▲TOP



大久保賢一法律事務所



ホームページをリニューアルいたしました。
→トップページ


2025.10.9

高市早苗氏が危険な理由

はじめに

 高市早苗氏(1961年3月7日生)が自民党の総裁に選出された。このままいくと内閣総理大臣になるようだ。私は何とも暗澹たる気分になっている。なぜなら、私は彼女が嫌いだし危険人物だと見做しているからだ。どうしても嫌悪感を覚えてしまうという個人的な感情にとどまらず、彼女は首相として危険な資質を持っていると考えているのだ。

 彼女は「自分は戦後生まれだから、戦争責任など問われる立場にない」と公言している。もちろん、彼女がどのような歴史観を持つかは彼女の自由だ。けれども、彼女は国会という「国権の最高機関」(憲法41条)のメンバーというだけではなく、法を執行し、国務を総理し、外交を処理する内閣(憲法73条)の責任者になるかもしれないのだ。ある国の政治的最高責任者がどのような歴史観を持つかは、その国の政治に直結することになる。

 だから、その責任者の歴史認識は問われなければならない。「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすい。」というワイツゼッカーの言葉を引用するまでもなく、歴史から学ぶことは、誰にとっても、とりわけ政治家にとっては、必要不可欠な作業である。 けれども、彼女はそれを拒否しているのである。だから、彼女は危険なのだ。この小論は彼女のそのスタンスを紹介するためのものである。なお、出所は衆議院の資料である。

1994年10月12日衆議院予算委員会 
 この日、高市氏は次のような質問をしている。テーマは村山富市首相(当時)の歴史認識である。ちなみに、「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題する「村山談話」は1995年8月15日である。この談話には「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」という一文がある。この質問はこの談話以前の応酬であるが、事の本質は変わらない。

高市委員:
高市早苗でございます。改革(自由改革連合などを含む会派。大久保注)を代表して質問をさせていただきます。終戦五十周年を目前にしまして、私たちは歴史の見直しという政治家としての生涯最大のテーマにかかわろうとしているのではないかという緊張に、非常に恐れを感じております。選挙区で遺族会の方々から、出征して死んでいった夫というのは侵略戦争に行ったんでしょうかという問いかけをされております。また、奈良護国神社の宮司様は、おまえのところは犯罪人を祭っておるのかという嫌がらせの電話に悔し涙を流しておられました。そんなせつない思いをされている方々のために、きょうは侵略戦争について、いつもの答弁よりも具体的な御説明をお願いしたいと思います。(中略)
まず、総理は、七月、九月と二度の所信表明の中で、さきの大戦への反省、それから過去の侵略行為や植民地支配といったものに触れられまして、八月の全国戦没者追悼式におきましては、私たちの過ちによって惨たんたる犠牲を強いられたアジアの隣人たちという言葉をお使いでしたけれども、具体的にはどの行為を指して侵略行為と考えておられるのでしょうか。また、総理の言われる過ちというのは具体的に何を指すのか、法的な根拠のある過ちだったのかどうかもお答え願います。

村山内閣総理大臣:
私は、侵略的行為や植民地的支配という言葉を使わせていただいたわけですけれども、やはりあの戦争の中で日本の軍隊が中国本土をどんどんどんどん攻め込んでいった、それから東南アジアのいろいろな国に攻め込んでいった、そういう行為を指して侵略的な行為、こういうふうに申し上げておるわけです。

高市委員:
それでは、法的根拠のある過ちということではございませんか。

村山内閣総理大臣:
いや、その法的というのは何法に対してこう言っているのか、よくちょっと理解できないものですからね。

高市委員:
大戦当時は総理も一応若者だったと思うのですけれども、国民として侵略行為への参加の自覚がございましたでしょうか。

村山内閣総理大臣:
私は、一年間兵隊におりました。それで、幸か不幸か、外地に行かずに内地勤務でずっとおったわけです。しかし、あの当時のことを思い起こしますと、私もやはりそういう教育を受けたということもありまして、そして国のために一生懸命頑張ろうというような気持ちで参加をさせていただきました。

高市委員:
つまり、侵略行為への参加という自覚はその当時お持ちじゃなかったということなのですが、総理大臣という地位にある人は、五十年前の政権の決定を断罪し、その決定による戦争を支えた納税者やとうとい命をささげられた人々のしたことを過ちと決める権利があるとお考えでしょうか。

村山内閣総理大臣:
私は、兵役に服して、そして国のために一命をささげて働いてこられたすべての人方に対して誤りだったというようなことは申し上げておりませんよ。しかし、これはまあ歴史がそれぞれ評価する問題点もたくさんあるかと思いますけれども、しかし、当時の日本の軍閥なりそういう指導者のやってきたことについては、これは、今から考えてみますと、やはり大きな誤りを犯したのではないかということを言わざるを得ないと私は思います。

高市委員:
今のように、当時の軍閥ということで侵略行為そのものの責任の所在をある程度明らかにされたわけですけれども、それでしたら、アジアの人々に対してのみならず侵略行為に加担させられた英霊に対し、また軍恩や遺族会の皆様に対しても、この場で謝罪の意を表明していただけませんでしょうか。

村山内閣総理大臣:
ですから、私は慰霊祭にも集会にも参りまして、そして率直に今国の立場と、国の責任と考えていることを申し上げたわけでありまして、私自身がそういう方々にここで謝罪をしなきゃならぬという立場にあるかどうかというのは、もう少し慎重に考えさせてもらいたいと思います。

高市委員:
それにしてはアジアに行かれたとき随分謝罪的な言葉を発せられて、日本国を代表して謝っておられるのかと私は感じていたのですけれども、日本に過ちがあった、過去に過ちがあったと総理がおっしゃいます。その責任は、もちろん過ちがあったとすれば日本国全体が負うものですけれども、国内的にはそれではその責任の所在というのはだれにあるのか、個人名を挙げてお答えいただきたいと思います。

村山内閣総理大臣:
これはだれにあると個人名を一人一人挙げるわけにはまいりませんけれども、当時の、軍国主義と言われた日本の国家における当時の指導者はすべてやっぱりそういう責任があるのではないかというふうに言わなければならぬと思います。

高市委員:
その五十年前の当時の指導者がしたことを過ちと断定して謝られる権利が、現在、五十年後にこの国を預かっておられる村山総理におありだとお考えなのでしょうか。

村山内閣総理大臣:
私は、今日本の国の総理大臣として、総理として日本の国を代表してアジアの国々に行けば、そういうふうに被害を与えた方々に対しては、大変申しわけなかったと、やはりその反省の気持ちをあらわすのは当然ではないかと思うのですよね。それはやはり含めて日本国民全体が反省する問題として私は受けとめて、過ちは繰り返さないようにするというぐらいの決意はしっかり持って、平和を志向していく方向に努力していきたいというような意思もあわせて表明することは、当然ではないかというふうに思っています。

(中略)

高市委員:
とにかく来年終戦五十周年ということで何らかの国会決議がされる動きもあると聞いておりますけれども、これが一方的に謝罪決議、それも国民の合意なき謝罪決議ということでなく、私はむしろ不戦決議、これから戦争をしない、お互いに平和をつくっていこうという平和決議であるべきだと個人的には考えておりますけれども、とにかくあちらこちらに出向かれて謝罪をされる、過ちだと言われる。それでしたら、何が侵略行為であったのか、具体的にはだれに責任の所在があるのか、そして、国民的な議論を代表して、総理が日本国の代表として出ていかれる、そういった下地をぜひ整えていただきたいと思います。私たちの世代にとっても本当に大事な、これは歴史の見直し、大変な課題なんですね。特に戦争を知らない世代でございますから、その責任を非常に強く感じております。歴史的な検証も十分に行った上で決断を下していただきたく思います。

 このように、高市氏は、村山首相(当時)対して、戦後50年にあたっての反省と謝罪に注文を付けているのである。「何が侵略行為であったのか、具体的にはだれに責任の所在があるのか」それを明確にしろというのである。それは戦争を知らない世代である自分にとっては「歴史の見直しという大変な課題」だという立場からの質問である。反省と謝罪を拒否する執念がひしひしと伝わってくる。他方、統治者たる天皇とその「赤子」たる人民の違いを完全に無視する幼稚な論理でもある。これが彼女の正体なのであろう。

1995年3月16日の衆議院外務委員会
 高市氏の当時の所属会派は新進党である。彼女はこの場で栗山尚一駐米大使(当時)の発言が掲載された新聞記事を題材に質問している。答弁者は河野洋平外務大臣である。

高市委員:
三月七日にワシントンDCで栗山駐米大使が記者会見して、国会の謝罪決議に関連して話された記事を新聞で読んだのです。栗山大使は「日本がきちんと第二次世界大戦にいたった歴史を見据え、その反省のうえに立って戦後の日本があることを忘れてはならない。若い世代もこれを知っておかねばならない」と強調し、何らかの形で「反省」を明確に打ち出す必要があるとの考えを明らかにした。」と記事に書かれてあるのですけれども、日本国政府としての考え方は栗山大使のおっしゃった方向だと考えてよろしいでしょうか。

河野外務大臣:
大使の記者会見を私、詳細承知しておりませんので、今それについてコメントをするだけのものを持っておりません。しかし、大使が記者会見で述べる問題につきましても、すべて国を代表して述べているというふうには私ども思ってはおりません。

高市委員:
しかし、先ほど確認させていただきましたとおり、大使というのは国を代表する存在で、それも何かプライベートな会合でお友達に言ったというのじゃなくて、わざわざ記者会見を開いておっしゃったことなんですから、外務大臣として外務省職員の公的な場での発言には責任を持っていただきたいと私は思います。大使が外で記者会見を開いて何を言っても、それは別に国を代表することじゃない、関知しないというお考えになるのでしょうか。

河野外務大臣:
会見のすべてをそうだとは思っていないと申し上げております。
(中略)

高市委員:
栗山大使の発言、…手元にございますのでもう少し紹介させていただきます。
憲法と反省の関係について言っておられることなんですが、「日本国民全体の反省があるから戦後の平和憲法に対する国民の熱心な支持がある。また、新憲法の下で政治的自由、民主主義体制の支持があるのも反省があるからこそ。日本国民は反省をきちんと持ち続けなければならない」と、日本国民全体の反省があると決めつけておられるのですけれども、少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております(強調は大久保)
新聞社の世論調査では、謝罪すべきではないと答えた人が四七%、謝罪すべきだと答えた人が四三%でございまして、まさしく現在国論が謝罪ということについて真っ二つに割れている状態なんですが、このような状態のまま、国会での多数決で、わずかに多い方の意見を日本国民の総意として国際社会に示すことこそが民主主義への冒涜であり、また国民の代弁者たる国会議員の越権行為だと私は考えますので、私自身は、このような歴史の問題というのは国民一人一人の思想や価値観にもかかわることですし、国会決議にはなじまないだろうなと思っているわけですが、民主主義という言葉を記者会見で持ち出した栗山大使自身が民主主義を軽んじているんじゃないか、私は彼の発言を新聞記事で読んでそう思ったのですけれども、大臣自身はこの問題についてどうお考えでしょうか、御見解をお聞かせください。

河野外務大臣:私は議員と全く見解を異にいたします。

高市委員:どのように違うんでしょうか。

河野外務大臣:
過去の戦争について全く反省もしない、謝罪をする意味がないという議員の御発言には私は見解を異にすると申し上げました(強調は大久保)。

 当時、高市氏は新進党所属で野党である。政権与党は自民党、社会党、さきがけであった。彼女はここでもネチネチと質問をしている。日本国として反省や謝罪などはしてはならないという牢固としたと執念がそこにある。そして、それを頼もしく感ずる勢力が間違いなく存在するのである。
 ちなみに、高市氏の初当選は1993年である。所属は新進党である。その後、新進党 → 保守党 → 保守クラブ → 新党改革と保守系の小政党を経て2002年に自民党に合流している。

まとめ
 高市氏は栗山大使の発言は、「日本国民全体の反省がある」という決めつけであり「私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもない。」と断言しているのである。ワイツゼッカーと対局の姿勢である。私はここに彼女の危険性を見ている。
 そして、河野洋平外務大臣(自民党総裁)は高市氏の質問に対して「私は見解を異にする」と正面から反論していた。この河野氏の評価はどこに消えたのだろうか。雲散霧消してしまったのであろうか。高市氏がその歴史認識を変えたという話は聞かない。自民党は河野氏の見解を放棄し、高市色に染められたのであろう。私はここに自民党の堕落を見ている。
 今、この国は「新憲法」の価値など眼中にない「戦争を知らない」ので戦争について「反省するいわれもない」と確信する政治家が首相になろうとしているのである。高市氏を恐れる必要はないけれど侮ってもならないであろう。私たちは心して対処しなければならない。(2025年10月5日記)

-->


Copyright © KENICHI OKUBO LAW OFFICE