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2024.7.11
腐敗した自民党による改憲を許さない【2】から続く
「私たちが人類を滅亡させますか、それとも人類が戦争を放棄しますか」
この「ラッセル・アインシュタイン宣言」の問いかけに私たちはどのように答えたらいいのでしょうか。
まず、核兵器のことを考えてみましょう。核兵器をなくすことは決して不可能ではありません。そもそも、核兵器は人間が作ったものだからです。現に、1986年に7万発というピークを数えた核弾頭は、現在1万2500発程度に減っています。しかもそれは検証されています。減った数の方が残っている数より多いのです。やればできるのです。
加えて、核兵器保有国は、国連加盟国193カ国のうち9ヵ国です。極めて少数です。核兵器禁止条約の署名国は93、加盟国は70を数えています。「核なき世界」に向けて、世界は間違いなく前進しているのです。
「核なき世界」の実現は「私が生きている間は無理」(オバマ)とか「果てなき夢」(岸田文雄)などというのは「今はやらない」という先行自白です。「口先男」に騙されるのはもう止めましょう。
憲法9条は、核兵器を使用しての世界戦争は人類社会を崩壊させてしまうと想定し、それを避けるために「一切の戦力」を否定したことは前に述べました。戦力がなければ戦争はできないのですから極めて論理的です。逆に、自衛のためであれ、正義の実現のためであれ、武力の行使を認めれば「悪魔の兵器」である核兵器に頼ることになります。それは、理屈だけではなく、現実がそうなっています。では、自衛あるいは安全保障ための核兵器は合理的なのでしょうか。
自衛のために核兵器を自国内で使用することはありえません。使用すれば自国民も死ぬからです。また、どこで使用しようとも、核兵器の特性からして、国境を越えて被害が発生します。中立国にも被害は及ぶし、地球環境も汚染されます。
そして、相手方が核兵器で反撃すれば―間違いなくするでしょう―双方が滅びることになります。「相互確証破壊」です。自衛のための核兵器が自滅のための兵器となるのです。「平穏は墓場にある」という「最悪のパラドックス(逆説)」です。
「核の時代」にあっては、戦争は政治的意思を実現するための手段にはなりえないのです。自衛という目的を実現するための核兵器が、防衛の対象である国家と社会を壊滅させてしまうからです。それが核兵器なのです。
9条はそのような事態を避けるために残された唯一の方法であることを確認しておきましょう。
なぜその確認が必要かというと、「ラッセル・アインシュタイン宣言」が「たとえ平時に水爆を使用しないという合意に達していたとしても、戦時ともなれば、そのような合意は拘束力を持つとは思われず、戦争が勃発するやいなや、双方ともに水爆の製造にとりかかることになるでしょう。一方が水爆を製造し、他方が製造しなければ、製造した側が勝利するにちがいないからです」と予言しているからです。核兵器をなくそうとするのであれば、戦争もなくさなければならないとしているのです。
9条の先駆性が確認できるのではないでしょうか。
ここで、国際人道法に触れておきます。国際人道法は、戦争において、戦闘の方法や手段は無制限ではないという規範です。戦争を違法とするものではありませが、自衛戦争や正義実現の戦争であっても、無差別攻撃や残虐な戦闘手段は禁止されるという戦時における国際法です。「一切の戦争は非人道的なので、戦争をなくす」という考え方ではなく「人道的な戦争」を想定しているのです。
それはそうなのですが、核兵器は大量、無差別、残虐、永続的な被害をもたらす非人道的兵器であることに着目して、核兵器を禁止する法理として活用することは可能ですし、必要なことなのです。
核兵器についての最初の法的判断は、1963年の東京地方裁判所の「原爆裁判」です。裁判所は「原爆投下は当時の国際法に照らして違法」と判決したのです。1996年、国際司法裁判所の勧告的意見は「核兵器の使用や使用の威嚇は、一般的に違法である」としましたが、「国家存亡の危機」における核兵器の使用や威嚇についての判断は避けていました。
ところが、核兵器禁止条約は「核兵器のいかなる使用も国際人道法に反する」としたのです。「国家存亡の危機」における核兵器使用も違法とされ、国際司法裁判所の限界は克服されたのです。
いずれも判断の背景には核兵器の非人道性がありました。法は非人道性を無視できないのです。核兵器廃絶のための「人道アプローチ」は有効だったのです。
確認しておくと、核兵器禁止条約は、戦争を一般的に違法化したり、一切の戦力を禁止する条約ではないのです。そして、核兵器を廃絶したからといって非核兵器が残れば戦争は可能です。また、いったんなくなったとしても復活することは、ラッセルたちがいうとおりです。そういう意味では、核兵器禁止条約は「戦争のない世界」を実現する上では過渡期の法規範なのです。
もちろん、そのことは、核兵器禁止条約の意義をいささかも減殺するものではありませんが、その守備範囲を確認しておくことも必要でしょう。核兵器禁止条約の発効は「核なき世界」に向けての大きな前進ですが、「戦争のない世界」に向けては、もう一歩の質的前進が求められているのです。それが9条の世界化です。
核兵器がなくなったからといって戦争がなくならなければ核兵器は復活するであろうことは、先に述べたとおりです。だから、核廃絶運動に関わる人は9条の擁護と世界化を展望しなければならないのです。戦争という制度が残る限り、「核なき世界」への到達と維持が元の木阿弥になってしまうからです。核兵器をなくした後にも仕事は残るのです。
他方、9条の擁護と世界化を求める人は、核兵器を廃絶できないようでは、戦力一般の廃絶など絵に描いた餅になってしまうでしょう。
ここで、9条は何を期待されて誕生したのかを再確認しておきます。
先に紹介した幣原喜重郎は、「憲法9条は、我が国が全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的な地位を占めることを示すもの」という答弁もしていました。9条は、「核の時代」にあって、「徹底的な平和運動」の先頭に立つ「指導的地位」を期待されていたのです。核兵器廃絶がその射程に入ることは自明でしょう。
戦争の廃絶について考えてみましょう。確かに、戦争の廃絶は決して簡単なことではありません。けれども、戦争は人の営みです。人の営みを人間が制御できないことはありません。人類は奴隷制度も植民地支配もアパルトヘイトもなくしてきました。いずれも、手強い反対にあいながらです。強欲な頑迷保守や好戦論者や悲観論者はいつの時代も存在します。変革を求めないことを「現実的」として受容し、変革を求めることは「理想的に過ぎる」として敬遠する人々も少なくありません。
けれども、人類は戦争をなくすための思想も育んできました。1920年代の米国の「戦争非合法化」の思想と運動もその一例です。戦争という制度を「無法者」として社会から放逐してしまおうという思想と運動です。戦争の方法や手段の制限だけではなく、戦争そのものを非合法化しようという発想です。
そうです。この「戦争非合法化」の思想は憲法9条の淵源のひとつなのです。このような徹底した非軍事平和思想が日本国憲法に影響を与えているのです。
「戦争非合法化思想」が「核のホロコースト」を契機として日本国憲法9条に結実したのです。言い換えれば、徹底した平和思想が、人類最悪の悲劇を梃子として、憲法規範として昇華したのです。「転禍為福」(災い転じて福となす)と言えるでしょう。
けれども、ややこしく考える必要はありません。そもそも、核兵器が使用されれば「皆くたばってしまう」ことなど、誰にでも理解できるからです。そういう意味では、憲法9条は、「核の時代」においては、当たり前の法規範なのです。法は人々を生かすための知恵でもあるのです。
この79年間、核兵器は実戦で使用されていません。使用計画もあったし、核戦争の瀬戸際もありました。事故もあったし、誤発射の危険性もありました。けれども、現実に使用されたことはなかったし、地球は吹き飛んでいないのです。
その理由は、被爆者をはじめとする反核平和勢力の運動もありましたが、「運がよかった」だけかもしれません。地球の未来を運任せにすることはできません。意識的な戦略としなければ、地球にひびが入ったり、吹き飛ぶかもしれないからです。
だから、今求められていることは、核兵器不使用の継続ではなく、核兵器廃絶なのです。廃絶までの法的枠組みは既に核兵器禁止条約があります。その国際法規範を普遍化することによって「核なき世界」の実現は可能なのでする。
当面、日本政府に署名・批准させることが必要です。その運動を反核平和勢力だけではなく、護憲運動(立憲主義回復運動を含む)をしている方たちの理解と協力をえて進めることが求められています。
他方、憲法9条も風雪に耐えてきました。憲法に拘束される立場にある政府や国会議員(護憲派は除く)だけではなく、多くの改憲勢力からの攻撃に耐えてきたのです。「お疲れ様日本国憲法」などと引退を迫ったり、「憲法を現実に合わせろ」という憲法が何のためにあるのかを理解しない意見もあります。
既に、個別的自衛権のみならず集団的自衛権も認められるという「法的クーデター」といわれる現実もあります。しかも、裁判所もそれを制止しようとしないのです。
そして、米軍とともに世界のあちこちで武力の行使を可能とするための改憲策動も、執念深くかつ陰険に続けられているのです。
現在、政府は、中国、北朝鮮、ロシアとの対立(もっぱら中国)を前提に、米軍との一体化、自衛隊基地の強化、武器の爆買いなど戦争の準備を着々と進めています。戦争を避けるのではなく、戦争に備えているのです。
敵基地攻撃を行えば敵国からの反撃は避けられません。だから、「国民保護」も必要となります。「国民保護計画」は核攻撃があった場合も想定しています。「ヨード剤を飲んで雨合羽を被って風上に逃げろ」というものです。被爆者は「爆心地に向かえと言うのか」と怒っています。雨合羽とヨード剤で被害を食い止められるのなら、核戦争など「たいしたことはない」でしょう。政府は「被爆の実相」を無視しているのです。
岸田首相は「敵基地攻撃」や「戦闘機の共同開発」も「憲法の平和主義の理念の範囲内」と言っています。それが彼の憲法感覚なのです。そういう首相の下で、武力の行使を前提とする「国を挙げての防衛体制の確立」が進んでいます。「国を挙げて」の中には、自衛隊や政府機関、財界や読売新聞などのマスコミだけではなく、学界や地方自治体も含まれています。「防衛体制の確立」とは、米国とのグローバル・パートナーシップや同盟国・同志国との連携強化に基づく対中国包囲網の構築を意味しているのです。
学術団体や地方自治体や民間企業を戦争協力へと誘導あるいは強制するための仕組みも次々と作られようとしています。日本学術会議の法人化、政府の自治体に対する指示権、セキュリティ・クリアランス制度の導入などです。学問・研究、自治体、企業を経由して、個人生活も軍事色に染められようとしているのです。
それに対抗するたたかいも展開されていますが、事態は予断を許しません。
今、日本は、「核兵器を含む武力による安全と生存の維持」なのか「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼しての安全と生存の維持」なのかが正面から問われているのです。「武力による平和の道」は人類社会の終わりへの道です。「諸国民の公正と信義による平和への道」は78年前から示されている道です。「核の時代」の後にどのように未来社会を創るのか、その選択は私たちに委ねられているのです。
核兵器廃絶よりも前に、政府が「熱い戦い」を始めるかもしれません。「政府の行為によって再び戦争の惨禍」が起きるかもしれないのです。もちろんそれは他国の民衆の殺傷も意味しています。核兵器廃絶運動は政府や与党の動きに敏感でなければなりません。
核兵器廃絶や9条の擁護と世界化を希求する私たちには、「戦争前夜」といわれるほどに急速に進行している戦争の準備を阻止する運動が求められています。そのためには、反核平和勢力と護憲平和勢力との相互理解と相互協力とが必要不可欠です。
被爆80年・敗戦80年という節目の年を、この国の進路を大きく転換し、核兵器も戦争もない世界に一歩でも近づく機会にしようではありませんか。
腐敗し堕落した自民党政治を終わらせ、全ての人が、恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに、その個性を生かしながら、自由に生活できる社会をつくるために、引き続き頑張ろうではありませんか。
2024.7.11
引き続き、自民党政治の特徴についての話をします。
岸田文雄首相は、吉田茂元首相を「傑出した政治指導者の一人」と評価しています。その理由は、吉田氏が日本防衛を米国に任せ、米国資本を導入して、日本に奇跡的な高度成長をもたらしたからだということです。「日本は核とドルの下で生きていく」という「吉田ドクトリン」を最大限の評価しているのです。この「日本国の命運を米国の核とドルに委ねる」という基本姿勢は、現在も、何も変わっていません。岸田首相はそのことを私たちに判りやすく教えてくれているのです。
このことを違う言葉でいえば、米国に「自発的に従属する」ということです。この思考パターンによれば、米国に逆らったり、独自の政策をとることなど出来ないことになります。米国の「核の傘」という究極の暴力に依拠し、経済関係での利害を同一にしている立場からすれば、自主・自立など想定できないからです。「昔天皇、今アメリカ」という現象が起きているのです。日米安保条約の解消などは「国体の変革」を求めることと同様に「危険思想」扱いされるのです。
米国では、戦争を商売とする軍人と金儲けの機会とする軍事産業とその使い走りをする議員とそれを支持する愚かで野蛮な選挙民がいまだ力を持っています。「軍産複合体」の支配です。日本の支配層はその勢力に抵抗せずむしろ迎合しようというのです。それが「核とドルに依存する」という意味です。
私たちは、日米関係の基礎には、このような発想が根強くはびこっていることを視野に入れておかなければならないのです。その端的な表れが核兵器禁止条約についての日本政府の姿勢です。
核兵器のいかなる使用も「壊滅的人道上の結末」をもたらすので、それを避けるための唯一の方法は、核兵器を廃絶することであるとして「核兵器禁止条約」が発効しています。ところが、日本政府は「禁止条約は国民の命と財産を危うくする」として、禁止条約への署名・批准は拒否しているし、締約国会議へのオブザーバ参加にも消極的です。
ところが、岸田首相は核兵器廃絶を言っているのです。それは、核兵器がもたらす「容認できない苦痛と被害」や「壊滅的人道上の結末」、そして国民の反核感情を無視できないからでしょう。核兵器廃絶をいうことは大事なことです。けれども、氏は「核とドルの支配」を全面的に受け入れているので、米国の核兵器を否定する禁止条約を容認することはできないのです。だから、岸田さんは「今すぐなくす」とは言わないのです。それが日本の首相の正体です。
私たちは、核兵器廃絶を未来永劫の理想ではなく、喫緊の現実的課題とするリアリストでなければなりません。核戦争の危機が迫っているからです。被爆者の願いに応えるためにも、また、私たちと次世代の未来のためにも、核廃絶の掛け声だけでない行動が求められているのです。そして、そのたたかいは「核とドルの支配」を全面的に受け入れている政治勢力との戦いでもあることを忘れてはならないのです。
ここで、核兵器廃絶と憲法9条擁護の関係について考えておきましょう。
ここで、政府が1946年11月に発行した『新憲法の解説』を紹介しておきます。
一度び戦争が起これば人道は無視され、個人の尊厳と基本的人権は蹂躙され、文明は抹殺されてしまう。原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、または逆に戦争の原因を終息せしめるかの重大な段階に達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺するであろうと真剣に憂えているのである。ここに、本章(2章・9条)の有する重大な積極的意義を知るのである。
ここで識者とは幣原喜重郎氏のことです。幣原氏は、憲法改正が議論されていた帝国議会で政府を代表して次のような答弁をしています。
我々は今日、広い国際関係の原野に於きまして、単独にこの戦争放棄の旗を掲げて行くのでありますけれども、他日必ず我々の後についてくるものがあると私は確信しているものである。…原子爆弾というものが発見されただけでも、或戦争論者に対して、余程再考を促すことになっている、…日本は今や、徹底的な平和運動の先頭に立って、此の一つの大きな旗を担いで進んで行くものである。即ち戦争を放棄するということになると、一切の軍備は不要になります。軍備が不要になれば、我々が従来軍備のために費やしていた費用はこれもまた当然に不要になるのであります。
当時の政府は、次の世界戦争では核兵器が使用され、人類社会は滅びることになると予測して、核兵器のみならず、全ての戦力の放棄を提案していたのです。
日本国憲法9条は、「核の時代」を自覚し、核兵器だけではなく「一切の戦力」を放棄する徹底した非軍事平和思想に基づく最高規範として誕生したのです。憲法9条は「核のホロコースト」を経て創られた「核の時代の申し子」なのです。
現在の政府はそのことを忘れたかのようです。政府が忘れても、私たちは忘れてはならない「平和思想の到達点」なのです。9条の改悪は許さず、これを世界の規範としなければならないのです。
人類社会が水爆時代に入った1955年(ビキニ水爆実験は1954年)。ラッセルやアインシュタインたちは「もし多数の水爆が使用されれば、全世界的な死が訪れるでしょう。瞬間的に死を迎えるのは少数に過ぎず、大多数の人々は、病いと肉体の崩壊という緩慢な拷問を経て、苦しみながら死んでいくことになります」としていました。そして「私たちが人類を滅亡させますか、それとも人類が戦争を放棄しますか」と問いかけていました。
この「ラッセル・アインシュタイン宣言」の問いかけに私たちはどのように答えたらいいのでしょうか。
-->2024.7.11
この記事は、『やめさせよう裏金政治ー「政治とカネ」問題を考える-』をテーマに
「憲法改悪反対飯能日高共同センター」「小選挙区制・政党助成法の廃止をめざす飯能連絡会」が共催した学習会にて、講師としてお話させていただいた内容をまとめたものです。
世界を見ると、ロシアのウクライナ侵略やイスラエルのガザ地区でのジェノサイドなど、目を覆いたくなる事態が続いています。侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する武力の行使です。ロシアの行為はこれに該当します。ジェノサイド( genocide)とは、(種族:英語のgenos)と(殺害:英語のcide)の合成語で、国民的、民族的、人種的又は宗教集団の全部又は一部を集団それ自体として破壊する意図をもって行われる行為です。日本語では「集団殺害」、「集団虐殺」などと言われます。イスラエルの行為はこれに該当します。
けれども、ロシアに対する制裁は強調されていますが、イスラエルの暴挙を止めようとする動きは鈍いままです。
同時に、気候危機が進行し、地球という人類の生息環境そのものが脅かされています。国連のグテーレス事務総長は、「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が到来したのです」としています。
にもかかわらず、「民主主義国家」と「権威主義国家」などと対立が煽り立てられ、人類の危機に対する国際社会の足並みはそろっていません。
ロシアは核兵器使用をちらつかせているし、イスラエルも核兵器国であることを隠そうとしません。米国も未臨界核実験を継続しているし、中国も核兵器を増産しているようですし、北朝鮮も核兵器先制使用を憲法に書き込んでいます。日本や韓国は米国の「核の傘」依存を強めています。
国際情勢をもっともよく知る立場にある国連のグテーレス事務総長は、冷戦終結後最大の「核戦争の危機」だと言っています。米国の核兵器のことをよく知る科学者たちは、1947年以降で最も「終末」に近づいているとしています。
核戦争になれば「壊滅的人道上の結末」が起きることになることや「核戦争に勝者はない。核戦争を戦ってはならない」ことは、誰でも知っていることだけれど、核戦争は近づいているし、核兵器はなくなりそうもないのです。
気候危機を前にして、戦争や軍拡競争などしている場合ではないのに、「先進国」の政治リーダーたちは対立と分断を前提に物事を考えているのです。
G7が開催されているけど、そこで語られているのは、ロシアや中国との対立を前提とする話ばかりですし、核兵器への依存はそのままです。
国内では、「台湾有事は日本有事」と言われ、対中国戦争を念頭に、米軍と自衛隊の一体化や南西諸島の要塞化が進められています。まさに、日本版「先軍思想」に基づいて、現代版「国家総動員体制」が進行しているのです。
それを進めているのは自公政権です。それをサポートするのは日本維新の会や国民民主党などです。その中核にある自民党の腐敗と堕落は目を覆うばかりです。
私は、その腐敗と堕落が深刻化する原因は、30年前の1994年の「政治改革」にあると考えています。政治改革の柱は小選挙区の導入と政党助成金の導入でした。
ところで、当時、飯能では「小選挙区制・政党助成法の廃止を目指す飯能連絡会」が結成されており、2001年11月には「政党助成金訴訟の会」が結成されました。そして、2002年3月には、飯能、日高、名栗の住民113名が原告となって、東京地裁に「政党助成金違憲訴訟」を提起しました。
政党助成金は、1994年、政治改革と称して小選挙区制とともに導入された制度です。国会議員数や国政選挙での得票数に比例して、国民一人当たり年間250円の税金を各政党に交付する仕組みです。年間320億円もの税金が各政党に分配されることになったのです。
けれども、国民のなかには政党を支持している人もいれば、どの政党も支持していない人もいます。一方、国民は憲法によって思想・表現の自由や、集会・結社の自由が保障されていますから、どの政党に政治資金を寄付するか、寄付しないかというのは、各個人の自由に属することです。
だから、その各個人が支払った税金が勝手に支持もしていない政党に分配されてしまうというのは、憲法に保障された「良心の自由」の一形態である「政党支持の自由」を侵害することになるのです。
自民党などは、党員や支持者などの個々人から政治資金をコツコツと集める努力をせず、財界・大企業から巨額の政治献金をもとめる一方、より安定的に税金からも政治資金を得ようとして政党助成金制度を導入したのです。
また、政党というものは本来、国などから独立した存在ですから、税金で政党の運営資金をまかなうなどは邪道です。
ということで、原告は裁判を起こしたのです。
この裁判は、地裁・高裁で勝つことはできませんでした。裁判所は「政党への寄付への自由」は「思想・良心の自由」の一側面であって、憲法19条の保障を受けることは認めました。けれども、政党助成法は原告に対して特定の思想を強制したり、不利益を強制したりするものではない。税金の徴収と政党交付金の交付とは、その法的根拠や手続きが異なり、原告らの支払った税金が直ちに政党交付金としてそのまま政党に交付されているわけではないなどとして、請求を棄却したのです。
税金の徴収と助成金の交付は別の法律によるものだから、「政党への寄付の自由」とは関係ないという理屈です。税金の徴収も政党への交付も、国家の行為によって行われていることを無視した形式論なのです。
とうてい納得できない「肩透かし判決」と言えるでしょう。
もちろん上告し、最高裁への要請行動も数次にわたって行われました。
上告の理由は、政党助成法は、個人の直接的かつ自主的判断で決定されるべき「政党への寄付の自由」を侵害する法律であり、その制定と執行は憲法19条に違反する、というものでした。憲法判断を求めたのです。
飯能市の杉田實さんは、六年生は社会科教科書で、税金は本来、国民生活を豊かにするものと学習していることを紹介し、「政党が税金から自分たちの活動費を分けてもらうことは、小学生が学ぶ、税金の正しい使い方に照らして本来の姿ではないでしょう。純真な小学生にも理解できるような正しい判断を切望します」との陳述書を提出しました。
残念ながら、上告は棄却されました。憲法問題ではないという理由です。政党助成金は国民個人の「政党支持の自由」という基本的人権にかかわる事柄であるし、政党という私的団体に公費を投入することは民主主義の在り方にかかわる事柄であるにもかかわらず、最高裁は憲法問題ではないとしたのです。
これが、最高裁の人権観であり民主主義観なのです。
1994年当時の政権は日本新党の細川護熙氏を首班とする連立政権でした。政治改革関連法案は否決されたのですが、衆議院議長だった土井たか子氏は、細川総理と自民党の河野洋平総裁との「総総協定」を斡旋し、法案を成立させました。
国民の政治的意思と国会の議席との間に乖離が生ずる小選挙区比例並立制と憲法違反の政党助成金が日本の政治に導入されたのです。私は、この時に、現在の日本の政治の歪みが始まったと考えています。
「政党支持の自由」という基本的人権を侵害し、少数派の意思を切り捨てることにより国民の政治的意思を国会に反映しない選挙制度が、国会の多数派によって制定されたのです。しかも、最高裁は「問題なし」としたのです。立法も司法も基本的人権と民主主義の原理を軽視してしまったのです。
これでは、日本の政治状況や人権状況が悪化することは避けられないでしょう。それにしても、「総総協定」を仲立ちした土井たか子氏はとんでもないことをしたものです。
私は、その「政治改革」の歪みが、今、自民党の腐敗と堕落という形で噴出していると考えています。自民党の支持率と議席の占有率には大きな乖離が生まれています。2021年の衆議院選挙の自民党の小選挙区の得票率は48.4%だったけれど、65.4%の議席を確保しています。半分以下の得票率で3分の2近い議席を確保しているのです。小選挙区制は一人しか当選しないので、相対的多数派は議席においては絶対的多数を得ることが可能なのです。
また、政党助成金の導入と企業・団体献金の禁止は一体となるはずでした。それが、政治家個人への寄付は禁止されるけれど、政党や政治団体への寄付は許容されたのです。政党助成金と企業・団体献金の二重取りが始まったのです。
「政治改革」によって、自民党にとっては、議席も金も自分に都合よくなったのです。それが腐敗と堕落の温床となっているのです。
企業・団体からの政治家個人への寄付は禁止されています。政党や政治団体への寄付は、制限がありますが、禁止はされていません。対価を求めないで寄付をすることは背任となりうるし、対価を求めれば贈賄ということになります。税理士団体が自民党に献金することは、税理士個人の「政党支持の自由」を侵害することになるというのは最高裁の判断です。企業・団体献金は、そもそもそのような問題を抱えているのですから、禁止されなければならないのですが、そうはなっていないのです。
ところで、本来、パーティ券販売は寄付ではありません。会費をパーティで使えば余りはないからです。けれども、実際に販売されるパーティ券は対価性がありませんから寄付になります。政党や政治団体に対する寄付の制限の脱法行為ということになります。
更に問題は、ノルマを超えて販売されたパーティ券の代金は、政治家個人にキックバックされていたことです。政治家個人にかかわる政治団体がそのキックバック分を帳簿に記載しなければ「裏金」となるのです。これでは、政治家個人に対する献金が禁止されている意味がありません。その仕組みを誰が創ったのかは明らかにされていませんが、自民党が創ったことは間違いありません。
政治資金規正法は「議会制民主政治における政党や政治団体の重要性にかんがみ、政治資金の収支の公開などの措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、民主政治の健全な発達に寄与する」ために制定されています。
キックバック議員は、正確な「政治資金の収支」が大前提なのに、それを意図的にごまかしたのです。今回の事態は、政治の「公明と公正」を害し「民主政治」の根幹を揺るがす大問題なのです。彼らは「民主政治」を理解しない「犯罪者」であることを確認しておくことにしましょう。そもそも、彼らに国政を担う資格がないのです。
これは、政治資金規正法に問題があるのではなく、自民党や自民党議員に問題があるのです。規正法改正などと大騒ぎしていますが、どんな規制をしても、自民党の金権体質は変わらないでしょう。企業や保守系団体から献金を受け、その献金をした勢力のための政治を行うために、その勢力とは違う勢力の票も集めなければならないからです。要するに買収や供応による票集めです。河井夫妻の買収や「桜を見る会」の経緯を観れば、容易に理解できるのではないでしょうか。
領収書のいらない金を欲しがる人やタダの飲み食いが好きな人はいるのでしょう。だから、政治活動費の「透明化」など出来ないのです。河井夫婦の買収事件など、氷山の一角だと私は思っています。大企業や米国の利益とは縁のない人たちの票を集めるには「現ナマ」が有効なのでしょう。「後援会」の維持のためにもお金が必要なのでしょう。
そういう政治家に群がる人にも問題があるとしても、そういう政治家こそが問題であることは言うまでもありません。それがこの国の「民度」であるとすれば、私たちはその改善に取り組まなくてはなりません。
また、世論誘導をするためにも金は必要です。2013年、麻生太郎氏は「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と言っていました。
そのナチスの宣伝大臣などを務めたゲッペルスは、ナチスが初めて第一党として選挙に臨んだとき、「われわれは国家組織を動員できるようになったので運動は容易である。新聞とラジオは意のままである。われわれは政治宣伝の傑作を作るつもりだ。金は有り余っている」としていました。麻生太郎氏は、きっと、そのゲッペルスの手口を念頭に置いているのでしょう。自民党の諸君は「支持上げるちょろいもんだぜ民なんて」と思っているのかもしれません。
改憲のための国民投票に際して、金にものを言わせた、フェイクがあふれかえるような気がしてなりません。今、日本では、自民党流改憲に正面から反対するマスコミはほとんどありませんから、その危険性は一層高くなるでしょう。
各党に2024年に交付される政党助成金(もちろん国庫金です)総額は315億3652万円で、その内、自民党は160億5328万円です。
このようなことが、この30年間行われてきたのです。
2021年9月24日のNHKによれば、政党交付金を使い切らず積立てられた金額は、総額323億円で、その内、自民党は252億7200万円とされています。「金は有り余っている」のではないかと思うのですが、まだまだ足りないようです。腐敗と堕落に貪欲も加わっているようです。
ただし、彼らの腐敗と堕落を政治不信一般にしてはなりません。この事態は「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」という箴言のとおりの自民党の腐敗だということを見抜かなければなりません。マスコミは「政治不信」という言葉を使用し、自民党の問題だということを隠ぺいしようとしているので注意が必要です。
この「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」という言葉は、イギリスの思想家であるアクトン卿が1887年に使用したそうです。何とも鋭い指摘だと思います。
「権力を担当する者がすべての権力を濫用しがちであることは永遠の経験が示すところである。権力が濫用されないようにするためには、権力が権力を抑制するようにしておかなければならない。」(モンテスキュー『法の精神』・1748年)という言葉と合わせて記憶しておきたいと思います。これは、三権分立の考え方であり、権力を憲法という鎖で縛るという「立憲主義」の源流となる思想だからです。
自民党も永年権力を握ってきたので腐敗することは「永遠の経験」なので避けられないのでしょう。けれども、私たちはそれを許してはなりません。腐ったリンゴを排除しないと他のリンゴもダメになるからです。市民社会から腐ったリンゴを排除することは、市民社会の健全さを維持するために必要なことですが、腐ったリンゴではなく、リンゴ全体の問題とすることは、問題のすり替えです。
自民党が腐っているのに、政治一般に問題があるような言説は事態の把握としては不正確です。「政治不信」などと言う言葉は、リンゴ全体に問題があるかのように取り扱っているのです。これでは、「無関心層」を増やし、結果として、自民党の延命に手を貸すことにしかなりません。
私たちは、そのことをしっかり見抜き、自民党政治を終わりにしなければならないのです。そのための工夫が求められています。立憲野党の共同はその最も大きな課題です。
また、中長期的には、小選挙区制を基本とする選挙制度を改め、政党助成金を廃止することが求められています。これは、日本社会に民主主義と基本的人権を根付かせるために必要な作業だからです。
引き続き、自民党政治の特徴についての話をします。
-->2024.6.3
はじめに
5月22日~26日の5日間、日本AALA(アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会)が企画した、台湾・金門島、花蓮市をめぐる「平和のための市民交流の旅」に参加した。参加の動機は、「台湾有事」がいわれているので、台湾の状況を少しでも肌で感じたいということにあった。
丁度、中国が台湾の頼清徳新総裁の姿勢に反発して軍事演習をしている最中だった。台北のホテルではNHKニュースを視ることができるので、日本では「大騒ぎ」になっていることを知ることはできた。もちろん、台湾でもニュースになっているけれど、現地のガイドは「いつものことです」として緊張感はまったくなかった。
現地の新聞報道によれば、中国軍は米国の対応を考えて実弾は使用していなかったという。事務所のメンバーや家族には心配かけたけれど、金門島も含めて平穏な旅であった。
それはそれとして、いくつかの貴重な体験もした。「平和、武力反対、自主、気候重視」と題する反戦声明を発した学者グループとの対話、大日本帝国が台湾から撤退した後、台湾では民衆の抵抗や「白色テロ」があったことを知ったことなどである。ここでは、台湾の研究者との交流について報告する。
台湾の学者の反戦声明
昨年3月20日、台湾の学者・研究者37人が「反戦声明」を発出している。その内容は、⓵ウクライナの平和 停戦交渉を。②米国の軍国主義と経済制裁の中止を。③米中戦争はいらない 台湾は自主を 大国とは友好的で等距離の関係の維持を。④国家予算は人々の生活・気候変動緩和に使え 戦争や軍事に使うな。の4項目である。
⓵では、和平交渉は停戦の唯一の道であるとして、NATOに対して、外交的努力を妨害することを止めることなどを求めている。⓶では、アメリカは建国以来、戦争をしなかった年はほとんどない。2001年以降の20年間で米国の国防支出は14兆ドルに達し、そのうちの2分の1から3分の1が軍需産業の懐に入っている。NATOの兵器がウクライナに入り続ける限りこの戦争の終わりは見えない、ということなどに触れられている。③では、米中双方は、すべての意見の相違を平和的手段で解決しなければならない。台湾は自主独立の立場をとり、全人類の平等・福祉・平和を増進できる分野で各国と協力すべきである。各大国とは等距離の外交を維持し、知恵のある戦略と手腕をもって台湾海峡両岸の安全を守るべきである。アメリカの覇権主義の弟分や子分になるべきではなく、逆に、中国の「戦狼」の対抗関係の一環となるべきでもない、とされている。④では、世界が異常気象、水資源枯渇、生物多様性喪失などの多重の危機に直面している今、国家予算はこれらのために使用されるべきであって、軍拡競争や相互挑発というブラックホールにつぎ込むべきではない。13000発もの核弾頭を保有する世界において、迫り来る核による壊滅の脅威が気候変動の危機を覆い隠している。全てが静寂になってしまったとき、政治家たちが戦争で守れると主張する「主権」、「民主主義」、「自由」はどこにあるというのだろうか、とされている。
その結びはこうである。
私たちは大陸中国による台湾に対するあらゆる侮蔑、弾圧や武力による威嚇に反対する。しかし、台湾の主要メディアの戦狼・中国に対する批判を繰り返すことは、この声明の役割ではない。私たちが望むのは、人々の英知を集め、米中対抗の下でのより冷静で平和的な台湾独自の進むべき道を考え出すことである。
王さんたちとの交流
私たちは、この声明に署名している台湾中央研究院の王智明氏たちと交流した。台湾中央研究院は国立の研究機関で3千人からのメンバーがいて、自由に研究しているという。王氏の見解は声明に示されたとおりだし、同席した二人の若い研究員も「ロシアの武力行使は侵略だけれど、NATOの東方展開も問題だ」、「中国との緊張の責任はもっぱら米国にある」とか「べ平連の活動や全共闘の研究をしている」などと報告していたので、自由に研究をしているというのは本当だと思った。台湾では「学問の自由」や「言論の自由」は保障されているようである。
私の発言
私も日本の平和活動家として発言した。私は、まず、「13000発もの核弾頭を保有する世界において、迫り来る核による壊滅の脅威が気候変動の危機を覆い隠している。全てが静寂になってしまったとき、政治家たちが戦争で守れると主張する「主権」、「民主主義」、「自由」はどこにあるというのだろうか」という部分に強く共感すると述べた。私も、核兵器使用の危機は迫っているし、日本では国家あげての戦争準備が進められていることに危機感を抱いているだけではなく、「全てが静寂になってしまったとき」というフレーズにカントの「永遠平和のために」を感じたからである。
その上で、日本反核法律家協会の紹介と日本国憲法9条の話を続けた。9条の背景には原爆投下があったこと。つまり、今度、世界戦争になれば核兵器が使用されて人類社会は滅びるかもしれない。だから戦争をしてはならない。戦争をしないのであれば戦力はいらない、という論理を時の政府は展開していたことなどを紹介した。また、世界には軍隊のない国が26ヵ国あるのだから、核兵器も戦争もない世界の実現は決して夢物語ではないことも発言した。
そして、現在問われているのは「核兵器による平和か」、「平和を愛する諸国民の公正と信義による平和」かである。私たちの選択は明らかではないかと提起した。
最後に、皆さん方の考えが台湾では多数派でないことは承知している。私たちの主張も同様に国内では少数だ。けれども、皆さん方のような人が台湾にいることを知ったことはうれしい。私たちのような日本人がいることも知って欲しいと結んだ。
三人とも大きく頷きながら聞いてくれていた(ように見えた)。同行したメンバーは「いい交流ができた」と言ってくれた。有意義な時間だった。
まとめ
米国の対中政策が「関与」から「対立」へと変わったせいで、日本も台湾も中国との「熱い戦い」に巻き込まれるかもしれない。5月20日、中国の呉江浩駐日大使が、日本が「台湾独立」や「中国分裂」に加担すれば「民衆が火の中に連れ込まれることになる」と発言したという。それを問題発言だと騒ぎ立てる勢力があるけれど、「敵国」の大使が言っているのだからその危険はあると受け止めることが肝要であろう。「台湾有事は日本有事」というのは、「火の中に巻き込まれる」危険を自ら招くようなものだということを忘れてはならない。
私たちに求められていることは、米国の扇動に乗って軍事力を強化することでも、台湾に味方することでもなく、人々の英知を集め、米中対抗の下でのより冷静で平和的な日本独自の進むべき道を考え出すことであろう。武力衝突となれば核兵器が使用され「すべてが静寂となる」かもしれないからである。(2024年5月30日記)
2024.5.31
私は、寅子は幸せだと思う。父の直言は寅子を宝物だとしていたし、夫の優三は、寅子が自分らしい人生を送ることが望みだとしていたからだ。父や夫からそんな風に思われている女性は多くはないだろう。私はそう思われている人は幸せだろうし、また、そう思う対象がいる人も幸せだろうと思う。
では、寅子はどうして父や夫からそう思われたのだろか。直言や優三のキャラもあるだろうけれど、二人とも寅子の飽くなき挑戦心に魅力を覚えていたのではないだろうか。高い目標を持ち人並外れた努力をする人に喝采を贈りたいことは理解しやすい心情である。けれども、自分の身内が、世間の常識とは外れた行動をとろうとすると、それに水をかけようとする現象もありふれている。自分の子どもが困難な道を進もうとすることに不安を覚えたり、パートナーの幸せよりも自分の幸せを優先することなど決して不思議ではない。けれども、寅子はそうではなかった。父と夫がよき理解者だったのだ。だから、寅子は幸せだと思う。もちろん、そんな期待をされれば責任を伴う。
寅子が素晴らしいのは、そんな父や夫の期待に応えて、「男女平等」に挑戦し続けたことだ。
日本国憲法14条と13条がドラマの中で紹介されていた。
14条は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的、又は社会的関係において差別されない。」、「華族その他の貴族の制度は、これを認めない。」と読まれていた、ドラマでは割愛されていたけれど、14条には、栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴わない…、などという条項もある。
13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に関する国民の権利については公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と全文読まれていた。
女性差別を身をもって味わい、それに抗ってきた寅子からすれば、「性別により、社会的関係において差別されない」などというフレーズは「天からの贈り物」のように思われたであろう。
自分が個人として尊重され、その生命や自由や幸福になりたいという欲求が国政の最優先事項になることなど、誰もが想像できなかったことであろう。戦争や戦力の放棄と合わせて、「新しい時代が始まる」という解放感を多くの人が覚えたであろう。
ところで、性別による差別を考えるうえで忘れてはならない条文がある。憲法24条だ。
その1項は、「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」その2項は、「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」とされている。長い条文なので朝ドラで紹介するのは難しいかもしれないけれど、寅子の今後の仕事にもかかわるので、引用される機会があるかもしれない。
ご承知の方も多いと思うけれど、この条文が憲法に書き込まれるうえで大きな役割を果たしたのが、ベアテ・シロタ・ゴードンである。彼女は、1923年(大正12年)、父レオ・シロタと母オーギュスティーヌの間にウィーンで生まれ、1929年(昭和6年)5歳で来日する。15歳で、サンフランシスコのカレッジに留学し、米国で生活する(両親は日本在住なので、往来はあった)。1945年(昭和20年)12月24日、GHQの民間人要員として日本に赴任。当時、22歳の彼女は、GHQ民生局の一員として、日本国憲法の男女平等の条項を起案する。日本の実情を知っている彼女は、「私は日本の国がよくなることは、女性と子供が幸せになることだと考えていた。だから、色々な国の憲法を読んでも、その部分だけが目に入ってきた。」と回想している(『1945年のクリスマス』・朝日文庫・2016年)。
三淵嘉子さんは1914年(大正3年)生まれだから、憲法が公布された1946年(昭和21年)は32歳である。司法省に裁判官としての採用を申し出るのは1947年3月である。その時の人事課長は石田和外氏(ドラマでは桂場等一郎)。その後、嘉子さんは裁判官になる。
嘉子さんがベアテさんのことをどの程度知っていたかどうかは知らない。けれども、寅子がひたすら求めた男女の平等が、嘉子さんよりも10歳ほど若いベアテさんの尽力があって、日本国憲法24条として結実したことは史実である。
ベアテさんは私の母と同じ年に生まれている。私の母は101歳を迎えた。ベアテさんは2012年89歳で永眠している。私は日本国憲法が施行された1947年に生まれている。私はベアテさんの想いを継承したいと思う。母は私を宝物だという。私は、嘉子さんやベアテさんや母たちがこの100年をどんな想いで生きてきたのか、その想いにどう応えればいいのか、朝ドラの超速い展開の中で考えている。(2024年5月31日記)
2024.5.21
「虎に翼」の寅子が高等文官試験司法科(司法試験)に合格するのは1938年(昭和13年)のことだ。その時の憲法の試験問題は「天皇ノ国法上ノ地位ヲ明ラカニス」と「立法権ノ意義及範囲ヲ論ス」だったそうだ。埼玉弁護士会憲法委員会のメーリスで教えてくれた人がいたのだ。このメーリスでは「虎に翼」をめぐって面白いやり取りが行われていて楽しい。「虎に翼」は憲法問題の宝庫なのだ。
教えてくれた長沼正敏弁護士は、「第1問は天皇機関説を書きますかね」と問題提起していた。私は「凄い問題だね。忠誠心を確認しようというのだろうか。天皇機関説攻撃は1935年だからね」とレスしておいた。
もちろん、寅子がどんな答えを書いたのかは知らない。もし、自分がその時の試験を受けていたらどんな答えを書いただろうかと想像してみても何も浮かんでこない。現在の司法試験では自衛隊の合・違憲性を問う問題は出ないという「都市伝説」があるようだけれど、当時は、ストレートに天皇政府への忠誠心を問いかけたのかもしれない。
ところで、『新版体系憲法事典』(杉原泰雄執筆)によれば、「天皇機関説」というのは、美濃部達吉の「国家は地域を基礎とする団体的人格者(法人)であって、統治権を固有する。天皇は統治権の所有者(権利主体)ではなく法人たる国家の機関だ」という考え方である。他方、上杉愼吉は「天皇をもって統治権の主体なりとなすのみ、共同体をもって、統治権の主体となさざるのみ」として天皇即国家という立場をとっていた、とされている。
この「天皇機関説」については、「美濃部は、天皇を国家の機関とすることによって、絶対君主制を否定しようとした」と評価されているので(杉原泰雄)、当時の支配層がこの学説を「危険思想」とみなし、美濃部を「異端者」として追放しようとしたことは、容易に想像できる。古今東西を問わず、異端を許さないことは権力の属性だからだ。「焚書坑儒」や「マッカーシー旋風」(赤狩り)がその例だ。
それはそれとして、寅子は憲法を誰の教科書で勉強したかである。前川喜平氏は、東京新聞5月12日の「本音のコラム」で、5月7日の放送で寅子の机の上に置いてあったのは上杉愼吉の『新稿憲法述義』だったとしている。私はそのことに気が付かなかったので、前川氏の観察眼は凄いと思うし、前川氏も言うように製作者の「念入りな考証」はさすがだとも思う。だとすれば、寅子は「天皇即国家」という「正統学派」の教科書で勉強し、答案を書いたことになる。
「天皇機関説」は学会では多数説だったようであるが、政治の世界では「国体の本義に悖る」として貴族院・衆議院で糾弾され、内務省は美濃部の主要著書を発禁処分とし、全ての大学で国家法人説の講義は排除された。1935年のことである。
何やら、最近の学術会議に対する政府や与党の対応と通底している。権力者が学問の世界に口を出すとき、その国は破綻に近づくことになる。「真理」よりも「ご都合主義」が蔓延るからだ。だから、この国も危ない。
前川氏は「自主憲法制定運動を率いた岸信介は上杉の愛弟子だった。戦後の歴代首相の指南役といわれた安岡正篤や四元義隆も上杉の門下生だった」と書いている。上杉愼吉は、政治の世界で日本をおかしくした人たちに影響を与え続けたようである。
寅子は上杉本で勉強したようではあるけれど、「ハテ?」という精神を持ち続けたので、私たちをひきつけているのであろう。
自民党「改憲草案」第1条は「天皇は日本国の元首である」としている。自民党の諸君は、いまだ大日本帝国憲法当時の「天皇観」、「国家観」に囚われているようである。
寅子たちの受験時代は「こんな人たち」がもっともっと幅を利かしていたのであろう。
寅子はその後「新憲法」に勇気づけられることになる。
私も、再度、「新憲法」を反芻してみようと思う。(2024年5月13日記)
2024.5.9
5月8日、午後1時から2時30分までの1時間30分、参議院の憲法審査会を傍聴してきました。8会派(自民、立憲・社民、公明、維新、国民、共産、れいわ、沖縄の風)各7分の意見表明と個人の意見表明各3分間話を聞いてきました。
早く改憲案を提起すべきだとしていたのは維新でした。時間も金もかけた、改憲案ができていないのは怠慢だというのです。審査会の様子をNHKで中継するべきだとも言っていました。私も中継には賛成ですが、維新はその正体がばれるのが心配ではないのだろうかと思いました。私は維新の基本姿勢も創設者たちも嫌いなのです。物は知らないし、論理は無視するし、倫理観は低いし、目先のことしか言わないからです。
裏金にまみれた議員が沢山いるのに、それを棚に上げて改憲を進めるのはおかしいという意見が、立憲・社民、共産、れいわから出ていました。れいわの山本太郎議員は「犯罪者集団」にそんな資格はないと言っていました。不穏当発言だとして幹事会で議論されるようです。 彼の話を聞くのは2回目だけれど、私は彼の話は好きです。共産党の山添議員の話も引き込まれるように聞くことが多いけれど、山本さんの話は耳に入りやすいのです。ただ、言葉を選んだ方が無用なトラブルは少なくなるだろうとは思います。
社民の福島議員は、裏金議員を除けば、各議院の改憲派は3分の2を切るだろうと言っていました。なるほどそうなのかと感心しました。
立憲の辻本議員は、裏金議員が審査会に出ていることを暗に非難していました。「そうだ」との掛け声が飛んでいましたが、私は誰か分からなかったので名指しして欲しいと思いました。
自民党佐藤正久議員(元自衛隊の髭の隊長)は、緊急事態に際して参議院緊急集会がほんとうに機能するのかどうか、論点整理をするべきだと言っていました。公明党の西田議員も同趣旨のことを言っていました。立憲の小西議員もその点は大事な論点だと言っていました。緊急集会は参議院の最も重要な機能ですから、その議論は不可欠です。この論点での審査が進むかもしれません。緊急集会があれば緊急事態における議員任期延長など不要だという結論を出して欲しいて思っています。その議論に時間をかければ、改憲発議の時期は遅れます。参議院の与党議員の足を止める必要があるし可能かもと思いました。
共産党の仁比議員は、喫緊の課題は憲法の人権条項を実現することだとして、例えば、裁判所が違憲だと言っている同性婚などについての議論をするべきだと言っていました。改憲よりも憲法の実施が先だろうという立論です。「さすが、仁比くん」と思って聞いていました。
LGBTQの当事者だという立憲の石川大我議員も同性婚について触れていました。こういう場所で少数者の意見を堂々と言えることはうれしいと言っていました。心がこもっていました。
地方自治法の改正は地方自治を否定するものだという議論もされていました。木村草太さんの意見を引用する議員もいました。これも必要な議論だと思います。
記憶に残ったのは、ある自民党の委員が、ウクライナ憲法には緊急事態条項があったから、戒厳令も出せたし、選挙の先送りも可能だったので、現在のような状況に収まっている。もしなかったら、もっと混乱していただろう。だから、日本にも緊急事態条項が必要だと言っていたことです。
ところで、佐藤正久氏は、日本列島は地政学上、最も危険な場所だとしています。中国やロシアについては、こんなことを言っています。
太平洋に出ようとするときに、通せんぼするように日本列島がある。ロシアや中国からすれば、「あぁ、邪魔だ。日本が自国領ならスムースに太平洋に出られるのに」と、地団駄踏みたい気持ちでしょう(『知らないと後悔する日本が侵略される日』幻冬舎新書、2022年)。
彼らは、中国やロシアが日本を攻めてくることを前提に物事を考えているのです。だから防衛力を強化しようというのです。どうすれば攻めたり攻められたりしないようになるかという問題意識はないようでする。どうしても武力(米国の「核の傘」も含め)が必要だというのです。彼は本気でそう思っているのです。それが国と国民を守る唯一の方法だというのです。そして、そういう人は決して少なくないのです。
もう一つ。山本太郎議員は、現に発生している災害被害に具体的対策を講じない政府や与党に緊急事態を語る資格はないとしていました。無策の災害をいくつか挙げての議論でした。与党批判だけではなく野党に対する批判も言っていました。支持者が増えるのは無理もないなと思って聞いていました。
あっという間の1時間30分でした。皆さんが原稿を用意していて時間を守っていました。納得できない意見はありますが、真剣さは伝わってきました。貴重な時間でした。
傍聴席に着くまでにいろいろチェックがあることはいかがなものかと思うけれど(とにかく面倒だった)、議員の皆さんの生の声を聴けたことはよかったです。ぜひ、多くの皆さんに傍聴して欲しいと思いました。
私たちは主権者であり、憲法改正権者であることは忘れないようにしたいと思っています。この国の未来は自分たちで創らなければならないのだから。(2024年5月9日記)
2024.5.7
寅子の父の直言(なおこと)が、汚職事件にかかわったとして、逮捕、勾留、予審、公判を体験している。ドラマでは「共亜事件」とされているけれど、「帝人事件」がモデルだといわれている。「帝人事件」というのは、帝国人造絹糸(株)(現、帝人)の株式売買が汚職として追及され,斎藤実内閣の倒壊を招いた事件。被疑者には200日以上の長期拘留、革手錠などの過酷な扱いがなされ、〈司法ファッショ〉の非難を呼んだ。16名が背任罪・贈賄罪などで起訴されたが,1937年12月虚構による起訴として全員無罪の判決が下った。平沼騏一郎を中心とする右翼勢力の倒閣策動に連なって仕組まれた事件(改訂新版「世界大百科事典 」)とされている。
三淵嘉子さんの父は台湾銀行に勤めていたけれど、「帝人事件」にはかかわっていないので、直言の受難はフィクションである。ドラマでは、寅子やその友だちが取調調書と母の日記の矛盾に気がついて、検察のでっち上げが暴かれるというストーリーになっていて、なかなか面白かった。
けれども、面白かっただけではすまないことがある。検事が無実の直言を逮捕し、4か月にわたって身柄を拘束し、トラウマになるくらい脅し、関係者のためだなどと噓をついて、直言に自白を強要していたことだ。
直言は事件に関与していないし、そもそも、その事件は「池の水に映った月」だったのだから、自白しようにも自白の材料などないのだ。にもかかわらず、直言は自白しているのだ。なぜ、やってもいないことを自白するのだろうか。
18世紀のイタリア人啓蒙思想家ベッカリーアは『犯罪と刑罰』の中で書いている。
「われわれの意思行為は、その行為の原因となっている感覚に及ぼす影響に比例する。しかも人間の感受性には限界がある。だから苦痛の圧力が、被告の魂の根かぎりの力を食いつくしてしまうまで強まったとき、彼はその瞬間もう目の前の苦痛から逃れる最も手っ取り早い方法をとることしか考えなくなる。こうして、責め苦に対する抵抗力の弱い無実の者は、自分は有罪だと自分で叫ぶのだ。」
直言の行動を観ていると、このベッカリーアの指摘がいかに正しいかが理解できる。直言は、検事の責め苦に負けて、「自分はやっている」と叫んだのである。これは、直言が弱いからではない。普通の人はそういう反応を示すのだ。ベッカリーアのこの文章は「拷問」にかかわることではあるけれど、検事の取調べは「拷問」と同じ効果を直言に与えていたのである。これが、大日本帝国時代の刑事司法の実情である。
だから、日本国憲法は、拷問を絶対的に禁止しているし(36条)、不利益供述の強制もされないとしている(38条1項)。そして、自白だけで有罪とはされないとことにもなっている(38条3項)。
けれども、現在の日本においても、長期間の勾留や捜査官による事件の捏造は後を絶っていない。その端的な例が、生物兵器の製造に転用可能な噴霧乾燥機を経済産業省の許可を得ずに輸出したとして、2020年3月11日に警視庁公安部が横浜市の大川原化工機株式会社の代表取締役らを逮捕したけれど、杜撰な捜査と証拠により冤罪が明るみになった「大河原化工機事件」である。現在も、犯罪の捏造が行われているのだ。
捜査官憲による長期の身柄拘束は「冤罪」の温床である。ちなみに、「冤」という字は、兔が網にかかっている状態を意味しているそうだ。
その身柄の拘束権限は裁判官にある。大日本帝国憲法時代、「司法権は天皇の名において裁判所が行う」とされていた(57条)。日本国憲法の下では、「司法権は裁判所に属する」とされている(76条1項)。法廷に菊の御紋章はない。
裁判官は天皇の官吏ではないし「独立してその職権」を行使するとされている(76条3項)。けれども、この国の刑事司法は未だ冤罪を生み出しているし、「人質司法」から解放されていないのである。
私は、この間の「虎に翼」には、直言の受難を組み込み、無罪判決を5月3日に放映したことからして、日本国憲法や現在の司法の実情にも目を向けて欲しいとのメッセージが込められていたのではないかと受け止めている。
寅子たちの活躍も楽しいけれど、制作にかかわる人たちも、それぞれの立場で、視聴者に訴えたいテーマを持っているのかもしれない。今後も楽しみにしよう。
(2024年5月6日記)
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