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2024.9.13
初回放送日:2024年9月9日
連続テレビ小説「虎に翼」でも描かれた「原爆裁判」。
戦後まもなく被爆者が原爆投下の責任を追及し、訴えを起こした裁判が、現代に何をもたらしたのかを考えます。
こちらからテキスト版をご覧いただけます
(NHKのサイトに移動します)
2024.8.8
「虎に翼」の寅子と星航一の再婚はまだ成立していないけれど、史実では、嘉子さんと三淵乾太郎さんとは結婚している。その乾太郎さんの父は三淵忠彦という初代最高裁長官だ。1880年(明治13年)に生まれ、1950(昭和25年)年に没している。最高裁長官就任は、1947年(昭和22年)8月だから67歳の時である。
私は、原爆裁判の判決を書いた裁判官たちは「時代に挑戦する勇気があった人たち」だと思っている。米国の原爆投下を国際法違反だとし、被爆者への支援に怠惰な「政治の貧困」を嘆くなどということは、なかなかできることではないからだ。
では、その判決を書いた三人の裁判官、裁判長 古関敏正、右陪席 三淵嘉子、左陪席 高桑昭さんたちは、なぜそのような判決を書いたのであろうか。
当時26歳で判決の草案を書いた高桑さんは、7月28日付「東京新聞」で、「原爆を巡って国家と争う通常の民事とは違う特殊な訴訟。大変な裁判を担当したなというのが当時の感想だった」としながら、「国際法違反かどうかにかかわらず、賠償請求を棄却する方法もあったが、逃げずに理屈を立てて国際法を点検した。やはり原爆投下を正当視することはできなかった」としている。
嘉子さんは、8月4日付「しんぶん赤旗日曜版」によれば、日本婦人法律家協会(現日本女性法律家協会)の会長だった1982年(昭和57年)3月8日、「第2回国連軍縮特別総会に向けて婦人の行動を広げる会」の呼びかけに応じ、池袋駅前で、反核署名活動をしている。「核兵器廃止は、反米とか思想、政策以前の人類を守るための要請です」と考えていたのである。嘉子さんは、裁判官として原爆投下を違法としただけではなく、「核兵器廃絶」のための行動をしていたことを記憶しておきたい。
1982年3月は、原爆裁判判決の1963年12月から19年後、嘉子さんが69歳で亡くなる1984年の2年前である。
このように、裁判官たちには原爆投下に対する怒りや核兵器廃絶への想いがあったことを確認できる。それは気高いことだし、私も学びたいと思う。けれども、裁判官として判決するには、それを可能とする司法の状況もなければならないであろう。それが、初代最高裁長官 三淵忠彦の存在ではないかと私は思っている。原爆裁判の提訴は1955年(昭和30年)だから、三淵さんは既に没している。しかも、その任期は短かったから、影響などないのではないかとも思う。けれども、彼は、最高裁長官として就任挨拶する機会や高裁長官たちに訓示する機会があったことも忘れてはならない。
彼の「司法像」を確認してみよう。
1947年8月4日の就任挨拶(「国民諸君への挨拶」)では次のように語られている。
「裁判所は、国民の権利を擁護し、防衛し、正義と衡平を実現するところであって、圧制政府の手先となって国民を弾圧し、迫害するところではない。裁判所は真実に国民の裁判所になりきらなければならぬ。」
同年10月15日には、高裁長官たちに次のように訓示している。
「今や、裁判官はその官僚制を払拭せられ、デモクラシー日本建設のパイオニアたるべき使命を負うている。」
私は、これらのことを、拙著「憲法ルネサンス」(1988年、イクオリティ)の第2章「司法のルネサンスのために」に収録されている「去るは天国残るは地獄」中で、次のように紹介している。
「『まことに気負いの感じられる内容』(野村二郎)かもしれない。けれども、今、この言葉に接するわれわれにどんなに新鮮な響きを与えてくれることか。われわれが、日本国憲法を手に入れた直後、司法部のキャプテンはわが基本法を、確かに、具現していたのである。彼のメッセージの中には、時の政府と一線を画しつつ、それとの緊張関係の中で、国民―即ち、自身の雇い主―に対する奉仕のありようを模索する姿勢がある。われわれ国民にとって、あるべき司法像の原点がそこにある。司法が時の行政権と一定の拮抗関係を保ちつつ、人民の基本的人権の擁護に資する機能を期待されたのは昨日や今日のことではない。かれこれ200年も前から、人々は司法に期待してきたのである。」
私はこのような三淵さんを「素晴らしい人」だと思っている。そして、裁判長の古関さんも含め、三人の裁判官は、この三淵さんの「就任挨拶」や「訓示」に目を通しているだろうと思っている(高桑さんは年代的には若いのでわからないけれど)。
三淵初代長官の後、田中耕太郎氏が第2代の長官に就任する。1950年から1960年の10年間、彼はその地位にあった。私は、彼は最高裁長官どころか裁判官として不適任だと思っている。その理由は、彼は「共産主義者のいうことを額面通りに受け取るのは危険である」という信念を持ちながら「松川事件」を担当し、被告人らを死刑にしようとしたからである。「松川事件」の被告人の中には共産党員も含まれていた。彼らの主張は信用できないと決めてかかれば、真実は見つからない。田中氏が個人としてどのような思想を持つかは彼が決めればいい。けれども、極端な反共主義に基づく偏見で当事者に接することは、裁判官として許されることではない(そのことも「憲法ルネサンス」で触れておいた)。この時、裁判官としての矜持は消え、司法の反動化が始まる。
原爆裁判の左陪席高桑さんは私より10歳ほど年上ではあるがご健在である。一度、今の司法の状況についてじっくりと話をしてみたいと思っている。(2024年8月4日記)
2024.7.11
今、「原爆裁判」が人々の関心を集めている。NHKの朝ドラ「虎に翼」のモデルの三淵嘉子さんが「原爆裁判」にかかわったことが知られつつあるからだ。以前から「原爆裁判」を多くの人に知って欲しいと考えていた私にとってはうれしいことである。朝ドラで「原爆裁判」がどのように描かれるかはともかくとして、ここでは「原爆裁判」の基礎知識と現代への影響について触れておく。「原爆裁判」が現代に生きていることを共有したい。
「原爆裁判」とは、1955年、被爆者5名が、米国の原爆投下は国際法に違反するので、その受けた損害の賠償を日本政府に請求した裁判である。1963年、東京地裁は請求を棄却したけれど、米国の原爆投下を違法とし、あわせて「政治の貧困」を指摘したことによって、国内外に影響を与えた。
原告は次の5人である。
下田隆一 47歳。
広島で被爆 長女16歳、三男12歳、二女10歳、三女7歳、四女4歳が爆死。自身もケロイド、腎臓・肝臓に障害。就業不能。
多田マキ
広島で被爆 顔、肩、胸、足にむごたらしいケロイド。疼痛のため日雇労働も続かず。夫は容貌の醜さを厭って家出。
浜部寿次 54歳
東京に単身赴任。長崎で妻と四人の娘たち全員が爆死。
岩渕文治
広島での原爆投下により養女とその夫及び子どもをなくす。
川島登智子
広島で被爆 14歳 顔面、左腕などを負傷 両親も原爆でなくす。
原爆投下から10年を経ていたけれど、政府は被爆者に何の支援もしていなかった。被爆者は病や社会的差別の中で貧困にあえいでいた。
岡本尚一弁護士は、1892年に生まれ、提訴3年後の1958年に没している。岡本さんが、なぜ、この裁判を考えたのか。その理由を彼の短歌に探ってみたい。
・東京裁判の法廷にして想いなりし原爆民訴今練りに練る
・夜半に起きて被害者からの文読めば涙流れて声立てにけり
・朝に夕にも凝るわが想い人類はいまし生命滅ぶか
私には歌心はないけれど、岡本さんの東京裁判に対する怒りと被爆者への同情と人類社会の未来についての懸念が痛いほど伝わってくる。
岡本さんは「この提訴は、今も悲惨な状態のままに置かれている被害者またはその遺族が損害賠償を受けるということだけではなく、原爆の使用が禁止されるべきである天地の公理を世界の人に印象づけるであろう。」との檄文を多くの弁護士に送って共同を呼び掛けた。けれども、現実に応えたのは松井康浩弁護士だけであった。
この裁判の当初の目的は「賠償責任の追及」と「原爆使用の禁止」だったことを確認しておきたい。
請求の趣旨は、被告国は、原告下田に対して金三十万円。原告多田、浜部、岩渕、川島に対して各金二十万円を支払え、である。
請求の原因の骨子は次のとおり。
米国は広島と長崎に原爆を投下した。原爆は人類の想像を絶した加害影響力を発した。「人は垂れたる皮膚を襤褸として屍の間を彷徨号泣し、焦熱地獄なる形容を超越して人類史上における従来の想像を絶した酸鼻なる様相を呈した」。
原爆投下は、戦闘員・非戦闘員たるを問わず無差別に殺傷するものであり、かつ広島・長崎は日本の戦力の核心地ではなかった(「防守都市」ではない)。
広域破壊力と特殊加害影響力は人類の滅亡をさえ予測せしめるものであるから国際法と相容れない。
国家免責規定を原爆投下に適用することは人類社会の安全と発達に有害であり、著しく信義公平に反する。米国は平和的人民の生命財産に対する加害について責任を負う。被害者個人に賠償請求権が発生する。
対日平和条約によって、国民個人の請求権が雲散霧消することはあり得ない。憲法29条3項により補償されなければならない。補償されないということであれば、日本国民の請求権を故意に侵害したことになるので、国家賠償法による賠償義務が生ずる。
原子爆弾の投下と炸裂により多数人が殺傷されたことは認めるが、被害の結果が原告主張のとおりであるかどうか、及び原爆の性能などは知らない。
原爆の使用は、日本の降伏を早め、交戦国双方の人命殺傷を防止する結果をもたらした。
原爆使用が、国際法に違反するとは直ちには断定できない。
したがって、原告らに損害賠償請求権はない。
敗戦国の国民の請求が認められることなど歴史的になかった。
原告らの請求は、法律以前の抽象的観念であって、講和に際して、当然放棄されるべき宿命のもの。それは権利たるに値しない。
憲法29条によって直ちに具体的補償請求権が発生するわけではない。
国は、原告らの権利を侵害していない。平和条約は適法に成立しているので、締結行為を違法視することはできない。
慰藉の道は、他の一般戦争被害者との均衡や財政状況等を勘案して決定されるべき政治問題。
1963年12月7日、裁判長古関敏正、裁判官三淵嘉子、同高桑昭による判決が出される。判決は、高野雄一、田畑茂二郎、安井郁の三人の国際法学者の鑑定を踏まえていた。なお、口頭弁論の全期日に関与したのは三淵嘉子さんだけであった。その要旨は次のとおり。
米軍による広島・長崎への原爆投下は、国際法が要求する軍事目標主義に違反する。かつ原爆は非人道的兵器であるから、戦争に際して不必要な苦痛を与えてはならないとの国際法に違反する。
しかし、国際法上の権利をもつのは、国家だけである。被爆者は国内法上の権利救済を求めるしかない。
日本の裁判所は米国を裁けない。
米国法では、公務員が職を遂行するにあたって犯した不法行為については賠償責任を負わないのが原則。
結局、原告は国際法上も国内法上も権利をもっていない。
人類の歴史始まって以来の大規模、かつ強力な破壊力を持つ、原爆の投下によって損害を被った国民に対して、心からの同情の念を抱かないものはいないであろう。
戦争災害に対しては当然に結果責任に基づく国家補償の問題が生ずる。
「原子爆弾被害者の医療等に関する法律」があるが、この程度のものでは到底救済にならない。
国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのだから、十分な救済策を執るべきである。
しかしながら、それは裁判所の職責ではなく国会及び内閣の職責。そこに立法及び行政の存在理由がある。本件訴訟を見るにつけ、政治の貧困を嘆かざるを得ない。
松井康浩弁護士(1922年~2008年)は次のように総括している。
戦勝国アメリカの戦闘行為を国際法に照らして日本の裁判所で裁くこの訴訟は、日米の友好を損なう、途方もないこと、そのような訴訟が成立するわけがないなどさまざまな理由で弁護士の協力者も少なく、被爆者その他国民の支援もなかったことが示すように、困難な訴訟であった。
この訴訟の特徴は、原爆投下の違法性を明らかにし、同時に被爆者を救援する点にあった。判決は広島・長崎への原爆投下という限定の下に国際法違反と断定した。しかし、その無差別爆撃性と非人道性は、いつ、いかなる原爆投下にも適用されるであろう。
裁判所は、「政治の貧困さを嘆かずにはおられない」として、最大限の言葉を用いて、被爆者援護法を未だに制定しない立法府と行政府を批判している。この批判の意義はきわめて高く、原爆投下の国際法違反とともに、この判決の価値を大ならしめている。
松井さんは、困難な訴訟ではあったけれど、原爆投下の違法性を認めたことと政治の貧困を嘆いたことの二点でこの判決の「大きな価値」を認めているのである。
日本の政治は被爆者援護のために次のように法制度を整備してきた。
裁判継続中の1957年4月、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」(原爆医療法)施行。判決後の1968年9月、「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」施行。1995年7月、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(被爆者援護法)施行などである。
「原爆症認定訴訟」は、被爆者援護法を活用して厚労大臣の原爆症不認定を争い、大きな成果を上げた。
「黒い雨訴訟」は、被爆者援護法の「原子爆弾が投下された際又はその後において、身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するかどうかが争われている。
被爆者援護が十分ということではないけれど、「原爆裁判」判決が指摘した「政治の貧困」がこのような形で「改善」されていることは確認できるであろう。
1996年、国際司法裁判所は国連総会の「核兵器の威嚇または使用は、いかなる状況においても国際法に違反するか」という諮問に対して「一般的に国際法に違反する。ただし、国家存亡の危機の場合には、合法とも違法とも判断できない」との勧告的意見を発出している。この結論に「いかなる場合にも違反する」として反対したウィラマントリー判事は次のように言っている。
この事件はそもそもの初めより裁判所の歴史にも例を見ない世界的な関心の的になる問題であった。下田事件で日本の裁判所に考察されたことはあるが、この問題に関する国際的な司法による考察はなされていない。
「原爆裁判」(下田事件)は国際司法裁判所で参照されているのである。
その国際司法裁判所は次のように判断していた。
戦争の手段や方法は無制限ではないとの人道法は核兵器に適用される。武力紛争に適用される法は、文民の目標と軍事目標の区別を一切排除する、または不必要な苦痛を戦闘員に与える戦争の方法と手段を禁止する。核兵器の特性を考えれば、核兵器の使用はほとんどこの法と両立できない。ではあるが、裁判所は必ずいかなる状況下においても矛盾するという結論には至らなかった。
この判断枠組みは「原爆裁判」と同様である。ただし、国際司法裁判所は「核抑止論」の呪縛から免れていなかったことに留意しておきたい。
その限界を克服したのは2021年発効の核兵器禁止条約である。核兵器禁止条約は「核兵器のいかなる使用も武力紛争に適用される国際法に違反する」として例外を認めていない。そして、その締約国会議は、⼈類は「世界的な核の破局」に近づいている。「安全保障上の政策として、核抑⽌が永続し実施されることは、不拡散を損ない、核軍縮に向けた前進も妨害している」として「核抑止論」を批判している。
日本政府は、核兵器禁止条約が「核抑止論」を否定するがゆえに、これを敵視しているけれど、国際法は核兵器廃絶に向けて着実に発展しているのである。日本政府はこの潮流に逆らっているのである。
このように見てくると、「原爆裁判」は核兵器廃絶についても被爆者援護についても「事始め」になっていることが確認できるであろう。「原爆裁判」は現代に生きているのだ。
今、世界は「核兵器による安全保障」をいう勢力が力を持っている。日本国憲法の「諸国民の公正と信義を信頼しての安全の保持」は現実的日程に上っていない。
憲法9条の背景には、今度世界戦争になれば核兵器が使用され、人類が滅んでしまう。戦争をしないのであれば、戦力はいらないという価値と論理があった。
また、1955年のラッセル・アインシュタイン宣言は「私たちが人類を滅亡させますか、それとも人類が戦争を放棄しますか」と問いかけていた。
私たちは、日本国憲法の徹底した非軍事平和主義を踏まえながら、「原爆裁判」の歴史的意義を更に発展させ、核兵器の廃絶と世界のヒバクシャの救済を実現しなければならない。(2024年7月1日記)
-->2024.7.11
腐敗した自民党による改憲を許さない【2】から続く
「私たちが人類を滅亡させますか、それとも人類が戦争を放棄しますか」
この「ラッセル・アインシュタイン宣言」の問いかけに私たちはどのように答えたらいいのでしょうか。
まず、核兵器のことを考えてみましょう。核兵器をなくすことは決して不可能ではありません。そもそも、核兵器は人間が作ったものだからです。現に、1986年に7万発というピークを数えた核弾頭は、現在1万2500発程度に減っています。しかもそれは検証されています。減った数の方が残っている数より多いのです。やればできるのです。
加えて、核兵器保有国は、国連加盟国193カ国のうち9ヵ国です。極めて少数です。核兵器禁止条約の署名国は93、加盟国は70を数えています。「核なき世界」に向けて、世界は間違いなく前進しているのです。
「核なき世界」の実現は「私が生きている間は無理」(オバマ)とか「果てなき夢」(岸田文雄)などというのは「今はやらない」という先行自白です。「口先男」に騙されるのはもう止めましょう。
憲法9条は、核兵器を使用しての世界戦争は人類社会を崩壊させてしまうと想定し、それを避けるために「一切の戦力」を否定したことは前に述べました。戦力がなければ戦争はできないのですから極めて論理的です。逆に、自衛のためであれ、正義の実現のためであれ、武力の行使を認めれば「悪魔の兵器」である核兵器に頼ることになります。それは、理屈だけではなく、現実がそうなっています。では、自衛あるいは安全保障ための核兵器は合理的なのでしょうか。
自衛のために核兵器を自国内で使用することはありえません。使用すれば自国民も死ぬからです。また、どこで使用しようとも、核兵器の特性からして、国境を越えて被害が発生します。中立国にも被害は及ぶし、地球環境も汚染されます。
そして、相手方が核兵器で反撃すれば―間違いなくするでしょう―双方が滅びることになります。「相互確証破壊」です。自衛のための核兵器が自滅のための兵器となるのです。「平穏は墓場にある」という「最悪のパラドックス(逆説)」です。
「核の時代」にあっては、戦争は政治的意思を実現するための手段にはなりえないのです。自衛という目的を実現するための核兵器が、防衛の対象である国家と社会を壊滅させてしまうからです。それが核兵器なのです。
9条はそのような事態を避けるために残された唯一の方法であることを確認しておきましょう。
なぜその確認が必要かというと、「ラッセル・アインシュタイン宣言」が「たとえ平時に水爆を使用しないという合意に達していたとしても、戦時ともなれば、そのような合意は拘束力を持つとは思われず、戦争が勃発するやいなや、双方ともに水爆の製造にとりかかることになるでしょう。一方が水爆を製造し、他方が製造しなければ、製造した側が勝利するにちがいないからです」と予言しているからです。核兵器をなくそうとするのであれば、戦争もなくさなければならないとしているのです。
9条の先駆性が確認できるのではないでしょうか。
ここで、国際人道法に触れておきます。国際人道法は、戦争において、戦闘の方法や手段は無制限ではないという規範です。戦争を違法とするものではありませが、自衛戦争や正義実現の戦争であっても、無差別攻撃や残虐な戦闘手段は禁止されるという戦時における国際法です。「一切の戦争は非人道的なので、戦争をなくす」という考え方ではなく「人道的な戦争」を想定しているのです。
それはそうなのですが、核兵器は大量、無差別、残虐、永続的な被害をもたらす非人道的兵器であることに着目して、核兵器を禁止する法理として活用することは可能ですし、必要なことなのです。
核兵器についての最初の法的判断は、1963年の東京地方裁判所の「原爆裁判」です。裁判所は「原爆投下は当時の国際法に照らして違法」と判決したのです。1996年、国際司法裁判所の勧告的意見は「核兵器の使用や使用の威嚇は、一般的に違法である」としましたが、「国家存亡の危機」における核兵器の使用や威嚇についての判断は避けていました。
ところが、核兵器禁止条約は「核兵器のいかなる使用も国際人道法に反する」としたのです。「国家存亡の危機」における核兵器使用も違法とされ、国際司法裁判所の限界は克服されたのです。
いずれも判断の背景には核兵器の非人道性がありました。法は非人道性を無視できないのです。核兵器廃絶のための「人道アプローチ」は有効だったのです。
確認しておくと、核兵器禁止条約は、戦争を一般的に違法化したり、一切の戦力を禁止する条約ではないのです。そして、核兵器を廃絶したからといって非核兵器が残れば戦争は可能です。また、いったんなくなったとしても復活することは、ラッセルたちがいうとおりです。そういう意味では、核兵器禁止条約は「戦争のない世界」を実現する上では過渡期の法規範なのです。
もちろん、そのことは、核兵器禁止条約の意義をいささかも減殺するものではありませんが、その守備範囲を確認しておくことも必要でしょう。核兵器禁止条約の発効は「核なき世界」に向けての大きな前進ですが、「戦争のない世界」に向けては、もう一歩の質的前進が求められているのです。それが9条の世界化です。
核兵器がなくなったからといって戦争がなくならなければ核兵器は復活するであろうことは、先に述べたとおりです。だから、核廃絶運動に関わる人は9条の擁護と世界化を展望しなければならないのです。戦争という制度が残る限り、「核なき世界」への到達と維持が元の木阿弥になってしまうからです。核兵器をなくした後にも仕事は残るのです。
他方、9条の擁護と世界化を求める人は、核兵器を廃絶できないようでは、戦力一般の廃絶など絵に描いた餅になってしまうでしょう。
ここで、9条は何を期待されて誕生したのかを再確認しておきます。
先に紹介した幣原喜重郎は、「憲法9条は、我が国が全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的な地位を占めることを示すもの」という答弁もしていました。9条は、「核の時代」にあって、「徹底的な平和運動」の先頭に立つ「指導的地位」を期待されていたのです。核兵器廃絶がその射程に入ることは自明でしょう。
戦争の廃絶について考えてみましょう。確かに、戦争の廃絶は決して簡単なことではありません。けれども、戦争は人の営みです。人の営みを人間が制御できないことはありません。人類は奴隷制度も植民地支配もアパルトヘイトもなくしてきました。いずれも、手強い反対にあいながらです。強欲な頑迷保守や好戦論者や悲観論者はいつの時代も存在します。変革を求めないことを「現実的」として受容し、変革を求めることは「理想的に過ぎる」として敬遠する人々も少なくありません。
けれども、人類は戦争をなくすための思想も育んできました。1920年代の米国の「戦争非合法化」の思想と運動もその一例です。戦争という制度を「無法者」として社会から放逐してしまおうという思想と運動です。戦争の方法や手段の制限だけではなく、戦争そのものを非合法化しようという発想です。
そうです。この「戦争非合法化」の思想は憲法9条の淵源のひとつなのです。このような徹底した非軍事平和思想が日本国憲法に影響を与えているのです。
「戦争非合法化思想」が「核のホロコースト」を契機として日本国憲法9条に結実したのです。言い換えれば、徹底した平和思想が、人類最悪の悲劇を梃子として、憲法規範として昇華したのです。「転禍為福」(災い転じて福となす)と言えるでしょう。
けれども、ややこしく考える必要はありません。そもそも、核兵器が使用されれば「皆くたばってしまう」ことなど、誰にでも理解できるからです。そういう意味では、憲法9条は、「核の時代」においては、当たり前の法規範なのです。法は人々を生かすための知恵でもあるのです。
この79年間、核兵器は実戦で使用されていません。使用計画もあったし、核戦争の瀬戸際もありました。事故もあったし、誤発射の危険性もありました。けれども、現実に使用されたことはなかったし、地球は吹き飛んでいないのです。
その理由は、被爆者をはじめとする反核平和勢力の運動もありましたが、「運がよかった」だけかもしれません。地球の未来を運任せにすることはできません。意識的な戦略としなければ、地球にひびが入ったり、吹き飛ぶかもしれないからです。
だから、今求められていることは、核兵器不使用の継続ではなく、核兵器廃絶なのです。廃絶までの法的枠組みは既に核兵器禁止条約があります。その国際法規範を普遍化することによって「核なき世界」の実現は可能なのでする。
当面、日本政府に署名・批准させることが必要です。その運動を反核平和勢力だけではなく、護憲運動(立憲主義回復運動を含む)をしている方たちの理解と協力をえて進めることが求められています。
他方、憲法9条も風雪に耐えてきました。憲法に拘束される立場にある政府や国会議員(護憲派は除く)だけではなく、多くの改憲勢力からの攻撃に耐えてきたのです。「お疲れ様日本国憲法」などと引退を迫ったり、「憲法を現実に合わせろ」という憲法が何のためにあるのかを理解しない意見もあります。
既に、個別的自衛権のみならず集団的自衛権も認められるという「法的クーデター」といわれる現実もあります。しかも、裁判所もそれを制止しようとしないのです。
そして、米軍とともに世界のあちこちで武力の行使を可能とするための改憲策動も、執念深くかつ陰険に続けられているのです。
現在、政府は、中国、北朝鮮、ロシアとの対立(もっぱら中国)を前提に、米軍との一体化、自衛隊基地の強化、武器の爆買いなど戦争の準備を着々と進めています。戦争を避けるのではなく、戦争に備えているのです。
敵基地攻撃を行えば敵国からの反撃は避けられません。だから、「国民保護」も必要となります。「国民保護計画」は核攻撃があった場合も想定しています。「ヨード剤を飲んで雨合羽を被って風上に逃げろ」というものです。被爆者は「爆心地に向かえと言うのか」と怒っています。雨合羽とヨード剤で被害を食い止められるのなら、核戦争など「たいしたことはない」でしょう。政府は「被爆の実相」を無視しているのです。
岸田首相は「敵基地攻撃」や「戦闘機の共同開発」も「憲法の平和主義の理念の範囲内」と言っています。それが彼の憲法感覚なのです。そういう首相の下で、武力の行使を前提とする「国を挙げての防衛体制の確立」が進んでいます。「国を挙げて」の中には、自衛隊や政府機関、財界や読売新聞などのマスコミだけではなく、学界や地方自治体も含まれています。「防衛体制の確立」とは、米国とのグローバル・パートナーシップや同盟国・同志国との連携強化に基づく対中国包囲網の構築を意味しているのです。
学術団体や地方自治体や民間企業を戦争協力へと誘導あるいは強制するための仕組みも次々と作られようとしています。日本学術会議の法人化、政府の自治体に対する指示権、セキュリティ・クリアランス制度の導入などです。学問・研究、自治体、企業を経由して、個人生活も軍事色に染められようとしているのです。
それに対抗するたたかいも展開されていますが、事態は予断を許しません。
今、日本は、「核兵器を含む武力による安全と生存の維持」なのか「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼しての安全と生存の維持」なのかが正面から問われているのです。「武力による平和の道」は人類社会の終わりへの道です。「諸国民の公正と信義による平和への道」は78年前から示されている道です。「核の時代」の後にどのように未来社会を創るのか、その選択は私たちに委ねられているのです。
核兵器廃絶よりも前に、政府が「熱い戦い」を始めるかもしれません。「政府の行為によって再び戦争の惨禍」が起きるかもしれないのです。もちろんそれは他国の民衆の殺傷も意味しています。核兵器廃絶運動は政府や与党の動きに敏感でなければなりません。
核兵器廃絶や9条の擁護と世界化を希求する私たちには、「戦争前夜」といわれるほどに急速に進行している戦争の準備を阻止する運動が求められています。そのためには、反核平和勢力と護憲平和勢力との相互理解と相互協力とが必要不可欠です。
被爆80年・敗戦80年という節目の年を、この国の進路を大きく転換し、核兵器も戦争もない世界に一歩でも近づく機会にしようではありませんか。
腐敗し堕落した自民党政治を終わらせ、全ての人が、恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに、その個性を生かしながら、自由に生活できる社会をつくるために、引き続き頑張ろうではありませんか。
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