滅ぼしかねない道具(原子爆弾)を手に入れた時代を意味している。それは1945年8月に原爆が投下された時に実証されている。だから、1946年11月に政府が刊行した『新憲法の解説』は「原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、又は逆に戦争の原因を終息せしめるかの重大な段階に到達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺してしまうことを真剣に憂えているのである。ここに於いて本章(2章・九条)の有する重大な積極的意義を知るのである。」としていたのである。
日本国憲法は「原子力時代」に人類が生き延びるための知恵を提供しているのである。私は宮澤氏にはそのことをもっと強調して欲しかったと思う。そうすれば、自民党や高市氏はもう少し恥ずかし気に語るのではないかと思うからである。(そんなことはありえないか。「基本的スタンス」が違うのだから)
戦争で物事を解決しようとすれば「最終兵器」である核兵器が使用され、国家を守るはずの核兵器が国家を滅ぼすという「究極のパラドックス」(ハンス・モーゲンソー)が起きるかもしれないことは、夙に指摘されていることである。核兵器も戦争もなくさなければ、私たちが危ないのだ。
私は高市早苗氏を説得しようとは思わない。けれども、高市氏の正体を知らないままの人には、高市氏に同調することは自分と自分につながる人の現在と未来を失うことになるという警告を発し続けたいと思う。憲法9条2項を有害なものとし、核兵器を含む軍事力に依拠することは「政治的スタンスが違う」というだけではなく、憲法秩序の根幹にかかわる「法的問題」でもあるのだ。9条2項が改廃されようとしている今、日弁連は、その全知全能を傾けて、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」を実現するための奮闘が求められている。(2026年8月30日記)
[i] この発言は、憲法調査会に「21世紀のあるべき姿」についての参考人として呼ばれた作家の小田実氏に対する質問に際してのもの。小田氏は「私たちの周りの誰が攻めてくるんですか。東西も南北朝鮮も、これから仲良くやろうじゃないかと言っていますね。中国もそういうところはないと思うんです。我々は、国是を立てて良心的軍事拒否国家でいくんだ。」としていた。これに対し、高市氏は「どこも絶対に攻めてこないとおっしゃるのかもしれませんが、それなら現在の国際紛争は一切発生しないわけで。私は国際社会というのは何が起きるかわからないという冷厳な事実があると思います。」というスタンスであった。
[ii] 2017年の自民党政務調査会長としての発言に始まり、現在に至る。
[iii] 2022年。高市氏は、NATO型の核共有について問われた際にこのように述べている(報道複数)。
[iv] その施策とは、①早期に核兵器禁止条約(TPNW)に署名し、批准すること。②核兵器の不拡散に関する条約(NPT)第6条を具体化するために、核兵器国と非核兵器国の対話の場を設け、核兵器削減のタイムスケジュールを策定するなどの取組を行うこと。③北東アジア非核地帯条約の締結に向けた取組を行うこと。である。
[v] 「註解」は、2項改定不可能説をいくつか紹介している。A説:戦争の絶対的放棄と武装の完全な放棄とは憲法の平和的条項の基本的要素であり、その改正は不能だ。B説:現在のような国際的対立(冷戦)のもとでの再軍備は戦争の危機を激化し平和憲法の根本的精神に反する。C説:再軍備を認めることは憲法の改悪であり、改悪を許さないというのはすべての法改正についての唯一至上の法的限界である。D説:恒久平和の原則に逆行する改正は不可であるし、再軍備はその逆行の疑義がある、などである。
[vi] 拙稿『憲法9条2項の改定は「憲法改正の限界」を超える‼』(2018年11月28日記)参照。拙著『「核の時代」と憲法9条』(日本評論社、2019年)所収。
[vii] 「註解」は、「軍備の全廃と戦争の全面的放棄とは、この憲法の特色をなすものであり、世界的に承認された侵略戦争の否定を宣言する第1項よりもこの第2項に憲法の重心があるともいえる。従って、前文とあいまって、これを改正することは憲法の基本原理に反することになって許されない、とする考え方にも、相当の根拠がある」としている。
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