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大久保賢一法律事務所



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2025.11.6

高市早苗首相の「立憲主義」の無理解

『毎日新聞』のコラム
 『毎日新聞』の夕刊に「今日も惑いて日が暮れる」というコラムがある。吉井理記氏の筆である。10月29日は「高市さんの憲法観」というテーマだった。憲法学者の小林節氏と高市早苗氏の「立憲主義」についてのやり取りを紹介している興味深いものだった。小林氏は、もともとは憲法9条改正を訴え、自民党や読売新聞の憲法改正の理論的支柱だった人だけれど、今は、「護憲派」として『赤旗日曜版』の拡大に協力している人だ。「変節」という人もいるけれど、ご本人は「今なお学んで、進化し続けているということだ。成長の一過程だ」として意に介していないようだ。私も「護憲派」から「改憲派」に鞍替えするのは「転向」だと思うけれど、この「進化」は大いに歓迎している。
 コラムによると、その小林氏が高市氏を痛烈に批判していたことがあるという。小林氏が「憲法は、国家権力が乱用されて国民の人権を侵害しないよう、あらかじめ縛っておくものだ。近代国家の前提である『立憲主義』という考えだ」だと説明したら、高市氏が「私はその考えをとりません」と言ったというのだ。それは、2006年5月18日の衆議院憲法特別委員会に端を発している。

憲法特別委員会でのやり取り
 2006年5月18日、衆議院憲法特別委員会に小林節氏が参考人として出席している。高市氏は自民党の議員として小林氏にこんな質問している。「おそらく先生は、憲法というのは国家の権力を制限する、国民の権利を守るための制限規範的なとらえ方を主に持ってくるべきだというお考えなのだろうと思います。それは憲法の重要な役割なんだと思うんですが、私自身は、昨今、やはり国民の命を確実に守る、それから領土の保全、独立統治というものを確保するために、国家に新たな役割を担ってもらう授権規範的な要素もいくらかは必要だと思います…。」
 これに対し小林氏は「権力というのは、歴史上、本質的に濫用、堕落する危険がある。それは人間の本質で、これは一向に改まっていません。古今東西」、「だから歯止めをかけておく。濫用されたとき跳ね返す。これ憲法の基本的役割なんですね。これなくしては憲法じゃなくなっちゃうんですね。…制限規範、授権規範なんて、…そこを強調することは非常に目新しいけれども、それは誤用であると申し上げておきます。」と答えている。
 それに対して高市氏は「私自身は誤用であると思っていない」と反応するのである。

高市首相の「立憲主義」理解
 この質疑には「私はその説を取りません」という言葉は出てこない けれども、高市氏の質問は、制限規範とか授権規範とかの用語を使用しながら、憲法の権力に対する制限規範としての役割を減殺しようとしていることは見え見えである。また、小林氏に、その用語の使用について「非常に目新しい」などと(私から見れば)皮肉られているにもかかわらず「誤用ではない」と言い張っているのである。このやり取りを体験している小林氏が、高市氏は立憲主義について「私はその考えをとりません」と言っていると紹介しても曲解ではないであろう。彼女の立憲主義についての無理解は明白だからである。

高市首相の理解の問題点
 小林氏が説明している「立憲主義」はいわば憲法学における「公理」のようなもので、個人が採用するかどうかという問題ではない。彼女の物言いはあえて言えば「私は『1+1=2』という考えはとりません」と言っているようなものなのだ。フェイスブックでは「これは驚きましたね。立憲主義って国家の動かし方は憲法で決めるというものですが、それを取らないということは、憲法にしたがって就いた内閣総理大臣という地位も、私は認めないということですよ」、「うちは労働基準法採用していません、っていう中小企業のシャチョサンみたい」、「この人は憲法を校則ぐらいにしか考えていないのだろうか?だとしたら危険極まりない人だ」、「国会議員にも憲法学や法学概論に関する研修の履修を義務付けるべきかと思いますね」などと盛り上がっている。

まとめ
 今、この国ではこういう人が首相をしているのだ。私は、高市氏が「戦後生まれだから戦争責任などはない」とか「さもしい顔して貰えるものは貰おうとか、弱者のフリをして少しでも得をしよう、そんな国民ばかりになったら日本国は滅びてしまう」という発言をしていることは知っていたけれど、立憲主義を理解していないことは知らなかった。おまけに、彼女は非核三原則の「持ち込ませず」を見直そうと言っているし、トランプ大統領の核実験再開指示に反対していないのである。彼女は「悪魔の兵器」に依存しているのである。そもそも日本国憲法など眼中にない人なのであろう。
 けれども、彼女の支持率は高いのだ。しかも、若年層の支持率が高いのだ。「その国の民度はその国の宰相を見ればわかる」そうだから、この国の民度はこの程度なのかもしれない。けれとも、この国で同時代を生きているのだから、それを冷笑すればいいというわけにもいかないであろう。何とかしなければいけない。(2025年11月4日記)

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2025.11.6

トランプが核実験再開を言い出した!!

より危険になった世界
 トランプが核実験再開を言い出した。「核爆発を伴うものではなく未臨界実験だから心配いらない」などという言説も流布されているけれど、トランプは「爆発を伴わない実験」に限定していない。そもそも、どちらの実験であれ核実験であることには変わりがない。核実験の再開は核兵器使用の準備である。使わない兵器の実験など無意味であり無駄だからだ。トランプは核戦争の準備を始めたのである。
 トランプに核兵器を使用しない意思もなくす意思もないことは明らかだ。彼は、第1期政権の時「なぜ核兵器を使用してはいけないのか」を何度も確認したそうだ。彼には核兵器使用についての躊躇いはなかったのだ。そして、今、彼は再び「核のボタン」を押す権限を持っている。彼がそのボタンを押せば核ミサイルが発射されることになる。そのミサイルを呼び戻す方法はない。トランプによって、世界はより危険になったのだ。まず、そのことの確認をしておきたい。

核兵器使用は「タブー」
 米国も締約国である核兵器不拡散条約(NPT)は「核戦争が全人類に惨害をもたらす」のでそれを避けるための条約である。だから、NPT6条は、核兵器の拡散だけではなく、核軍拡競争の停止や核軍縮を核兵器国に求めているのである。また、「核戦争に勝者はない。核戦争を戦ってはならない」ことは核兵器国の首脳の一致した見解でもある。核戦争は国際法上も国際政治の上でも「タブー」なのである。これは「核兵器禁止条約」の要請ではないので、トランプも拘束されている原則である。トランプはそのタブーに挑戦したのである。
 また、米国は包括的核実験禁止条約(CTBT)に署名している。この条約は発効していないけれど、署名国には「条約の目的と趣旨を損なわないよう行動する義務」がある(ウィーン条約法条約18条)。彼は国際法も国際政治の到達点も完全に無視しているのである。彼は、大統領選に敗北した時、支持者を議会に乱入させた「無法者」だけれど、今回も「無法者」ぶりを発揮しているのである。

日本政府の態度
 高市政権は「核実験再開指示」についてコメントしないとしている。「唯一の戦争被爆国」である日本政府が反対しないのである。なぜそのような態度なのであろうか。それは、トランプや高市は核兵器を必要だと考えているからである。彼らにとって核兵器は自国の安全を確保するための最終兵器(「守護神」)なのである。核兵器によって「敵国」からの攻撃を抑止し、万一攻撃すれば「核兵器で反撃してお前を抹殺するぞ」という脅しで自国の安全を確保するという「核抑止論」に帰依しているのである。
 核戦力を強化している中国、挑発を繰り返す北朝鮮、侵略戦争を継続するロシアなどに対抗するためには、自衛隊の「敵基地攻撃能力」だけではなく、国を挙げて防衛力の強化を推進し、米国の核戦力を含む拡大抑止に依存するとしている日本政府からすれば、米国の核戦力が強化されることに反対する理由はないのである。むしろお願いしたいことであろう。反対するわけにはいかないし賛成ともいえないので「ノーコメント」なのである。

「安保三文書」の前倒しと自民と維新の「合意文書」
 高市政権は、トランプの核実験再開指示に反対しないだけではなく「安保三文書」を前倒しで進めると米国政府に約束している。これは、日本の軍国主義化の速度を速めるということを意味している。しかも、自民党と維新の「連立政権合意文書」には「憲法9条改正に関する両党の条文起草協議会を設置する。設置時期は、25年臨時国会中とする」との条項もある。
 高市政権は核兵器の力によって日本の安全を確保するとするだけではなく、日本国憲法9条を廃棄しようとしているのである。「国家安全保障戦略」によれば、中国、北朝鮮、ロシアに対抗して防衛力を強化することが「希望の世界」への道だとされている。他方、日本国憲法は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持する」としている。「核のホロコースト」の上に徹底した非軍事平和思想にもとづいているのである。
 「核を含む軍事力による安全」を求める勢力からすれば、「平和を愛する諸国民の公正と信義による安全」などを想定する日本国憲法は「獅子身中の虫」なのである。彼らはその虫を退治したいのである。
 私たちは「核兵器による平和」か「平和を愛する諸国民との公正と信義による平和」かの大分岐点にあるのだ。
 トランプの核実験再開指示発言は、私たちに、改めてそれを問いかけている(文中敬称略)。(2025年11月5日記)

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2025.10.20

「身を切る改革」の正体

はじめに
 自民党と日本維新の会(以下、維新)の癒着が進行している。このままいくと、高市早苗氏が総理大臣になりそうである。私は、高市氏は「歴史に学ぶ」という最も基本的な営みを拒否する人なので総理大臣に相応しくないと思っている。けれども、維新の諸君はそうではなく、条件が整えば共同してもいいとしているのである。その条件としていくつかのことを挙げているけれど、もっとも大事なことは「国会議員定数の削減」だという。そして、自民党もその条件を受け入れたと報道されている。
 その定数削減が衆議院なのか参議院なのか、何人にするのか、比例部分なのか小選挙区部分なのかなどについては未定であるが、とにかく減らすことは合意されたようである。10月17日時点では、削減数は50人程度とされ、比例部分のようである。そして、その削減の理由は「身を切る改革」だとされている。要するに、国会議員のために使われる国庫金を減らすために議員を減らすというのである。
 
国会議員を減らすことの問題点
 これは大問題である。国会は唯一の立法機関であり、国権の最高機関である(憲法41条)。国会は「全国民を代表する選挙された議員で組織する」とされている(憲法43条1項)。国会議員は民意を国会に反映させる任務を負っているのである。その定数は法律で定められるけれど(憲法43条2項)、その数が少なければ少ないほど国民の声が届きにくくなることは自明である。自民党と維新は現在の数を減らそうというのである。
 しかも、比例代表部分を減らそうとしているのである。そうなれば、少数派の意見が反映しにくくなる。これは選挙制度のイロハの知識である。現行の選挙制度は「小選挙区比例並立制」とされている。その比例部分を削減することは「少数派を切り捨てる」という小選挙区制の弊害が一層顕著になる。少数派の意見を尊重することは、社会の活性化のために不可欠なシステムである。「社会が荒廃した精神的軽薄さと退廃から自分を防御する唯一の道は、少数者の権利の承認である。」(ゲオルク・イェリネック『少数者の権利』)という指摘を思い出しておきたい。
 自民党と維新は、国民主権国家における代議制民主主義の原理を理解していないのである。彼らの無知と無責任さを確認しておく。
 
国会議員の定数を50減らした場合の試算
 現在、国家議員一人当たりに費やされている国庫金は年間約7531万円である(2024年の予算ベース)。その内訳は、歳費約2180万円、調査研究広報滞在費約1200万円、立法事務費約780万円、公設秘書給与三人分約3180万円、JRパス・航空機利用経費約190万円である(生成AIによる。合計は1万円合わないがそれは四捨五入の影響)。この数字を基にして、国会議員の数を50人減らすと、国庫金の負担は37億6550万円減ることになる。
 彼らは、その金額のために代議制民主主義の機能を減殺しようとしているのである。それはまた、国民の参政権の実質的価値を減殺することにもなる。民意を立法府に届きにくくするとはそういう意味なのである。彼らにとって、民主主義も参政権もその程度のものなのであろう。これが、彼らがいう「身を切る改革」の正体である。

政党助成金の温存
 さらに看過できないことは、彼らは政党助成金を温存していることである。そもそも、政党助成金は税金が原資なので、自分の納めた税金が全く支持していない政党に交付されることもありうる。共産党は「政党助成金は憲法違反」としてその受領を拒否しているので共産党支持者の場合は間違いなくそうなる。
 国民が納めた税金のうち250円が自働的に各政党に交付されている。国民の「思想及び良心の自由」(憲法19条)の一場面である「政党への寄付の自由」は完全に無視されているのである。徴収を拒否できない税金が、個人の意思に関係なく、自民党や維新に交付されているのだ。支持しない政党への強制カンパといえよう。彼らはそのことには全く触れない。(おまけに、企業・団体献金の禁止は棚上げされている。)
 ところで、今年度の政党助成金の交付総額は315億3652万円である。うち自民党へは136億3952万2千円、維新へは32億922万7千円である。彼らが本気で「身を切る改革」をやるというのなら政党助成金を廃止すればいいだけの話で、国会議員の定数を減らす必要などは全くない。その方が国会議員を50名減らすよりも桁違いに効果的なのである。「身を切る改革としての定数削減」などというのは限りなくフェイクである。

まとめ
 このように、自民党と維新が進めている国会議員の定数を減らすという合意は「改革もどき」というだけではなく、代議制民主主義を軽視する「有害な代物」なのである。彼らは何が大事なことなのかを全く判っていない。国民主権国家における定数削減問題がもっている「ことの重大性」を完全に無視し、「数合わせ」だけに関心を寄せているのである。無知と強欲がのさばり、国民主権や基本的人権は忘却されている。
 自民党と維新は、37億円の国庫金を巡っての合意で、この国の政治を決めようとしているのである。なんとも情けないと思う。何とかしなければならない。まずは、彼らのいう「身を切る改革」の正体を広げることにしよう。(2025年10月18日記)

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2025.10.15

核武装は安くない

 参政党の塩入清香(しおいり さやか)氏が、7月3日に配信された日本テレビの番組で「あの北朝鮮ですらも核兵器を保有すると、国際社会の中でトランプ大統領と話ができるぐらいまでにはいく」、「核武装が最も安上がりで、最も安全を強化する策の一つ」と述べたことは記憶に新しい。参政党の国会議員のうち6人は「日本は核兵器を保有すべきだ」としているから(『毎日新聞』8月1日付)、参政党の諸君は核兵器を廃絶するなどとは全く考えておらず、日本も核武装すべきだとしているようである。私はこのような考えを心の底から忌み嫌っている。

 その理由は、そもそも「核と人類は共存できない」と考えているからだ。私は被爆者の証言や「原爆裁判」などから核兵器が「死神であり、世界の破壊者」あることを知っている。だから、核兵器が必要だとか役に立つなどという連中は人間として許せないし「死神のパシリ」とみなしているのである。
 それに加えて、日本は核兵器不拡散条約(NPT)の加盟国として、核兵器を保有しないという条約上の義務を負っているからである。憲法は、締結した条約は誠実に遵守するとしているし(98条)、国会議員は憲法を尊重し擁護する義務を負っている(99条)。だから、国会議員は「核兵器保有」を言ってはならない立場にあるのだ。よって、日本が核武装すべきだとする議員はNPTや憲法を無視する「無法者」ということになる。

 このことだけでも、参政党の諸君の非人間性と無知は明らかではあるけれど、それに加えて、核武装は決して安上がりではないことも知らないようだ。核兵器がいかに「高くつくか」について『毎日新聞』10月10日付夕刊が興味深い記事を掲載している。「『核兵器が安上がりである』と吹聴する人、安易に信じる人がいる。本当なの? あえて核武装の費用対効果を専門家と検証」するという記事である。
 記事は三例を挙げている。1968年と70年に内閣調査室がまとめた「日本の核政策に関する基礎的研究」、山崎正勝東京工業大学名誉教授の見解、鈴木達治郎長崎大学核兵器廃絶研究センター前センター長の見解である。

内閣調査室の報告
 この報告は政府の秘密研究の成果である。その結論は「核武装は可能だが持てない」である。技術や組織、政治、外交などの幅広い観点から検討し、わずかな核兵器で抑止力を維持するのは困難、外交的孤立は不可避、国民の支持も得にくいという理由である。コストについては「10年間に年平均2016億円」とされ、現在の価値に換算すると「8千億円から9千億円」だという。報告書は「財政状況から見て極めて難しい」としていた。政府はコスパも検討したうえで、「核武装」を断念し、米国の核の傘と核兵器不拡散条約(NPT)を選択したのである。

山崎正勝氏の見解
 山崎氏は「核武装すれば世界で孤立する。孤立したら経済的損失は計り知れない」としている。今になって核を持てば、NPTを脱退することになり、北朝鮮のように国連の経済制裁を科され、食料もエネルギーも自給率の低いわが国では国民生活が成り立たなくなるというのである。「核武装するから米国製の兵器は買いませんなんて言えるのか」とも言う。また、核兵器にすれば数千発分に相当するプルトニウムも保有しているけれど、使用済み燃料から取り出したプルトニウムは核兵器に不向きな同位体の比率が高く「現実には1発も作れないのではないか」としている。核武装は政治的選択としても技術的にも無理という結論である。私は現有のプルトニウムが核兵器に向かないということは知らなかった。

鈴木達治郎氏の見解
 「核爆弾を作れたとしても、核武装が安上がりと主張する人は核兵器システムの構築と維持にかかる巨大コストをご存じないのでは」。「抑止力だというなら核弾頭を運搬するミサイル、爆撃機、原子力潜水艦の外、相手の攻撃を検知して反撃するシステムも欠かせない。膨大な投資と時間が必要。核実験も必要だけど、狭い国のどこでやるの? 地震国だから地下でやるのも巨費がかかります」と指摘している。そして、核兵器国の核兵器予算は年約15兆円だったというICANの報告を紹介している。「そもそも、核を持てば安全だなどというのは幻想。米国は9.11の攻撃を受けたし、イギリスもフォークランドで攻められ、イスラエルもハマスの攻撃を受けた。核抑止なんて、結局、相手次第なんだから」という指摘もある。注目したいのは、日米韓の共同研究の結果である。最悪の想定は、台湾有事をめぐる米中の争いで、計24発の核兵器が使用され、短期で260万人が死亡し、放射線の影響で長期的には最大83万人が亡くなる可能性があるとされている。何とも身の毛のよだつようなシミュレーションである。
 記事は「唯一の戦争被爆国が核武装すれば国際的信用は失われ、被爆者を中心とした核廃絶の取組も水泡に帰す。その損失は、もはや金銭では代替できまい」、「新政権発足前に一言お伝えしたい。核武装は決して安くありません」と結ばれている。

 参政党の諸君がどこまで考えて行動しているかは知らない。多分、体系的な思考などしていないであろう。核兵器という究極の暴力についての認識の浅さからして、彼らの無知と無責任さは度を越していると言えよう。彼らのような勢力が一定の力を持っていることも視野に入れなければならないけれど、彼らの言動の虚妄と危険性を暴いてくれる知性も間違いなく存在しているのである。そのことに確信をもって「核兵器も戦争もない世界」を創るための努力を続けることにしよう。(2025年10月13日記)

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2025.10.9

麻生太郎氏の無責任さと危険性

はじめに
 麻生太郎氏(1940年9月20日生)が、高市早苗自民党総裁によって、副総裁に指名された。麻生氏は最高顧問だったけれど副総裁となったのだ。最高顧問は元首相や重鎮議員などが就任する名誉職的ポジションだけれど、副総裁は党内で総裁に次ぐナンバー2であり、役職政策・選挙・人事などに関与するとされている。高市・麻生体制となったのである。私は、高市氏は歴史に学ぶ必要性を否定する危険人物だと評価しているけれど、麻生氏も高市氏に劣らない危険人物だと思っている。その理由は、一つは彼の「ナチスに学べ」発言であり、もう一つは「台湾有事は日本有事」発言である。この小論では、彼の二つの発言を紹介し、その無責任さと危険性を検証する。

「ナチスに学べ」発言
 2013年7月29日。麻生氏は、民間シンクタンク国家基本問題研究所のシンポジウムで「僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)三分の二(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。(略)ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。…憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。」と講演した(辻本清美氏の質問主意書からの引用)。このことは、当時、マスコミでも報道されたので、記憶している人も多いであろう。
 
 この発言は「ナチスの手法を参考にして憲法改正を進めるべきだ」という主張として受け止められた。私もその一人だった。だから、この発言を「プロパガンダの天才」と言われたナチスの宣伝相ゲッペルスが、どのような手法で大衆を動員したかを批判する文脈の中で紹介したことがある(「ゲッペルスのプロパガンダを表現の自由で擁護してはならない」。『「核の時代」と憲法9条』日本評論社、2019年所収)。憲法改正手続きの中で、ナチスの手法など持ち込まれたら大変なことになるという危機感があったのだ。
 
 ところで、この「ナチスの手口に学べ」という表現が、ナチスの独裁的手法を肯定しているように受け取られたので、国内外からの強い批判が寄せられることになった。だから、麻生氏は、8月1日、その発言の一部を撤回している。その理由は「喧騒にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげたところである。この例示が誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい。」というものであった。
 彼は「ナチスのようにワーワー騒がないで静かにやっていく」と言ったけれど、それは「喧騒にまぎれて国民的議論がなかった悪しき例」として挙げたのだ。誤解を招いたので撤回するとしたのだ。これは説明になっていない。そして、誰も誤解などしていない。麻生氏は、ナチスは暴力と陰謀と懐柔で権力奪取をしていたにもかかわらず「ナチスに学べ」と言ったのである。

麻生氏の発言と撤回の意味
 当時、麻生氏は副総理兼財務大臣という要職にあった。私は、そのような立場にある人が「憲法改正」という重要事項について「ナチスに学べ」という発言をすることも大問題だと思うけれど、それをたやすく撤回して、なかったことにすることも大問題だと思っている。「綸言汗の如し」(りんげんあせのごとし。一度口にした君主の言は取り消すことができない、という意味)をここで引用することは適切かどうかわからないけれど、麻生氏が責任感を持つ政治家ならば、たやすく撤回するような発言はすべきではないであろう。権力の中枢にある者は、その発する言葉の重さを自覚すべきだからである。麻生氏にその自覚はないようである。彼はそのような無責任な資質の持ち主なのである。

 ところで、麻生氏の危険性は彼が「ナチスに学べ」としていることである。彼は、ナチスが、ワイマール体制下において政権を奪取していく方法や手段を否定していないのである。そして、ナチスが大戦争を仕掛けていったことにも反対しないどころか、むしろ共感を示しているようである。

 私は彼の論理を次のように受け止めている。ドイツ国民はナチスを選んだ。国民の多数が選んだものは正しい。ナチスは多数を確保するために工夫した。だから、ナチスに学んで「憲法改正」で多数派になろう。政治的多数派は何をしてもいいのだ。多数派になるために何でもやろう、という論理である。
現役の国務大臣が現行憲法の改正を進めるために「ナチスに学べ」というのは、立憲主義も平和主義も全く無視していることになる。立憲主義や平和主義が失われた時「政府の行為によって再び戦争の惨禍がもたらされる」ことになる。麻生氏の危険性の本質はここにある。

「台湾有事は日本有事」
 2024年1月10日。麻生氏(自民党副総裁・当時)は、米国で記者団に「(台湾海峡有事は)日本の存立危機事態だと日本政府が判断をする可能性が極めて大きい」と述べ、日本は中国の台湾侵攻時に集団的自衛権を発動する可能性が高いという考えを示した(『朝日新聞』2024年1月11日)。麻生氏はこれに先立ち「台湾海峡の平和と安定は国際社会の安定に不可欠。日本・台湾・米国は戦う覚悟を持ち、それを相手に伝えることが抑止力になる」 (2023年8月8日の台湾訪問時)とか、「台湾海峡で戦争となれば、日本は潜水艦や軍艦で戦う。台湾有事は間違いなく日本の存立危機事態だ」(2024年1月8日の福岡での国政報告会)などと発言している。彼は「台湾有事は日本の存立危機事態、すなわち日本有事」としているのである。 

 ところで、存立危機事態とは「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態をいう。」と定義されている(武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律2条4号)。
 だから、台湾で日本以外の当事者間での武力衝突が起きたとしても「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」でなければ「存立危機事態」ではないのである。

 けれども、麻生氏は、そのことには触れようとしないで「台湾海峡の平和と安定は国際社会の安定に不可欠」として「日本は潜水艦や軍艦で戦う」としているのである。
 彼の発想には中国と米国(台湾)が武力衝突しても「日本はどちらにも与しない」という選択肢はない。米国が戦闘態勢に入れば「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生」したとして、内閣総理大臣が自衛隊に防衛出動を命ずる(自衛隊法76条)ことを当然としているのである。日本に武力攻撃がないにもかかわらず、日本が戦争当事者になることを当然視しているのである。戦争を放棄している日本国憲法のもとで、日本に対する攻撃がないにもかかわらず、戦争が起きるのである。それは、自衛隊による中国本土の基地攻撃や、中国からの攻撃を意味している。政府の行為によって再び戦争の惨禍がもたらされるのである。

まとめ
 確認しておくと、麻生氏はナチスへの親近感がある人だということと、「台湾有事」を「日本有事」にしないという発想は皆無の人だということである。こういう人が、自民党副総裁として、「戦後生まれだから戦争責任など問われるいわれはない」として「過去に学ぼうとしない」総裁とタッグを組んだのである。私たちはその危険な組み合わせに敏感でなければならない。危険が相乗効果を発揮するかもしれないからである。

 2016年5月27日。広島を訪問したにオバマ元米国大統領は「71年前、ある晴れた雲一つない朝、死が空から落ち、世界が変わりました。一つの閃光と火の海が街を破壊し、人類が自らを破壊する手段を手に入れたことがはっきりと示されたのです。」と演説している。現代は「人類が自らを破壊する手段を手に入れた」時代なのだ。
 中国は核兵器保有国である。米国が日本のために中国に対して核兵器を使用するなどといことはあり得ないであろう。米国の核が中国の日本に対する攻撃を抑止し、日本の安全を保障するなどというのは「天動説」並みの謬論である。
 このままでは、日本が、長崎以降、初めての核兵器を使用される戦場になるかもしれない。新たな被爆者が生まれるかもしれないのだ。私たちには「空から死が落ちてくる」事態を阻止する営みが求められている。(2025年10月9日記)

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2025.10.9

高市早苗氏が危険な理由

はじめに

 高市早苗氏(1961年3月7日生)が自民党の総裁に選出された。このままいくと内閣総理大臣になるようだ。私は何とも暗澹たる気分になっている。なぜなら、私は彼女が嫌いだし危険人物だと見做しているからだ。どうしても嫌悪感を覚えてしまうという個人的な感情にとどまらず、彼女は首相として危険な資質を持っていると考えているのだ。

 彼女は「自分は戦後生まれだから、戦争責任など問われる立場にない」と公言している。もちろん、彼女がどのような歴史観を持つかは彼女の自由だ。けれども、彼女は国会という「国権の最高機関」(憲法41条)のメンバーというだけではなく、法を執行し、国務を総理し、外交を処理する内閣(憲法73条)の責任者になるかもしれないのだ。ある国の政治的最高責任者がどのような歴史観を持つかは、その国の政治に直結することになる。

 だから、その責任者の歴史認識は問われなければならない。「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすい。」というワイツゼッカーの言葉を引用するまでもなく、歴史から学ぶことは、誰にとっても、とりわけ政治家にとっては、必要不可欠な作業である。 けれども、彼女はそれを拒否しているのである。だから、彼女は危険なのだ。この小論は彼女のそのスタンスを紹介するためのものである。なお、出所は衆議院の資料である。

1994年10月12日衆議院予算委員会 
 この日、高市氏は次のような質問をしている。テーマは村山富市首相(当時)の歴史認識である。ちなみに、「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題する「村山談話」は1995年8月15日である。この談話には「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」という一文がある。この質問はこの談話以前の応酬であるが、事の本質は変わらない。

高市委員:
高市早苗でございます。改革(自由改革連合などを含む会派。大久保注)を代表して質問をさせていただきます。終戦五十周年を目前にしまして、私たちは歴史の見直しという政治家としての生涯最大のテーマにかかわろうとしているのではないかという緊張に、非常に恐れを感じております。選挙区で遺族会の方々から、出征して死んでいった夫というのは侵略戦争に行ったんでしょうかという問いかけをされております。また、奈良護国神社の宮司様は、おまえのところは犯罪人を祭っておるのかという嫌がらせの電話に悔し涙を流しておられました。そんなせつない思いをされている方々のために、きょうは侵略戦争について、いつもの答弁よりも具体的な御説明をお願いしたいと思います。(中略)
まず、総理は、七月、九月と二度の所信表明の中で、さきの大戦への反省、それから過去の侵略行為や植民地支配といったものに触れられまして、八月の全国戦没者追悼式におきましては、私たちの過ちによって惨たんたる犠牲を強いられたアジアの隣人たちという言葉をお使いでしたけれども、具体的にはどの行為を指して侵略行為と考えておられるのでしょうか。また、総理の言われる過ちというのは具体的に何を指すのか、法的な根拠のある過ちだったのかどうかもお答え願います。

村山内閣総理大臣:
私は、侵略的行為や植民地的支配という言葉を使わせていただいたわけですけれども、やはりあの戦争の中で日本の軍隊が中国本土をどんどんどんどん攻め込んでいった、それから東南アジアのいろいろな国に攻め込んでいった、そういう行為を指して侵略的な行為、こういうふうに申し上げておるわけです。

高市委員:
それでは、法的根拠のある過ちということではございませんか。

村山内閣総理大臣:
いや、その法的というのは何法に対してこう言っているのか、よくちょっと理解できないものですからね。

高市委員:
大戦当時は総理も一応若者だったと思うのですけれども、国民として侵略行為への参加の自覚がございましたでしょうか。

村山内閣総理大臣:
私は、一年間兵隊におりました。それで、幸か不幸か、外地に行かずに内地勤務でずっとおったわけです。しかし、あの当時のことを思い起こしますと、私もやはりそういう教育を受けたということもありまして、そして国のために一生懸命頑張ろうというような気持ちで参加をさせていただきました。

高市委員:
つまり、侵略行為への参加という自覚はその当時お持ちじゃなかったということなのですが、総理大臣という地位にある人は、五十年前の政権の決定を断罪し、その決定による戦争を支えた納税者やとうとい命をささげられた人々のしたことを過ちと決める権利があるとお考えでしょうか。

村山内閣総理大臣:
私は、兵役に服して、そして国のために一命をささげて働いてこられたすべての人方に対して誤りだったというようなことは申し上げておりませんよ。しかし、これはまあ歴史がそれぞれ評価する問題点もたくさんあるかと思いますけれども、しかし、当時の日本の軍閥なりそういう指導者のやってきたことについては、これは、今から考えてみますと、やはり大きな誤りを犯したのではないかということを言わざるを得ないと私は思います。

高市委員:
今のように、当時の軍閥ということで侵略行為そのものの責任の所在をある程度明らかにされたわけですけれども、それでしたら、アジアの人々に対してのみならず侵略行為に加担させられた英霊に対し、また軍恩や遺族会の皆様に対しても、この場で謝罪の意を表明していただけませんでしょうか。

村山内閣総理大臣:
ですから、私は慰霊祭にも集会にも参りまして、そして率直に今国の立場と、国の責任と考えていることを申し上げたわけでありまして、私自身がそういう方々にここで謝罪をしなきゃならぬという立場にあるかどうかというのは、もう少し慎重に考えさせてもらいたいと思います。

高市委員:
それにしてはアジアに行かれたとき随分謝罪的な言葉を発せられて、日本国を代表して謝っておられるのかと私は感じていたのですけれども、日本に過ちがあった、過去に過ちがあったと総理がおっしゃいます。その責任は、もちろん過ちがあったとすれば日本国全体が負うものですけれども、国内的にはそれではその責任の所在というのはだれにあるのか、個人名を挙げてお答えいただきたいと思います。

村山内閣総理大臣:
これはだれにあると個人名を一人一人挙げるわけにはまいりませんけれども、当時の、軍国主義と言われた日本の国家における当時の指導者はすべてやっぱりそういう責任があるのではないかというふうに言わなければならぬと思います。

高市委員:
その五十年前の当時の指導者がしたことを過ちと断定して謝られる権利が、現在、五十年後にこの国を預かっておられる村山総理におありだとお考えなのでしょうか。

村山内閣総理大臣:
私は、今日本の国の総理大臣として、総理として日本の国を代表してアジアの国々に行けば、そういうふうに被害を与えた方々に対しては、大変申しわけなかったと、やはりその反省の気持ちをあらわすのは当然ではないかと思うのですよね。それはやはり含めて日本国民全体が反省する問題として私は受けとめて、過ちは繰り返さないようにするというぐらいの決意はしっかり持って、平和を志向していく方向に努力していきたいというような意思もあわせて表明することは、当然ではないかというふうに思っています。

(中略)

高市委員:
とにかく来年終戦五十周年ということで何らかの国会決議がされる動きもあると聞いておりますけれども、これが一方的に謝罪決議、それも国民の合意なき謝罪決議ということでなく、私はむしろ不戦決議、これから戦争をしない、お互いに平和をつくっていこうという平和決議であるべきだと個人的には考えておりますけれども、とにかくあちらこちらに出向かれて謝罪をされる、過ちだと言われる。それでしたら、何が侵略行為であったのか、具体的にはだれに責任の所在があるのか、そして、国民的な議論を代表して、総理が日本国の代表として出ていかれる、そういった下地をぜひ整えていただきたいと思います。私たちの世代にとっても本当に大事な、これは歴史の見直し、大変な課題なんですね。特に戦争を知らない世代でございますから、その責任を非常に強く感じております。歴史的な検証も十分に行った上で決断を下していただきたく思います。

 このように、高市氏は、村山首相(当時)対して、戦後50年にあたっての反省と謝罪に注文を付けているのである。「何が侵略行為であったのか、具体的にはだれに責任の所在があるのか」それを明確にしろというのである。それは戦争を知らない世代である自分にとっては「歴史の見直しという大変な課題」だという立場からの質問である。反省と謝罪を拒否する執念がひしひしと伝わってくる。他方、統治者たる天皇とその「赤子」たる人民の違いを完全に無視する幼稚な論理でもある。これが彼女の正体なのであろう。

1995年3月16日の衆議院外務委員会
 高市氏の当時の所属会派は新進党である。彼女はこの場で栗山尚一駐米大使(当時)の発言が掲載された新聞記事を題材に質問している。答弁者は河野洋平外務大臣である。

高市委員:
三月七日にワシントンDCで栗山駐米大使が記者会見して、国会の謝罪決議に関連して話された記事を新聞で読んだのです。栗山大使は「日本がきちんと第二次世界大戦にいたった歴史を見据え、その反省のうえに立って戦後の日本があることを忘れてはならない。若い世代もこれを知っておかねばならない」と強調し、何らかの形で「反省」を明確に打ち出す必要があるとの考えを明らかにした。」と記事に書かれてあるのですけれども、日本国政府としての考え方は栗山大使のおっしゃった方向だと考えてよろしいでしょうか。

河野外務大臣:
大使の記者会見を私、詳細承知しておりませんので、今それについてコメントをするだけのものを持っておりません。しかし、大使が記者会見で述べる問題につきましても、すべて国を代表して述べているというふうには私ども思ってはおりません。

高市委員:
しかし、先ほど確認させていただきましたとおり、大使というのは国を代表する存在で、それも何かプライベートな会合でお友達に言ったというのじゃなくて、わざわざ記者会見を開いておっしゃったことなんですから、外務大臣として外務省職員の公的な場での発言には責任を持っていただきたいと私は思います。大使が外で記者会見を開いて何を言っても、それは別に国を代表することじゃない、関知しないというお考えになるのでしょうか。

河野外務大臣:
会見のすべてをそうだとは思っていないと申し上げております。
(中略)

高市委員:
栗山大使の発言、…手元にございますのでもう少し紹介させていただきます。
憲法と反省の関係について言っておられることなんですが、「日本国民全体の反省があるから戦後の平和憲法に対する国民の熱心な支持がある。また、新憲法の下で政治的自由、民主主義体制の支持があるのも反省があるからこそ。日本国民は反省をきちんと持ち続けなければならない」と、日本国民全体の反省があると決めつけておられるのですけれども、少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております(強調は大久保)
新聞社の世論調査では、謝罪すべきではないと答えた人が四七%、謝罪すべきだと答えた人が四三%でございまして、まさしく現在国論が謝罪ということについて真っ二つに割れている状態なんですが、このような状態のまま、国会での多数決で、わずかに多い方の意見を日本国民の総意として国際社会に示すことこそが民主主義への冒涜であり、また国民の代弁者たる国会議員の越権行為だと私は考えますので、私自身は、このような歴史の問題というのは国民一人一人の思想や価値観にもかかわることですし、国会決議にはなじまないだろうなと思っているわけですが、民主主義という言葉を記者会見で持ち出した栗山大使自身が民主主義を軽んじているんじゃないか、私は彼の発言を新聞記事で読んでそう思ったのですけれども、大臣自身はこの問題についてどうお考えでしょうか、御見解をお聞かせください。

河野外務大臣:私は議員と全く見解を異にいたします。

高市委員:どのように違うんでしょうか。

河野外務大臣:
過去の戦争について全く反省もしない、謝罪をする意味がないという議員の御発言には私は見解を異にすると申し上げました(強調は大久保)。

 当時、高市氏は新進党所属で野党である。政権与党は自民党、社会党、さきがけであった。彼女はここでもネチネチと質問をしている。日本国として反省や謝罪などはしてはならないという牢固としたと執念がそこにある。そして、それを頼もしく感ずる勢力が間違いなく存在するのである。
 ちなみに、高市氏の初当選は1993年である。所属は新進党である。その後、新進党 → 保守党 → 保守クラブ → 新党改革と保守系の小政党を経て2002年に自民党に合流している。

まとめ
 高市氏は栗山大使の発言は、「日本国民全体の反省がある」という決めつけであり「私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもない。」と断言しているのである。ワイツゼッカーと対局の姿勢である。私はここに彼女の危険性を見ている。
 そして、河野洋平外務大臣(自民党総裁)は高市氏の質問に対して「私は見解を異にする」と正面から反論していた。この河野氏の評価はどこに消えたのだろうか。雲散霧消してしまったのであろうか。高市氏がその歴史認識を変えたという話は聞かない。自民党は河野氏の見解を放棄し、高市色に染められたのであろう。私はここに自民党の堕落を見ている。
 今、この国は「新憲法」の価値など眼中にない「戦争を知らない」ので戦争について「反省するいわれもない」と確信する政治家が首相になろうとしているのである。高市氏を恐れる必要はないけれど侮ってもならないであろう。私たちは心して対処しなければならない。(2025年10月5日記)

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2025.10.6

「世界終末時計、あと89秒。私たちは止めることができるか」に参加して

はじめに
 9月27日、シンポジュウム「世界終末時計、あと89秒。私たちは止めることができるか」にパネリストとして参加した。主催はNGO IALRW JAPANだ。IALRWの正式名称はInternational Association of Liberal Religious Womenで、1910年にベルリンで設立され、以来、世界中のリベラルな宗教家の女性たちを結びつけてきた組織だそうだ。その日本委員長の松井ケティさんに誘われたのだ。彼女とは1999年の「ハーグ平和市民会議」以来の友人であれこれの交流がある。私が彼女に日本反核法律家協会の声明の英訳をお願いしたり、私が彼女の依頼で米国のロータリークラブの人に話をしたりしている。私も人類の自滅を避けるために「核兵器も戦争もない世界」を創りたいと思っているので、喜んで参加させてもらった。
 シンポのテーマは「世界終末時計、あと89秒。私たちは止めることができるか」とされているけれど、これは本当に深刻な事態なのだ。この警告をしているのは、核兵器の威力を最もよく知っている米国の科学者たちだ。決してフェイクニュースを流すようないかがわしい人たちではない。その彼らが、1947年以降、世界の終わりに最も近づいていると警告しているのだから、しっかりと耳を傾けなければいけないであろう。

今、国連で語られていること
 そのことで、共有しておきたいことがある。それは、9月26日に開催された「核兵器全面廃絶国際デー」の会合で、国連のグテーレス事務総長が「世界は無自覚なままに、より複雑かつ予測不可能で、より危険な核軍拡競争に陥っている。」と警鐘を鳴らしていることと田中聰司日本被団協代表理事が「核を持つ国の戦争を止められず、第3次世界大戦の感があります。核兵器が使われるリスクは極限に達しました。核兵器禁止条約ができたものの、核軍拡競争は止まりません。人類は全滅の瀬戸際です。被爆者が10年経ったらいなくなると、若者たちからしばしば心配されます。その度に私は答えます。『被爆者の余命を心配する前に、自分たちの命の方が短いことを心配しよう』と。人類最後の日までの時間を示す終末時計は89秒しかなくなったのです。」と「被爆者からのメッセージ」を述べていることだ(『赤旗』9月28日付)。グテーレス氏は世界の情勢をもっとも良く知る立場にあるし、日本被団協は核のタブーを形成し「核兵器も戦争もない世界」を創ることを提案している人たちだ。このシンボは、今、国連で語られていることと共鳴しているのである。
 
シンポの内容
 パネリストは私とICANの川崎哲さん、ヒロシマ宗教平和センター理事長で被爆2世の上田知子さん。松井さんがモデレーターを務めた。核戦争や気候変動などによる人類絶滅の危機まであと89秒と言われているけれど、それを止めることができるのか、パネリストの話を聞くだけではなく、自分に何ができるのかを考えようということもテーマとされていた。講師の話を聞くだけではなく、自分事として考えようというのだ。大切な視点だと思う。 
 私は「原爆裁判」を題材に、原爆投下の国際法違反、被爆者支援についての「政治の貧困」、戦争のない世界は「全人類の希望」でありそれは9条が想定しているという話をさせてもらった。結論は「核兵器も戦争もなくすことはできる。それは人間が作ったものであり、人間の営みだからだ。」である。
 川崎さんは「核兵器全面廃絶国際デー」を期して、核兵器禁止条約の署名・批准・加盟国が99か国になり。条約加盟資格のある197か国の半数を超えたことを報告していた。最新のニュースだ。中央アジアのキルギスが署名して署名国が95、西アフリカのガーナが批准したので批准国は74、加盟した国が4カ国あるので、条約に参加している国家は99になったのである。
上田さんは広島平和文化センター被爆体験伝承者としての活動などを生き生きと報告していた。こういう機会は初めてなのでなどと言っていたけれど、やはり、被爆者と直接かかわる運動をしている方の報告は心に響く。
 このシンポでは、話を聞くだけではなく、参加者(約70名)同士がグループに分かれて自分たちに何ができるのか話し合うということも行われた。私が参加したグループでは「弁護士さんの話は難しかったけど、自分も何かしなければならないことはわかった。何から始めればいいのか。」という話が出ていた。私は、川崎さんが「核兵器廃絶日本キャンペーン」のチラシを持ち込んでいたので「まず、このキャンペーンに参加することはどうでしょうか。」と勧めておいた。参加者の主体性を尊重するイベントはこういう形で実を結ぶのであろう。

三つのエピソード
 シンポ終了後、『朝日新聞』がエマニエル・トッドを日本に呼ぶようだけれど心配だという研究者と話をする機会があった。彼女は、核保有を言い立てる政治勢力が国会で議席を占めるような状況の中で、日本に核武装を勧めるトッドを呼ぶことを憂慮していたのだ。私は『朝日』のその企画は知らなかったけれど彼女の憂慮には共感した。そして、うれしかった。私は核武装を口にする人間を「死神のパシリ」とみなしているからだ。私は拙著『「核兵器廃絶」と憲法9条』(日本評論社、2023年)でトッドの『第三次世界大戦はもう始まっている』(文春新書、2022年)を取り上げて、トッドの「日本への核武装のお勧め」を拒否しておいた。その結びは「私は、ある人の知性の有無やその程度については、その人物の核兵器についての認識で計測することにしている。私は、彼を「現代最高の知性」などと持ち上げることに同意できない。」である。私は、当日持ち込んでいた同書を彼女に購入してもらった。

 もう一つ紹介しておきたいのは、シンポの全体の進行役をしていた博士課程に学ぶ女性からこんなメールをもらったことだ。「大久保様の講演を通じて、核兵器廃絶に至らない日本が抱える矛盾がはっきりと示され、法律に関して全くの無知である私でさえも、心にスッと入ってくる内容ばかりで、大変貴重な学びとなりました。…本日得た学びを今後の研究に活かしていく所存でございます」。こういうメールは本当にうれしいものだ。自分が話したことがきちんと伝わっていることを確認できるからだ。

 三つめは、松井さんの学生二人と栗の入ったモンブランを食べながらおしゃべりをしたことだ。私は彼女たちの祖父母と同世代である。二人とも真剣に考えていた。勉強が好きとも言っていた。学生時代の問題意識や勉強を活かす場所がないということも話題になった。核兵器や戦争をなくすなどという問題意識を持っていても、会社勤めをしてしまうと、どうにも活かす方法はないのだ。私の近くには、その問題意識を持ちながら、起業する若者もいるけれど、それを多くの人に求めることはできないであろう。何ともじれったい課題である。

 今回のシンポに参加して、核兵器も戦争もない世界を創る営みは、色々な形があるのだと改めて感じた。誘ってくれた松井さんとシンポを運営していただいた皆さんに心から感謝したい。(2025年9月29日記)
 

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2025.9.18

さいたま・常泉寺「広島・長崎の火」を永遠に灯す会のこと

 さいたま市見沼区に常泉寺という曹洞宗の寺がある。この寺に「広島・長崎の火」モニュメントが建立されている。「広島・長崎の火」とは、広島の焼け跡でくすぶっていた「広島の火」と長崎の原爆瓦から採火された「長崎の火」とが合わされたものだ。1988年に、埼玉県で合火されたこの火は、常泉寺の小山元一住職が灯し続け、1995年には、第1回目の「『広島と長崎の火』を囲むつどい」が開催され、2007年にモニュメントが完成している。そして、今年で31回目を迎えているのだ。この「囲むつどい」は、「さいたま・常泉寺『広島・長崎の火』を永遠に灯す会」が主催し、この火を永遠に灯して、核兵器と戦争をなくす被爆者と日本国民の願いを語り広げるための催しとして定着している。私は、9月7日に開催された今年の「囲むつどい」に講師として参加したのだ。テーマは、「核兵器も戦争もない世界を創るために」-「原爆裁判」を現代に活かす-だ。

 ところで、私もその建立に賛同して寄付をしていたので名前が石碑に刻まれている。また、2002年には「常泉寺に『広島・長崎の火』を永遠に灯す会」総会で「核兵器をめぐる情勢と日本国憲法」と題する講演をしている。これらのことは、会の中心メンバーである原富悟・まり子さん夫妻に教えられるまで、すっかり忘れていたことだった。
 2002年にどんな話をしたかは全く覚えていない。多分、そのテーマからして核兵器廃絶と9条の話をしたのであろう。けれども、当時は、核兵器禁止条約は話題になっていなかった。国際司法裁判所の勧告的意見は既に出ていたし、コスタリカとマレーシア政府から国連にモデル核兵器条約が提案されていたけれど、現在のような核兵器禁止条約の提案は、誰からも行われていなかったのだ。それが行われるのは、2002年から10年以上も経ってからの、いわゆる「人道的アプローチ」ということになる。そして、核兵器禁止条約は、2017年7月に採択され、現在では、94か国が署名し、73か国が批准する多国間条約として発効している。核兵器の開発、実験、保有、移転、配備、使用するとの威嚇、使用などはすべて違法とされ、その廃絶が展望されているのである。まさに「隔世の感」と言えよう。
 私は、講演で、今、世界では、むき出しの暴力が横行しているし、核兵器使用の危険性もかつてなく高まっている。世界は大きな分岐点にあるなどと情勢も語ったけれど、この核兵器禁止条約の経緯を踏まえて、反核平和勢力は、決して、核兵器に依存する戦争勢力にやられっぱなしではないのだと力説した。 

 9月8日付『赤旗』はこんな記事を掲載している。日本反核法律家協会会長大久保賢一弁護士が講演。広島・長崎への原爆投下は国際法違反とした「原爆裁判」の判決について解説し、被爆者への支援に怠惰な「政治の貧困」嘆くなど、勇気ある判決だと述べました。2002年の「灯す会」のつどいでも講演し、「その時は核兵器禁止条約ができるなどとは思っていなかった」と話した大久保氏。「この80年間、核兵器は使用されなかったし、日本は海外で戦争をしていない。私たちが持っている憲法9条と核兵器禁止条約を生かしていくことが求められていると語りました。

 9月10日付『毎日新聞』埼玉欄はつぎのような記事を掲載している。さいたま市見沼区の常泉寺で、核兵器の廃絶と平和を願う「『広島・長崎の火』を囲むつどい」が開かれた。約90人の参加者が境内に灯る「広島・長崎の火」のモニュメントに献花し、手を合わせた。…「さいたま・常泉寺に『広島・長崎の火』を永遠に灯す会」が95年から開き、被爆80年の今年は31回目。原冨悟会長は、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞などを挙げ「核兵器廃絶の世論は着実に高まっている。つどいが明日を切り開く一助になれば」とあいさつした。また、日本反核法律家協会会長の大久保賢一弁護士が、日本初の女性判事となった三淵嘉子さんをモデルにしたNHKの連続テレビ小説「虎に翼」に描かれ、原爆投下を国際法違反と断じた「原爆裁判」をテーマに講演し、その精神を現代に生かそうと訴えた。

 このつどいには、広島と長崎の市長だけではなく、埼玉県知事やさいたま市長もメッセージを寄せている。常泉寺の副住職が来賓あいさつをしていたし、地域の親子連れや埼玉合唱団の歌もあった。私の心に残ったのは、原水禁大会に参加した人が、長崎の川から汲んできた水を、原爆投下の焼け野原に一番に芽を出し花を咲かせた「復活の花」といわれる夾竹桃の葉に浸して原爆瓦にかける献水式だ。水を求めて亡くなっていった被爆者に水を献ずる儀式なのだ。原富悟さんの発案だという。
 全国各地にこのような粘り強い運動があるのではないだろうか。様々な地道な行動の継続こそが「核兵器も戦争もない世界を創るため」の最も必要な運動なのだと改めて確認した一日だった。主催者の皆さんありがとうございました。(2025年9月11日記)

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2025.9.8

「原爆裁判〜被爆者と弁護士たちの闘い〜」の評価

「今夏屈指の労作」との評価
 8月21日付『赤旗』の「波動」欄で、メディア文化評論家の碓井弘義さんが、8月8日に放映されたBSスペシャル「原爆裁判〜被爆者と弁護士たちの闘い〜」について、「注目すべき一本だった」、「被爆体験と司法闘争の歴史を丁寧に掘り下げていた」、「被爆80年の夏、改めて原爆裁判の意義と精神を再認識すべきであることを、この番組は静かに主張していた。」と書いていた。すごくうれしいと思っていたら、8月28日付『赤旗』の「波動」欄は、この番組を「2025年『8月のジャーナリズム』屈指の労作」と評価していた。これはまた凄いことになったと欣喜雀躍の気分に襲われている。「放送を語る会」の小滝一志さんの記事だ。少し長くなるけれどその記事の要旨を紹介する。

記事の要旨 (()内は大久保の注)
 番組は裁判を起こした岡本尚一弁護士の訴状を手掛かりに原告五人の遺族を探し、その一人 川島登智子の遺族 時田百合子さん親子が母親の原爆裁判にかけた思いをたどる旅を軸に展開される。 
 番組の冒頭、岡本が原爆裁判を開始するまでの動機と経緯を孫・村田佳子さんが保管している資料から掘り起こす。「トルーマンをアメリカの裁判所の法廷に訴えようとしていた」という岡本の原爆投下への強い怒りが動機だった。
 原告川島の妹 詔子さんが健在だった。時田さん親子が訪ね、登智子がなぜ家族にも原告だったことを頑なに語らなかったかが次第に明らかにされる。
 判決は「原爆投下は、当時の国際法から見て違法だった」と断ずる画期的なものだった。「本訴訟を見るにつけ政治の貧困を嘆かずにはいられない」と書き込んだ古関裁判長にインタビューした平岡敬さんなどの証言により、裁判長の心情や判決文作成の苦労が窺える。
 番組の後半は判決の国際的評価とその後の世界への影響の検証だ。判決を英訳した米国の国際法学者(リチャード・フォーク)は「僕に力があれば、岡本にノーベル平和賞を授与した」と高く評価した。
 岡本弁護士を引き継いだ松井康浩弁護士は、94年に日本反核法律家協会を結成、核兵器の違法性を認めさせる「世界法廷運動」のきっかけを作った。
 2017年に核兵器禁止条約は採択された。大久保賢一日本反核法律家協会5代目会長(記事は4代目としているけれど正確には5代目)の「原爆裁判が蒔いた種がしっかり実を結んでいる」とのコメントが強く印象に残る。
 唯一の被爆国日本政府が核兵器禁止条約に背を向けている今、番組は60年前の原爆裁判にスポットを当て、その今日的意義を明らかにした。2025年「8月のジャーナリズム」屈指の労作と思う。

私の感想
 この番組の企画段階からかかわっていた私としては、このような評価をしてもらえることは本当にうれしい。この番組のチーフプロデューサーの塩田純さんやディレクターの金本麻理子さんは、昨年から、「原爆裁判」にかかわった原告や弁護士たちのその後を追跡する企画を考えていた。企画が通るかどうかは本当に狭き門なのだそうだ。金本さんから、その企画が通ったという喜びの連絡が入ったのは、今年の2月だった。
 その後、私は、インタビューを受けたり、講演会での取材に応じたり、番組の内容にアドバイスをするなどのかかわりを持ってきた。番組が完成したのは8月に入ってからで、放送は8月8日だった。私も、ドキドキしながら見ていたけれど、川島登智子さんの娘さんの時田百合子(72歳)さんとお孫さんの時田昌幸(35歳)さんの行動を縦軸としながら、原告の遺族、岡本弁護士のお孫さん、弁護士や裁判官や学者やジャーナリストたちを絡ませながら「原爆裁判」とは何かを浮かび上がられる番組に仕上げられていた。特にすごいと思ったのは、リチャード・フォークだけではなく、核抑止論者の米国出身のICJ裁判官や核兵器の使用や威嚇を絶対的違法としたウィラマントリーICJ判事の教え子にまでインタビューしていたことだ。番組を企画し製作した方たちの力量に改めて感服したものだった。

まとめ
 この番組を見た感想を何人かから聞いている。共通するのは、川島さんの遺族である時田さん親子が、登智子さんが原告になっていることを知らなかっただけではなく、被爆者のたたかいなどとは縁がなかったけれど、この番組の中で、すこしずつ変わっていき、最後は、埼玉の被爆者の慰霊祭で挨拶するようになっていることに対する共感だった。まさに、この番組はヒューマンドキュメンタリーになっていたのだ。その親子の取材を続けていた金本さんも二人が変わっていく様子がよくわかったと述懐していた。番組作りは成功していたのだ。
 ところで、金本さんは、放送されなかったけれど、多くの遺族と接して多くの貴重な証言を得ているという。けれども、取材した材料全部を60分の番組におさめることなどできないので、割愛しなければならない事実が多く残ってしまうそうだ。何とももったいないことだと思う。私は、「原爆裁判全資料集」も出版されていることでもあるので、これらの証言を埋もれさせない方法を考えたいと思っている。裁判資料と当事者たちのその後を将来に活かしたいのだ。そうすれば、さらに「原爆裁判」を活用できるように思うからである。
 この番組の英語版もできている。この番組は「核兵器も戦争もない世界」を創るための資料の一つとして役に立つことは間違いない。原爆という究極の暴力に、法という理性をもって立ち向かった人間たちがいたことを知ることになるからである。だから、世界中の人に視てもらいたいと思う。そして、NHKには地上波での深夜・早朝ではない時間帯での再放送をお願いしたい。せっかくの番組を活用しないことはもったいないからである。(2025年9月2日記)

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2025.9.2

反核医師の会のつどいに参加して

はじめに
 8月30日と31日、核戦争に反対する医師の会(反核医師の会)のつどい(第35回)が開催された。テーマは「被爆80年 反核平和運動・被爆者支援・被爆医療の歴史を学び継承しよう!」である。私は、30日に、学習講演の講師として参加した。私のテーマは「『原爆裁判』を現代に活かす」で、「核兵器も戦争もない世界を創ろう」とする呼びかけを行った。
 30日には、「被爆80年 反核平和運動・被爆者支援・被爆医療の歴史を学び継承しよう!」をテーマとするシンボも行われた。被団協の田中熙巳さん、被爆医療に詳しい斎藤紀さん、若い医師である河野絵理子さん、医学生の松久凌太さんがパネリストで、反核医師の会の向山新代表世話人がコーディネーターを務めていた。田中さんと斎藤さんの話を聞いて、若い二人が感想を述べたり質問するという形で進行していた。若い二人は自身の祖父の世代の田中さんや斎藤さんが永年被爆者運動にかかわり続ける源に興味が向いているようだった。私からすると、孫の世代の二人が核問題に興味を持つこと自体がうれしいことだった。二人は、核兵器が実際に使われる危険が迫っていることや大日本帝国の加害の歴史を知ったことによって、核と戦争の問題に関心を持つようになったとのことだった。

原爆症認定裁判のこと
 私の印象に残ったのは、斎藤さんの「原爆症認定裁判」に関わる報告だった。斎藤さんは、被爆者が政府を被告として集団提訴した「原爆症認定裁判」において、政府との医学論争の最前線に立っていた一人である。
 この訴訟について少し解説しておく。
 ここの裁判は、原告の罹患している疾病の原爆放射線起因性が争われた事案である。被爆者307人が原告となり、2003年に全国15地裁に係属した。判決の多くが原告勝訴となり、国の認定基準の妥当性が問われた。2009年8月6日、被爆者と政府(麻生太郎首相)との間に「確認書」が取り交わされた。その主な内容は、ⅰ)一審で勝訴した原告を原爆症と認定。ⅱ)原告の救済のための基金を設立。ⅲ)厚生労働省と原告団が定期協議の場を設ける。ⅳ)今後、訴訟に頼らず認定制度を改善していく。この合意により、原爆症認定制度の見直しが進み、認定率がわずかに改善されたけれど、依然として認定されない被爆者も多く、課題は残されている。「黒い雨訴訟」や「被爆体験者訴訟」などである。

「原爆裁判」と「原爆症認定裁判」
 ところで、斎藤さんの報告ではこの裁判も「原爆裁判」とされていた。確かに「原爆投下に起因する裁判」ということでは共通性もある。けれども、米国の原爆投下を国際法に違反するとして提訴した「原爆裁判」とこれらの裁判は争われているポイントは異なるので、「原爆裁判」という用語で一括することは避けておいた方がいいと思う。
 それはそうであるとしても、「原爆症認認定裁判」において、被爆者・弁護士・医師、自然科学者が協力して、勝訴判決を積み上げ、政府を交渉の場に立たせるという大きな成果を勝ち得たことは特筆に値するであろう。「受忍論」にしがみつく政府の態度を変えさせることは容易ではないからである。斎藤報告は「原爆症認定裁判」の意義を再確認する機会であった。

若い二人からの質問
 私は懇親会にも参加した。その場で河野さんと松久さんから質問を受けた。河野さんからの質問は、私が「原爆裁判」判決を書いた裁判官たちは勇気があると言っていたけれど、今の裁判所には期待できないとも言っていた。なぜ期待できないのか、ということだった。私は「裁判官の劣化だと思う」と答えた。例えば、原発関連裁判で国の責任を認めようとしない裁判官たちがいるからだ。「政治の貧困」に抵抗する裁判官が少ないのだ。
 そして、「百歩前を行けば狂人。五十歩前だと犠牲者。一歩前を行けば成功者。一緒に行くのはただの人。一歩下がれば落ちこぼれ、と言われるけれど、あなたは何歩前を行くつもりなのか。」と彼女に訊いた。彼女はためらうことなく「百歩」と答えた。私はその言葉の中に、彼女の揺るがぬ決意を見ていた。あわせて、幣原喜重郎とマッカーサーとが、1946年1月、非軍事の日本国憲法を想定した際に「私たちは百年後には予言者と言われるでしょう。」と語り合ったというエピソードを思い出していた。百年単位で物事を考えることは大切なことなのだ。

松久さんの質問
 松久さんは医学部5年生だ。再来年、国家試験だと言っていた。反核医師の会には「学生部」があり30人くらいが結集しているという。彼はその中の一人なのだ。彼の質問は中国や北朝鮮が攻めてくるかもしれないので「核の傘」は必要だという人と、どのように会話したらいいのだろうということだった。医学生の中にもそういう人がいるという。政府や与党だけではなく、マスコミや一部の野党も言っていることなのだから、別に不思議なことではない。
 私はこんな風に応えておいた。まず、頭から否定しないで、丁寧に話を聞いてみよう。医者は、患者が何を訴えたいのか、何が不安なのかを聞くことから始めるでしょう。その人の主訴を聞かないことには手の打ちようがないでしょう。そして、なぜ、そういう風に考えるのかを聞いてみましょう。患者の病歴や家庭環境を知ることは基本でしょう。そのうえで、不安を解消するための方策を一緒に考えるということではないでしょうか。
 その場の思い付きで答えたことではあるけれど、本当にそう思っているのだ。弁護士稼業も似たようなことをしているからだ。私たちの仕事も、まず、本人の主張を聞くことから始まるのだ。

三大プロフェッション
 世に、三大プロフェッションといわれる仕事がある。聖職者、医者、弁護士だ。いずれも、人の死亡、病気やけが、もめ事を生業とする商売だ。そんなことは本来無償で行われるべきであろうけれど、そうはなっていない。だったら、遺族や患者や依頼者の話を丁寧に聞くことは最低限の義務だろうと思う。自分の結論を押し付ける前に、その言い分を聞き取ることが必要であろうと思うのだ。異なる意見の持ち主を頭から否定しても何も始まらない。聞いたからと言って、すべてがうまくいくわけではないけれど、聞かなければ違いが残るだけだ。
 医学部5年生だという彼が、どんな医師になっていくは判らないけれど「核兵器も戦争もない世界を創りたい」という気持ちをもって患者や社会とかかわることになれば、きっと、いいドクターになるだろうと思う。
 医者は病気を治すだけではなく、社会を変えていくことも仕事なのだ。弁護士も事件を処理すればいいということではなく、基本的人権の擁護と社会正義の実現も任務なのだ。
 夢を持つ若い諸君と過ごした楽しい時間だった。(2025年9月1日記)

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2025.8.20

豊下楢彦著『「核抑止論」の虚構』を読む

はじめに
 豊下楢彦氏の『「核抑止論」の虚構』(集英社新書、2025年)を読んだ。核兵器も戦争もない世界を創るためには「核抑止論」を克服しなければならないと考えている私からすれば「核抑止論の虚構」と題する本を読みたくなるのは当然のことだ。同書の帯には「核は『ボタン』を握る人間も、その理論も、『狂気』に支配されてきた」、「日本が米国の拡大抑止に安全保障を求め続けるとすれば、現実には、日本の一億人の人々の生命と安全が、トランプ大統領が握る『核の傘』に依存することになる。これが現実とすれば、それは悲劇であり喜劇であり狂気そのものである。日本はいち早く、この狂気の世界から脱却しなければならない。」とある。これは私の「こんな男たちが『核のボタン』を持っている世界に生きていていいのか」という問題意識と強く共鳴している。
 そして、豊下氏は、ゴルバチョフの「新思考外交」と「一方的軍縮」という画期的な提案が、核弾頭の急速な減少と冷戦対決の終焉を迎えたとしながら、日本の進むべき道を次のように示している。
 大きく土台を崩されながらも、ともかく日本は「平和憲法」と「非核三原則」を維持してきた。この日本が世界に向かって緊張緩和と軍縮を訴えるならば、ASEAN諸国やグローバル・サウスの国々をはじめ国際社会から大きな支持を受けるであろう。…日本も大胆な軍縮方針を打ち出すことで、国際世論の支持を結集すべきである。歴史が証明していることは、「抑止力の強化」しか語りえない伝統的な抑止論では危機を突破することができない、ということなのだ(12頁)。
 本書は、このことを論証するために書かれているのである。私は、核兵器に依存するのではなく、日本国憲法がいうように「平和を愛する諸国民の公正と信義」に依存しようと考えている。だから、豊下氏の結論に同意する。
 本書では、私が知っている事実や書籍の記載が多く引用されている。同じ問題意識を持っていても、様々なアプローチがあることを改めて知ることができた。そして、私が知らないこともたくさん書かれている。被爆80年のこの年に本書に出会えたことは、本当にうれしい。

 そこで、ここでは、私が特に印象に残ったことを記しておくことにしたい。それは、「原爆裁判」からの引用と「核の復権」についての記述である。

「原爆裁判」からの引用
 本書は「原爆裁判」の判決文を次のように引用している(200頁)。
人は垂れたる皮膚を襤褸として屍の間を彷徨、号泣し、焦熱地獄の形容を超越して人類史上における従来の想像を絶した凄惨な様相を呈した。
 これは、日本反核法律家協会のHPからの引用である(参照していただいてうれしい)。この部分は裁判所の判断ではなく、原告の主張を整理した部分であるけれど、私もよく引用している。ただし、本書では「襤褸」には「ぼろ」とルビがふってあるけれど、私は「らんる」と読んでいる。いずれにしても、人が自分の皮膚をぼろのように垂れ下げながら、死体の間をさまよっている光景である。
 豊下氏が、この部分を引用しているのは、北朝鮮に対して「実際に核兵器を使用するぞ」という脅しをかけることは、具体的には「人類史上における従来の想像を絶する」壊滅的な破壊を与えるぞと脅迫することを意味する、という文脈においてである。
 豊下氏は、本書第6章「核の復権」とは何か で、2019年に出版された秋山信将・高橋杉雄編著の『「核の忘却」の終わり-核兵器復権の時代』(勁草書房)を紹介している(194頁)。その中で、北朝鮮に対して「核兵器を使用するぞ」との脅迫を加えるだけではなく「発射前の核兵器を撃破するために核の限定使用も選択肢に備える必要がある。」という言説を紹介している(199頁)。核兵器の先制使用の提案である。氏はその言説に対する批判として「原爆裁判」を引用したのである。(なお、この言説を展開しているのは防衛研究所の高橋杉雄氏である。防衛省にはそういう人がいることを記憶しておいてほしい。)

豊下氏の「核の復権」に対する批判
 豊下氏の『「核の忘却」の終わり-核兵器復権の時代』に対する批判の一つに次のような視点がある(200~204頁)。
 「核の忘却の終わり」では、北朝鮮は「いまや東京を含む日本の都市も『火の海』になる可能性がある」と指摘されるほどに「恐るべき脅威」とされている。仮にそうであれば根本的な疑問が生ずる。日本の原発の6割近くは日本海側に立地している。北朝鮮が日本を「火の海」にしたいのであれば、なにも核ミサイルを撃ち込む必要はない。原発を通常兵器で攻撃すればすむ話だ。日本政府は一方で北朝鮮の脅威を煽り、他方では原発の全面稼働に突き進むという支離滅裂の状態に陥っている。この本では、北朝鮮による原発攻撃という「最悪のシナリオ」は想定されていない。それでは「北朝鮮の脅威」は“レトリックの世界”になってしまう。それは、北朝鮮の意図を分析していないからだ。北朝鮮にとっては自国の崩壊を招くような日本攻撃ではなく、日本との国交を樹立し、日本からの賠償を獲得する方が最善の道であろう。
 もちろん、この視点は重要である。秋山氏と高橋氏という政府に影響を与える立場にある人が「支離滅裂」に加担して北朝鮮の脅威を煽り立てるレトリックを座視できないからである。

私の「核の復権」に対する批判
 ところで、私も『「核の忘却」の終わり-核兵器復権の時代』についての論評をしたことがある。『前衛』2020年11月誌上だ(『「核兵器も戦争もない世界」を創る提案』(学習の友社、2021年)に収録)。タイトルは『「核抑止論」の虚妄と危険性-現代日本の「核抑止論」を批判する』である。
 その問題意識は「外交官経験がある秋山信将氏と防衛研究所の高橋杉雄氏が編集している『「核の忘却」の終わり』という本がある。その副題は「核兵器復権の時代」である。「核抑止論」を現代の日本に生かそうという本である。政府の核政策に影響を与える立場にある二人が展開する「核抑止論」を検討することは、私たちの「核抑止論」理解に、反面教師として大いに役立つであろう。」というものであった。
 私の結論は「このように見てくると、「核抑止論」というのは、現実を無視しているだけではなく、そもそも「戦略」などとはいえない、極めて主観的なものであることが確認できる。出来の悪い「神話」、無意味な「神学論争」といえよう。そして、意図的であるかどうかにかかわらず、抑止が破れた場合には、「壊滅的人道上の結末」が待っているのである。「核抑止論」は単に無意味で不毛というだけではなく、虚妄(うそいつわり)にまみれた、危険この上ない無責任な「理論」なのである。にもかかわらず、核抑止論者たちは、現在の日本においても、「核抑止論」の効用を、恥ずかしげもなく、むしろ正しいことのように、言い立てているのである。しかも、その言説は、外務省や防衛省の中で大前提とされているのである。私たちは、彼らの言説の不毛さ、虚妄、危険性を暴露しなければならない。」であった。

豊下氏と私の核抑止論批判の共通性と違い
 私は、本書で展開される核抑止論批判に共感すること大であるし、私も核抑止論批判を展開してきているので、その共通性と違いをAIに訊いてみた。そうしたら、こんな答えが返ってきた。
 両者ともに、核抑止論を「虚構」あるいは「虚妄」として否定し、以下のような共通の批判点を展開しています。ⅰ)非人道性の指摘;核兵器の使用や威嚇は、広島・長崎の被爆体験を踏まえ、非戦闘員を含む無差別大量殺戮であり、国際人道法に違反する。ⅱ)論理的矛盾の指摘;「核兵器のない世界」を掲げながら、核の傘に依存する政策は自己矛盾であると批判。ⅲ)ダブルスタンダードの批判;核保有国が自らの核を正当化しつつ、他国の核を非難する姿勢を「二重基準」として批判。ⅳ)核兵器による安全保障の否定;核兵器は戦争を抑止するどころか、むしろ不安定化を招くと指摘。
 違いは次のように指摘されている。
 批判の焦点、提案する代替案、政治批判の強度などの論点である。豊下氏は、核抑止論の戦略的・歴史的虚構性や狂気を前提とした不安定な安全保障構造を強調。ゴルバチョフの「新思考外交」やロバート・ケネディの「他国の靴を履く」姿勢を提案。核保有国の歴史的構造批判、と整理されている。大久保は、核抑止論の法的・倫理的違法性や国際人道法違反と憲法9条との矛盾の強調。憲法9条の世界化、核兵器禁止条約の推進、非核法の制定などを提案。日本政府・自民党の核政策への直接的批判をしている、と整理されている。
 私の方が政府や自民党への「直接的批判」が強いことが見抜かれているようだ。
 そして、次のように総括されている。
 両者ともに、核抑止論を「安全保障の幻想」として否定し、核兵器廃絶を目指す点では一致しています。しかし、豊下氏は戦略的・歴史的な視点からその虚構性を暴き、大久保氏は法的・倫理的な観点からその違法性と非人道性を強調しています。
 この違いは、核兵器問題をどう捉えるかによってアプローチが変わることを示しており、両者の批判は相互補完的に核抑止論の限界を浮き彫りにしています。
 私は「へー!そうなんだ」と受け止めている。

まとめ
 私は「核兵器も戦争もない世界」を創りたいと思っている。しかも、それは「見果てぬ夢」などではなく「喫緊の課題」だと思っている。そのためには 、それを阻む「核抑止論」を克服しなければならないし、大同団結が必要だと思っている。核抑止論とは人々を核戦争へと駆り立てる「呪いの言葉」である。「汝、平和を欲するならば核兵器に依存せよ」は、私たちの運命を「死神にゆだねよ」というキャッチコピーであることを見抜かなければならない。豊下氏のこの本は「核抑止論の限界」を浮き彫りにする資源に満ちている。
 本書には「『憲法なき戦後』が始まって80年を迎えた日に」という意味不明の言葉もあるし、AIがいうような「相互補完」ができるかどうかはわからないけれど、私なりに「核抑止論の限界」を突破するために引き続き頑張りたいと決意している。(2025年8月17日記)
 

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2025.8.18

湯崎広島県知事の核抑止論批判に寄せて

はじめに
 8月6日の広島平和式典での湯崎英彦広島県知事のあいさつは感動的でした。私のブログを管理している長女は「お父さん。湯崎知事のあいさつについて書かないの?」と聞いてきました。嬉しい注文でした。8月15日の羽鳥慎一モーニングショーに湯崎知事は生出演していました。こういう番組で核抑止論がテーマになることはすごいことです。その理由は湯崎知事のあいさつが核抑止論を正面から批判していたからです。
 核兵器不使用の継続や究極的になくすことに反対する人はいません。石破茂首相も同様です。けれども、石破首相は「我が国の安全保障のためには米国の核の傘が必要だ」としているので「今すぐなくす」とは言いません。中国、北朝鮮、ロシアという核兵器保有国に囲まれているので、米国の核でそういう国の行動を抑止しなければならない。米国の核の傘に依存していれば我が国は安全だけれど、それがなくなると危険だという理屈です。 
 そういう首相の前で、自治体の首長が「核に依存することは間違いだ。違う政策をとるべきだ」と言ったのだから「あっぱれ」でしよう。
 そこで、この小論では、湯崎知事のあいさつを紹介しながら、少しコメントをしてみることにします。

湯崎知事のあいさつ
 湯崎知事のあいさつは「核兵器廃絶という光に向けて這い進む」という表題でした。これは、2017年12月10日に行われたノーベル平和賞授賞式での広島の被爆者サーロー節子さんの「諦めるな。押し続けろ。進み続けろ。光が見えるだろう。そこに向かって這っていけ」に由来するものです。素晴らしいモチーフではないでしょうか。
 以下、あいさつの大要を追いかけてみます。

草木も生えぬと言われた75年からはや5年、被爆から3代目の駅の開業など広島の街は大きく変わり、世界から観光客が押し寄せ、平和と繁栄を謳歌しています。しかし同時に、法と外交を基軸とする国際秩序は様変わりし、剥き出しの暴力が支配する世界へと変わりつつあり、私達は今、この繁栄が如何に脆弱なものであるかを痛感しています。
 
 ここでは、現在の繁栄が脆弱であることが語られています。私も「むき出しの暴力」が振るわれているだけではなく、核兵器使用の威嚇も行われているので、核戦争の危機はかつてなく高まっていると考えています。「法の支配」が忘れられ「力による支配」へと逆戻りしているという湯崎知事の情勢認識に同意します。そして、私は法を万能とは思っていませんが、むき出しの暴力よりはずっとましだと評価しているので、かかる状況を憂いています。
 
 湯崎知事は続けます。

このような世の中だからこそ、核抑止が益々重要だと声高に叫ぶ人達がいます。しかし本当にそうなのでしょうか。確かに、戦争をできるだけ防ぐために抑止の概念は必要かもしれません。一方で、歴史が証明するように、ペロポネソス戦争以来古代ギリシャの昔から、力の均衡による抑止は繰り返し破られてきました。なぜなら、抑止とは、あくまで頭の中で構成された概念又は心理、つまりフィクションであり、万有引力の法則のような普遍の物理的真理ではないからです。
 

 ここでは「力による抑止」は物理法則ではなく、フィクションだと断言されています。まさに、このあいさつの肝の部分です。あいさつではギリシャのことが語られていますが、ローマの将軍は「汝、平和を欲するならば戦争に備えよ」と言っていたそうです。平和を望むなら武力を備えよというのは、そういう時代からの格言なのです。けれども、その格言のようにしてきたけれど、戦争は絶えなかったではないかと湯崎知事は指摘しているのです。「力の均衡による抑止」など意味がないことは歴史が証明しているし、その理由はこのような抑止論は「虚構」だからだというのです。
 私も、核抑止論は相手がどう考えるかは相手が決めることだし、脅かしたからといって相手が必ず引くわけではないし、抑止が破綻した場合には「みんな死んじゃう」のだから、虚妄にまみれた危険この上ない「理論」だと考えているので、この部分を「我が意を得たり」と受け止めています。
 そして、現代の抑止論は「汝、平和を欲するならば、核兵器に依存せよ」ということですから、次のような事態が予測されるのです。

実際、核抑止も80年間無事に守られたわけではなく、核兵器使用手続の意図的な逸脱や核ミサイル発射拒否などにより、破綻寸前だった事例も歴史に記録されています。
国破れて山河あり。かつては抑止が破られ国が荒廃しても、再建の礎は残っていました。国守りて山河なし。


 ここでは、核兵器が実際に使用されそうになった歴史について触れられています。8月15日のモーニングショーでは、1983年の、ソ連の早期警戒衛星が米国から核ミサイルが発射されたとしたが、当直将校がそれは誤作動だと判断して反撃を行わなかったケースと1962年のキューバ危機に際して、ソ連の潜水艦が米国の爆雷攻撃に核兵器で対抗しなかったことが例示されていました。けれども、核兵器が意図的にあるいは事故や誤解で使用されそうになった実例はこれ以外にもたくさんあるのです(拙著『迫りくる核戦争の危機と私たち』あけび書房、2022年で紹介しています)。私は、特に、1962年のキューバ危機の時に、米国戦略空軍司令官が、ケネディ大統領(当時)の指示がないのに、戦闘即応体制を引き上げ「戦争が終わった時、アメリカ人が二人、ロシア人が一人だったら、我が方が勝ちだ」と言っていたというエピソードに恐怖感を抱いています。核兵器が使用されなかったのは、グテーレス国連事務総長がいうように「ラッキーだった」だけなのかもしれないのです。
 
 また、核戦争になれば国家再建の道は閉ざされるでしょう。自国と自国民を守るための核兵器が自国も自国民も滅亡させるという「究極のパラドックス」が現れるのです。核兵器不拡散条約(NPT)の用語でいえば「全人類の滅亡」、核兵器禁止条約(TPNW)の用語では「壊滅的人道上の結末」ということです。そのことについて、湯崎知事は次のように語っています。

もし核による抑止が、歴史が証明するようにいつか破られて核戦争になれば、人類も地球も再生不能な惨禍に見舞われます。概念としての国家は守るが、国土も国民も復興不能な結末が有りうる安全保障に、どんな意味あるのでしょう。

 湯崎知事は、核兵器が使用されれば、人類は「再生不能な惨禍」に見舞われることになる。「修復不能な終末」が起こるかもしれない安全保障は無意味だと言っているのです。湯崎知事は、まさに核兵器による抑止は「人類の自滅への道」だということを述べているのです。そのうえで次のように提言しています。

抑止力とは、武力の均衡のみを指すものではなく、ソフトパワーや外交を含む広い概念であるはずです。…そして、仮に破れても人類が存続可能になるよう、抑止力から核という要素を取り除かなければなりません。核抑止の維持に年間14兆円超が投入されていると言われていますが、その十分の一でも、核のない新たな安全保障のあり方を構築するために頭脳と資源を集中することこそが、今我々が力を入れるべきことです。

 ここでは、戦争を抑止する力としての核兵器を否定して、ソフトパワーや外交の力などの活用が提案されています。核抑止に費やされる巨額の費用を「核のない新たな安全保障」のために使用することも提案されています。使用されれば「修復不能な終末」が訪れ、使用されないとしても巨大なムダ金が費やされる「核抑止」から脱却しなければならないという提案です。きわめて合理的な提案です。そして、次のように結論しています。

核兵器廃絶は決して遠くに見上げる北極星ではありません。被爆で崩壊した瓦礫に挟まれ身動きの取れなくなった被爆者が、暗闇の中、一筋の光に向かって一歩ずつ這い進み、最後は抜け出して生を掴んだように、実現しなければ死も意味し得る、現実的・具体的目標です。“諦めるな。押し続けろ。進み続けろ。光が見えるだろう。そこに向かって這っていけ。”這い出せず、あるいは苦痛の中で命を奪われた数多くの原爆犠牲者の無念を晴らすためにも、我々も決して諦めず、粘り強く、核兵器廃絶という光に向けて這い進み、人類の、地球の生と安全を勝ち取ろうではありませんか。

 湯崎知事は、私たちに、核兵器廃絶は遠くに見上げる「北極星」ではなく「現実的・具体的目標」だとして、粘り強い努力によって、人類と地球の生と安全を勝ち取ろうと呼びかけているのです。核兵器は人間の作ったものですから物理的解体は可能です。そのことは、ピーク時の1986年には7万発ほどあった核弾頭が、現在では1万2千発台になったことからも確認できます。核兵器廃絶は決して「見果てぬ夢」ではないのです。人間の政治的意思の問題なのです。湯崎知事はそのことを言っているのです。根源的な提起なのです。

私の注文
 私は、このように、湯崎知事のあいさつに大きな感動を覚えている一人です。けれども、注文もあります。それは、核兵器に依存しないだけではなく「平和を愛する諸国民の公正と信義」に依存するという対案を示して欲しかったことと、核兵器を全面的に禁止し、その廃絶を展望する核兵器禁止条約に触れて欲しかったということです。
 国際紛争を武力で解決しようとすれば、核兵器は最終兵器ですからなくなりません。それは、1955年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」が指摘するだけではなく、現実の国際政治がそうなっています。だから、1946年に公布された日本国憲法は、核兵器のみならず「一切の戦力」の不保持を規定しているのです。
 そして、核兵器禁止条約は、一切の核兵器使用の危険性から免れるためには核兵器をなくすことだとしています。意図的な使用を避けたとしても、ヒューマンエラーや機械の故障による発射は避けられないのですから、それは論理的必然です。間違わない人間はいないし、壊れない機械がないことは誰でも知っていることです。
 湯崎知事のあいさつを少しだけ敷衍すれば、最高法規である憲法やすでに発効している核兵器禁止条約への言及は、ごく自然に導けるのではないでしょうか。だから、私は、湯崎知事にこのような注文をするのです。

まとめ
 最後に、湯崎知事と私の核抑止に関する共通性と違いについてのAIによる分析を紹介しておきます。
 共通性は、核抑止論への根本的否定、人類の存続への危機感、核兵器廃絶の必要性などとされています。湯崎知事は「核戦争になれば人類も地球も再生不能」、大久保弁護士は「核兵器で人類が自滅することのないように」と強調していると分析されています。
 違いとしては、アプローチ、立場、表現方法などがあげられています。湯崎氏は、地方自治体の首長としての発信、表現方法は詩的・比喩的(例:「国守りて山河なし」)。大久保氏は、弁護士の立場、法律家・市民運動家としての提言、法的・論理的(憲法9条との関係、裁判例の紹介)などとされています。
 AIは「どちらも『核抑止論は幻想であり、現実的な安全保障にはなり得ない』という点では一致していますが、湯崎氏は政治的・象徴的なメッセージを、そして大久保氏は法的・構造的な批判を展開しています。」と結論しています。
 
 なかなか興味深い分析だとは思いますが、それはそれとして、湯崎知事のあいさつは、核抑止論を乗り越え、人類が自滅することがないように、核兵器も戦争もない世界を求める私たちに、大きな勇気を与えてくれるものでした。私は、この湯崎知事のあいさつを糧にして、引き続き頑張ろうと決意を新たにしています。(2025年8月15日記)

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2025.8.11

日本テレビと「原爆裁判」

日本テレビの取材
 先日、日本テレビから取材を受けた。日本テレビからの取材は初めてだった。「原爆裁判」のことで話を聞きたいという。「どういう経緯ですか」と聞いたら、高桑昭さんの話と私の話を聞いてみたいと昨年から考えていたということだった。それならもっと早く来ればいいのにと思ったけれど、取材を断る理由はない。ディレクターやカメラマンたち4名に、3時間ほどあれこれ話をさせてもらった。
 若い担当者は事前に質問を用意していたけれど、まだまだ不慣れだった。少し年上の人は、部屋にある12時前で止まっている時計を見て「あれは終末時計に合わせてあるのですか。」と訊いてきた。その時計は、単に電池切れで止まっていただけなのだけれど、89秒前と言われれば、そう見えるのだ。私は「そういうことではない」と否定しながらも、彼の感性に共感していた。彼は、取材の翌日、「私たち報道に携わる者も、もっと『原爆裁判』のことを知らなければと思いました。」とメールをくれた。そんな気持ちで番組を作ってくれたのだ。

日本テレビの番組
 日本テレビは、高桑さんと私を取材して、『【戦後80年】“核兵器は国際法違反”…核廃絶や被爆者救済に光明をもたらした「原爆裁判」判決に、いま再び光』と『“核は国際法違反”指摘の裁判官・高桑昭さん死去 核保有論もくすぶる戦後80年 最後の取材に寄せた言葉』という二つの番組を制作した。前者は8月1日に放送され、YouTubeに残っている。後者は8月8日にヤフーニュースで配信されている。両方とも、今も、視聴することはできる。両方とも、核兵器使用の危険性が高まっていることを指摘しながら、「原爆裁判」の内容と現代的意義を伝えている。例えば、こんな調子だ。

 ウクライナを侵攻したロシアは、核の脅しを繰り返す。トランプ大統領は今年6月、イランの核施設を攻撃した際、「(イラン核施設への)あの攻撃が戦争を終わらせた。広島や長崎の例を使いたくないが、戦争を終わらせたということでは本質的に同じだ」と、広島や長崎への原爆投下を引き合いに出して、攻撃を正当化した。
 国内でも、初当選を果たした参政党の塩入清香参院議員が、選挙期間中に核保有を容認するかのような発言をして、物議を醸している。
 東京地裁は1963年の判決で、「個人に国際法上損害賠償請求権が認められた例はない」などとして、原告の賠償請求そのものについては棄却した。だが同時に、原爆投下について「放射線の影響により18年後の現在においてすら、生命をおびやかされている者のあることは、まことに悲しむべき現実」と指摘し、「不必要な苦痛を与えてはならないという戦争法の基本原則に違反している」とした。

 そして、私の次のようなコメントも紹介している。
 裁判の資料を継承し、その意義を伝える日本反核法律家協会会長の大久保賢一弁護士は「核兵器が国際法に違反すると断言した、世界初の判決」と評価する。判決のなかには、核兵器という究極的な暴力に理性で立ち向かう方法はないのか、法は無力で良いのかという問いかけが含まれていると、大久保さんは考えている。

 正確には「核兵器が国際法に違反する」ではなく、「原爆投下が国際法に違反する」という判決なのだけれど、その判決の価値と論理を継承する核兵器禁止条約は「核兵器を違法」として、その廃絶を展望しているのだから、訂正しなければならないような間違いではないであろう。このような間違いは「大久保さんによると、判決は、国際法による兵器の禁止や、被爆者救済運動の広がりなどの足がかりになったという。」として、「核兵器の禁止」を「兵器の禁止」としていることにもある。この間違いも、判決は「戦争をなくすことは人類共通の希望」としているのだから、許容しておきたいと思う。

高桑昭さんのこと
 ところで、もっとも強調されているのは「原爆裁判」判決に直接かかわった高桑昭さんの当時の心構えと現在の心境についてだ。高桑さんは、番組の取材時、家族を通じて対応することはできたようで、8月1日の放送時にはそのことが紹介されている。けれども、高桑さんは8月3日に永眠されたのだ。88歳だった。私は、生前にお会いしておきたかったと悔やんでいる。日本テレビは高桑さんについてこんな紹介をしている。

 今の社会の現状をどう見ているのか。7月末、亡くなる直前の高桑さんに取材すると、「時が経ち、人々の感覚が狂ってきたのであろう。時勢の変化で致し方ないのだろう」というコメントが返ってきた。核兵器が国際法違反だと断じた原爆裁判。その裁判官が核保有論もくすぶる今の日本を、なぜ「致し方ない」とするのか。家族が真意を尋ねると、高桑さんは「情けないと思っている」と悔しさをにじませた。生前、高桑さんは「8月6日は嫌だ」とよく漏らしていたという。終戦の日の15日までは、テレビや新聞などとも距離をおいた。自身が関わった裁判で原爆の悲惨さを思ったのかもしれない。だが、それと同時に、自分自身の戦争体験と結びつき、何かしらの忌まわしさの感覚があったのだろうと、家族は考えている。
 
 私は、高桑さんの「時が経ち、人々の感覚が狂ってきたのであろう。時勢の変化で致し方ないのだろう」というコメントについて、8月1日の放送の中で「核兵器禁止条約はできている。高桑さんのまいた種は大きくなっていますよ」とコメントしておいた。核兵器禁止条約は核兵器を違法とする「法的枠組み」だからだ。高桑さんが起案した「原爆裁判」は、間違いなく現代に生きているのである。私のこのコメントについて吉村清人弁護士はFaceBookで次のように書いている。
 この大久保先生の言葉は、逝去される直前に、時世の変化を嘆いていた高桑さんにとって、原爆裁判の判決裁判官としての高桑さんの業績に対する、永訣の最高の讃辞になったのではないだろうか。この讃辞が、8月1日の放送により、生前の高桑さんに届いたことを、私は信じる。
 私は吉村さんの情報収集力とその感性に敬服する。

記事への反応
 YouTubeやYahooニュースで人の目に触れると、いろいろなコメントが寄せられることになる。少し紹介しておく。

核を持たないことが本当に弱いことか。戦争を放棄することが本当に弱いことか。人を殺すことに正義はあるのか。攻撃だけが強さなのか。この判決は世界中を揺るがせた大きな判決だ。今年の広島県知事のスピーチを聞いてみて欲しい。強さとは何か考えて欲しい。

核をもつことで抑止力になると思っている人、安上がりだと思っている人こそ完全な平和ボケ。日本を守るどころか、経済的にも武力的にも日本を破滅させる超愚策。

まずこのタイトルが誤解を招きます。違法とされたのは「原爆の使用」であって核兵器自体は国際法違反ではありません。違反だったら核保有国が国連で違法性を問われているでしょ?また感情的に核はダメ。と核を絶対悪として議論してこなかった結果、安易な核武装論が出てしまったと思いますよ?核兵器を『兵器』として認識するためにも、絶対悪とはせずに議論はするべきだと思いますよ?兵器として知りもしないで廃絶なんて出来るわけがない。

今や国際法なんて空手形ですからね。今は宣戦布告などしないし、空爆によって一般人を攻撃しているし、ハマスなどは軍服を着ないで軍事活動を行なっている。全部国際法違反。国際法は紳士協定みたいなものなので、力のある国が国際法を破っても、それを裁くことが出来ない。せいぜい、公式に批判糾弾するくらい。

核は国際法違反…だからどうしたの?

強制力を持たない法律なんて机上の空論…国際法でプーチンでもネタニヤフでも逮捕できてから言って欲しいんだけど。

戦勝国が正義という理屈で成り立っている世界で、敗戦国の裁判所が下した判決が何らかの影響を与えることができるのだろうか…「核兵器廃絶」という夢想の中で。

 それぞれに「共感した」とか「なるほど」とか「うーん」とかの反応も示されている。

 何とも活発に意見が出されているのだ。共感できる意見もあるし、批判したい意見もある。日本テレビが作成したニュースは、このように波紋を起こしているのだ。

とてもいいことだと思う。核兵器問題は、すべての人にかかわりがあるのだから、大いに議論しなければならないのだ。このような反響を引き起こしている日本テレビに感謝したい。(2025年8月10日記)

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2025.8.4

参政党の何が問題なのか

参政党が躍進した
 今回の参議院選挙の結果について、あなたはどう感じていますか。私は、自公が参議院でも過半数を割ったことはいいことだけれど、手放しでは喜べないと思っています。なぜなら、参政党が大きく議席を増やし、他方で、日本共産党が得票数も得票率も議席も大きく減らしているからです。自公が少数になったとしても、参政党のような政党が増えることは、今後の日本社会にとって、むしろ危険だと思えてならないのです。加えて、共産党のような、現在の政治状況にきちんと向き合い、科学的な分析と説得的な政策を提示する政党が衰退するということは、二重の意味で危険な兆候だと思うからです。
 そこで、参政党の危険性はどこにあるのかについて考えてみることにします。ただし、自民党衰退の原因を作った旧安倍派の諸君が石破首相に退陣を迫ったり、高市早苗氏のような極右よりましだということで「石破辞めるな」のデモも行われていますが、ここではそのことには触れません。また、一人区での共闘が功を奏していることにも触れません。
 そして、共産党がなぜ減少したのかについても触れないことにします。私は、伊藤岳さんの当選と共産党の躍進を願って行動したけれど、共産党全体の選挙方針について知りうる立場にないからです。共産党は、党内外の意見を踏まえて、その原因を探求するとしているので、その結果に期待することにしています。
 まず、参政党の基本的スタンスを確認しましょう。

参政党の主張
 参政党は次のようなことを言っています。

 今のままの政治では日本が日本ではなくなってしまう。参政党はそんな危機感から有志が集まり、ゼロからつくった国政政党です。私たちには特定の支援団体も資金源もありません。同じ想いを持った普通の国民が集まり、「子供や孫の世代によい日本を残したい」
という想いひとつで活動を続けています。


 ここでは、ある種の危機意識が述べられています。そして、普通の国民が、より良い日本を残したいという想いで活動しているとされています。「次は俺たちの番だ―これ以上日本を壊すな」ということです。けれども、関心は日本のことだけです。「日本人ファースト」が大前提なのです。
 参政党の重大三大政策は次のとおりです。

① 笑顔の子どもたち 教育・人づくり 学力(テストの点数)より 学習力(自ら考え自ら学ぶ力)の高い日本人の育成
② 生い茂る木々 食と健康・ 環境保全 化学的な物質に依存しない食と医療の実現と、それを支える循環型の環境の追求 
③ 笑顔の日本地図 国のまもり 日本の舵取りに外国勢力が関与できない体制づくり

 
 何気なく見ていると、そうだよねと思われるかもしれません。けれども、「日本人の育成」であり、「化学物質に依存しない」であり、「国を守る体制」が強調されているのです。このように、参政党の三大政策には、排外主義や科学軽視や自前の軍事力依存などが埋め込まれているのです。

 次に、参政党の核兵器観と憲法観を検討します。私は、その人や組織の正体を見破る物差しとして、その核兵器観と憲法観を物差しにしています。核兵器に依存しようとしているのかそれとも廃絶しようとしているのか、憲法の諸価値をどのように評価しているのかを物差しにすれば、その人や組織の知性と理性の程度が見えてくるからです。まず、核兵器観です。

参政党の核兵器観
 参政党の神谷宗幣(かみや そうへい)氏は、2022年当時、ただ一人の核兵器保有賛成の議員でした。今回、東京選挙区から当選した塩入清香 (しおいり さやか)氏は「核武装が最も安上がりで、最も安全を強化する策の一つ」と発言しました。参政党の国会議員のうち6人は「日本は核兵器を保有すべきだ」としているそうです(『毎日新聞』8月1日付)。こうしてみると、参政党の諸君は核兵器を廃絶するなどとは全く考えておらず、日本も核武装すべきだとしているようです。
 私は、そもそも「核と人類は共存できない」と考えています。被爆者のたたかいや「原爆裁判」などから核兵器が「死神であり、世界の破壊者」であることを知っているからです。だから、核兵器が必要だとか役に立つなどと言い立てる連中は人間として許せないし「死神のパシリ」とみなしています。
 それに加えて、日本は核兵器不拡散条約(NPT)の加盟国です。日本は非核兵器国として核兵器を保有しないという条約上の義務を負っているのです。そして、憲法は、日本国が締結した条約は誠実に順守するとしていますし(98条)、国会議員は憲法を尊重し擁護する義務を負っているのです(99条)。国会議員は「核兵器保有」を言ってはならない立場にあるのです。だから、日本が核武装すべきだとする議員は、NPTや憲法を知らないか、無視しているのです。愚かでなければ無責任な諸君ということになります。いずれにしても、国会議員の資格はないのです。参政党はそのような諸君の群れなのです。

参政党の新日本憲法 
 参政党のHPには、「新日本憲法」の構想案が掲載されています。それは、現行憲法の一部を改正する「改憲」ではなく、国民自身が主体となって憲法を一から創り直す「創憲」だとされています。
 確かに、この構想案は憲法を一から創り直しています。天皇は悠久であり、国民もまた天皇を敬慕するとされ、国民主権などは消えています。主権は国にあるとされ、君が代や日章旗が憲法上の存在になります。国民は子孫のために国を守る義務を負います。もちろん、自衛軍は設置されます。夫婦同姓が義務付けられ、帰化人は差別され、基本的人権などは見る影もない扱いを受けています。
 要するに、日本国憲法の国民主権、基本的人権の擁護、非軍事平和主義などは完全に否定されているのです。彼らは、核兵器を容認し、憲法の基本的価値などを完全に無視しているのです。核兵器という究極の暴力を容認し、天皇を賛美し外国人を排斥しているのです。「尊王攘夷」の時代に戻ったかのようです。

まとめ
 にもかかわらず、彼らは躍進しているのです。彼らに投票した人たちがどこまで彼らの正体を知っていたかは分かりません。知っていて投票する人もいたかもしれませんが「厳しい現実」の中で醸成された不安や不満のはけ口として選択したのかもしれません。「甘い言葉」に騙されているのかもしれません。「厳しい現実」に主体的に抵抗することは決して簡単なことではないからです。
 私たちの隣には、不安や不満を覚え、将来に希望が持てないでいる人は大勢いるのではないでしょうか。人は、決して、一人では生きられません。他者との交流は不可欠です。これを「類的存在」という人もいます。そして、人は誰でも自分を大事にしたいし、誰かに認めてもらいたいものです。自己礼賛や承認欲求は人間の性です。だから、「同じ想いを持った普通の国民が集まり、子供や孫の世代によい日本を残したい」などというショート動画がスマホの画面に流れると「参政党いいね」になるのでしょう。
 参政党のような政党が存在しうる素地はあるのです。けれども、その正体は時代遅れの「悪魔の兵器」を容認する排外主義者なのです。私たちはその正体を暴かなければなりません。彼らを跳梁跋扈させてはなりません。けれども、それだけでは足りないのです。私たちは、隣人の不安や不満を共有し、その原因がどこにあるのかを解明し、未来社会を展望する運動を創らなければならないのです。そして、その運動を支える政党を大きくすることも求められているのです。(2025年8月2日記)

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2025.7.29

愛知は凄いことをやっている!!
―第36回サマーセミナーに参加して―

愛知のサマーセミナー
 愛知では、昨年、約850の講座に3万5千人からの人たちが参加するサマーセミナーをやったそうだ。主催は、愛知県私立学校教職員組合、私学をよくする愛知父母協議会、愛知県高校生フェスティバル実行委員会などで構成する愛知サマーセミナー実行委員会だ。愛知県や名古屋市はじめ県内の市町村が後援している。私は愛知でこんな大規模なセミナーが毎年開かれていることは全く知らなかった。今年は、36回目で、7月19日から21日の三日間、名古屋中学・高等学校などで開催されたのだ。テーマは「戦後80年、平和と共生を作り出す『21世紀型学び』」だ。3日間、午前に2限、午後2限の講座が全部で千程ある。4万人の参加を予定しているという。なんとも凄いことだ。1日目の最初の講演は、金本弘日本被団協代表理事の『どうする!!危険な世界に生きる私たち』だった。

特別講師としてのお誘い 
 このセミナーの特別講師として、私も誘われたのだ。誘ってくれたのは、副実行委員長の横田正行さんだった。お誘いの理由は、「依頼書」によれば、私が「核兵器廃絶と憲法9条」と題するブログで書いている「『核兵器も戦争もない世界』を展望する核心を突いた鋭い指摘がとても参考になりました。そして、私たちの生き方が問われているとひしひしと感じました。」ということだった。そして、特に印象に残っていることとして、私のブログを丁寧に引用してくれたのだ。依頼書は「今年のサマセミのテーマである『戦後80年、21世紀型学びが反戦・平和を世界に拡散する!』を考えるにあたり、大久保先生が指摘されていることを学ぶ必要があると強く思っています。生徒や父母、教師、そして市民の皆さんにぜひお話を聞かせてください。」と結ばれていた。このような依頼を断ることなどできるわけがない。ということで、7月21日、名古屋まで出かけて行ったのだ。

講義のテーマ
 私の講義のテーマは「『核兵器も戦争もない世界』を創るために!!」だ。「80年前、原爆が投下されました。核兵器の使用は『全人類に惨害』をもたらします。にもかかわらず、核兵器使用の危険が高まっています。私たちは何をすればいいのか。『原爆裁判』を題材に考えます。」というのがキャッチコピーだ。持ち時間は80分。会場は100名くらい入る階段教室で、ほぼ満席だった。
 講師席のすぐ前の最前列にあどけなさが残る少女が三人いた。「何年生?」と聞いたら「1年生」と答えていた。高校1年生なのだ。彼女たちは私服だったけれど、何人かの制服の高校生たちも聴講していた。普段、私の話の聞き手は年配者が多いのだけれど、今日は違う。うれしい。問題は、私の話がその子たちに伝わるかどうかだ。

高校生の感想文 その1
 高校生たちが25通の感想文を寄せてくれた。いくつか要旨を紹介する。最初に、最前列に座っていた高校1年生のものだ。

サマーセミナーに参加するのは初めてだったけど、講師の方の解りやすい説明のおかげで、今まで知らなかった戦争について細かいところまで知ることができました。当時の状況や政府の取った行動・原因を理解することが出来ました。核兵器による被害の大きさなどを聞いて改めてこわさを感じることができました。被害にあった人たちのためにも、戦争であったことを活かしていければよいなと思いました。

世界にはまだまだ平和ではない国や、核兵器を持ち、いつでも戦争ができる状態にある国があるということがわかりました。今の日本では想像もできない歴史があることがわかった。サマーセミナーに来て、この講座をうけなければわからないことを知れたので、来てよかったと思った。

このサマーセミナーを受ける前は、戦争のことは自分なりに学校で調べたりしていて、何となく知っていると思っていたけれど、この「核兵器も戦争もない世界を創るために」という講義をうけてまだまだ知らないことがたくさんあったし、私たち高校生よりも高齢の方が多くておどろいた。今の日本は戦争の話を語れる人が減っている。だからこそ、まだ将来の長い私たちが今回聞いたことをしっかり覚えておいて、いつか自分の子どもたちに受け継いだり、情報を共有したりして、平和な今の世界を大切にしていきたいと思った。核兵器の恐ろしさもよくわかった。最前列で聞けて、大久保さんと少し話せてうれしかったです。

こんな感想文を書いてもらっただけでも、本当にうれしい。

高校生の感想文 その2

 長文の感想文もたくさん寄せられていた。その内の4通の要旨を紹介する。いずれも3年生の女子だ。

原爆裁判や天地の公理など、学校の授業では学べないようなことについての話を聞くことができて良かった。裁判によって核兵器の恐ろしさを示すことは重要なことだと思った。しかし、「被害の結果が原告の言うとおりかどうか。及び原爆の性能などは知らない」などと答弁する政府に対してはモヤモヤした気持ちになった。現代の自分たちが平和で安全な生活を送れているのは、核兵器禁止条約ができるまで努力を重ねてくださった方がいたからだ。

今回の講座で原爆裁判を通して、原爆の被害の大きさや被害者の核廃止への叫びを改めて知ることができました。被爆者が辛い日常生活を送っていたことを想像すると胸が苦しくなました。核廃止をできないことではないと知ることができてよかったです。平和な世界を創るために自分で出来ることを見つけ、積極的に行動することが大切だと気付くことができました。

私がこの講座で感じたことは、核投下後の日本の対応が全く駄目だということです。私は戦争のことを全く知らないので、戦争後の被爆者への支援があったとばかり思っていました。しかし、この講座でそれが全く行われていないことを知りました。そして、日本がアメリカの「核とドルの傘下」にあるという現状を知り、言葉が出ないほど絶望を感じました。一つの核で何人もの人が死に、そして戦後も苦しめられたのか。想像を絶するものだと思います。アメリカが核投下は正義だと思っていることに深い悲しみを感じました。こんな悲劇が二度と起こらないためにも、核をなくすべきだと考えました。

私たちは戦争を知らない世代だからこそ、戦争について知り、考え、次世代に語り継ぐ必要があると思い、今回の大久保先生の講座を受講しました。私の通っている高校は平和探求も活発で、2回の修学旅行では沖縄と長崎に行きました。また、家族旅行で広島に行ったので、今まで戦争や平和について考える機会は多かったです。ですが、今回の講義を受けて、私の戦争と平和への理解はまだまだだなと思いました。原爆投下についての裁判で、政府の動きや裁判所の判断、核兵器禁止条約の禁止から廃絶まで流れなど、原爆が投下された背景についても勉強になりました。大久保先生のお考えも聞くことができ、とても心に残るものばかりでした。「核兵器も戦争もない世界」を創るために、未来に向けて私たちが今できることを考えていきたいと思いました。

 高校3年生になるとこんな感想文を書いてくれるのだ。私の話は伝わっていたのだ。私の意図を完全に受け止めてくれていると思うと胸が熱くなる。

まとめ
 ところで、中学生からの感想文も3通ほどあった。「話が難しいと思った」、「言葉づかいが難しいなと思った」としながらも、「核兵器の恐ろしさや醜さを感じた」とか「原爆被害者やその他の戦争被害者への補償についての政府の考えはおかしいと感じた」などいう感想を書いている。この子たちにも、それなりに受け止められているのだ。
 子どもたちの成長に合わせて、日々、教育に携わっている先生方の大変さを垣間見たような気持にもなるけれど、子どもたちはきちんと物事を理解できるのだということを確信する機会でもあった。
 講義の冒頭に「今、世界や日本はいい方向に向かっていると思いますか」と聞いたら、大人も子どもも誰もそう思っていなかった。けれども、このような感想文を読めば、私たちの未来は、決して、絶望する必要はないと思えるのだ。もちろん、絶望などしている場合ではないのだけれど。
 このセミナーに参加することによって、私は新たなエネルギーをもらえたようだ。そんな機会を提供してくれた横田さんたちに感謝したい。(2025年7月28日記)

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2025.7.29

「原爆裁判」原告の娘さんとお孫さん

 「原爆裁判」の原告に川島登智子さんという方がいる。14歳の時に広島で被爆した最も若い原告だ。14歳の被爆ということは、13歳の時に長崎で被爆している田中熙巳日本被団協代表委員や13歳の時に広島で被爆しているサーロー節子さんと一つ違いだ。「原爆裁判」の提訴は1955年だから24歳で原告になっている。なぜ、彼女が、米国の原爆投下を違法として日本政府に対し損害賠償を求めるという困難な裁判の原告になろうとしたのかの記録は見つかっていない。登智子さんは、自分がそんな裁判の原告になっていたことを子どもたちには話していなかったし、原告代理人であった岡本尚一弁護士との間でやり取りがあったであろうがその記録は残っていないのだ。
 もちろん、訴状には彼女の状況についての記載はある。概略は次のとおりだ。
被爆当時14歳で、父母のもとに兄弟姉妹とともに健康な生活を営んでいたが、爆風による家屋倒壊によって顔面に傷害をうけ、左腕も負傷し、その傷あとは現在もなお残っている。爆風、熱線及び放射線による特殊加害能力によって両親(父当時50歳、母当時40歳)をなくした幼い原告及びその兄弟は、売り食いするものもなくなり生活に窮し親族に引きとられ殊に妹・詔子(のりこ)は養女にゆくなど姉妹も分れ分れの、生活をしなければならない悲惨な生活を送っている。

 今般、その原告登智子さんの娘である時田百合子さん(72歳)とその息子さんである時田唱幸さん(35歳)とお会いする機会があった。私はそのような方がおられるということなど全く知らなかった。その存在を探し当てたのは、NHK BSで「原爆裁判」の特集を企画している金本麻理子さんだ。彼女は原告の関係者がいるはずだとして、執念をもって探索を続けていのだ。そして、百合子さんや訴状に登場する詔子さんとの面会を果たすのである。何とも凄い取材力だと感心する。
 そして、金本さんは、百合子さんたちが「原爆裁判」について色々語っている私に逢いたいと希望しているとして、7月20日に浦和で開催された埼玉県原爆被害者協議会(しらさぎ会)主催の被爆80年記念行事に同行してくれたのだ。私はその記念行事で「核兵器も戦争もない世界を創るために―「原爆裁判」を現代に活かす―」というテーマで話をすることになっているので、その機会を生かしてくれたのだ。
 私は、その講演の中で、川島登智子さんに触れるだけではなく、会場にお二人が見えていることを紹介した。お二人は自己紹介をし、会場からは暖かく大きな拍手が沸いた。主催者の高橋溥さんも「時田百合子様・時田昌幸様の御出席も原爆裁判を皆が厚く受け止めることになったと思います。」と喜んでくれた。「原爆裁判」がとりもってくれた縁である。

 百合子さんたちは登智子さんがそのような裁判をしていたことは何も知らなかったそうだ。百合子さんは、朝ドラ「虎に翼」を視ていたので「原爆裁判」は知ったけど、まさか母がその原告をしていたなど本当に驚きだったという。お母さんが被爆者であることや傷があることは知っていたけれど、テレビで紹介されるような裁判にかかわっているなどとは信じられないという。なぜ、登智子さんは子どもたちには語らなかったのだろうか。

 登智子さんが原告になった時、結婚していたし、百合子さんは3歳になっている。裁判の原告になることを夫や夫の両親に秘密にすることはできないであろうから、登智子さんはその方たちの同意を得ていたであろう。けれども、彼女は子どもたちには何も語っていなかったのである。裁判終結は1963年12月だから、その時に百合子さんに語るには幼すぎるかもしれない。そのあとは裁判のことなど忘れていたのかもしれない。けれども、語る機会がなかったわけではないであろう。
 なぜ語らなかったのだろうか。それは、なぜ、登智子さんが原告になったのかと同様に謎である。その理由はもちろん推測するしかない。百合子さんによれば、登智子さんの夫(百合子さんの父)は「特攻の生き残り」だったという。そして、彼は彼女が被爆者であることを承知で結婚していたそうだ。百合子さんは、父と母は戦争による苦しみを共有できたからではないかと推測している。被爆者には被爆者であることを隠さなければならないと考える人たちもいた。自分が被爆者であると語ることは、自分につながる人たちも被爆者だということを暴露することにもつながるからだ。そして、被爆者に対する世間の視線は必ずしも暖かではない。むしろ、偏見と差別に囚われている場合があるのだ。
 登智子さんに葛藤がないはずはない。そういう意味で、登智子さんは凄い決断をしただけではなく、その提訴を見守った夫やその家族は偉いと思う。他方、子どもたちにはその裁判のことを話さなかった心情も理解できるように思うのである。

 金本さんは、百合子さんたちと私を取材しながら、「原爆裁判」の原告になることの意味を訊いてきた。私は、米国の原爆投下を違法だとして日本政府を相手に訴えを起こすこと自体が凄いだけではなく、登智子さんが自覚していたかどうかはともかくとして、核兵器という「究極の暴力」に対して「法という理性」が挑戦するという重要な意味を持っていた、と応えておいた。不動産関係の仕事をしていて社会保険労務士の資格を取るために勉強しているという昌幸さんは、大きくうなずきながらメモをとっていた。自分の祖母のたたかいの意味を確認していたのであろう。

 百合子さんは被爆2世、昌幸さんは3世である。お二人とも被爆者運動には全くかかわっていないという。けれども、今般、岡本尚一弁護士の遺族や私と会うことによって、核兵器問題について勉強しなければという気持ちになったという。
 私は、原告のことは知っていたつもりになっていたけれど、各原告にはそれぞれの濃密な人生があるのだということを改めて心に刻むことができた。被爆80年に際して「原爆裁判」の原告の子孫とリアルで会えたことはうれしいことだった。核兵器も戦争もない世界を創るためのエネルギーをもらえたからだ。(2025年7月22日記)

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2025.7.29

日本被団協、原水協、原水禁の共同声明を歓迎する

 7月23日、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)、原水爆禁止日本協議会(原水協)、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)の三者が「被爆80年を迎えるにあたって ヒロシマ・ナガサキを受け継ぎ、広げる国民的なとりくみをよびかけます」との共同アピールを発出しました。私は素晴らしいことだと歓迎しています。核兵器廃絶を求めながら、相互に対立し、運動を分裂させてきた原水協と原水禁が、被団協と連帯して、ヒロシマ・ナガサキを受け継ぎ、広げる国民運動の取り組みを呼び掛けたのですから、こんなうれしいことはありません。まずは、そのアピールを確認してみましょう。

アピールの内容
冒頭はこうです。
 1945年8月6日広島・8月9日長崎。アメリカが人類史上初めて投下した原子爆弾は、一瞬にして多くの尊い命を奪い、生活、文化、環境を含めたすべてを破壊しつくしました。そして、今日まで様々(さまざま)な被害に苦しむ被爆者を生み出しました。このような惨劇を世界のいかなる地にもくりかえさせぬために、そして、核兵器廃絶を実現するために、私たちは被爆80年にあたって、ヒロシマ・ナガサキの実相を受け継ぎ、広げる国民的なとりくみを訴えます。
 
続いて世界の現状について述べています。
 2024年、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を受賞しました。凄惨(せいさん)な被爆の実相を、世界各地で訴え続け、戦争での核兵器使用を阻む最も大きな力となってきたことが評価されたものです。一方今日、核兵器使用の危険と「核抑止」への依存が強まるなど、「瀬戸際」とも言われる危機的な状況にあります。
 ウクライナ侵攻に際してロシアの核兵器使用の威嚇、パレスチナ・ガザ地区へのイスラエルのジェノサイド、さらに、イスラエルとアメリカによるイランの核関連施設(ウラン濃縮工場)への先制攻撃など、核保有国による国連憲章を踏みにじる、許しがたい蛮行が行われています。核兵器不拡散条約(NPT)体制による核軍縮は遅々として進まず、核兵器5大国の責任はいよいよ重大です。

次に、核兵器禁止条約発効の意義を確認しています。
 しかし、原水爆禁止を求める被爆者を先頭とする市民運動と国際社会の大きなうねりは、核兵器禁止条約(TPNW)を生み出しました。これは、核兵器の非人道性を訴えてきた被爆者や核実験被害者をはじめ世界の人びとが地道に積み重ねてきた成果です。同時にそれは今日、激動の時代の「希望の光」となっています。この条約を力に、危機を打開し、「核兵器のない世界」へと前進しなければなりません。アメリカやロシアをはじめ核兵器を持つ9カ国は、TPNWの発効に力を尽くしたすべての市民と国々の声に真摯(しんし)に向き合い、核兵器廃絶を決断すべきです。

日本政府に対する要求は核兵器禁止条約への参加と国家補償です。
 唯一の戦争被爆国である日本政府はいまだTPNWに署名・批准しようとはしません。核保有国と非核保有国の「橋渡し」を担うとしていますが、TPNWに参加しない日本への国際社会の信頼は低く、実効性のある責任を果たすこととは程遠い状況にあります。アメリカの「核の傘」から脱却し、日本はすみやかに核兵器禁止条約に署名・批准すべきです。
 原爆被害は戦争をひきおこした日本政府が償わなければなりません。しかし、政府は放射線被害に限定した対策だけに終始し、何十万人という死者への補償を拒んできました。被爆者が国の償いを求めるのは、戦争と核兵器使用の過ちを繰り返さないという決意に立ったものです。国家補償の実現は、被爆者のみならず、すべての戦争被害者、そして日本国民の課題でもあります。

結びは、三者の決意です。
 ビキニ水爆被災を契機に原水爆禁止運動が広がってから71年。来年は日本被団協結成70周年です。被爆者が世界の注目をあつめる一方、核使用の危機が高まる今日、日本の運動の役割はますます大きくなっています。その責任を果たすためにも、思想、信条、あらゆる立場の違いをこえて、被爆の実相を受け継ぎ、核兵器の非人道性を、日本と世界で訴えていくことが、なによりも重要となっています。それは被爆者のみならず、今と未来に生きる者の責務です。地域、学園、職場で、様々な市民の運動、分野や階層で、被爆の実相を広げる行動を全国でくりひろげることをよびかけます。世界の「ヒバクシャ」とも連帯して、私たちはその先頭に立ちます。

 「思想、信条、あらゆる立場の違いをこえて被爆の実相を受け継ぎ、核兵器の非人道性を、日本と世界で訴えていくことが、なによりも重要となっています。それは被爆者のみならず、今と未来に生きる者の責務です。」とされていることを確認しておきましょう。最も基本的なことであり、また、それがないと「核兵器も戦争もない世界」は実現しないからです。反核平和勢力が分裂しているようでは、核兵器に依存し武力の行使をためらわない勢力に勝利できないことは、誰にでもわかる理屈でしょう。
では、その対立と分断はどのような状況だったのでしょうか。一つのエピソードを紹介しておきます。出典は今年7月24日付『毎日新聞』朝刊の森滝市郎さんに係る記事です。

1963年第9回原水爆禁止世界大会での出来事
 森滝市郎さん(1901年~1994年)は、被爆者運動と原水爆禁止運動に半生をささげた人で「反核の父」と呼ばれています。1956年に結成された日本被団協の初代理事長であり、1963年の第9回原水爆禁止世界大会では基調報告をしています。森滝さんはその基調報告で「どこの国のどんな核実験にも、どんな核武装にも絶対反対だ。」と訴えました。けれども、その報告は、全ての人の共感を得たわけではないのです。『毎日』の記事によると「やじや怒号が飛び交い、負傷者が出る騒ぎとなった」ようです。当時、「どこの国の核実験にも核武装に反対する。」という考えに反対する勢力があり肉体的衝突もあったのです。
 1963年当時、私は16歳なので、そんなことが起きていたなどと知る由もありません。その後、反核平和運動にかかわるようになってから、反核運動にも厳しい対立があることを実感しました。そして、なぜ、一緒にできないのだろうかと不思議でした。他方で「社会主義国の核兵器には反対しない」という考えと「いかなる国の核兵器もダメ」という考えは「核兵器の役割を認めるかどうか」という観点からすれば「決定的な違い」があるので、その違いを無視して一緒にやるのは無理だろうなとも考えていました。
 ところで、この第9回大会で、森滝報告にヤジや怒号を飛ばしていたのは、ソ連の核兵器に反対しない共産党系の人たちのようです。そのことを『日本共産党の100年』の記述から確認してみましょう。

当時の日本共産党の核兵器観
 当時、党は、ソ連が再開した核実験(61年8月)を、アメリカの核脅迫に対抗して余儀なくされた防御的なものとの態度表明をおこないました。これは、党として、核兵器使用の脅迫によって国の安全を確保するという「核抑止力」論に対する批判的認識が明瞭でなく、ソ連覇権主義に対する全面的な認識を確立していない下での誤った見方でした。同様の態度表明は、64年と65年の中国の核実験の際にも行われました。ソ連によるチェコスロバキア侵略、中ソの軍事衝突などの事態が起こる下で、党は、1973年、この見方を改め、アメリカを戦後の核軍拡競争の起動力として厳しく批判すると同時に、ソ連と中国の核実験も際限のない核兵器開発競争の悪循環の一部とならざるを得ないものとなっているという評価を明確にしました(同書146~147頁)。

 ここでは、1963年当時、共産党は、社会主義国の核兵器について反対していなかったとされているのです。森滝報告のように「いかなる国の核兵器にも反対」という態度ではなかったのです。しかも、分裂と対立の原因はこの論点だけではありませんでした。次のような事情もあったのです。同書は以下のように書いています。

部分的核実験禁止条約をめぐる対立
 1963年8月、米英ソ三国が部分的核実験停止条約(部分核停条約)を結び、ソ連はこれを「核兵器全面禁止の一歩」、「帝国主義の世界全体を縛り上げる」ものと宣伝し、ケネディを“平和の政治家”と持ち上げました。党は、地下核実験による核兵器開発競争を合理化して、保有国の核兵器独占体制の維持を図る条約として、これに反対しました。63年の原水爆禁止大会では、部分核停条約が焦点の一つとなり、ソ連代表ジューコフ(党攻撃の作戦計画の立案者の一人)は、帰国後、ソ連共産党機関紙「プラウダ」で、部分核停条約に関して公然と日本共産党を非難しました。また、訪ソした日ソ協会代表団などに部分核停条約を支持するよう圧力をかけました(同書159頁~160頁)。
 社会党、総評導部は、第9回原水爆禁止世界大会(1963年大会)でソ連が礼賛していた「部分的核実験禁止条約」への支持を大会で決めるよう主張しました。党は、核実験全面禁止の課題を放棄し、核軍拡を進めるものだと批判するとともに、大会としての同条約への賛否を決めずに、核戦争阻止と核兵器全面禁止、被爆者援護・連帯という原水爆運動の原点での一致にもとづいて共同すべきとの態度を堅持しました(同書146頁)。

 当時は「キューバ危機」が去ったばかりでした。世界は核戦争の危機に晒されていましたが、それからかろうじて免れたばかりだったのです。そのような時代にあって「部分核停条約」への賛否が、ソ連の干渉の下で問われていたのです。部分的な核実験禁止が「全面禁止」を意味するとは限りません。それを支持するかどうかを突き詰めれば、分裂することになるでしょう。その賛否を棚上げすることは「賢明な策」と言えるでしょう。
 結局、世界大会は「いかなる国の核兵器にも反対するのか」、「部分的核実験禁止条約に賛成するのか」の論点で対立し分裂したのです。

不幸な分裂を乗り越えて 
 このような背景事情のもとに、原水禁運動における「原水協」と「原水禁」の対立は始まり、現在まで続いてきました。その対立は、当時の事情を知らない私には理解できないほどに深刻だったようです。元々、私は、核戦争阻止、核兵器廃絶、被爆者支援などは大同団結が必要だと思っていますから、対立があることは承知していましたが、どちらが正しいかを判断するつもりはありませんでした。ただし、社会主義には期待していたので、アメリカ帝国主義に対抗するためには核兵器も必要だと言われれば、そんなものかと思ったこともありました。けれども、現在は「核抑止論」の虚妄と危険性を理解しているので「いかなる国の核兵器」にも大反対です。そして、今、ソ連はありませんし、中国を反核平和勢力とは言えないでしょう。  
 現代は、核実験についていえば大気圏だけではなく「包括的核実験禁止条約」が生まれつつあるし、「核兵器禁止条約」によって核兵器の廃絶が展望されている時代です。ノーベル委員会フリードネス委員長は「核兵器も戦争もない世界」を呼び掛けた田中熙巳さんのスピーチを「人類の総意」と評価しています。けれども、核兵器がなくなる現実的なスケジュールはまだ形成されていないのです。
 「原水協」と「原水禁」が、不幸な分裂を乗り越えて、被爆80年に際して「被爆の実相を受け継ぎ、核兵器の非人道性を、日本と世界で訴えていくこと」を呼び掛け、被団協とともに、その先頭に立つことを決意したことには大きな意味があります。両組織の決断に心からの敬意を表します。この共同声明は「核兵器も戦争もない世界」の実現を希求する私たちにとって、大きな励ましとなることでしょう。(2025年7月24日記)

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2025.6.19

日本弁護士連合会(日弁連)の被爆80年にあたっての決議

日弁連の決議
 6月13日、日弁連の定期総会で『被爆80年に際して「核兵器のない世界」を目指す決議』が採択された。その要旨は以下のとおりである(全文は日弁連のHP参照)。「核兵器のない世界」を求めるだけではなく「戦争とは永遠に決別する」決意が述べられていることを確認してほしい。
 核兵器は「極まりなく非人道的兵器」、「決して使われてはならない兵器」であり、国際社会は「核兵器を違法とする理論」を構築してきたけれど、いまだ、1万発を超える核兵器が存在し、うち数千発は作戦配備されている。しかも、近時、核兵器使用のリスクが「極めて高くなっている」。核戦力を維持しようとする根拠は「核抑止論」や「拡大核抑止論」であるが、この理論は「効果の不確実性が高い危険な理論」である。核抑止論から脱却し、世界から核兵器を廃絶するためには、すべての国が核兵器禁止条約(TPNW)に署名、批准し、核兵器不拡散条約(NPT)6条を具体化することが必要不可欠である。あわせて、北東アジア地帯を非核地帯とすることが求められている。
 そこで、当連合会は日本政府に対し「核兵器廃絶の実現に重大な懸念」があることを全世界と共有するとともに、①TPNWに署名し、批准すること。②NPT6条を具体化するために、核兵器国と非核兵器国の対話の場を設け、核兵器廃絶のタイムスケジュールを策定するなどの取組を行うこと。③北東アジア非核兵器地帯の締結に向けた取り組みを行うこと。を求める。
 当連合会としても、いかなる国際状況の下にあっても、核兵器の存在に断固として反対し続け、「核兵器のない世界」の実現を目指し、戦争とは永遠に決別することを決意する。

核兵器についての日弁連の基本的スタンス 
 日弁連は、1950年5月12日、広島市で開催した第1回定期総会に引き続いて開催した平和大会において「地上から戦争の害悪を根絶し、(中略)平和な世界の実現を期する。」と 宣言して以来、核兵器廃絶を訴え続けてきた。1954年5月29日には、「原子爆弾等の凶悪な兵器の製造並びに使用を禁止しなければ、人類の破滅は火を睹る(みる)より明らかである。」としている。2010年10月8日には、日本政府に対して「非核三原則」の法制化、北東アジア地帯を非核地帯とするための努力、核兵器禁止条約の締結を世界に呼び掛けることを求め、法律家団体として、非核三原則を堅持するための法案を提案し、広く国民的議論を呼び掛けることを決意していた。
 最近では、核兵器禁止条約の締約国会議、NPTの再検討会議、広島でのG7などに際して、政府に対して「核兵器のない世界」に向けて積極的役割を果たすよう要望する会長声明や被団協のノーベル平和賞受賞を歓迎する会長声明なども発出している。
日弁連は「戦争は最大の人権侵害である」として、日弁連の草創の時期から「究極の暴力」である核兵器に「法という理性」で対抗しようとしてきたのである。今回の決議は、被爆80年にあたって、そのことを再確認したのである。
 現在、日本の弁護士は約4万7千人である。そのすべての弁護士が所属する日弁連が、その定期総会でこのような決議をあげたことの意味は大きい。

決議までの経過
 日弁連の総会で決議を採択するためには、それなりの手続きを踏まなくてはならない。今回の決議も簡単に実現したわけではない。日弁連の憲法問題対策本部の核兵器廃絶部会で「核戦争の危機が迫っている。基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする弁護士が黙っているわけにはいかない。被爆80年に際して、日弁連の初心に帰って、核兵器も戦争もない世界を創るための決議をあげよう。」と議論されたのは、昨年秋のことであった。決議案文とその理由を起案し、対策本部に提案し、その議を経て日弁連の執行部に提案され、そこでの質疑応答を経て、執行部から理事会に提案してもらい、さらにそこでの質疑と意見交換を経て、総会への提案という過程を経たのである。
 そもそも、執行部がその気にならなければ総会決議などありえない。けれども、現在の渕上玲子会長は、長崎の出身ということもあり、この決議の総会への提起を選択したのである。私は英断だと受け止めている。部会の問題意識はもちろん通奏低音として生きているけれど、決議案の構成や表現は修正されている。そういう意味では、この決議案は集団による労作であり、日弁連の現在の到達点なのである。

総会での議論
 総会でもいろいろな意見が出されたし、満場一致ということでもない。強制加入団体の日弁連の総会で、政府の核政策を根底から非難し、その政策転換を迫る決議がシャンシャンと成立することなどありえない。いくつかの意見を紹介しておく。
 まず、「決議は安全保障について理解していないので反対だ。」という意見である。この意見は「核兵器をなくすことは、わが国の安全保障を危うくする。」という認識に基づくものである。政府の見解と同様のものであるので、会内に存在することは間違いない。問題はどのような形でそれが噴出するかである。総会でも、その意見は堂々と開陳されていた。日弁連は、まさに、国家安全保障のために核兵器を必要とする思考と行動(核抑止論・拡大核抑止論)に対する根本的批判を対置しているのであるから、そのような意見が出てくることは想定の範囲内であろう。
 次に興味深かったのは「核兵器国の意向に反しない形で核兵器廃絶を現実化することは極めて困難というが、では、核兵器国の意向をどう変えるというのか。核兵器国からどのように核兵器を取り上げるというのか。」という質問である。この質問は大事な論点を含んでいる。核兵器国が核兵器を放棄するとの政治的意思を持たない限り、核兵器はなくならないからである。日弁連は、そのために、まず、わが国政府が、核抑止論から脱却することを提起しているのである。わが国が核兵器のない世界の実現に向けて積極的な行動をとることは、核兵器国の政府や市民社会の意思を変えることに寄与するとの発想である。質問者にそのことが理解してもらえたかどうかはわからないけれど、ぜひ理解してほしいポイントである。
 もう一つは、「日米による中国侵略戦争」に触れなければ「戦争と永遠に決別することを決意することにはならない。」という意見である。これも一つの論点であることは間違いない。日米両国政府が、中国を対象とする軍事力に依存しての「安全保障政策」をとっていることは公知の事実だからである。日弁連はそれを指摘し反対している。そのことは「安保法制」や「安保三文書」に対するこれまでの日弁連の姿勢を見れば明らかである。「中国侵略戦争」という表現をしなければ「戦争と永遠に決別することを決意することにはならない。」とすることは偏狭に過ぎるというべきであろう。

まとめ
 これららの反対意見や質問などはあったけれど、決議は圧倒的な賛成で採択されている。感動的な賛成討論があったことも忘れないでおきたい。そして、決議の理由は次のように締め括られている(要旨)。
今年は、広島及び長崎への原子爆弾投下から80年である。被爆者は「核兵器と人類は共存できない」、「被爆者は私たちで終わりにしてほしい」との思いから粘り強く運動してきた。日本被団協の田中熙巳代表委員は、ノーベル平和賞受賞記念講演で「人類が核兵器で自滅することのないように。そして、核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう。」と述べた。核兵器が使用されれば全人類に影響が及ぶことになる。「核兵器も戦争もない世界」は被爆者にとどまらず私たち人類の悲願である。核兵器使用の危機が迫る今、私たちは、核兵器の恐怖を排除できない「核抑止論」から脱却し、核兵器廃絶を実現しなければならない。当連合会は「戦争は最大の人権侵害である」との理念の下、反戦と核兵器の廃絶を訴えてきた。核兵器は、人類を含む地球を破滅させる残虐な兵器であり、地球上に存在する限り、最大の人権侵害のおそれを排除できない。だからこそ、我々は、核兵器の廃絶を強く求めるのである。
 そして、その結びは、先に紹介した決議本文と同様に「いかなる国際状況の下であっても、核兵器の存在に断固として反対し続け、『核兵器のない世界』の実現を目指し、戦争とは永遠に決別することを改めて決意し、本決議をする。」である。
 私は、核兵器廃絶部会の座長として、この決議の最初から最後までかかわってきた。部会や対策本部のメンバー、担当の事務次長や副会長、そして執行部会議や理事会でも、様々な意見交換をして来た。総会決議をあげることは決して簡単ではないことも体験した。それだけに、この決議が採択されたことに対する感慨はひとしおである。
 日弁連は、被爆と終戦の80年の今年、この総会決議でおしまいとするのではなく、12月に長崎で予定されている人権大会でも、引き続き核兵器廃絶と日本の戦争準備にかかわるテーマでのシンポなどを予定している。私も一人の弁護士として「核兵器も戦争もない世界」を実現するために尽力したいと改めて決意している。(2025年6月17日記)

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2025.6.19

吉田敏浩著『ルポ軍事優先社会』を読む

はじめに
 吉田敏浩さんから『ルポ軍事優先社会』(岩波新書・2025年)の贈呈を受けた。この本のサブタイトルは「暮らしの中の『戦争準備』」だ。帯には「いま、この国に必要なのは、他国を攻撃できるミサイルか、生きるためのケアの充実か。全国各地で進行する軍事化の実態を明らかにし、主体性なき安保政策を問う。」とある。カバーには「集団的自衛権行使を容認した安倍政権以降、日本の軍事化が加速している。自衛隊のミサイル部隊の配備や弾薬庫の建設は地域を戦争への拠点と変え、自治体による自衛隊への若者の名簿提供なども広がる。私たちの暮らしを犠牲に、戦争の準備が進行する実態を丹念な取材で明らかにし、対米従属の主体性なき安保法制を問う。」とある。
 吉田さんの問題意識は、対米従属と主体性なき軍拡、主権なき「軍事大国」化と侵食される社会保障と生存権、有事法制に組み込まれる自治体などである。軍事大国化が進む一方で、国民生活が蔑ろにされているということに対する怒りといえよう。そして、私が特に注目したのは「『安保三文書』による軍事優先の国策は、新たな“総動員体制”を築こうとしている。」との指摘である(202頁)。
 私も、現在の日本は、日本版「先軍思想」に基づいて現代版「国家総動員体制」が進行していると考えているので、吉田さんの問題意識に共感している。また、私は、その総動員体制が着々と進行していることはそれなりに理解しているつもりだったけれど、この本は、その総動員体制が、全国各地でどのように進行しているのかについて、「丹念な取材」で私の想像を超えて明らかにしている。まさに、日本がどのような「軍事優先社会」にあるのかについての迫真のルポルタージュなのである。私は「そうだったのか。そこまで進行していたのか。」と驚きを禁じえなかった。この国では、米国の世界戦略の下で、対中国を念頭に「熱い戦い」の準備が急ピッチで進行しているのである。ただし、この本は決して政府の行為を暴露するだけではなく、それに抵抗する市民や専門家や弁護士、そして首長たちのたたかいも紹介している。吉田さんは希望も語っているのである。大切なことだと思う。

この本の構成
 第1章は「地域が戦争の拠点に」である。ミサイル基地・弾薬庫がもたらす棄民政策が取り上げられている。有事の扇動と自衛隊だけは生き残る基地の強靭化がすすめられ、住民は国民保護という名目で棄民される。その背景にあるのは、日本や台湾や韓国への武器輸出の増大で潤う米国の兵器産業と、組織の維持・拡大を図る米軍、科学技術の軍事利用を推進する学術界とが結びついた「軍産学複合体」だとされている。
 第2章は「徴兵制はよみがえるのか」である。自治体が自衛隊に若者名簿を提供している事態が紹介されている。高校卒業時や大学卒業時の若者に自衛隊からの勧誘文書が直接届くそうだ。その対象者の選別に協力する自治体があるというのだ。戦前、各市町村には兵事係があり、国民を戦争に動員する任務を担っていたけれど、日本国憲法下ではありえない事態である。自衛隊員になろうとする若者が減少しているので、自衛隊も焦っているのであろう。けれども、そもそも、見ず知らずの人間との殺し合いをしたいなどと考える若者はいないであろうし、また、そういう状況に彼らを追い込むべきではない。昔、「9条があるから入った自衛隊」という川柳があったけれど、今はそんな牧歌的なことを言える時代ではないようである。
 第3章は「軍事費の膨張と国民負担」だ。ミサイル特需と軍需産業の利益は拡大する一方で、社会保障は侵食され生存権は脅かされている実態にかかわる論述だ。この章の特色は、防衛省が設置する「防衛力の抜本的な強化に関する有識者会議」に防衛省と最も取引のある三菱重工会長が参加していることを指摘していることと「いのちのとりで裁判」を対比していることである。「死の商人」の優遇と最低限度の生活さえ維持できない人とが対照されている。吉田さんは「私たちの社会はいま『ミサイルか、ケアの充実か』の岐路に立たされている。」と結んでいる。吉田さんは憲法9条と25条も視野に入れているのである。
 第4章は「主体性なき軍拡、主権なき『軍事大国』化」である。米戦略への歯止めなき従属がテーマである。本書の肝ともいえるパートである。吉田茂首相(当時)の自衛隊指揮権は米軍にあるとする「密約」や「統帥権はアメリカにある」ことなどにも触れられている。この章の結論は「日本は、台湾有事を煽るアメリカの対中封じ込め・攻撃戦略の軍事的ニーズ(集団的自衛権の実効性)に合わせて、敵基地攻撃能力を持つ長距離ミサイル中心の大軍拡を進めている。『安全保障のジレンマ』を招き、日本が戦場となるリスクまで高めている。」である。軍事優先社会の背景には米国の世界戦略があるという指摘だ。「昔天皇、いま米軍」という言葉を髣髴とする記述である。
 第5章は「対米従属の象徴・オスプレイ」である。危険な欠陥機を受け入れる唯一の国であること。オスプレイの超低空飛行を認めていることなどだけではなく、佐賀空港へのオスプレイ配備をめぐる裁判などについても触れられている。この章の結びは「台湾有事を煽って武器輸出で儲けるアメリカの軍産学複合体、『ミサイル特需』など軍需景気を期待してうごめき始めた日本版軍産学複合体。このような有事を煽り、戦争を欲する構造にからめとられて、軍事優先に踏み込み迷う社会を未来の世代に残してしまっていいのか、いまそれが問われている。」である。私たちはその問いに真剣に応えなければならないであろう。
 第6章は「有事法制に組み込まれる自治体」である。自治体が管理する空港や港湾を、自衛隊や米軍が使いやすくするよう法制度が整備されつつある。大軍拡の下で、これらを軍が優先的に使用しようというのである。吉田さんは「新たな総動員体制」を築こうしていると表現している。他方で、吉田さんは「自治体は空港・港湾の軍事利用は拒否できる」として「非核神戸方式」などを紹介している。この章の結論は、「アメリカ優先、米軍優先の、主権なき軍拡を進める〈安全保障政策〉に反対しなければ、『再び戦争の惨禍』を招くことになる。いまその分岐点に私たちは立たされている。」である。

まとめ
 私も、吉田さんと同じように私たちは分岐点に立たされていると考えている。核兵器に依存して「壊滅的人道上の結末が訪れる世界」へと進むのか、それとも、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存できる世界」を創るのかの分岐点にあると考えているのだ。ついでに言うと、吉田さんがこの本で何度も言及している『国家安全保障戦略』も「我々は今、希望の世界か、困難と不信の世界のいずれかに進む分岐点にある」としている。政府は「希望の世界」に進むためには、中国を封じ込め、北朝鮮やロシアに対抗する力がなければならない。そのためには、自衛隊の強化はもとより、国家挙げての防衛体制を強化し、米国との核の傘を含む「拡大抑止」の一層の強化や「同志国」との連携が必要だとしているのである。そうしなければ、国民の命や財産を守れないという理屈である。
 政府は、吉田さんが報告している「軍事優先社会」は「希望の世界」への道だとしているのである。他方、吉田さんは、それを止めなければ「再び戦争の惨禍」を招くと指摘しているのである。私もその意見に賛成である。このように、私たちと政府の溝は深い。まさに、私たちは大分岐点にあるのだ。吉田さんのこの本は、改めてその冷厳な現実と、それに抗う市民社会の動きを丁寧に紹介している。(2025年6月14日記)

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2025.6.5

2025年5月 新著刊行!大久保賢一 著作一覧

(反核法律家協会のホームページに移動します)

被爆80年にあたっての提言
―「核兵器廃絶」と憲法9条 Ⅱ

日本評論社
1冊頒価 1,700円(税込・送料無料)

本書の内容はこちら↓から

詳細・目次はこちら

「原爆裁判」を現代に活かす(書影)

「原爆裁判」を現代に活かす
—核兵器も戦争もない世界を創るために

日本評論社
1冊頒価 1,700円(税込・送料無料)

<本書の内容>

詳細はこちら

核兵器廃絶実現のための必読の一冊
日本反核法律家協会会長の著者が、貴重な原資料を用いて「原爆裁判」(1955年提訴)の経緯、意義を明確に解説する本書は、核兵器廃絶を願う私たちと世界中の市民に勇気と希望を与えてくれる一冊です。
【2024年ノーベル平和賞受賞】
日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)
代表委員 田中熙巳
(本書帯より)

「核兵器廃絶」と憲法9条

日本評論社
1冊頒価 1,800円(税込・送料無料)

<本書の内容>
まえがき
——「賢人会議」への要望書
序 章 核兵器廃絶と憲法9条
第1章  迫りくる核戦争の危機
第2章  日本政府は私たちをどこに導こうとしているのか
第3章  核兵器と軍事力の呪縛から免れない人たち
第4章  反核平和を考える
第5章  韓国の反核平和運動
あとがき
——「市民社会」を信じて
喜寿のお祝いによせて  村山 志穂

迫りくる核戦争の危機と私たち
「絶滅危惧種」からの脱出のために

あけび書房
1冊頒価  2,000円(税込・送料無料)

<本書の内容>
まえがき
序  核戦争の危険性と私たちの任務
第1部 ロシアのウクライナ侵略を考える
第2部 米国の対中国政策と核政策
第3部 核兵器廃絶ために
第4部 核兵器廃絶と憲法9条
資料  核兵器禁止条約の基礎知識
あとがき

「核の時代」と戦争を終わらせるために
-「人影の石」を恐れる父から娘への伝言-

学習の友社
1冊頒価  1,600円(税込・送料無料)

<本書の内容>
まえがきにかえて
第1部 「核兵器も戦争もない世界」を求めて 〈17話〉
第2部 核兵器に依存し戦争を計画する者たちへの批判 〈11話〉
第3部 何人かの知識人たちへの共感と注文 〈9話〉
あとがきにかえて


「第1部は同時代を生きる『同志』たちへのエールである。私が身近で接している人や、私の心の糸をふるわせてくれる人たちに想いを馳せている。第2部は対抗する勢力への批判である。日米政府やその近くでうろちょろしている連中に対する批判である。第3部は理解と協力を求めたい人たちへの呼びかけである。核兵器廃絶や憲法について発言している人たちに対する共感と注文である。リスペクトしつつも、もう少し理解し合いたいと思っている同時代を生きる人たちへの呼びかけである。」(「まえがきにかえて」より)

「核兵器も戦争もない世界」を創る提案
-「核の時代」を生きるあなたへ-

学習の友社
1冊頒価  1,400円(税込・送料無料)

<本書の内容>
まえがき
第1章 「非核の政府」の想像から創造へ
 コラム 「核持って絶滅危惧種仲間入り」「そのときには皆一緒にくたばるわけだ」
 「核兵器が人類を絶滅すると考えることは『妄想』なのか」
 「核を手放さない日本政府と政治家」「ロシア大使館での核兵器廃絶談義」
第2章 コロナ危機の中で核兵器廃絶を考える
第3章 「核抑止論」の虚妄と危険性
 コラム 「ブレジンスキーは妻を起こさなかった」
第4章 核兵器禁止条約の発効と「実効性」
第5章 核兵器禁止条約と核不拡散条約(NPT)6条の関係
第6章 「核兵器も戦争もない世界」を実現しよう! ―特に、米国の友人たちへの提案―
第7章 核兵器禁止条約の発効から9条の地球平和憲章化へ
 コラム 「マッカーサーの原爆使用計画と反共主義」
 「ヨハン・ガルトゥングの『日本人のための平和論』」
 「なぜ、米国は偉そうに振舞えるのか」
 あとがきにかえて―台湾海峡での核使用を危惧する

「核の時代」と憲法9条

日本評論社
1冊頒価  2,000円(税込・送料無料)

<本書の内容>
第1部 核も戦争もない世界を求めて
 第1章 「核の時代」と憲法九条
 第2章 「核兵器のない世界」を求めて
 第3章 原発からの脱却

第2部 随 想
 パート1 核と平和のテーマ
 パート2 民主主義の在り方について
 パート3 朝鮮半島のこと
 パート4 折々のこと 折々の人

あとがきに代えて
 ―― 一度だけの70歳を迎えて

大久保賢一先生のご紹介/村山志穂
資 料
1.原爆投下と日本国憲法9条 抜書き
2.「核兵器のない世界」の実現のために
   NPT再検討会議に向けての日本の法律家の提言
3.核兵器廃絶のために、私たちに求められていること

購入お申し込みはこちら

(反核法律家協会のホームページに移動します)

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2025.6.5

『司法が原発を止める』を読む

はじめに
 井戸謙一さんから『司法が原発を止める』(旬報社、2025年6月20日)を贈呈された。樋口英明さんとの対談本だ。井戸さんの添書には「最近は、まるで福島原発事故以前に回帰したのではないかと思わせる司法判断が相次いでいます。そのような時期だけに、原発の運転を差し止める判断をした元裁判長二人の思いを吐露した本書はなにがしかの社会的意味を持つのではないかと考えています。」とあった。早速、目を通した。二人の裁判官としての矜持と市民としての決意が伝わってくる本だった。大いに意味がある本だと思う。
 井戸さんは2006年に志賀原発の運転差し止め判決を出した人である。私は司法研修所で同期(31期)だ。研修所時代の交流はなかったけれど、2011年の大震災以来「原発と人権ネットワーク」の活動などで共同している。樋口さんは、2014年に大飯原発の差し止め判決や2015年に高浜原発運転差し止め仮処分決定を出した人だ。私は直接の面識はないけれど『私が原発を止めた理由』(旬報社、2012年)などで、その思考方法や価値観についてはそれなりに承知している。
 井戸さんは1954年生まれ、樋口さんは1952年生まれなので、1947年生まれの私は同時代人だと思っている。二人が原発を差し止める判決を書いたことは承知しているので、すごい同時代人がいるものだとかねてより尊敬していたけれど、本書を読んで、改めてその思いを強くしている。
 ここでは、その想いを少し綴ってみることにする。二人の原発に反対する理由への共感と裁判官としての矜持に係ることである。

二人が原発に反対する理由
 井戸さんは、電力を生み出すのに、他にいくらでも安全な方法がある。こんなに危険で、国の存亡もかかってくるような発電方法を採用する必要がない。それが基本だ、としている。樋口さんは「どのように危険なのでしょう。」とその確認をしている。井戸さんは、福島の事故を見たら明らかだ。いずれまた事故は起こるし、その時には福島事故を凌駕する被害になりかねない。使用済み核燃料の問題もあるし、コストも高い。何のいいこともない、としている。
 二人は、地震のこと、CO2のこと、資源のこと、電力不足のことなど色々なことを話している。その上で、井戸さんの結論は「原発は必要ない。」であり、樋口さんの結論は地震の発生する頻度にかかわらず「どこの国でも原発はやってはいけない。」である。
 興味深いのは二人とも核兵器や戦争のことに触れていることだ。例えば、井戸さんは「核燃料サイクル」にこだわるのはいざというときに核兵器を作る能力を維持するためだと言っている。樋口さんは、原発を持っていること自体がすごく危険だ。原発はあらゆるものに対して凄く弱い。そういうものを持ちながら敵基地能力を持つということは大矛盾だ。50何基もの原発を海岸に並べた時点でどの国と戦争しても勝てない。政治家の頭の中にあるのはお花畑と言われるような発想だ、などと言っている。
 さらに二人は、自然由来の放射線被曝と原発事故の後に環境にまき散らされた放射性物質による被曝を比較する発想自体がおかしいということも確認している。二人は様々な角度から原発の危険性を認識していることがよくわかる対談である。
 私も核兵器はもとより原発もなくさなければならないと考えている一人である。そもそも、生物は核の安定を前提としているので核分裂とは相いれない存在だと思っているからである。そして、核兵器という鋭利な剣と原発という重厚な刃が人類の頭上に存在していることに耐えられないからである。元々、核兵器は危険で有害なものだし、電気は核分裂エネルギーに頼らなくても確保できるのである。だから、私は「原発は危険であり無用なものだ」という二人の結論に共感している。

二人には原発の稼働を止める意思と能力があった
 ここで確認しておきたいことは、二人には稼働している原発を止める力があったということである。これはとんでもない力である。民主的手続きによって構成されているとされる政府に逆らって、たかだか3人で国策である原発を止める権限なのだから半端ではない。もちろんこの権限は憲法に根拠を置くものだから正当なものであることはいうまでもない。その権限をどのように行使するかはその地位にある者の良識と決意にかかっている。
 樋口さんによれば、福島原発事故以降で運転差し止めを認めた裁判官は7人、認めなかった裁判官は30人くらいいるという。井戸さんによれば「裁判官は基本的に体制的、保守的」だそうだ。法律は体制維持のためでありその法律に従って判断するのが裁判官の仕事なのだからというのがその理由である。
そういう中で、二人は原発差し止めの判断をしたのである。だから、井戸さんは「裁判官は事件を裁くことによって、自らが裁かれる。」としているし、樋口さんは「この判決を出せたら、僕はもう死んでもいい。」としているのである。
 確かに、二人の判決が社会的に与えた影響は大きい。けれども、井戸さんは、先の言葉に続けて「歴史に、社会に、人々に裁かれる。しかしながら判決を書く時は、法廷の外のことは考えずに、法廷の中だけで勝負する。」としている。樋口さんは、「迷いはなかったけれど、何か大きなことをするという気持ちはありました。敢えて言うと歴史を残すために書いた。」と言っている。その歴史を残すとは「日本の歴史を残す。」という意味だという。井戸さんの「国の滅亡の危機を感じていらっしゃったということですか。」という問いに「今でも感じています。震度6が来ると原発は危ないのです。…誰が見ても原発は危険です。理性的な人ならば、必ず同じ結論になると確信しています。」と応じている。
 福島原発事故を体験しているだけに、樋口さんの危機感は深刻である。私もその危機感を共有する。そして、二人の裁判官としての矜持に感銘を覚えている。

まとめ
 二人は、2022年6月17日の福島原発事故についての国の責任を認めなかった最高裁判決を裁判官たちの名前を挙げながら手厳しく批判している。例えば菅野博之裁判官は「自分の良心を麻痺させている」とされているし、草野耕一裁判官は「法律家としては無茶苦茶」とされているし、岡村和美裁判官は「補足意見を書かないだけましかも」とされている。ただし、三浦守裁判官の少数意見は「まっとう」、「本来最高裁が書くべき判決」とされている。付言しておくと、菅野裁判官は、この判決後の7月に定年退官して、東京電力と関係のある大手の法律事務所に就職したことについて「そんなことをよくやるな」、「どう見ても公正らしくない」と非難されている。
 私には、2013年に最高裁が招集した原発差し止め裁判の協議会で「井戸判決」が参照されていないことと合わせて、最高裁の無能と無責任さを改めて示されたように思われてならない。法律家にもピンからキリまであることは体験的に知っているけれど、この二人の話を聞くと「絶望感」に襲われそうになる。けれども、二人のような裁判官がいたこと、そして、その地位が終了した後でも、このような形で発信を続けている姿に接するとき、絶望などしている場合ではないとの思いを強くする。司法は原発を止める権能を持っていることを改めて確認しておきたい。そして、二人の市民としての決意にエールを送りたい。(2025年6月5日記)

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2025.5.8

『被爆80年にあたっての提言』―自著を語るー

はじめに
 5月3日付で、新著『被爆80年にあたっての提言』(日本評論社)を発刊した。昨年12月10日に『「原爆裁判」を現代に活かす』から5か月と経っていない。にもかかわらず、新著を急いだ理由は、今年が被爆から80年ということと日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を受賞したことにある。
 私は、2019年以降『「核の時代」と憲法9条』(日本評論社、2019年)、『「核兵器も戦争もない世界」を創る提案』(学習の友社、2021年)、『「核の時代」と戦争を終わらせるために』(学習の友社、2022年1月)、『迫りくる核戦争の危機と私たち』(あけび書房、2022年11月)、『「核兵器廃絶」と憲法9条』(日本評論社、2023年)を出してきた。加えて、昨年、NHKの朝ドラ「虎に翼」で「原爆裁判」が取り上げられたおかげで『「原爆裁判」を現代に活かす』(日本評論社)を出すこともできた。いずれも、テーマは核兵器廃絶と憲法9条の擁護と世界化にかかわっている。これは「核兵器も戦争もない世界」を創りたいという想いの発露だ。その想いを更に掻き立ててくれたのは、日本被団協の田中熙巳代表委員のノーベル平和賞受賞記念スピーチだった。

田中さんのスピーチ
 田中さんのスピーチは、自らの被爆体験と被団協のたたかいを簡潔に紹介するものだった。「被爆の実相」を体験するだけではなく、それをもたらした「悪魔の兵器」を廃絶するための闘いを主体的に継続した人だけが持っている熱量を感じさせるものだった。私には「原爆裁判」の訴状が持っている熱量と匹敵するように思われた。すごい人が実在していることを実感する機会でもあった。そのスピーチの結びは次のようなものだった。
「人類が核兵器で自滅することのないように!!」、「核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!!」
 田中さんは「人類の自滅」を避けるために「核兵器も戦争もない世界」を創るための共同を世界の人々に呼びかけたのだ。
 私はこの田中さんのスピーチを聞きながら、この呼びかけに応えなければならないという想いを新たにしたのである。

田中さんと私
 田中さんと私の交流は四半世紀になる。1999年、オランダのハーグで開催された「世界市民平和会議」(Hague・Appeal・for・Peace、HAP)で共同したことがきっかけだった。HAPは、21世紀に戦争を根絶することをめざして開催された市民社会の会議だ。会議では「10の基本原則」が採択されている。その中に「各国議会は、日本国憲法第9条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである。」や「核兵器廃絶条約の締結をめざす交渉が直ちに開始されるべきである。」という原則も含まれていた。
 それから25年、日本国憲法は執拗な攻撃に曝されているが未だ輝きを失っていない。そして、「核兵器禁止条約」は発効している。核兵器も戦争も廃絶しようとする運動は間違いなく前進しているのだ。
 けれども、核兵器に依存しで自国の安全を確保しようとする勢力が、いまだ、政治権力を握っている。この状況を打破しない限り、バラック・オバマが言ったように「空から死が落ちてくる」ことになるかもしれないのだ。だから、田中さんのスピーチは、ノーベル委員会のヨルゲン・ワトネ・フリドネス委員長が言うように「核兵器は二度と使われてはならない兵器だということ思い出させ」るものであり「人類の総意」とされなければならないのである。

この本の構成
 序章は「私たちは大きな分岐点に立っている」である。政府も「世界は分岐点にある」としているので、そのことについて検討している。第1章は、「『核兵器も戦争もない世界』を創るために」である。田中熙巳さんのノーベル平和賞受賞記念講演を題材に「核兵器も戦争もない世界」を希求している。あわせて、原発や自然災害と核兵器の関係についても触れている。第2章は、「憲法の平和主義で考える」である。憲法の平和主義との関係の論稿である。「戦争前夜」と言われている情勢をどう見るか。「安保三文書」のひとつ「国家安全保障戦略」の紹介や憲法の非軍事平和主義の本来の姿などを再確認している。第3章は、「改憲、核抑止論に未来はない―政府や自民党との対抗-」である。政府で仕事をしている人の核兵器観の批判的紹介や自民党に対する批判もしている。終章は、「誰と連帯するのか」である。核兵器廃絶は人類的課題ではあるけれど政治的課題でもあるのだ。

田中さんの推薦
 本書は、前著『「原爆裁判を現代に活かす』に続いて田中熙巳さんから次のような推薦文を寄せてもらっている。
 私はノーベル平和賞授賞式で「人類が核兵器で自滅することのないように!!核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!!」と世界に呼びかけました。被爆80年にこの呼びかけにいち早く応えてくれたのが、一貫して核兵器廃絶と憲法9条のために取り組んでいる著者です。本書に込められた思いと信念が多くの市民の共感を呼ぶことを強く望んでいます。
 本書が、田中さんの推薦にどこまでこたえられるか心もとないけれど、「核兵器も戦争もない世界」は必ず実現する。それは、核兵器は人間の作ったものであり、戦争は人間の営みだからである。ぜひ、ご一読を!!(2025年5月6日記)

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2025.3.13

「核兵器も戦争もない世界を創るために」
―茨城県弁護士会のシンポ―

茨城県弁護士会のシンポ
 2025年3月8日。日本弁護士連合会(日弁連)の憲法改正問題に取り組む全国アクションプログラムの一環として、茨城県弁護士会主催のシンポジウム「核兵器も戦争もない世界をつくるために~原爆裁判を現代に活かす」が、土浦市の茨城県南生涯学習センターで開催されました。私は日本反核法律家協会会長として田中煕巳被団協代表委員と二人で基調報告をしました。田中さんとはあちこちでご一緒していますが、こういうコラボは初めてでした。私のテーマは「『原爆裁判』と核兵器禁止条約について」、田中さんは「被団協のノーベル平和賞について」でした。
 100人の定員の会場は満席(事前に入場制限したそうです)、ウェブでも60人からの参加があったようです。日弁連と関東弁護士会連合会との共催でしたが、弁護士会がこういうイベントを開催してくれることは本当に嬉しいことです。茨城県弁護士会の皆さんに感謝しています。

アンケートの結果
 私は47枚のパワーポイントを用意して「憲法9条と核兵器禁止条約を活用して、核兵器も戦争もない世界の実現を!!」と報告しました。田中さんは「何か用意した方がよかったですかね。」といいながら、自在に被団協のノーベル平和賞受賞の意義を語っていました。レジメもパワポもないのに言葉が紡がれるのです。何とも凄いことだと思います。
主催者はアンケート用紙を用意していました。そのアンケート項目に「大久保氏、田中氏の講演について」というのがあり「興味深かった、普通、あまり興味が持てなかった」の三択でした。何ともストレートな質問だなと思いつつ、ドキドキしながらその結果を読みました。アンケートは30通を超えて寄せられていました。結構高い回収率でした。その項目での回答は、全てが「興味深かった」でした。興味を持っている人が来ているのだから当たり前といえば当たり前かもしれませんが、報告した方からすれば、やっぱり嬉しいことなのです。

茨城の親しい弁護士たち
 茨城県の弁護士には何人かの親しい人がいます。例えば、このイベントを企画したのは尾池誠司弁護士ですが、彼は私の事務所で弁護修習をした人です。現在、茨城県弁護士会の憲法委員会委員長をしており、弁護士会の憲法問題についての活動報告をしていました。「緊急事態条項はいらない」というDVDも活用していました。彼は「この度は、誠にありがとうございました。お二人のお話と意見交換も大変勉強になりました。今後とも、茨城県弁護士会を宜しくお願いいたします。」とFBに投稿していました。
 ここにいう「意見交換」とは、飯田美弥子弁護士が司会を務めて、田中さんと私にあれこれの質問をするというコーナーのことです。飯田さんは自分で「茨城県弁護士会憲法委員会の集会で、お役目を大過なく果たせたこと」を「今日の良かったこと」にしているように、私たちの話を引き出してくれたのです。尾池君はそれも「大変勉強になった」としているのです。
また、日弁連副会長経験者である谷萩陽一弁護士も旧知の中です。谷萩さんは主催者挨拶を担当していました。彼は「大久保先生、このたびは本当にお世話になりました。田中さんに来ていただけたのも先生のおかげでしたし、ご一緒に来ていただけたので田中さんも心強かったと思います。講演もしっかり準備されて中身の濃いお話で、あらためて勉強になりました。私からすると大久保先生はとても老人とは思えません。内藤功先生や石川元也先生のように、いつまでも元気でご活躍下さい」と投稿していました。内藤功先生や石川元也先生は、自由法曹団の先輩で、二人とも90歳を優に超えているのです。 その二人のようになれというエールを送ってくれたのです。
 ここに紹介した3人以外にも、司会を担当した田中記代美憲法委員会副委員長や閉会挨拶をした唐津悠輔副会長にもお世話になりました。唐津さんは私の講演のなかで触れていた「原爆裁判」の裁判官たちは「『法は核兵器とどう向き合うべきか』について、正面から受け止めていた。それは法律家としての矜持だ。」という部分を引用していました。心に残る挨拶でした。

移動と四方山話
 移動とその途中のことにも触れておきます。
私と田中さんは二人とも埼玉在住です。土浦までの移動が必要なのです。武蔵野線の新座駅のホームで待ち合わせをして、新松戸まで行き、そこで常磐線に乗り換えて会場の土浦という経路でした。片道約2時間30分です。埼玉と茨城は隣県ですが、決して近間ではなかったのです。
行き帰りの電車の中では四方山話です。共通の知人は多いし、問題関心は共通しているし、おまけに田中さんは話し好きなので話は尽きないのです。一番盛り上がったのは、田中さんのお母さんは女手一つで4人の子供を育てて102歳まで生きたことと、私の母も102歳で今も私と電話で話をしているというエピソードでした。
 二人とも長生きの血筋のようだから、肥田舜太郎先生のように100歳まで頑張ろうということになりました。肥田舜太郎さんは29歳の時に広島で被爆し、8年前に100歳で亡くなるまで、被爆者の支援と反核平和のために生きた人なのです。田中さんは92歳、私は78歳。「大久保先生はとても老人とは思えません。」という意見もありますが、齢相応に頑張ることにしたいと思っています。(2025年3月11日記)

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2025.3.13

あなたは「北御門二郎」を知っていますか

 あなたは北御門二郎さんを知っていますか。私が彼のことを知ったのはつい最近です。彼は、1913年に生まれ、2004年7月17日に91歳で亡くなられた方です。私の父より4年早く生まれ、4年遅く亡くなっているので、私の父とほぼ同時代を生きた人です。
ぶな葉一著『北御門二郎 魂の自由を求めて』(銀の鈴社、2014年)では「トルストイに魅せられた良心的兵役拒否者」と紹介されています。「人を殺すくらいなら、殺される方を選ぶ」と太平洋戦争の折、死刑覚悟で戦争に行くことを拒否した人物とされています。

 トルストイは“絶対的非暴力、絶対平和”を主張したロシアの作家で、ガンジーやキング牧師に大きな影響を与えたとされています。私も、トルストイの作品は、半世紀以上も前の学生時代に読んだことはあるし、その影響の大きさについては知っているけれど、北御門さんのことは何も知りませんでした。北御門さんはトルストイの『戦争と平和』、『アンナ・カレニーナ』、『復活』なども訳していますが、それは1978年以降なので、既にロシア文学に接する機会はなくなっていた私には縁遠い人だったのです。

 加えて、あの大日本帝国時代に「兵役拒否」をした人がいたことも知らなかったのです。「良心的兵役拒否」は、憲法上の論点の一つですから、問題意識はありましたが、北御門さんのことは承知していなかったのです。何とも情けないことのように思われてなりません。ちなみに、彼は私の知る憲法の教科書には登場していません。

 『北御門二郎 魂の自由を求めて』によれば、彼は、1938年(25歳)の時に、「徴兵検査」に呼び出されますが、それを拒否します。そして、結局は「兵役には無関係」とされて兵役についていないのです。彼は、主観的には銃殺覚悟で兵役を拒否したのですが、手続き的には「拒否」という扱いにはなっていなかったのです。
 ところで、兵役法(昭和2年~昭和20年)によれば「兵役を免れるために逃亡などをした者は3年以下の懲役」とされていました。ご本人は銃殺を覚悟していたようですが、兵役拒否での死刑はありません。もちろん、だからといって、彼の覚悟が無意味だということにはなりません。殺すことを拒否し、殺されることを選択することなどは、誰にでもできることではない「究極の選択」だからです。加えて、当時は、治安維持法もあったのです。治安維持法には死刑もあったし、逮捕されれば、小林多喜二のように拷問で殺されてしまう時代だったのです。多喜二が殺されたのは1933年です。
 そして、兵役法には「兵役に適せざる者は兵役を免除する」という条文や「徴兵検査を受けるべき者勅令の定るところにより兵役に適さずと認める疾病その他身体または精神の異常の者なるときはその事実を證明すべき書類に基づき身体検査を行うことなく兵役を免除することを得る」という条文もありました。どの条文が適用されたのかは知りませんが、彼は「兵役に適さない」として生き残ったのです。私は、彼は「狂人」とされたのだろうと推測しています。「アカ」でなければ「狂人」とされる時代だったからです。

 彼の存在を知ったのは、石田昭義さんの2025年2月21日付『週刊読書新聞』の拙著『「原爆裁判」を現代に活かす』の書評によってでした。ちなみに、ぶな葉一は石田さんのペンネームです。石田さんは、拙著を「核兵器廃絶に向けた重く深く丁寧な語り」であり「弁護士として生涯をかけてきた著者の思いが凝縮」と評価してくれました。
 そして、それだけではなく「ロシアのトルストイは絶対平和、絶対非暴力の道を唱え、インドのガンジー、キング牧師が続き、その流れは地下水脈のように今も流れている。まさに憲法9条の、そして人類が滅びずに生きていくための源流ではないか。トルストイの思想に共鳴した北御門二郎も、『人は人を殺すために生まれてきたのではない』と、大学在学中、死刑覚悟で徴兵を拒否し奇跡的に命を永らえ、トルストイの翻訳と農業者としての生涯を終えた。」と9条につながる思想との関連で北御門二郎に触れていたのです。

 日本国憲法の徹底した非軍事平和思想がトルストイにつながるということはそのとおりだと思っている私は、書評のお礼を兼ねて石田さんに手紙を書いたのです。
 そうしたところ、石田さんは、返事と合わせて『北御門二郎 魂の自由を求めて』を贈ってくれたのです。そして、その本は私の蒙を啓いてくれたのです。この本は2023年4月には第5版となっています。「たった一つの命、一度きりの人生を悔いなく貫くための指針がぎっしり詰まった1冊」というキャッチコピーにふさわしい本です。私の本も版を重ねて欲しいと思われてなりません。

 石田さんは「大久保さんのこの著書が高校などでせめて副読本としてでも生徒さんの討論の材料となれば、日本は大きく変わるのにと思い、又、世界を変えることもできるのにと思います。」と手紙にしたためてくれました。私より3歳ほど年上の信州生まれの方から、こんな風に言われると、本当にうれしいものです。「同志」と巡り会えたように思われるからです。(2025年3月11日記)

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2025.3.13

被団協のノーベル平和賞受賞を活かそう!!

 被団協がノーベル平和賞を受賞した。被団協の活動を身近で見てきたし、それなりに伴走してきた私としても本当にうれしい。地獄の体験をした被爆者が「人類と核は共存できない」、「被爆者は私たちを最後に」と世界に訴え、核兵器が三度使用されることを防いできたことを思えば、この受賞はむしろ遅かったくらいだとも思う。この受賞を「核兵器も戦争もない世界」を実現する上で大いに活用したい。


核兵器も戦争もなくなっていない
 世界では武力の行使が続いているし、1万2千発からの核兵器が存在している。ピーク時である1986年の7万発と比較すれば大幅に減少しているとはいえ、そのうちの数千発はいつでも発射される態勢(警戒即発射態勢)にある。しかも、その能力は「近代化」され破壊力を増している。プーチン・ロシア大統領は核兵器使用を公言し、イスラエルも核の影をチラつかせている。中国は核戦力を強化し、北朝鮮は核兵器の先制使用を憲法に書き込んでいる。核兵器使用の危険性が高まっているのである。


授賞の理由
 ノーベル委員会は平和賞授与の理由として、被団協が1945年8月の原爆投下を受けて「核兵器使用がもたらす壊滅的な人道的結末に対する認識を高める運動」をしてきたことをあげている。そのたゆまぬ努力が「核のタブー」を形成してきたというのである。ノーベル委員会はまさに慧眼であろう。そして、ノーベル委員会は「核のタブー」が圧力を受けていること、すなわち核兵器使用の危険性が高まっていることを危惧して、被団協に授与していることにも注目しなければならない。私はそのノーベル委員会の「核のタブー」が破られようとしているとの危機感を共有している。

「核のタブー」を破るのは誰だ
 その「核のタブー」を破ろうとしているのは、核兵器保有国であり核兵器依存国である。米国政府はイスラエルの暴虐を止めようとしないし、ウクライナに停戦を呼び掛けていない。米国大統領に再び就任するトランプ氏は、かつて「核兵器をなぜ使ってはならないのか」と何度も聞き返した人である。彼らは核兵器を廃絶するのは核兵器がなくても自国の安全が確保されてきたからだとしている。自分たちで対立と分断を煽りながら、安全保障のために核兵器が必要だというのである。おまけに、他国にはその「安全保障の道具」を持たせないというのだから質が悪い。

核兵器使用はタブー
 核兵器使用は「タブー」である。核不拡散条約(NPT)は「核戦争は全人類に惨害をもたらす。」としているし、核兵器禁止条約は「核兵器のいかなる使用も、壊滅的人道上の結末をたらす。」としている。核大国の首脳も「核戦争に勝者はない。核戦争は戦ってはならない。」としている。核兵器使用がタブーであることは、1955年に「原爆裁判」を提起した故岡本尚一弁護士が「原爆使用が禁止されるべきであることは天地の公理」としていた時代から指摘されていたことなのである。


核兵器使用禁止から廃絶へ
 にもかかわらず、核兵器はなくならないどころか、核戦争の危機が迫っている。その原因は、核兵器は自国の安全保障のために必要だと主張する「核抑止論者」が政治権力を持ち続けているからである。そして、民衆が彼らにその力を提供しているのである。
 核兵器は意図的に使用されるだけではなく、事故や誤算で発射される危険性を排除することはできない。ミスをしない人間や故障しない機械はないからである。現に危機一髪の事態は発生している。発射されたミサイルを呼び戻す方法はない。
 このままでは、私たちは「被爆者候補」(田中熙巳 被団協代表委員)であり続け、「核地雷原」での生活を強いられることになる。だから、私たちの課題は、核兵器不使用禁止の継続ではなく、核兵器廃絶ということになる。

被団協のたたかい
 被団協の結成は1956年である。その「結成宣言」は次のように言う。私たちは全世界に訴えます。人類は私たちの犠牲と苦難をまたふたたび繰り返してはなりません。私たちの受難と復活が新しい原子力時代に人類の生命と幸福を守るとりでとして役立ちますならば、私たちは心から「生きていてよかった」とよろこぶことができるでしょう。
 1984年の「原爆被害者の基本要求」は次のように言う。私たち被爆者は、原爆被害の実相を語り、苦しみを訴えてきました。身をもって体験した”地獄”の苦しみを、二度とだれにも味わわせたくないからです。「ふたたび被爆者をつくるな」は、私たち被爆者のいのちをかけた訴えです。それはまた、日本国民と世界の人々のねがいでもあります。核兵器は絶対に許してはなりません。広島・長崎の犠牲がやむをえないものとされるなら、それは、核戦争を許すことにつながります。
 2001年の「21世紀被爆者宣言」は次のように言う。日本国憲法は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意」しています。戦争被害を受忍させる政策は憲法の平和の願いを踏みにじるものです。憲法が生きる日本、核兵器も戦争もない21世紀を―。私たちは、生あるうちにその「平和のとびら」を開きたい、と願っています。
 被団協はこのような決意のもとに「核兵器も戦争もない世界」を求めてきた。しかも、刮目しておきたいことは、核兵器廃絶と憲法9条をしっかりとリンクさせていることである。「平和憲法」が公布された1946年11月3日、当時の日本政府は、原爆を念頭に「文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を滅ぼしてしまうことを真剣に憂えている。ここに九条の有する重大な積極的意義を知る。」としていた。被団協も被爆体験の中から「核兵器も戦争もない世界」を希求し続けてきたのである。


まとめ
 私たちは、核兵器に依存しながら核兵器廃絶をいう勢力に騙されてはならない。世界のヒバクシャと団結して、核兵器廃絶のたたかいを強化しなければならない。既に、核兵器を全面的に禁止しその廃絶を予定する核兵器禁止条約は発効している。それに背を向ける日本政府を、憲法に依拠しながら、変えなければならない。「核兵器も戦争もない世界」を創るために。(2025年1月14日記)

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2025.3.13

核兵器も戦争もない世界を創るために!!
―甲府での講演―

非核の政府を求める会と「非核5項目」
 1月11日、甲府で講演をする機会があった。「非核の政府を求める山梨の会」の2024年度総会に際しての記念講演を依頼されたのだ。「非核の政府を求める会」というのは、1986年に、核戦争の不安と日本の核戦場化の危険を根絶したいと願う団体・個人によって結成された非政府組織(NGO)だ。この会の特徴は、そのホームページによると「主権者である国民の手によって、『非核の政府』実現を目的としていることです。私たちは、そのための国民共通の目標として「非核5項目」を掲げています。」とされている。
 「非核5項目」とは、①全人類共通の緊急課題として核戦争防止、核兵器廃絶の実現を求める。②国是とされる非核3原則を厳守する。③日本の核戦場化へのすべての措置を阻止する。④国家補償による被爆者援護法を制定する。⑤原水爆禁止世界大会のこれまでの合意にもとづいて国際連帯を強化する、である。
 私は、この会の常任世話人の一人なのだ。

山梨の会の世話人
 ところで、この山梨の会の世話人の一人を友人の加藤啓二弁護士(33期、75歳)がやっている。彼とは自衛隊がカンボジアに派遣された1992年、その実態を調査したいとして企画された「自由法曹団カンボジア調査団」の一行として行動を共にした仲だ。その後30年以上会っていなかったけれど、連絡をくれたのだ。山梨の会で講演して欲しいと言うのだ。テーマは核廃絶であれば好きにしゃべっていいとも言っていた。私にどのように言えば動くかは先刻お見通しのようだ。もちろん、私に断る理由はないし、被団協のノーベル平和賞受賞もあったので引き受けたのだ。

講演のテーマ
 演題は「核兵器も戦争もない世界を創るために」として、サブタイトルは「『原爆裁判』を現代に活かす」にした。私の新著(日本評論社、2024年12月)のタイトルは「『原爆裁判』を現代に活かす」サブタイトルは「核兵器も戦争もない世界を創るために」だけれど、それを逆にしたのだ。その理由は二つあった。一つは、2021年に「学習の友社」から『核兵器も戦争もない世界を創る提案―「核の時代」を生きるあなたに―』を出版していることだ。もう一つは、ノーベル平和賞受賞式での田中熙巳さんの記念スピーチの最後が「人類が核兵器で自滅することのないように‼そして、核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう‼」となっているので、その呼びかけに応えたいという気持ちだった。私には被団協や田中さんと伴走してきたという自負はあるので「共に頑張りましょう!!」という言葉を受け止めたいと思ったのだ。

講演の内容
 私は58枚に及ぶスライドを用意した。「虎に翼」やノーベル平和賞などを大いに活用して、「原爆裁判」の背景や原告と被告国の主張、鑑定人の意見、裁判所の判断、判決に対する評価、被爆者運動への影響、国際法への影響、核兵器禁止条約の到達点、憲法9条との関係、ラッセル・アインシュタイン宣言、現在の情勢などについて、90分ばかり話をした。結論は、「核の時代」の非軍事平和規範である憲法9条を土台に、「原爆裁判」をルーツに持つ核兵器禁止条約を普遍化し、核兵器も戦争もない世界の一刻も早い実現を!!である。主催者からは80分程度と言われていたのだけれど、会場の皆さんが一生懸命聞いてくれているのが伝わってくるので、ついつい伸びてしまったのだ。リアルで話していると参加者の感じ方が伝わってくる。聞いていてもらえるとなるとこちらもノッてくる。今回もそんな感じだった。30人ばかりの会だったけれど楽しく話すことができた。

質問と意見
 質問や意見交換の時間は短くなってしまったけれど、こんな質問があった。「何で政府は核兵器に依存したり、原発依存を続けるのか。」というものだ。核心を突いた質問である。核兵器に依存する理由は、講演の中で、政府は「米国の核とドルの傘」に依存するという姿勢でいると説明しておいたので、それと原発依存の関係での質問であろう。私は「電力会社の意向に応え、その利潤を確保するためと、石破さんがいうように原発は『抑止力』という軍事的必要性によるものだ。国民の安全よりも、利潤追求と軍事力を優先する発想だ。」と答えておいた。あわせて、私たちは核兵器と原発という二本の「ダモクレスの剣」の下で生活しているという私の新著で紹介している話も付け加えておいた。
 感想としては「こんな話を全国でやって欲しい。」とか「よく理解できたので、質問はないけれど、この話を活動に活かしたい。」などと言われていた。また、被爆者運動に深くかかわっていた伊東 壯(いとう たけし1929年~ 2000年。経済学者で平和運動家。山梨大学学長、日本被団協代表委員などを歴任)と一緒に活動していたという方の発言もあった。私は、伊東さんとの交流はなかったけれどその著作には触れているし尊敬している方なので、感謝の言葉を述べておいた。

まとめ
 閉会後、トイレに入ったらある参加者が「今日はいい話を聞かせてもらった。」と隣で用を足している人に話しかけていた。順番待ちをしていた私は、思わず「ありがとうございました」と声をかけてしまった。二人が振り向いて会釈をしてくれた。「あ、やばい。途中だったら…」と思ったけれど、事故は起きていなかったようだ。こういうシーンに出会うと、核兵器廃絶は決して夢ではないと思う。また、どこかで話をしたくなる。
 私に何ができるか分からないけれど、愚直に運動を続けようと思う。甲府の駅まで送って、甲州ワインをお土産に持たせてくれた加藤さんと「お互いに後期高齢者だ。健康は大事にしよう!」と握手をして別れた。加藤さん。甲府の会の皆さん。お世話になりました。
(2025年1月12日記)

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2025.1.24

「あの夏の絵」所沢公演と田中熙巳さん

 広島の高校生たちが被爆者の話を聞きその体験談を絵に描くという実話をもとにした青年劇場の「あの夏の絵」を所沢でも上演した。昨年12月17日のミューズでの公演には300名を超える観客が訪れてくれた。

 上演の前には、ノルウェー・オスロでのノーベル平和賞授賞式から帰国したばかりの田中熙巳 日本被団協代表委員からのご挨拶もいただいた。何とも光栄なことであった。

 この公演を企画したのは、核兵器廃絶を一刻も早く実現するための運動の一環としたいとの想いだった。青年劇場からのお誘いを受け、一年以上をかけて準備をしてきた。所沢市内の著名人に呼びかけ人になってもらい実行委員会を立ち上げた。演劇と映画や講演との大きな違いは、生身の人間が観客の面前で演技をすることにある。私も、こまつ座を含めて演劇を鑑賞する機会はあるけれど、自らが公演を企画するなどということは初めての体験だった。

 やってみようと思ったのは、核兵器使用の危険性が迫っているにもかかわらず、核兵器廃絶を「永遠の彼方」に追いやっている日本政府や核兵器国の姿勢を見ていて、何とかしなければという気持ちからだった。そして、「あの夏の絵」のビデオや青年劇場の舞台を観ていると、この劇はきっと多くの人の心を動かせるとも思ったのだ。

 もちろん、不安がなかったわけではない。そこに、日本被団協のノーベル平和賞受賞のビッグニュースが飛び込んできたのだ。平和賞の評価は様々あるけれど、この六十数年間、「被爆者は私たちを最後にして欲しい」、「人類と核兵器は共存できない」として、「核のタブー」を形成し、核兵器が三度使用されることを阻止してきた被団協の受賞に異議を唱える人はいないだろう。
ということで、親しくお付き合いをしている田中熙巳さんに協力を得ることにしたのだ。

 12月11日、田中さんは平和賞受賞記念スピーチをしている。その演説は多くの人の心に響いている。その田中さんが会場に来てくれることは「あの夏の絵」公演に花を添えたことは間違いない。田中さんが舞台に現れた時の観衆の拍手は本当に心のこもったものだった。そして、俳優の皆さんも熱演だった。 実行委員長としてこんなにうれしいことはなかった。関係者の皆さんとともに喜び合いたい。
 あわせて、一刻も早く「核兵器も戦争もない世界」を創るための運動を続けたいと決意を新たにしている。(2025年1月14日記 写真は公演後、盛寿司にて) 

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2024.12.18

企業・団体献金は憲法上の権利なのか
―企業・団体献金の禁止は民主政治の大前提―

問題の所在
 石破茂首相(自民党総裁)は、12月10日の衆院予算委員会で、企業・団体献金の禁止に関し「企業も表現の自由は有している。献金を禁じることは、少なくとも憲法21条には抵触すると考える。」との見解を示した。その見解は「違反するとは言わないけれど、企業・団体献金の憲法上の根拠が憲法21条である以上、禁止となれば、21条との関連は法律学上、議論されなければならない。」と修正されたけれど、企業・団体献金は憲法21条の権利であるかのように主張しているのである。
 企業・団体の政治献金は憲法上の権利なのだろうか。それを検討してみよう。

「政党への寄付」の憲法上の位置づけ
 まず、「政党への寄付の自由」の憲法上の位置づけを確認しておこう。参考になるのは、税理士会の政治団体への寄付の合憲性が争点になった「南九州税理士会事件」についての最高裁判決(平成8年3月19日)である。
 この判決は「政党などに対しての寄付」は「選挙における投票の自由と表裏を成すものとして、会員各人が市民としての個人的な政治的思想、見解、判断等に基づいて自主的に決定すべき事柄」であるとしている。「政党への寄付」は「投票の自由」と同様に「各個人の自由な選択」というのである。「思想 および良心の自由」(19条)とか「結社の自由」(21条)などは引用されていないが、それらの基本的人権が背景にあることは自明であろう。
 また、政党助成法の違憲性が問われた事件についての東京高裁判決(平成17年1月27日)は「政党への寄付の自由、すなわち、政党に寄付をするかどうか、どの政党にいくら寄付するか等は、国民が個人的な政治的思想、見解、判断等に基づいて自主的に判断すべき事柄であり、それは思想および良心の自由(憲法19条)の一側面であり、このような自由権はすべての国民が享受する。」としている。
 このように、裁判所は個人の「政党への寄付の自由」は憲法上の権利としているのである。なお、この東京高裁のこの部分の判断は2002年(平成14年)に埼玉県飯能市の市民が提起した「政党助成金違憲訴訟」の原告の主張を受け入れたものである(ただし、政党助成金を違憲とはしていない)。

「政党への寄付の自由」は法人にも認められるか
 次の問題は「政党への寄付の自由」はすべての国民が享受するのであるが、その国民に法人も含まれるかである。
 「南九州税理士会事件」の判決は「政党や政治団体に寄付をすることは、選挙においてどの政党又はどの候補者を支持するかに密接につながる問題」であるので、「公的な性格を有する税理士会が、このような事柄を多数決原理によって団体の意思として決定し、構成員にその協力を義務付けることはできない。」としている。
 税理士会が政党などに寄付することは、会を構成する税理士個人の「政党への寄付の自由」を侵害することになるので、税理士会の目的の範囲外であり、税理士会という法人が政治献金をすることは出来ないとしたのである。
 この最高裁判決は、税理士会という強制加入団体に係るものであるが、その論理を一般化すれば「法人の『政党などへの寄付』は法人構成員の『政党への寄付の自由』を侵害することになるので、そのような寄付は許されない。」という結論になるであろう。

この判決は会社の場合にも当てはまるのか
 そこで問題は会社の政治献金はどうなのかである。判決は次のように言う。
 法人は、法令の規定に従い定款で定められた目的の範囲内において権利を有し、義務を負う。この理は、会社についても基本的に妥当するが、会社における目的の範囲内の行為とは、定款に明示された目的自体に限局されるものではなく、政党に政治資金を寄付することも、客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果たすためにされたものと認められる限りにおいては、会社の目的の範囲内の行為とすることを妨げない(この部分は「八幡製鉄事件」判決の引用である)。
 判決は、法人は目的の範囲内でしか権利を有しないという理は会社にも「基本的には妥当する」としている。これは、会社の政治献金は「基本的には禁止される」ことを意味している。けれども、「客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果たすため」であれば許容されるとしているのである。
この判決は、会社にも法人の権利についての制約はあるけれど、税理士会にはない例外が認められるとしているのである。原則は禁止であり、許容は例外なのである。
 ここで、この判決が引用する「八幡製鉄事件」最高裁判決( 昭和45年6月24日)を検討してみよう。なお、石破茂首相たちはこの判決を「錦の御旗」としている。

「八幡製鉄事件」判決
 この判決は次のように言う。
 会社の構成員が政治的信条を同じくするものでないとしても、会社による政治資金の寄附が、特定の構成員の利益を図りまたその政治的志向を満足させるためでなく、社会の一構成単位たる立場にある会社に対し期待ないし要請されるかぎりにおいてなされるものである以上、会社にそのような政治資金の寄附をする能力がないとはいえないのである。要するに、会社による政治資金の寄附は、客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果たすためになされたものと認められるかぎりにおいては、会社の目的の範囲内の行為であるとするに妨げないのである。

 この判決も会社の意思と会社の構成員の政治的信条とが違う場合があることを認めている。だから、判決は会社の政治献金をフリーハンドとはしておらず「客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果たすためになされたものである限り」と限定しているのである。それを無視して「会社の献金はフリーハンド」であるかのように引用することは「我田引水」あるいは「牽強付会」として説得力を欠くことになる。石破首相たちの議論に説得力がないのはそういう理由である。

会社の政治献金は「社会的役割を果たす」ものなのか
 こうして、問題は会社や業界団体の自民党に対する政治献金は「社会的役割を果たす」と評価できるかということになる。端的に言えば、会社や業界に有利な法制度を作ることや予算配分を受けるために行われる自民党への政治献金は「社会的役割を果たすため」と言えるかである。
 それは、主観的には私的で強欲な行為であるし、「客観的、抽象的に観察」すれば自民党に対する「贈賄」行為である。これを「社会的役割」と評価することは正常な感覚の持ち主であれば出来ないであろう。
 このように、企業・団体献金は「八幡製鉄事件」に当てはめてみても、とうてい合理化できないのである。「最高裁も会社の献金を認めている」とか「企業団体献金の禁止は憲法21条に抵触する」などという言説は判例の誤読である。
 ところで、石破茂首相たちの議論には更に欠落している視点と論点がある。それは、民主政治の主体は個人だということである。

民主政治の主体は個人
 民主政治は国民個人の政治参加のシステムである。そのために個人の参政権がある。参政権は選挙という形で実現される。参政権や選挙権の主体は個人であって、法人が被選挙権や選挙権を持つことなど、憲法はまったく想定していない。近代憲法は個人を基礎単位としているからである。もちろん、参政権や選挙権の行使を目的とする法人は存在しない。法人は民主政治の主体ではないのである。石破首相たちはこの民主政治の根本を理解していなのである。しかもその無知は選挙以外の手段で政治に影響を与えようとする傲慢としてあらわれる。

選挙以外の政治への関与
 民主政治は選挙によって実現される。だから、選挙以外の方法で政治に影響を与えようとすることは、民主政治の根幹に抵触することになる。
 ところで、企業や業界団体が自民党に寄付をするのは、自分たちの要求を政治に反映したいからである。会社は利潤追求を目的とする社団法人なので、その役員がその目的に合うように行動することは彼らの任務である。だから、企業の経営者は、自分に有利な政治体制、経済体制、社会状況を求めることになる。利潤追求のためには政治も動かしたいのである。こうして、彼らは自らの手駒として動かすために有用な政党に献金するのである。要するに、企業・団体献金は金の力で政治を動かすためのシステムなのである。
 このように、自民党に対する企業・団体献金とは、選挙という制度以外で政治に影響を与える行動であり、個人の選挙を通じて国政を運用するという民主主義の基本システムに異質なものを持ち込んでいるのである。
 こうして、企業・団体献金は国民個人の参政権の意義を減殺し、民主政治を根底から揺るがしているのである。
 自民党の「企業・団体献金自由論」は民主政治を理解しない謬論であるだけではなく、憲法21条とは無縁の開き直りなのである。

自民党が抱える「難問」
 では、なぜ、企業・団体(財界)は自民党を必要とし、自民党はそれを受け入れるのであろうか。それは、選挙での多数派の確保が必要だからである。
 経済力を持つ財界といえども、その要求をストレートに政治に反映させることは出来ない。彼らの欲求を政治分野で実現してくれる部隊が必要となる。そして、双方にとって選挙で多数派を占めることが至上命題となる。財界の要求が選挙で支持されている体裁を整えなければならないからである。彼らも民主制を正面から否定することはしない。
 ところで、財界の要望と有権者の要望とが重なるのであれば何の問題はないけれど、大企業と国民個人の要求が一致するとは限らない。むしろ矛盾する。
 例えば、軍事産業の強化、原発の再稼働、消費税の税率アップなどだ。軍事力が行使されれば民衆に被害は発生するし、行使されないとしても膨大な資源が無駄になる。いずれにしても「防衛産業」は儲かるが、国民は戦争の危険にさらされ資源不足に苦しめられることになる。原発再稼働や増設などは電力会社には好都合だが、国民の安全はないがしろにされる。消費税によって法人税や所得税が軽減されれば企業や大金持ちは助かるけれど、低所得者の負担は大きくなる。
 要するに、大企業や大金持ちの要求は国民圧倒的多数の要求とは相いれないのである。にもかかわらず、選挙では多数派にならなければならないのである。これは「難問」である。

自民党はその「難問」をどう解決するのか
 その「難問」を解決するのが自民党の政治活動である。それは、多くの国民の要求の実現ではなく、大企業やその他の特権層(米国の支配層を含む)のために、庶民を自民党への投票に動員するという営みである。
 そのために、あらゆる知恵と工夫が求められる。御用学者やマスコミなども動員される。安全保障環境が厳しいから核抑止力が必要だとか、貧乏なのは「自己責任」だとか、法人にも政治活動の自由があるなどと言い立てる諸君が高給で優遇される。また、「後援会」へのサービスも必要となる。例えば「桜を見る会」に連れて行くことなどである。もちろん支持者への有形無形の付け届けも必要になる。そのためには多額の資金が必要ななことは自明であろう。党費や政党助成金だけでは足りないのである。
 自民党が「政治資金」(裏金を含む)を必要とする理由は、実施しようとしている政策が有権者の利益に反するにもかかわらず財界のために実施しなければならないので、有権者を騙したり買収したりするための金が必要だからである。
 自民党がこの企業・団体献金にこだわるのはこの支配体制を維持したいからである。
結局、自民党は、憲法や最高裁判決を曲解し、民主主義の根幹を無視して、企業・団体献金を温存しようとしているのである。それは、財界とともに支配者としての地位を維持したいという欲望のためである。
 企業・団体献金の禁止は、民主政治を定着させるための第一歩なのである。
(2024年12月17日記)

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2024.12.16

田中熙巳ノーベル平和賞講演を活かそう
―核兵器も戦争もない世界は可能だ―

はじめに
 2024年のノーベル平和賞を受賞した日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の代表委員の一人田中熙巳さんが、12月10日、ノルウェー・オスロでの授賞式で講演をしています。その結びの言葉は「人類が核兵器で自滅することのないように!!」、「核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!!」です。田中さんは、「核兵器も戦争もない世界」、そういう「人間社会」を創るための共同を呼び掛けているのです。私はその呼びかけにどのよう応えればいいのかと思案しています。そこで、ここでは、田中さんとの交流も含めてこの講演を振り返ることにします。

田中さんと私
 田中さんとは四半世紀の交流になります。1999年、オランダのハーグで開催された「世界市民平和会議」(Hague・Appeal・for・Peace、HAP)で共同したことをきっかでした。HAPは、21世紀に戦争を根絶することをめざして開催された市民社会の会議でした。会議では「10の基本原則」が採択されました。その中に「各国議会は、日本国憲法第9条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである。」や「核兵器禁止条約の締結をめざす交渉が直ちに開始されるべきである。」という原則も含まれていました。
 それから25年、「核兵器禁止条約」は発効しているのです。核兵器も戦争も廃絶しようとする運動は間違いなく前進しているのです。
それはそれとして、講演の内容に触れましょう。

田中さんの被爆体験
 私は長崎原爆の被爆者の一人です。13歳の時に爆心地から東に3キロ余り離れた自宅で被爆しました。1945年8月9日、爆撃機1機の爆音が突然聞こえると間もなく、真っ白な光で体が包まれました。その光に驚愕(きょうがく)し2階から階下に駆け降りました。目と耳をふさいで伏せた直後に強烈な衝撃波が通り抜けていきました。その後の記憶はなく、気が付いた時には大きなガラス戸が私の体の上に覆いかぶさっていました。ガラスが1枚も割れていなかったのは奇跡というほかありません。ほぼ無傷で助かりました。
惨状をつぶさに見たのは3日後、爆心地帯に住んでいた2人の伯母の安否を尋ねて訪れた時です。私と母は小高い山を迂回し、峠にたどり着き、眼下を見下ろしてがくぜんとしました。3キロ余り先の港まで、黒く焼き尽くされた廃虚が広がっていました。れんが造りで東洋一を誇った大きな教会・浦上天主堂は崩れ落ち、見る影もありませんでした。麓に下りていく道筋の家は全て焼け落ち、その周りに遺体が放置され、あるいは大けがや大やけどを負いながらもなお生きているのに、誰からの救援もなく放置されているたくさんの人々。私はほとんど無感動となり、人間らしい心も閉ざし、ただひたすら目的地に向かうだけでした。
 1人の伯母は爆心地から400メートルの自宅の焼け跡に大学生の孫の遺体と共に黒焦げの姿で転がっていました。もう1人の伯母の家は倒壊し、木材の山になっていました。祖父は全身大やけどで瀕死(ひんし)の状態でしゃがんでいました。伯母は大やけどを負い私たちの着く直前に亡くなっていて、私たちの手で荼毘(だび)に付しました。ほとんど無傷だった伯父は救援を求めてその場を離れていましたが、救援先で倒れ、高熱で1週間ほど苦しみ亡くなったそうです。1発の原子爆弾は私の身内5人を無残な姿に変え一挙に命を奪ったのです。
 その時目にした人々の死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまでした。誰からの手当ても受けることなく苦しんでいる人々が何十人何百人といました。たとえ戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけないと、強く感じました。

 13歳の多感な少年にとって、この体験がいかに重いものであるか容易に想像できるのではないでしょうか。その体験が田中さんをして被団協の活動を継続するネルギー源になっているのかもしれません。
次に、被団協についてです。

被団協の誕生
 1954年3月1日のビキニ環礁でのアメリカの水爆実験によって、日本の漁船が「死の灰」に被ばくする事件が起きました。中でも第五福竜丸の乗組員23人全員が被曝して急性放射能症を発症、捕獲したマグロは廃棄されました。この事件が契機となって、原水爆実験禁止、原水爆反対運動が始まり、燎原(りょうげん)の火のように日本中に広がったのです。3千万を超える署名に結実し、1955年8月「原水爆禁止世界大会」が広島で開かれ、翌年第2回大会が長崎で開かれました。この運動に励まされ、大会に参加した原爆被害者によって1956年8月10日「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」が結成されました。
 結成宣言で「自らを救うとともに、私たちの体験を通して人類の危機を救おう」との決意を表明し、「核兵器の廃絶と原爆被害に対する国の補償」を求めて運動に立ち上がったのです。

講演で触れられていない被団協の基本文書
 講演では触れられていませんが、被団協はいくつかの基本文書を採択しています。被団協の運動を理解する上で必要と思われるのでそれを紹介しておきます。
まず、1984年の「原爆被害者の基本要求」です。
 私たち被爆者は、原爆被害の実相を語り、苦しみを訴えてきました。身をもって体験した”地獄”の苦しみを、二度とだれにも味わわせたくないからです。「ふたたび被爆者をつくるな」は、私たち被爆者のいのちをかけた訴えです。それはまた、日本国民と世界の人々のねがいでもあります。核兵器は絶対に許してはなりません。広島・長崎の犠牲がやむをえないものとされるなら、それは、核戦争を許すことにつながります。 
 
 ここでは、「核兵器を絶対に許してはならない」とされているのです。核兵器が国家安全保障のために必要だなどという発想(核抑止論)は、「核戦争を許すこと」になると批判しているのです。日本政府の姿勢とは真逆であることを確認しておきましよう。
 
 次に、2001年の「21世紀被爆者宣言」です。
原爆被害は、国が戦争を開始し、その終結を引きのばしたことによってもたらされたものです。国がその被害を償うのは当然のことです。
 戦争への反省から生まれた日本国憲法は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意」しています。戦争被害を受忍させる政策は憲法の平和の願いを踏みにじるものです。
核兵器も戦争もない21世紀を―。私たちは、生あるうちにその「平和のとびら」を開きたい、と願っています。

 被団協は、68年間、このような決意のもとに「核兵器も戦争もない世界」を求めてきたのです。しかも、刮目しておきたいことは、核兵器廃絶と憲法9条をしっかりとリンクさせていることです。被団協は、被爆体験の中から「核兵器も戦争もない世界」を希求し続けてきたことのです。田中講演の結びの言葉は、この「21世紀被爆者宣言」を踏まえてのものなのです。


被団協の被爆者援護を求める運動
 田中さんは、被爆者に対する補償を求める運動について次のように述べています。
1957年に「原子爆弾被爆者の医療に関する法律(原爆医療法)」が制定されます。しかし、その内容は、「被爆者健康手帳」を交付し、無料で健康診断を実施するほかは、厚生大臣が原爆症と認定した疾病に限りその医療費を支給するというささやかなものでした。
 1968年「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(原爆特別措置法)」が制定され、数種類の手当を給付するようになりました。しかしそれは社会保障制度であって、国家補償は拒まれたままでした。
 1985年、日本被団協は「原爆被害者調査」を実施しました。この調査で、原爆被害はいのち、からだ、こころ、くらしにわたる被害であることを明らかにしました。命を奪われ、身体にも心にも傷を負い、病気があることや偏見から働くこともままならない実態がありました。この調査結果は、原爆被害者の基本要求を強く裏付けるものとなり、自分たちが体験した悲惨な苦しみを二度と、世界中の誰にも味わわせてはならないとの思いを強くしました。
1994年12月、2法を合体した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(被爆者援護法)」が制定されましたが、何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けてきています。もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい。

 田中さんの怒りが伝わってきます。1963年の「原爆裁判」判決は、国の被爆者に対する施策について「政治の貧困を嘆かざるを得ない」としていましたが、その「政治の貧困」は解消されていないのです。この「政治の貧困」は、単に原爆被爆者に対してだけではなく、空襲被害者など戦争被害者に対する冷酷さとしても現れています。戦争被害は「国民等しく受忍すべき」であって(受任論)、国には責任はないという論理です(国家無答責論)。私たちは、この「国家無答責論」に基づく政府の政策を克服して、「国が戦争を開始し、その終結を引きのばしたこと」による責任に基づく国家補償を実現しなければならないのです。

田中さんの現状認識
 田中さんは現在の世界情勢について次のように語っています。
 今日、依然として1万2千発の核弾頭が地球上に存在し、4千発が即座に発射可能に配備がされている中で、ウクライナ戦争における核超大国のロシアによる核の威嚇、また、パレスチナ自治区ガザに対しイスラエルが執拗な攻撃を続ける中で核兵器の使用を口にする閣僚が現れるなど、市民の犠牲に加えて「核のタブー」が壊されようとしていることに限りない悔しさと憤りを覚えます。

 私はこの認識に共感しています。核兵器の使用について、核兵器不拡散条約(NPT)は「核戦争は全人類に惨害をもたらす」としています。核兵器国の首脳たちも「核戦争に勝者はない。核戦争は戦ってはならない」などと宣言しています。けれども、核兵器保有国は核兵器をなくそうとはしてないだけではなく、核兵器の近代化を図り、核戦争に備えているのです。ノーベル委員会も「今日、核兵器使用のタブーが圧力を受けていることは憂慮すべきことである。」と婉曲な表現ですが、核兵器使用の危険が高まっていることを指摘しているのです。

核兵器廃絶に向けての被団協のたたかい
 田中さんは、核兵器廃絶に向けての被団協の戦いを振り返っています。
私たちは、核兵器の速やかな廃絶を求めて、自国政府や核兵器保有国ほか諸国に要請運動を進めてきました。
 1977年国連NGOの主催で「被爆の実相と被爆者の実情」に関する国際シンポジウムが開催され、原爆が人間に与える被害の実相を明らかにしました。
 1978年と1982年にニューヨーク国連本部で開かれた国連軍縮特別総会には、日本被団協の代表がそれぞれ40人近く参加しました。
核拡散防止条約(NPT)の再検討会議とその準備委員会で発言機会を確保し、併せて再検討会議の期間に、国連本部総会議場ロビーで原爆展を開き、大きな成果を上げました。
 2012年、NPT再検討会議準備委員会でノルウェー政府が「核兵器の人道的影響に関する会議」の開催を提案し、2013年から3回にわたる会議で原爆被害者の証言が重く受け止められ「核兵器禁止条約」交渉会議に発展しました。
 2016年4月、「核兵器の禁止・廃絶を求める国際署名」は大きく広がり、1370万を超える署名を国連に提出しました。
 2017年7月7日に122カ国の賛同を得て「核兵器禁止条約」が制定されたことは大きな喜びです。

 こうしてみると、被団協は倦まず弛まず国内外で活動を続けてきたことが分かります。そして、核兵器禁止条約(TPNW)は2021年1月発効しているのです。TPNWが、ヒバクシャの「容認しがたい苦痛と被害」や核兵器廃絶のためのヒバクシャの努力に言及していることは周知のとおりです。

核抑止論批判
 田中さんは核抑止論を次のように批判しています。
 核兵器の保有と使用を前提とする核抑止論ではなく、核兵器は一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いです。想像してみてください。直ちに発射できる核弾頭が4千発もあるということを。広島や長崎で起こったことの数百倍、数千倍の被害が直ちに現出することがあるということです。皆さんがいつ被害者になってもおかしくないし、加害者になるかもしれない。ですから、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中の皆さんで共に話し合い、求めていただきたいと思うのです。

 核兵器を日本政府や核兵器国のように「安全保障の道具」とするのではなく、「一発たりとも持つな」というのが「心からの願い」だというのです。もし核兵器がなくならないなら、私たちが被害者になるか、加害者になるかもしれないというのです。そして、核兵器をなくすためにどうしたらいいか共に話し合い、その廃絶を求めていきたいとしているのです。私たちは、その問いかけに真剣に応えなければならないのです。

原爆被爆者の高齢化
 田中さんは次のように言います。
 原爆被害者の現在の平均年齢は85歳。10年先には直接の体験者としての証言ができるのは数人になるかもしれません。これからは、私たちがやってきた運動を、次の世代の皆さんが、工夫して築いていくことを期待しています。
 一つ大きな参考になるものがあります。それは、日本被団協と密接に協力して被団協運動の記録や被爆者の証言、各地の被団協の活動記録などの保存に努めてきたNPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の存在です。この会は結成されてから15年近く、粘り強く活動を進めて、被爆者たちの草の根の運動、証言や各地の被爆者団体の運動の記録などをアーカイブスとして保存、管理してきました。これらを外に向かって活用する運動に大きく踏み出されることを期待します。私はこの会が行動を含んだ、実相の普及に全力を傾注する組織になってもらえるのではないかと期待しています。国内にとどまらず国際的な活動を大きく展開してくださることを強く願っています。

 被爆者が高齢化していることについては、ノーベル委員会も「いつの日か、被爆者は歴史の証人ではなくなるでしょう。」としているとおり厳しい現実です。こういう状況の中で、田中さんは「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」に期待するとしているのです。
この会のことは知らない方も多いと思いますが、田中さんが言うようにこの15年間被団協と伴走してきた組織です。田中さんはNHKのインタビューで、「この会が集め、補完している資料を上手に使えば、被爆2世でも3世でも普通の人でもできるので、被爆者ができなかったこと、やり通せなかったことを受け継いでもらえるかなと期待をしている。」と言っています。
 私もこの会の理事の一人として田中さんの期待に応えなければ思っています。

田中講演の結び
 世界中の皆さん。「核兵器禁止条約」のさらなる普遍化と核兵器廃絶の国際条約の策定を目指し、核兵器の非人道性を感性で受け止めることのできるような原爆体験の証言の場を各国で開いてください。とりわけ核兵器国とそれらの同盟国の市民の中にしっかりと核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付き、自国の政府の核政策を変えさせる力になるよう願っています。
人類が核兵器で自滅することのないように!!
核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!!

 田中さんは、核兵器禁止条約の普遍化を目指し、核兵器の非人道性を感性で受け止める機会となる被爆証言の場を確保して、核兵器国やその同盟国の市民の中で「核兵器と人類は共存できない」という信念の醸成し、「自国の政府の核政策を変える力」になって欲しいとしているのです。まさにそのとおりです。核兵器国やその同盟国の市民社会の変化なくしてこれらの国の政府の核政策は変わらないからです。
 田中さんは、今日まで、被爆者は闘ってきたけれど、命は尽きようとしている。その闘いを引き継いで欲しい。核兵器で自滅することのないようにしようと言っているのです。そうしなければ「被害者になるか、加害者になるかだ」というのです。
こうして 田中さんは、私たちに「核兵器も戦争もない世界」を求めて共同しようと呼びかけているのです。
 ノーベル委員会は、被団協の「記憶を留めるという強い文化と継続的な取り組みにより、日本の若い世代は被爆者の経験とメッセージを継承しています。彼らは世界中の人々を鼓舞し、教育しています。このようにして、人類の平和な未来の前提条件である核兵器のタブーを維持する手助けをしているのです。」としています。
 私の周囲にも新しい息吹は存在しています。「核兵器も戦争もない世界」を創ることは決して夢物語ではありません。核兵器は人間の作ったものであり、戦争は人間の営みだからです。核兵器のみならず軍隊のない国は26ヵ国も存在していることを思い出しておきましょう。核兵器や軍隊がなくても人間は生活できるのです。
 田中さんの呼びかけに応えようではありませんか。(2024年12月11日記)

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2024.12.11

原爆裁判と「虎に翼」

 11月26日、新婦人(新日本婦人の会)光が丘21班主催の「オータムフェスタ」で「原爆裁判と『虎に翼』」というテーマで特別講演をした。東北大学法学部の後輩の斎藤文子さんによると、そのフェスタで落語をやるか私を呼ぶかで迷ったけれど、私が「虎に翼」に関わっているので、呼んでみようということになったのだという。「お金は少ししか出せないし、難しい話は駄目だけれど来てくれるか」というから、可愛い後輩の頼みだし、所沢と練馬の光が丘は近いし、核廃絶と憲法の話をするいい機会だからと二つ返事でオーケーしたのだ。

 主催者は感じのいいチラシを作っていた。そこにはこんなリード文が書かれていた。


 私の講演だけではなく、サークルの展示も行われていた。

 会場は光が丘区民センターの会議室で40人が定員のマイクが使えない部屋だった。そこに50名の人が来てしまったので立ち見が出る盛況だった。パワポは使えないというので、6ページのレジメを40部持参したけれど足りなくなってしまったし、マイクがないので立ったまま声を張り上げなければならなかった。声帯にコラーゲンを注入しておいてよかった(片方の声帯にマヒがあるのだ)。それでも後ろの方は聞きにくかったらしい。せっかくのいい話なのに申し訳ないことをした。

 斎藤さんの注文は「あなたの話はむずかしいから、普通のおばさんでもわかるように話して」というものだったので、それなりに工夫をした。「虎に翼」を最大限活用したし、「裏話」もそれなりに混入した。けれども、そもそも「原爆裁判」というのは核兵器という究極の暴力を法で裁くということなのだから、どこかでむずかしくなることは避けられない。おまけに、憲法9条の背景には原爆投下があっという話もするのだから、わかり易くと言われても限度がある。そこで、資料に語ってもらうことにした。「原爆裁判」の判決の抜粋や当時の政府の見解や幣原喜重郎の国会答弁などをレジメに含めたのだ。これは大いに役に立った。参加者は「虎に翼」で判決のさわりを知っているけれど、詳しくは知らないので、うけるのだ。加えて、当時の政府が「一度び戦争が起これば人道は無視され、個人の尊厳と基本的人権は蹂躙され、文明は抹殺されてしまう。原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、または逆に戦争の原因を収束せしめるかの重大な段階に達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を滅ぼしてしまうことを真剣に憂へているのである。ここに、本章(2章・9条)の有する重大な積極的意義を知るのである。」などとしていたことや幣原喜重郎が語ったことなど「初耳」だろうから、真剣に聞いてくれたのだ。やはり、事実と道理が持っている説得力は違う。

 ところで、このフェスタには何人かのおじさんも参加していた。何ともほほえましい光景だった。その中に東北大学法学部の先輩で自由法曹団の元団長の菊池紘弁護士がいた。光ヶ丘団地に住んでいて、斎藤さんの知り合いということで参加していたのだ。何ともうれしかった。その菊池さんが、斎藤宅での「打ち上げ」の場で、私の話を「メモを取りながら聞いていた」と言っていた。私も斎藤さんも、授業にはあまり出ていなかったことを反省する立場にあるけれど、菊池さんは活動もしていたけれど、さっさと司法試験に受かった人だ。その人がメモを取ったというのだから私の話もそれなりのものだったのだろう。

 この団地には私の連れ合いの後輩も住んでいる。半世紀以上前の話に花が咲いた。共通の友人や知人がいるからだ。悲しいことに既に鬼籍に入った人もいる。自分たちも後期高齢者になっているのだから無理もない。
 それでも、まだ、みんな、核兵器廃絶や憲法9条にこだわって、何かをしているのだ。「90の凄さが分かる80歳」という川柳があるけれど、80歳にはもう少しだけ時間がある。「百歳は通過点」という故肥田舜太郎医師の言葉を思い出しながら帰路に着いたものだった。(2024年12月3日記)

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2024.12.11

「はだしのゲン」と「原爆裁判」

新潟からのお誘い
 12月1日、新潟で「『原爆裁判』を現代に活かす―核兵器も戦争もない世界を創るために-」と題する講演をする機会がありました。「新潟の新しい未来を考える会」の片桐奈保美会長からの依頼でした。この会は原発の再稼働に反対して小泉純一郎元首相の講演会を開催したり、「柏崎・刈羽原発再稼働を問う県民投票条例」の制定を求める運動をしている市民団体です。
 片桐さんから、NHKの「視点・論点」を視ていたら興味深い話をしているので、新潟に呼びたいという連絡をもらったのは、9月半ばのことでした。「虎に翼」は終わっていませんでしたし、被団協のノーベル平和賞受賞はまだの時期でした。片桐さんは、「視点・論点」を録画して仲間に相談したそうです。「視点・論点」のテーマは「現代に生きる原爆裁判」で、その結びは「(日本国憲法の)徹底した非軍事平和主義を踏まえながら、原爆裁判の現代的意義を再確認し、核兵器も戦争もない世界を創造することが、原爆裁判からの私たちへの宿題だと受け止めています。」でした。片桐さんは、その番組に共感して、共通の知人である和田光弘元日弁連副会長の紹介で連絡をくれたのです。
 私は喜んでお受けしました。核兵器廃絶や憲法9条の話を聞いてもらえる機会を大事にしたいと思っているからです。

当日の様子
 当日、会場の万代シルバーホテルには、220名からの人たちが参加していました。西村智奈美議員と米山隆一議員お二人とあいさつを交わしました。赤井純治新潟大学名誉教授が「日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める署名」を呼びかけていました。赤井さんからは「原水爆禁止世界大会2023年科学者集会の記録」をいただきました。
 会場がホテルというのは凄いことです。私の講演はだいたいが公共施設だからです。しかも、社会派講談師の神田香織さんとのコラボでした。こういうこともありません。だいたいが一人なのです。神田さんの演題は「はだしのゲン」でした。私は中沢啓治さんの原作を読んでいますが、神田さんの創作講談は初めてでした。神田さんの語りに漫画のゲンの姿を重ね合わせながら聞き入りました。神田さんは「はだしのゲン」が広島の学校教材から外されることに強い怒りを持っていることや、被団協のノーベル平和賞受賞は核兵器が使用される危険性が高まっていることを意味しているなどと「前口上」で語っていました。「そうだ、そうだ」と共感したし、講談がこんなに胸に迫ってくることを初めて体験しました。

私の話
 そのあと私の話です。神田さんの語りの後なので、「原爆裁判」の話は大変やりやすくなりました。原爆が人間に何をもたらしたかを神田さんが表現してくれていたからです。「はだしのゲン」と「原爆裁判」のコラボです。
 私は「原爆裁判」は被爆者支援についても、核兵器の違法性を確立する国際法の分野でも大きな役割を果たしているということと、憲法9条の背景には原爆投下があったことを話しました。パワーポイントの資料を参加者に配布してもらうだけではなく大型スクリーンも利用しました。口を開けて上を向いて寝ている参加者は気になりましたが、多くの人は静まり返るように聞いてくれていました。リアルで講演していると参加者の受け止め方は痛いほど感ずるのです。

うれしかったこと
 私を最初に迎えてくれて、しかも最後までお付き合いしてくれた近藤正道弁護士(元参議院議員・会派は社民党護憲連合)は、「憲法は『専守防衛』とか『集団的自衛権の禁止』ではないもっと徹底した平和主義だということが分かった。そこから話し始めていたことを反省しなければならない。」と懇親会のスピーチで述べていました。私は日本国憲法の到達点を「専守防衛」に留めてしまうことは「核のホロコースト」の上に制定されている憲法の現代的意義を過小評価することになると考えています。だから、近藤さんの受け止めは本当にうれしいことでした。
 また、神田さんは「ゲンの話をこういう形で深めてもらえることは嬉しい」と言っていました。私は神田さんの講談を講演の中で大いに活用させてもらいました。こういうタッグは聞く人にとっても理解しやすくなるのではないでしょうか。企画した人は凄いと思ったし、「またこういう機会を持ちましょう」と神田さんと約束しました。
 ところで、先の総選挙で、新潟の5小選挙区は全て立憲民主党の候補者が当選しました。当日、新潟を訪れていた野田佳彦代表は「全員当選は2009年以来で画期的なこと」と評価しています(「新潟日報」12月2日付)。その背景には新潟での「市民と野党の共闘の伝統」があることは間違いないでしょう。私は、今回、新潟の皆さんと触れ合うことによって、新潟には地道で包摂性のある運動があるのだということを実感しました。「市民と野党の共闘」があれば政治は変えられます。それがなければ政治の停滞は続くでしょう。 
 昭和40年に東北大学法学部に一緒に入学した中村哲也君(新潟大学名誉教授)もその活動に参加していました。故広中俊雄先生の愛弟子だった彼らしいことだと、何ともうれしい思いになりました。なお「新潟日報」が写真入りで報道していました。貴重で有意義な新潟行きでした。新潟の皆さん、ありがとうござました。(2024年12月2日記)

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2024.11.28

なぜ、日本政府は核兵器禁止条約(TPNW)に背を向けるのか
―アメリカのロータリークラブのメンバーに答える―

はじめに
 先日(11月26日)、アメリカのロータリークラブのメンバーとオンラインで話をする機会があった。テーマは「なぜ、日本政府は核兵器禁止条約に背を向けるのか」だ。きっかけは、清泉女子大学の松井ケティさんからの、このテーマでロータリーの仲間に話をしてくれないかという依頼だった。彼女とは、1999年にオランダ・ハーグで開催された「世界市民平和会議」(Hague・Appeal・for・Peace、HAP)で共同したことをきっかけとして友人なのだ。友だちの頼みだし、こういうことに興味を持っているアメリカ人がいるとは思っていなかったので、後先を考えないで引き受けた。事前にケティさんに私の見解を渡して、彼女がそれを翻訳して、メンバーと共有したうえでの対話だった。

私の見解
 私の見解の概要は次のようなものだった(被団協のことも紹介したけれど割愛する)。

 日本政府はTPNWを敵視していますが、日本の市民社会は、速やかな署名と批准を求めています。とりわけ、被爆者の願いは切実です。1945年8月、広島、長崎への原爆投下によって「容認しがたい苦痛と被害」を被った被爆者は高齢化しているからです。
なぜ、日本政府はそのような姿勢をとるかですが、TPNWは核兵器を全面的に禁止しているからです。日本政府は、アメリカの核兵器を自国の安全保障の「守護神」としているので、そのカードを取り上げてしまうTPNWは国家の安全を危うくするというのです。国家の安全なくして国民の命と財産を守ることは出来ない。国家の安全を危うくするTPNWは、国民の生命と財産を危うくするので絶対に容認できないという論理です。「笑えない喜劇」あるいは「泣けない悲劇」のようですが、それ現実です。
 けれども、この姿勢は日本政府だけのものではありません。TPNWの発効が現実化しようとした2020年10月、アメリカは、各国に「核兵器禁止条約に関するアメリカの懸念」と題する「書簡」を送りました。批准国には「この条約は、効果的な検証の必要性や悪化する安全保障環境に対処していない」ので「批准・加入書を撤回すべき」だとしていました。未批准国には、TPNWは「危険なまでに非生産的だ」、「国際社会の分裂に拍車をかける」などとしてTPNWへの賛同を阻止しようとしたのです。アメリカも核兵器は自国の安全を確保するための抑止力だとしているので、それを否定するTPNWは容認できないのです。
 このように、核兵器によって自国の安全を確保しようとする国家は「絶滅だけを目的とした狂気の兵器」である核兵器の保有を続け、TPNWを敵視しているのです。

メンバーからの質問
 メンバーからはいくつかの質問が寄せられた。
①日本は核開発をしなかったのか。
②今、日本に核兵器はないのか。
③地方自治体はどのような姿勢をとっているのか。
④日本のロータリークラブはどのような姿勢なのか。
⑤ノーベル平和賞の授賞式が行われる時、日本は何時なのか、などと言うものだった。最後の質問は授賞式をリアルタイムで視られるのかという心配だったようだ。

 私のそれぞれの問いに対する答えは次のとおりだ。
①戦前、日本でも核開発を行っていたが、敗戦によって途絶えた。現在は、公式には行われてはいないが、陰でのことは判らない。
②かつて、沖縄の米軍基地などには配備されていたが、現在は配備されていない。持ち込まれているかどうかは、アメリカが「肯定も否定もしない」という態度なので分からない。
③地方自治体には「非核都市宣言」をしているところや、TPNWへの参加を求める決議をしているところもある。また、世論調査では、TPNW参加賛成が多数だ。
④日本のロータリークラブが、核兵器廃絶のためにどのような活動をしているかは承知していない。
⑤オスロと日本の時差はあると思うけれど、テレビは大きく取りあげるだろうし、国民の関心は高い。とにかくビッグニュースなのだ。

メンバーからの意見
 メンバーからは日本のロータリーと繋がりたいという意見もあったけれど、私にその伝手はないので、別ルートでやって欲しいと応えた。ワシントン州から参加していたメンバーは、ニューメキシコ州のメンバーとは交流しているし、4月にはシアトルで核廃絶や先住民の核被害についてのイベントをする計画だと教えてくれた。ニューメキシコ州にはロスアラモスやトリニティ実験場がある。ワシントン州には長崎に投下された原爆の材料プルトニウムを製造していたハンフォード・サイトがあるし、核被害者による訴訟も提起されている。「なるほど」と納得できる話だった。シアトルでのイベントに参加してもらえたらうれしいと言われたけれど、とりあえず、デュポール大学に宮本ゆきさんという核問題の研究者がいることと、日本でもそのイベントは紹介するので詳細が分かり次第教えて欲しいと伝えた。アメリカで核兵器廃絶や被爆者支援のために活動している人たちとの交流は大切にしなければならない。

感想
 参加メンバーは、ケティさんと私以外に5名だった。うち女性は4名で唯一の男性はインドの人だった。ケティさんの集まりには、ウォード・ウィルソンという「核をめぐる5つの神話」(黒澤満監訳、法律文化社、2016年)という本を書いている研究者もいるけれど、この日の参加はなかった。ちなみに、この本は有意義で私も引用させてもらっている。共通の言語で語り合えればうれしいけれど、私には無理だ。ケティさんの通訳に依存するしかない。けれども、「あなたの意見は解りやすかったし、理解できた」という人もいたし、ケティさんによれば「皆さん喜んでおられました」とのことなので、引き受けてよかったと思っている。貴重で楽しい時間だった。(2024年11月28日記)

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2024.11.22

核兵器廃絶のために、今、私がしていること。これからしたいこと。

はじめに
 「核兵器廃絶のために、今、私がしていること。これからしたいこと」は、11月16日に広島で開催された日本反核法律家協会創立30年記念イベントでのリレートークのテーマです。日本反核法律家協会は1994年8月に、被爆者支援と核兵器廃絶を目的として設立されました。初代会長は松井康浩弁護士でした。その後、2011年の福島原発事故を受けて「原発廃止」も目的としました。創立以来、国内外の反核平和運動の人たちと交流してきました。特に、この8年間は「朝鮮半島の非核化」をテーマに意見交換会を開催してきました。今年もそのテーマでとも思いましたが、来年被爆80年を迎えるので、核兵器廃絶のために運動している様々な人にリレートークをしてもらうことにしたのです。核兵器廃絶の運動は被団協をはじめ原水協などの伝統的な運動体もありますが、むしろ、それぞれの想いで活動している人に話をしてもらおうと試みたのです。持ち時間は10分ということにしました。NHKの「時論・公論」や「視点・論点」などの例にならったのです。

多彩なスピーカー
 発言者は次の13名でした(予定していた平岡敬元広島市長は体調が悪くて登壇できませんでした)。最年長は87歳の英語で被爆体験を語る小倉桂子さん。最も若いのは盈進中学高校のヒューマンライツ部の生徒たち。女優の斎藤とも子さん、詩人のアーサー・ナードさん、歌手であり映画プロデューサーの中村里美さん。元外交官の小溝泰義さん、韓国の弁護士崔鳳泰さん、反核医師の会の原和人さん。カクワカ・ヒロシマの田中美穂さん、第5福竜丸展示館学芸員の市田真理さん、ANTヒロシマの渡部朋子さん、核廃絶日本キャンペーンの浅野英男さん、非核の政府を求める会富山の渡邊眞一さんです。
 皆さんのスピーチはそれぞれの体験に基づく反核の想いを込めた素晴らしいものでした。普段は口うるさい弁護士たちも何人か参加していましたが、その彼らが「話を聞いていて泣きそうになった」、「涙がにじんできた」、「泣いてしまった」などと言うのです。私もその一人でした。参加していたNHK関係者からは「皆様の素晴らしいお話をうかがい実りある時間でした」、「多様な方々、とりわけ若い世代の反核の取り組みが広がっていることが喜びとともに学びとなりました」などという感想が寄せられています。

寄せられたメッセージとご挨拶
 ポーランドやカザフスタンの反核法律家、被団協、青法協、ノーモアヒバクシャ記憶遺産を継承する会、原水禁などからのメッセージが寄せられました。被団協の田中熙巳代表委員からはビデオメッセージを寄せてもらい、広島の被団協関係者、参議院議員で非核の政府を求める会常任世話人の井上智士さん、ICANの川崎哲さんからはリアルでのご挨拶をいただきました。田中熙巳さんは「発言者の中に、被団協のメンバーがいない。」と言っていましたが、主催者としては「被団協の活動を継承する決意を持っている人たちを選択した。」ということだとご理解いただければと思っています。このイベントは、被団協のノーベル平和賞受賞よりも前に企画したものでしたが、受賞によって「錦上花を添える」ことになったと思っています。     ノーベル賞受賞団体のICANおよび被団協の双方からご挨拶をいただけたことは本当に光栄でした。

主催者の想い
 私は主催者として次のような挨拶をしました。
今年は私たち協会が発足して30年になりますが、今年ほど、うれしいことがあった年はありません。まずは、被団協のノーベル平和賞受賞です。被爆者支援と核兵器廃絶をめざす私たちも被団協に伴走してきました。被団協の平和賞受賞はまさに「同志」の受賞として心からうれしいことでした。
 また、NHKの朝ドラ「虎に翼」では「原爆裁判」が丁寧に取り上げられました。松井康浩初代会長が残してくれた裁判資料が大いに役に立ったことをうれしく思っています。
これらのことは私たちに大きな励ましと勇気を与えてくれています。けれども、世界にはまだ核兵器は存在していますし、被爆者を含む戦争被害者の救済も不十分です。
来年、被爆80年を迎えます。ノーベル委員会は「今日、核兵器使用に対するこのタブーが圧力にさらされている」としています。核兵器使用の危険性が高まっていると警告しているのです。また、「被爆者はわれわれの前からいなくなる」ともしています。私たちは核兵器廃絶を「自分事」として実現しなければならないのです。
 今日は、様々な世代の様々なポジションでたたかっている方たちにスピーチをお願いしています。限られた時間ですが、ぜひ、それぞれの想いを語っていただいて、一刻も早く「核兵器のない世界」を実現したいと思っています。
 私たち日本反核法律家協会も「原爆裁判」を提起した先輩たちに思いを馳せながら、引き続き市民社会の一員としての役割を果たす所存でいます。

むすび
 来年被爆80年です。まだ、世界には約12200発の核兵器があります。「核戦争は戦ってはならない。」と言われていますが、核兵器に依存しての国家の安全をいう勢力が政治権力を握っています。彼らは核兵器を「平和の道具」だというのです(核抑止論)。核兵器という「悪魔の兵器」に命と安全託すという「最悪の集団的誤謬」からの脱出が求められているのです。私たちの手には、既に、核兵器禁止条約という国際法の枠組みと日本国憲法という「核の時代」の非軍事平和規範があります。それらは最大限活用し、核兵器も戦争もない世界を実現しなければならないのです。そのための主体的力は、間違いなく、市民社会の中で育っています。「市民社会は歴史の竈である」(マルクス)という言葉を実感することのできるリレートークでした。ご協力、ご尽力いただいた皆さん。本当にありがとうございました。なお、イベントの様子は以下のYouTubeで視聴できます。
https://youtube.com/live/jmLBZHDJPsE?feature=share (2024年11月22日記)

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2024.11.5

「市民連合」の選挙総括を読む

 「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」が「第50回衆議院選挙の結果を受けて」という声明を発出している。この小論では、市民連合の声明を紹介しながら、私の感想を述べてみたい。

声明の概要
 裏金政治をめぐって自民党に鉄槌が下った。
「偽装公認」問題、裏金問題自体を明らかにし、野党躍進の契機をつくりだしたのは『しんぶん赤旗』であった。
 いかなる強大な権力も、腐敗の事実が明らかとなり、国民の信頼を失えば、一夜のうちにその基盤が瓦解するという、民主政治の真実が再確認された。
 しかし、裏金問題は、まったく解決しておらず、引き続き国会内外での追及が続けられなければならない。裏金問題の解決は最低限のスタートラインにすぎない。
 市民連合は、立憲野党(立憲・共産・社民・沖縄の風)との「政策合意」において、憲法9条や専守防衛を逸脱する集団的自衛権の行使、そして敵基地攻撃能力を許容することはできないという点を再確認した。
  市民と野党との共闘の取り組みを行い、結果的に、改憲政党(自民・公明・維新)による3分の2の議席獲得を阻止することにも寄与することができた。
 今後不確実性を高める国会内の政治過程においても、立憲各野党がその当初の方向性を見失わずに進むかどうか、それを見守り、独自の取り組みを行っていきたい。
いかなる政党といえども、立憲政治の大きな原則を踏み外すようなことを、私たちはけっして許容しない。「政権交代は最大の政治改革」であり、その訴えは総選挙で大きく有権者に届いた。しかし、その政権交代への過程で実現される具体的な政治の「中身」こそが、さらに重要な争点であることも確認しておきたい。
 戦後3番目に低い投票率だった。この国では、有権者の政治そのものへの無関心、あるいは「絶望」が顕著である。今回のような一部野党の躍進も、冷静に見れば、その多くが与党側の失策とそれに対する与党支持層の離反に起因するものにすぎない。政治への期待を失った国民が希望を見出しうる政治の姿を実現してほしい。
 市民連合は、戦争へと向かう国のゆくえを正すべく、各地域でたゆまぬ活動を展開し、市民の立場から政治に参加し、これを創り、またこれを監視する。来年の参議院選挙に向けても、立憲主義と平和主義にもとづくあらゆる政党や組織、政治家と連携し、「市民と野党との共闘」を引き続き追求したいと願う。

裏金問題による自民党への鉄槌
 声明は、裏金問題によって自民党に「鉄槌が下った」としている。腐敗した権力が瓦解したというのである。「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する。」という箴言を思い出す。自民党は公示前の議席を56減らし、単独過半数を確保できなかったのだから、そう言われるのであろう。その原因は『赤旗』だという。私もそのとおりと思う。鉄槌を下された自民党の関係者が「恨み節」を語るだけではなく、共産党もそのことを自負しているからである。
 不思議なことに、その「立役者」である共産党は議席を減らしている。比例代表では、前回総選挙の投票数約416万票から約336万票と80万票減らし、2議席減少している。その原因は共産党員の高齢化による主体的力量の不足であろう。共産党員は自然成長的には増えない。わざわざ困難な道に入ろうとする人は少ないからである。だから、よほど主体的に働きかけなければ自然減に追いつかないことになる。おまけに党内外に足を引っ張る勢力は後を絶たない。反共は飯のタネになるからである。加えて、現実的力はないとして、投票の対象から外す人もいる。
 ところで、立憲民主党の比例での得票数は前回1149万票、今回1156万票である。ほとんど変わりがないにもかかわらず50議席増やしている。これは、小選挙区制のなせる業である。自民党の議席減がこの程度に止まっているのも同様の理由である。
 立憲民主党の大躍進は事実である。全国的には、立憲民主党と共産党の選挙協力は行われていないので「共産党と共闘しなくても勝てる」あるいは「共闘しない方が勝てる」という声が聞こえてくる。けれどもそれは大きな間違いであろう。私は、立憲民主党は『赤旗』に感謝しなければならないと思っている(10月30日の党首会談時に感謝が表明されたようである)。そして、立憲政党としての役割を果たして欲しいと期待している。

裏金問題は解決していない
 声明は、裏金問題は全く解決しておらず、引き続き追及が必要だとしている。私もそう思う。政治資金規正法は「議会制民主政治における政党や政治団体の重要性にかんがみ、政治資金の収支の公開などの措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、民主政治の健全な発達に寄与する」ために制定されている。
 裏金議員は「政治資金の収支」をごまかしていたのである。それは、「政治活動の公明と公正」を害し「民主政治」の根幹を揺るがす組織犯罪である。それを「形式犯」などとして過小評価することは腐敗の極みであり、そのような政治的風土の一掃が求められている。
 けれども、政治資金規正法違反がなくなればそれで良いということではない。それは「最低限度のスタートライン」でしかない。そもそも、企業・団体献金を禁止しなければならないのである。それは、資金力のある企業・団体の献金によって「政治活動の公明と公正」が害されるというだけではなく、基本的人権と深く結びついているからである。
 1996年、最高裁は「南九州税理士会事件」において「政党に寄付をするかどうかは、選挙における投票の自由と表裏を成すものとして、会員各人が市民としての個人的な政治的思想、見解、判断等に基づいて自主的に決定すべき事柄」であるとして「公的な性格を有する税理士会が、このような事柄を多数決原理によって団体の意思として決定し、構成員にその協力を義務付けることはできない。」としている。この価値と論理は「公的な性格」を備えない企業や団体会社にも適用されるべきであろう。自然人と法人との関係ということでは同様だからである。1970年の「八幡製鉄事件」における「会社は自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有する」として、「企業の無限定な政治献金の自由」を肯定していた最高裁判決はもはや変更されたと理解しておきたい。

改憲政党の議席
  声明は「結果的に、改憲政党(自民・公明・維新)による3分の2の議席獲得を阻止することにも寄与することができた。」としている。確かに、この三党の議席数は253であり465議席の54%である。仮に、28議席を持つ国民民主党が改憲に回っても3分の2にはならないし、立憲民主党、共産党、社民党の議席数は157(34%・3分の1以上)あるので、れいわの態度にかかわらず発議はできないことになる。そういう意味では当面の改憲の危機は回避されたのである。大きな成果であり、「市民連合」の寄与に感謝したい。
 けれども、私は、これまでの自民党の改憲策動は「戦前回帰」の思惑だけではなく、「核とドルに依存する」という対米従属路線からの圧力であったことを忘れないでおきたい。今回の総選挙で、立憲民主党が共産党との「共闘」を拒否したのは「安保法制」に対する姿勢の違いであった。立憲民主党は「安保法制の違憲部分を廃止する」として安保法制そのものの廃止を政策目標にしなかったのである。加えて、立憲民主党は「抑止力を維持しつつ」、「健全な日米関係を軸」にするとしていることにも注目しておきたい。日米同盟を抑止力とすることでは自公政権と変わらないからである。日米同盟を両国関係の基礎をなす公共財と考える人からすれば、自衛隊の国軍化は確保したい橋頭堡である。立憲民主党がその圧力によって改憲派に転向する可能性を念頭に置いておかなければならない。
 私は、声明の「いかなる政党といえども、立憲政治の大きな原則を踏み外すようなことを、私たちはけっして許容しない。」というフレーズは、立憲民主党に対する牽制と受け止めている。

投票率の低さ
 声明は、戦後3番目に低い投票率を指摘し、有権者の政治への無関心や「絶望」が顕著であるとしている。確かに、53%程度の投票率、とりわけ若年層の投票率の低さは何とも情けない。投票率の低さは主権者意識の低さや民主主義についての認識の不十分さに原因がある。主権者意識と民主主義観の涵養が求められている。
 けれども、有権者が現状でいいと思っていないことは、今回の選挙結果が物語っている。それは「与党側の失策」と「与党支持層の離反」に起因するものかもしれないけれど「国民の信頼を失えばその基盤が瓦解するという民主政治の真実」が再確認されていることも忘れてはならない。まだ「希望を見出しうる政治の姿」は見えていないけれど、日本の民主主義は機能しているのである。
 若年層は「政治への期待」を失っているのかもしれない。何とかしなければ、この国の未来は危うい。けれども、私の周りには現状への異議申し立てをするだけではなく、未来社会を自覚的に創造しようと主体的に行動する青年たちは決して少なくない。だから、私は絶望などしない。
 ただし、青年たちには、未来を創るのは自分たちなのだということはしっかりと自覚して欲しいと思っている。他方、私は「百歳は通過点」の気概で主権者であり続けるつもりでもいる。「戦争へと向かう国」で、発展途上にある若者たちだけに頼ることなどできないし、それなりの人生を送ってきた年寄りが奮闘することは「最後のご奉公」と思うからである。
 私も、「今後しばらく政治過程は不確実性を高める」と思っている。だから、「立憲各野党がその方向性を見失わずにいるかどうかを見守り、多くの市民団体と連携しつつ、独自の取り組みを行っていきたい。」としている「市民連合」に期待し、連帯していくことにする。(2024年11月1日記)

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2024.10.17

「虎に翼」から「核も戦争もない世界」を展望する!!

はじめに
 日本原水爆被害者団体協議会 (被団協)がノーベル平和賞を受賞した。被団協の活動を身近で見てきた私としても、本当にうれしい。地獄の体験をした被爆者が「人類と核は共存できない」、「被爆者は私たちを最後に」と世界に訴え、核兵器が使用されることを防いできたことを思えば、この受賞はむしろ遅かったくらいだとも思う。この受賞は「核兵器も戦争もない世界」を実現する上で大きな力を発揮するであろう。私も最大限の活用をしたいと決意している。まだ、核兵器はなくなっていないし、戦争被害者救済は道半ばなのだから。そこで、ここでは、「原爆裁判」を扱うことで核兵器問題を喚起してくれた「虎に翼」を出汁にして「核も戦争もない世界」を展望してみたい。これは本書のまとめのようなものである。被団協は、本書でも述べたように、「原爆裁判」を高く評価しているので、受賞祝いになればいいとも思っている。

「虎に翼」は面白かった
 「虎に翼」を大いに楽しませてもらった。連れ合いや娘も含めて周りでも大好評だった。各人がそれぞれの推しの部分を持っていて、楽しそうに披露しあったものだ。私は「くらしに憲法を生かそう」をモットーに弁護士活動を続けてきたので、新憲法の価値がベースに置かれていたことと「原爆裁判」が取り上げられたことがうれしかった。 
 特に、「原爆裁判」については、資料提供をしていたし、一人でも多くの人に「原爆裁判」を知ってほしいと思っていたので、丁寧に描かれていたことは感動だった。

「原爆裁判」が提起したこと
 「原爆裁判」は被爆者救済と核兵器禁止を求める裁判だった。戦争被害者救済と核兵器廃絶の「事始め」であり「政策形成訴訟」の先駆けだったのだ。それはまた、核兵器という「最終兵器」に対して法という「理性」が挑戦するということでもあった。そして、それは空前絶後の裁判となるであろう。なぜなら、次に核兵器が使用されれば、人類社会は壊滅しているかもしれないので、誰も裁判など起こせないからだ。

核兵器使用禁止は「公理」なのに
 核兵器使用が何をもたらすか、それは多くの人が知っている。被爆者たちが命を削って証言してきてくれたおかげだ。「原爆裁判」を提起した岡本尚一弁護士は「この提訴は、今も悲惨な状態のままに置かれている被害者またはその遺族が損害賠償を受けるだけではなく…原爆の使用が禁止されるべきである天地の公理を世界の人に印象づけるでありましょう。」と言っていた。
 核兵器不拡散条約(NPT)は「核戦争は全人類に惨害をもたらす。」としているし、核兵器禁止条約は「核兵器のいかなる使用も壊滅的人道上の結末をもたらす。」としている。核五大国の首脳も「核戦争を戦ってはならない。核戦争に勝者はない。」としている。核兵器使用禁止は「公理」なのだ。ノーベル平和賞選考委員会は「核のタブー」という言葉を使っている。
 にもかかわらず、核兵器はなくなっていない。むしろ、核兵器使用の危険性は高まっている。その理由は、国家安全保障のために核兵器は必要だとする核兵器依存勢力(核抑止論者)が力を持っているからだ。彼らは「今は核兵器を手放さない」、「今は核兵器に依存する」としていることを見抜いておかなければならない。

核兵器の特質
 核兵器がどのようなものであるか。被爆者の証言もあるけれど、ここでは、「原爆裁判」の判決を引用しておく(要旨)。
 原爆爆発による効果は、第一に爆風である。原爆が空中で爆発すると、直ちに非常な高温高圧のガスより成る火の玉が生じ、火の玉からは直ちに高温高圧の空気の波(衝撃波)が押し出され、地上の建造物をあたかも地震と台風が同時に発生したのと同様な状態で破壊し去る。第二の効果は熱線である。熱線は可視光線、赤外線のみならず、紫外線も含み、光と同じ速度で地表に達すると、地上の燃え易いものに火災を発生させ、人の皮膚に火傷を起こさせ、状況によっては人を死に導く。第三の、そして最も特異な効果は初期放射線と残留放射能である。放射線は、中性子、ガンマー線、アルファ粒子、及びベータ粒子より成り、中性子やガンマー線が人体にあたるとその細胞を破壊し、放射線障害を生ぜしめ、原子病(原爆症)を発生させる。爆弾の残片から放射される残留放射線は微粒となって大気中に広く広がり、水滴に附着して雨を降らせ、あるいは死の灰となって地上に舞い降り、人体に同様の影響を及ぼす。
 原爆は、その破壊力、殺傷力において従来のあらゆる兵器と異なる特質を有するものであり、まさに残虐な兵器である。

核兵器の最も特異な効果
 判決は放射能による人体の細胞に対する影響を「最も特異な効果」としている。この認定は核兵器の特性を的確に捉えているようである。例えば、核化学者であり反核の市民活動家であった高木仁三郎氏(1938年~2000年)は次のように言っている。「核技術は生物にはまったくなじみのないものである。生物世界は原子核の安定の上に成り立っているが、核技術は原子核の崩壊―いわばその不安定の上に成り立っている。」(『核エネルギーの解放と制御』、「高木仁三郎セレクション」岩波現代文庫所収)。
 要するに、核技術はヒトという生物体と相容れない存在ということなのだ。核分裂エネルギーを原爆という兵器で利用しようが湯沸し器(原発は核分裂エネルギーで水を沸かし蒸気の力で電気をつくる装置)という「平和利用」であろうが、それは同じことなのだ。福島の原発事故をみればそのことは明らかであろう。そうすると、私たちは、核兵器廃絶にとどまらず、原発のような核技術もその視野に入れなければならないことになる。

ダモクレスの剣
 「ダモクレスの剣」とは王位をうらやむ廷臣が王座に座らされ、頭上に毛髪一本でつるされた剣に気が付くという故事である。
 私は、この「ダモクレスの剣」の話を、2011年6月19日(3・11大震災の直後)、ポーランドで開催された国際反核法律家協会の総会で、核兵器使用や使用の威嚇を絶対的違法としたウィラマントリー元国際司法裁判所副所長から聞いた。氏は「核兵器と核エネルギーはダモクレスの剣の二つの刃である。核兵器の研究と改良によって鋭利な方はいっそう危険なものになり、鈍いほうの刃は原子炉の拡散によって危険なレベルまで研磨されつつある。剣をつるす脅威の糸は、少しずつ切り刻まれつつある。…ダモクレスの剣は日々危険なものになりつつある。」という話である(『反核法律家』71号)。
 私たちは、核兵器と原発という二つの剣の下で生活していることを忘れてはならない。

私たちの課題
 石破茂首相は、被団協のノーベル平和賞受賞について「極めて意義深い」と言っている。けれども、彼は「核共有」を口にし、「核の潜在的抑止力を持ち続けるためにも、原発を止めるべきではない。」としている人である。加えて、アジア版NATOをつくることや憲法9条2項を削除して「国防軍」の創立も主張している。彼は核兵器も原発も必要としている人なのである。おまけに「軍事オタク」なのだ。
 結局、私たちは、核兵器と原発という二本の剣の下での生活を強いられていることになる。その剣は、意図的にも、事故によっても、落ちてくる。あの時、米国は原爆を意図的に投下した。原発事故は、10年以上過ぎた現在でも、故郷に戻れない人を生み出している。核兵器使用の危険性はかつてなく高まっているし、原発回帰は既定路線とされつつある。核技術がもたらす危機は「有事」だけではなく「平時」にも潜んでいるのだ。
 この危険は客観的に存在する否定しがたい現実である。それを解消するためには、その危険を認識し、主体的に努力する以外の方策はない。生物体である私たちは核分裂エネルギーと対抗できない存在であることを忘れてはならない。その危険の解消に失敗するとき、人類は人類が作ったものによって、滅びの時を迎えることになるであろう。
 「虎に翼」の「原爆裁判」や被団協のノーベル平和賞受賞は、そのことに思いを馳せるいい機会になっているのではないだろうか。私は、これらの出来事を「核も戦争もない世界」を創るエネルギー源にしたいと思っている。
(2024年10月17日記)

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2024.9.13

NHK「視点・論点」に出演しました

現代に生きる「原爆裁判」


初回放送日:2024年9月9日



連続テレビ小説「虎に翼」でも描かれた「原爆裁判」。
戦後まもなく被爆者が原爆投下の責任を追及し、訴えを起こした裁判が、現代に何をもたらしたのかを考えます。



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2024.8.9

“非核と平和を一体に”

 非核とは核兵器廃絶のことです。平和とは、究極的には敵意が存在しないことですが、ここでは戦争の放棄としておきましょう。私は、平和委員会のメンバーですから、非核も平和も求めています。だから、「非核と平和を一体に」と言われれば「そりゃそうだ」と思う一人です。

 けれども、核兵器廃絶と戦争放棄は別の問題なのです。その理由は核兵器がなくても戦争はできるからです。ロシアは核兵器使用なしでウクライナ侵略をしていますし、イスラエルもパレスチナでの虐殺を継続しています。核兵器廃絶と戦争放棄は別問題だということがよくわかります。


 そういう事情があるので、反核運動の中で、9条の擁護や世界化には消極的な人もいますし、「改憲阻止」をいう人に核兵器禁止条約を語ってもスルーされてしまうこともあるのです。

 けれども、戦争という手段がある限り、核兵器は最終兵器ですから手放さない人が出てくるのです。現に世界はそうなっています。だから、核兵器廃絶と9条の擁護・世界化をリンクさせなければ、核兵器も戦争もなくならないことになるのです。

 
 このように「非核と平和を一体に」というスローガンは重要な意味を持つのです。
 

 ところで、今年の原水禁世界大会で志位和夫さんは、憲法9条には「戦争を二度と引き起こしてはならないという決意とともに、この地球上のどこでも核戦争を絶対に惹き起こしてはならないという決意が込められています」、「非核の世界をつくるたたかいと平和なアジアをつくるたたかいは、憲法9条という点でも深く結びついています」として、「”非核と平和を一体”として、草の根から運動を進めよう」と呼びかけています。私はこの呼びかけに「我が意を得たり」と共感しています。核兵器も戦争もない世界を一刻も早く実現したいからです。(2024年8月7日記)

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2024.8.9

「台湾有事」の正体
―対中戦争の準備を止めよう―

進められている「対中戦争」の準備
 政府は、南西諸島だけではなく、本土の自衛隊基地の強化、米軍と自衛隊の一体化などを進めている。官民を問わず防衛秘密が増え、学術会議は攻撃され、自治体への政府の「指示権」が強化され、軍事費は聖域とされている。
 その理由は、中国、北朝鮮、ロシアという「独自の歴史観・価値観」を持つ国が、日本の安全保障を脅かしているので、それと対抗するためだとされている。
 更に、自由で開かれたインド・太平洋地域を含む国際秩序を米国との同盟や同志国との連携を強めながら確保するためとも言われている。日本の安全保障だけではなく「民主主義国」と共同しての「既存の国際秩序の維持」という目的もあるのだ。
 そして、現在の中国は、我が国と国際社会の「深刻な懸念事項」であり、「我が国の総合的な国力と同盟国・同志国等との連携により対応すべきものである。」とされている。
 その上で、「台湾は大切な友人」なので「一方的な現状変更や各種事態の生起を抑止するため、自衛隊による米軍艦艇・航空機等の防護といった取組を積極的に実施する。」とされているのである。

 このように、現在進行している戦争準備は台湾をめぐるものであり、日本の自衛のためなどではないのだ。これが「台湾有事」の正体である。政府は、台湾のために日本を戦争する国にし、最悪の場合は、核攻撃を招くような危険な政策をとっているのである。
 そもそも、台湾の人たちが、どのような政治体制の下で生活するかは台湾の人たちに任せるべき事柄であって、私たちの命や自由や財産を危険にさらすような問題ではない。台湾を植民地支配し、中国大陸を侵略して、中国の民衆に塗炭の苦しみを与えたことに対する反省と謝罪は必要であるとしても、私たちが台湾のために犠牲を払う理由はない。反省や謝罪を拒否する諸君が、台湾支援をいう姿は醜悪でしかない。
 私たちは、政府が中国を念頭に、米国などと共同して、軍事力を増強していることを見抜き、中国との間で「熱い戦い」など、絶対起こさないよう運動を強めなければならない。そうしなければ、沖縄の人々が、今度は中国軍による攻撃で多くの犠牲を払うことになるだけはなく、本土の人々も核ミサイル攻撃の対象とされるであろう。もちろん、中国本土や台湾での被害も甚大であろうが、軍事産業はほくそ笑み、軍人は「どや顔」で闊歩することになる。

台湾の人たちはどう考えているのか
 ところで、台湾の人はどう考えているかである。そのことを少しでも知りたくて、5月22日~26日の5日間、日本AALAが企画した台湾・金門島、花蓮市をめぐる「平和のための市民交流の旅」に参加した。この時の体験を少し再現しておく。

 この時期は、丁度、中国が台湾の頼清徳新総裁の姿勢に反発して軍事演習をしている最中だった。もちろん、台湾でもニュースになっていたけれど、現地のガイドは「いつものことです」として緊張感はまったくなかった。金門島出身の琉球大学への交換留学経験のある青年も、普通に台北と金門島を行き来して(飛行機で片道1時間10分程度)、私たちを案内してくれた。
 彼らには緊張感など何もなかった。ホテルで見たNHKニュースの大騒ぎは何なのかと思ったほどである。

 台北では、国立台湾中央研究院の研究者と交流した。彼らの基本的スタンスは「私たちは大陸中国による台湾に対するあらゆる侮蔑、弾圧や武力による威嚇に反対する。…私たちが望むのは、人々の英知を集め、米中対抗の下でのより冷静で平和的な台湾独自の進むべき道を考え出すこと」であった。
 彼らは、「戦狼・中国」に対する批判を繰り返すのではなく、「冷静で平和的な台湾独自の道」を探求しているのである。私はそこに英知を見る。
 日本でも、対中戦争を煽り立てる勢力はいる。「中国は日本をミサイルで狙っている」、「座して死を待たないためには、日本からの攻撃対象はミサイルだけでなくていい。司令部でもいい」などというのである。「日本戦略研究フォーラム」の諸君である。こういう見解と対決しながら、私たちは、台湾海峡の平和を考えなければならないのである。

 中国共産党は「台湾問題を解決し、祖国の完全な統一を実現することは中国共産党の終始変わらぬ歴史的任務である」、「いわゆる『台湾独立』のたくらみは断固として粉砕する」としている。「独立のたくらみ」は必ず血を見ることになるであろう。
 他方、中国共産党の支配下に置かれることを拒否する勢力ももちろん存在する。台湾の民衆がどのような未来を選択するのか、「冷静で平和的な台湾独自の道」を実現して欲しいと思う。
 私たちも、この日本で、対中戦争を煽り立てる勢力との戦いに勝利しなければならない。台湾の民衆になくて、私たちが持っているのは日本国憲法である。私たちのたたかいは「非核と平和を一体としたたたかい」となるであろう。(2024年8月6日記)

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2024.8.8

初代最高裁長官 三淵忠彦という人
―寅子の再婚相手星航一の父の話―

 「虎に翼」の寅子と星航一の再婚はまだ成立していないけれど、史実では、嘉子さんと三淵乾太郎さんとは結婚している。その乾太郎さんの父は三淵忠彦という初代最高裁長官だ。1880年(明治13年)に生まれ、1950(昭和25年)年に没している。最高裁長官就任は、1947年(昭和22年)8月だから67歳の時である。
 私は、原爆裁判の判決を書いた裁判官たちは「時代に挑戦する勇気があった人たち」だと思っている。米国の原爆投下を国際法違反だとし、被爆者への支援に怠惰な「政治の貧困」を嘆くなどということは、なかなかできることではないからだ。
 では、その判決を書いた三人の裁判官、裁判長 古関敏正、右陪席 三淵嘉子、左陪席 高桑昭さんたちは、なぜそのような判決を書いたのであろうか。

 当時26歳で判決の草案を書いた高桑さんは、7月28日付「東京新聞」で、「原爆を巡って国家と争う通常の民事とは違う特殊な訴訟。大変な裁判を担当したなというのが当時の感想だった」としながら、「国際法違反かどうかにかかわらず、賠償請求を棄却する方法もあったが、逃げずに理屈を立てて国際法を点検した。やはり原爆投下を正当視することはできなかった」としている。

 嘉子さんは、8月4日付「しんぶん赤旗日曜版」によれば、日本婦人法律家協会(現日本女性法律家協会)の会長だった1982年(昭和57年)3月8日、「第2回国連軍縮特別総会に向けて婦人の行動を広げる会」の呼びかけに応じ、池袋駅前で、反核署名活動をしている。「核兵器廃止は、反米とか思想、政策以前の人類を守るための要請です」と考えていたのである。嘉子さんは、裁判官として原爆投下を違法としただけではなく、「核兵器廃絶」のための行動をしていたことを記憶しておきたい。
 1982年3月は、原爆裁判判決の1963年12月から19年後、嘉子さんが69歳で亡くなる1984年の2年前である。
 
 このように、裁判官たちには原爆投下に対する怒りや核兵器廃絶への想いがあったことを確認できる。それは気高いことだし、私も学びたいと思う。けれども、裁判官として判決するには、それを可能とする司法の状況もなければならないであろう。それが、初代最高裁長官 三淵忠彦の存在ではないかと私は思っている。原爆裁判の提訴は1955年(昭和30年)だから、三淵さんは既に没している。しかも、その任期は短かったから、影響などないのではないかとも思う。けれども、彼は、最高裁長官として就任挨拶する機会や高裁長官たちに訓示する機会があったことも忘れてはならない。
 彼の「司法像」を確認してみよう。
 1947年8月4日の就任挨拶(「国民諸君への挨拶」)では次のように語られている。
「裁判所は、国民の権利を擁護し、防衛し、正義と衡平を実現するところであって、圧制政府の手先となって国民を弾圧し、迫害するところではない。裁判所は真実に国民の裁判所になりきらなければならぬ。」
 同年10月15日には、高裁長官たちに次のように訓示している。
 「今や、裁判官はその官僚制を払拭せられ、デモクラシー日本建設のパイオニアたるべき使命を負うている。」
 
 私は、これらのことを、拙著「憲法ルネサンス」(1988年、イクオリティ)の第2章「司法のルネサンスのために」に収録されている「去るは天国残るは地獄」中で、次のように紹介している。
「『まことに気負いの感じられる内容』(野村二郎)かもしれない。けれども、今、この言葉に接するわれわれにどんなに新鮮な響きを与えてくれることか。われわれが、日本国憲法を手に入れた直後、司法部のキャプテンはわが基本法を、確かに、具現していたのである。彼のメッセージの中には、時の政府と一線を画しつつ、それとの緊張関係の中で、国民―即ち、自身の雇い主―に対する奉仕のありようを模索する姿勢がある。われわれ国民にとって、あるべき司法像の原点がそこにある。司法が時の行政権と一定の拮抗関係を保ちつつ、人民の基本的人権の擁護に資する機能を期待されたのは昨日や今日のことではない。かれこれ200年も前から、人々は司法に期待してきたのである。」

 私はこのような三淵さんを「素晴らしい人」だと思っている。そして、裁判長の古関さんも含め、三人の裁判官は、この三淵さんの「就任挨拶」や「訓示」に目を通しているだろうと思っている(高桑さんは年代的には若いのでわからないけれど)。
 三淵初代長官の後、田中耕太郎氏が第2代の長官に就任する。1950年から1960年の10年間、彼はその地位にあった。私は、彼は最高裁長官どころか裁判官として不適任だと思っている。その理由は、彼は「共産主義者のいうことを額面通りに受け取るのは危険である」という信念を持ちながら「松川事件」を担当し、被告人らを死刑にしようとしたからである。「松川事件」の被告人の中には共産党員も含まれていた。彼らの主張は信用できないと決めてかかれば、真実は見つからない。田中氏が個人としてどのような思想を持つかは彼が決めればいい。けれども、極端な反共主義に基づく偏見で当事者に接することは、裁判官として許されることではない(そのことも「憲法ルネサンス」で触れておいた)。この時、裁判官としての矜持は消え、司法の反動化が始まる。

原爆裁判の左陪席高桑さんは私より10歳ほど年上ではあるがご健在である。一度、今の司法の状況についてじっくりと話をしてみたいと思っている。(2024年8月4日記)

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2024.7.11

現代に生きる「原爆裁判」(下田事件)

 今、「原爆裁判」が人々の関心を集めている。NHKの朝ドラ「虎に翼」のモデルの三淵嘉子さんが「原爆裁判」にかかわったことが知られつつあるからだ。以前から「原爆裁判」を多くの人に知って欲しいと考えていた私にとってはうれしいことである。朝ドラで「原爆裁判」がどのように描かれるかはともかくとして、ここでは「原爆裁判」の基礎知識と現代への影響について触れておく。「原爆裁判」が現代に生きていることを共有したい。

「原爆裁判」とは

 「原爆裁判」とは、1955年、被爆者5名が、米国の原爆投下は国際法に違反するので、その受けた損害の賠償を日本政府に請求した裁判である。1963年、東京地裁は請求を棄却したけれど、米国の原爆投下を違法とし、あわせて「政治の貧困」を指摘したことによって、国内外に影響を与えた。

原告たちの事情

原告は次の5人である。


下田隆一 47歳。
広島で被爆 長女16歳、三男12歳、二女10歳、三女7歳、四女4歳が爆死。自身もケロイド、腎臓・肝臓に障害。就業不能。


多田マキ
広島で被爆 顔、肩、胸、足にむごたらしいケロイド。疼痛のため日雇労働も続かず。夫は容貌の醜さを厭って家出。


浜部寿次 54歳
東京に単身赴任。長崎で妻と四人の娘たち全員が爆死。


岩渕文治
広島での原爆投下により養女とその夫及び子どもをなくす。


川島登智子
広島で被爆 14歳 顔面、左腕などを負傷 両親も原爆でなくす。


 原爆投下から10年を経ていたけれど、政府は被爆者に何の支援もしていなかった。被爆者は病や社会的差別の中で貧困にあえいでいた。

原告代理人岡本尚一

 岡本尚一弁護士は、1892年に生まれ、提訴3年後の1958年に没している。岡本さんが、なぜ、この裁判を考えたのか。その理由を彼の短歌に探ってみたい。


・東京裁判の法廷にして想いなりし原爆民訴今練りに練る 

・夜半に起きて被害者からの文読めば涙流れて声立てにけり

・朝に夕にも凝るわが想い人類はいまし生命滅ぶか 


 私には歌心はないけれど、岡本さんの東京裁判に対する怒りと被爆者への同情と人類社会の未来についての懸念が痛いほど伝わってくる。

 
 岡本さんは「この提訴は、今も悲惨な状態のままに置かれている被害者またはその遺族が損害賠償を受けるということだけではなく、原爆の使用が禁止されるべきである天地の公理を世界の人に印象づけるであろう。」との檄文を多くの弁護士に送って共同を呼び掛けた。けれども、現実に応えたのは松井康浩弁護士だけであった。


この裁判の当初の目的は「賠償責任の追及」と「原爆使用の禁止」だったことを確認しておきたい。

原爆裁判の請求の趣旨と原因

 請求の趣旨は、被告国は、原告下田に対して金三十万円。原告多田、浜部、岩渕、川島に対して各金二十万円を支払え、である。


請求の原因の骨子は次のとおり。

 米国は広島と長崎に原爆を投下した。原爆は人類の想像を絶した加害影響力を発した。「人は垂れたる皮膚を襤褸として屍の間を彷徨号泣し、焦熱地獄なる形容を超越して人類史上における従来の想像を絶した酸鼻なる様相を呈した」。


 原爆投下は、戦闘員・非戦闘員たるを問わず無差別に殺傷するものであり、かつ広島・長崎は日本の戦力の核心地ではなかった(「防守都市」ではない)。


 広域破壊力と特殊加害影響力は人類の滅亡をさえ予測せしめるものであるから国際法と相容れない。


 国家免責規定を原爆投下に適用することは人類社会の安全と発達に有害であり、著しく信義公平に反する。米国は平和的人民の生命財産に対する加害について責任を負う。被害者個人に賠償請求権が発生する。


 対日平和条約によって、国民個人の請求権が雲散霧消することはあり得ない。憲法29条3項により補償されなければならない。補償されないということであれば、日本国民の請求権を故意に侵害したことになるので、国家賠償法による賠償義務が生ずる。

被告の答弁の骨子

 原子爆弾の投下と炸裂により多数人が殺傷されたことは認めるが、被害の結果が原告主張のとおりであるかどうか、及び原爆の性能などは知らない。


 原爆の使用は、日本の降伏を早め、交戦国双方の人命殺傷を防止する結果をもたらした。


 原爆使用が、国際法に違反するとは直ちには断定できない。

したがって、原告らに損害賠償請求権はない。


 敗戦国の国民の請求が認められることなど歴史的になかった。


 原告らの請求は、法律以前の抽象的観念であって、講和に際して、当然放棄されるべき宿命のもの。それは権利たるに値しない。


 憲法29条によって直ちに具体的補償請求権が発生するわけではない。


 国は、原告らの権利を侵害していない。平和条約は適法に成立しているので、締結行為を違法視することはできない。

 
 慰藉の道は、他の一般戦争被害者との均衡や財政状況等を勘案して決定されるべき政治問題。

裁判所の判断

 1963年12月7日、裁判長古関敏正、裁判官三淵嘉子、同高桑昭による判決が出される。判決は、高野雄一、田畑茂二郎、安井郁の三人の国際法学者の鑑定を踏まえていた。なお、口頭弁論の全期日に関与したのは三淵嘉子さんだけであった。その要旨は次のとおり。


 米軍による広島・長崎への原爆投下は、国際法が要求する軍事目標主義に違反する。かつ原爆は非人道的兵器であるから、戦争に際して不必要な苦痛を与えてはならないとの国際法に違反する。


 しかし、国際法上の権利をもつのは、国家だけである。被爆者は国内法上の権利救済を求めるしかない。

日本の裁判所は米国を裁けない。

 米国法では、公務員が職を遂行するにあたって犯した不法行為については賠償責任を負わないのが原則。

 結局、原告は国際法上も国内法上も権利をもっていない。


 人類の歴史始まって以来の大規模、かつ強力な破壊力を持つ、原爆の投下によって損害を被った国民に対して、心からの同情の念を抱かないものはいないであろう。

 戦争災害に対しては当然に結果責任に基づく国家補償の問題が生ずる。

「原子爆弾被害者の医療等に関する法律」があるが、この程度のものでは到底救済にならない。

 国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのだから、十分な救済策を執るべきである。


 しかしながら、それは裁判所の職責ではなく国会及び内閣の職責。そこに立法及び行政の存在理由がある。本件訴訟を見るにつけ、政治の貧困を嘆かざるを得ない。

松井弁護士の裁判の評価

松井康浩弁護士(1922年~2008年)は次のように総括している。


 戦勝国アメリカの戦闘行為を国際法に照らして日本の裁判所で裁くこの訴訟は、日米の友好を損なう、途方もないこと、そのような訴訟が成立するわけがないなどさまざまな理由で弁護士の協力者も少なく、被爆者その他国民の支援もなかったことが示すように、困難な訴訟であった。

 
 この訴訟の特徴は、原爆投下の違法性を明らかにし、同時に被爆者を救援する点にあった。判決は広島・長崎への原爆投下という限定の下に国際法違反と断定した。しかし、その無差別爆撃性と非人道性は、いつ、いかなる原爆投下にも適用されるであろう。


 裁判所は、「政治の貧困さを嘆かずにはおられない」として、最大限の言葉を用いて、被爆者援護法を未だに制定しない立法府と行政府を批判している。この批判の意義はきわめて高く、原爆投下の国際法違反とともに、この判決の価値を大ならしめている。 


 松井さんは、困難な訴訟ではあったけれど、原爆投下の違法性を認めたことと政治の貧困を嘆いたことの二点でこの判決の「大きな価値」を認めているのである。

日本の政治の対応

 日本の政治は被爆者援護のために次のように法制度を整備してきた。

 裁判継続中の1957年4月、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」(原爆医療法)施行。判決後の1968年9月、「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」施行。1995年7月、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(被爆者援護法)施行などである。


 「原爆症認定訴訟」は、被爆者援護法を活用して厚労大臣の原爆症不認定を争い、大きな成果を上げた。


 「黒い雨訴訟」は、被爆者援護法の「原子爆弾が投下された際又はその後において、身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するかどうかが争われている。


 被爆者援護が十分ということではないけれど、「原爆裁判」判決が指摘した「政治の貧困」がこのような形で「改善」されていることは確認できるであろう。

国際法への影響

 1996年、国際司法裁判所は国連総会の「核兵器の威嚇または使用は、いかなる状況においても国際法に違反するか」という諮問に対して「一般的に国際法に違反する。ただし、国家存亡の危機の場合には、合法とも違法とも判断できない」との勧告的意見を発出している。この結論に「いかなる場合にも違反する」として反対したウィラマントリー判事は次のように言っている。


 この事件はそもそもの初めより裁判所の歴史にも例を見ない世界的な関心の的になる問題であった。下田事件で日本の裁判所に考察されたことはあるが、この問題に関する国際的な司法による考察はなされていない。


 「原爆裁判」(下田事件)は国際司法裁判所で参照されているのである。


 その国際司法裁判所は次のように判断していた。


 戦争の手段や方法は無制限ではないとの人道法は核兵器に適用される。武力紛争に適用される法は、文民の目標と軍事目標の区別を一切排除する、または不必要な苦痛を戦闘員に与える戦争の方法と手段を禁止する。核兵器の特性を考えれば、核兵器の使用はほとんどこの法と両立できない。ではあるが、裁判所は必ずいかなる状況下においても矛盾するという結論には至らなかった。


 この判断枠組みは「原爆裁判」と同様である。ただし、国際司法裁判所は「核抑止論」の呪縛から免れていなかったことに留意しておきたい。

「核抑止論」の克服

 その限界を克服したのは2021年発効の核兵器禁止条約である。核兵器禁止条約は「核兵器のいかなる使用も武力紛争に適用される国際法に違反する」として例外を認めていない。そして、その締約国会議は、⼈類は「世界的な核の破局」に近づいている。安全保障上の政策として、核抑⽌が永続し実施されることは、不拡散を損ない、核軍縮に向けた前進も妨害している」として「核抑止論」を批判している。


 日本政府は、核兵器禁止条約が「核抑止論」を否定するがゆえに、これを敵視しているけれど、国際法は核兵器廃絶に向けて着実に発展しているのである。日本政府はこの潮流に逆らっているのである。

まとめ

 このように見てくると、「原爆裁判」は核兵器廃絶についても被爆者援護についても「事始め」になっていることが確認できるであろう。「原爆裁判」は現代に生きているのだ。


 今、世界は「核兵器による安全保障」をいう勢力が力を持っている。日本国憲法の「諸国民の公正と信義を信頼しての安全の保持」は現実的日程に上っていない。


 憲法9条の背景には、今度世界戦争になれば核兵器が使用され、人類が滅んでしまう。戦争をしないのであれば、戦力はいらないという価値と論理があった。

 また、1955年のラッセル・アインシュタイン宣言は「私たちが人類を滅亡させますか、それとも人類が戦争を放棄しますか」と問いかけていた。

 私たちは、日本国憲法の徹底した非軍事平和主義を踏まえながら、「原爆裁判」の歴史的意義を更に発展させ、核兵器の廃絶と世界のヒバクシャの救済を実現しなければならない。(2024年7月1日記)

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2024.7.11

腐敗した自民党による改憲を許さない【3】
-「核の時代」でこそ9条が求められる-

腐敗した自民党による改憲を許さない【2】から続く

「私たちが人類を滅亡させますか、それとも人類が戦争を放棄しますか」
この「ラッセル・アインシュタイン宣言」の問いかけに私たちはどのように答えたらいいのでしょうか。

核兵器廃絶は可能

 まず、核兵器のことを考えてみましょう。核兵器をなくすことは決して不可能ではありません。そもそも、核兵器は人間が作ったものだからです。現に、1986年に7万発というピークを数えた核弾頭は、現在1万2500発程度に減っています。しかもそれは検証されています。減った数の方が残っている数より多いのです。やればできるのです。

加えて、核兵器保有国は、国連加盟国193カ国のうち9ヵ国です。極めて少数です。核兵器禁止条約の署名国は93、加盟国は70を数えています。「核なき世界」に向けて、世界は間違いなく前進しているのです。

「核なき世界」の実現は「私が生きている間は無理」(オバマ)とか「果てなき夢」(岸田文雄)などというのは「今はやらない」という先行自白です。「口先男」に騙されるのはもう止めましょう。

自衛のための核兵器

 憲法9条は、核兵器を使用しての世界戦争は人類社会を崩壊させてしまうと想定し、それを避けるために「一切の戦力」を否定したことは前に述べました。戦力がなければ戦争はできないのですから極めて論理的です。逆に、自衛のためであれ、正義の実現のためであれ、武力の行使を認めれば「悪魔の兵器」である核兵器に頼ることになります。それは、理屈だけではなく、現実がそうなっています。では、自衛あるいは安全保障ための核兵器は合理的なのでしょうか。

自衛のための核兵器使用がもたらすこと

 自衛のために核兵器を自国内で使用することはありえません。使用すれば自国民も死ぬからです。また、どこで使用しようとも、核兵器の特性からして、国境を越えて被害が発生します。中立国にも被害は及ぶし、地球環境も汚染されます。

 そして、相手方が核兵器で反撃すれば―間違いなくするでしょう―双方が滅びることになります。「相互確証破壊」です。自衛のための核兵器が自滅のための兵器となるのです。「平穏は墓場にある」という「最悪のパラドックス(逆説)」です。

 「核の時代」にあっては、戦争は政治的意思を実現するための手段にはなりえないのです。自衛という目的を実現するための核兵器が、防衛の対象である国家と社会を壊滅させてしまうからです。それが核兵器なのです。

 9条はそのような事態を避けるために残された唯一の方法であることを確認しておきましょう。

核兵器と戦争の関係

 なぜその確認が必要かというと、「ラッセル・アインシュタイン宣言」が「たとえ平時に水爆を使用しないという合意に達していたとしても、戦時ともなれば、そのような合意は拘束力を持つとは思われず、戦争が勃発するやいなや、双方ともに水爆の製造にとりかかることになるでしょう。一方が水爆を製造し、他方が製造しなければ、製造した側が勝利するにちがいないからです」と予言しているからです。核兵器をなくそうとするのであれば、戦争もなくさなければならないとしているのです。
9条の先駆性が確認できるのではないでしょうか。

国際人道法と核兵器の非人道性

 ここで、国際人道法に触れておきます。国際人道法は、戦争において、戦闘の方法や手段は無制限ではないという規範です。戦争を違法とするものではありませが、自衛戦争や正義実現の戦争であっても、無差別攻撃や残虐な戦闘手段は禁止されるという戦時における国際法です。「一切の戦争は非人道的なので、戦争をなくす」という考え方ではなく「人道的な戦争」を想定しているのです。

 それはそうなのですが、核兵器は大量、無差別、残虐、永続的な被害をもたらす非人道的兵器であることに着目して、核兵器を禁止する法理として活用することは可能ですし、必要なことなのです。

 
 核兵器についての最初の法的判断は、1963年の東京地方裁判所の「原爆裁判」です。裁判所は「原爆投下は当時の国際法に照らして違法」と判決したのです。1996年、国際司法裁判所の勧告的意見は「核兵器の使用や使用の威嚇は、一般的に違法である」としましたが、「国家存亡の危機」における核兵器の使用や威嚇についての判断は避けていました。 

 ところが、核兵器禁止条約は「核兵器のいかなる使用も国際人道法に反する」としたのです。「国家存亡の危機」における核兵器使用も違法とされ、国際司法裁判所の限界は克服されたのです。

 いずれも判断の背景には核兵器の非人道性がありました。法は非人道性を無視できないのです。核兵器廃絶のための「人道アプローチ」は有効だったのです。

核兵器禁止条約の守備範囲

 確認しておくと、核兵器禁止条約は、戦争を一般的に違法化したり、一切の戦力を禁止する条約ではないのです。そして、核兵器を廃絶したからといって非核兵器が残れば戦争は可能です。また、いったんなくなったとしても復活することは、ラッセルたちがいうとおりです。そういう意味では、核兵器禁止条約は「戦争のない世界」を実現する上では過渡期の法規範なのです。

 もちろん、そのことは、核兵器禁止条約の意義をいささかも減殺するものではありませんが、その守備範囲を確認しておくことも必要でしょう。核兵器禁止条約の発効は「核なき世界」に向けての大きな前進ですが、「戦争のない世界」に向けては、もう一歩の質的前進が求められているのです。それが9条の世界化です。

9条が期待されていたこと

 核兵器がなくなったからといって戦争がなくならなければ核兵器は復活するであろうことは、先に述べたとおりです。だから、核廃絶運動に関わる人は9条の擁護と世界化を展望しなければならないのです。戦争という制度が残る限り、「核なき世界」への到達と維持が元の木阿弥になってしまうからです。核兵器をなくした後にも仕事は残るのです。

 他方、9条の擁護と世界化を求める人は、核兵器を廃絶できないようでは、戦力一般の廃絶など絵に描いた餅になってしまうでしょう。

 ここで、9条は何を期待されて誕生したのかを再確認しておきます。

 先に紹介した幣原喜重郎は、「憲法9条は、我が国が全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的な地位を占めることを示すもの」という答弁もしていました。9条は、「核の時代」にあって、「徹底的な平和運動」の先頭に立つ「指導的地位」を期待されていたのです。核兵器廃絶がその射程に入ることは自明でしょう。

戦争の廃絶に向けて

 戦争の廃絶について考えてみましょう。確かに、戦争の廃絶は決して簡単なことではありません。けれども、戦争は人の営みです。人の営みを人間が制御できないことはありません。人類は奴隷制度も植民地支配もアパルトヘイトもなくしてきました。いずれも、手強い反対にあいながらです。強欲な頑迷保守や好戦論者や悲観論者はいつの時代も存在します。変革を求めないことを「現実的」として受容し、変革を求めることは「理想的に過ぎる」として敬遠する人々も少なくありません。

 けれども、人類は戦争をなくすための思想も育んできました。1920年代の米国の「戦争非合法化」の思想と運動もその一例です。戦争という制度を「無法者」として社会から放逐してしまおうという思想と運動です。戦争の方法や手段の制限だけではなく、戦争そのものを非合法化しようという発想です。

 そうです。この「戦争非合法化」の思想は憲法9条の淵源のひとつなのです。このような徹底した非軍事平和思想が日本国憲法に影響を与えているのです。

 「戦争非合法化思想」が「核のホロコースト」を契機として日本国憲法9条に結実したのです。言い換えれば、徹底した平和思想が、人類最悪の悲劇を梃子として、憲法規範として昇華したのです。「転禍為福」(災い転じて福となす)と言えるでしょう。

 けれども、ややこしく考える必要はありません。そもそも、核兵器が使用されれば「皆くたばってしまう」ことなど、誰にでも理解できるからです。そういう意味では、憲法9条は、「核の時代」においては、当たり前の法規範なのです。法は人々を生かすための知恵でもあるのです。

まとめ

 この79年間、核兵器は実戦で使用されていません。使用計画もあったし、核戦争の瀬戸際もありました。事故もあったし、誤発射の危険性もありました。けれども、現実に使用されたことはなかったし、地球は吹き飛んでいないのです。

 その理由は、被爆者をはじめとする反核平和勢力の運動もありましたが、「運がよかった」だけかもしれません。地球の未来を運任せにすることはできません。意識的な戦略としなければ、地球にひびが入ったり、吹き飛ぶかもしれないからです。

 だから、今求められていることは、核兵器不使用の継続ではなく、核兵器廃絶なのです。廃絶までの法的枠組みは既に核兵器禁止条約があります。その国際法規範を普遍化することによって「核なき世界」の実現は可能なのでする。

 当面、日本政府に署名・批准させることが必要です。その運動を反核平和勢力だけではなく、護憲運動(立憲主義回復運動を含む)をしている方たちの理解と協力をえて進めることが求められています。

 
 他方、憲法9条も風雪に耐えてきました。憲法に拘束される立場にある政府や国会議員(護憲派は除く)だけではなく、多くの改憲勢力からの攻撃に耐えてきたのです。「お疲れ様日本国憲法」などと引退を迫ったり、「憲法を現実に合わせろ」という憲法が何のためにあるのかを理解しない意見もあります。

 既に、個別的自衛権のみならず集団的自衛権も認められるという「法的クーデター」といわれる現実もあります。しかも、裁判所もそれを制止しようとしないのです。

 そして、米軍とともに世界のあちこちで武力の行使を可能とするための改憲策動も、執念深くかつ陰険に続けられているのです。

 
 現在、政府は、中国、北朝鮮、ロシアとの対立(もっぱら中国)を前提に、米軍との一体化、自衛隊基地の強化、武器の爆買いなど戦争の準備を着々と進めています。戦争を避けるのではなく、戦争に備えているのです。

 敵基地攻撃を行えば敵国からの反撃は避けられません。だから、「国民保護」も必要となります。「国民保護計画」は核攻撃があった場合も想定しています。「ヨード剤を飲んで雨合羽を被って風上に逃げろ」というものです。被爆者は「爆心地に向かえと言うのか」と怒っています。雨合羽とヨード剤で被害を食い止められるのなら、核戦争など「たいしたことはない」でしょう。政府は「被爆の実相」を無視しているのです。


 岸田首相は「敵基地攻撃」や「戦闘機の共同開発」も「憲法の平和主義の理念の範囲内」と言っています。それが彼の憲法感覚なのです。そういう首相の下で、武力の行使を前提とする「国を挙げての防衛体制の確立」が進んでいます。「国を挙げて」の中には、自衛隊や政府機関、財界や読売新聞などのマスコミだけではなく、学界や地方自治体も含まれています。「防衛体制の確立」とは、米国とのグローバル・パートナーシップや同盟国・同志国との連携強化に基づく対中国包囲網の構築を意味しているのです。


 学術団体や地方自治体や民間企業を戦争協力へと誘導あるいは強制するための仕組みも次々と作られようとしています。日本学術会議の法人化、政府の自治体に対する指示権、セキュリティ・クリアランス制度の導入などです。学問・研究、自治体、企業を経由して、個人生活も軍事色に染められようとしているのです。

 それに対抗するたたかいも展開されていますが、事態は予断を許しません。

 
 今、日本は、「核兵器を含む武力による安全と生存の維持」なのか「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼しての安全と生存の維持」なのかが正面から問われているのです。「武力による平和の道」は人類社会の終わりへの道です。「諸国民の公正と信義による平和への道」は78年前から示されている道です。「核の時代」の後にどのように未来社会を創るのか、その選択は私たちに委ねられているのです。

 核兵器廃絶よりも前に、政府が「熱い戦い」を始めるかもしれません。「政府の行為によって再び戦争の惨禍」が起きるかもしれないのです。もちろんそれは他国の民衆の殺傷も意味しています。核兵器廃絶運動は政府や与党の動きに敏感でなければなりません。


 核兵器廃絶や9条の擁護と世界化を希求する私たちには、「戦争前夜」といわれるほどに急速に進行している戦争の準備を阻止する運動が求められています。そのためには、反核平和勢力と護憲平和勢力との相互理解と相互協力とが必要不可欠です。


 被爆80年・敗戦80年という節目の年を、この国の進路を大きく転換し、核兵器も戦争もない世界に一歩でも近づく機会にしようではありませんか。

 腐敗し堕落した自民党政治を終わらせ、全ての人が、恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに、その個性を生かしながら、自由に生活できる社会をつくるために、引き続き頑張ろうではありませんか。

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2024.7.11

腐敗した自民党による改憲を許さない【2】
-「核の時代」でこそ9条が求められる-

腐敗した自民党による改憲を許さない【1】から続く


引き続き、自民党政治の特徴についての話をします。

Ⅲ 核とドルの支配の受け入れ

 岸田文雄首相は、吉田茂元首相を「傑出した政治指導者の一人」と評価しています。その理由は、吉田氏が日本防衛を米国に任せ、米国資本を導入して、日本に奇跡的な高度成長をもたらしたからだということです。「日本は核とドルの下で生きていく」という「吉田ドクトリン」を最大限の評価しているのです。この「日本国の命運を米国の核とドルに委ねる」という基本姿勢は、現在も、何も変わっていません。岸田首相はそのことを私たちに判りやすく教えてくれているのです。

 このことを違う言葉でいえば、米国に「自発的に従属する」ということです。この思考パターンによれば、米国に逆らったり、独自の政策をとることなど出来ないことになります。米国の「核の傘」という究極の暴力に依拠し、経済関係での利害を同一にしている立場からすれば、自主・自立など想定できないからです。「昔天皇、今アメリカ」という現象が起きているのです。日米安保条約の解消などは「国体の変革」を求めることと同様に「危険思想」扱いされるのです。

 米国では、戦争を商売とする軍人と金儲けの機会とする軍事産業とその使い走りをする議員とそれを支持する愚かで野蛮な選挙民がいまだ力を持っています。「軍産複合体」の支配です。日本の支配層はその勢力に抵抗せずむしろ迎合しようというのです。それが「核とドルに依存する」という意味です。

 私たちは、日米関係の基礎には、このような発想が根強くはびこっていることを視野に入れておかなければならないのです。その端的な表れが核兵器禁止条約についての日本政府の姿勢です。

Ⅳ 核兵器禁止条約と日本政府

 核兵器のいかなる使用も「壊滅的人道上の結末」をもたらすので、それを避けるための唯一の方法は、核兵器を廃絶することであるとして「核兵器禁止条約」が発効しています。ところが、日本政府は「禁止条約は国民の命と財産を危うくする」として、禁止条約への署名・批准は拒否しているし、締約国会議へのオブザーバ参加にも消極的です。

 ところが、岸田首相は核兵器廃絶を言っているのです。それは、核兵器がもたらす「容認できない苦痛と被害」や「壊滅的人道上の結末」、そして国民の反核感情を無視できないからでしょう。核兵器廃絶をいうことは大事なことです。けれども、氏は「核とドルの支配」を全面的に受け入れているので、米国の核兵器を否定する禁止条約を容認することはできないのです。だから、岸田さんは「今すぐなくす」とは言わないのです。それが日本の首相の正体です。

 私たちは、核兵器廃絶を未来永劫の理想ではなく、喫緊の現実的課題とするリアリストでなければなりません。核戦争の危機が迫っているからです。被爆者の願いに応えるためにも、また、私たちと次世代の未来のためにも、核廃絶の掛け声だけでない行動が求められているのです。そして、そのたたかいは「核とドルの支配」を全面的に受け入れている政治勢力との戦いでもあることを忘れてはならないのです。

 
ここで、核兵器廃絶と憲法9条擁護の関係について考えておきましょう。

Ⅴ 9条誕生の背景

 ここで、政府が1946年11月に発行した『新憲法の解説』を紹介しておきます。

 一度び戦争が起これば人道は無視され、個人の尊厳と基本的人権は蹂躙され、文明は抹殺されてしまう。原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、または逆に戦争の原因を終息せしめるかの重大な段階に達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺するであろうと真剣に憂えているのである。ここに、本章(2章・9条)の有する重大な積極的意義を知るのである。

 

 ここで識者とは幣原喜重郎氏のことです。幣原氏は、憲法改正が議論されていた帝国議会で政府を代表して次のような答弁をしています。

 我々は今日、広い国際関係の原野に於きまして、単独にこの戦争放棄の旗を掲げて行くのでありますけれども、他日必ず我々の後についてくるものがあると私は確信しているものである。…原子爆弾というものが発見されただけでも、或戦争論者に対して、余程再考を促すことになっている、…日本は今や、徹底的な平和運動の先頭に立って、此の一つの大きな旗を担いで進んで行くものである。即ち戦争を放棄するということになると、一切の軍備は不要になります。軍備が不要になれば、我々が従来軍備のために費やしていた費用はこれもまた当然に不要になるのであります。

 当時の政府は、次の世界戦争では核兵器が使用され、人類社会は滅びることになると予測して、核兵器のみならず、全ての戦力の放棄を提案していたのです。

 日本国憲法9条は、「核の時代」を自覚し、核兵器だけではなく「一切の戦力」を放棄する徹底した非軍事平和思想に基づく最高規範として誕生したのです。憲法9条は「核のホロコースト」を経て創られた「核の時代の申し子」なのです。

 現在の政府はそのことを忘れたかのようです。政府が忘れても、私たちは忘れてはならない「平和思想の到達点」なのです。9条の改悪は許さず、これを世界の規範としなければならないのです。

Ⅵ 人類を滅亡させますか、戦争を放棄しますか

 人類社会が水爆時代に入った1955年(ビキニ水爆実験は1954年)。ラッセルやアインシュタインたちはもし多数の水爆が使用されれば、全世界的な死が訪れるでしょう。瞬間的に死を迎えるのは少数に過ぎず、大多数の人々は、病いと肉体の崩壊という緩慢な拷問を経て、苦しみながら死んでいくことになります」としていました。そして「私たちが人類を滅亡させますか、それとも人類が戦争を放棄しますか」と問いかけていました。

 この「ラッセル・アインシュタイン宣言」の問いかけに私たちはどのように答えたらいいのでしょうか。

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2024.7.11

腐敗した自民党による改憲を許さない【1】
-「核の時代」でこそ9条が求められる-

はじめに

今、世界では

 世界を見ると、ロシアのウクライナ侵略やイスラエルのガザ地区でのジェノサイドなど、目を覆いたくなる事態が続いています。侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する武力の行使です。ロシアの行為はこれに該当します。ジェノサイド( genocide)とは、(種族:英語のgenos)と(殺害:英語のcide)の合成語で、国民的、民族的、人種的又は宗教集団の全部又は一部を集団それ自体として破壊する意図をもって行われる行為です。日本語では「集団殺害」、「集団虐殺」などと言われます。イスラエルの行為はこれに該当します。
 けれども、ロシアに対する制裁は強調されていますが、イスラエルの暴挙を止めようとする動きは鈍いままです。
 同時に、気候危機が進行し、地球という人類の生息環境そのものが脅かされています。国連のグテーレス事務総長は、「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が到来したのです」としています。
にもかかわらず、「民主主義国家」と「権威主義国家」などと対立が煽り立てられ、人類の危機に対する国際社会の足並みはそろっていません。
 ロシアは核兵器使用をちらつかせているし、イスラエルも核兵器国であることを隠そうとしません。米国も未臨界核実験を継続しているし、中国も核兵器を増産しているようですし、北朝鮮も核兵器先制使用を憲法に書き込んでいます。日本や韓国は米国の「核の傘」依存を強めています。
国際情勢をもっともよく知る立場にある国連のグテーレス事務総長は、冷戦終結後最大の「核戦争の危機」だと言っています。米国の核兵器のことをよく知る科学者たちは、1947年以降で最も「終末」に近づいているとしています。
 核戦争になれば「壊滅的人道上の結末」が起きることになることや「核戦争に勝者はない。核戦争を戦ってはならない」ことは、誰でも知っていることだけれど、核戦争は近づいているし、核兵器はなくなりそうもないのです。
 気候危機を前にして、戦争や軍拡競争などしている場合ではないのに、「先進国」の政治リーダーたちは対立と分断を前提に物事を考えているのです。
 G7が開催されているけど、そこで語られているのは、ロシアや中国との対立を前提とする話ばかりですし、核兵器への依存はそのままです。

今、日本では

 国内では、「台湾有事は日本有事」と言われ、対中国戦争を念頭に、米軍と自衛隊の一体化や南西諸島の要塞化が進められています。まさに、日本版「先軍思想」に基づいて、現代版「国家総動員体制」が進行しているのです。
 それを進めているのは自公政権です。それをサポートするのは日本維新の会や国民民主党などです。その中核にある自民党の腐敗と堕落は目を覆うばかりです。


 私は、その腐敗と堕落が深刻化する原因は、30年前の1994年の「政治改革」にあると考えています。政治改革の柱は小選挙区の導入と政党助成金の導入でした。

当時、飯能では

 ところで、当時、飯能では「小選挙区制・政党助成法の廃止を目指す飯能連絡会」が結成されており、2001年11月には「政党助成金訴訟の会」が結成されました。そして、2002年3月には、飯能、日高、名栗の住民113名が原告となって、東京地裁に「政党助成金違憲訴訟」を提起しました。

Ⅰ 政党助成金違憲訴訟

1.政党助成金

 政党助成金は、1994年、政治改革と称して小選挙区制とともに導入された制度です。国会議員数や国政選挙での得票数に比例して、国民一人当たり年間250円の税金を各政党に交付する仕組みです。年間320億円もの税金が各政党に分配されることになったのです。
 けれども、国民のなかには政党を支持している人もいれば、どの政党も支持していない人もいます。一方、国民は憲法によって思想・表現の自由や、集会・結社の自由が保障されていますから、どの政党に政治資金を寄付するか、寄付しないかというのは、各個人の自由に属することです。
 だから、その各個人が支払った税金が勝手に支持もしていない政党に分配されてしまうというのは、憲法に保障された「良心の自由」の一形態である「政党支持の自由」を侵害することになるのです。
自民党などは、党員や支持者などの個々人から政治資金をコツコツと集める努力をせず、財界・大企業から巨額の政治献金をもとめる一方、より安定的に税金からも政治資金を得ようとして政党助成金制度を導入したのです。
 また、政党というものは本来、国などから独立した存在ですから、税金で政党の運営資金をまかなうなどは邪道です。
 ということで、原告は裁判を起こしたのです。

2.裁判の結果

 この裁判は、地裁・高裁で勝つことはできませんでした。裁判所は「政党への寄付への自由」は「思想・良心の自由」の一側面であって、憲法19条の保障を受けることは認めました。けれども、政党助成法は原告に対して特定の思想を強制したり、不利益を強制したりするものではない。税金の徴収と政党交付金の交付とは、その法的根拠や手続きが異なり、原告らの支払った税金が直ちに政党交付金としてそのまま政党に交付されているわけではないなどとして、請求を棄却したのです。
 税金の徴収と助成金の交付は別の法律によるものだから、「政党への寄付の自由」とは関係ないという理屈です。税金の徴収も政党への交付も、国家の行為によって行われていることを無視した形式論なのです。
 とうてい納得できない「肩透かし判決」と言えるでしょう。

3.上告と要請行動

 もちろん上告し、最高裁への要請行動も数次にわたって行われました。 
 上告の理由は、政党助成法は、個人の直接的かつ自主的判断で決定されるべき「政党への寄付の自由」を侵害する法律であり、その制定と執行は憲法19条に違反する、というものでした。憲法判断を求めたのです。

 飯能市の杉田實さんは、六年生は社会科教科書で、税金は本来、国民生活を豊かにするものと学習していることを紹介し、「政党が税金から自分たちの活動費を分けてもらうことは、小学生が学ぶ、税金の正しい使い方に照らして本来の姿ではないでしょう。純真な小学生にも理解できるような正しい判断を切望します」との陳述書を提出しました。

 残念ながら、上告は棄却されました。憲法問題ではないという理由です。政党助成金は国民個人の「政党支持の自由」という基本的人権にかかわる事柄であるし、政党という私的団体に公費を投入することは民主主義の在り方にかかわる事柄であるにもかかわらず、最高裁は憲法問題ではないとしたのです。
 これが、最高裁の人権観であり民主主義観なのです。

4.当時の政権

 1994年当時の政権は日本新党の細川護熙氏を首班とする連立政権でした。政治改革関連法案は否決されたのですが、衆議院議長だった土井たか子氏は、細川総理と自民党の河野洋平総裁との「総総協定」を斡旋し、法案を成立させました。
 国民の政治的意思と国会の議席との間に乖離が生ずる小選挙区比例並立制と憲法違反の政党助成金が日本の政治に導入されたのです。私は、この時に、現在の日本の政治の歪みが始まったと考えています。
 「政党支持の自由」という基本的人権を侵害し、少数派の意思を切り捨てることにより国民の政治的意思を国会に反映しない選挙制度が、国会の多数派によって制定されたのです。しかも、最高裁は「問題なし」としたのです。立法も司法も基本的人権と民主主義の原理を軽視してしまったのです。
 これでは、日本の政治状況や人権状況が悪化することは避けられないでしょう。それにしても、「総総協定」を仲立ちした土井たか子氏はとんでもないことをしたものです。

5.歪みの噴出

 私は、その「政治改革」の歪みが、今、自民党の腐敗と堕落という形で噴出していると考えています。自民党の支持率と議席の占有率には大きな乖離が生まれています。2021年の衆議院選挙の自民党の小選挙区の得票率は48.4%だったけれど、65.4%の議席を確保しています。半分以下の得票率で3分の2近い議席を確保しているのです。小選挙区制は一人しか当選しないので、相対的多数派は議席においては絶対的多数を得ることが可能なのです。
 また、政党助成金の導入と企業・団体献金の禁止は一体となるはずでした。それが、政治家個人への寄付は禁止されるけれど、政党や政治団体への寄付は許容されたのです。政党助成金と企業・団体献金の二重取りが始まったのです。
 「政治改革」によって、自民党にとっては、議席も金も自分に都合よくなったのです。それが腐敗と堕落の温床となっているのです。

Ⅱ 政治資金規正法

1.「裏金問題」が典型的な腐敗と堕落の症状

 企業・団体からの政治家個人への寄付は禁止されています。政党や政治団体への寄付は、制限がありますが、禁止はされていません。対価を求めないで寄付をすることは背任となりうるし、対価を求めれば贈賄ということになります。税理士団体が自民党に献金することは、税理士個人の「政党支持の自由」を侵害することになるというのは最高裁の判断です。企業・団体献金は、そもそもそのような問題を抱えているのですから、禁止されなければならないのですが、そうはなっていないのです。
 ところで、本来、パーティ券販売は寄付ではありません。会費をパーティで使えば余りはないからです。けれども、実際に販売されるパーティ券は対価性がありませんから寄付になります。政党や政治団体に対する寄付の制限の脱法行為ということになります。
 更に問題は、ノルマを超えて販売されたパーティ券の代金は、政治家個人にキックバックされていたことです。政治家個人にかかわる政治団体がそのキックバック分を帳簿に記載しなければ「裏金」となるのです。これでは、政治家個人に対する献金が禁止されている意味がありません。その仕組みを誰が創ったのかは明らかにされていませんが、自民党が創ったことは間違いありません。

2.政治資金規正法

 政治資金規正法は「議会制民主政治における政党や政治団体の重要性にかんがみ、政治資金の収支の公開などの措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、民主政治の健全な発達に寄与する」ために制定されています。

 キックバック議員は、正確な「政治資金の収支」が大前提なのに、それを意図的にごまかしたのです。今回の事態は、政治の「公明と公正」を害し「民主政治」の根幹を揺るがす大問題なのです。彼らは「民主政治」を理解しない「犯罪者」であることを確認しておくことにしましょう。そもそも、彼らに国政を担う資格がないのです。

3.問題は政治資金規正法ではない

 これは、政治資金規正法に問題があるのではなく、自民党や自民党議員に問題があるのです。規正法改正などと大騒ぎしていますが、どんな規制をしても、自民党の金権体質は変わらないでしょう。企業や保守系団体から献金を受け、その献金をした勢力のための政治を行うために、その勢力とは違う勢力の票も集めなければならないからです。要するに買収や供応による票集めです。河井夫妻の買収や「桜を見る会」の経緯を観れば、容易に理解できるのではないでしょうか。

 領収書のいらない金を欲しがる人やタダの飲み食いが好きな人はいるのでしょう。だから、政治活動費の「透明化」など出来ないのです。河井夫婦の買収事件など、氷山の一角だと私は思っています。大企業や米国の利益とは縁のない人たちの票を集めるには「現ナマ」が有効なのでしょう。「後援会」の維持のためにもお金が必要なのでしょう。

 そういう政治家に群がる人にも問題があるとしても、そういう政治家こそが問題であることは言うまでもありません。それがこの国の「民度」であるとすれば、私たちはその改善に取り組まなくてはなりません。

4.「世論工作」の必要性

 また、世論誘導をするためにも金は必要です。2013年、麻生太郎氏は「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と言っていました。

 そのナチスの宣伝大臣などを務めたゲッペルスは、ナチスが初めて第一党として選挙に臨んだとき、「われわれは国家組織を動員できるようになったので運動は容易である。新聞とラジオは意のままである。われわれは政治宣伝の傑作を作るつもりだ。金は有り余っている」としていました。麻生太郎氏は、きっと、そのゲッペルスの手口を念頭に置いているのでしょう。自民党の諸君は「支持上げるちょろいもんだぜ民なんて」と思っているのかもしれません。

 改憲のための国民投票に際して、金にものを言わせた、フェイクがあふれかえるような気がしてなりません。今、日本では、自民党流改憲に正面から反対するマスコミはほとんどありませんから、その危険性は一層高くなるでしょう。

5.自民党は大金持ち

 各党に2024年に交付される政党助成金(もちろん国庫金です)総額は315億3652万円で、その内、自民党は160億5328万円です。

 このようなことが、この30年間行われてきたのです。

 2021年9月24日のNHKによれば、政党交付金を使い切らず積立てられた金額は、総額323億円で、その内、自民党は252億7200万円とされています。「金は有り余っている」のではないかと思うのですが、まだまだ足りないようです。腐敗と堕落に貪欲も加わっているようです。

6.「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」

 ただし、彼らの腐敗と堕落を政治不信一般にしてはなりません。この事態は「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」という箴言のとおりの自民党の腐敗だということを見抜かなければなりません。マスコミは「政治不信」という言葉を使用し、自民党の問題だということを隠ぺいしようとしているので注意が必要です。

 この「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」という言葉は、イギリスの思想家であるアクトン卿が1887年に使用したそうです。何とも鋭い指摘だと思います。 

 「権力を担当する者がすべての権力を濫用しがちであることは永遠の経験が示すところである。権力が濫用されないようにするためには、権力が権力を抑制するようにしておかなければならない。」(モンテスキュー『法の精神』・1748年)という言葉と合わせて記憶しておきたいと思います。これは、三権分立の考え方であり、権力を憲法という鎖で縛るという「立憲主義」の源流となる思想だからです。

7.腐敗しているのは自民党

 自民党も永年権力を握ってきたので腐敗することは「永遠の経験」なので避けられないのでしょう。けれども、私たちはそれを許してはなりません。腐ったリンゴを排除しないと他のリンゴもダメになるからです。市民社会から腐ったリンゴを排除することは、市民社会の健全さを維持するために必要なことですが、腐ったリンゴではなく、リンゴ全体の問題とすることは、問題のすり替えです。

 自民党が腐っているのに、政治一般に問題があるような言説は事態の把握としては不正確です。「政治不信」などと言う言葉は、リンゴ全体に問題があるかのように取り扱っているのです。これでは、「無関心層」を増やし、結果として、自民党の延命に手を貸すことにしかなりません。

 私たちは、そのことをしっかり見抜き、自民党政治を終わりにしなければならないのです。そのための工夫が求められています。立憲野党の共同はその最も大きな課題です。

 また、中長期的には、小選挙区制を基本とする選挙制度を改め、政党助成金を廃止することが求められています。これは、日本社会に民主主義と基本的人権を根付かせるために必要な作業だからです。

 引き続き、自民党政治の特徴についての話をします。

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2024.6.10

米国の広島・長崎への核兵器投下の法的責任を問う「原爆国際民衆法廷」の準備のための「第2次国際討論会」に参加して

はじめに
 6月7日と8日、広島で開催された韓国の「平和と統一のための連帯」(SPARK)が主催する標記の討論会に参加した。「原爆国際民衆法廷」というのは、韓国の被爆者が原告となって、米国の原爆投下を裁こうという反核平和運動である。
 米国政府を米国の裁判所で裁かせるという構想もあわせ持つ模擬法廷の提起だ。正式の法廷であれ、模擬法廷であれ、法的構成も含めて、その主張を整理しておくことは必要である。だから、彼らは英知を結集するための「国際討論会」を企画しているのだ。
 今回は、米国、ドイツ、スイス、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、日本などからの研究者、弁護士、市民活動家などが参加している。私も、日本反核法律家協会会長という立場で、昨年から討論者の一人になっている。

私のテーマ
 今回、私に与えられたお題は「韓国被爆者の立場から見る米国の広島・長崎への核兵器投下の歴史的意味」だ。前回は「韓国人被爆者にとっての原爆投下の軍事的・政治的意味」だったから、似たようなテーマではある。今回も討論原稿はそれなりに準備したつもりでいる。結びだけ紹介しておくと、「植民地支配と被爆という二重の被害を受けている韓国人被爆者は、過去の清算と『核なき世界』という未来の形成に深くかかわっています。私は、日本の市民社会の一員である法律家として、過去の清算には加害者としての自覚を持ちながら、そして、『核なき世界』の実現のためには同じ志を持つものとして連帯していこうと決意としています」というものである。
 ところで、会場の若い参加者から質問があった。「日本には戦争を終わらせようという市民社会の声はなかったのか」ということと「天皇の聖断というけれど、本当にそうなのか」という質問だ。何とも、鋭い質問だと思う。
 私は、「大日本帝国時代の日本は万世一系の天皇が支配する国で、その国体に反対するものは、治安維持法の下で弾圧され、転向を迫られ、戦争に反対する声はかき消されてしまった」、「天皇は、終戦詔書で、敵は残虐な兵器を使用したのでこれ以上戦争を続けられないとして、敗戦を核兵器のせいにしている。戦争を始めたことを全く反省していない。ずるい態度だ」と答えておいた。彼女が納得したかどうかはわからないけれど、私はそのように考えている。

他のテーマ
 他の分科会のテーマは、「1945年の米国の核兵器投下以降の国際法・特に国際人道法から見た核兵器使用の不法性」と「拡大核抑止の不法性と、それの朝鮮半島・北東アジアとの両立不可能性及び克服方策」だ。
 「1945年以降の国際法から見た核兵器使用の不法性」についての報告者の一人は山田寿則さんだった。ジェノサイド条約や国際刑事裁判所規程などが紹介され、結論は「不法である」であった。
 「拡大核抑止」についての報告も興味深かった。米国のチャールズ・モクスリー弁護士の報告は原稿を見ないで歩き回りながらだった。きっと、彼は法廷でこんな調子で弁論をしているのかもしれない。内容はともかくとして印象には残った。
 報告者や討論者の原稿は、全て、韓国語、英語、日本語でかつての電話帳並みの分厚い報告書に収録されている。河上暁弘さんに奨められて私の話を聞きに来たというNHKの小野文恵アナウンサーが「これをタダでもらっていいのかしら」というので、「大丈夫です。彼らの意気を感じておきましょう」と対応しておいた。
 韓国の市民団体が広島で国際会議を企画し運営するのだからその意欲とエネルギーには驚嘆する。韓国からは2世、3世の被爆者を含む80名からの参加だ。日本を含む外国からの参加者を含めれば200名近い規模だ。平岡敬元広島市長の姿もあった。韓国語、英語、日本語の同時通訳が行われていた。青年たちの溌剌とした姿がまぶしい。マスコミからの取材も受けた。どのように生かされるのか楽しみではある。

平和資料館と韓国人被爆者慰霊塔
 「国際討論会」に合わせて平和資料館の見学や韓国人慰霊塔前での慰霊祭なども開催された。資料館の展示はいつ見ても怒りが湧いてくる。こんな悲劇を惹き起こす核兵器に依存しようとしている勢力に対する怒りだ。平和公園にある韓国人被爆者の慰霊塔前での慰霊式で、日本からの参加者を代表してのスピーチを依頼された。何を語ればいいのか悩んだけれど、次のような内容にした。

慰霊の言葉
 慰霊の式典に際して、日本人参加者の一人として、一言ご挨拶させていただきます。
私の父は、大日本帝国陸軍の一兵卒として、中国大陸に従軍しました。その父は、私に「戦争だけは絶対だめだ」と言っていました。父は私に語ることができないようなことをしてきたのかもしれません。
母は私に「原爆が落とされた時、銀行が開くのを待っていた人が、影だけを石に残して死んだ」という話をしたことがあります。資料館に展示されている「人影の石」のエピソードです。私は、この話を聞いた時、何とも言えない恐怖心に襲われました。日常が、抗えない力によって、一瞬のうちに奪われることの恐怖です。 
 私は、その父や母の子供として、戦争も核兵器もない世界を作りたいと考えるようになったのだと思います。
 もう一つの話をさせてください。私の小学生時代の恩師が、弁護士になった私に電話をかけてきました。「ケンちゃん。うちの子が朝鮮人と結婚すると言っているんだ。何とか止める方法はないだろうか」というのです。私は驚きました。朝鮮人に対する差別意識がこのように深く日本人に沁み込んでいることに対する驚きでした。
 私は、そういう風土の中で生活していることを忘れないようにしようと思ったものです。

 ところで、私たち日本反核法律家協会は、この8年間、「朝鮮半島の非核化のために」をテーマとして、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、中国などの人も含めて、意見交換をしてきました。その問題意識は、朝鮮半島で核戦争は絶対に起こしてはならない、そのためには「北の核」だけを問題にすればいいわけではないとうことでした。多くの有意義な議論はできたとは思っていますが、朝鮮半島の非核化はまだ実現していません。

 更に、現在、ロシアやイスラエルは、核兵器使用の威嚇を伴いながら、侵略戦争やジェノサイドを行っています。国連のグテーレス事務総長は核戦争の危機はかつてなく高まっていると警告しています。核戦争の危機は朝鮮半島だけではなく全世界に広がっているのです。核兵器が人間に何をもたらすかは誰でも知っているにもかかわらず、核戦争の危機が高まっていることはまさに異常な事態です。

 その異常の原因は核兵器保有国や核兵器依存国が「核兵器は相手の攻撃を抑止する道具」としているからです。核兵器が国家安全保障の道具だとする核抑止論こそが、核戦争の危険性を生み出しているのです。核兵器が「死であり、世界の破壊者」であることは「原爆の父」と言われるオッペンハイマーが自覚していたことです。核抑止論者は核兵器という「死神」に地球の命運を委ねようとしているのです。

 核抑止力が破綻しない保証は誰もしていません。それが破綻した時、「壊滅的人道上の結末」が起きることは、核兵器禁止条約が明言するところです。私たちは、この核抑止論を乗り越えなければ、また、原爆慰霊碑を作らなければならないどころか、慰霊碑を建立する人がいなくなってしまう事態を迎えるかもしれないのです。

 そのような事態を起こさせないための根本的方法は、核兵器を廃絶することです。そのために求められることは、米国の政府や市民社会の核兵器観を変えることです。
 私は、韓国の被爆者やその支援者にしかできないことは、原爆投下は植民地解放に役立ったかどうかにかかわらず、絶対に使用してはならない非人道的で国際人道法に違反する行為であることを、米国政府と市民社会に訴えることだと考えています。
 この碑には、「韓民族は、この太平洋戦争を通じ、国家のない悲しみを骨身にしみるほど感じ、その絶頂が原爆投下の悲劇であった」と記されています。
私は、植民地支配と侵略戦争を行った日本人の末裔の一人として、自らの原点を忘れないようにしながら、韓国の皆さんとも連帯して、核兵器も戦争もない世界の実現のために微力を尽くしたいと考えています。
皆さん。ともに、頑張りましょう。
ありがとうございました。

まとめ
 演壇から降りるとき「ありがとうございました」という声が聞こえた。席に戻ったら、隣に座っていた韓国人被爆者のリーダーのシム・ジンテさんから握手を求められた。硬い掌だった。なぜかうれしかった。
 国際反核法律家協会のメンバーであるスイスのダニエル・リティエカーやドイツのマンフレッド・モアも参加していた。彼らと、佐々木猛也、足立修一、山田寿則、田中恭子さんたち日本反核法律家協会のメンバーと一献傾ける機会があった。ダニエルとマンフレッドが、SPARKの運動をどう思っているのかを私に聞いて来た。
 私はこんなふうに答えておいた。
 米国の原爆投下を米国の裁判所で裁かせるというプロジェクトは「ミッション・インポシブル」かもしれない。私もそれに挑戦したことがあるのでそう思う。けれども、彼らはそれに挑戦しているのだ。それを知ってしまった私は「逃げるわけにはいかない。出来ることはしなければ」と思っている。
 彼らもうなずいていた。(2024年6月10日記)

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2024.6.3

平和、武力反対、自主、気候重視
―台湾の学者たちの反戦声明―

はじめに
 5月22日~26日の5日間、日本AALA(アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会)が企画した、台湾・金門島、花蓮市をめぐる「平和のための市民交流の旅」に参加した。参加の動機は、「台湾有事」がいわれているので、台湾の状況を少しでも肌で感じたいということにあった。
 丁度、中国が台湾の頼清徳新総裁の姿勢に反発して軍事演習をしている最中だった。台北のホテルではNHKニュースを視ることができるので、日本では「大騒ぎ」になっていることを知ることはできた。もちろん、台湾でもニュースになっているけれど、現地のガイドは「いつものことです」として緊張感はまったくなかった。
 現地の新聞報道によれば、中国軍は米国の対応を考えて実弾は使用していなかったという。事務所のメンバーや家族には心配かけたけれど、金門島も含めて平穏な旅であった。
 それはそれとして、いくつかの貴重な体験もした。「平和、武力反対、自主、気候重視」と題する反戦声明を発した学者グループとの対話、大日本帝国が台湾から撤退した後、台湾では民衆の抵抗や「白色テロ」があったことを知ったことなどである。ここでは、台湾の研究者との交流について報告する。

台湾の学者の反戦声明
 昨年3月20日、台湾の学者・研究者37人が「反戦声明」を発出している。その内容は、⓵ウクライナの平和 停戦交渉を。②米国の軍国主義と経済制裁の中止を。③米中戦争はいらない 台湾は自主を 大国とは友好的で等距離の関係の維持を。④国家予算は人々の生活・気候変動緩和に使え 戦争や軍事に使うな。の4項目である。

⓵では、和平交渉は停戦の唯一の道であるとして、NATOに対して、外交的努力を妨害することを止めることなどを求めている。⓶では、アメリカは建国以来、戦争をしなかった年はほとんどない。2001年以降の20年間で米国の国防支出は14兆ドルに達し、そのうちの2分の1から3分の1が軍需産業の懐に入っている。NATOの兵器がウクライナに入り続ける限りこの戦争の終わりは見えない、ということなどに触れられている。③では、米中双方は、すべての意見の相違を平和的手段で解決しなければならない。台湾は自主独立の立場をとり、全人類の平等・福祉・平和を増進できる分野で各国と協力すべきである。各大国とは等距離の外交を維持し、知恵のある戦略と手腕をもって台湾海峡両岸の安全を守るべきである。アメリカの覇権主義の弟分や子分になるべきではなく、逆に、中国の「戦狼」の対抗関係の一環となるべきでもない、とされている。④では、世界が異常気象、水資源枯渇、生物多様性喪失などの多重の危機に直面している今、国家予算はこれらのために使用されるべきであって、軍拡競争や相互挑発というブラックホールにつぎ込むべきではない。13000発もの核弾頭を保有する世界において、迫り来る核による壊滅の脅威が気候変動の危機を覆い隠している。全てが静寂になってしまったとき、政治家たちが戦争で守れると主張する「主権」、「民主主義」、「自由」はどこにあるというのだろうか、とされている。

 その結びはこうである。
 私たちは大陸中国による台湾に対するあらゆる侮蔑、弾圧や武力による威嚇に反対する。しかし、台湾の主要メディアの戦狼・中国に対する批判を繰り返すことは、この声明の役割ではない。私たちが望むのは、人々の英知を集め、米中対抗の下でのより冷静で平和的な台湾独自の進むべき道を考え出すことである。

王さんたちとの交流
 私たちは、この声明に署名している台湾中央研究院の王智明氏たちと交流した。台湾中央研究院は国立の研究機関で3千人からのメンバーがいて、自由に研究しているという。王氏の見解は声明に示されたとおりだし、同席した二人の若い研究員も「ロシアの武力行使は侵略だけれど、NATOの東方展開も問題だ」、「中国との緊張の責任はもっぱら米国にある」とか「べ平連の活動や全共闘の研究をしている」などと報告していたので、自由に研究をしているというのは本当だと思った。台湾では「学問の自由」や「言論の自由」は保障されているようである。

私の発言
 私も日本の平和活動家として発言した。私は、まず、「13000発もの核弾頭を保有する世界において、迫り来る核による壊滅の脅威が気候変動の危機を覆い隠している。全てが静寂になってしまったとき、政治家たちが戦争で守れると主張する「主権」、「民主主義」、「自由」はどこにあるというのだろうか」という部分に強く共感すると述べた。私も、核兵器使用の危機は迫っているし、日本では国家あげての戦争準備が進められていることに危機感を抱いているだけではなく、「全てが静寂になってしまったとき」というフレーズにカントの「永遠平和のために」を感じたからである。
 その上で、日本反核法律家協会の紹介と日本国憲法9条の話を続けた。9条の背景には原爆投下があったこと。つまり、今度、世界戦争になれば核兵器が使用されて人類社会は滅びるかもしれない。だから戦争をしてはならない。戦争をしないのであれば戦力はいらない、という論理を時の政府は展開していたことなどを紹介した。また、世界には軍隊のない国が26ヵ国あるのだから、核兵器も戦争もない世界の実現は決して夢物語ではないことも発言した。
 そして、現在問われているのは「核兵器による平和か」、「平和を愛する諸国民の公正と信義による平和」かである。私たちの選択は明らかではないかと提起した。
 最後に、皆さん方の考えが台湾では多数派でないことは承知している。私たちの主張も同様に国内では少数だ。けれども、皆さん方のような人が台湾にいることを知ったことはうれしい。私たちのような日本人がいることも知って欲しいと結んだ。
 三人とも大きく頷きながら聞いてくれていた(ように見えた)。同行したメンバーは「いい交流ができた」と言ってくれた。有意義な時間だった。

まとめ
 米国の対中政策が「関与」から「対立」へと変わったせいで、日本も台湾も中国との「熱い戦い」に巻き込まれるかもしれない。5月20日、中国の呉江浩駐日大使が、日本が「台湾独立」や「中国分裂」に加担すれば「民衆が火の中に連れ込まれることになる」と発言したという。それを問題発言だと騒ぎ立てる勢力があるけれど、「敵国」の大使が言っているのだからその危険はあると受け止めることが肝要であろう。「台湾有事は日本有事」というのは、「火の中に巻き込まれる」危険を自ら招くようなものだということを忘れてはならない。
 私たちに求められていることは、米国の扇動に乗って軍事力を強化することでも、台湾に味方することでもなく、人々の英知を集め、米中対抗の下でのより冷静で平和的な日本独自の進むべき道を考え出すことであろう。武力衝突となれば核兵器が使用され「すべてが静寂となる」かもしれないからである。(2024年5月30日記)

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2024.5.31

寅子が幸せな理由 ―法の下の平等への挑戦―

 私は、寅子は幸せだと思う。父の直言は寅子を宝物だとしていたし、夫の優三は、寅子が自分らしい人生を送ることが望みだとしていたからだ。父や夫からそんな風に思われている女性は多くはないだろう。私はそう思われている人は幸せだろうし、また、そう思う対象がいる人も幸せだろうと思う。
 では、寅子はどうして父や夫からそう思われたのだろか。直言や優三のキャラもあるだろうけれど、二人とも寅子の飽くなき挑戦心に魅力を覚えていたのではないだろうか。高い目標を持ち人並外れた努力をする人に喝采を贈りたいことは理解しやすい心情である。けれども、自分の身内が、世間の常識とは外れた行動をとろうとすると、それに水をかけようとする現象もありふれている。自分の子どもが困難な道を進もうとすることに不安を覚えたり、パートナーの幸せよりも自分の幸せを優先することなど決して不思議ではない。けれども、寅子はそうではなかった。父と夫がよき理解者だったのだ。だから、寅子は幸せだと思う。もちろん、そんな期待をされれば責任を伴う。

 寅子が素晴らしいのは、そんな父や夫の期待に応えて、「男女平等」に挑戦し続けたことだ。
日本国憲法14条と13条がドラマの中で紹介されていた。
 14条は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的、又は社会的関係において差別されない。」、「華族その他の貴族の制度は、これを認めない。」と読まれていた、ドラマでは割愛されていたけれど、14条には、栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴わない…、などという条項もある。
 13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に関する国民の権利については公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と全文読まれていた。
 女性差別を身をもって味わい、それに抗ってきた寅子からすれば、「性別により、社会的関係において差別されない」などというフレーズは「天からの贈り物」のように思われたであろう。
 自分が個人として尊重され、その生命や自由や幸福になりたいという欲求が国政の最優先事項になることなど、誰もが想像できなかったことであろう。戦争や戦力の放棄と合わせて、「新しい時代が始まる」という解放感を多くの人が覚えたであろう。

 ところで、性別による差別を考えるうえで忘れてはならない条文がある。憲法24条だ。
 その1項は、「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」その2項は、「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」とされている。長い条文なので朝ドラで紹介するのは難しいかもしれないけれど、寅子の今後の仕事にもかかわるので、引用される機会があるかもしれない。

 ご承知の方も多いと思うけれど、この条文が憲法に書き込まれるうえで大きな役割を果たしたのが、ベアテ・シロタ・ゴードンである。彼女は、1923年(大正12年)、父レオ・シロタと母オーギュスティーヌの間にウィーンで生まれ、1929年(昭和6年)5歳で来日する。15歳で、サンフランシスコのカレッジに留学し、米国で生活する(両親は日本在住なので、往来はあった)。1945年(昭和20年)12月24日、GHQの民間人要員として日本に赴任。当時、22歳の彼女は、GHQ民生局の一員として、日本国憲法の男女平等の条項を起案する。日本の実情を知っている彼女は、「私は日本の国がよくなることは、女性と子供が幸せになることだと考えていた。だから、色々な国の憲法を読んでも、その部分だけが目に入ってきた。」と回想している(『1945年のクリスマス』・朝日文庫・2016年)。

 三淵嘉子さんは1914年(大正3年)生まれだから、憲法が公布された1946年(昭和21年)は32歳である。司法省に裁判官としての採用を申し出るのは1947年3月である。その時の人事課長は石田和外氏(ドラマでは桂場等一郎)。その後、嘉子さんは裁判官になる。

 嘉子さんがベアテさんのことをどの程度知っていたかどうかは知らない。けれども、寅子がひたすら求めた男女の平等が、嘉子さんよりも10歳ほど若いベアテさんの尽力があって、日本国憲法24条として結実したことは史実である。

 ベアテさんは私の母と同じ年に生まれている。私の母は101歳を迎えた。ベアテさんは2012年89歳で永眠している。私は日本国憲法が施行された1947年に生まれている。私はベアテさんの想いを継承したいと思う。母は私を宝物だという。私は、嘉子さんやベアテさんや母たちがこの100年をどんな想いで生きてきたのか、その想いにどう応えればいいのか、朝ドラの超速い展開の中で考えている。(2024年5月31日記)

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2024.5.21

寅子が受けた試験問題 ―天皇ノ国法上ノ地位ヲ明ラカニスー

 「虎に翼」の寅子が高等文官試験司法科(司法試験)に合格するのは1938年(昭和13年)のことだ。その時の憲法の試験問題は「天皇ノ国法上ノ地位ヲ明ラカニス」と「立法権ノ意義及範囲ヲ論ス」だったそうだ。埼玉弁護士会憲法委員会のメーリスで教えてくれた人がいたのだ。このメーリスでは「虎に翼」をめぐって面白いやり取りが行われていて楽しい。「虎に翼」は憲法問題の宝庫なのだ。

 教えてくれた長沼正敏弁護士は、「第1問は天皇機関説を書きますかね」と問題提起していた。私は「凄い問題だね。忠誠心を確認しようというのだろうか。天皇機関説攻撃は1935年だからね」とレスしておいた。
 もちろん、寅子がどんな答えを書いたのかは知らない。もし、自分がその時の試験を受けていたらどんな答えを書いただろうかと想像してみても何も浮かんでこない。現在の司法試験では自衛隊の合・違憲性を問う問題は出ないという「都市伝説」があるようだけれど、当時は、ストレートに天皇政府への忠誠心を問いかけたのかもしれない。

 ところで、『新版体系憲法事典』(杉原泰雄執筆)によれば、「天皇機関説」というのは、美濃部達吉の「国家は地域を基礎とする団体的人格者(法人)であって、統治権を固有する。天皇は統治権の所有者(権利主体)ではなく法人たる国家の機関だ」という考え方である。他方、上杉愼吉は「天皇をもって統治権の主体なりとなすのみ、共同体をもって、統治権の主体となさざるのみ」として天皇即国家という立場をとっていた、とされている。
 この「天皇機関説」については、「美濃部は、天皇を国家の機関とすることによって、絶対君主制を否定しようとした」と評価されているので(杉原泰雄)、当時の支配層がこの学説を「危険思想」とみなし、美濃部を「異端者」として追放しようとしたことは、容易に想像できる。古今東西を問わず、異端を許さないことは権力の属性だからだ。「焚書坑儒」や「マッカーシー旋風」(赤狩り)がその例だ。

 それはそれとして、寅子は憲法を誰の教科書で勉強したかである。前川喜平氏は、東京新聞5月12日の「本音のコラム」で、5月7日の放送で寅子の机の上に置いてあったのは上杉愼吉の『新稿憲法述義』だったとしている。私はそのことに気が付かなかったので、前川氏の観察眼は凄いと思うし、前川氏も言うように製作者の「念入りな考証」はさすがだとも思う。だとすれば、寅子は「天皇即国家」という「正統学派」の教科書で勉強し、答案を書いたことになる。

 「天皇機関説」は学会では多数説だったようであるが、政治の世界では「国体の本義に悖る」として貴族院・衆議院で糾弾され、内務省は美濃部の主要著書を発禁処分とし、全ての大学で国家法人説の講義は排除された。1935年のことである。
 何やら、最近の学術会議に対する政府や与党の対応と通底している。権力者が学問の世界に口を出すとき、その国は破綻に近づくことになる。「真理」よりも「ご都合主義」が蔓延るからだ。だから、この国も危ない。

 前川氏は「自主憲法制定運動を率いた岸信介は上杉の愛弟子だった。戦後の歴代首相の指南役といわれた安岡正篤や四元義隆も上杉の門下生だった」と書いている。上杉愼吉は、政治の世界で日本をおかしくした人たちに影響を与え続けたようである。

 寅子は上杉本で勉強したようではあるけれど、「ハテ?」という精神を持ち続けたので、私たちをひきつけているのであろう。
 自民党「改憲草案」第1条は「天皇は日本国の元首である」としている。自民党の諸君は、いまだ大日本帝国憲法当時の「天皇観」、「国家観」に囚われているようである。
 寅子たちの受験時代は「こんな人たち」がもっともっと幅を利かしていたのであろう。


 寅子はその後「新憲法」に勇気づけられることになる。
 私も、再度、「新憲法」を反芻してみようと思う。(2024年5月13日記)

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2024.5.9

参議院憲法審査会傍聴記

 5月8日、午後1時から2時30分までの1時間30分、参議院の憲法審査会を傍聴してきました。8会派(自民、立憲・社民、公明、維新、国民、共産、れいわ、沖縄の風)各7分の意見表明と個人の意見表明各3分間話を聞いてきました。

 早く改憲案を提起すべきだとしていたのは維新でした。時間も金もかけた、改憲案ができていないのは怠慢だというのです。審査会の様子をNHKで中継するべきだとも言っていました。私も中継には賛成ですが、維新はその正体がばれるのが心配ではないのだろうかと思いました。私は維新の基本姿勢も創設者たちも嫌いなのです。物は知らないし、論理は無視するし、倫理観は低いし、目先のことしか言わないからです。

 裏金にまみれた議員が沢山いるのに、それを棚に上げて改憲を進めるのはおかしいという意見が、立憲・社民、共産、れいわから出ていました。れいわの山本太郎議員は「犯罪者集団」にそんな資格はないと言っていました。不穏当発言だとして幹事会で議論されるようです。 彼の話を聞くのは2回目だけれど、私は彼の話は好きです。共産党の山添議員の話も引き込まれるように聞くことが多いけれど、山本さんの話は耳に入りやすいのです。ただ、言葉を選んだ方が無用なトラブルは少なくなるだろうとは思います。

 社民の福島議員は、裏金議員を除けば、各議院の改憲派は3分の2を切るだろうと言っていました。なるほどそうなのかと感心しました。

 立憲の辻本議員は、裏金議員が審査会に出ていることを暗に非難していました。「そうだ」との掛け声が飛んでいましたが、私は誰か分からなかったので名指しして欲しいと思いました。

 自民党佐藤正久議員(元自衛隊の髭の隊長)は、緊急事態に際して参議院緊急集会がほんとうに機能するのかどうか、論点整理をするべきだと言っていました。公明党の西田議員も同趣旨のことを言っていました。立憲の小西議員もその点は大事な論点だと言っていました。緊急集会は参議院の最も重要な機能ですから、その議論は不可欠です。この論点での審査が進むかもしれません。緊急集会があれば緊急事態における議員任期延長など不要だという結論を出して欲しいて思っています。その議論に時間をかければ、改憲発議の時期は遅れます。参議院の与党議員の足を止める必要があるし可能かもと思いました。

 共産党の仁比議員は、喫緊の課題は憲法の人権条項を実現することだとして、例えば、裁判所が違憲だと言っている同性婚などについての議論をするべきだと言っていました。改憲よりも憲法の実施が先だろうという立論です。「さすが、仁比くん」と思って聞いていました。

LGBTQの当事者だという立憲の石川大我議員も同性婚について触れていました。こういう場所で少数者の意見を堂々と言えることはうれしいと言っていました。心がこもっていました。

地方自治法の改正は地方自治を否定するものだという議論もされていました。木村草太さんの意見を引用する議員もいました。これも必要な議論だと思います。

 記憶に残ったのは、ある自民党の委員が、ウクライナ憲法には緊急事態条項があったから、戒厳令も出せたし、選挙の先送りも可能だったので、現在のような状況に収まっている。もしなかったら、もっと混乱していただろう。だから、日本にも緊急事態条項が必要だと言っていたことです。


ところで、佐藤正久氏は、日本列島は地政学上、最も危険な場所だとしています。中国やロシアについては、こんなことを言っています。
太平洋に出ようとするときに、通せんぼするように日本列島がある。ロシアや中国からすれば、「あぁ、邪魔だ。日本が自国領ならスムースに太平洋に出られるのに」と、地団駄踏みたい気持ちでしょう(『知らないと後悔する日本が侵略される日』幻冬舎新書、2022年)


彼らは、中国やロシアが日本を攻めてくることを前提に物事を考えているのです。だから防衛力を強化しようというのです。どうすれば攻めたり攻められたりしないようになるかという問題意識はないようでする。どうしても武力(米国の「核の傘」も含め)が必要だというのです。彼は本気でそう思っているのです。それが国と国民を守る唯一の方法だというのです。そして、そういう人は決して少なくないのです。

 もう一つ。山本太郎議員は、現に発生している災害被害に具体的対策を講じない政府や与党に緊急事態を語る資格はないとしていました。無策の災害をいくつか挙げての議論でした。与党批判だけではなく野党に対する批判も言っていました。支持者が増えるのは無理もないなと思って聞いていました。

 あっという間の1時間30分でした。皆さんが原稿を用意していて時間を守っていました。納得できない意見はありますが、真剣さは伝わってきました。貴重な時間でした。
 傍聴席に着くまでにいろいろチェックがあることはいかがなものかと思うけれど(とにかく面倒だった)、議員の皆さんの生の声を聴けたことはよかったです。ぜひ、多くの皆さんに傍聴して欲しいと思いました。


 私たちは主権者であり、憲法改正権者であることは忘れないようにしたいと思っています。この国の未来は自分たちで創らなければならないのだから。(2024年5月9日記)

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2024.5.7

「有害な男らしさ」に基づく抑止力論
 不断の努力とジェンダー平等の実現で克服を

はじめに

 このタイトルは、日本平和委員会[1] の代表理事である岸松江弁護士の「核抑止論を克服するために」と題する講演に際してのものだ(『平和運動』2024年5月号掲載)。核抑止論を不断の努力とジェンダー平等で克服しようという決意がにじみ出ているタイトルといえよう。
 私も「核兵器のない世界」を実現するためには、核抑止論の克服が必要だと考えているので、その問題意識に共感している。加えて、ジェンダー平等という視点は、重要な論点とされているので、大いに興味を覚えている。
 そこで、ここでは、岸さんの講演を紹介しながら、ジェンダーと核兵器について考えてみたい。防衛研究所の核抑止論者たちは、冷戦終結による「核の忘却」の時代から、「新たな核時代」に入ったとして、「核の復権」をまことしやかに言い立て、核抑止論の維持・改善を主張しているので[2] 、そのことも念頭に置きながら論を進めることとする。

核抑止論

 岸さんは、抑止力を次のように要約している。


 抑止力とは、相手より優位に立つ強力な武器を持つことによって相手を威嚇し、攻撃を思いとどまらせようとする威嚇政策です。相手にナイフを突きつけながら仲良くしようというもので、相手を尊重し、相互信頼を前提とする対話と交流による平和外交とは真逆の概念です。
 
 少し付け加えておくと、この「強力な武器」を核兵器に置き換えれば「核抑止論」ということになる。相手国に、自国を攻撃すれば核兵器によって懲罰的な反撃をするぞと威嚇することによって攻撃をためらわせて、自国の平和と安全を確保するという理論である。「平和を望むなら核兵器に依存せよ」という「平和を望むなら戦争に備えよ」というローマ時代の格言の現代版であり、核兵器保有国や日本政府などの核兵器依存国が信奉している原理・原則である。
 日本政府は、中国、北朝鮮、ロシアが、わが国の安全を脅かしているとしているので、抑止の対象国はこれらの三国、とりわけ中国である。そして、これら三国はいずれも核兵器保有国なので、米国の核兵器(核の傘)によって抑止しようというのである。
 唯一の被爆国が唯一の加爆国の核兵器によって、安全保障を確立するという「倒錯の構図」がここにある。核抑止論は、核兵器という「究極の兵器」に自国の運命を委ねようという理論だということを確認しておく。
 抑止論は、岸さんがいうように「対話と交流による平和外交とは真逆の概念」なのだ。


 では、抑止論とジェンダーはどういう関係にあるのか、岸さんの考えを聞いてみよう。

ジェンダーとは

 岸さんはジェンダーについては次のように言う。


 ジェンダーとは、社会的・文化的に作られた性差です。社会が構成員に押し付ける、女性はこうあるべき、男性はこうあるべきだという行動規範や役割分担を指します。男らしさ・女らしさの背景には家父長制度、「家」制度があります。男性は家を発展させ支えるものだという家父長制度の要請のもとに、女らしさ、男らしさが作られてきたのです。
 
 ここでは、「男らしさ」、「女らしさ」が求められた背景が語られている。それは、大日本帝国時代にさかのぼるが、その男性優位の社会は日本国憲法のもとでも続いているという。それは職場における「男らしさを競う文化」だとされている。

「男らしさを競う文化」の背景にある要素

 岸さんは、飯野由里子氏の見解を引用して次のように言う。


そこに共通する要素は、①「弱さを見せるな」。失敗や間違いを認めたら負け。②強さとスタミナ。長時間労働に耐えられること。③仕事第一主義。家庭を顧みないことをよしとする職場文化。④弱肉強食。仕事は協力ではなく競争。同僚は仲間ではなく競争相手、などです。資本主義社会の職場で成果と評価をえるために、こうした「男らしさ」を誇示することが暗黙裡に求められ、また評価されてきました。

「男らしさを競う文化」の弊害

 そして、この「男らしさを競う文化」には弊害があるという。


 相手より優位に立ち、相手を打ち負かそうとする「男らしさを競う文化」は、資本主義社会における競争原理、利潤第一主義に親和性があり、思想的に補強しています。「有害な男らしさ」は、資本主義社会の中で再生産・強化されます。市場の外には家庭や教育現場、自然がありますが、これらは本来利潤第一主義という原理はなじまない。でも、家庭から労働力を市場に提供し、市場で勝ち抜ける子が求められますから、勉強ができ、いい大学に行って、いい企業に入れるような子どもを育てたいという要求になります。とりわけ母親がその責任を負います。
 

 ここでは、職場だけではなく、家庭も「男らしさを競う文化」に取り込まれていることが述べられている。

 その上で、岸さんは、資本主義が発展し独占化し国家と結びつくとき、戦争になるという故畑田重夫さんの理論を援用している。「国家が戦争を遂行するとき、武器産業の買い手は国家である。国家は資本の利潤追求のために戦争を起こすことも厭わない」という理論だ。私は、この理論の説得力は世界の現実によって証明されていると考えているので、岸さんの援用に異議はない。

戦争を正当化するのが「有害な男らしさ」

 岸さんは、戦争を正当化する思想の背景にあるのが「有害な男らしさ」だとしている。「相手をリスペクトするのではなく、勝つか負けるか、弱みを見せたら負けだというものです」というのである。そして、次のように続ける。
 マウントをとるという言い方がありますが、相手より優位に立とうとしたり相手に威圧的な態度で接したりする文化が、知らず知らずのうちに内面化されていくことがあります。それが抑止論を支えているのではないかと思います。

戦争の遂行に利用されるジェンダー

 岸さんは、シンシア・エンロ―を引用して、「男らしさ」の観念による軍事化とは、例えば、男は自分の家族と国を守るために命をかけて戦場に行く。これが男の使命だと考える。戦場に行くことが男の使命だからと内面化することで出兵するわけです。そこに、「男らしさ」、「男の使命」というジェンダーが働いています、としている。 


 その上で、橋下徹の「命をかけて戦っている時に、精神的に高ぶっている集団を休息させようと思ったら、慰安婦制度が必要だということは誰だってわかる」という発言を、戦前の慰安婦制度はまさにこういう発想で作られたと評している。橋下流の愚劣さの指摘である。


 更に、「女らしさ」の観念による軍事化については次のように言う。


 兵士を生み出す軍国の「母」と、夫を送り出して家を守る「妻」が賞賛されます。一方で道徳的純潔と母性的自己犠牲の観念から外れた売春婦や、戦争に反対する女性は凌辱されてもしょうがない、「戦利品」として女性を与えるということが起こりました。

岸さんの結論

 岸さんは、ここまでに述べてきたことに加えて、ジェンダーは戦争の場合だけに問題になるわけではない、日常生活にある性差別・性暴力と戦争は地続きだということとか、「女性の権利」についての国際的潮流の紹介などもしている。いずれも貴重な情報だし、勉強になる。その上で、岸さんの結論は次のとおりである。

 社会の中の差別をなくす運動なしに平和は守れないというのが、今の到達点です。その一つとしてジェンダー平等を実現していかなければ抑止論を克服できず、平和が脅かされていくということではないでしょうか。

私の感想

 岸さんの講演は、ジェンダーと抑止論ということで、核抑止論に焦点を当てているものではない。けれども、核抑止論も抑止の論法である「強力な力で相手を従わせる」ということでは共通している。だから、抑止論一般を問題にすることに意味はある。
 そして、岸さんの議論は、「戦争が日常に入り込むとき、あるいは、日常が『軍事化』されるとき、支配する性―支配される性、という伝統的で父権的なジェンダーが正当化され、そして、強化されていく」という、宮本ゆき氏の議論と共鳴している[3] 。

 けれども、核兵器という「死神・破壊者」が現に存在し、いつ使用されるか分からない状況下においては、核抑止論にもっと焦点を当てて欲しいとも思う。
 核軍拡競争のなかで、巨大な核戦力をうらやましく思うような男性の言葉や感情がみられることを指摘し、それが男性主義に根差すものであるとことを明らかにし、力への依存をジェンダー観点から解明する言説も存在しているからである[4] 。

 冒頭紹介した防衛研究所の諸君は「核の復権」を歓迎しているかのようである。彼らも「巨大な核戦力をうらやましく思うような男性」なのであろう。
 抑止論とは、結局は、力で相手の行動を制約しようとする理論である。人を脅して義務なきことを行わせたり、権利行使を妨害すれば、国内法的には「強要罪」として処罰されることになる。けれども、国際政治においては「皆殺しにするぞ」という脅しが幅を利かしているのである。しかも、その脅しが効いているかどうかは誰も検証できないのである。核抑止論は「最悪の集団的誤謬」とされていたことを想起しておきたい 。

 この核抑止論を克服しない限り、核兵器は存続し続ける。そして、核兵器が存在する限り、それが使用される可能性は残り、いかなる理由であれそれが使用されれば「壊滅的人道上の結末」が人類社会を襲うことになる。

 岸さんはそれを避けるための知恵を提供しているのである。(2024年5月5日記)


[2] 一政祐行(いちまさ・すけゆき)防衛研究所政策研究部サイバー安全保障研究室長編著『核時代の新たな地平』(2024年3月)は、「核の威嚇や核強要が横行する中、抑止力を維持・改善しつつ、意図せざる核戦争勃発を防止するための合理的な軍備管理の手段を講じることが先決だ」として、抑止力の維持・改善を主張している。軍備管理の必要性はいうが、核兵器廃絶という発想はない。意図せざる核戦争の勃発を防ぐには核兵器を廃絶することが唯一の効果的手段であるけれど、彼らはその論理は排除している。

[3] 宮本ゆき著「なぜ、原爆は悪ではないのか」(岩波書店、2020年)

[4] 川田忠明著『市民とジェンダーの核軍縮』(新日本出版社、2020年)は、ヘレン・カルディコットの研究を紹介している。

[5] 1980年国連事務総長報告 服部学監訳『核兵器の包括的研究』(連合出版、1982年)

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2024.5.7

寅子の父直言の受難 ―自白の強要はなぜ禁止されるのか―

 寅子の父の直言(なおこと)が、汚職事件にかかわったとして、逮捕、勾留、予審、公判を体験している。ドラマでは「共亜事件」とされているけれど、「帝人事件」がモデルだといわれている。「帝人事件」というのは、帝国人造絹糸(株)(現、帝人)の株式売買が汚職として追及され,斎藤実内閣の倒壊を招いた事件。被疑者には200日以上の長期拘留、革手錠などの過酷な扱いがなされ、〈司法ファッショ〉の非難を呼んだ。16名が背任罪・贈賄罪などで起訴されたが,1937年12月虚構による起訴として全員無罪の判決が下った。平沼騏一郎を中心とする右翼勢力の倒閣策動に連なって仕組まれた事件(改訂新版「世界大百科事典 」)とされている。

 三淵嘉子さんの父は台湾銀行に勤めていたけれど、「帝人事件」にはかかわっていないので、直言の受難はフィクションである。ドラマでは、寅子やその友だちが取調調書と母の日記の矛盾に気がついて、検察のでっち上げが暴かれるというストーリーになっていて、なかなか面白かった。

 けれども、面白かっただけではすまないことがある。検事が無実の直言を逮捕し、4か月にわたって身柄を拘束し、トラウマになるくらい脅し、関係者のためだなどと噓をついて、直言に自白を強要していたことだ。
 直言は事件に関与していないし、そもそも、その事件は「池の水に映った月」だったのだから、自白しようにも自白の材料などないのだ。にもかかわらず、直言は自白しているのだ。なぜ、やってもいないことを自白するのだろうか。

 18世紀のイタリア人啓蒙思想家ベッカリーアは『犯罪と刑罰』の中で書いている。
「われわれの意思行為は、その行為の原因となっている感覚に及ぼす影響に比例する。しかも人間の感受性には限界がある。だから苦痛の圧力が、被告の魂の根かぎりの力を食いつくしてしまうまで強まったとき、彼はその瞬間もう目の前の苦痛から逃れる最も手っ取り早い方法をとることしか考えなくなる。こうして、責め苦に対する抵抗力の弱い無実の者は、自分は有罪だと自分で叫ぶのだ。」

 直言の行動を観ていると、このベッカリーアの指摘がいかに正しいかが理解できる。直言は、検事の責め苦に負けて、「自分はやっている」と叫んだのである。これは、直言が弱いからではない。普通の人はそういう反応を示すのだ。ベッカリーアのこの文章は「拷問」にかかわることではあるけれど、検事の取調べは「拷問」と同じ効果を直言に与えていたのである。これが、大日本帝国時代の刑事司法の実情である。
 だから、日本国憲法は、拷問を絶対的に禁止しているし(36条)、不利益供述の強制もされないとしている(38条1項)。そして、自白だけで有罪とはされないとことにもなっている(38条3項)。

 けれども、現在の日本においても、長期間の勾留や捜査官による事件の捏造は後を絶っていない。その端的な例が、生物兵器の製造に転用可能な噴霧乾燥機を経済産業省の許可を得ずに輸出したとして、2020年3月11日に警視庁公安部が横浜市の大川原化工機株式会社の代表取締役らを逮捕したけれど、杜撰な捜査と証拠により冤罪が明るみになった「大河原化工機事件」である。現在も、犯罪の捏造が行われているのだ。

 捜査官憲による長期の身柄拘束は「冤罪」の温床である。ちなみに、「冤」という字は、兔が網にかかっている状態を意味しているそうだ。
その身柄の拘束権限は裁判官にある。大日本帝国憲法時代、「司法権は天皇の名において裁判所が行う」とされていた(57条)。日本国憲法の下では、「司法権は裁判所に属する」とされている(76条1項)。法廷に菊の御紋章はない。
 裁判官は天皇の官吏ではないし「独立してその職権」を行使するとされている(76条3項)。けれども、この国の刑事司法は未だ冤罪を生み出しているし、「人質司法」から解放されていないのである。

 私は、この間の「虎に翼」には、直言の受難を組み込み、無罪判決を5月3日に放映したことからして、日本国憲法や現在の司法の実情にも目を向けて欲しいとのメッセージが込められていたのではないかと受け止めている。
 寅子たちの活躍も楽しいけれど、制作にかかわる人たちも、それぞれの立場で、視聴者に訴えたいテーマを持っているのかもしれない。今後も楽しみにしよう。
(2024年5月6日記)

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2024.4.26

寅子の友だち梅子の事情 ―親権の在り方が問われている―


 4月24日放映された「虎に翼」で、寅子の学友の大庭梅子が弁護士を志望する動機を語るシーンがあった。梅子には弁護士の夫と三人の男の子がいる。夫は、明律大学で穂高教授に代わって民事訴訟法の講義をするような弁護士だ。加えて、長男は帝大生だ。そのまま「良妻賢母」を続けていれば生活には困らない状況にある。けれども、彼女はその夫と離婚し、長男以外の子どもたちの親権を確保したいと考えて、弁護士になろうとしているのだ。
 寅子と同級生だから、女性が弁護士になれない時代に、弁護士の夫との離婚で不利にならないように弁護士を志したというのだ。何ともすごい決断だ。
 彼女は妻としても母としても何も誇れるものはないと自己評価していた。けれども、妾をつくるだけではなく、自分を一人の人間としてみていない夫や、その夫と同様に、母を蔑みの目で見る長男との決別を選択したのだ。
 私はそんな決断を凄すぎると思う。逆に、その夫と帝大生の息子の「達成感」の程度の低さが哀れになる。梅子が弁護士になれることを応援したい。

 それはそれとして、番組の中でも触れられていたけれど、離婚した梅子が子供たちの親権者になれるかどうかは難問であることはそのとおりだ。
 当時の民法は「子はその家にある父の親権に服す」(旧877条)としていた。現在の民法は「成年に達しない子は、父母の親権に服する」(818条)とされているのとは大きく違うのだ。家という観念が介在するのだ。
 「子は父の家に入る」(旧733条)とされていたので、梅子が離婚して家から出てしまえば、家に残る子どもは父の親権に服するのは当然とされる。
 現在は、「父母が協議上の離婚をするときは、その協議で、その一方を親権者と定めなければならない」(819条)とされていることと比較して欲しい。母には協議の場所すら提供されていないのだ。当時の民法は、母の意思も子の意思もその視野に入れていないことを確認しておきたい。
 万世一系の天皇が支配する大日本帝国時代の立法者たちは、それが「醇風美俗」あり、望ましい法秩序としていたのだ。言い換えれば、女や子供の意思などはどうでもよかったのである。梅子や寅子は、そういう時代に異議を唱えたのだ。
梅子が二人の子供の親権を確保できるかどうか、せめて「監護権」(旧821条)を確保できるかどうか、見守ることにしよう。

 ところで、現在、離婚後の親権の在り方が議論されている。現行法は、婚姻中は父母の「共同親権」だけれど、離婚すれば父または母の「単独親権」ということになっている。夫婦関係を維持できなくなった夫婦が、共同で親権を行使することは無理だろうから、どちらかが単独でという判断である。
 ところが、それを改めて、離婚後の「共同親権」制度を導入しようというのだ。子供の立場からすれば父と母が共同生活を営んで自分たちを養育してくれることが望ましいであろう。そんなことは誰でもわかることだけれど、それができなくなる場合があるのだ。
 にもかかわらず、裁判所が、離婚した男女に「共同で親権を行使しろ」と命ずることができるようになる民法改正なのだ。国家が、離婚した夫婦に、法の名において「共同での子育て」を強要しようとしているのである。
 私は、これはDVや虐待の問題だけではないと考えている。国家が家族観や親子観を個人に押し付けようとしているのだと受け止めている。
 寅子たちが生きている時代は、女は下等なものとする価値観に基づく家族観や親子観が押し付けられ、今は、離婚しても子育ては共同でやれという価値観が押し付けられようとしているのだ。
 私には、大日本帝国時代、女たちを下等とみてその価値観を法制度にまで持ち込んでいた諸君と、離婚後の「共同親権」にこだわる勢力とは、偏狭で陳腐な価値観の持ち主ということと、自らの価値観を他人に押し付けて恥じないということで通底しているように思えてならない。寅子や梅子たちの戦いは、女たちだけの戦いではないようである。国家と個人の在り方にかかわっているからである。(2024年4月24日記)

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2024.4.23

寅子、明律大学法学部生になる! ―1935年という年―

 「虎に翼」の寅子が法学部生になるのは1935年(昭和10年)、寅子21歳の時だ。当時の日本は、大日本帝国憲法(明治憲法)第1条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあるとおり、神聖にして侵すべからざる天皇(現人神・あらひとがみ)が赤子(せきし・赤ん坊)である臣民(国民)を支配する時代だった。臣民に基本的人権などは保障されていなかったし、むしろ「兵役の義務」はあった。貧乏人や女性に選挙権はなかった。その天皇絶対の体制は「国体」とされ、その転覆をはかろうとするものは、治安維持法によって、死刑または無期懲役もしくは5年以上の有期懲役・禁固(最終的には7年以上の懲役)という刑罰が待っていた。

  参考のために例示しておくと、殺人罪の法定刑は、死刑、無期懲役、3年以上の有期懲役(今は5年)。人の居住する家屋への放火(現住建造物放火)は、死刑、無期懲役、5年以上の有期懲役だから、治安維持法の刑罰がいかに重いかがわかるだろう。
 「アカ」(共産主義者・当時は天皇制を否定し、侵略戦争や植民地支配に反対)は放火犯や殺人犯よりも重罪人だったのだ。その理由は、放火犯や殺人犯は政府転覆など計らないけれど、「アカ」は支配者に抗うからだ。「反逆者」に厳しい態度で臨むのは、古今東西を問わず権力者の普通の姿だ。お上に楯突く者は「非国民」とされるのだ。オッペンハイマーも共産主義者との関わりでその地位を追われている。

 更に、記憶しておかなければならないことは、治安維持法違反の被疑者たちの中には、裁判にかけられる前に、特別高等警察(特高)という公安警察による拷問によって命を落とす者たちもいたことだ。例えば、「蟹工船」などの作家小林多喜二が命を奪われるのは1933年(昭和8年)2月20日だ。

 寅子は、妻が「無能力者」とされていることに驚き、疑問を持ち、怒りを覚えるけれど、天皇制政府に抵抗する者は裁判にかけられることもなく殺されてしまう時代であったことを忘れてはならない。無権利状態は女性だけではなかったのだ。

 1931年(昭和6年)に満州事変が起きている。1933年に日本は国際連盟を脱退している。京大教授の滝川幸辰の著書「刑法読本」が共産主義的とされたのもその年だ。東大教授の美濃部達吉の「天皇機関説」が攻撃されたのは1935年だ。当時のこの国には「学問の自由」や「表現の自由」、「思想・良心の自由」などはなかったのだ。国民の批判や抵抗を抑圧しながら、戦争の準備が着々と進められていたことを、現代と重ね合わせて確認しておきたい。

 これらの出来事を「虎に翼」が描くことはないだろうけれど、寅子が生きていた時代背景は知っておいていいだろう。
 三淵嘉子さんが治安維持法の嫌疑をかけられたことはない。だからといって、彼女が時代に挑戦しようとした姿勢が色褪せるわけではない。けれども、大日本帝国を自称したこの国には、彼女よりも徹底した形で時代に挑戦した女性が生きていたことも確認しておく必要があるだろう。

 伊藤千代子という寅子よりも9歳年上の1905年(明治39年)生まれで、1929年(昭和4年)に24歳で死亡している女性がいる。
 2歳で母と死別、亡母の実家に移り養育される。諏訪高等女学校(現・諏訪二葉高校)に進学、同校教諭(のち校長)で歌人の土屋文明の授業を受けた。千代子は彼に大きな影響を受けたとされている。1924年(大正13年)、尚絅女学校(仙台市)を経て、翌年、東京女子大学に編入。同大学社会科学研究会で活躍。
 1927年(昭和2年)、長野県岡谷で起こった製糸業最大の争議を支援。1928年、初の普通選挙をたたかう労働農民党の支援。同年2月、日本共産党に入党。党中央事務局での活動を始めて半月後、3・15事件の弾圧により検挙される(治安維持法違反)。拷問などで転向を強要されるが拒否。翌1929年、拘禁精神病を発症し、急性肺炎により病死。享年24歳。
2022年、井上百合子主演、桂壮三郎監督(所沢市在住)の映画「わが青春つきるとも 伊藤千代子の生涯」が公開されている。私は所沢で「自分には彼女のような生き方は無理だったな」と思いながら鑑賞した。

 伊藤千代子没後6年を経過した1935年、千代子の恩師であった土屋文明は「こころざしつつたふれし少女よ 新しき光の中に置きて思はむ」と詠んでいる。この歌には、土屋文明の千代子に対する愛惜の念が感じられる。

 三淵嘉子さんが伊藤千代子のことや土屋文明の短歌を知っていたかどうかは知らない。けれども、多感な女性であった嘉子さんはそのことを知っていて(3・15事件は報道されている)、その生き方に影響を受けたかもしれない、などと勝手に想像している。

 それから90年近くが経過している。千代子が命をかけた「こころざし」は、日本共産党が継承しているようである。「虎に翼」の中で、寅子の志はどのような展開されるのだろうか。楽しみにしている。(2024年4月21日記)

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2024.4.17

ウクライナの次は台湾なのか!?

-自衛隊最高幹部たちのシミュレーション


はじめに
日本戦略研究フォーラムという組織がある。「わが国の安全と繁栄のための国家戦略確立に資する…研究を行うと共に、その研究によって導き出された戦略遂行のため、現行憲法、その他法体系の是正をはじめ、国内体制整備の案件についても提言したい」として、1999年に設立された組織である。現会長は屋山太郎氏。故安倍晋三氏が永久顧問である。主要なテーマとして、日本の防衛力などを強化する政策提言が挙げられている。
そのフォーラムが、政治と国民の意識を啓蒙するために、台湾海峡に関するプロジェクトを立ち上げ、「台湾有事」についてのシミュレーションや兼原信克元国家安全保障局次長、岩田清文元陸将、尾上定正元空将、武居智久元海将の座談会を開催している。
その成果が『自衛隊最高幹部が語る台湾有事』(新潮新書・2022年5月)だという。そのリード文は「ウクライナの次は台湾か。その時日本はどうする?「有事の形」をシミュレーション。」とされている。

この小論は、その本で展開されている論理の紹介とそれに対するコメントである。現行憲法の是正を目的とし、防衛力の強化を提言する組織が、どのような発想で政治と国民を啓蒙しようとしているのか、それを知ることは不可欠の作業だと思うからである。以下、彼らはというのは、この本の執筆者4人の総称として理解していただきたい。

台湾海峡の平和が崩れるとき
 彼らは、台湾海峡の平和が損なわれる事態は必ず日本に波及するという。
台湾と与那国島の間は約110キロの近さにある。中国のミサイル約1600発は南西諸島全域を射程に収めている。中国が台湾を隔離しようとすれば尖閣諸島の領域にも中国軍艦艇が遊弋する。東シナ海の様な半閉鎖海で紛争が起きれば、必ず沿岸国を巻き込むことになる、というのがその理由である。
台湾海峡危機は、日本の経済活動に甚大な影響を及ぼす。その影響を最小限に抑えるためには平素からどのような備えが必要になるか、それが問題であるとされている。
その答えは、グレーゾーン(有事とも平時とも言えない状態)から武力衝突の開始までの政策過程を検証する「政策シミュレーション」と「机上演習」であるという。その際に、最も重視したのは、有事法制(2003年)と平和安全法制(2015年)がうまく機能するかどうかどうかであったとされている。
 
要するに、台湾危機に際してどのような軍事的対応が可能かを検討しているのだ。そこには、その危機を避けるという発想はない。けれども、彼らは、台湾危機を期待しているわけでもない。こういうことも言われているからだ。


台湾危機を起こさせてはならない
 彼らは次のように言う。
アメリカは台湾に核の傘を提供していない。軍事的に台湾海峡への対応を真剣に突き詰めている感じもない。「外交的に何とかします」と言われても国民に責任を持つ政治家なら「信用できない」というのが普通だろう。アメリカは強くて遠い。しかも核兵器を持っているから、米中全面戦争は起こりえない。しかし、日本は違う。台湾有事が始まれば、アジア最大の出城である日本は、台湾と同様に蹂躙される危険がある。だから、日本は台湾有事を起こさせてはならない。
 
台湾有事を起こさせてならないという結論に反対する人はいないだろう。日本人も台湾の人も中国大陸の人も大勢死ぬし、人間が作ったものも作れないものも破壊されるからである。それを避ける根本的な方法は、中台間の紛争を武力で解決しないことであり、そのためには、武力の行使ができないようにすることであり、更には、武力そのものを廃棄することである。
けれども、彼らの発想は逆である。アメリカに中途半端な態度をとるなとけしかけるだけではなく、自分たちの防衛力も極大化しようというのである。彼らの発想に耳を傾けてみよう。

中国は日本を狙っている
 彼らは、こんなことを言っている。
中国はミサイルで日本を狙っている。1600発の弾道ミサイルを持ち、500基の発射台付き車両がある。この500基が一度に日本を狙えることになる。この全部を無力化することは不可能だ。しかし、「座して死を待たない」ためには、攻撃対象はミサイルでなくていい。指揮統制中枢でもいいし、司令部でもいい。場合によっては、日本の総理官邸にあたる敵のリーダーシップでもいい。

こうも言う。
中国の第1波というのは、必ずミサイルの一斉発射で来る。それによって航空戦力の発揮基盤を潰されると、航空優勢が取れなくなる。だから、そこをサバイバルしながら、第2波、第3波を防ぐために敵のミサイル基地やなどを無力化しなければならない。

彼らは、中国の武力行使を前提として、ミサイル基地を全部叩くことは不可能だから、敵基地攻撃どころか、習近平を狙える軍事力を持とうと言っているのである。相手が、岸田首相を狙ってくることを想定していないのだろうか。東京や北京に非戦闘員がいないとでも思っているのだろうか。民生用の施設が林立していることを知らないのだろうか。多分そんな頭は働いていないのだろう。

彼らは、台湾危機が発生すれば、在中国、在台湾の邦人をどうするか、先島諸島の住民をどう避難させるかなども考えている。その結論は、在中国在留邦人11万人の救出は絶対に無理だとしている。先島には戦車をおき、毎年演習をやるべきだとも言う。中国で働いている邦人やその家族などは知らん。そんなところにいる方が悪いのだと言わんばかりである。

15年戦争末期の「シベリヤ抑留」、「残留孤児」、「残留婦人」の現代版が起きることになる。そして、先島諸島の住民の生活など、日本を守るためなのだから犠牲になれというのであろう。
彼らは、与那国島に中国の工作員が潜入し、住民投票を行い、日本からの独立宣言をして、琉球王国を復活させるというシミュ―レーションまでしている。だったら、もっと、先島諸島はもとより、沖縄本島の人たちか置かれている状況を丁寧にシミュレーションすべきであろう。

全ては抑止のために
彼らは、「攻撃は最大の防御」とはいうけれど、自分たちが先に手を出したとは言われたくないとも考えている。あくまでも自衛権の行使としなければならないという意識はある。だから、全ての準備は攻撃されないための抑止力とされる。ミサイルの一斉発射に備えなければならないのだから、自衛隊の強化すだけでは済まないことになる。国力を上げての準備が求められるし、法律論などは邪魔者扱いされることになる。だから、こんなことも語られている

量子やサイバー研究の拠点は、横須賀あたりに作って、毎年1兆円くらいの予算を出せ。もちろん、反自衛隊、反日米同盟で軍事研究を許さないと頑張っている日本学術会議の息のかかった施設は除いて。
沖縄の反基地闘争とか、イージス・アショアの失敗とか制度的に地方自治の権限が強すぎる。国の安全保障に関して地方自治体が拒否権を持つことの是非を考えなければならない。
内閣法制局が「憲法違反の疑い」などという曖昧な一言で軍令事項(軍事作戦)に口を出していたが、これは健全な政軍関係から見て異常なことだ。法律論過剰だ。


ここでは、憲法の非軍事条項も、学問の自由も、地方自治も完全に無視されている。全てが、抑止力、防衛力という軍事力に劣後されているのである。日本版「先軍思想」といえよう。
憲法も法律も無視する議論が、国家安全保障局や自衛隊に在籍していた諸君によって、啓蒙家気取りで語られているのである。彼らには、立憲主義とか公務員の憲法尊重義務とか「法の支配」という概念は縁がないのであろう。

米国の核抑止
彼らは、非核兵器による抑止が崩壊した場合には、核による抑止も想定している。戦略核兵器は米国も中国も使用しないだろうと勝手に決めているけれど、戦術核兵器の使用は想定している。核共有は語られてはいないが、核の持ち込みについては検討されている。そして、米国に対しては、先制不使用政策や「唯一目的政策」(核兵器使用は核攻撃に対する反撃に絞る)を採用することは、抑止力の低下につながるので、絶対にやらないようにと注文している。核軍縮や軍備管理は必要だけれど、米国が一方的に変更すべきではないというのだ。岸田首相は核軍縮に強い信念を持っているようだが、台湾有事を念頭に、米国に核抑止の再保証を求めてもらいたいともしている。

米国の核兵器は抑止力として不可欠なのだから、それを弱めるようなことはするなと首相を啓蒙しているのであろう。非核戦力での抑止が機能しなかったら核抑止を機能させようというのである。その核抑止が機能しない場合には、核兵器が使用されることになる。米国が使用すれば、米中間での核の応酬が始まり、米国が使用しなければ、日本だけが中国の核兵器のターゲットとされることになる。広島と長崎が、那覇や佐世保で繰り返されることになる。そのような事態は少し想像力を働かせれば想定できることであろう。

彼らが中国を恐れる理由
 彼らは、中国について次のような見解を持っている。
 中国の経済力は日本の3倍、防衛費は5倍という規模だ。日本は、日米同盟を基本にしてアメリカとの役割分担を考えつつ、まずどう戦うかを考えなければならない。中国に対抗する防衛力を構築しなければならない。
 親中派と言われるシニアの政治家たちは、ロシアが敵だった時の人たちだ。しかも、戦争の贖罪意識があった。70年代、80年代は正しかったもしれないけれど、当時と今とでは日中間の力の差が大きすぎる。今の中国は東の横綱だ。その横綱が、今や、尖閣と台湾を狙っている。経済は半分つながっているのでわざわざ喧嘩する必要はないけれど、外交、安全保障をうまくやらないと中国に屈服させられてしまう。そのくらいの感覚で、日本の対中戦略を完全に繰り替える必要がある。

 
要するに、中国が大国になり、台湾を併合しようとしているし、尖閣諸島の略奪をもくろんでいるので、それに対抗する防衛力を構築しようというのである。そうしないと屈服させられてしまうというのだ。ここでは、大国化した中国に対する恐怖が表明されている。彼らの「弱肉強食の世界観」が滲み出てきているようである。

また、2018年安倍首相(当時)の李克強中国首相歓迎晩さん会でのスピーチにあった「『戦略的互恵関係』の下、全面的な関係改善を進め、日中関係を新たな段階に押し上げていきたい」などという文言は完全に無視されている。故安倍晋三氏は彼らのフォーラムの永久顧問である。それから4年である。何とも早い変わり身である。安倍さんは草葉の陰でどんな想いでいるのだろうか。「よくやった」と思っているのであろうか。

まとめ
 結局、彼らは、大国化した中国の危険性を言い立て、敵意を煽り、対抗する防衛力を構築しようというのである。しかも、その防衛力とは、500発のミサイル同時発射攻撃に対抗でき、北京にいる習近平を狙える程度のものだとしているのだ。のみならず、研究機関も地方自治体も防衛のために動員し、アメリカの核兵器にも依存しようというのである。それが、中国の侵略を抑止する方法だというのである。対中国戦争のための「国家総動員体制」確立の提案である。

彼らは、内閣法制局の戦争を知らないシンプルな頭の持ち主は、軍事のことなどに口出しするなとも言っている。彼自分たちがどのくらい戦争のことを知っているか疑問だし、彼らの方が余程単細胞だと思うけれど、彼らにはそんな自覚はないのであろう。
「専守防衛」のもとで、どのような実力を持てるのか、自衛隊を海外にどのように出すかなどについて「精緻な論理」を組み立ててきたはずの内閣法制局など、完全に虚仮にされているのである。
「専守防衛」は自衛のための実力の保有を認める立場であるが、彼らは、防衛のためという理由で北京へのミサイル攻撃の準備を主張しているのである。「専守防衛」の枠組みを超えていることは明白である。もちろん、「平和を愛する諸国民の公正と信義」などとは対極にある発想である。

既に、自衛隊や日米安保の合憲性について疑義をはさむ研究者などは学術会議から排除されている。今後は、その人たちから影響を受けていると思われる研究機関は、予算配分で冷遇されることになる。
彼らは、この日本を法や知性ではなく、軍事が優先する国家にしようとしているのだ。このような彼らの発想は、決して突出したものではない。つい最近、岸田首相に提出された「有識者会議の報告書」には、ここで紹介した彼らの主張があちこちにちりばめられている。与党合意も同工異曲である。打撃力という戦力の整備が準備されようとしているのである。
日本は、私が自覚しているよりももっと速いスピードで奈落に向かっているようである。何とかしなければならない。

追伸
この小論は、2022年12月7日に書かれている。
その後、12月7日には、「国家防衛戦略」などの「安保三文書」が閣議決定された。そこでは、ここで紹介した発想と提案が採用されている。それから、1年半が過ぎようとしている。
4月12日、「日米同盟は前例のない高みに到達した」とする日米首脳共同声明 「未来のためのグローバル・パートナー」が発出された。既に、「防衛装備品」の輸出や戦闘機の共同生産が堂々と行われるようになった。防衛産業などに従事する人たちの選別と監視が強化されることになる。それが「重要経済安保情報保護法」だ。「地方自治法改正」も予定されている。「有事」に際して、地方自治などは存在しないことになる。沖縄の抵抗を排除するための仕掛けである。
4月16日、今年の「外交青書」がまとまり、そこでは、日中関係について、多くの懸案を抱えているとする一方、双方が共通の利益を拡大していく「戦略的互恵関係」を推進することが5年ぶりに書き込まれた。建設的で安定的な関係の構築に取り組む姿勢も強調されているようである。
けれども、今、政府が進めているのは、本文で紹介してきたとおり、対中国敵視と戦争準備の強化である。「外交青書」に安倍政権時代の「戦略的互恵関係」などという文言を復活させたとしても、中国との関係改善には役に立たないであろう。中国包囲網を強化する米国との一体化を推進しながら語られる「互恵関係」などありえないからである。
武力に依存するのではなく、知恵と対話に基づく「互恵関係」の形成が求められている。
(2024年4月17日記)

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2024.4.16

「虎に翼」は面白い その2

「虎に翼」のことを書くと色々な反応が寄せられる。
 寅子に影響を与えた一人として小林薫さん演ずる穂高重親先生のモデルは「家族法の父」といわれた穂積重遠だと書いたら、堀尾輝久先生からレスがあった。堀尾先生は核兵器廃絶日本NGO連絡会のメーリスに投稿した拙文を読んでくれたのだ。ちなみに、堀尾先生は「9条の精神で地球憲章を」と提唱している学者だ。堀尾先生のレスにはこんなことが書かれていた(一部省略)。

「虎に翼」私も興味深く見ています。
穂高先生モデルは「家族法の父」と言われる穂積重遠先生。
確かに戦後も民法学では評価が高いのですが、私は親権と子どもの権利の問題に関心を持ち、穂積説を調べたことがあります。
その大著『親族法』(岩波書店1933)で「-- 従来は親権を権利の方向から観察したが、今後はむしろ『親義務』として、義務の方向から観察した方がよいと思う。--そういうとすぐに、それでは養い育てて貰ふのが子の権利になって面白くないという批判があるかもしれないが、義務に対応する受益者が、必ず権利者であると考えるのがそもそも囚われた話で、親が子を育てるのは、子に対する義務といはんよりは、むしろ国家社会に対する義務と観念すべきである。」とあるのを引いてその家族国家観的枠組みと子どもの権利排除論を批判したことがあります(1966年のこと・大久保注)。
 この問題は今日の「共同親権」問題を考える際にも重要な問題だとあらためて思ったところです。親権という表現は残り、子どもの権利が根付かない法学的背景の一つとして。


この堀尾先生のレスによれば、穂積重遠著『親族法』は1933年に出版されているので、嘉子さんたちは直接・間接にこの本に書かれている教育を受けていたことになる。ここでは、親権を「親義務」としてとらえようということと、その義務は子に対するものではなく、国家社会に対するものであるとされている。
たしかに、親権を親の子に対する権利ではないということでは新しい観点なのかもしれないけれど、それは、子どもの権利などは念頭にない「家族国家観的枠組み」という面も否定できないであろう。
今から、90年ほど前の時代背景を考えれば、穂積の親権についての考えは斬新であったであろう。そこに、堀尾先生が指摘するような問題点があったとしても、嘉子さんたちが大きな感動を受けたであろうとは容易に想像できる。

他方、当時の男子学生たちが穂積の斬新な考えをどの程度受け止めていたかどうかは極めて疑わしい。4月16日の放送で、明律大学の男子学生たちが、寅子たちの『法廷劇』を妨害しているシーンがあった。彼らの女子学生蔑視の不適切さは生々しかった。穂高先生も咳払い以外のことはしなかった。このシーンは1933年のことだから、当時学生だった諸君は、1973年には60歳前後ということになる。

何でそんなことを言うかというと、1973年に修習生になった著名な女性弁護士がこんな述懐をしているからだ(日民協のメーリス・私はこのメーリスにも投稿した)。

私が修習生になった1973年のことです。担任の検察教官から真っ先に言われたことは「あなたのご主人は立派ですね」。私がきょとんとしていると「妻に司法試験を受けさせるなんて普通の夫ではありえない」とのことでした。これではまるで夫の許可を要するというのと同じ思考でしょう。
最初の実務は東京地裁刑事部でした。ここで初日に裁判長から言われたことは忘れません。「あなたは明日から30分早く出勤してください」。私がまたきょとんとしていると「お茶は女性に入れてもらうのがおいしいので」。もちろん、裁判長のお茶くみは修習生の仕事ではありえません。
当時はセクハラという認識などなく、二人の子どもを保育園に送ってから出勤する私にとっては朝が30分早くなるのは大変でしたが、反論の言葉を持たなかった私は30分早い出勤を続けました。
1975年に弁護士になった私でさえ、山と降りかかる女性差別の言動にさらされてきました。寅子の時代のそれは想像を絶するのではと、ドラマを複雑な気持ちで見ています。

こういうエピソードを聞くと、ますます、「虎に翼」から目を離せなくなる。そして、寅子の「はて!?」というセリフに、もっと注目しておくことにする。
(2024年4月16日記)

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2024.4.15

「夢の泪」を観た!!

昨日、井上ひさし作「夢の泪」を観た。井上ひさしファンであるカミさんと一緒だった。私も彼の作品は決して嫌いではない。学生時代、寮のテレビで何気なく視ていた「ひょっこりひょうたん島」以来、井上ひさしは忘れられない名前なのだ。そんなにたくさんの作品に接しているわけではないけれど、彼が「日本国憲法は世界史からの贈物、最高の傑作」としていることを知っている私は彼を贔屓にしている。

井上さんは1934年(昭和9年)11月の生まれだから、私より一回り(12歳)年上だ。12年の齢の差というと、接した年齢によって、大きな違いを意味することになる。10歳の時に接すれば相手は22歳だ。子供と大人だ。77歳で接すれば89歳だ。両方とも老人だ。
私は井上さんと直接接したことはないけれど、彼と仙台一高の同級生だった樋口陽一先生には、学生時代に学生と助教授という関係で接しているので、12年の歳の差を樋口先生と重ね合わせている。私が20歳の時、2人は32歳だった。樋口先生は今でも「雲の上の人」だ。けれども、「9条の会」の呼びかけ人をしている井上さんは、決して遠い人ではないように思っている。

話を「夢の泪」に戻すと、私には難解な舞台だった。井上作品は決して単純ではない。この作品もそうだ。テーマは、東京裁判の評価、特に事後法の禁止、戦争の被害者、米国における日系人の処遇、朝鮮人差別、官憲の野蛮さなどから、弁護士の実態や娘の恋物語まで盛り込まれている。
しかも、表現方法は歌とセリフという凝りようだ。一番前の席で観ていたから俳優たちの息遣いやこぼす泪まで、リアルに受け止めることはできたけれど、彼が伝えようと思ったことをどこまで理解できたかは心もとないところではある。

井上さんは何を伝えたかったのであろうか。
会場で買い求めた『the座』120号に再録されている「裁判儀式論」で、彼はこんなことを書いている(元々は2003年)。

東京裁判には「正しいところと、間違ったところがあった」。
チャーチルがナチスについて「あんな非道な連中のやったことに法律的議論をしても仕方がない。ナチス首脳など即刻死刑にすべきだ」としていたけれど、スターリンが「裁判抜きの死刑はありえない」と反対し、アメリカが「裁判は儀式なのだから…」となだめて、ニュルンベルク裁判が行われた。
この裁判儀式論を、東京裁判に転用すると「あれは、不都合なものはすべて被告人に押し付けて、お上と国民が一緒になって無罪地帯へ逃走するための儀式のようなものだった」ということになる。
では、どうやって逃げたのか、それも今回きちんと書き込んだつもりです。


少しネタバレで申し訳ないけれど、この劇では、ラ・サール石井さん扮する伊藤菊治弁護士とその妻である秋子弁護士が、清瀬一郎の推挙で、松岡洋右を弁護するという設定が縦糸になっている。けれども、「東京裁判」についての評価が明示されているわけではない。インドのパル判事が展開した「事後法の禁止」は、大日本帝国が不戦条約などの脱法をしたことと対比されて否定されているけれど、結論は出されていない。また、その他の論点についても観劇する者に考えさせようと工夫されている。

井上さんが「書き込んだ」としていることを私なりに理解すると、戦中派には「あなたはあの戦争にどのようにかかわったのか」であり、戦後派である私たちには「あなたはあの戦争をどう思うのか」ということのように思う。
菊治と秋子の娘である永子の次のセリフにそれが凝縮されているように思うからだ。
「日本人のことは、日本人が考えて始末をつける。」
「ひとさまに裁いてもらうと、あとで、あれは間違った裁判だった、いや、正しい裁判だった…。そういうことになるでしょう。」

『the座』では、加藤正弘氏の「『劇場型』っていうくらいだし―こまつ座の芝居で政治を考えるー」というコラムが連載されている。確かに、過去と現在と未来の「政治を考える」機会になる作品ではあった。

付け加えておくと、山田洋次さんも鑑賞していた。山田さんは、1931年生まれだから、井上さんや樋口さんよりも少し年上だけど、この劇をどのように見ているのか、機会があったら聞いてみたいと思っている。(2024年4月14日記)

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2024.4.12

「虎に翼」は面白い!!


寅子が入学した明律大学に小林薫さんが演じる穂高重親先生がいる。穂高先生は寅子の運命を変える人の一人とされている。たしかに、これまでの進行を見ているとその役回りの様だ。

穂高先生のモデルは穂積重遠だと言われている。清永聡著『三淵嘉子と家庭裁判所』によれば、明律大学のモデルである明治大学が女子に門戸を開く決断した背景には、穂積重遠と明治大学出身の松本重敏弁護士の存在が大きいとされている。そして、この二人は弁護士法改正委員会の委員も務めていたという。

その穂高先生が、弁護士法が改正されなかったと言って嘆いていた女子学生たちに「必ず女子も弁護士になれるようになる道は開かれる」と励ましていたシーンがあったのは、そういう背景があるのだろう。
弁護士法が改正され、女子に弁護士への門戸が開放されるのは1933年(昭和8年)であり、嘉子が女子部に入学するのは1932年なので、1年生の時には、弁護士への道は開かれていなかったことになる。それでも、寅子はその道を選択していたのである。

ところで、寅子が穂高先生を尊敬する理由は、穂高先生が寅子の話を遮らないで「言いたいことを最後まで言わせてくれる」ことにある。人の話を遮ってお説教したり、蘊蓄を垂れたりする人は結構いるので、寅子のこの発想とセリフは秀逸といえよう。

穂積重遠は、清永本によれば、「家族法の父」と呼ばれ、女性の権利擁護に理解があったという。法制史学者福島正夫は「彼の一貫した立場は、法の社会的作用と身分法の近代化であって、これをもって時流に乗ずる醇風美俗派と対抗した」としている(『法窓夜話』解説)。ウィキペディアには、賀川豊彦らが作ったセツルメント活動にも協力したと記載されている。穂高先生もそういうキャラクターとして描かれているのであろう。

その重遠の父は穂積陳重であり、母歌子の父は渋沢栄一である。渋沢にとっては最初の孫だったという。それはそれとして、私は穂積陳重著『法窓夜話』に接したことがある。手元にあるのは岩波文庫の1985年4月の第7刷だ(元々の発刊は1916年)。
何でその話をするかというと、大正4年(1915年)7月、英国ロンドンにて、という重遠の序がそこにあるからだ。重遠はこんな風に書いている。

父は話し好きだった。しかし、むつかしい法律論や、込み入った権利義務の話はあまりしませんでした。好んで話したのは、法律史上の逸話、珍談、古代法の奇妙な規則、慣習、法律家の逸事、さては大岡裁きといったようなアネクドートでありました。

重遠は父が語る小話を整理していたようで、その内の百話が『法窓夜話』なのだ。たしかに面白い話が沢山収められている。
ここは、その話を紹介する場所ではないけれど、一つだけは共有しておきたいのは「女子の弁護士」というわずか5行の小話だ(本では固有名詞が使用されているが、ここでは省略してある)。

昔、ローマでは、女子が弁護士業を営むことが公許されていた。錚々たる者もいたけれど、ある女性弁護人に醜業があったので、皇帝は女子弁護士を禁止した。この論法をもって推すならば、男子にも弁護士業を禁ずることにせねばならない。

こういう父の話を整理して父に出版を薦めたような人だからこそ、嘉子の人生に影響を与えることが出来たし、嘉子もまた、私たちに励ましを与えているのではないだろうか。もう、手遅れかもしれないけれど、私もそういう人になりたいと思う。

「虎に翼」は、私たちに「法とは何だ」と自問する機会を提供してくれているように思えてならない。(2024年4月12日記)

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2024.4.9

腐敗した自民党による改憲を許さない

ー「核の時代」でこそ9条が求められるー

  

 今国会は「裏金国会」などといわれている。国権の最高機関(憲法41条)である国会が何ともお粗末な状況にある。その原因は自民党議員のカネに対する汚さだ。

 政治資金規正法は「議会制民主政治における政党や政治団体の重要性にかんがみ、政治資金の収支の公開などの措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、民主政治の健全な発達に寄与する」ために制定されている。

 キックバック議員は、正確な「政治資金の収支」が大前提なのに、それを意図的にごまかしたのだ。今回の事態は、政治の「公明と公正」を害し「民主政治」の根幹を揺るがす大問題なのだ。彼らは「民主政治」を理解しない「無法者」であることを確認しておく。

 

 ただし、彼らの腐敗と堕落を政治不信一般としてはならない。この事態は「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」という箴言のとおりの自民党の腐敗だということを見抜かなければならない。

 有権者が見抜いていることは、「保守王国」といわれる群馬で共産党が自主支援する候補者が当選したこと、京都市長選挙では、私の知り合いの福山和人弁護士が、自民、公明、立憲、国民が推薦する候補の陣営に「もうダメかと思った」と言わせる大奮闘をしたことなどに現れている。この所沢でも、自民党市長が落選している。有権者は、腐敗は嫌いだし、誰が自分の味方なのか、きちんと見ているのである。

 

 今、島根1区、長崎3区、東京15区で衆議院補選が予定されている。自民党が候補者を出せない選挙区もあるし、立憲の候補者を共産が自主支援するという選挙区もある。大きな変化が起きるかもしれない。「市民と野党の共闘」にも期待している。

 

 ところで、その自民党は憲法改悪を進めている。緊急事態への対処、議員の任期なども言われている。緊急事態において、政府と与党にすべて任せろと言うのである。何とも「恥知らずな言い草」だと思う。法を守らない者たちが、自分に権限を付与している憲法を変えようというのだから「鉄面皮」というしかない。

 

 のみならず、改憲の最終目的が9条の廃棄であることは明らかだ。「安保三文書」は、国家を挙げての防衛力の強化や「拡大核抑止力」を含む日米同盟の強化を内容とする「先軍思想」に基づく「国家総動員体制」の確立が必要だとしている。米国などと協力して、中国、北朝鮮、ロシアとの軍事衝突に備えようというのである。

 岸田首相はその誓いを述べるために米国に召喚されている。「国賓」という名の「朝貢使節」のように見えてならない。

 

 武力行使が人々にどのような凄惨な事態をもたらすかは、ウクライナやガザを見れば明らかではないか。しかも、核兵器使用までもが危惧されているのである。にもかかわらず、彼らは武力に依存しようというのである。「平和を望むなら核兵器に依存せよ」という核抑止論である。「平和を望むなら戦争に備えよ」というローマ時代への回帰である。

 

 そもそも、9条誕生の背景には、「核の時代」にあっては、文明が戦争を滅ぼさなければ、戦争が文明を滅ぼすことになる。戦争をしないなら、戦力はいらないとの思想があったことを忘れてはならない。

 「核の時代」であるからこそ、9条を護り、それを世界に広げることが求められているのだ。キックバックを受けた諸君を国会から放逐し、核兵器廃絶と9条擁護と世界化の運動を進めなければならない。(2024年4月9日記)

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2024.4.8

「虎に翼」が始まった!!

 朝ドラ「虎に翼」が始まった。ブギヴギも面白かったけれど、今回は初めての女性弁護士の一人三淵嘉子をモデルにしているというので、職業柄からの興味もある。


 嘉子さんはブギヴギのモデル笠置シヅ子さんと同じ1914年(大正3年)生まれだという。笠置さんのブギヴギは、少年時代、ラジオから流れていた記憶があるけれど、嘉子さんを知ったのは、弁護士になって20年以上も過ぎて、「原爆裁判」の判決書の中にその名前を見てからだ。


 大正12年(1923年)生まれの私の母(101歳)よりも10歳ほど年上の人の物語だけれど、私と嘉子さんがかぶっていることがないわけでない。嘉子さんは、1979年(昭和54年)11月に横浜家庭裁判所所長を退官するけれど、1980年には弁護士登録している。私は、1979年4月に弁護士登録しているので、嘉子さんがなくなる1984年(昭和59年)までは、日弁連の会員として同じ名簿に登載されていたことになる。

「だから何だ?!」と言われるかもしれないけれど、今の私は、日本で最初の女性弁護士だとか裁判所所長だとかということよりも(もちろんそれもすごいと思うけれど)、「原爆裁判」に最初から最後までかかわった裁判官だった嘉子さんに、勝手に「親近感」を覚えているのだ。「原爆裁判」を無視して「核の時代」である現代を語れないからだ。


 残念ながら、私には生の嘉子さんとの交流はない。けれども、嘉子さんと交流のあった人に知り合いはいる。例えば、元裁判官の鈴木經夫弁護士だ。鈴木さんは私が敬愛する法曹の一人だ。
鈴木さんは、1964年(昭和39年)に、東京家庭裁判所に判事補として赴任している。その年4月、歓迎会を兼ねた裁判官の飲み会に三淵さんも参加していたという。その時、開始早々、古手の裁判官が「三淵さん、どうですか」と声をかけたそうだ。鈴木さんは、何かを強要しているような、今思うとこれはセクハラではないのかという感じだったという。けれども、嘉子さんは、予想外に、にこにこしながら立ち上がって、モン・パパというシャンソンを堂々と歌ったというのである(清永聡『三淵嘉子と家庭裁判所』・日本評論社)。


モン・パパの歌詞はこうだ。
うちのパパと/うちのママが話すとき/大きな声で怒鳴るのは/いつもママ/小さな声で謝るのは/いつもパパ…。

気が付いた人もいると思うけれど、朝ドラの寅子の親友と寅子の兄の結婚式で、寅子が父親に「強要」されて歌っていた歌だ。


 鈴木さんは、「この歌をなぜ選ばれたかは、わかりませんが、歌詞が今でも記憶に残っているのは、三淵さんが『強要』に対して、何ともしなやかに対応されたと感じていたからかもしれませんね。」としている。
脚本の吉田恵里香さんは、もちろんこの清永さんの著作を読んでいるだろうから、鈴木さんのこのエピソードも承知していて、シナリオに組み込んだのであろう(と空想している)。
 史実とドラマが違うものだということは承知しているけれど、こういうエピソードが組み込まれていると、登場人物の息遣いが聞こえてくるようで、本当に楽しい。


 まだ、第1週が終わったばかりだけれど、「地獄への道」を果敢に選択する寅子のこれからが、伊藤沙莉さんの好演もあって、楽しみだ。伊藤さんという女優は見る人をその物語に自然と誘い込むような魅力がある人だ。

これからも、「虎に翼」関連のブログを書くことにする。

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2024.4.5

「1789-バスティーユの恋人たち―」を観た!!

去年の7月26日。東京宝塚劇場で「1789-バスティーユの恋人たち」という宝塚歌劇星組公演を観た。生まれて76年、宝塚歌劇とは全く縁のない生活を送ってきた私としては、何とも刺激的な3時間だった。
これは埼玉弁護士会憲法委員会の企画だ。この企画に参加しようと思った動機は、何といっても、そのテーマである。1789年というのはフランス大革命の年だ。バスティーユというのはフランスの要塞であり監獄である。フランスの民衆がその監獄を襲撃し、武器・弾薬を奪い、政治犯を解放した事件は、フランス革命のハイライトだ。その革命を背景にした「恋物語」を連想させるネーミングに魅かれたのだ。革命と恋は、多くの物語のテーマだし、私もそれは嫌いではない。社会変革と身を焦がすような恋愛。きっと、あなたもそれは気にかかるテーマであろう。ということで、事務所の村山志穂を誘って参加したのだ。


恋物語
(以下、ネタバレを含む)。物語は1788年のフランスの農村で始まる。王の命令で税金を滞納している農民が射殺され、孤児となった兄がパリに行くことを決意する。それが主人公のロナンだ。彼が実在の人物かどうかは知らないけれど、バリでは、カミーユ・デムーラン、マクシミリアン・ロペスピエール、ジョルジュ・ダントン、ジャン・ポール・マラーなどの実在の人物との交流が始まる。
他方、フランス王家も描かれ、マリー・アントワネットやルイ16世、その弟のシャルル、国務大臣ネッケルなどが登場する。そして、ヒロインは、アントワネットとルイの子どもの養育係のオランプである。ちなみに、彼女の父親はバスティーユの管理人なのだ。彼女が実在の人物であるかどうか、私は知らない。
王の命令で父を殺されたロナンと父とともに王家に仕えるオランプの「決して一緒になれない運命」にある二人が「バスティーユの恋人たち」である。そのきっかけが、アントワネットの不倫話というのだから、なかなか面白い設定になっている。

なお、ロナンは、民衆がバスティーユに押し掛けた際に、オランプの父を説得し、父を民衆側に立たせるのだが、自身はその命を落とすことになる。オランプは、王家への忠誠とロナンへの愛との間で深い葛藤に悩むが、その葛藤を解消するのは、アントワネットの「愛する人のところに行きなさい」という一言であった。アントワネットも、フランス王の后であり、三人の子どもたちの母ではあるが、スウェーデンの将校と恋をしていたのだ。けれども、彼女は、民衆の蜂起を見て、フランス王の后として王と王家の子どもたちを選択する。(この歌劇では、ギロチンの模型は出てくるけれど、王族の処刑は描かれていない。王がギロチンの模型について語るシーンは暗喩的で、心憎い仕掛けになっている。)
ロナンとオランプの恋物語に止まらず、アントワネットの心情を重ねることによって、この物語の深みが増している。「さすが、宝塚」だ。


革命物語
恋物語だけではなく、革命物語も描かれている。ロナンの妹ソレーヌがバリに流れてきて娼婦になっている。彼女は「こんな私にどんな生き方ができるのと」と兄に言う。いささかステロタイプかとも思うけれど不自然ではなかった。貧困と差別に苛まれた女性が「身を売る」ということは今でもありうることだ。妹がロナンの仲間に大事にされていたというのもうれしかった。

陰謀家であるルイ16世の弟は、カミーユやロペスピーエールたちは、プチブルの出身で、頭でっかちで、本当の苦労は知らないとして革命派の分断を図るけれど、それは功を奏していない。ロナンも彼らとの違いを意識しつつ、彼らが「俺たちは兄弟だ」と言ってくれることを信頼しようとしている。この歌劇は、フランスの旧体制を撃ち破りたいという情熱を持つ青年を好意的に描いている。

民衆がなぜ蜂起しなければならなかったのか。なぜ、王家を打倒し新しいフランスを創ろうとしたのか。王家との対象で描かれている。 王家では、王妃は不倫をしている。弟は兄の王座を狙っている。民衆を暴力で押さえつけるか、それともうまいこと説明してなだめるのかでの対立もある。秘密警察も登場する。何となくピエロ的な存在として扱われている。演出家の遊び心かもしれないと思いつつも、日本の特高警察の行状を知る私としては笑っているだけでは済まないところでもあった。王家や王党派の「神から権力を授かった」とする奢りと強欲、民衆の蜂起を前にして王家を見捨てて逃亡する貴族たちの振る舞いは冷ややかに描かれていた。

革命は、その生命と生活を理不尽に奪われる者たちの、奪う者たちの支配を打倒するための命をかけた戦いである。立ち上がる側も受けて立つ側もその全存在をかけての闘争である。その間で右往左往する存在ももちろんあるし、むしろ多数かもしれない。
それは、古今東西問わず、世界のあちこちで起きた史実である。今も、革命という形ではないけれど、ウクライナのゼレンスキー大統領は、プーチンのロシアの侵略を受け、「To be or not to be」というシェイクスピアの言葉を引用している。
歴史は、そのようにして、進むのであろう。


歌と踊り
ストーリはこのようなものだけれど、宝塚歌劇を啓蒙芸術としてみるのは野暮であろう。ソロもデュエットもトリオもカルテットも合唱も素晴らしい。趣向を凝らした群舞も何とも華やかだ。パレ・ロワイヤルでの市民たちの歌と踊りはエネルギッシュだ。王党派との立ち回りもある。鳥の羽を頭につけた短いスカートの踊り子たちのラインダンスは、中学時代の修学旅行で見た日劇でのラインダンスの以来の衝撃だった。
私は、2010年、NPTの再検討会議でニューヨークを訪れた時、ブロードウェイで「オペラ座の怪人」を観たけれど、この公演はその時の感動を明らかに凌駕するものだった。宝塚は日本語、ブロードウェイは英語なので、宝塚の方が親しみやすかったのであろう。

最後に
すごいと思ったのは、フランス人権宣言の暗唱があったことだ。私も、それを黙読したことはあるけれど、朗読したことはない。この歌劇の中でいくつかの条文が読み上げられていた。

人は、自由かつ諸権利において平等なものとして生まれ、そして生存する。
すべての政治的結合の目的は、人の自然かつ消滅しえない諸権利の保全にある。
あらゆる主権の原理は本質的に国民に存する。
自由とは他者を害しないすべてをなしうるということである。
すべての人は有罪を宣言されるまでは無罪と推定される。

などのフレーズが、力強い声で語り掛けられていた。
松元ヒロさんの憲法前文の暗唱もすごいけれど、タカラジェンヌたちの朗誦も涙がにじむくらいにうれしかった。

このような素晴らしい企画を実現してくれた憲法委員会のみなさん。
本当にありがとうございました。(2024年4月6日)

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2024.4.2

ブログを始めました

ブログを始めた。 既に喜寿を超えているので「いまさら」という気持ちもあるけれど、「何か言っておきたい」という気持ちがまだ残っているようだ。

日常の関心事はヤクルトスワローズの勝ち負けだけれど、核兵器や9条にも興味はある。

核兵器が「死神」であることは、それを作った責任者の一人であるオッペンハイマーが告白している。今度世界大戦がおきれば核兵器が使用されて「人類社会は滅亡する」ことは、日本国憲法を制定した議会で確認されている。平時に核兵器をなくしても戦争になれば核兵器は「復活する」としていたのは、ラッセルとアインシュタインたちだ。

気候危機や格差も気になるけれど、私は、とりあえず、核兵器の廃絶と憲法9条の擁護と世界化のために、「由無し事」を綴るつもりでいる。
「恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生活」できる未来社会を創ることは先を生きる者たちの使命と思うからだ。

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2023.12.6

『「核兵器廃絶」と憲法9条』が刊行されました。

『「核兵器廃絶」と憲法9条』が刊行されました。
詳細は、こちら
お申込みは、こちら 

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2022.11.3

『迫りくる核戦争の危機と私たち―「絶滅危惧種」からの脱出のために』が刊行されました。

『迫りくる核戦争の危機と私たち―「絶滅危惧種」からの脱出のために』が刊行されました。
詳細はこちら
お申し込みはこちら

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2022.1.22

『「核の時代」と戦争を終わらせるために―「人影の石」を恐れる父から娘への伝言―』が刊行されました。

『「核の時代」と戦争を終わらせるために―「人影の石」を恐れる父から娘への伝言―』が刊行されました。 詳細はこちら お申込みはこちら 「自著を語る」 書評 (前田朗・東京造形大学名誉教授) (弁護士 永尾廣久)

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2021.8.6

『「核兵器も戦争もない世界」を創る提案―「核の時代」を生きるあなたへ―』が刊行されました。

『「核兵器も戦争もない世界」を創る提案―「核の時代」を生きるあなたへ―』が刊行されました。 詳細はこちら お申込みはこちら

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2019.5.3

『「核の時代」と憲法9条』が刊行されました。

『「核の時代」と憲法9条』が刊行されました。
詳しくはこちら
「自著を語る」(大久保賢一)
書評
(中澤正夫・精神科医)
(永尾廣久・弁護士)

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