2025.11.7
はじめに
田中俊一原子力規制委員会初代委員長が『學士會会報』(973号、2025年7月)で「原子力発電の利用―安全確保と規制の在り方」と題する論稿を寄せている。氏の問題意識は「温室効果ガスの削減と合わせて安定的にエネルギーを確保するという難しい命題に現実的に応えることが必要であり、それができるのが原子力利用である」。しかし、多くの国民はそのような理解はしていない。だから「現在の日本に必要なことは、1F(福島原発)事故を深刻に、かつ正確に反省した上で国民の理解と合意を求める取り組みである」ということにある。
要するに、国民の理解と合意をえたうえで、原子力発電(以下、原発)を利用しようというのである。日本の温室効果ガスの排出量は世界の3%にすぎないから「直ちに原子力利用を強引に推進する理由にはならない」ともしているけれど、原発を利用しようという提案である。
そして、原子力利用の再生のために必要なこととして、国民の理解、安全性の更なる向上と人材の育成、現実を踏まえた原子力利用の三点を挙げている。
ここでは、氏が提案する三点の内容を紹介し、批判的コメントを加えることとする。
国民の理解
氏は次のように言う。
自動車のEV化、生成AIの普及などによって我が国のエネルギー需要(電力需要)はますます増加する。一方、我が国のエネルギー資源の脆弱性を考えると再生エネルギーの拡大だけでは不十分であることは明白であり、当面は原子力エネルギーに依存しなければならないことを真剣に国民に問いかけることが必要である。
ここでは二つのことが言われている。今後電気需要が高まるということと再生エネルギーだけでは足りないということである。私も、今後、電気需要は高まると考えている。節電は必要であるとしても、現在よりも少ない電気で済むとも思えないからである。ただし、再生エネルギーだけでは「不十分であることは明白」という主張は同意できない。氏もそれを説得的に論証しているわけでもない。そして、再生エネルギーだけでは不十分としても、再生エネルギーを軽視していいことにはならないであろう。
次のようなことも言われている。
「地球温暖化の観点でも、2050年までに温度上昇を1.5℃以下にしなければならないという目標を達成するためには、再生可能エネルギーか原子力かという二者択一の議論をしている状況ではない」、「温室効果ガス削減の目標は差し迫った全人類の課題であり、原子力の利用を世界全体で現在の3倍まで拡大することが必要である」、発展途上国のエネルギー需要の増大を考えれば、「日本だけに止まらない切実で差し迫った課題である」。
ここでは、地球温暖化防止対策のための原子力利用が提案されている。日本での原子力利用を3倍にしろというわけではないけれど、原発優先であることは明らかである。ここでも、再生可能エネルギーは軽視されている。私も、地球温暖化防止策は必要だし、差し迫った国際的課題であることには異論はないけれど、原子力を優先するという提案には賛成できない。そもそも、二者択一の議論など誰もしていないし、原子力についてはCO²排出量は化石燃料由来の電源と比べれば低いけれど他の低炭素電源と比較して優位とはいえないとか、計画から運転開始まで時間がかかりすぎるという見解も存在するからである。
安全性の更なる向上と人材育成
氏は、原子力の利用が不可欠であることを国民が納得できる議論が必要であるが、そのためには「原発の安全を担保するための取り組み」が重要だとしている。そして、「完全に破綻している原子力政策をそのままにして、半世紀を超える技術開発の歴史と経験を無視した政策を進めることは、必要な原子力利用の芽を摘むだけである。安全性は一朝一夕でなるものではなく、様々な失敗経験を糧にして少しずつ向上してきたものである」と言っている。
氏は「原子力政策は完全に破綻している」としながら、「失敗経験」を糧にして原発の安全性を確保しようと言うのである。けれども、私は、福島原発事故は「糧にすればいい失敗経験」ではなく「再び起こしてはならない失敗経験」であると考えている。そして、「失敗経験を糧にする」ことに一般的には反対しないけれど「失敗する危険」をゼロにしなければならない事柄もあると思っている。それは、核兵器や原発を相手とする場合である。核の被害は人の手に負えないからである。
そして、「間違わない人間はいない」ことや「故障しない機械はない」ことは誰もが知っていることである。だから、「失敗する危険」をゼロにするためには原発は廃止しなければならないのである。核兵器については「核兵器のいかなる使用」も「壊滅的人道上の結末」をもたらすので、それを避ける「唯一の方法」は「核兵器の廃絶」であるとして「核兵器禁止条約」が発効している。同様に、原発の安全性を確保するためにはその廃絶が唯一の方法なのである。「原発の安全性を担保する取り組み」など誰も提示していない。それは存在しないからである。
田中氏の福島原発事故に対する評価
このように、氏は「脱原発」ではなく「安全な原発」を想定している。それは、氏の福島原発事故に対する評価に起因しているようである。
氏は「1F事故はきわめて重大であるが、事故後の対応が不適切であったことが被災地の復興の大きな妨げとなっている。その代表的な事例が『住民の避難』と国際基準の10分の1以下に設定された『食品摂取基準』である」としている。更に「十年経って明らかになったことは、放射線被ばくによる死亡者も疾病も確認されていない。避難中に亡くなった震災関連死が2300人を超えている」とも言っている。
これは「避難の必要はなかった」、「避難したので死者が出た」という主張である。「小児甲状腺がん」などは視野に入っていない。放射線被ばくとは考えていないのであろう。
加えて「LNT(直線しきい値なし)仮説、その延長戦にある…『どんなに少ない放射線被曝でも健康影響がある』というのは」のは「科学的に誤った思い込み」だとも言う。
「住民の不安は無用」ということである。私は、現実に住民が不安を覚えているのであれば、そのことを前提に対策が取られるべきだと考える。100m㏜以下の放射線が人体にどのような影響を与えるかについての定説はない。低線量内部被ばくの機序が全て明らかにされているわけではないからである。未解明の部分があるにもかかわらず、住民の不安や恐怖心を「誤った思い込み」とすることは傲慢に過ぎるであろう。
私は、氏の福島原発事故に対するこのような評価が原発の安全性を確保できるという発想(妄想)に連結していると考えている。原発事故が起きても「住民避難は不要」、「100m㏜以下であれば健康に影響はない」というのであれば、ある意味「結構なこと」ではあるけれど、住民の理解や合意は得られないであろう。放射線が大量に放出されているにもかかわらず「その場にいろ」、「たいしたことない」と言われても信用できないからである。
現実を踏まえた原子力利用
氏は「エネルギー問題や温暖化問題は差し迫った課題であり、とりわけ温暖化問題を現実的に貢献できる原子力発電は既存技術である軽水炉だけである」、「新規制基準を基本としてより安全な軽水炉システムの開発に重点を置くべきである」としている。要するに「軽水炉なら大丈夫」というのである。
ここでは、ウランの採掘から精錬や加工、原発の運転、廃棄物の処理に至るまでの危険性も、日本が地震や津波に襲われる国であることも、避難路がないことも無視されている。それは「新規制基準」の管轄外のことなので触れられていないのであろう。
けれども、事故が起きたのは「軽水炉」である。氏はその現実を忘れたかのように「軽水炉」を推奨しているのである。私は氏の提案を鵜呑みにするとはできない。機械と人間をそこまで信頼することは経験則に反するし、自然の猛威は人間の想定を超えるからである。
まとめ
私は、原子力エネルギーは人類社会にとって容認しがたい危険を伴っているので、その利用は止めるべきだと考えている。その根源的理由は「生物的世界は核の安定の上に成り立っている。原子力はその安定を破壊する技術である」(高木仁三郎)という見識や「核兵器や原発は『人類が自らを抹殺する力を持った』象徴であり、存在そのものが倫理的に許されない」(ギュンター・アンダース)という見識に共感しているからである。
だから、「死神」である核兵器は速やかになくすべきだし、電気エネルギーは必要だけれど、代替手段があるし、安全確保は不可能なので廃絶すべきだと主張するのである。
けれども、氏は、原発は必要だし、代替手段はないし、規制可能だというのである(氏が核兵器廃絶論者であることは承知している)。
日本政府は核兵器にも原発にも依存する政策を推進している。そして「核兵器は安全保障のために必要だ」、「原発は気候危機対処に必要だ」という言説が世間で通用している。こういう中で、田中氏は原発の利活用を推奨しているのである。
私は「核と人類は共存できない」と考えている。その核には原発も含めている。もちろん、自然界には放射性物質や放射線が存在する。けれども、それは人間のつくったものではない。だから、それを人間の意思でなくすことはできない。けれども、核兵器や原発は人間の作ったものである。だから、人間の意思でなくすことができる。
また、人間が制御し利用できる放射線も存在する。制御できる有用なものを捨てる理由はない。それらと核兵器や原発を混同してはならない。兵器としての原子力エネルギーは速やかに廃棄されるべきである。発電の手段としての原子力エネルギーの代替物は存在している。だから、その廃絶は可能であるし廃絶しなければならない。
(2025年10月29日記)
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