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大久保賢一法律事務所



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2025.11.6

高市早苗首相の「立憲主義」の無理解

『毎日新聞』のコラム
 『毎日新聞』の夕刊に「今日も惑いて日が暮れる」というコラムがある。吉井理記氏の筆である。10月29日は「高市さんの憲法観」というテーマだった。憲法学者の小林節氏と高市早苗氏の「立憲主義」についてのやり取りを紹介している興味深いものだった。小林氏は、もともとは憲法9条改正を訴え、自民党や読売新聞の憲法改正の理論的支柱だった人だけれど、今は、「護憲派」として『赤旗日曜版』の拡大に協力している人だ。「変節」という人もいるけれど、ご本人は「今なお学んで、進化し続けているということだ。成長の一過程だ」として意に介していないようだ。私も「護憲派」から「改憲派」に鞍替えするのは「転向」だと思うけれど、この「進化」は大いに歓迎している。
 コラムによると、その小林氏が高市氏を痛烈に批判していたことがあるという。小林氏が「憲法は、国家権力が乱用されて国民の人権を侵害しないよう、あらかじめ縛っておくものだ。近代国家の前提である『立憲主義』という考えだ」だと説明したら、高市氏が「私はその考えをとりません」と言ったというのだ。それは、2006年5月18日の衆議院憲法特別委員会に端を発している。

憲法特別委員会でのやり取り
 2006年5月18日、衆議院憲法特別委員会に小林節氏が参考人として出席している。高市氏は自民党の議員として小林氏にこんな質問している。「おそらく先生は、憲法というのは国家の権力を制限する、国民の権利を守るための制限規範的なとらえ方を主に持ってくるべきだというお考えなのだろうと思います。それは憲法の重要な役割なんだと思うんですが、私自身は、昨今、やはり国民の命を確実に守る、それから領土の保全、独立統治というものを確保するために、国家に新たな役割を担ってもらう授権規範的な要素もいくらかは必要だと思います…。」
 これに対し小林氏は「権力というのは、歴史上、本質的に濫用、堕落する危険がある。それは人間の本質で、これは一向に改まっていません。古今東西」、「だから歯止めをかけておく。濫用されたとき跳ね返す。これ憲法の基本的役割なんですね。これなくしては憲法じゃなくなっちゃうんですね。…制限規範、授権規範なんて、…そこを強調することは非常に目新しいけれども、それは誤用であると申し上げておきます。」と答えている。
 それに対して高市氏は「私自身は誤用であると思っていない」と反応するのである。

高市首相の「立憲主義」理解
 この質疑には「私はその説を取りません」という言葉は出てこない けれども、高市氏の質問は、制限規範とか授権規範とかの用語を使用しながら、憲法の権力に対する制限規範としての役割を減殺しようとしていることは見え見えである。また、小林氏に、その用語の使用について「非常に目新しい」などと(私から見れば)皮肉られているにもかかわらず「誤用ではない」と言い張っているのである。このやり取りを体験している小林氏が、高市氏は立憲主義について「私はその考えをとりません」と言っていると紹介しても曲解ではないであろう。彼女の立憲主義についての無理解は明白だからである。

高市首相の理解の問題点
 小林氏が説明している「立憲主義」はいわば憲法学における「公理」のようなもので、個人が採用するかどうかという問題ではない。彼女の物言いはあえて言えば「私は『1+1=2』という考えはとりません」と言っているようなものなのだ。フェイスブックでは「これは驚きましたね。立憲主義って国家の動かし方は憲法で決めるというものですが、それを取らないということは、憲法にしたがって就いた内閣総理大臣という地位も、私は認めないということですよ」、「うちは労働基準法採用していません、っていう中小企業のシャチョサンみたい」、「この人は憲法を校則ぐらいにしか考えていないのだろうか?だとしたら危険極まりない人だ」、「国会議員にも憲法学や法学概論に関する研修の履修を義務付けるべきかと思いますね」などと盛り上がっている。

まとめ
 今、この国ではこういう人が首相をしているのだ。私は、高市氏が「戦後生まれだから戦争責任などはない」とか「さもしい顔して貰えるものは貰おうとか、弱者のフリをして少しでも得をしよう、そんな国民ばかりになったら日本国は滅びてしまう」という発言をしていることは知っていたけれど、立憲主義を理解していないことは知らなかった。おまけに、彼女は非核三原則の「持ち込ませず」を見直そうと言っているし、トランプ大統領の核実験再開指示に反対していないのである。彼女は「悪魔の兵器」に依存しているのである。そもそも日本国憲法など眼中にない人なのであろう。
 けれども、彼女の支持率は高いのだ。しかも、若年層の支持率が高いのだ。「その国の民度はその国の宰相を見ればわかる」そうだから、この国の民度はこの程度なのかもしれない。けれとも、この国で同時代を生きているのだから、それを冷笑すればいいというわけにもいかないであろう。何とかしなければいけない。(2025年11月4日記)

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2025.10.15

核武装は安くない

 参政党の塩入清香(しおいり さやか)氏が、7月3日に配信された日本テレビの番組で「あの北朝鮮ですらも核兵器を保有すると、国際社会の中でトランプ大統領と話ができるぐらいまでにはいく」、「核武装が最も安上がりで、最も安全を強化する策の一つ」と述べたことは記憶に新しい。参政党の国会議員のうち6人は「日本は核兵器を保有すべきだ」としているから(『毎日新聞』8月1日付)、参政党の諸君は核兵器を廃絶するなどとは全く考えておらず、日本も核武装すべきだとしているようである。私はこのような考えを心の底から忌み嫌っている。

 その理由は、そもそも「核と人類は共存できない」と考えているからだ。私は被爆者の証言や「原爆裁判」などから核兵器が「死神であり、世界の破壊者」あることを知っている。だから、核兵器が必要だとか役に立つなどという連中は人間として許せないし「死神のパシリ」とみなしているのである。
 それに加えて、日本は核兵器不拡散条約(NPT)の加盟国として、核兵器を保有しないという条約上の義務を負っているからである。憲法は、締結した条約は誠実に遵守するとしているし(98条)、国会議員は憲法を尊重し擁護する義務を負っている(99条)。だから、国会議員は「核兵器保有」を言ってはならない立場にあるのだ。よって、日本が核武装すべきだとする議員はNPTや憲法を無視する「無法者」ということになる。

 このことだけでも、参政党の諸君の非人間性と無知は明らかではあるけれど、それに加えて、核武装は決して安上がりではないことも知らないようだ。核兵器がいかに「高くつくか」について『毎日新聞』10月10日付夕刊が興味深い記事を掲載している。「『核兵器が安上がりである』と吹聴する人、安易に信じる人がいる。本当なの? あえて核武装の費用対効果を専門家と検証」するという記事である。
 記事は三例を挙げている。1968年と70年に内閣調査室がまとめた「日本の核政策に関する基礎的研究」、山崎正勝東京工業大学名誉教授の見解、鈴木達治郎長崎大学核兵器廃絶研究センター前センター長の見解である。

内閣調査室の報告
 この報告は政府の秘密研究の成果である。その結論は「核武装は可能だが持てない」である。技術や組織、政治、外交などの幅広い観点から検討し、わずかな核兵器で抑止力を維持するのは困難、外交的孤立は不可避、国民の支持も得にくいという理由である。コストについては「10年間に年平均2016億円」とされ、現在の価値に換算すると「8千億円から9千億円」だという。報告書は「財政状況から見て極めて難しい」としていた。政府はコスパも検討したうえで、「核武装」を断念し、米国の核の傘と核兵器不拡散条約(NPT)を選択したのである。

山崎正勝氏の見解
 山崎氏は「核武装すれば世界で孤立する。孤立したら経済的損失は計り知れない」としている。今になって核を持てば、NPTを脱退することになり、北朝鮮のように国連の経済制裁を科され、食料もエネルギーも自給率の低いわが国では国民生活が成り立たなくなるというのである。「核武装するから米国製の兵器は買いませんなんて言えるのか」とも言う。また、核兵器にすれば数千発分に相当するプルトニウムも保有しているけれど、使用済み燃料から取り出したプルトニウムは核兵器に不向きな同位体の比率が高く「現実には1発も作れないのではないか」としている。核武装は政治的選択としても技術的にも無理という結論である。私は現有のプルトニウムが核兵器に向かないということは知らなかった。

鈴木達治郎氏の見解
 「核爆弾を作れたとしても、核武装が安上がりと主張する人は核兵器システムの構築と維持にかかる巨大コストをご存じないのでは」。「抑止力だというなら核弾頭を運搬するミサイル、爆撃機、原子力潜水艦の外、相手の攻撃を検知して反撃するシステムも欠かせない。膨大な投資と時間が必要。核実験も必要だけど、狭い国のどこでやるの? 地震国だから地下でやるのも巨費がかかります」と指摘している。そして、核兵器国の核兵器予算は年約15兆円だったというICANの報告を紹介している。「そもそも、核を持てば安全だなどというのは幻想。米国は9.11の攻撃を受けたし、イギリスもフォークランドで攻められ、イスラエルもハマスの攻撃を受けた。核抑止なんて、結局、相手次第なんだから」という指摘もある。注目したいのは、日米韓の共同研究の結果である。最悪の想定は、台湾有事をめぐる米中の争いで、計24発の核兵器が使用され、短期で260万人が死亡し、放射線の影響で長期的には最大83万人が亡くなる可能性があるとされている。何とも身の毛のよだつようなシミュレーションである。
 記事は「唯一の戦争被爆国が核武装すれば国際的信用は失われ、被爆者を中心とした核廃絶の取組も水泡に帰す。その損失は、もはや金銭では代替できまい」、「新政権発足前に一言お伝えしたい。核武装は決して安くありません」と結ばれている。

 参政党の諸君がどこまで考えて行動しているかは知らない。多分、体系的な思考などしていないであろう。核兵器という究極の暴力についての認識の浅さからして、彼らの無知と無責任さは度を越していると言えよう。彼らのような勢力が一定の力を持っていることも視野に入れなければならないけれど、彼らの言動の虚妄と危険性を暴いてくれる知性も間違いなく存在しているのである。そのことに確信をもって「核兵器も戦争もない世界」を創るための努力を続けることにしよう。(2025年10月13日記)

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2025.10.9

麻生太郎氏の無責任さと危険性

はじめに
 麻生太郎氏(1940年9月20日生)が、高市早苗自民党総裁によって、副総裁に指名された。麻生氏は最高顧問だったけれど副総裁となったのだ。最高顧問は元首相や重鎮議員などが就任する名誉職的ポジションだけれど、副総裁は党内で総裁に次ぐナンバー2であり、役職政策・選挙・人事などに関与するとされている。高市・麻生体制となったのである。私は、高市氏は歴史に学ぶ必要性を否定する危険人物だと評価しているけれど、麻生氏も高市氏に劣らない危険人物だと思っている。その理由は、一つは彼の「ナチスに学べ」発言であり、もう一つは「台湾有事は日本有事」発言である。この小論では、彼の二つの発言を紹介し、その無責任さと危険性を検証する。

「ナチスに学べ」発言
 2013年7月29日。麻生氏は、民間シンクタンク国家基本問題研究所のシンポジウムで「僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)三分の二(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。(略)ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。…憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。」と講演した(辻本清美氏の質問主意書からの引用)。このことは、当時、マスコミでも報道されたので、記憶している人も多いであろう。
 
 この発言は「ナチスの手法を参考にして憲法改正を進めるべきだ」という主張として受け止められた。私もその一人だった。だから、この発言を「プロパガンダの天才」と言われたナチスの宣伝相ゲッペルスが、どのような手法で大衆を動員したかを批判する文脈の中で紹介したことがある(「ゲッペルスのプロパガンダを表現の自由で擁護してはならない」。『「核の時代」と憲法9条』日本評論社、2019年所収)。憲法改正手続きの中で、ナチスの手法など持ち込まれたら大変なことになるという危機感があったのだ。
 
 ところで、この「ナチスの手口に学べ」という表現が、ナチスの独裁的手法を肯定しているように受け取られたので、国内外からの強い批判が寄せられることになった。だから、麻生氏は、8月1日、その発言の一部を撤回している。その理由は「喧騒にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげたところである。この例示が誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい。」というものであった。
 彼は「ナチスのようにワーワー騒がないで静かにやっていく」と言ったけれど、それは「喧騒にまぎれて国民的議論がなかった悪しき例」として挙げたのだ。誤解を招いたので撤回するとしたのだ。これは説明になっていない。そして、誰も誤解などしていない。麻生氏は、ナチスは暴力と陰謀と懐柔で権力奪取をしていたにもかかわらず「ナチスに学べ」と言ったのである。

麻生氏の発言と撤回の意味
 当時、麻生氏は副総理兼財務大臣という要職にあった。私は、そのような立場にある人が「憲法改正」という重要事項について「ナチスに学べ」という発言をすることも大問題だと思うけれど、それをたやすく撤回して、なかったことにすることも大問題だと思っている。「綸言汗の如し」(りんげんあせのごとし。一度口にした君主の言は取り消すことができない、という意味)をここで引用することは適切かどうかわからないけれど、麻生氏が責任感を持つ政治家ならば、たやすく撤回するような発言はすべきではないであろう。権力の中枢にある者は、その発する言葉の重さを自覚すべきだからである。麻生氏にその自覚はないようである。彼はそのような無責任な資質の持ち主なのである。

 ところで、麻生氏の危険性は彼が「ナチスに学べ」としていることである。彼は、ナチスが、ワイマール体制下において政権を奪取していく方法や手段を否定していないのである。そして、ナチスが大戦争を仕掛けていったことにも反対しないどころか、むしろ共感を示しているようである。

 私は彼の論理を次のように受け止めている。ドイツ国民はナチスを選んだ。国民の多数が選んだものは正しい。ナチスは多数を確保するために工夫した。だから、ナチスに学んで「憲法改正」で多数派になろう。政治的多数派は何をしてもいいのだ。多数派になるために何でもやろう、という論理である。
現役の国務大臣が現行憲法の改正を進めるために「ナチスに学べ」というのは、立憲主義も平和主義も全く無視していることになる。立憲主義や平和主義が失われた時「政府の行為によって再び戦争の惨禍がもたらされる」ことになる。麻生氏の危険性の本質はここにある。

「台湾有事は日本有事」
 2024年1月10日。麻生氏(自民党副総裁・当時)は、米国で記者団に「(台湾海峡有事は)日本の存立危機事態だと日本政府が判断をする可能性が極めて大きい」と述べ、日本は中国の台湾侵攻時に集団的自衛権を発動する可能性が高いという考えを示した(『朝日新聞』2024年1月11日)。麻生氏はこれに先立ち「台湾海峡の平和と安定は国際社会の安定に不可欠。日本・台湾・米国は戦う覚悟を持ち、それを相手に伝えることが抑止力になる」 (2023年8月8日の台湾訪問時)とか、「台湾海峡で戦争となれば、日本は潜水艦や軍艦で戦う。台湾有事は間違いなく日本の存立危機事態だ」(2024年1月8日の福岡での国政報告会)などと発言している。彼は「台湾有事は日本の存立危機事態、すなわち日本有事」としているのである。 

 ところで、存立危機事態とは「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態をいう。」と定義されている(武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律2条4号)。
 だから、台湾で日本以外の当事者間での武力衝突が起きたとしても「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」でなければ「存立危機事態」ではないのである。

 けれども、麻生氏は、そのことには触れようとしないで「台湾海峡の平和と安定は国際社会の安定に不可欠」として「日本は潜水艦や軍艦で戦う」としているのである。
 彼の発想には中国と米国(台湾)が武力衝突しても「日本はどちらにも与しない」という選択肢はない。米国が戦闘態勢に入れば「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生」したとして、内閣総理大臣が自衛隊に防衛出動を命ずる(自衛隊法76条)ことを当然としているのである。日本に武力攻撃がないにもかかわらず、日本が戦争当事者になることを当然視しているのである。戦争を放棄している日本国憲法のもとで、日本に対する攻撃がないにもかかわらず、戦争が起きるのである。それは、自衛隊による中国本土の基地攻撃や、中国からの攻撃を意味している。政府の行為によって再び戦争の惨禍がもたらされるのである。

まとめ
 確認しておくと、麻生氏はナチスへの親近感がある人だということと、「台湾有事」を「日本有事」にしないという発想は皆無の人だということである。こういう人が、自民党副総裁として、「戦後生まれだから戦争責任など問われるいわれはない」として「過去に学ぼうとしない」総裁とタッグを組んだのである。私たちはその危険な組み合わせに敏感でなければならない。危険が相乗効果を発揮するかもしれないからである。

 2016年5月27日。広島を訪問したにオバマ元米国大統領は「71年前、ある晴れた雲一つない朝、死が空から落ち、世界が変わりました。一つの閃光と火の海が街を破壊し、人類が自らを破壊する手段を手に入れたことがはっきりと示されたのです。」と演説している。現代は「人類が自らを破壊する手段を手に入れた」時代なのだ。
 中国は核兵器保有国である。米国が日本のために中国に対して核兵器を使用するなどといことはあり得ないであろう。米国の核が中国の日本に対する攻撃を抑止し、日本の安全を保障するなどというのは「天動説」並みの謬論である。
 このままでは、日本が、長崎以降、初めての核兵器を使用される戦場になるかもしれない。新たな被爆者が生まれるかもしれないのだ。私たちには「空から死が落ちてくる」事態を阻止する営みが求められている。(2025年10月9日記)

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2025.10.9

高市早苗氏が危険な理由

はじめに

 高市早苗氏(1961年3月7日生)が自民党の総裁に選出された。このままいくと内閣総理大臣になるようだ。私は何とも暗澹たる気分になっている。なぜなら、私は彼女が嫌いだし危険人物だと見做しているからだ。どうしても嫌悪感を覚えてしまうという個人的な感情にとどまらず、彼女は首相として危険な資質を持っていると考えているのだ。

 彼女は「自分は戦後生まれだから、戦争責任など問われる立場にない」と公言している。もちろん、彼女がどのような歴史観を持つかは彼女の自由だ。けれども、彼女は国会という「国権の最高機関」(憲法41条)のメンバーというだけではなく、法を執行し、国務を総理し、外交を処理する内閣(憲法73条)の責任者になるかもしれないのだ。ある国の政治的最高責任者がどのような歴史観を持つかは、その国の政治に直結することになる。

 だから、その責任者の歴史認識は問われなければならない。「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすい。」というワイツゼッカーの言葉を引用するまでもなく、歴史から学ぶことは、誰にとっても、とりわけ政治家にとっては、必要不可欠な作業である。 けれども、彼女はそれを拒否しているのである。だから、彼女は危険なのだ。この小論は彼女のそのスタンスを紹介するためのものである。なお、出所は衆議院の資料である。

1994年10月12日衆議院予算委員会 
 この日、高市氏は次のような質問をしている。テーマは村山富市首相(当時)の歴史認識である。ちなみに、「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題する「村山談話」は1995年8月15日である。この談話には「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」という一文がある。この質問はこの談話以前の応酬であるが、事の本質は変わらない。

高市委員:
高市早苗でございます。改革(自由改革連合などを含む会派。大久保注)を代表して質問をさせていただきます。終戦五十周年を目前にしまして、私たちは歴史の見直しという政治家としての生涯最大のテーマにかかわろうとしているのではないかという緊張に、非常に恐れを感じております。選挙区で遺族会の方々から、出征して死んでいった夫というのは侵略戦争に行ったんでしょうかという問いかけをされております。また、奈良護国神社の宮司様は、おまえのところは犯罪人を祭っておるのかという嫌がらせの電話に悔し涙を流しておられました。そんなせつない思いをされている方々のために、きょうは侵略戦争について、いつもの答弁よりも具体的な御説明をお願いしたいと思います。(中略)
まず、総理は、七月、九月と二度の所信表明の中で、さきの大戦への反省、それから過去の侵略行為や植民地支配といったものに触れられまして、八月の全国戦没者追悼式におきましては、私たちの過ちによって惨たんたる犠牲を強いられたアジアの隣人たちという言葉をお使いでしたけれども、具体的にはどの行為を指して侵略行為と考えておられるのでしょうか。また、総理の言われる過ちというのは具体的に何を指すのか、法的な根拠のある過ちだったのかどうかもお答え願います。

村山内閣総理大臣:
私は、侵略的行為や植民地的支配という言葉を使わせていただいたわけですけれども、やはりあの戦争の中で日本の軍隊が中国本土をどんどんどんどん攻め込んでいった、それから東南アジアのいろいろな国に攻め込んでいった、そういう行為を指して侵略的な行為、こういうふうに申し上げておるわけです。

高市委員:
それでは、法的根拠のある過ちということではございませんか。

村山内閣総理大臣:
いや、その法的というのは何法に対してこう言っているのか、よくちょっと理解できないものですからね。

高市委員:
大戦当時は総理も一応若者だったと思うのですけれども、国民として侵略行為への参加の自覚がございましたでしょうか。

村山内閣総理大臣:
私は、一年間兵隊におりました。それで、幸か不幸か、外地に行かずに内地勤務でずっとおったわけです。しかし、あの当時のことを思い起こしますと、私もやはりそういう教育を受けたということもありまして、そして国のために一生懸命頑張ろうというような気持ちで参加をさせていただきました。

高市委員:
つまり、侵略行為への参加という自覚はその当時お持ちじゃなかったということなのですが、総理大臣という地位にある人は、五十年前の政権の決定を断罪し、その決定による戦争を支えた納税者やとうとい命をささげられた人々のしたことを過ちと決める権利があるとお考えでしょうか。

村山内閣総理大臣:
私は、兵役に服して、そして国のために一命をささげて働いてこられたすべての人方に対して誤りだったというようなことは申し上げておりませんよ。しかし、これはまあ歴史がそれぞれ評価する問題点もたくさんあるかと思いますけれども、しかし、当時の日本の軍閥なりそういう指導者のやってきたことについては、これは、今から考えてみますと、やはり大きな誤りを犯したのではないかということを言わざるを得ないと私は思います。

高市委員:
今のように、当時の軍閥ということで侵略行為そのものの責任の所在をある程度明らかにされたわけですけれども、それでしたら、アジアの人々に対してのみならず侵略行為に加担させられた英霊に対し、また軍恩や遺族会の皆様に対しても、この場で謝罪の意を表明していただけませんでしょうか。

村山内閣総理大臣:
ですから、私は慰霊祭にも集会にも参りまして、そして率直に今国の立場と、国の責任と考えていることを申し上げたわけでありまして、私自身がそういう方々にここで謝罪をしなきゃならぬという立場にあるかどうかというのは、もう少し慎重に考えさせてもらいたいと思います。

高市委員:
それにしてはアジアに行かれたとき随分謝罪的な言葉を発せられて、日本国を代表して謝っておられるのかと私は感じていたのですけれども、日本に過ちがあった、過去に過ちがあったと総理がおっしゃいます。その責任は、もちろん過ちがあったとすれば日本国全体が負うものですけれども、国内的にはそれではその責任の所在というのはだれにあるのか、個人名を挙げてお答えいただきたいと思います。

村山内閣総理大臣:
これはだれにあると個人名を一人一人挙げるわけにはまいりませんけれども、当時の、軍国主義と言われた日本の国家における当時の指導者はすべてやっぱりそういう責任があるのではないかというふうに言わなければならぬと思います。

高市委員:
その五十年前の当時の指導者がしたことを過ちと断定して謝られる権利が、現在、五十年後にこの国を預かっておられる村山総理におありだとお考えなのでしょうか。

村山内閣総理大臣:
私は、今日本の国の総理大臣として、総理として日本の国を代表してアジアの国々に行けば、そういうふうに被害を与えた方々に対しては、大変申しわけなかったと、やはりその反省の気持ちをあらわすのは当然ではないかと思うのですよね。それはやはり含めて日本国民全体が反省する問題として私は受けとめて、過ちは繰り返さないようにするというぐらいの決意はしっかり持って、平和を志向していく方向に努力していきたいというような意思もあわせて表明することは、当然ではないかというふうに思っています。

(中略)

高市委員:
とにかく来年終戦五十周年ということで何らかの国会決議がされる動きもあると聞いておりますけれども、これが一方的に謝罪決議、それも国民の合意なき謝罪決議ということでなく、私はむしろ不戦決議、これから戦争をしない、お互いに平和をつくっていこうという平和決議であるべきだと個人的には考えておりますけれども、とにかくあちらこちらに出向かれて謝罪をされる、過ちだと言われる。それでしたら、何が侵略行為であったのか、具体的にはだれに責任の所在があるのか、そして、国民的な議論を代表して、総理が日本国の代表として出ていかれる、そういった下地をぜひ整えていただきたいと思います。私たちの世代にとっても本当に大事な、これは歴史の見直し、大変な課題なんですね。特に戦争を知らない世代でございますから、その責任を非常に強く感じております。歴史的な検証も十分に行った上で決断を下していただきたく思います。

 このように、高市氏は、村山首相(当時)対して、戦後50年にあたっての反省と謝罪に注文を付けているのである。「何が侵略行為であったのか、具体的にはだれに責任の所在があるのか」それを明確にしろというのである。それは戦争を知らない世代である自分にとっては「歴史の見直しという大変な課題」だという立場からの質問である。反省と謝罪を拒否する執念がひしひしと伝わってくる。他方、統治者たる天皇とその「赤子」たる人民の違いを完全に無視する幼稚な論理でもある。これが彼女の正体なのであろう。

1995年3月16日の衆議院外務委員会
 高市氏の当時の所属会派は新進党である。彼女はこの場で栗山尚一駐米大使(当時)の発言が掲載された新聞記事を題材に質問している。答弁者は河野洋平外務大臣である。

高市委員:
三月七日にワシントンDCで栗山駐米大使が記者会見して、国会の謝罪決議に関連して話された記事を新聞で読んだのです。栗山大使は「日本がきちんと第二次世界大戦にいたった歴史を見据え、その反省のうえに立って戦後の日本があることを忘れてはならない。若い世代もこれを知っておかねばならない」と強調し、何らかの形で「反省」を明確に打ち出す必要があるとの考えを明らかにした。」と記事に書かれてあるのですけれども、日本国政府としての考え方は栗山大使のおっしゃった方向だと考えてよろしいでしょうか。

河野外務大臣:
大使の記者会見を私、詳細承知しておりませんので、今それについてコメントをするだけのものを持っておりません。しかし、大使が記者会見で述べる問題につきましても、すべて国を代表して述べているというふうには私ども思ってはおりません。

高市委員:
しかし、先ほど確認させていただきましたとおり、大使というのは国を代表する存在で、それも何かプライベートな会合でお友達に言ったというのじゃなくて、わざわざ記者会見を開いておっしゃったことなんですから、外務大臣として外務省職員の公的な場での発言には責任を持っていただきたいと私は思います。大使が外で記者会見を開いて何を言っても、それは別に国を代表することじゃない、関知しないというお考えになるのでしょうか。

河野外務大臣:
会見のすべてをそうだとは思っていないと申し上げております。
(中略)

高市委員:
栗山大使の発言、…手元にございますのでもう少し紹介させていただきます。
憲法と反省の関係について言っておられることなんですが、「日本国民全体の反省があるから戦後の平和憲法に対する国民の熱心な支持がある。また、新憲法の下で政治的自由、民主主義体制の支持があるのも反省があるからこそ。日本国民は反省をきちんと持ち続けなければならない」と、日本国民全体の反省があると決めつけておられるのですけれども、少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております(強調は大久保)
新聞社の世論調査では、謝罪すべきではないと答えた人が四七%、謝罪すべきだと答えた人が四三%でございまして、まさしく現在国論が謝罪ということについて真っ二つに割れている状態なんですが、このような状態のまま、国会での多数決で、わずかに多い方の意見を日本国民の総意として国際社会に示すことこそが民主主義への冒涜であり、また国民の代弁者たる国会議員の越権行為だと私は考えますので、私自身は、このような歴史の問題というのは国民一人一人の思想や価値観にもかかわることですし、国会決議にはなじまないだろうなと思っているわけですが、民主主義という言葉を記者会見で持ち出した栗山大使自身が民主主義を軽んじているんじゃないか、私は彼の発言を新聞記事で読んでそう思ったのですけれども、大臣自身はこの問題についてどうお考えでしょうか、御見解をお聞かせください。

河野外務大臣:私は議員と全く見解を異にいたします。

高市委員:どのように違うんでしょうか。

河野外務大臣:
過去の戦争について全く反省もしない、謝罪をする意味がないという議員の御発言には私は見解を異にすると申し上げました(強調は大久保)。

 当時、高市氏は新進党所属で野党である。政権与党は自民党、社会党、さきがけであった。彼女はここでもネチネチと質問をしている。日本国として反省や謝罪などはしてはならないという牢固としたと執念がそこにある。そして、それを頼もしく感ずる勢力が間違いなく存在するのである。
 ちなみに、高市氏の初当選は1993年である。所属は新進党である。その後、新進党 → 保守党 → 保守クラブ → 新党改革と保守系の小政党を経て2002年に自民党に合流している。

まとめ
 高市氏は栗山大使の発言は、「日本国民全体の反省がある」という決めつけであり「私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもない。」と断言しているのである。ワイツゼッカーと対局の姿勢である。私はここに彼女の危険性を見ている。
 そして、河野洋平外務大臣(自民党総裁)は高市氏の質問に対して「私は見解を異にする」と正面から反論していた。この河野氏の評価はどこに消えたのだろうか。雲散霧消してしまったのであろうか。高市氏がその歴史認識を変えたという話は聞かない。自民党は河野氏の見解を放棄し、高市色に染められたのであろう。私はここに自民党の堕落を見ている。
 今、この国は「新憲法」の価値など眼中にない「戦争を知らない」ので戦争について「反省するいわれもない」と確信する政治家が首相になろうとしているのである。高市氏を恐れる必要はないけれど侮ってもならないであろう。私たちは心して対処しなければならない。(2025年10月5日記)

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2025.10.6

「世界終末時計、あと89秒。私たちは止めることができるか」に参加して

はじめに
 9月27日、シンポジュウム「世界終末時計、あと89秒。私たちは止めることができるか」にパネリストとして参加した。主催はNGO IALRW JAPANだ。IALRWの正式名称はInternational Association of Liberal Religious Womenで、1910年にベルリンで設立され、以来、世界中のリベラルな宗教家の女性たちを結びつけてきた組織だそうだ。その日本委員長の松井ケティさんに誘われたのだ。彼女とは1999年の「ハーグ平和市民会議」以来の友人であれこれの交流がある。私が彼女に日本反核法律家協会の声明の英訳をお願いしたり、私が彼女の依頼で米国のロータリークラブの人に話をしたりしている。私も人類の自滅を避けるために「核兵器も戦争もない世界」を創りたいと思っているので、喜んで参加させてもらった。
 シンポのテーマは「世界終末時計、あと89秒。私たちは止めることができるか」とされているけれど、これは本当に深刻な事態なのだ。この警告をしているのは、核兵器の威力を最もよく知っている米国の科学者たちだ。決してフェイクニュースを流すようないかがわしい人たちではない。その彼らが、1947年以降、世界の終わりに最も近づいていると警告しているのだから、しっかりと耳を傾けなければいけないであろう。

今、国連で語られていること
 そのことで、共有しておきたいことがある。それは、9月26日に開催された「核兵器全面廃絶国際デー」の会合で、国連のグテーレス事務総長が「世界は無自覚なままに、より複雑かつ予測不可能で、より危険な核軍拡競争に陥っている。」と警鐘を鳴らしていることと田中聰司日本被団協代表理事が「核を持つ国の戦争を止められず、第3次世界大戦の感があります。核兵器が使われるリスクは極限に達しました。核兵器禁止条約ができたものの、核軍拡競争は止まりません。人類は全滅の瀬戸際です。被爆者が10年経ったらいなくなると、若者たちからしばしば心配されます。その度に私は答えます。『被爆者の余命を心配する前に、自分たちの命の方が短いことを心配しよう』と。人類最後の日までの時間を示す終末時計は89秒しかなくなったのです。」と「被爆者からのメッセージ」を述べていることだ(『赤旗』9月28日付)。グテーレス氏は世界の情勢をもっとも良く知る立場にあるし、日本被団協は核のタブーを形成し「核兵器も戦争もない世界」を創ることを提案している人たちだ。このシンボは、今、国連で語られていることと共鳴しているのである。
 
シンポの内容
 パネリストは私とICANの川崎哲さん、ヒロシマ宗教平和センター理事長で被爆2世の上田知子さん。松井さんがモデレーターを務めた。核戦争や気候変動などによる人類絶滅の危機まであと89秒と言われているけれど、それを止めることができるのか、パネリストの話を聞くだけではなく、自分に何ができるのかを考えようということもテーマとされていた。講師の話を聞くだけではなく、自分事として考えようというのだ。大切な視点だと思う。 
 私は「原爆裁判」を題材に、原爆投下の国際法違反、被爆者支援についての「政治の貧困」、戦争のない世界は「全人類の希望」でありそれは9条が想定しているという話をさせてもらった。結論は「核兵器も戦争もなくすことはできる。それは人間が作ったものであり、人間の営みだからだ。」である。
 川崎さんは「核兵器全面廃絶国際デー」を期して、核兵器禁止条約の署名・批准・加盟国が99か国になり。条約加盟資格のある197か国の半数を超えたことを報告していた。最新のニュースだ。中央アジアのキルギスが署名して署名国が95、西アフリカのガーナが批准したので批准国は74、加盟した国が4カ国あるので、条約に参加している国家は99になったのである。
上田さんは広島平和文化センター被爆体験伝承者としての活動などを生き生きと報告していた。こういう機会は初めてなのでなどと言っていたけれど、やはり、被爆者と直接かかわる運動をしている方の報告は心に響く。
 このシンポでは、話を聞くだけではなく、参加者(約70名)同士がグループに分かれて自分たちに何ができるのか話し合うということも行われた。私が参加したグループでは「弁護士さんの話は難しかったけど、自分も何かしなければならないことはわかった。何から始めればいいのか。」という話が出ていた。私は、川崎さんが「核兵器廃絶日本キャンペーン」のチラシを持ち込んでいたので「まず、このキャンペーンに参加することはどうでしょうか。」と勧めておいた。参加者の主体性を尊重するイベントはこういう形で実を結ぶのであろう。

三つのエピソード
 シンポ終了後、『朝日新聞』がエマニエル・トッドを日本に呼ぶようだけれど心配だという研究者と話をする機会があった。彼女は、核保有を言い立てる政治勢力が国会で議席を占めるような状況の中で、日本に核武装を勧めるトッドを呼ぶことを憂慮していたのだ。私は『朝日』のその企画は知らなかったけれど彼女の憂慮には共感した。そして、うれしかった。私は核武装を口にする人間を「死神のパシリ」とみなしているからだ。私は拙著『「核兵器廃絶」と憲法9条』(日本評論社、2023年)でトッドの『第三次世界大戦はもう始まっている』(文春新書、2022年)を取り上げて、トッドの「日本への核武装のお勧め」を拒否しておいた。その結びは「私は、ある人の知性の有無やその程度については、その人物の核兵器についての認識で計測することにしている。私は、彼を「現代最高の知性」などと持ち上げることに同意できない。」である。私は、当日持ち込んでいた同書を彼女に購入してもらった。

 もう一つ紹介しておきたいのは、シンポの全体の進行役をしていた博士課程に学ぶ女性からこんなメールをもらったことだ。「大久保様の講演を通じて、核兵器廃絶に至らない日本が抱える矛盾がはっきりと示され、法律に関して全くの無知である私でさえも、心にスッと入ってくる内容ばかりで、大変貴重な学びとなりました。…本日得た学びを今後の研究に活かしていく所存でございます」。こういうメールは本当にうれしいものだ。自分が話したことがきちんと伝わっていることを確認できるからだ。

 三つめは、松井さんの学生二人と栗の入ったモンブランを食べながらおしゃべりをしたことだ。私は彼女たちの祖父母と同世代である。二人とも真剣に考えていた。勉強が好きとも言っていた。学生時代の問題意識や勉強を活かす場所がないということも話題になった。核兵器や戦争をなくすなどという問題意識を持っていても、会社勤めをしてしまうと、どうにも活かす方法はないのだ。私の近くには、その問題意識を持ちながら、起業する若者もいるけれど、それを多くの人に求めることはできないであろう。何ともじれったい課題である。

 今回のシンポに参加して、核兵器も戦争もない世界を創る営みは、色々な形があるのだと改めて感じた。誘ってくれた松井さんとシンポを運営していただいた皆さんに心から感謝したい。(2025年9月29日記)
 

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2025.9.18

さいたま・常泉寺「広島・長崎の火」を永遠に灯す会のこと

 さいたま市見沼区に常泉寺という曹洞宗の寺がある。この寺に「広島・長崎の火」モニュメントが建立されている。「広島・長崎の火」とは、広島の焼け跡でくすぶっていた「広島の火」と長崎の原爆瓦から採火された「長崎の火」とが合わされたものだ。1988年に、埼玉県で合火されたこの火は、常泉寺の小山元一住職が灯し続け、1995年には、第1回目の「『広島と長崎の火』を囲むつどい」が開催され、2007年にモニュメントが完成している。そして、今年で31回目を迎えているのだ。この「囲むつどい」は、「さいたま・常泉寺『広島・長崎の火』を永遠に灯す会」が主催し、この火を永遠に灯して、核兵器と戦争をなくす被爆者と日本国民の願いを語り広げるための催しとして定着している。私は、9月7日に開催された今年の「囲むつどい」に講師として参加したのだ。テーマは、「核兵器も戦争もない世界を創るために」-「原爆裁判」を現代に活かす-だ。

 ところで、私もその建立に賛同して寄付をしていたので名前が石碑に刻まれている。また、2002年には「常泉寺に『広島・長崎の火』を永遠に灯す会」総会で「核兵器をめぐる情勢と日本国憲法」と題する講演をしている。これらのことは、会の中心メンバーである原富悟・まり子さん夫妻に教えられるまで、すっかり忘れていたことだった。
 2002年にどんな話をしたかは全く覚えていない。多分、そのテーマからして核兵器廃絶と9条の話をしたのであろう。けれども、当時は、核兵器禁止条約は話題になっていなかった。国際司法裁判所の勧告的意見は既に出ていたし、コスタリカとマレーシア政府から国連にモデル核兵器条約が提案されていたけれど、現在のような核兵器禁止条約の提案は、誰からも行われていなかったのだ。それが行われるのは、2002年から10年以上も経ってからの、いわゆる「人道的アプローチ」ということになる。そして、核兵器禁止条約は、2017年7月に採択され、現在では、94か国が署名し、73か国が批准する多国間条約として発効している。核兵器の開発、実験、保有、移転、配備、使用するとの威嚇、使用などはすべて違法とされ、その廃絶が展望されているのである。まさに「隔世の感」と言えよう。
 私は、講演で、今、世界では、むき出しの暴力が横行しているし、核兵器使用の危険性もかつてなく高まっている。世界は大きな分岐点にあるなどと情勢も語ったけれど、この核兵器禁止条約の経緯を踏まえて、反核平和勢力は、決して、核兵器に依存する戦争勢力にやられっぱなしではないのだと力説した。 

 9月8日付『赤旗』はこんな記事を掲載している。日本反核法律家協会会長大久保賢一弁護士が講演。広島・長崎への原爆投下は国際法違反とした「原爆裁判」の判決について解説し、被爆者への支援に怠惰な「政治の貧困」嘆くなど、勇気ある判決だと述べました。2002年の「灯す会」のつどいでも講演し、「その時は核兵器禁止条約ができるなどとは思っていなかった」と話した大久保氏。「この80年間、核兵器は使用されなかったし、日本は海外で戦争をしていない。私たちが持っている憲法9条と核兵器禁止条約を生かしていくことが求められていると語りました。

 9月10日付『毎日新聞』埼玉欄はつぎのような記事を掲載している。さいたま市見沼区の常泉寺で、核兵器の廃絶と平和を願う「『広島・長崎の火』を囲むつどい」が開かれた。約90人の参加者が境内に灯る「広島・長崎の火」のモニュメントに献花し、手を合わせた。…「さいたま・常泉寺に『広島・長崎の火』を永遠に灯す会」が95年から開き、被爆80年の今年は31回目。原冨悟会長は、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞などを挙げ「核兵器廃絶の世論は着実に高まっている。つどいが明日を切り開く一助になれば」とあいさつした。また、日本反核法律家協会会長の大久保賢一弁護士が、日本初の女性判事となった三淵嘉子さんをモデルにしたNHKの連続テレビ小説「虎に翼」に描かれ、原爆投下を国際法違反と断じた「原爆裁判」をテーマに講演し、その精神を現代に生かそうと訴えた。

 このつどいには、広島と長崎の市長だけではなく、埼玉県知事やさいたま市長もメッセージを寄せている。常泉寺の副住職が来賓あいさつをしていたし、地域の親子連れや埼玉合唱団の歌もあった。私の心に残ったのは、原水禁大会に参加した人が、長崎の川から汲んできた水を、原爆投下の焼け野原に一番に芽を出し花を咲かせた「復活の花」といわれる夾竹桃の葉に浸して原爆瓦にかける献水式だ。水を求めて亡くなっていった被爆者に水を献ずる儀式なのだ。原富悟さんの発案だという。
 全国各地にこのような粘り強い運動があるのではないだろうか。様々な地道な行動の継続こそが「核兵器も戦争もない世界を創るため」の最も必要な運動なのだと改めて確認した一日だった。主催者の皆さんありがとうございました。(2025年9月11日記)

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2025.9.8

「原爆裁判〜被爆者と弁護士たちの闘い〜」の評価

「今夏屈指の労作」との評価
 8月21日付『赤旗』の「波動」欄で、メディア文化評論家の碓井弘義さんが、8月8日に放映されたBSスペシャル「原爆裁判〜被爆者と弁護士たちの闘い〜」について、「注目すべき一本だった」、「被爆体験と司法闘争の歴史を丁寧に掘り下げていた」、「被爆80年の夏、改めて原爆裁判の意義と精神を再認識すべきであることを、この番組は静かに主張していた。」と書いていた。すごくうれしいと思っていたら、8月28日付『赤旗』の「波動」欄は、この番組を「2025年『8月のジャーナリズム』屈指の労作」と評価していた。これはまた凄いことになったと欣喜雀躍の気分に襲われている。「放送を語る会」の小滝一志さんの記事だ。少し長くなるけれどその記事の要旨を紹介する。

記事の要旨 (()内は大久保の注)
 番組は裁判を起こした岡本尚一弁護士の訴状を手掛かりに原告五人の遺族を探し、その一人 川島登智子の遺族 時田百合子さん親子が母親の原爆裁判にかけた思いをたどる旅を軸に展開される。 
 番組の冒頭、岡本が原爆裁判を開始するまでの動機と経緯を孫・村田佳子さんが保管している資料から掘り起こす。「トルーマンをアメリカの裁判所の法廷に訴えようとしていた」という岡本の原爆投下への強い怒りが動機だった。
 原告川島の妹 詔子さんが健在だった。時田さん親子が訪ね、登智子がなぜ家族にも原告だったことを頑なに語らなかったかが次第に明らかにされる。
 判決は「原爆投下は、当時の国際法から見て違法だった」と断ずる画期的なものだった。「本訴訟を見るにつけ政治の貧困を嘆かずにはいられない」と書き込んだ古関裁判長にインタビューした平岡敬さんなどの証言により、裁判長の心情や判決文作成の苦労が窺える。
 番組の後半は判決の国際的評価とその後の世界への影響の検証だ。判決を英訳した米国の国際法学者(リチャード・フォーク)は「僕に力があれば、岡本にノーベル平和賞を授与した」と高く評価した。
 岡本弁護士を引き継いだ松井康浩弁護士は、94年に日本反核法律家協会を結成、核兵器の違法性を認めさせる「世界法廷運動」のきっかけを作った。
 2017年に核兵器禁止条約は採択された。大久保賢一日本反核法律家協会5代目会長(記事は4代目としているけれど正確には5代目)の「原爆裁判が蒔いた種がしっかり実を結んでいる」とのコメントが強く印象に残る。
 唯一の被爆国日本政府が核兵器禁止条約に背を向けている今、番組は60年前の原爆裁判にスポットを当て、その今日的意義を明らかにした。2025年「8月のジャーナリズム」屈指の労作と思う。

私の感想
 この番組の企画段階からかかわっていた私としては、このような評価をしてもらえることは本当にうれしい。この番組のチーフプロデューサーの塩田純さんやディレクターの金本麻理子さんは、昨年から、「原爆裁判」にかかわった原告や弁護士たちのその後を追跡する企画を考えていた。企画が通るかどうかは本当に狭き門なのだそうだ。金本さんから、その企画が通ったという喜びの連絡が入ったのは、今年の2月だった。
 その後、私は、インタビューを受けたり、講演会での取材に応じたり、番組の内容にアドバイスをするなどのかかわりを持ってきた。番組が完成したのは8月に入ってからで、放送は8月8日だった。私も、ドキドキしながら見ていたけれど、川島登智子さんの娘さんの時田百合子(72歳)さんとお孫さんの時田昌幸(35歳)さんの行動を縦軸としながら、原告の遺族、岡本弁護士のお孫さん、弁護士や裁判官や学者やジャーナリストたちを絡ませながら「原爆裁判」とは何かを浮かび上がられる番組に仕上げられていた。特にすごいと思ったのは、リチャード・フォークだけではなく、核抑止論者の米国出身のICJ裁判官や核兵器の使用や威嚇を絶対的違法としたウィラマントリーICJ判事の教え子にまでインタビューしていたことだ。番組を企画し製作した方たちの力量に改めて感服したものだった。

まとめ
 この番組を見た感想を何人かから聞いている。共通するのは、川島さんの遺族である時田さん親子が、登智子さんが原告になっていることを知らなかっただけではなく、被爆者のたたかいなどとは縁がなかったけれど、この番組の中で、すこしずつ変わっていき、最後は、埼玉の被爆者の慰霊祭で挨拶するようになっていることに対する共感だった。まさに、この番組はヒューマンドキュメンタリーになっていたのだ。その親子の取材を続けていた金本さんも二人が変わっていく様子がよくわかったと述懐していた。番組作りは成功していたのだ。
 ところで、金本さんは、放送されなかったけれど、多くの遺族と接して多くの貴重な証言を得ているという。けれども、取材した材料全部を60分の番組におさめることなどできないので、割愛しなければならない事実が多く残ってしまうそうだ。何とももったいないことだと思う。私は、「原爆裁判全資料集」も出版されていることでもあるので、これらの証言を埋もれさせない方法を考えたいと思っている。裁判資料と当事者たちのその後を将来に活かしたいのだ。そうすれば、さらに「原爆裁判」を活用できるように思うからである。
 この番組の英語版もできている。この番組は「核兵器も戦争もない世界」を創るための資料の一つとして役に立つことは間違いない。原爆という究極の暴力に、法という理性をもって立ち向かった人間たちがいたことを知ることになるからである。だから、世界中の人に視てもらいたいと思う。そして、NHKには地上波での深夜・早朝ではない時間帯での再放送をお願いしたい。せっかくの番組を活用しないことはもったいないからである。(2025年9月2日記)

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2025.9.2

反核医師の会のつどいに参加して

はじめに
 8月30日と31日、核戦争に反対する医師の会(反核医師の会)のつどい(第35回)が開催された。テーマは「被爆80年 反核平和運動・被爆者支援・被爆医療の歴史を学び継承しよう!」である。私は、30日に、学習講演の講師として参加した。私のテーマは「『原爆裁判』を現代に活かす」で、「核兵器も戦争もない世界を創ろう」とする呼びかけを行った。
 30日には、「被爆80年 反核平和運動・被爆者支援・被爆医療の歴史を学び継承しよう!」をテーマとするシンボも行われた。被団協の田中熙巳さん、被爆医療に詳しい斎藤紀さん、若い医師である河野絵理子さん、医学生の松久凌太さんがパネリストで、反核医師の会の向山新代表世話人がコーディネーターを務めていた。田中さんと斎藤さんの話を聞いて、若い二人が感想を述べたり質問するという形で進行していた。若い二人は自身の祖父の世代の田中さんや斎藤さんが永年被爆者運動にかかわり続ける源に興味が向いているようだった。私からすると、孫の世代の二人が核問題に興味を持つこと自体がうれしいことだった。二人は、核兵器が実際に使われる危険が迫っていることや大日本帝国の加害の歴史を知ったことによって、核と戦争の問題に関心を持つようになったとのことだった。

原爆症認定裁判のこと
 私の印象に残ったのは、斎藤さんの「原爆症認定裁判」に関わる報告だった。斎藤さんは、被爆者が政府を被告として集団提訴した「原爆症認定裁判」において、政府との医学論争の最前線に立っていた一人である。
 この訴訟について少し解説しておく。
 ここの裁判は、原告の罹患している疾病の原爆放射線起因性が争われた事案である。被爆者307人が原告となり、2003年に全国15地裁に係属した。判決の多くが原告勝訴となり、国の認定基準の妥当性が問われた。2009年8月6日、被爆者と政府(麻生太郎首相)との間に「確認書」が取り交わされた。その主な内容は、ⅰ)一審で勝訴した原告を原爆症と認定。ⅱ)原告の救済のための基金を設立。ⅲ)厚生労働省と原告団が定期協議の場を設ける。ⅳ)今後、訴訟に頼らず認定制度を改善していく。この合意により、原爆症認定制度の見直しが進み、認定率がわずかに改善されたけれど、依然として認定されない被爆者も多く、課題は残されている。「黒い雨訴訟」や「被爆体験者訴訟」などである。

「原爆裁判」と「原爆症認定裁判」
 ところで、斎藤さんの報告ではこの裁判も「原爆裁判」とされていた。確かに「原爆投下に起因する裁判」ということでは共通性もある。けれども、米国の原爆投下を国際法に違反するとして提訴した「原爆裁判」とこれらの裁判は争われているポイントは異なるので、「原爆裁判」という用語で一括することは避けておいた方がいいと思う。
 それはそうであるとしても、「原爆症認認定裁判」において、被爆者・弁護士・医師、自然科学者が協力して、勝訴判決を積み上げ、政府を交渉の場に立たせるという大きな成果を勝ち得たことは特筆に値するであろう。「受忍論」にしがみつく政府の態度を変えさせることは容易ではないからである。斎藤報告は「原爆症認定裁判」の意義を再確認する機会であった。

若い二人からの質問
 私は懇親会にも参加した。その場で河野さんと松久さんから質問を受けた。河野さんからの質問は、私が「原爆裁判」判決を書いた裁判官たちは勇気があると言っていたけれど、今の裁判所には期待できないとも言っていた。なぜ期待できないのか、ということだった。私は「裁判官の劣化だと思う」と答えた。例えば、原発関連裁判で国の責任を認めようとしない裁判官たちがいるからだ。「政治の貧困」に抵抗する裁判官が少ないのだ。
 そして、「百歩前を行けば狂人。五十歩前だと犠牲者。一歩前を行けば成功者。一緒に行くのはただの人。一歩下がれば落ちこぼれ、と言われるけれど、あなたは何歩前を行くつもりなのか。」と彼女に訊いた。彼女はためらうことなく「百歩」と答えた。私はその言葉の中に、彼女の揺るがぬ決意を見ていた。あわせて、幣原喜重郎とマッカーサーとが、1946年1月、非軍事の日本国憲法を想定した際に「私たちは百年後には予言者と言われるでしょう。」と語り合ったというエピソードを思い出していた。百年単位で物事を考えることは大切なことなのだ。

松久さんの質問
 松久さんは医学部5年生だ。再来年、国家試験だと言っていた。反核医師の会には「学生部」があり30人くらいが結集しているという。彼はその中の一人なのだ。彼の質問は中国や北朝鮮が攻めてくるかもしれないので「核の傘」は必要だという人と、どのように会話したらいいのだろうということだった。医学生の中にもそういう人がいるという。政府や与党だけではなく、マスコミや一部の野党も言っていることなのだから、別に不思議なことではない。
 私はこんな風に応えておいた。まず、頭から否定しないで、丁寧に話を聞いてみよう。医者は、患者が何を訴えたいのか、何が不安なのかを聞くことから始めるでしょう。その人の主訴を聞かないことには手の打ちようがないでしょう。そして、なぜ、そういう風に考えるのかを聞いてみましょう。患者の病歴や家庭環境を知ることは基本でしょう。そのうえで、不安を解消するための方策を一緒に考えるということではないでしょうか。
 その場の思い付きで答えたことではあるけれど、本当にそう思っているのだ。弁護士稼業も似たようなことをしているからだ。私たちの仕事も、まず、本人の主張を聞くことから始まるのだ。

三大プロフェッション
 世に、三大プロフェッションといわれる仕事がある。聖職者、医者、弁護士だ。いずれも、人の死亡、病気やけが、もめ事を生業とする商売だ。そんなことは本来無償で行われるべきであろうけれど、そうはなっていない。だったら、遺族や患者や依頼者の話を丁寧に聞くことは最低限の義務だろうと思う。自分の結論を押し付ける前に、その言い分を聞き取ることが必要であろうと思うのだ。異なる意見の持ち主を頭から否定しても何も始まらない。聞いたからと言って、すべてがうまくいくわけではないけれど、聞かなければ違いが残るだけだ。
 医学部5年生だという彼が、どんな医師になっていくは判らないけれど「核兵器も戦争もない世界を創りたい」という気持ちをもって患者や社会とかかわることになれば、きっと、いいドクターになるだろうと思う。
 医者は病気を治すだけではなく、社会を変えていくことも仕事なのだ。弁護士も事件を処理すればいいということではなく、基本的人権の擁護と社会正義の実現も任務なのだ。
 夢を持つ若い諸君と過ごした楽しい時間だった。(2025年9月1日記)

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2025.8.20

豊下楢彦著『「核抑止論」の虚構』を読む

はじめに
 豊下楢彦氏の『「核抑止論」の虚構』(集英社新書、2025年)を読んだ。核兵器も戦争もない世界を創るためには「核抑止論」を克服しなければならないと考えている私からすれば「核抑止論の虚構」と題する本を読みたくなるのは当然のことだ。同書の帯には「核は『ボタン』を握る人間も、その理論も、『狂気』に支配されてきた」、「日本が米国の拡大抑止に安全保障を求め続けるとすれば、現実には、日本の一億人の人々の生命と安全が、トランプ大統領が握る『核の傘』に依存することになる。これが現実とすれば、それは悲劇であり喜劇であり狂気そのものである。日本はいち早く、この狂気の世界から脱却しなければならない。」とある。これは私の「こんな男たちが『核のボタン』を持っている世界に生きていていいのか」という問題意識と強く共鳴している。
 そして、豊下氏は、ゴルバチョフの「新思考外交」と「一方的軍縮」という画期的な提案が、核弾頭の急速な減少と冷戦対決の終焉を迎えたとしながら、日本の進むべき道を次のように示している。
 大きく土台を崩されながらも、ともかく日本は「平和憲法」と「非核三原則」を維持してきた。この日本が世界に向かって緊張緩和と軍縮を訴えるならば、ASEAN諸国やグローバル・サウスの国々をはじめ国際社会から大きな支持を受けるであろう。…日本も大胆な軍縮方針を打ち出すことで、国際世論の支持を結集すべきである。歴史が証明していることは、「抑止力の強化」しか語りえない伝統的な抑止論では危機を突破することができない、ということなのだ(12頁)。
 本書は、このことを論証するために書かれているのである。私は、核兵器に依存するのではなく、日本国憲法がいうように「平和を愛する諸国民の公正と信義」に依存しようと考えている。だから、豊下氏の結論に同意する。
 本書では、私が知っている事実や書籍の記載が多く引用されている。同じ問題意識を持っていても、様々なアプローチがあることを改めて知ることができた。そして、私が知らないこともたくさん書かれている。被爆80年のこの年に本書に出会えたことは、本当にうれしい。

 そこで、ここでは、私が特に印象に残ったことを記しておくことにしたい。それは、「原爆裁判」からの引用と「核の復権」についての記述である。

「原爆裁判」からの引用
 本書は「原爆裁判」の判決文を次のように引用している(200頁)。
人は垂れたる皮膚を襤褸として屍の間を彷徨、号泣し、焦熱地獄の形容を超越して人類史上における従来の想像を絶した凄惨な様相を呈した。
 これは、日本反核法律家協会のHPからの引用である(参照していただいてうれしい)。この部分は裁判所の判断ではなく、原告の主張を整理した部分であるけれど、私もよく引用している。ただし、本書では「襤褸」には「ぼろ」とルビがふってあるけれど、私は「らんる」と読んでいる。いずれにしても、人が自分の皮膚をぼろのように垂れ下げながら、死体の間をさまよっている光景である。
 豊下氏が、この部分を引用しているのは、北朝鮮に対して「実際に核兵器を使用するぞ」という脅しをかけることは、具体的には「人類史上における従来の想像を絶する」壊滅的な破壊を与えるぞと脅迫することを意味する、という文脈においてである。
 豊下氏は、本書第6章「核の復権」とは何か で、2019年に出版された秋山信将・高橋杉雄編著の『「核の忘却」の終わり-核兵器復権の時代』(勁草書房)を紹介している(194頁)。その中で、北朝鮮に対して「核兵器を使用するぞ」との脅迫を加えるだけではなく「発射前の核兵器を撃破するために核の限定使用も選択肢に備える必要がある。」という言説を紹介している(199頁)。核兵器の先制使用の提案である。氏はその言説に対する批判として「原爆裁判」を引用したのである。(なお、この言説を展開しているのは防衛研究所の高橋杉雄氏である。防衛省にはそういう人がいることを記憶しておいてほしい。)

豊下氏の「核の復権」に対する批判
 豊下氏の『「核の忘却」の終わり-核兵器復権の時代』に対する批判の一つに次のような視点がある(200~204頁)。
 「核の忘却の終わり」では、北朝鮮は「いまや東京を含む日本の都市も『火の海』になる可能性がある」と指摘されるほどに「恐るべき脅威」とされている。仮にそうであれば根本的な疑問が生ずる。日本の原発の6割近くは日本海側に立地している。北朝鮮が日本を「火の海」にしたいのであれば、なにも核ミサイルを撃ち込む必要はない。原発を通常兵器で攻撃すればすむ話だ。日本政府は一方で北朝鮮の脅威を煽り、他方では原発の全面稼働に突き進むという支離滅裂の状態に陥っている。この本では、北朝鮮による原発攻撃という「最悪のシナリオ」は想定されていない。それでは「北朝鮮の脅威」は“レトリックの世界”になってしまう。それは、北朝鮮の意図を分析していないからだ。北朝鮮にとっては自国の崩壊を招くような日本攻撃ではなく、日本との国交を樹立し、日本からの賠償を獲得する方が最善の道であろう。
 もちろん、この視点は重要である。秋山氏と高橋氏という政府に影響を与える立場にある人が「支離滅裂」に加担して北朝鮮の脅威を煽り立てるレトリックを座視できないからである。

私の「核の復権」に対する批判
 ところで、私も『「核の忘却」の終わり-核兵器復権の時代』についての論評をしたことがある。『前衛』2020年11月誌上だ(『「核兵器も戦争もない世界」を創る提案』(学習の友社、2021年)に収録)。タイトルは『「核抑止論」の虚妄と危険性-現代日本の「核抑止論」を批判する』である。
 その問題意識は「外交官経験がある秋山信将氏と防衛研究所の高橋杉雄氏が編集している『「核の忘却」の終わり』という本がある。その副題は「核兵器復権の時代」である。「核抑止論」を現代の日本に生かそうという本である。政府の核政策に影響を与える立場にある二人が展開する「核抑止論」を検討することは、私たちの「核抑止論」理解に、反面教師として大いに役立つであろう。」というものであった。
 私の結論は「このように見てくると、「核抑止論」というのは、現実を無視しているだけではなく、そもそも「戦略」などとはいえない、極めて主観的なものであることが確認できる。出来の悪い「神話」、無意味な「神学論争」といえよう。そして、意図的であるかどうかにかかわらず、抑止が破れた場合には、「壊滅的人道上の結末」が待っているのである。「核抑止論」は単に無意味で不毛というだけではなく、虚妄(うそいつわり)にまみれた、危険この上ない無責任な「理論」なのである。にもかかわらず、核抑止論者たちは、現在の日本においても、「核抑止論」の効用を、恥ずかしげもなく、むしろ正しいことのように、言い立てているのである。しかも、その言説は、外務省や防衛省の中で大前提とされているのである。私たちは、彼らの言説の不毛さ、虚妄、危険性を暴露しなければならない。」であった。

豊下氏と私の核抑止論批判の共通性と違い
 私は、本書で展開される核抑止論批判に共感すること大であるし、私も核抑止論批判を展開してきているので、その共通性と違いをAIに訊いてみた。そうしたら、こんな答えが返ってきた。
 両者ともに、核抑止論を「虚構」あるいは「虚妄」として否定し、以下のような共通の批判点を展開しています。ⅰ)非人道性の指摘;核兵器の使用や威嚇は、広島・長崎の被爆体験を踏まえ、非戦闘員を含む無差別大量殺戮であり、国際人道法に違反する。ⅱ)論理的矛盾の指摘;「核兵器のない世界」を掲げながら、核の傘に依存する政策は自己矛盾であると批判。ⅲ)ダブルスタンダードの批判;核保有国が自らの核を正当化しつつ、他国の核を非難する姿勢を「二重基準」として批判。ⅳ)核兵器による安全保障の否定;核兵器は戦争を抑止するどころか、むしろ不安定化を招くと指摘。
 違いは次のように指摘されている。
 批判の焦点、提案する代替案、政治批判の強度などの論点である。豊下氏は、核抑止論の戦略的・歴史的虚構性や狂気を前提とした不安定な安全保障構造を強調。ゴルバチョフの「新思考外交」やロバート・ケネディの「他国の靴を履く」姿勢を提案。核保有国の歴史的構造批判、と整理されている。大久保は、核抑止論の法的・倫理的違法性や国際人道法違反と憲法9条との矛盾の強調。憲法9条の世界化、核兵器禁止条約の推進、非核法の制定などを提案。日本政府・自民党の核政策への直接的批判をしている、と整理されている。
 私の方が政府や自民党への「直接的批判」が強いことが見抜かれているようだ。
 そして、次のように総括されている。
 両者ともに、核抑止論を「安全保障の幻想」として否定し、核兵器廃絶を目指す点では一致しています。しかし、豊下氏は戦略的・歴史的な視点からその虚構性を暴き、大久保氏は法的・倫理的な観点からその違法性と非人道性を強調しています。
 この違いは、核兵器問題をどう捉えるかによってアプローチが変わることを示しており、両者の批判は相互補完的に核抑止論の限界を浮き彫りにしています。
 私は「へー!そうなんだ」と受け止めている。

まとめ
 私は「核兵器も戦争もない世界」を創りたいと思っている。しかも、それは「見果てぬ夢」などではなく「喫緊の課題」だと思っている。そのためには 、それを阻む「核抑止論」を克服しなければならないし、大同団結が必要だと思っている。核抑止論とは人々を核戦争へと駆り立てる「呪いの言葉」である。「汝、平和を欲するならば核兵器に依存せよ」は、私たちの運命を「死神にゆだねよ」というキャッチコピーであることを見抜かなければならない。豊下氏のこの本は「核抑止論の限界」を浮き彫りにする資源に満ちている。
 本書には「『憲法なき戦後』が始まって80年を迎えた日に」という意味不明の言葉もあるし、AIがいうような「相互補完」ができるかどうかはわからないけれど、私なりに「核抑止論の限界」を突破するために引き続き頑張りたいと決意している。(2025年8月17日記)
 

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2025.8.18

湯崎広島県知事の核抑止論批判に寄せて

はじめに
 8月6日の広島平和式典での湯崎英彦広島県知事のあいさつは感動的でした。私のブログを管理している長女は「お父さん。湯崎知事のあいさつについて書かないの?」と聞いてきました。嬉しい注文でした。8月15日の羽鳥慎一モーニングショーに湯崎知事は生出演していました。こういう番組で核抑止論がテーマになることはすごいことです。その理由は湯崎知事のあいさつが核抑止論を正面から批判していたからです。
 核兵器不使用の継続や究極的になくすことに反対する人はいません。石破茂首相も同様です。けれども、石破首相は「我が国の安全保障のためには米国の核の傘が必要だ」としているので「今すぐなくす」とは言いません。中国、北朝鮮、ロシアという核兵器保有国に囲まれているので、米国の核でそういう国の行動を抑止しなければならない。米国の核の傘に依存していれば我が国は安全だけれど、それがなくなると危険だという理屈です。 
 そういう首相の前で、自治体の首長が「核に依存することは間違いだ。違う政策をとるべきだ」と言ったのだから「あっぱれ」でしよう。
 そこで、この小論では、湯崎知事のあいさつを紹介しながら、少しコメントをしてみることにします。

湯崎知事のあいさつ
 湯崎知事のあいさつは「核兵器廃絶という光に向けて這い進む」という表題でした。これは、2017年12月10日に行われたノーベル平和賞授賞式での広島の被爆者サーロー節子さんの「諦めるな。押し続けろ。進み続けろ。光が見えるだろう。そこに向かって這っていけ」に由来するものです。素晴らしいモチーフではないでしょうか。
 以下、あいさつの大要を追いかけてみます。

草木も生えぬと言われた75年からはや5年、被爆から3代目の駅の開業など広島の街は大きく変わり、世界から観光客が押し寄せ、平和と繁栄を謳歌しています。しかし同時に、法と外交を基軸とする国際秩序は様変わりし、剥き出しの暴力が支配する世界へと変わりつつあり、私達は今、この繁栄が如何に脆弱なものであるかを痛感しています。
 
 ここでは、現在の繁栄が脆弱であることが語られています。私も「むき出しの暴力」が振るわれているだけではなく、核兵器使用の威嚇も行われているので、核戦争の危機はかつてなく高まっていると考えています。「法の支配」が忘れられ「力による支配」へと逆戻りしているという湯崎知事の情勢認識に同意します。そして、私は法を万能とは思っていませんが、むき出しの暴力よりはずっとましだと評価しているので、かかる状況を憂いています。
 
 湯崎知事は続けます。

このような世の中だからこそ、核抑止が益々重要だと声高に叫ぶ人達がいます。しかし本当にそうなのでしょうか。確かに、戦争をできるだけ防ぐために抑止の概念は必要かもしれません。一方で、歴史が証明するように、ペロポネソス戦争以来古代ギリシャの昔から、力の均衡による抑止は繰り返し破られてきました。なぜなら、抑止とは、あくまで頭の中で構成された概念又は心理、つまりフィクションであり、万有引力の法則のような普遍の物理的真理ではないからです。
 

 ここでは「力による抑止」は物理法則ではなく、フィクションだと断言されています。まさに、このあいさつの肝の部分です。あいさつではギリシャのことが語られていますが、ローマの将軍は「汝、平和を欲するならば戦争に備えよ」と言っていたそうです。平和を望むなら武力を備えよというのは、そういう時代からの格言なのです。けれども、その格言のようにしてきたけれど、戦争は絶えなかったではないかと湯崎知事は指摘しているのです。「力の均衡による抑止」など意味がないことは歴史が証明しているし、その理由はこのような抑止論は「虚構」だからだというのです。
 私も、核抑止論は相手がどう考えるかは相手が決めることだし、脅かしたからといって相手が必ず引くわけではないし、抑止が破綻した場合には「みんな死んじゃう」のだから、虚妄にまみれた危険この上ない「理論」だと考えているので、この部分を「我が意を得たり」と受け止めています。
 そして、現代の抑止論は「汝、平和を欲するならば、核兵器に依存せよ」ということですから、次のような事態が予測されるのです。

実際、核抑止も80年間無事に守られたわけではなく、核兵器使用手続の意図的な逸脱や核ミサイル発射拒否などにより、破綻寸前だった事例も歴史に記録されています。
国破れて山河あり。かつては抑止が破られ国が荒廃しても、再建の礎は残っていました。国守りて山河なし。


 ここでは、核兵器が実際に使用されそうになった歴史について触れられています。8月15日のモーニングショーでは、1983年の、ソ連の早期警戒衛星が米国から核ミサイルが発射されたとしたが、当直将校がそれは誤作動だと判断して反撃を行わなかったケースと1962年のキューバ危機に際して、ソ連の潜水艦が米国の爆雷攻撃に核兵器で対抗しなかったことが例示されていました。けれども、核兵器が意図的にあるいは事故や誤解で使用されそうになった実例はこれ以外にもたくさんあるのです(拙著『迫りくる核戦争の危機と私たち』あけび書房、2022年で紹介しています)。私は、特に、1962年のキューバ危機の時に、米国戦略空軍司令官が、ケネディ大統領(当時)の指示がないのに、戦闘即応体制を引き上げ「戦争が終わった時、アメリカ人が二人、ロシア人が一人だったら、我が方が勝ちだ」と言っていたというエピソードに恐怖感を抱いています。核兵器が使用されなかったのは、グテーレス国連事務総長がいうように「ラッキーだった」だけなのかもしれないのです。
 
 また、核戦争になれば国家再建の道は閉ざされるでしょう。自国と自国民を守るための核兵器が自国も自国民も滅亡させるという「究極のパラドックス」が現れるのです。核兵器不拡散条約(NPT)の用語でいえば「全人類の滅亡」、核兵器禁止条約(TPNW)の用語では「壊滅的人道上の結末」ということです。そのことについて、湯崎知事は次のように語っています。

もし核による抑止が、歴史が証明するようにいつか破られて核戦争になれば、人類も地球も再生不能な惨禍に見舞われます。概念としての国家は守るが、国土も国民も復興不能な結末が有りうる安全保障に、どんな意味あるのでしょう。

 湯崎知事は、核兵器が使用されれば、人類は「再生不能な惨禍」に見舞われることになる。「修復不能な終末」が起こるかもしれない安全保障は無意味だと言っているのです。湯崎知事は、まさに核兵器による抑止は「人類の自滅への道」だということを述べているのです。そのうえで次のように提言しています。

抑止力とは、武力の均衡のみを指すものではなく、ソフトパワーや外交を含む広い概念であるはずです。…そして、仮に破れても人類が存続可能になるよう、抑止力から核という要素を取り除かなければなりません。核抑止の維持に年間14兆円超が投入されていると言われていますが、その十分の一でも、核のない新たな安全保障のあり方を構築するために頭脳と資源を集中することこそが、今我々が力を入れるべきことです。

 ここでは、戦争を抑止する力としての核兵器を否定して、ソフトパワーや外交の力などの活用が提案されています。核抑止に費やされる巨額の費用を「核のない新たな安全保障」のために使用することも提案されています。使用されれば「修復不能な終末」が訪れ、使用されないとしても巨大なムダ金が費やされる「核抑止」から脱却しなければならないという提案です。きわめて合理的な提案です。そして、次のように結論しています。

核兵器廃絶は決して遠くに見上げる北極星ではありません。被爆で崩壊した瓦礫に挟まれ身動きの取れなくなった被爆者が、暗闇の中、一筋の光に向かって一歩ずつ這い進み、最後は抜け出して生を掴んだように、実現しなければ死も意味し得る、現実的・具体的目標です。“諦めるな。押し続けろ。進み続けろ。光が見えるだろう。そこに向かって這っていけ。”這い出せず、あるいは苦痛の中で命を奪われた数多くの原爆犠牲者の無念を晴らすためにも、我々も決して諦めず、粘り強く、核兵器廃絶という光に向けて這い進み、人類の、地球の生と安全を勝ち取ろうではありませんか。

 湯崎知事は、私たちに、核兵器廃絶は遠くに見上げる「北極星」ではなく「現実的・具体的目標」だとして、粘り強い努力によって、人類と地球の生と安全を勝ち取ろうと呼びかけているのです。核兵器は人間の作ったものですから物理的解体は可能です。そのことは、ピーク時の1986年には7万発ほどあった核弾頭が、現在では1万2千発台になったことからも確認できます。核兵器廃絶は決して「見果てぬ夢」ではないのです。人間の政治的意思の問題なのです。湯崎知事はそのことを言っているのです。根源的な提起なのです。

私の注文
 私は、このように、湯崎知事のあいさつに大きな感動を覚えている一人です。けれども、注文もあります。それは、核兵器に依存しないだけではなく「平和を愛する諸国民の公正と信義」に依存するという対案を示して欲しかったことと、核兵器を全面的に禁止し、その廃絶を展望する核兵器禁止条約に触れて欲しかったということです。
 国際紛争を武力で解決しようとすれば、核兵器は最終兵器ですからなくなりません。それは、1955年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」が指摘するだけではなく、現実の国際政治がそうなっています。だから、1946年に公布された日本国憲法は、核兵器のみならず「一切の戦力」の不保持を規定しているのです。
 そして、核兵器禁止条約は、一切の核兵器使用の危険性から免れるためには核兵器をなくすことだとしています。意図的な使用を避けたとしても、ヒューマンエラーや機械の故障による発射は避けられないのですから、それは論理的必然です。間違わない人間はいないし、壊れない機械がないことは誰でも知っていることです。
 湯崎知事のあいさつを少しだけ敷衍すれば、最高法規である憲法やすでに発効している核兵器禁止条約への言及は、ごく自然に導けるのではないでしょうか。だから、私は、湯崎知事にこのような注文をするのです。

まとめ
 最後に、湯崎知事と私の核抑止に関する共通性と違いについてのAIによる分析を紹介しておきます。
 共通性は、核抑止論への根本的否定、人類の存続への危機感、核兵器廃絶の必要性などとされています。湯崎知事は「核戦争になれば人類も地球も再生不能」、大久保弁護士は「核兵器で人類が自滅することのないように」と強調していると分析されています。
 違いとしては、アプローチ、立場、表現方法などがあげられています。湯崎氏は、地方自治体の首長としての発信、表現方法は詩的・比喩的(例:「国守りて山河なし」)。大久保氏は、弁護士の立場、法律家・市民運動家としての提言、法的・論理的(憲法9条との関係、裁判例の紹介)などとされています。
 AIは「どちらも『核抑止論は幻想であり、現実的な安全保障にはなり得ない』という点では一致していますが、湯崎氏は政治的・象徴的なメッセージを、そして大久保氏は法的・構造的な批判を展開しています。」と結論しています。
 
 なかなか興味深い分析だとは思いますが、それはそれとして、湯崎知事のあいさつは、核抑止論を乗り越え、人類が自滅することがないように、核兵器も戦争もない世界を求める私たちに、大きな勇気を与えてくれるものでした。私は、この湯崎知事のあいさつを糧にして、引き続き頑張ろうと決意を新たにしています。(2025年8月15日記)

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2025.8.4

参政党の何が問題なのか

参政党が躍進した
 今回の参議院選挙の結果について、あなたはどう感じていますか。私は、自公が参議院でも過半数を割ったことはいいことだけれど、手放しでは喜べないと思っています。なぜなら、参政党が大きく議席を増やし、他方で、日本共産党が得票数も得票率も議席も大きく減らしているからです。自公が少数になったとしても、参政党のような政党が増えることは、今後の日本社会にとって、むしろ危険だと思えてならないのです。加えて、共産党のような、現在の政治状況にきちんと向き合い、科学的な分析と説得的な政策を提示する政党が衰退するということは、二重の意味で危険な兆候だと思うからです。
 そこで、参政党の危険性はどこにあるのかについて考えてみることにします。ただし、自民党衰退の原因を作った旧安倍派の諸君が石破首相に退陣を迫ったり、高市早苗氏のような極右よりましだということで「石破辞めるな」のデモも行われていますが、ここではそのことには触れません。また、一人区での共闘が功を奏していることにも触れません。
 そして、共産党がなぜ減少したのかについても触れないことにします。私は、伊藤岳さんの当選と共産党の躍進を願って行動したけれど、共産党全体の選挙方針について知りうる立場にないからです。共産党は、党内外の意見を踏まえて、その原因を探求するとしているので、その結果に期待することにしています。
 まず、参政党の基本的スタンスを確認しましょう。

参政党の主張
 参政党は次のようなことを言っています。

 今のままの政治では日本が日本ではなくなってしまう。参政党はそんな危機感から有志が集まり、ゼロからつくった国政政党です。私たちには特定の支援団体も資金源もありません。同じ想いを持った普通の国民が集まり、「子供や孫の世代によい日本を残したい」
という想いひとつで活動を続けています。


 ここでは、ある種の危機意識が述べられています。そして、普通の国民が、より良い日本を残したいという想いで活動しているとされています。「次は俺たちの番だ―これ以上日本を壊すな」ということです。けれども、関心は日本のことだけです。「日本人ファースト」が大前提なのです。
 参政党の重大三大政策は次のとおりです。

① 笑顔の子どもたち 教育・人づくり 学力(テストの点数)より 学習力(自ら考え自ら学ぶ力)の高い日本人の育成
② 生い茂る木々 食と健康・ 環境保全 化学的な物質に依存しない食と医療の実現と、それを支える循環型の環境の追求 
③ 笑顔の日本地図 国のまもり 日本の舵取りに外国勢力が関与できない体制づくり

 
 何気なく見ていると、そうだよねと思われるかもしれません。けれども、「日本人の育成」であり、「化学物質に依存しない」であり、「国を守る体制」が強調されているのです。このように、参政党の三大政策には、排外主義や科学軽視や自前の軍事力依存などが埋め込まれているのです。

 次に、参政党の核兵器観と憲法観を検討します。私は、その人や組織の正体を見破る物差しとして、その核兵器観と憲法観を物差しにしています。核兵器に依存しようとしているのかそれとも廃絶しようとしているのか、憲法の諸価値をどのように評価しているのかを物差しにすれば、その人や組織の知性と理性の程度が見えてくるからです。まず、核兵器観です。

参政党の核兵器観
 参政党の神谷宗幣(かみや そうへい)氏は、2022年当時、ただ一人の核兵器保有賛成の議員でした。今回、東京選挙区から当選した塩入清香 (しおいり さやか)氏は「核武装が最も安上がりで、最も安全を強化する策の一つ」と発言しました。参政党の国会議員のうち6人は「日本は核兵器を保有すべきだ」としているそうです(『毎日新聞』8月1日付)。こうしてみると、参政党の諸君は核兵器を廃絶するなどとは全く考えておらず、日本も核武装すべきだとしているようです。
 私は、そもそも「核と人類は共存できない」と考えています。被爆者のたたかいや「原爆裁判」などから核兵器が「死神であり、世界の破壊者」であることを知っているからです。だから、核兵器が必要だとか役に立つなどと言い立てる連中は人間として許せないし「死神のパシリ」とみなしています。
 それに加えて、日本は核兵器不拡散条約(NPT)の加盟国です。日本は非核兵器国として核兵器を保有しないという条約上の義務を負っているのです。そして、憲法は、日本国が締結した条約は誠実に順守するとしていますし(98条)、国会議員は憲法を尊重し擁護する義務を負っているのです(99条)。国会議員は「核兵器保有」を言ってはならない立場にあるのです。だから、日本が核武装すべきだとする議員は、NPTや憲法を知らないか、無視しているのです。愚かでなければ無責任な諸君ということになります。いずれにしても、国会議員の資格はないのです。参政党はそのような諸君の群れなのです。

参政党の新日本憲法 
 参政党のHPには、「新日本憲法」の構想案が掲載されています。それは、現行憲法の一部を改正する「改憲」ではなく、国民自身が主体となって憲法を一から創り直す「創憲」だとされています。
 確かに、この構想案は憲法を一から創り直しています。天皇は悠久であり、国民もまた天皇を敬慕するとされ、国民主権などは消えています。主権は国にあるとされ、君が代や日章旗が憲法上の存在になります。国民は子孫のために国を守る義務を負います。もちろん、自衛軍は設置されます。夫婦同姓が義務付けられ、帰化人は差別され、基本的人権などは見る影もない扱いを受けています。
 要するに、日本国憲法の国民主権、基本的人権の擁護、非軍事平和主義などは完全に否定されているのです。彼らは、核兵器を容認し、憲法の基本的価値などを完全に無視しているのです。核兵器という究極の暴力を容認し、天皇を賛美し外国人を排斥しているのです。「尊王攘夷」の時代に戻ったかのようです。

まとめ
 にもかかわらず、彼らは躍進しているのです。彼らに投票した人たちがどこまで彼らの正体を知っていたかは分かりません。知っていて投票する人もいたかもしれませんが「厳しい現実」の中で醸成された不安や不満のはけ口として選択したのかもしれません。「甘い言葉」に騙されているのかもしれません。「厳しい現実」に主体的に抵抗することは決して簡単なことではないからです。
 私たちの隣には、不安や不満を覚え、将来に希望が持てないでいる人は大勢いるのではないでしょうか。人は、決して、一人では生きられません。他者との交流は不可欠です。これを「類的存在」という人もいます。そして、人は誰でも自分を大事にしたいし、誰かに認めてもらいたいものです。自己礼賛や承認欲求は人間の性です。だから、「同じ想いを持った普通の国民が集まり、子供や孫の世代によい日本を残したい」などというショート動画がスマホの画面に流れると「参政党いいね」になるのでしょう。
 参政党のような政党が存在しうる素地はあるのです。けれども、その正体は時代遅れの「悪魔の兵器」を容認する排外主義者なのです。私たちはその正体を暴かなければなりません。彼らを跳梁跋扈させてはなりません。けれども、それだけでは足りないのです。私たちは、隣人の不安や不満を共有し、その原因がどこにあるのかを解明し、未来社会を展望する運動を創らなければならないのです。そして、その運動を支える政党を大きくすることも求められているのです。(2025年8月2日記)

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2025.7.29

愛知は凄いことをやっている!!
―第36回サマーセミナーに参加して―

愛知のサマーセミナー
 愛知では、昨年、約850の講座に3万5千人からの人たちが参加するサマーセミナーをやったそうだ。主催は、愛知県私立学校教職員組合、私学をよくする愛知父母協議会、愛知県高校生フェスティバル実行委員会などで構成する愛知サマーセミナー実行委員会だ。愛知県や名古屋市はじめ県内の市町村が後援している。私は愛知でこんな大規模なセミナーが毎年開かれていることは全く知らなかった。今年は、36回目で、7月19日から21日の三日間、名古屋中学・高等学校などで開催されたのだ。テーマは「戦後80年、平和と共生を作り出す『21世紀型学び』」だ。3日間、午前に2限、午後2限の講座が全部で千程ある。4万人の参加を予定しているという。なんとも凄いことだ。1日目の最初の講演は、金本弘日本被団協代表理事の『どうする!!危険な世界に生きる私たち』だった。

特別講師としてのお誘い 
 このセミナーの特別講師として、私も誘われたのだ。誘ってくれたのは、副実行委員長の横田正行さんだった。お誘いの理由は、「依頼書」によれば、私が「核兵器廃絶と憲法9条」と題するブログで書いている「『核兵器も戦争もない世界』を展望する核心を突いた鋭い指摘がとても参考になりました。そして、私たちの生き方が問われているとひしひしと感じました。」ということだった。そして、特に印象に残っていることとして、私のブログを丁寧に引用してくれたのだ。依頼書は「今年のサマセミのテーマである『戦後80年、21世紀型学びが反戦・平和を世界に拡散する!』を考えるにあたり、大久保先生が指摘されていることを学ぶ必要があると強く思っています。生徒や父母、教師、そして市民の皆さんにぜひお話を聞かせてください。」と結ばれていた。このような依頼を断ることなどできるわけがない。ということで、7月21日、名古屋まで出かけて行ったのだ。

講義のテーマ
 私の講義のテーマは「『核兵器も戦争もない世界』を創るために!!」だ。「80年前、原爆が投下されました。核兵器の使用は『全人類に惨害』をもたらします。にもかかわらず、核兵器使用の危険が高まっています。私たちは何をすればいいのか。『原爆裁判』を題材に考えます。」というのがキャッチコピーだ。持ち時間は80分。会場は100名くらい入る階段教室で、ほぼ満席だった。
 講師席のすぐ前の最前列にあどけなさが残る少女が三人いた。「何年生?」と聞いたら「1年生」と答えていた。高校1年生なのだ。彼女たちは私服だったけれど、何人かの制服の高校生たちも聴講していた。普段、私の話の聞き手は年配者が多いのだけれど、今日は違う。うれしい。問題は、私の話がその子たちに伝わるかどうかだ。

高校生の感想文 その1
 高校生たちが25通の感想文を寄せてくれた。いくつか要旨を紹介する。最初に、最前列に座っていた高校1年生のものだ。

サマーセミナーに参加するのは初めてだったけど、講師の方の解りやすい説明のおかげで、今まで知らなかった戦争について細かいところまで知ることができました。当時の状況や政府の取った行動・原因を理解することが出来ました。核兵器による被害の大きさなどを聞いて改めてこわさを感じることができました。被害にあった人たちのためにも、戦争であったことを活かしていければよいなと思いました。

世界にはまだまだ平和ではない国や、核兵器を持ち、いつでも戦争ができる状態にある国があるということがわかりました。今の日本では想像もできない歴史があることがわかった。サマーセミナーに来て、この講座をうけなければわからないことを知れたので、来てよかったと思った。

このサマーセミナーを受ける前は、戦争のことは自分なりに学校で調べたりしていて、何となく知っていると思っていたけれど、この「核兵器も戦争もない世界を創るために」という講義をうけてまだまだ知らないことがたくさんあったし、私たち高校生よりも高齢の方が多くておどろいた。今の日本は戦争の話を語れる人が減っている。だからこそ、まだ将来の長い私たちが今回聞いたことをしっかり覚えておいて、いつか自分の子どもたちに受け継いだり、情報を共有したりして、平和な今の世界を大切にしていきたいと思った。核兵器の恐ろしさもよくわかった。最前列で聞けて、大久保さんと少し話せてうれしかったです。

こんな感想文を書いてもらっただけでも、本当にうれしい。

高校生の感想文 その2

 長文の感想文もたくさん寄せられていた。その内の4通の要旨を紹介する。いずれも3年生の女子だ。

原爆裁判や天地の公理など、学校の授業では学べないようなことについての話を聞くことができて良かった。裁判によって核兵器の恐ろしさを示すことは重要なことだと思った。しかし、「被害の結果が原告の言うとおりかどうか。及び原爆の性能などは知らない」などと答弁する政府に対してはモヤモヤした気持ちになった。現代の自分たちが平和で安全な生活を送れているのは、核兵器禁止条約ができるまで努力を重ねてくださった方がいたからだ。

今回の講座で原爆裁判を通して、原爆の被害の大きさや被害者の核廃止への叫びを改めて知ることができました。被爆者が辛い日常生活を送っていたことを想像すると胸が苦しくなました。核廃止をできないことではないと知ることができてよかったです。平和な世界を創るために自分で出来ることを見つけ、積極的に行動することが大切だと気付くことができました。

私がこの講座で感じたことは、核投下後の日本の対応が全く駄目だということです。私は戦争のことを全く知らないので、戦争後の被爆者への支援があったとばかり思っていました。しかし、この講座でそれが全く行われていないことを知りました。そして、日本がアメリカの「核とドルの傘下」にあるという現状を知り、言葉が出ないほど絶望を感じました。一つの核で何人もの人が死に、そして戦後も苦しめられたのか。想像を絶するものだと思います。アメリカが核投下は正義だと思っていることに深い悲しみを感じました。こんな悲劇が二度と起こらないためにも、核をなくすべきだと考えました。

私たちは戦争を知らない世代だからこそ、戦争について知り、考え、次世代に語り継ぐ必要があると思い、今回の大久保先生の講座を受講しました。私の通っている高校は平和探求も活発で、2回の修学旅行では沖縄と長崎に行きました。また、家族旅行で広島に行ったので、今まで戦争や平和について考える機会は多かったです。ですが、今回の講義を受けて、私の戦争と平和への理解はまだまだだなと思いました。原爆投下についての裁判で、政府の動きや裁判所の判断、核兵器禁止条約の禁止から廃絶まで流れなど、原爆が投下された背景についても勉強になりました。大久保先生のお考えも聞くことができ、とても心に残るものばかりでした。「核兵器も戦争もない世界」を創るために、未来に向けて私たちが今できることを考えていきたいと思いました。

 高校3年生になるとこんな感想文を書いてくれるのだ。私の話は伝わっていたのだ。私の意図を完全に受け止めてくれていると思うと胸が熱くなる。

まとめ
 ところで、中学生からの感想文も3通ほどあった。「話が難しいと思った」、「言葉づかいが難しいなと思った」としながらも、「核兵器の恐ろしさや醜さを感じた」とか「原爆被害者やその他の戦争被害者への補償についての政府の考えはおかしいと感じた」などいう感想を書いている。この子たちにも、それなりに受け止められているのだ。
 子どもたちの成長に合わせて、日々、教育に携わっている先生方の大変さを垣間見たような気持にもなるけれど、子どもたちはきちんと物事を理解できるのだということを確信する機会でもあった。
 講義の冒頭に「今、世界や日本はいい方向に向かっていると思いますか」と聞いたら、大人も子どもも誰もそう思っていなかった。けれども、このような感想文を読めば、私たちの未来は、決して、絶望する必要はないと思えるのだ。もちろん、絶望などしている場合ではないのだけれど。
 このセミナーに参加することによって、私は新たなエネルギーをもらえたようだ。そんな機会を提供してくれた横田さんたちに感謝したい。(2025年7月28日記)

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2025.7.29

「原爆裁判」原告の娘さんとお孫さん

 「原爆裁判」の原告に川島登智子さんという方がいる。14歳の時に広島で被爆した最も若い原告だ。14歳の被爆ということは、13歳の時に長崎で被爆している田中熙巳日本被団協代表委員や13歳の時に広島で被爆しているサーロー節子さんと一つ違いだ。「原爆裁判」の提訴は1955年だから24歳で原告になっている。なぜ、彼女が、米国の原爆投下を違法として日本政府に対し損害賠償を求めるという困難な裁判の原告になろうとしたのかの記録は見つかっていない。登智子さんは、自分がそんな裁判の原告になっていたことを子どもたちには話していなかったし、原告代理人であった岡本尚一弁護士との間でやり取りがあったであろうがその記録は残っていないのだ。
 もちろん、訴状には彼女の状況についての記載はある。概略は次のとおりだ。
被爆当時14歳で、父母のもとに兄弟姉妹とともに健康な生活を営んでいたが、爆風による家屋倒壊によって顔面に傷害をうけ、左腕も負傷し、その傷あとは現在もなお残っている。爆風、熱線及び放射線による特殊加害能力によって両親(父当時50歳、母当時40歳)をなくした幼い原告及びその兄弟は、売り食いするものもなくなり生活に窮し親族に引きとられ殊に妹・詔子(のりこ)は養女にゆくなど姉妹も分れ分れの、生活をしなければならない悲惨な生活を送っている。

 今般、その原告登智子さんの娘である時田百合子さん(72歳)とその息子さんである時田唱幸さん(35歳)とお会いする機会があった。私はそのような方がおられるということなど全く知らなかった。その存在を探し当てたのは、NHK BSで「原爆裁判」の特集を企画している金本麻理子さんだ。彼女は原告の関係者がいるはずだとして、執念をもって探索を続けていのだ。そして、百合子さんや訴状に登場する詔子さんとの面会を果たすのである。何とも凄い取材力だと感心する。
 そして、金本さんは、百合子さんたちが「原爆裁判」について色々語っている私に逢いたいと希望しているとして、7月20日に浦和で開催された埼玉県原爆被害者協議会(しらさぎ会)主催の被爆80年記念行事に同行してくれたのだ。私はその記念行事で「核兵器も戦争もない世界を創るために―「原爆裁判」を現代に活かす―」というテーマで話をすることになっているので、その機会を生かしてくれたのだ。
 私は、その講演の中で、川島登智子さんに触れるだけではなく、会場にお二人が見えていることを紹介した。お二人は自己紹介をし、会場からは暖かく大きな拍手が沸いた。主催者の高橋溥さんも「時田百合子様・時田昌幸様の御出席も原爆裁判を皆が厚く受け止めることになったと思います。」と喜んでくれた。「原爆裁判」がとりもってくれた縁である。

 百合子さんたちは登智子さんがそのような裁判をしていたことは何も知らなかったそうだ。百合子さんは、朝ドラ「虎に翼」を視ていたので「原爆裁判」は知ったけど、まさか母がその原告をしていたなど本当に驚きだったという。お母さんが被爆者であることや傷があることは知っていたけれど、テレビで紹介されるような裁判にかかわっているなどとは信じられないという。なぜ、登智子さんは子どもたちには語らなかったのだろうか。

 登智子さんが原告になった時、結婚していたし、百合子さんは3歳になっている。裁判の原告になることを夫や夫の両親に秘密にすることはできないであろうから、登智子さんはその方たちの同意を得ていたであろう。けれども、彼女は子どもたちには何も語っていなかったのである。裁判終結は1963年12月だから、その時に百合子さんに語るには幼すぎるかもしれない。そのあとは裁判のことなど忘れていたのかもしれない。けれども、語る機会がなかったわけではないであろう。
 なぜ語らなかったのだろうか。それは、なぜ、登智子さんが原告になったのかと同様に謎である。その理由はもちろん推測するしかない。百合子さんによれば、登智子さんの夫(百合子さんの父)は「特攻の生き残り」だったという。そして、彼は彼女が被爆者であることを承知で結婚していたそうだ。百合子さんは、父と母は戦争による苦しみを共有できたからではないかと推測している。被爆者には被爆者であることを隠さなければならないと考える人たちもいた。自分が被爆者であると語ることは、自分につながる人たちも被爆者だということを暴露することにもつながるからだ。そして、被爆者に対する世間の視線は必ずしも暖かではない。むしろ、偏見と差別に囚われている場合があるのだ。
 登智子さんに葛藤がないはずはない。そういう意味で、登智子さんは凄い決断をしただけではなく、その提訴を見守った夫やその家族は偉いと思う。他方、子どもたちにはその裁判のことを話さなかった心情も理解できるように思うのである。

 金本さんは、百合子さんたちと私を取材しながら、「原爆裁判」の原告になることの意味を訊いてきた。私は、米国の原爆投下を違法だとして日本政府を相手に訴えを起こすこと自体が凄いだけではなく、登智子さんが自覚していたかどうかはともかくとして、核兵器という「究極の暴力」に対して「法という理性」が挑戦するという重要な意味を持っていた、と応えておいた。不動産関係の仕事をしていて社会保険労務士の資格を取るために勉強しているという昌幸さんは、大きくうなずきながらメモをとっていた。自分の祖母のたたかいの意味を確認していたのであろう。

 百合子さんは被爆2世、昌幸さんは3世である。お二人とも被爆者運動には全くかかわっていないという。けれども、今般、岡本尚一弁護士の遺族や私と会うことによって、核兵器問題について勉強しなければという気持ちになったという。
 私は、原告のことは知っていたつもりになっていたけれど、各原告にはそれぞれの濃密な人生があるのだということを改めて心に刻むことができた。被爆80年に際して「原爆裁判」の原告の子孫とリアルで会えたことはうれしいことだった。核兵器も戦争もない世界を創るためのエネルギーをもらえたからだ。(2025年7月22日記)

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2025.7.29

日本被団協、原水協、原水禁の共同声明を歓迎する

 7月23日、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)、原水爆禁止日本協議会(原水協)、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)の三者が「被爆80年を迎えるにあたって ヒロシマ・ナガサキを受け継ぎ、広げる国民的なとりくみをよびかけます」との共同アピールを発出しました。私は素晴らしいことだと歓迎しています。核兵器廃絶を求めながら、相互に対立し、運動を分裂させてきた原水協と原水禁が、被団協と連帯して、ヒロシマ・ナガサキを受け継ぎ、広げる国民運動の取り組みを呼び掛けたのですから、こんなうれしいことはありません。まずは、そのアピールを確認してみましょう。

アピールの内容
冒頭はこうです。
 1945年8月6日広島・8月9日長崎。アメリカが人類史上初めて投下した原子爆弾は、一瞬にして多くの尊い命を奪い、生活、文化、環境を含めたすべてを破壊しつくしました。そして、今日まで様々(さまざま)な被害に苦しむ被爆者を生み出しました。このような惨劇を世界のいかなる地にもくりかえさせぬために、そして、核兵器廃絶を実現するために、私たちは被爆80年にあたって、ヒロシマ・ナガサキの実相を受け継ぎ、広げる国民的なとりくみを訴えます。
 
続いて世界の現状について述べています。
 2024年、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を受賞しました。凄惨(せいさん)な被爆の実相を、世界各地で訴え続け、戦争での核兵器使用を阻む最も大きな力となってきたことが評価されたものです。一方今日、核兵器使用の危険と「核抑止」への依存が強まるなど、「瀬戸際」とも言われる危機的な状況にあります。
 ウクライナ侵攻に際してロシアの核兵器使用の威嚇、パレスチナ・ガザ地区へのイスラエルのジェノサイド、さらに、イスラエルとアメリカによるイランの核関連施設(ウラン濃縮工場)への先制攻撃など、核保有国による国連憲章を踏みにじる、許しがたい蛮行が行われています。核兵器不拡散条約(NPT)体制による核軍縮は遅々として進まず、核兵器5大国の責任はいよいよ重大です。

次に、核兵器禁止条約発効の意義を確認しています。
 しかし、原水爆禁止を求める被爆者を先頭とする市民運動と国際社会の大きなうねりは、核兵器禁止条約(TPNW)を生み出しました。これは、核兵器の非人道性を訴えてきた被爆者や核実験被害者をはじめ世界の人びとが地道に積み重ねてきた成果です。同時にそれは今日、激動の時代の「希望の光」となっています。この条約を力に、危機を打開し、「核兵器のない世界」へと前進しなければなりません。アメリカやロシアをはじめ核兵器を持つ9カ国は、TPNWの発効に力を尽くしたすべての市民と国々の声に真摯(しんし)に向き合い、核兵器廃絶を決断すべきです。

日本政府に対する要求は核兵器禁止条約への参加と国家補償です。
 唯一の戦争被爆国である日本政府はいまだTPNWに署名・批准しようとはしません。核保有国と非核保有国の「橋渡し」を担うとしていますが、TPNWに参加しない日本への国際社会の信頼は低く、実効性のある責任を果たすこととは程遠い状況にあります。アメリカの「核の傘」から脱却し、日本はすみやかに核兵器禁止条約に署名・批准すべきです。
 原爆被害は戦争をひきおこした日本政府が償わなければなりません。しかし、政府は放射線被害に限定した対策だけに終始し、何十万人という死者への補償を拒んできました。被爆者が国の償いを求めるのは、戦争と核兵器使用の過ちを繰り返さないという決意に立ったものです。国家補償の実現は、被爆者のみならず、すべての戦争被害者、そして日本国民の課題でもあります。

結びは、三者の決意です。
 ビキニ水爆被災を契機に原水爆禁止運動が広がってから71年。来年は日本被団協結成70周年です。被爆者が世界の注目をあつめる一方、核使用の危機が高まる今日、日本の運動の役割はますます大きくなっています。その責任を果たすためにも、思想、信条、あらゆる立場の違いをこえて、被爆の実相を受け継ぎ、核兵器の非人道性を、日本と世界で訴えていくことが、なによりも重要となっています。それは被爆者のみならず、今と未来に生きる者の責務です。地域、学園、職場で、様々な市民の運動、分野や階層で、被爆の実相を広げる行動を全国でくりひろげることをよびかけます。世界の「ヒバクシャ」とも連帯して、私たちはその先頭に立ちます。

 「思想、信条、あらゆる立場の違いをこえて被爆の実相を受け継ぎ、核兵器の非人道性を、日本と世界で訴えていくことが、なによりも重要となっています。それは被爆者のみならず、今と未来に生きる者の責務です。」とされていることを確認しておきましょう。最も基本的なことであり、また、それがないと「核兵器も戦争もない世界」は実現しないからです。反核平和勢力が分裂しているようでは、核兵器に依存し武力の行使をためらわない勢力に勝利できないことは、誰にでもわかる理屈でしょう。
では、その対立と分断はどのような状況だったのでしょうか。一つのエピソードを紹介しておきます。出典は今年7月24日付『毎日新聞』朝刊の森滝市郎さんに係る記事です。

1963年第9回原水爆禁止世界大会での出来事
 森滝市郎さん(1901年~1994年)は、被爆者運動と原水爆禁止運動に半生をささげた人で「反核の父」と呼ばれています。1956年に結成された日本被団協の初代理事長であり、1963年の第9回原水爆禁止世界大会では基調報告をしています。森滝さんはその基調報告で「どこの国のどんな核実験にも、どんな核武装にも絶対反対だ。」と訴えました。けれども、その報告は、全ての人の共感を得たわけではないのです。『毎日』の記事によると「やじや怒号が飛び交い、負傷者が出る騒ぎとなった」ようです。当時、「どこの国の核実験にも核武装に反対する。」という考えに反対する勢力があり肉体的衝突もあったのです。
 1963年当時、私は16歳なので、そんなことが起きていたなどと知る由もありません。その後、反核平和運動にかかわるようになってから、反核運動にも厳しい対立があることを実感しました。そして、なぜ、一緒にできないのだろうかと不思議でした。他方で「社会主義国の核兵器には反対しない」という考えと「いかなる国の核兵器もダメ」という考えは「核兵器の役割を認めるかどうか」という観点からすれば「決定的な違い」があるので、その違いを無視して一緒にやるのは無理だろうなとも考えていました。
 ところで、この第9回大会で、森滝報告にヤジや怒号を飛ばしていたのは、ソ連の核兵器に反対しない共産党系の人たちのようです。そのことを『日本共産党の100年』の記述から確認してみましょう。

当時の日本共産党の核兵器観
 当時、党は、ソ連が再開した核実験(61年8月)を、アメリカの核脅迫に対抗して余儀なくされた防御的なものとの態度表明をおこないました。これは、党として、核兵器使用の脅迫によって国の安全を確保するという「核抑止力」論に対する批判的認識が明瞭でなく、ソ連覇権主義に対する全面的な認識を確立していない下での誤った見方でした。同様の態度表明は、64年と65年の中国の核実験の際にも行われました。ソ連によるチェコスロバキア侵略、中ソの軍事衝突などの事態が起こる下で、党は、1973年、この見方を改め、アメリカを戦後の核軍拡競争の起動力として厳しく批判すると同時に、ソ連と中国の核実験も際限のない核兵器開発競争の悪循環の一部とならざるを得ないものとなっているという評価を明確にしました(同書146~147頁)。

 ここでは、1963年当時、共産党は、社会主義国の核兵器について反対していなかったとされているのです。森滝報告のように「いかなる国の核兵器にも反対」という態度ではなかったのです。しかも、分裂と対立の原因はこの論点だけではありませんでした。次のような事情もあったのです。同書は以下のように書いています。

部分的核実験禁止条約をめぐる対立
 1963年8月、米英ソ三国が部分的核実験停止条約(部分核停条約)を結び、ソ連はこれを「核兵器全面禁止の一歩」、「帝国主義の世界全体を縛り上げる」ものと宣伝し、ケネディを“平和の政治家”と持ち上げました。党は、地下核実験による核兵器開発競争を合理化して、保有国の核兵器独占体制の維持を図る条約として、これに反対しました。63年の原水爆禁止大会では、部分核停条約が焦点の一つとなり、ソ連代表ジューコフ(党攻撃の作戦計画の立案者の一人)は、帰国後、ソ連共産党機関紙「プラウダ」で、部分核停条約に関して公然と日本共産党を非難しました。また、訪ソした日ソ協会代表団などに部分核停条約を支持するよう圧力をかけました(同書159頁~160頁)。
 社会党、総評導部は、第9回原水爆禁止世界大会(1963年大会)でソ連が礼賛していた「部分的核実験禁止条約」への支持を大会で決めるよう主張しました。党は、核実験全面禁止の課題を放棄し、核軍拡を進めるものだと批判するとともに、大会としての同条約への賛否を決めずに、核戦争阻止と核兵器全面禁止、被爆者援護・連帯という原水爆運動の原点での一致にもとづいて共同すべきとの態度を堅持しました(同書146頁)。

 当時は「キューバ危機」が去ったばかりでした。世界は核戦争の危機に晒されていましたが、それからかろうじて免れたばかりだったのです。そのような時代にあって「部分核停条約」への賛否が、ソ連の干渉の下で問われていたのです。部分的な核実験禁止が「全面禁止」を意味するとは限りません。それを支持するかどうかを突き詰めれば、分裂することになるでしょう。その賛否を棚上げすることは「賢明な策」と言えるでしょう。
 結局、世界大会は「いかなる国の核兵器にも反対するのか」、「部分的核実験禁止条約に賛成するのか」の論点で対立し分裂したのです。

不幸な分裂を乗り越えて 
 このような背景事情のもとに、原水禁運動における「原水協」と「原水禁」の対立は始まり、現在まで続いてきました。その対立は、当時の事情を知らない私には理解できないほどに深刻だったようです。元々、私は、核戦争阻止、核兵器廃絶、被爆者支援などは大同団結が必要だと思っていますから、対立があることは承知していましたが、どちらが正しいかを判断するつもりはありませんでした。ただし、社会主義には期待していたので、アメリカ帝国主義に対抗するためには核兵器も必要だと言われれば、そんなものかと思ったこともありました。けれども、現在は「核抑止論」の虚妄と危険性を理解しているので「いかなる国の核兵器」にも大反対です。そして、今、ソ連はありませんし、中国を反核平和勢力とは言えないでしょう。  
 現代は、核実験についていえば大気圏だけではなく「包括的核実験禁止条約」が生まれつつあるし、「核兵器禁止条約」によって核兵器の廃絶が展望されている時代です。ノーベル委員会フリードネス委員長は「核兵器も戦争もない世界」を呼び掛けた田中熙巳さんのスピーチを「人類の総意」と評価しています。けれども、核兵器がなくなる現実的なスケジュールはまだ形成されていないのです。
 「原水協」と「原水禁」が、不幸な分裂を乗り越えて、被爆80年に際して「被爆の実相を受け継ぎ、核兵器の非人道性を、日本と世界で訴えていくこと」を呼び掛け、被団協とともに、その先頭に立つことを決意したことには大きな意味があります。両組織の決断に心からの敬意を表します。この共同声明は「核兵器も戦争もない世界」の実現を希求する私たちにとって、大きな励ましとなることでしょう。(2025年7月24日記)

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2025.6.19

日本弁護士連合会(日弁連)の被爆80年にあたっての決議

日弁連の決議
 6月13日、日弁連の定期総会で『被爆80年に際して「核兵器のない世界」を目指す決議』が採択された。その要旨は以下のとおりである(全文は日弁連のHP参照)。「核兵器のない世界」を求めるだけではなく「戦争とは永遠に決別する」決意が述べられていることを確認してほしい。
 核兵器は「極まりなく非人道的兵器」、「決して使われてはならない兵器」であり、国際社会は「核兵器を違法とする理論」を構築してきたけれど、いまだ、1万発を超える核兵器が存在し、うち数千発は作戦配備されている。しかも、近時、核兵器使用のリスクが「極めて高くなっている」。核戦力を維持しようとする根拠は「核抑止論」や「拡大核抑止論」であるが、この理論は「効果の不確実性が高い危険な理論」である。核抑止論から脱却し、世界から核兵器を廃絶するためには、すべての国が核兵器禁止条約(TPNW)に署名、批准し、核兵器不拡散条約(NPT)6条を具体化することが必要不可欠である。あわせて、北東アジア地帯を非核地帯とすることが求められている。
 そこで、当連合会は日本政府に対し「核兵器廃絶の実現に重大な懸念」があることを全世界と共有するとともに、①TPNWに署名し、批准すること。②NPT6条を具体化するために、核兵器国と非核兵器国の対話の場を設け、核兵器廃絶のタイムスケジュールを策定するなどの取組を行うこと。③北東アジア非核兵器地帯の締結に向けた取り組みを行うこと。を求める。
 当連合会としても、いかなる国際状況の下にあっても、核兵器の存在に断固として反対し続け、「核兵器のない世界」の実現を目指し、戦争とは永遠に決別することを決意する。

核兵器についての日弁連の基本的スタンス 
 日弁連は、1950年5月12日、広島市で開催した第1回定期総会に引き続いて開催した平和大会において「地上から戦争の害悪を根絶し、(中略)平和な世界の実現を期する。」と 宣言して以来、核兵器廃絶を訴え続けてきた。1954年5月29日には、「原子爆弾等の凶悪な兵器の製造並びに使用を禁止しなければ、人類の破滅は火を睹る(みる)より明らかである。」としている。2010年10月8日には、日本政府に対して「非核三原則」の法制化、北東アジア地帯を非核地帯とするための努力、核兵器禁止条約の締結を世界に呼び掛けることを求め、法律家団体として、非核三原則を堅持するための法案を提案し、広く国民的議論を呼び掛けることを決意していた。
 最近では、核兵器禁止条約の締約国会議、NPTの再検討会議、広島でのG7などに際して、政府に対して「核兵器のない世界」に向けて積極的役割を果たすよう要望する会長声明や被団協のノーベル平和賞受賞を歓迎する会長声明なども発出している。
日弁連は「戦争は最大の人権侵害である」として、日弁連の草創の時期から「究極の暴力」である核兵器に「法という理性」で対抗しようとしてきたのである。今回の決議は、被爆80年にあたって、そのことを再確認したのである。
 現在、日本の弁護士は約4万7千人である。そのすべての弁護士が所属する日弁連が、その定期総会でこのような決議をあげたことの意味は大きい。

決議までの経過
 日弁連の総会で決議を採択するためには、それなりの手続きを踏まなくてはならない。今回の決議も簡単に実現したわけではない。日弁連の憲法問題対策本部の核兵器廃絶部会で「核戦争の危機が迫っている。基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする弁護士が黙っているわけにはいかない。被爆80年に際して、日弁連の初心に帰って、核兵器も戦争もない世界を創るための決議をあげよう。」と議論されたのは、昨年秋のことであった。決議案文とその理由を起案し、対策本部に提案し、その議を経て日弁連の執行部に提案され、そこでの質疑応答を経て、執行部から理事会に提案してもらい、さらにそこでの質疑と意見交換を経て、総会への提案という過程を経たのである。
 そもそも、執行部がその気にならなければ総会決議などありえない。けれども、現在の渕上玲子会長は、長崎の出身ということもあり、この決議の総会への提起を選択したのである。私は英断だと受け止めている。部会の問題意識はもちろん通奏低音として生きているけれど、決議案の構成や表現は修正されている。そういう意味では、この決議案は集団による労作であり、日弁連の現在の到達点なのである。

総会での議論
 総会でもいろいろな意見が出されたし、満場一致ということでもない。強制加入団体の日弁連の総会で、政府の核政策を根底から非難し、その政策転換を迫る決議がシャンシャンと成立することなどありえない。いくつかの意見を紹介しておく。
 まず、「決議は安全保障について理解していないので反対だ。」という意見である。この意見は「核兵器をなくすことは、わが国の安全保障を危うくする。」という認識に基づくものである。政府の見解と同様のものであるので、会内に存在することは間違いない。問題はどのような形でそれが噴出するかである。総会でも、その意見は堂々と開陳されていた。日弁連は、まさに、国家安全保障のために核兵器を必要とする思考と行動(核抑止論・拡大核抑止論)に対する根本的批判を対置しているのであるから、そのような意見が出てくることは想定の範囲内であろう。
 次に興味深かったのは「核兵器国の意向に反しない形で核兵器廃絶を現実化することは極めて困難というが、では、核兵器国の意向をどう変えるというのか。核兵器国からどのように核兵器を取り上げるというのか。」という質問である。この質問は大事な論点を含んでいる。核兵器国が核兵器を放棄するとの政治的意思を持たない限り、核兵器はなくならないからである。日弁連は、そのために、まず、わが国政府が、核抑止論から脱却することを提起しているのである。わが国が核兵器のない世界の実現に向けて積極的な行動をとることは、核兵器国の政府や市民社会の意思を変えることに寄与するとの発想である。質問者にそのことが理解してもらえたかどうかはわからないけれど、ぜひ理解してほしいポイントである。
 もう一つは、「日米による中国侵略戦争」に触れなければ「戦争と永遠に決別することを決意することにはならない。」という意見である。これも一つの論点であることは間違いない。日米両国政府が、中国を対象とする軍事力に依存しての「安全保障政策」をとっていることは公知の事実だからである。日弁連はそれを指摘し反対している。そのことは「安保法制」や「安保三文書」に対するこれまでの日弁連の姿勢を見れば明らかである。「中国侵略戦争」という表現をしなければ「戦争と永遠に決別することを決意することにはならない。」とすることは偏狭に過ぎるというべきであろう。

まとめ
 これららの反対意見や質問などはあったけれど、決議は圧倒的な賛成で採択されている。感動的な賛成討論があったことも忘れないでおきたい。そして、決議の理由は次のように締め括られている(要旨)。
今年は、広島及び長崎への原子爆弾投下から80年である。被爆者は「核兵器と人類は共存できない」、「被爆者は私たちで終わりにしてほしい」との思いから粘り強く運動してきた。日本被団協の田中熙巳代表委員は、ノーベル平和賞受賞記念講演で「人類が核兵器で自滅することのないように。そして、核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう。」と述べた。核兵器が使用されれば全人類に影響が及ぶことになる。「核兵器も戦争もない世界」は被爆者にとどまらず私たち人類の悲願である。核兵器使用の危機が迫る今、私たちは、核兵器の恐怖を排除できない「核抑止論」から脱却し、核兵器廃絶を実現しなければならない。当連合会は「戦争は最大の人権侵害である」との理念の下、反戦と核兵器の廃絶を訴えてきた。核兵器は、人類を含む地球を破滅させる残虐な兵器であり、地球上に存在する限り、最大の人権侵害のおそれを排除できない。だからこそ、我々は、核兵器の廃絶を強く求めるのである。
 そして、その結びは、先に紹介した決議本文と同様に「いかなる国際状況の下であっても、核兵器の存在に断固として反対し続け、『核兵器のない世界』の実現を目指し、戦争とは永遠に決別することを改めて決意し、本決議をする。」である。
 私は、核兵器廃絶部会の座長として、この決議の最初から最後までかかわってきた。部会や対策本部のメンバー、担当の事務次長や副会長、そして執行部会議や理事会でも、様々な意見交換をして来た。総会決議をあげることは決して簡単ではないことも体験した。それだけに、この決議が採択されたことに対する感慨はひとしおである。
 日弁連は、被爆と終戦の80年の今年、この総会決議でおしまいとするのではなく、12月に長崎で予定されている人権大会でも、引き続き核兵器廃絶と日本の戦争準備にかかわるテーマでのシンポなどを予定している。私も一人の弁護士として「核兵器も戦争もない世界」を実現するために尽力したいと改めて決意している。(2025年6月17日記)

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