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2024.12.16
はじめに
2024年のノーベル平和賞を受賞した日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の代表委員の一人田中熙巳さんが、12月10日、ノルウェー・オスロでの授賞式で講演をしています。その結びの言葉は「人類が核兵器で自滅することのないように!!」、「核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!!」です。田中さんは、「核兵器も戦争もない世界」、そういう「人間社会」を創るための共同を呼び掛けているのです。私はその呼びかけにどのよう応えればいいのかと思案しています。そこで、ここでは、田中さんとの交流も含めてこの講演を振り返ることにします。
田中さんと私
田中さんとは四半世紀の交流になります。1999年、オランダのハーグで開催された「世界市民平和会議」(Hague・Appeal・for・Peace、HAP)で共同したことをきっかでした。HAPは、21世紀に戦争を根絶することをめざして開催された市民社会の会議でした。会議では「10の基本原則」が採択されました。その中に「各国議会は、日本国憲法第9条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである。」や「核兵器禁止条約の締結をめざす交渉が直ちに開始されるべきである。」という原則も含まれていました。
それから25年、「核兵器禁止条約」は発効しているのです。核兵器も戦争も廃絶しようとする運動は間違いなく前進しているのです。
それはそれとして、講演の内容に触れましょう。
田中さんの被爆体験
私は長崎原爆の被爆者の一人です。13歳の時に爆心地から東に3キロ余り離れた自宅で被爆しました。1945年8月9日、爆撃機1機の爆音が突然聞こえると間もなく、真っ白な光で体が包まれました。その光に驚愕(きょうがく)し2階から階下に駆け降りました。目と耳をふさいで伏せた直後に強烈な衝撃波が通り抜けていきました。その後の記憶はなく、気が付いた時には大きなガラス戸が私の体の上に覆いかぶさっていました。ガラスが1枚も割れていなかったのは奇跡というほかありません。ほぼ無傷で助かりました。
惨状をつぶさに見たのは3日後、爆心地帯に住んでいた2人の伯母の安否を尋ねて訪れた時です。私と母は小高い山を迂回し、峠にたどり着き、眼下を見下ろしてがくぜんとしました。3キロ余り先の港まで、黒く焼き尽くされた廃虚が広がっていました。れんが造りで東洋一を誇った大きな教会・浦上天主堂は崩れ落ち、見る影もありませんでした。麓に下りていく道筋の家は全て焼け落ち、その周りに遺体が放置され、あるいは大けがや大やけどを負いながらもなお生きているのに、誰からの救援もなく放置されているたくさんの人々。私はほとんど無感動となり、人間らしい心も閉ざし、ただひたすら目的地に向かうだけでした。
1人の伯母は爆心地から400メートルの自宅の焼け跡に大学生の孫の遺体と共に黒焦げの姿で転がっていました。もう1人の伯母の家は倒壊し、木材の山になっていました。祖父は全身大やけどで瀕死(ひんし)の状態でしゃがんでいました。伯母は大やけどを負い私たちの着く直前に亡くなっていて、私たちの手で荼毘(だび)に付しました。ほとんど無傷だった伯父は救援を求めてその場を離れていましたが、救援先で倒れ、高熱で1週間ほど苦しみ亡くなったそうです。1発の原子爆弾は私の身内5人を無残な姿に変え一挙に命を奪ったのです。
その時目にした人々の死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまでした。誰からの手当ても受けることなく苦しんでいる人々が何十人何百人といました。たとえ戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけないと、強く感じました。
13歳の多感な少年にとって、この体験がいかに重いものであるか容易に想像できるのではないでしょうか。その体験が田中さんをして被団協の活動を継続するネルギー源になっているのかもしれません。
次に、被団協についてです。
被団協の誕生
1954年3月1日のビキニ環礁でのアメリカの水爆実験によって、日本の漁船が「死の灰」に被ばくする事件が起きました。中でも第五福竜丸の乗組員23人全員が被曝して急性放射能症を発症、捕獲したマグロは廃棄されました。この事件が契機となって、原水爆実験禁止、原水爆反対運動が始まり、燎原(りょうげん)の火のように日本中に広がったのです。3千万を超える署名に結実し、1955年8月「原水爆禁止世界大会」が広島で開かれ、翌年第2回大会が長崎で開かれました。この運動に励まされ、大会に参加した原爆被害者によって1956年8月10日「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」が結成されました。
結成宣言で「自らを救うとともに、私たちの体験を通して人類の危機を救おう」との決意を表明し、「核兵器の廃絶と原爆被害に対する国の補償」を求めて運動に立ち上がったのです。
講演で触れられていない被団協の基本文書
講演では触れられていませんが、被団協はいくつかの基本文書を採択しています。被団協の運動を理解する上で必要と思われるのでそれを紹介しておきます。
まず、1984年の「原爆被害者の基本要求」です。
私たち被爆者は、原爆被害の実相を語り、苦しみを訴えてきました。身をもって体験した”地獄”の苦しみを、二度とだれにも味わわせたくないからです。「ふたたび被爆者をつくるな」は、私たち被爆者のいのちをかけた訴えです。それはまた、日本国民と世界の人々のねがいでもあります。核兵器は絶対に許してはなりません。広島・長崎の犠牲がやむをえないものとされるなら、それは、核戦争を許すことにつながります。
ここでは、「核兵器を絶対に許してはならない」とされているのです。核兵器が国家安全保障のために必要だなどという発想(核抑止論)は、「核戦争を許すこと」になると批判しているのです。日本政府の姿勢とは真逆であることを確認しておきましよう。
次に、2001年の「21世紀被爆者宣言」です。
原爆被害は、国が戦争を開始し、その終結を引きのばしたことによってもたらされたものです。国がその被害を償うのは当然のことです。
戦争への反省から生まれた日本国憲法は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意」しています。戦争被害を受忍させる政策は憲法の平和の願いを踏みにじるものです。
核兵器も戦争もない21世紀を―。私たちは、生あるうちにその「平和のとびら」を開きたい、と願っています。
被団協は、68年間、このような決意のもとに「核兵器も戦争もない世界」を求めてきたのです。しかも、刮目しておきたいことは、核兵器廃絶と憲法9条をしっかりとリンクさせていることです。被団協は、被爆体験の中から「核兵器も戦争もない世界」を希求し続けてきたことのです。田中講演の結びの言葉は、この「21世紀被爆者宣言」を踏まえてのものなのです。
被団協の被爆者援護を求める運動
田中さんは、被爆者に対する補償を求める運動について次のように述べています。
1957年に「原子爆弾被爆者の医療に関する法律(原爆医療法)」が制定されます。しかし、その内容は、「被爆者健康手帳」を交付し、無料で健康診断を実施するほかは、厚生大臣が原爆症と認定した疾病に限りその医療費を支給するというささやかなものでした。
1968年「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(原爆特別措置法)」が制定され、数種類の手当を給付するようになりました。しかしそれは社会保障制度であって、国家補償は拒まれたままでした。
1985年、日本被団協は「原爆被害者調査」を実施しました。この調査で、原爆被害はいのち、からだ、こころ、くらしにわたる被害であることを明らかにしました。命を奪われ、身体にも心にも傷を負い、病気があることや偏見から働くこともままならない実態がありました。この調査結果は、原爆被害者の基本要求を強く裏付けるものとなり、自分たちが体験した悲惨な苦しみを二度と、世界中の誰にも味わわせてはならないとの思いを強くしました。
1994年12月、2法を合体した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(被爆者援護法)」が制定されましたが、何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けてきています。もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい。
田中さんの怒りが伝わってきます。1963年の「原爆裁判」判決は、国の被爆者に対する施策について「政治の貧困を嘆かざるを得ない」としていましたが、その「政治の貧困」は解消されていないのです。この「政治の貧困」は、単に原爆被爆者に対してだけではなく、空襲被害者など戦争被害者に対する冷酷さとしても現れています。戦争被害は「国民等しく受忍すべき」であって(受任論)、国には責任はないという論理です(国家無答責論)。私たちは、この「国家無答責論」に基づく政府の政策を克服して、「国が戦争を開始し、その終結を引きのばしたこと」による責任に基づく国家補償を実現しなければならないのです。
田中さんの現状認識
田中さんは現在の世界情勢について次のように語っています。
今日、依然として1万2千発の核弾頭が地球上に存在し、4千発が即座に発射可能に配備がされている中で、ウクライナ戦争における核超大国のロシアによる核の威嚇、また、パレスチナ自治区ガザに対しイスラエルが執拗な攻撃を続ける中で核兵器の使用を口にする閣僚が現れるなど、市民の犠牲に加えて「核のタブー」が壊されようとしていることに限りない悔しさと憤りを覚えます。
私はこの認識に共感しています。核兵器の使用について、核兵器不拡散条約(NPT)は「核戦争は全人類に惨害をもたらす」としています。核兵器国の首脳たちも「核戦争に勝者はない。核戦争は戦ってはならない」などと宣言しています。けれども、核兵器保有国は核兵器をなくそうとはしてないだけではなく、核兵器の近代化を図り、核戦争に備えているのです。ノーベル委員会も「今日、核兵器使用のタブーが圧力を受けていることは憂慮すべきことである。」と婉曲な表現ですが、核兵器使用の危険が高まっていることを指摘しているのです。
核兵器廃絶に向けての被団協のたたかい
田中さんは、核兵器廃絶に向けての被団協の戦いを振り返っています。
私たちは、核兵器の速やかな廃絶を求めて、自国政府や核兵器保有国ほか諸国に要請運動を進めてきました。
1977年国連NGOの主催で「被爆の実相と被爆者の実情」に関する国際シンポジウムが開催され、原爆が人間に与える被害の実相を明らかにしました。
1978年と1982年にニューヨーク国連本部で開かれた国連軍縮特別総会には、日本被団協の代表がそれぞれ40人近く参加しました。
核拡散防止条約(NPT)の再検討会議とその準備委員会で発言機会を確保し、併せて再検討会議の期間に、国連本部総会議場ロビーで原爆展を開き、大きな成果を上げました。
2012年、NPT再検討会議準備委員会でノルウェー政府が「核兵器の人道的影響に関する会議」の開催を提案し、2013年から3回にわたる会議で原爆被害者の証言が重く受け止められ「核兵器禁止条約」交渉会議に発展しました。
2016年4月、「核兵器の禁止・廃絶を求める国際署名」は大きく広がり、1370万を超える署名を国連に提出しました。
2017年7月7日に122カ国の賛同を得て「核兵器禁止条約」が制定されたことは大きな喜びです。
こうしてみると、被団協は倦まず弛まず国内外で活動を続けてきたことが分かります。そして、核兵器禁止条約(TPNW)は2021年1月発効しているのです。TPNWが、ヒバクシャの「容認しがたい苦痛と被害」や核兵器廃絶のためのヒバクシャの努力に言及していることは周知のとおりです。
核抑止論批判
田中さんは核抑止論を次のように批判しています。
核兵器の保有と使用を前提とする核抑止論ではなく、核兵器は一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いです。想像してみてください。直ちに発射できる核弾頭が4千発もあるということを。広島や長崎で起こったことの数百倍、数千倍の被害が直ちに現出することがあるということです。皆さんがいつ被害者になってもおかしくないし、加害者になるかもしれない。ですから、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中の皆さんで共に話し合い、求めていただきたいと思うのです。
核兵器を日本政府や核兵器国のように「安全保障の道具」とするのではなく、「一発たりとも持つな」というのが「心からの願い」だというのです。もし核兵器がなくならないなら、私たちが被害者になるか、加害者になるかもしれないというのです。そして、核兵器をなくすためにどうしたらいいか共に話し合い、その廃絶を求めていきたいとしているのです。私たちは、その問いかけに真剣に応えなければならないのです。
原爆被爆者の高齢化
田中さんは次のように言います。
原爆被害者の現在の平均年齢は85歳。10年先には直接の体験者としての証言ができるのは数人になるかもしれません。これからは、私たちがやってきた運動を、次の世代の皆さんが、工夫して築いていくことを期待しています。
一つ大きな参考になるものがあります。それは、日本被団協と密接に協力して被団協運動の記録や被爆者の証言、各地の被団協の活動記録などの保存に努めてきたNPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の存在です。この会は結成されてから15年近く、粘り強く活動を進めて、被爆者たちの草の根の運動、証言や各地の被爆者団体の運動の記録などをアーカイブスとして保存、管理してきました。これらを外に向かって活用する運動に大きく踏み出されることを期待します。私はこの会が行動を含んだ、実相の普及に全力を傾注する組織になってもらえるのではないかと期待しています。国内にとどまらず国際的な活動を大きく展開してくださることを強く願っています。
被爆者が高齢化していることについては、ノーベル委員会も「いつの日か、被爆者は歴史の証人ではなくなるでしょう。」としているとおり厳しい現実です。こういう状況の中で、田中さんは「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」に期待するとしているのです。
この会のことは知らない方も多いと思いますが、田中さんが言うようにこの15年間被団協と伴走してきた組織です。田中さんはNHKのインタビューで、「この会が集め、補完している資料を上手に使えば、被爆2世でも3世でも普通の人でもできるので、被爆者ができなかったこと、やり通せなかったことを受け継いでもらえるかなと期待をしている。」と言っています。
私もこの会の理事の一人として田中さんの期待に応えなければ思っています。
田中講演の結び
世界中の皆さん。「核兵器禁止条約」のさらなる普遍化と核兵器廃絶の国際条約の策定を目指し、核兵器の非人道性を感性で受け止めることのできるような原爆体験の証言の場を各国で開いてください。とりわけ核兵器国とそれらの同盟国の市民の中にしっかりと核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付き、自国の政府の核政策を変えさせる力になるよう願っています。
人類が核兵器で自滅することのないように!!
核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!!
田中さんは、核兵器禁止条約の普遍化を目指し、核兵器の非人道性を感性で受け止める機会となる被爆証言の場を確保して、核兵器国やその同盟国の市民の中で「核兵器と人類は共存できない」という信念の醸成し、「自国の政府の核政策を変える力」になって欲しいとしているのです。まさにそのとおりです。核兵器国やその同盟国の市民社会の変化なくしてこれらの国の政府の核政策は変わらないからです。
田中さんは、今日まで、被爆者は闘ってきたけれど、命は尽きようとしている。その闘いを引き継いで欲しい。核兵器で自滅することのないようにしようと言っているのです。そうしなければ「被害者になるか、加害者になるかだ」というのです。
こうして 田中さんは、私たちに「核兵器も戦争もない世界」を求めて共同しようと呼びかけているのです。
ノーベル委員会は、被団協の「記憶を留めるという強い文化と継続的な取り組みにより、日本の若い世代は被爆者の経験とメッセージを継承しています。彼らは世界中の人々を鼓舞し、教育しています。このようにして、人類の平和な未来の前提条件である核兵器のタブーを維持する手助けをしているのです。」としています。
私の周囲にも新しい息吹は存在しています。「核兵器も戦争もない世界」を創ることは決して夢物語ではありません。核兵器は人間の作ったものであり、戦争は人間の営みだからです。核兵器のみならず軍隊のない国は26ヵ国も存在していることを思い出しておきましょう。核兵器や軍隊がなくても人間は生活できるのです。
田中さんの呼びかけに応えようではありませんか。(2024年12月11日記)
2024.12.11
11月26日、新婦人(新日本婦人の会)光が丘21班主催の「オータムフェスタ」で「原爆裁判と『虎に翼』」というテーマで特別講演をした。東北大学法学部の後輩の斎藤文子さんによると、そのフェスタで落語をやるか私を呼ぶかで迷ったけれど、私が「虎に翼」に関わっているので、呼んでみようということになったのだという。「お金は少ししか出せないし、難しい話は駄目だけれど来てくれるか」というから、可愛い後輩の頼みだし、所沢と練馬の光が丘は近いし、核廃絶と憲法の話をするいい機会だからと二つ返事でオーケーしたのだ。
主催者は感じのいいチラシを作っていた。そこにはこんなリード文が書かれていた。
NHKの朝ドラ『虎に翼』で、「原爆裁判」という言葉を初めて聞いたという人が多かったのではないでしょうか。女性として初の裁判官になった三淵嘉子さん(朝ドラの佐田寅子のモデル)は、その原爆裁判の裁判官の一人でした。1963年の原爆裁判の判決で「原爆投下は国際法違反」と踏み込んだ司法判断は、当時の日本では考えられない驚くべき内容を含むものでした。「原爆裁判」の訴訟資料は、日本反核法律家協会に託され、現在会長の大久保賢一弁護士が保管しています。講演では、原爆裁判や朝ドラ制作の裏話も含めてお話しいただきます。どなたでも参加できます。入場無料。
私の講演だけではなく、サークルの展示も行われていた。
会場は光が丘区民センターの会議室で40人が定員のマイクが使えない部屋だった。そこに50名の人が来てしまったので立ち見が出る盛況だった。パワポは使えないというので、6ページのレジメを40部持参したけれど足りなくなってしまったし、マイクがないので立ったまま声を張り上げなければならなかった。声帯にコラーゲンを注入しておいてよかった(片方の声帯にマヒがあるのだ)。それでも後ろの方は聞きにくかったらしい。せっかくのいい話なのに申し訳ないことをした。
斎藤さんの注文は「あなたの話はむずかしいから、普通のおばさんでもわかるように話して」というものだったので、それなりに工夫をした。「虎に翼」を最大限活用したし、「裏話」もそれなりに混入した。けれども、そもそも「原爆裁判」というのは核兵器という究極の暴力を法で裁くということなのだから、どこかでむずかしくなることは避けられない。おまけに、憲法9条の背景には原爆投下があっという話もするのだから、わかり易くと言われても限度がある。そこで、資料に語ってもらうことにした。「原爆裁判」の判決の抜粋や当時の政府の見解や幣原喜重郎の国会答弁などをレジメに含めたのだ。これは大いに役に立った。参加者は「虎に翼」で判決のさわりを知っているけれど、詳しくは知らないので、うけるのだ。加えて、当時の政府が「一度び戦争が起これば人道は無視され、個人の尊厳と基本的人権は蹂躙され、文明は抹殺されてしまう。原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、または逆に戦争の原因を収束せしめるかの重大な段階に達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を滅ぼしてしまうことを真剣に憂へているのである。ここに、本章(2章・9条)の有する重大な積極的意義を知るのである。」などとしていたことや幣原喜重郎が語ったことなど「初耳」だろうから、真剣に聞いてくれたのだ。やはり、事実と道理が持っている説得力は違う。
ところで、このフェスタには何人かのおじさんも参加していた。何ともほほえましい光景だった。その中に東北大学法学部の先輩で自由法曹団の元団長の菊池紘弁護士がいた。光ヶ丘団地に住んでいて、斎藤さんの知り合いということで参加していたのだ。何ともうれしかった。その菊池さんが、斎藤宅での「打ち上げ」の場で、私の話を「メモを取りながら聞いていた」と言っていた。私も斎藤さんも、授業にはあまり出ていなかったことを反省する立場にあるけれど、菊池さんは活動もしていたけれど、さっさと司法試験に受かった人だ。その人がメモを取ったというのだから私の話もそれなりのものだったのだろう。
この団地には私の連れ合いの後輩も住んでいる。半世紀以上前の話に花が咲いた。共通の友人や知人がいるからだ。悲しいことに既に鬼籍に入った人もいる。自分たちも後期高齢者になっているのだから無理もない。
それでも、まだ、みんな、核兵器廃絶や憲法9条にこだわって、何かをしているのだ。「90の凄さが分かる80歳」という川柳があるけれど、80歳にはもう少しだけ時間がある。「百歳は通過点」という故肥田舜太郎医師の言葉を思い出しながら帰路に着いたものだった。(2024年12月3日記)
2024.12.11
新潟からのお誘い
12月1日、新潟で「『原爆裁判』を現代に活かす―核兵器も戦争もない世界を創るために-」と題する講演をする機会がありました。「新潟の新しい未来を考える会」の片桐奈保美会長からの依頼でした。この会は原発の再稼働に反対して小泉純一郎元首相の講演会を開催したり、「柏崎・刈羽原発再稼働を問う県民投票条例」の制定を求める運動をしている市民団体です。
片桐さんから、NHKの「視点・論点」を視ていたら興味深い話をしているので、新潟に呼びたいという連絡をもらったのは、9月半ばのことでした。「虎に翼」は終わっていませんでしたし、被団協のノーベル平和賞受賞はまだの時期でした。片桐さんは、「視点・論点」を録画して仲間に相談したそうです。「視点・論点」のテーマは「現代に生きる原爆裁判」で、その結びは「(日本国憲法の)徹底した非軍事平和主義を踏まえながら、原爆裁判の現代的意義を再確認し、核兵器も戦争もない世界を創造することが、原爆裁判からの私たちへの宿題だと受け止めています。」でした。片桐さんは、その番組に共感して、共通の知人である和田光弘元日弁連副会長の紹介で連絡をくれたのです。
私は喜んでお受けしました。核兵器廃絶や憲法9条の話を聞いてもらえる機会を大事にしたいと思っているからです。
当日の様子
当日、会場の万代シルバーホテルには、220名からの人たちが参加していました。西村智奈美議員と米山隆一議員お二人とあいさつを交わしました。赤井純治新潟大学名誉教授が「日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める署名」を呼びかけていました。赤井さんからは「原水爆禁止世界大会2023年科学者集会の記録」をいただきました。
会場がホテルというのは凄いことです。私の講演はだいたいが公共施設だからです。しかも、社会派講談師の神田香織さんとのコラボでした。こういうこともありません。だいたいが一人なのです。神田さんの演題は「はだしのゲン」でした。私は中沢啓治さんの原作を読んでいますが、神田さんの創作講談は初めてでした。神田さんの語りに漫画のゲンの姿を重ね合わせながら聞き入りました。神田さんは「はだしのゲン」が広島の学校教材から外されることに強い怒りを持っていることや、被団協のノーベル平和賞受賞は核兵器が使用される危険性が高まっていることを意味しているなどと「前口上」で語っていました。「そうだ、そうだ」と共感したし、講談がこんなに胸に迫ってくることを初めて体験しました。
私の話
そのあと私の話です。神田さんの語りの後なので、「原爆裁判」の話は大変やりやすくなりました。原爆が人間に何をもたらしたかを神田さんが表現してくれていたからです。「はだしのゲン」と「原爆裁判」のコラボです。
私は「原爆裁判」は被爆者支援についても、核兵器の違法性を確立する国際法の分野でも大きな役割を果たしているということと、憲法9条の背景には原爆投下があったことを話しました。パワーポイントの資料を参加者に配布してもらうだけではなく大型スクリーンも利用しました。口を開けて上を向いて寝ている参加者は気になりましたが、多くの人は静まり返るように聞いてくれていました。リアルで講演していると参加者の受け止め方は痛いほど感ずるのです。
うれしかったこと
私を最初に迎えてくれて、しかも最後までお付き合いしてくれた近藤正道弁護士(元参議院議員・会派は社民党護憲連合)は、「憲法は『専守防衛』とか『集団的自衛権の禁止』ではないもっと徹底した平和主義だということが分かった。そこから話し始めていたことを反省しなければならない。」と懇親会のスピーチで述べていました。私は日本国憲法の到達点を「専守防衛」に留めてしまうことは「核のホロコースト」の上に制定されている憲法の現代的意義を過小評価することになると考えています。だから、近藤さんの受け止めは本当にうれしいことでした。
また、神田さんは「ゲンの話をこういう形で深めてもらえることは嬉しい」と言っていました。私は神田さんの講談を講演の中で大いに活用させてもらいました。こういうタッグは聞く人にとっても理解しやすくなるのではないでしょうか。企画した人は凄いと思ったし、「またこういう機会を持ちましょう」と神田さんと約束しました。
ところで、先の総選挙で、新潟の5小選挙区は全て立憲民主党の候補者が当選しました。当日、新潟を訪れていた野田佳彦代表は「全員当選は2009年以来で画期的なこと」と評価しています(「新潟日報」12月2日付)。その背景には新潟での「市民と野党の共闘の伝統」があることは間違いないでしょう。私は、今回、新潟の皆さんと触れ合うことによって、新潟には地道で包摂性のある運動があるのだということを実感しました。「市民と野党の共闘」があれば政治は変えられます。それがなければ政治の停滞は続くでしょう。
昭和40年に東北大学法学部に一緒に入学した中村哲也君(新潟大学名誉教授)もその活動に参加していました。故広中俊雄先生の愛弟子だった彼らしいことだと、何ともうれしい思いになりました。なお「新潟日報」が写真入りで報道していました。貴重で有意義な新潟行きでした。新潟の皆さん、ありがとうござました。(2024年12月2日記)
2024.11.28
はじめに
先日(11月26日)、アメリカのロータリークラブのメンバーとオンラインで話をする機会があった。テーマは「なぜ、日本政府は核兵器禁止条約に背を向けるのか」だ。きっかけは、清泉女子大学の松井ケティさんからの、このテーマでロータリーの仲間に話をしてくれないかという依頼だった。彼女とは、1999年にオランダ・ハーグで開催された「世界市民平和会議」(Hague・Appeal・for・Peace、HAP)で共同したことをきっかけとして友人なのだ。友だちの頼みだし、こういうことに興味を持っているアメリカ人がいるとは思っていなかったので、後先を考えないで引き受けた。事前にケティさんに私の見解を渡して、彼女がそれを翻訳して、メンバーと共有したうえでの対話だった。
私の見解
私の見解の概要は次のようなものだった(被団協のことも紹介したけれど割愛する)。
日本政府はTPNWを敵視していますが、日本の市民社会は、速やかな署名と批准を求めています。とりわけ、被爆者の願いは切実です。1945年8月、広島、長崎への原爆投下によって「容認しがたい苦痛と被害」を被った被爆者は高齢化しているからです。
なぜ、日本政府はそのような姿勢をとるかですが、TPNWは核兵器を全面的に禁止しているからです。日本政府は、アメリカの核兵器を自国の安全保障の「守護神」としているので、そのカードを取り上げてしまうTPNWは国家の安全を危うくするというのです。国家の安全なくして国民の命と財産を守ることは出来ない。国家の安全を危うくするTPNWは、国民の生命と財産を危うくするので絶対に容認できないという論理です。「笑えない喜劇」あるいは「泣けない悲劇」のようですが、それ現実です。
けれども、この姿勢は日本政府だけのものではありません。TPNWの発効が現実化しようとした2020年10月、アメリカは、各国に「核兵器禁止条約に関するアメリカの懸念」と題する「書簡」を送りました。批准国には「この条約は、効果的な検証の必要性や悪化する安全保障環境に対処していない」ので「批准・加入書を撤回すべき」だとしていました。未批准国には、TPNWは「危険なまでに非生産的だ」、「国際社会の分裂に拍車をかける」などとしてTPNWへの賛同を阻止しようとしたのです。アメリカも核兵器は自国の安全を確保するための抑止力だとしているので、それを否定するTPNWは容認できないのです。
このように、核兵器によって自国の安全を確保しようとする国家は「絶滅だけを目的とした狂気の兵器」である核兵器の保有を続け、TPNWを敵視しているのです。
メンバーからの質問
メンバーからはいくつかの質問が寄せられた。
①日本は核開発をしなかったのか。
②今、日本に核兵器はないのか。
③地方自治体はどのような姿勢をとっているのか。
④日本のロータリークラブはどのような姿勢なのか。
⑤ノーベル平和賞の授賞式が行われる時、日本は何時なのか、などと言うものだった。最後の質問は授賞式をリアルタイムで視られるのかという心配だったようだ。
私のそれぞれの問いに対する答えは次のとおりだ。
①戦前、日本でも核開発を行っていたが、敗戦によって途絶えた。現在は、公式には行われてはいないが、陰でのことは判らない。
②かつて、沖縄の米軍基地などには配備されていたが、現在は配備されていない。持ち込まれているかどうかは、アメリカが「肯定も否定もしない」という態度なので分からない。
③地方自治体には「非核都市宣言」をしているところや、TPNWへの参加を求める決議をしているところもある。また、世論調査では、TPNW参加賛成が多数だ。
④日本のロータリークラブが、核兵器廃絶のためにどのような活動をしているかは承知していない。
⑤オスロと日本の時差はあると思うけれど、テレビは大きく取りあげるだろうし、国民の関心は高い。とにかくビッグニュースなのだ。
メンバーからの意見
メンバーからは日本のロータリーと繋がりたいという意見もあったけれど、私にその伝手はないので、別ルートでやって欲しいと応えた。ワシントン州から参加していたメンバーは、ニューメキシコ州のメンバーとは交流しているし、4月にはシアトルで核廃絶や先住民の核被害についてのイベントをする計画だと教えてくれた。ニューメキシコ州にはロスアラモスやトリニティ実験場がある。ワシントン州には長崎に投下された原爆の材料プルトニウムを製造していたハンフォード・サイトがあるし、核被害者による訴訟も提起されている。「なるほど」と納得できる話だった。シアトルでのイベントに参加してもらえたらうれしいと言われたけれど、とりあえず、デュポール大学に宮本ゆきさんという核問題の研究者がいることと、日本でもそのイベントは紹介するので詳細が分かり次第教えて欲しいと伝えた。アメリカで核兵器廃絶や被爆者支援のために活動している人たちとの交流は大切にしなければならない。
感想
参加メンバーは、ケティさんと私以外に5名だった。うち女性は4名で唯一の男性はインドの人だった。ケティさんの集まりには、ウォード・ウィルソンという「核をめぐる5つの神話」(黒澤満監訳、法律文化社、2016年)という本を書いている研究者もいるけれど、この日の参加はなかった。ちなみに、この本は有意義で私も引用させてもらっている。共通の言語で語り合えればうれしいけれど、私には無理だ。ケティさんの通訳に依存するしかない。けれども、「あなたの意見は解りやすかったし、理解できた」という人もいたし、ケティさんによれば「皆さん喜んでおられました」とのことなので、引き受けてよかったと思っている。貴重で楽しい時間だった。(2024年11月28日記)
2024.11.22
はじめに
「核兵器廃絶のために、今、私がしていること。これからしたいこと」は、11月16日に広島で開催された日本反核法律家協会創立30年記念イベントでのリレートークのテーマです。日本反核法律家協会は1994年8月に、被爆者支援と核兵器廃絶を目的として設立されました。初代会長は松井康浩弁護士でした。その後、2011年の福島原発事故を受けて「原発廃止」も目的としました。創立以来、国内外の反核平和運動の人たちと交流してきました。特に、この8年間は「朝鮮半島の非核化」をテーマに意見交換会を開催してきました。今年もそのテーマでとも思いましたが、来年被爆80年を迎えるので、核兵器廃絶のために運動している様々な人にリレートークをしてもらうことにしたのです。核兵器廃絶の運動は被団協をはじめ原水協などの伝統的な運動体もありますが、むしろ、それぞれの想いで活動している人に話をしてもらおうと試みたのです。持ち時間は10分ということにしました。NHKの「時論・公論」や「視点・論点」などの例にならったのです。
多彩なスピーカー
発言者は次の13名でした(予定していた平岡敬元広島市長は体調が悪くて登壇できませんでした)。最年長は87歳の英語で被爆体験を語る小倉桂子さん。最も若いのは盈進中学高校のヒューマンライツ部の生徒たち。女優の斎藤とも子さん、詩人のアーサー・ナードさん、歌手であり映画プロデューサーの中村里美さん。元外交官の小溝泰義さん、韓国の弁護士崔鳳泰さん、反核医師の会の原和人さん。カクワカ・ヒロシマの田中美穂さん、第5福竜丸展示館学芸員の市田真理さん、ANTヒロシマの渡部朋子さん、核廃絶日本キャンペーンの浅野英男さん、非核の政府を求める会富山の渡邊眞一さんです。
皆さんのスピーチはそれぞれの体験に基づく反核の想いを込めた素晴らしいものでした。普段は口うるさい弁護士たちも何人か参加していましたが、その彼らが「話を聞いていて泣きそうになった」、「涙がにじんできた」、「泣いてしまった」などと言うのです。私もその一人でした。参加していたNHK関係者からは「皆様の素晴らしいお話をうかがい実りある時間でした」、「多様な方々、とりわけ若い世代の反核の取り組みが広がっていることが喜びとともに学びとなりました」などという感想が寄せられています。
寄せられたメッセージとご挨拶
ポーランドやカザフスタンの反核法律家、被団協、青法協、ノーモアヒバクシャ記憶遺産を継承する会、原水禁などからのメッセージが寄せられました。被団協の田中熙巳代表委員からはビデオメッセージを寄せてもらい、広島の被団協関係者、参議院議員で非核の政府を求める会常任世話人の井上智士さん、ICANの川崎哲さんからはリアルでのご挨拶をいただきました。田中熙巳さんは「発言者の中に、被団協のメンバーがいない。」と言っていましたが、主催者としては「被団協の活動を継承する決意を持っている人たちを選択した。」ということだとご理解いただければと思っています。このイベントは、被団協のノーベル平和賞受賞よりも前に企画したものでしたが、受賞によって「錦上花を添える」ことになったと思っています。 ノーベル賞受賞団体のICANおよび被団協の双方からご挨拶をいただけたことは本当に光栄でした。
主催者の想い
私は主催者として次のような挨拶をしました。
今年は私たち協会が発足して30年になりますが、今年ほど、うれしいことがあった年はありません。まずは、被団協のノーベル平和賞受賞です。被爆者支援と核兵器廃絶をめざす私たちも被団協に伴走してきました。被団協の平和賞受賞はまさに「同志」の受賞として心からうれしいことでした。
また、NHKの朝ドラ「虎に翼」では「原爆裁判」が丁寧に取り上げられました。松井康浩初代会長が残してくれた裁判資料が大いに役に立ったことをうれしく思っています。
これらのことは私たちに大きな励ましと勇気を与えてくれています。けれども、世界にはまだ核兵器は存在していますし、被爆者を含む戦争被害者の救済も不十分です。
来年、被爆80年を迎えます。ノーベル委員会は「今日、核兵器使用に対するこのタブーが圧力にさらされている」としています。核兵器使用の危険性が高まっていると警告しているのです。また、「被爆者はわれわれの前からいなくなる」ともしています。私たちは核兵器廃絶を「自分事」として実現しなければならないのです。
今日は、様々な世代の様々なポジションでたたかっている方たちにスピーチをお願いしています。限られた時間ですが、ぜひ、それぞれの想いを語っていただいて、一刻も早く「核兵器のない世界」を実現したいと思っています。
私たち日本反核法律家協会も「原爆裁判」を提起した先輩たちに思いを馳せながら、引き続き市民社会の一員としての役割を果たす所存でいます。
むすび
来年被爆80年です。まだ、世界には約12200発の核兵器があります。「核戦争は戦ってはならない。」と言われていますが、核兵器に依存しての国家の安全をいう勢力が政治権力を握っています。彼らは核兵器を「平和の道具」だというのです(核抑止論)。核兵器という「悪魔の兵器」に命と安全託すという「最悪の集団的誤謬」からの脱出が求められているのです。私たちの手には、既に、核兵器禁止条約という国際法の枠組みと日本国憲法という「核の時代」の非軍事平和規範があります。それらは最大限活用し、核兵器も戦争もない世界を実現しなければならないのです。そのための主体的力は、間違いなく、市民社会の中で育っています。「市民社会は歴史の竈である」(マルクス)という言葉を実感することのできるリレートークでした。ご協力、ご尽力いただいた皆さん。本当にありがとうございました。なお、イベントの様子は以下のYouTubeで視聴できます。
https://youtube.com/live/jmLBZHDJPsE?feature=share (2024年11月22日記)
2024.10.17
はじめに
日本原水爆被害者団体協議会 (被団協)がノーベル平和賞を受賞した。被団協の活動を身近で見てきた私としても、本当にうれしい。地獄の体験をした被爆者が「人類と核は共存できない」、「被爆者は私たちを最後に」と世界に訴え、核兵器が使用されることを防いできたことを思えば、この受賞はむしろ遅かったくらいだとも思う。この受賞は「核兵器も戦争もない世界」を実現する上で大きな力を発揮するであろう。私も最大限の活用をしたいと決意している。まだ、核兵器はなくなっていないし、戦争被害者救済は道半ばなのだから。そこで、ここでは、「原爆裁判」を扱うことで核兵器問題を喚起してくれた「虎に翼」を出汁にして「核も戦争もない世界」を展望してみたい。これは本書のまとめのようなものである。被団協は、本書でも述べたように、「原爆裁判」を高く評価しているので、受賞祝いになればいいとも思っている。
「虎に翼」は面白かった
「虎に翼」を大いに楽しませてもらった。連れ合いや娘も含めて周りでも大好評だった。各人がそれぞれの推しの部分を持っていて、楽しそうに披露しあったものだ。私は「くらしに憲法を生かそう」をモットーに弁護士活動を続けてきたので、新憲法の価値がベースに置かれていたことと「原爆裁判」が取り上げられたことがうれしかった。
特に、「原爆裁判」については、資料提供をしていたし、一人でも多くの人に「原爆裁判」を知ってほしいと思っていたので、丁寧に描かれていたことは感動だった。
「原爆裁判」が提起したこと
「原爆裁判」は被爆者救済と核兵器禁止を求める裁判だった。戦争被害者救済と核兵器廃絶の「事始め」であり「政策形成訴訟」の先駆けだったのだ。それはまた、核兵器という「最終兵器」に対して法という「理性」が挑戦するということでもあった。そして、それは空前絶後の裁判となるであろう。なぜなら、次に核兵器が使用されれば、人類社会は壊滅しているかもしれないので、誰も裁判など起こせないからだ。
核兵器使用禁止は「公理」なのに
核兵器使用が何をもたらすか、それは多くの人が知っている。被爆者たちが命を削って証言してきてくれたおかげだ。「原爆裁判」を提起した岡本尚一弁護士は「この提訴は、今も悲惨な状態のままに置かれている被害者またはその遺族が損害賠償を受けるだけではなく…原爆の使用が禁止されるべきである天地の公理を世界の人に印象づけるでありましょう。」と言っていた。
核兵器不拡散条約(NPT)は「核戦争は全人類に惨害をもたらす。」としているし、核兵器禁止条約は「核兵器のいかなる使用も壊滅的人道上の結末をもたらす。」としている。核五大国の首脳も「核戦争を戦ってはならない。核戦争に勝者はない。」としている。核兵器使用禁止は「公理」なのだ。ノーベル平和賞選考委員会は「核のタブー」という言葉を使っている。
にもかかわらず、核兵器はなくなっていない。むしろ、核兵器使用の危険性は高まっている。その理由は、国家安全保障のために核兵器は必要だとする核兵器依存勢力(核抑止論者)が力を持っているからだ。彼らは「今は核兵器を手放さない」、「今は核兵器に依存する」としていることを見抜いておかなければならない。
核兵器の特質
核兵器がどのようなものであるか。被爆者の証言もあるけれど、ここでは、「原爆裁判」の判決を引用しておく(要旨)。
原爆爆発による効果は、第一に爆風である。原爆が空中で爆発すると、直ちに非常な高温高圧のガスより成る火の玉が生じ、火の玉からは直ちに高温高圧の空気の波(衝撃波)が押し出され、地上の建造物をあたかも地震と台風が同時に発生したのと同様な状態で破壊し去る。第二の効果は熱線である。熱線は可視光線、赤外線のみならず、紫外線も含み、光と同じ速度で地表に達すると、地上の燃え易いものに火災を発生させ、人の皮膚に火傷を起こさせ、状況によっては人を死に導く。第三の、そして最も特異な効果は初期放射線と残留放射能である。放射線は、中性子、ガンマー線、アルファ粒子、及びベータ粒子より成り、中性子やガンマー線が人体にあたるとその細胞を破壊し、放射線障害を生ぜしめ、原子病(原爆症)を発生させる。爆弾の残片から放射される残留放射線は微粒となって大気中に広く広がり、水滴に附着して雨を降らせ、あるいは死の灰となって地上に舞い降り、人体に同様の影響を及ぼす。
原爆は、その破壊力、殺傷力において従来のあらゆる兵器と異なる特質を有するものであり、まさに残虐な兵器である。
核兵器の最も特異な効果
判決は放射能による人体の細胞に対する影響を「最も特異な効果」としている。この認定は核兵器の特性を的確に捉えているようである。例えば、核化学者であり反核の市民活動家であった高木仁三郎氏(1938年~2000年)は次のように言っている。「核技術は生物にはまったくなじみのないものである。生物世界は原子核の安定の上に成り立っているが、核技術は原子核の崩壊―いわばその不安定の上に成り立っている。」(『核エネルギーの解放と制御』、「高木仁三郎セレクション」岩波現代文庫所収)。
要するに、核技術はヒトという生物体と相容れない存在ということなのだ。核分裂エネルギーを原爆という兵器で利用しようが湯沸し器(原発は核分裂エネルギーで水を沸かし蒸気の力で電気をつくる装置)という「平和利用」であろうが、それは同じことなのだ。福島の原発事故をみればそのことは明らかであろう。そうすると、私たちは、核兵器廃絶にとどまらず、原発のような核技術もその視野に入れなければならないことになる。
ダモクレスの剣
「ダモクレスの剣」とは王位をうらやむ廷臣が王座に座らされ、頭上に毛髪一本でつるされた剣に気が付くという故事である。
私は、この「ダモクレスの剣」の話を、2011年6月19日(3・11大震災の直後)、ポーランドで開催された国際反核法律家協会の総会で、核兵器使用や使用の威嚇を絶対的違法としたウィラマントリー元国際司法裁判所副所長から聞いた。氏は「核兵器と核エネルギーはダモクレスの剣の二つの刃である。核兵器の研究と改良によって鋭利な方はいっそう危険なものになり、鈍いほうの刃は原子炉の拡散によって危険なレベルまで研磨されつつある。剣をつるす脅威の糸は、少しずつ切り刻まれつつある。…ダモクレスの剣は日々危険なものになりつつある。」という話である(『反核法律家』71号)。
私たちは、核兵器と原発という二つの剣の下で生活していることを忘れてはならない。
私たちの課題
石破茂首相は、被団協のノーベル平和賞受賞について「極めて意義深い」と言っている。けれども、彼は「核共有」を口にし、「核の潜在的抑止力を持ち続けるためにも、原発を止めるべきではない。」としている人である。加えて、アジア版NATOをつくることや憲法9条2項を削除して「国防軍」の創立も主張している。彼は核兵器も原発も必要としている人なのである。おまけに「軍事オタク」なのだ。
結局、私たちは、核兵器と原発という二本の剣の下での生活を強いられていることになる。その剣は、意図的にも、事故によっても、落ちてくる。あの時、米国は原爆を意図的に投下した。原発事故は、10年以上過ぎた現在でも、故郷に戻れない人を生み出している。核兵器使用の危険性はかつてなく高まっているし、原発回帰は既定路線とされつつある。核技術がもたらす危機は「有事」だけではなく「平時」にも潜んでいるのだ。
この危険は客観的に存在する否定しがたい現実である。それを解消するためには、その危険を認識し、主体的に努力する以外の方策はない。生物体である私たちは核分裂エネルギーと対抗できない存在であることを忘れてはならない。その危険の解消に失敗するとき、人類は人類が作ったものによって、滅びの時を迎えることになるであろう。
「虎に翼」の「原爆裁判」や被団協のノーベル平和賞受賞は、そのことに思いを馳せるいい機会になっているのではないだろうか。私は、これらの出来事を「核も戦争もない世界」を創るエネルギー源にしたいと思っている。
(2024年10月17日記)
2024.9.13
初回放送日:2024年9月9日
連続テレビ小説「虎に翼」でも描かれた「原爆裁判」。
戦後まもなく被爆者が原爆投下の責任を追及し、訴えを起こした裁判が、現代に何をもたらしたのかを考えます。
こちらからテキスト版をご覧いただけます
(NHKのサイトに移動します)
2024.8.9
非核とは核兵器廃絶のことです。平和とは、究極的には敵意が存在しないことですが、ここでは戦争の放棄としておきましょう。私は、平和委員会のメンバーですから、非核も平和も求めています。だから、「非核と平和を一体に」と言われれば「そりゃそうだ」と思う一人です。
けれども、核兵器廃絶と戦争放棄は別の問題なのです。その理由は核兵器がなくても戦争はできるからです。ロシアは核兵器使用なしでウクライナ侵略をしていますし、イスラエルもパレスチナでの虐殺を継続しています。核兵器廃絶と戦争放棄は別問題だということがよくわかります。
そういう事情があるので、反核運動の中で、9条の擁護や世界化には消極的な人もいますし、「改憲阻止」をいう人に核兵器禁止条約を語ってもスルーされてしまうこともあるのです。
けれども、戦争という手段がある限り、核兵器は最終兵器ですから手放さない人が出てくるのです。現に世界はそうなっています。だから、核兵器廃絶と9条の擁護・世界化をリンクさせなければ、核兵器も戦争もなくならないことになるのです。
このように「非核と平和を一体に」というスローガンは重要な意味を持つのです。
ところで、今年の原水禁世界大会で志位和夫さんは、憲法9条には「戦争を二度と引き起こしてはならないという決意とともに、この地球上のどこでも核戦争を絶対に惹き起こしてはならないという決意が込められています」、「非核の世界をつくるたたかいと平和なアジアをつくるたたかいは、憲法9条という点でも深く結びついています」として、「”非核と平和を一体”として、草の根から運動を進めよう」と呼びかけています。私はこの呼びかけに「我が意を得たり」と共感しています。核兵器も戦争もない世界を一刻も早く実現したいからです。(2024年8月7日記)
2024.8.9
進められている「対中戦争」の準備
政府は、南西諸島だけではなく、本土の自衛隊基地の強化、米軍と自衛隊の一体化などを進めている。官民を問わず防衛秘密が増え、学術会議は攻撃され、自治体への政府の「指示権」が強化され、軍事費は聖域とされている。
その理由は、中国、北朝鮮、ロシアという「独自の歴史観・価値観」を持つ国が、日本の安全保障を脅かしているので、それと対抗するためだとされている。
更に、自由で開かれたインド・太平洋地域を含む国際秩序を米国との同盟や同志国との連携を強めながら確保するためとも言われている。日本の安全保障だけではなく「民主主義国」と共同しての「既存の国際秩序の維持」という目的もあるのだ。
そして、現在の中国は、我が国と国際社会の「深刻な懸念事項」であり、「我が国の総合的な国力と同盟国・同志国等との連携により対応すべきものである。」とされている。
その上で、「台湾は大切な友人」なので「一方的な現状変更や各種事態の生起を抑止するため、自衛隊による米軍艦艇・航空機等の防護といった取組を積極的に実施する。」とされているのである。
このように、現在進行している戦争準備は台湾をめぐるものであり、日本の自衛のためなどではないのだ。これが「台湾有事」の正体である。政府は、台湾のために日本を戦争する国にし、最悪の場合は、核攻撃を招くような危険な政策をとっているのである。
そもそも、台湾の人たちが、どのような政治体制の下で生活するかは台湾の人たちに任せるべき事柄であって、私たちの命や自由や財産を危険にさらすような問題ではない。台湾を植民地支配し、中国大陸を侵略して、中国の民衆に塗炭の苦しみを与えたことに対する反省と謝罪は必要であるとしても、私たちが台湾のために犠牲を払う理由はない。反省や謝罪を拒否する諸君が、台湾支援をいう姿は醜悪でしかない。
私たちは、政府が中国を念頭に、米国などと共同して、軍事力を増強していることを見抜き、中国との間で「熱い戦い」など、絶対起こさないよう運動を強めなければならない。そうしなければ、沖縄の人々が、今度は中国軍による攻撃で多くの犠牲を払うことになるだけはなく、本土の人々も核ミサイル攻撃の対象とされるであろう。もちろん、中国本土や台湾での被害も甚大であろうが、軍事産業はほくそ笑み、軍人は「どや顔」で闊歩することになる。
台湾の人たちはどう考えているのか
ところで、台湾の人はどう考えているかである。そのことを少しでも知りたくて、5月22日~26日の5日間、日本AALAが企画した台湾・金門島、花蓮市をめぐる「平和のための市民交流の旅」に参加した。この時の体験を少し再現しておく。
この時期は、丁度、中国が台湾の頼清徳新総裁の姿勢に反発して軍事演習をしている最中だった。もちろん、台湾でもニュースになっていたけれど、現地のガイドは「いつものことです」として緊張感はまったくなかった。金門島出身の琉球大学への交換留学経験のある青年も、普通に台北と金門島を行き来して(飛行機で片道1時間10分程度)、私たちを案内してくれた。
彼らには緊張感など何もなかった。ホテルで見たNHKニュースの大騒ぎは何なのかと思ったほどである。
台北では、国立台湾中央研究院の研究者と交流した。彼らの基本的スタンスは「私たちは大陸中国による台湾に対するあらゆる侮蔑、弾圧や武力による威嚇に反対する。…私たちが望むのは、人々の英知を集め、米中対抗の下でのより冷静で平和的な台湾独自の進むべき道を考え出すこと」であった。
彼らは、「戦狼・中国」に対する批判を繰り返すのではなく、「冷静で平和的な台湾独自の道」を探求しているのである。私はそこに英知を見る。
日本でも、対中戦争を煽り立てる勢力はいる。「中国は日本をミサイルで狙っている」、「座して死を待たないためには、日本からの攻撃対象はミサイルだけでなくていい。司令部でもいい」などというのである。「日本戦略研究フォーラム」の諸君である。こういう見解と対決しながら、私たちは、台湾海峡の平和を考えなければならないのである。
中国共産党は「台湾問題を解決し、祖国の完全な統一を実現することは中国共産党の終始変わらぬ歴史的任務である」、「いわゆる『台湾独立』のたくらみは断固として粉砕する」としている。「独立のたくらみ」は必ず血を見ることになるであろう。
他方、中国共産党の支配下に置かれることを拒否する勢力ももちろん存在する。台湾の民衆がどのような未来を選択するのか、「冷静で平和的な台湾独自の道」を実現して欲しいと思う。
私たちも、この日本で、対中戦争を煽り立てる勢力との戦いに勝利しなければならない。台湾の民衆になくて、私たちが持っているのは日本国憲法である。私たちのたたかいは「非核と平和を一体としたたたかい」となるであろう。(2024年8月6日記)
2024.8.8
「虎に翼」の寅子と星航一の再婚はまだ成立していないけれど、史実では、嘉子さんと三淵乾太郎さんとは結婚している。その乾太郎さんの父は三淵忠彦という初代最高裁長官だ。1880年(明治13年)に生まれ、1950(昭和25年)年に没している。最高裁長官就任は、1947年(昭和22年)8月だから67歳の時である。
私は、原爆裁判の判決を書いた裁判官たちは「時代に挑戦する勇気があった人たち」だと思っている。米国の原爆投下を国際法違反だとし、被爆者への支援に怠惰な「政治の貧困」を嘆くなどということは、なかなかできることではないからだ。
では、その判決を書いた三人の裁判官、裁判長 古関敏正、右陪席 三淵嘉子、左陪席 高桑昭さんたちは、なぜそのような判決を書いたのであろうか。
当時26歳で判決の草案を書いた高桑さんは、7月28日付「東京新聞」で、「原爆を巡って国家と争う通常の民事とは違う特殊な訴訟。大変な裁判を担当したなというのが当時の感想だった」としながら、「国際法違反かどうかにかかわらず、賠償請求を棄却する方法もあったが、逃げずに理屈を立てて国際法を点検した。やはり原爆投下を正当視することはできなかった」としている。
嘉子さんは、8月4日付「しんぶん赤旗日曜版」によれば、日本婦人法律家協会(現日本女性法律家協会)の会長だった1982年(昭和57年)3月8日、「第2回国連軍縮特別総会に向けて婦人の行動を広げる会」の呼びかけに応じ、池袋駅前で、反核署名活動をしている。「核兵器廃止は、反米とか思想、政策以前の人類を守るための要請です」と考えていたのである。嘉子さんは、裁判官として原爆投下を違法としただけではなく、「核兵器廃絶」のための行動をしていたことを記憶しておきたい。
1982年3月は、原爆裁判判決の1963年12月から19年後、嘉子さんが69歳で亡くなる1984年の2年前である。
このように、裁判官たちには原爆投下に対する怒りや核兵器廃絶への想いがあったことを確認できる。それは気高いことだし、私も学びたいと思う。けれども、裁判官として判決するには、それを可能とする司法の状況もなければならないであろう。それが、初代最高裁長官 三淵忠彦の存在ではないかと私は思っている。原爆裁判の提訴は1955年(昭和30年)だから、三淵さんは既に没している。しかも、その任期は短かったから、影響などないのではないかとも思う。けれども、彼は、最高裁長官として就任挨拶する機会や高裁長官たちに訓示する機会があったことも忘れてはならない。
彼の「司法像」を確認してみよう。
1947年8月4日の就任挨拶(「国民諸君への挨拶」)では次のように語られている。
「裁判所は、国民の権利を擁護し、防衛し、正義と衡平を実現するところであって、圧制政府の手先となって国民を弾圧し、迫害するところではない。裁判所は真実に国民の裁判所になりきらなければならぬ。」
同年10月15日には、高裁長官たちに次のように訓示している。
「今や、裁判官はその官僚制を払拭せられ、デモクラシー日本建設のパイオニアたるべき使命を負うている。」
私は、これらのことを、拙著「憲法ルネサンス」(1988年、イクオリティ)の第2章「司法のルネサンスのために」に収録されている「去るは天国残るは地獄」中で、次のように紹介している。
「『まことに気負いの感じられる内容』(野村二郎)かもしれない。けれども、今、この言葉に接するわれわれにどんなに新鮮な響きを与えてくれることか。われわれが、日本国憲法を手に入れた直後、司法部のキャプテンはわが基本法を、確かに、具現していたのである。彼のメッセージの中には、時の政府と一線を画しつつ、それとの緊張関係の中で、国民―即ち、自身の雇い主―に対する奉仕のありようを模索する姿勢がある。われわれ国民にとって、あるべき司法像の原点がそこにある。司法が時の行政権と一定の拮抗関係を保ちつつ、人民の基本的人権の擁護に資する機能を期待されたのは昨日や今日のことではない。かれこれ200年も前から、人々は司法に期待してきたのである。」
私はこのような三淵さんを「素晴らしい人」だと思っている。そして、裁判長の古関さんも含め、三人の裁判官は、この三淵さんの「就任挨拶」や「訓示」に目を通しているだろうと思っている(高桑さんは年代的には若いのでわからないけれど)。
三淵初代長官の後、田中耕太郎氏が第2代の長官に就任する。1950年から1960年の10年間、彼はその地位にあった。私は、彼は最高裁長官どころか裁判官として不適任だと思っている。その理由は、彼は「共産主義者のいうことを額面通りに受け取るのは危険である」という信念を持ちながら「松川事件」を担当し、被告人らを死刑にしようとしたからである。「松川事件」の被告人の中には共産党員も含まれていた。彼らの主張は信用できないと決めてかかれば、真実は見つからない。田中氏が個人としてどのような思想を持つかは彼が決めればいい。けれども、極端な反共主義に基づく偏見で当事者に接することは、裁判官として許されることではない(そのことも「憲法ルネサンス」で触れておいた)。この時、裁判官としての矜持は消え、司法の反動化が始まる。
原爆裁判の左陪席高桑さんは私より10歳ほど年上ではあるがご健在である。一度、今の司法の状況についてじっくりと話をしてみたいと思っている。(2024年8月4日記)
2024.7.11
今、「原爆裁判」が人々の関心を集めている。NHKの朝ドラ「虎に翼」のモデルの三淵嘉子さんが「原爆裁判」にかかわったことが知られつつあるからだ。以前から「原爆裁判」を多くの人に知って欲しいと考えていた私にとってはうれしいことである。朝ドラで「原爆裁判」がどのように描かれるかはともかくとして、ここでは「原爆裁判」の基礎知識と現代への影響について触れておく。「原爆裁判」が現代に生きていることを共有したい。
「原爆裁判」とは、1955年、被爆者5名が、米国の原爆投下は国際法に違反するので、その受けた損害の賠償を日本政府に請求した裁判である。1963年、東京地裁は請求を棄却したけれど、米国の原爆投下を違法とし、あわせて「政治の貧困」を指摘したことによって、国内外に影響を与えた。
原告は次の5人である。
下田隆一 47歳。
広島で被爆 長女16歳、三男12歳、二女10歳、三女7歳、四女4歳が爆死。自身もケロイド、腎臓・肝臓に障害。就業不能。
多田マキ
広島で被爆 顔、肩、胸、足にむごたらしいケロイド。疼痛のため日雇労働も続かず。夫は容貌の醜さを厭って家出。
浜部寿次 54歳
東京に単身赴任。長崎で妻と四人の娘たち全員が爆死。
岩渕文治
広島での原爆投下により養女とその夫及び子どもをなくす。
川島登智子
広島で被爆 14歳 顔面、左腕などを負傷 両親も原爆でなくす。
原爆投下から10年を経ていたけれど、政府は被爆者に何の支援もしていなかった。被爆者は病や社会的差別の中で貧困にあえいでいた。
岡本尚一弁護士は、1892年に生まれ、提訴3年後の1958年に没している。岡本さんが、なぜ、この裁判を考えたのか。その理由を彼の短歌に探ってみたい。
・東京裁判の法廷にして想いなりし原爆民訴今練りに練る
・夜半に起きて被害者からの文読めば涙流れて声立てにけり
・朝に夕にも凝るわが想い人類はいまし生命滅ぶか
私には歌心はないけれど、岡本さんの東京裁判に対する怒りと被爆者への同情と人類社会の未来についての懸念が痛いほど伝わってくる。
岡本さんは「この提訴は、今も悲惨な状態のままに置かれている被害者またはその遺族が損害賠償を受けるということだけではなく、原爆の使用が禁止されるべきである天地の公理を世界の人に印象づけるであろう。」との檄文を多くの弁護士に送って共同を呼び掛けた。けれども、現実に応えたのは松井康浩弁護士だけであった。
この裁判の当初の目的は「賠償責任の追及」と「原爆使用の禁止」だったことを確認しておきたい。
請求の趣旨は、被告国は、原告下田に対して金三十万円。原告多田、浜部、岩渕、川島に対して各金二十万円を支払え、である。
請求の原因の骨子は次のとおり。
米国は広島と長崎に原爆を投下した。原爆は人類の想像を絶した加害影響力を発した。「人は垂れたる皮膚を襤褸として屍の間を彷徨号泣し、焦熱地獄なる形容を超越して人類史上における従来の想像を絶した酸鼻なる様相を呈した」。
原爆投下は、戦闘員・非戦闘員たるを問わず無差別に殺傷するものであり、かつ広島・長崎は日本の戦力の核心地ではなかった(「防守都市」ではない)。
広域破壊力と特殊加害影響力は人類の滅亡をさえ予測せしめるものであるから国際法と相容れない。
国家免責規定を原爆投下に適用することは人類社会の安全と発達に有害であり、著しく信義公平に反する。米国は平和的人民の生命財産に対する加害について責任を負う。被害者個人に賠償請求権が発生する。
対日平和条約によって、国民個人の請求権が雲散霧消することはあり得ない。憲法29条3項により補償されなければならない。補償されないということであれば、日本国民の請求権を故意に侵害したことになるので、国家賠償法による賠償義務が生ずる。
原子爆弾の投下と炸裂により多数人が殺傷されたことは認めるが、被害の結果が原告主張のとおりであるかどうか、及び原爆の性能などは知らない。
原爆の使用は、日本の降伏を早め、交戦国双方の人命殺傷を防止する結果をもたらした。
原爆使用が、国際法に違反するとは直ちには断定できない。
したがって、原告らに損害賠償請求権はない。
敗戦国の国民の請求が認められることなど歴史的になかった。
原告らの請求は、法律以前の抽象的観念であって、講和に際して、当然放棄されるべき宿命のもの。それは権利たるに値しない。
憲法29条によって直ちに具体的補償請求権が発生するわけではない。
国は、原告らの権利を侵害していない。平和条約は適法に成立しているので、締結行為を違法視することはできない。
慰藉の道は、他の一般戦争被害者との均衡や財政状況等を勘案して決定されるべき政治問題。
1963年12月7日、裁判長古関敏正、裁判官三淵嘉子、同高桑昭による判決が出される。判決は、高野雄一、田畑茂二郎、安井郁の三人の国際法学者の鑑定を踏まえていた。なお、口頭弁論の全期日に関与したのは三淵嘉子さんだけであった。その要旨は次のとおり。
米軍による広島・長崎への原爆投下は、国際法が要求する軍事目標主義に違反する。かつ原爆は非人道的兵器であるから、戦争に際して不必要な苦痛を与えてはならないとの国際法に違反する。
しかし、国際法上の権利をもつのは、国家だけである。被爆者は国内法上の権利救済を求めるしかない。
日本の裁判所は米国を裁けない。
米国法では、公務員が職を遂行するにあたって犯した不法行為については賠償責任を負わないのが原則。
結局、原告は国際法上も国内法上も権利をもっていない。
人類の歴史始まって以来の大規模、かつ強力な破壊力を持つ、原爆の投下によって損害を被った国民に対して、心からの同情の念を抱かないものはいないであろう。
戦争災害に対しては当然に結果責任に基づく国家補償の問題が生ずる。
「原子爆弾被害者の医療等に関する法律」があるが、この程度のものでは到底救済にならない。
国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのだから、十分な救済策を執るべきである。
しかしながら、それは裁判所の職責ではなく国会及び内閣の職責。そこに立法及び行政の存在理由がある。本件訴訟を見るにつけ、政治の貧困を嘆かざるを得ない。
松井康浩弁護士(1922年~2008年)は次のように総括している。
戦勝国アメリカの戦闘行為を国際法に照らして日本の裁判所で裁くこの訴訟は、日米の友好を損なう、途方もないこと、そのような訴訟が成立するわけがないなどさまざまな理由で弁護士の協力者も少なく、被爆者その他国民の支援もなかったことが示すように、困難な訴訟であった。
この訴訟の特徴は、原爆投下の違法性を明らかにし、同時に被爆者を救援する点にあった。判決は広島・長崎への原爆投下という限定の下に国際法違反と断定した。しかし、その無差別爆撃性と非人道性は、いつ、いかなる原爆投下にも適用されるであろう。
裁判所は、「政治の貧困さを嘆かずにはおられない」として、最大限の言葉を用いて、被爆者援護法を未だに制定しない立法府と行政府を批判している。この批判の意義はきわめて高く、原爆投下の国際法違反とともに、この判決の価値を大ならしめている。
松井さんは、困難な訴訟ではあったけれど、原爆投下の違法性を認めたことと政治の貧困を嘆いたことの二点でこの判決の「大きな価値」を認めているのである。
日本の政治は被爆者援護のために次のように法制度を整備してきた。
裁判継続中の1957年4月、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」(原爆医療法)施行。判決後の1968年9月、「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」施行。1995年7月、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(被爆者援護法)施行などである。
「原爆症認定訴訟」は、被爆者援護法を活用して厚労大臣の原爆症不認定を争い、大きな成果を上げた。
「黒い雨訴訟」は、被爆者援護法の「原子爆弾が投下された際又はその後において、身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するかどうかが争われている。
被爆者援護が十分ということではないけれど、「原爆裁判」判決が指摘した「政治の貧困」がこのような形で「改善」されていることは確認できるであろう。
1996年、国際司法裁判所は国連総会の「核兵器の威嚇または使用は、いかなる状況においても国際法に違反するか」という諮問に対して「一般的に国際法に違反する。ただし、国家存亡の危機の場合には、合法とも違法とも判断できない」との勧告的意見を発出している。この結論に「いかなる場合にも違反する」として反対したウィラマントリー判事は次のように言っている。
この事件はそもそもの初めより裁判所の歴史にも例を見ない世界的な関心の的になる問題であった。下田事件で日本の裁判所に考察されたことはあるが、この問題に関する国際的な司法による考察はなされていない。
「原爆裁判」(下田事件)は国際司法裁判所で参照されているのである。
その国際司法裁判所は次のように判断していた。
戦争の手段や方法は無制限ではないとの人道法は核兵器に適用される。武力紛争に適用される法は、文民の目標と軍事目標の区別を一切排除する、または不必要な苦痛を戦闘員に与える戦争の方法と手段を禁止する。核兵器の特性を考えれば、核兵器の使用はほとんどこの法と両立できない。ではあるが、裁判所は必ずいかなる状況下においても矛盾するという結論には至らなかった。
この判断枠組みは「原爆裁判」と同様である。ただし、国際司法裁判所は「核抑止論」の呪縛から免れていなかったことに留意しておきたい。
その限界を克服したのは2021年発効の核兵器禁止条約である。核兵器禁止条約は「核兵器のいかなる使用も武力紛争に適用される国際法に違反する」として例外を認めていない。そして、その締約国会議は、⼈類は「世界的な核の破局」に近づいている。「安全保障上の政策として、核抑⽌が永続し実施されることは、不拡散を損ない、核軍縮に向けた前進も妨害している」として「核抑止論」を批判している。
日本政府は、核兵器禁止条約が「核抑止論」を否定するがゆえに、これを敵視しているけれど、国際法は核兵器廃絶に向けて着実に発展しているのである。日本政府はこの潮流に逆らっているのである。
このように見てくると、「原爆裁判」は核兵器廃絶についても被爆者援護についても「事始め」になっていることが確認できるであろう。「原爆裁判」は現代に生きているのだ。
今、世界は「核兵器による安全保障」をいう勢力が力を持っている。日本国憲法の「諸国民の公正と信義を信頼しての安全の保持」は現実的日程に上っていない。
憲法9条の背景には、今度世界戦争になれば核兵器が使用され、人類が滅んでしまう。戦争をしないのであれば、戦力はいらないという価値と論理があった。
また、1955年のラッセル・アインシュタイン宣言は「私たちが人類を滅亡させますか、それとも人類が戦争を放棄しますか」と問いかけていた。
私たちは、日本国憲法の徹底した非軍事平和主義を踏まえながら、「原爆裁判」の歴史的意義を更に発展させ、核兵器の廃絶と世界のヒバクシャの救済を実現しなければならない。(2024年7月1日記)
-->2024.7.11
腐敗した自民党による改憲を許さない【2】から続く
「私たちが人類を滅亡させますか、それとも人類が戦争を放棄しますか」
この「ラッセル・アインシュタイン宣言」の問いかけに私たちはどのように答えたらいいのでしょうか。
まず、核兵器のことを考えてみましょう。核兵器をなくすことは決して不可能ではありません。そもそも、核兵器は人間が作ったものだからです。現に、1986年に7万発というピークを数えた核弾頭は、現在1万2500発程度に減っています。しかもそれは検証されています。減った数の方が残っている数より多いのです。やればできるのです。
加えて、核兵器保有国は、国連加盟国193カ国のうち9ヵ国です。極めて少数です。核兵器禁止条約の署名国は93、加盟国は70を数えています。「核なき世界」に向けて、世界は間違いなく前進しているのです。
「核なき世界」の実現は「私が生きている間は無理」(オバマ)とか「果てなき夢」(岸田文雄)などというのは「今はやらない」という先行自白です。「口先男」に騙されるのはもう止めましょう。
憲法9条は、核兵器を使用しての世界戦争は人類社会を崩壊させてしまうと想定し、それを避けるために「一切の戦力」を否定したことは前に述べました。戦力がなければ戦争はできないのですから極めて論理的です。逆に、自衛のためであれ、正義の実現のためであれ、武力の行使を認めれば「悪魔の兵器」である核兵器に頼ることになります。それは、理屈だけではなく、現実がそうなっています。では、自衛あるいは安全保障ための核兵器は合理的なのでしょうか。
自衛のために核兵器を自国内で使用することはありえません。使用すれば自国民も死ぬからです。また、どこで使用しようとも、核兵器の特性からして、国境を越えて被害が発生します。中立国にも被害は及ぶし、地球環境も汚染されます。
そして、相手方が核兵器で反撃すれば―間違いなくするでしょう―双方が滅びることになります。「相互確証破壊」です。自衛のための核兵器が自滅のための兵器となるのです。「平穏は墓場にある」という「最悪のパラドックス(逆説)」です。
「核の時代」にあっては、戦争は政治的意思を実現するための手段にはなりえないのです。自衛という目的を実現するための核兵器が、防衛の対象である国家と社会を壊滅させてしまうからです。それが核兵器なのです。
9条はそのような事態を避けるために残された唯一の方法であることを確認しておきましょう。
なぜその確認が必要かというと、「ラッセル・アインシュタイン宣言」が「たとえ平時に水爆を使用しないという合意に達していたとしても、戦時ともなれば、そのような合意は拘束力を持つとは思われず、戦争が勃発するやいなや、双方ともに水爆の製造にとりかかることになるでしょう。一方が水爆を製造し、他方が製造しなければ、製造した側が勝利するにちがいないからです」と予言しているからです。核兵器をなくそうとするのであれば、戦争もなくさなければならないとしているのです。
9条の先駆性が確認できるのではないでしょうか。
ここで、国際人道法に触れておきます。国際人道法は、戦争において、戦闘の方法や手段は無制限ではないという規範です。戦争を違法とするものではありませが、自衛戦争や正義実現の戦争であっても、無差別攻撃や残虐な戦闘手段は禁止されるという戦時における国際法です。「一切の戦争は非人道的なので、戦争をなくす」という考え方ではなく「人道的な戦争」を想定しているのです。
それはそうなのですが、核兵器は大量、無差別、残虐、永続的な被害をもたらす非人道的兵器であることに着目して、核兵器を禁止する法理として活用することは可能ですし、必要なことなのです。
核兵器についての最初の法的判断は、1963年の東京地方裁判所の「原爆裁判」です。裁判所は「原爆投下は当時の国際法に照らして違法」と判決したのです。1996年、国際司法裁判所の勧告的意見は「核兵器の使用や使用の威嚇は、一般的に違法である」としましたが、「国家存亡の危機」における核兵器の使用や威嚇についての判断は避けていました。
ところが、核兵器禁止条約は「核兵器のいかなる使用も国際人道法に反する」としたのです。「国家存亡の危機」における核兵器使用も違法とされ、国際司法裁判所の限界は克服されたのです。
いずれも判断の背景には核兵器の非人道性がありました。法は非人道性を無視できないのです。核兵器廃絶のための「人道アプローチ」は有効だったのです。
確認しておくと、核兵器禁止条約は、戦争を一般的に違法化したり、一切の戦力を禁止する条約ではないのです。そして、核兵器を廃絶したからといって非核兵器が残れば戦争は可能です。また、いったんなくなったとしても復活することは、ラッセルたちがいうとおりです。そういう意味では、核兵器禁止条約は「戦争のない世界」を実現する上では過渡期の法規範なのです。
もちろん、そのことは、核兵器禁止条約の意義をいささかも減殺するものではありませんが、その守備範囲を確認しておくことも必要でしょう。核兵器禁止条約の発効は「核なき世界」に向けての大きな前進ですが、「戦争のない世界」に向けては、もう一歩の質的前進が求められているのです。それが9条の世界化です。
核兵器がなくなったからといって戦争がなくならなければ核兵器は復活するであろうことは、先に述べたとおりです。だから、核廃絶運動に関わる人は9条の擁護と世界化を展望しなければならないのです。戦争という制度が残る限り、「核なき世界」への到達と維持が元の木阿弥になってしまうからです。核兵器をなくした後にも仕事は残るのです。
他方、9条の擁護と世界化を求める人は、核兵器を廃絶できないようでは、戦力一般の廃絶など絵に描いた餅になってしまうでしょう。
ここで、9条は何を期待されて誕生したのかを再確認しておきます。
先に紹介した幣原喜重郎は、「憲法9条は、我が国が全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的な地位を占めることを示すもの」という答弁もしていました。9条は、「核の時代」にあって、「徹底的な平和運動」の先頭に立つ「指導的地位」を期待されていたのです。核兵器廃絶がその射程に入ることは自明でしょう。
戦争の廃絶について考えてみましょう。確かに、戦争の廃絶は決して簡単なことではありません。けれども、戦争は人の営みです。人の営みを人間が制御できないことはありません。人類は奴隷制度も植民地支配もアパルトヘイトもなくしてきました。いずれも、手強い反対にあいながらです。強欲な頑迷保守や好戦論者や悲観論者はいつの時代も存在します。変革を求めないことを「現実的」として受容し、変革を求めることは「理想的に過ぎる」として敬遠する人々も少なくありません。
けれども、人類は戦争をなくすための思想も育んできました。1920年代の米国の「戦争非合法化」の思想と運動もその一例です。戦争という制度を「無法者」として社会から放逐してしまおうという思想と運動です。戦争の方法や手段の制限だけではなく、戦争そのものを非合法化しようという発想です。
そうです。この「戦争非合法化」の思想は憲法9条の淵源のひとつなのです。このような徹底した非軍事平和思想が日本国憲法に影響を与えているのです。
「戦争非合法化思想」が「核のホロコースト」を契機として日本国憲法9条に結実したのです。言い換えれば、徹底した平和思想が、人類最悪の悲劇を梃子として、憲法規範として昇華したのです。「転禍為福」(災い転じて福となす)と言えるでしょう。
けれども、ややこしく考える必要はありません。そもそも、核兵器が使用されれば「皆くたばってしまう」ことなど、誰にでも理解できるからです。そういう意味では、憲法9条は、「核の時代」においては、当たり前の法規範なのです。法は人々を生かすための知恵でもあるのです。
この79年間、核兵器は実戦で使用されていません。使用計画もあったし、核戦争の瀬戸際もありました。事故もあったし、誤発射の危険性もありました。けれども、現実に使用されたことはなかったし、地球は吹き飛んでいないのです。
その理由は、被爆者をはじめとする反核平和勢力の運動もありましたが、「運がよかった」だけかもしれません。地球の未来を運任せにすることはできません。意識的な戦略としなければ、地球にひびが入ったり、吹き飛ぶかもしれないからです。
だから、今求められていることは、核兵器不使用の継続ではなく、核兵器廃絶なのです。廃絶までの法的枠組みは既に核兵器禁止条約があります。その国際法規範を普遍化することによって「核なき世界」の実現は可能なのでする。
当面、日本政府に署名・批准させることが必要です。その運動を反核平和勢力だけではなく、護憲運動(立憲主義回復運動を含む)をしている方たちの理解と協力をえて進めることが求められています。
他方、憲法9条も風雪に耐えてきました。憲法に拘束される立場にある政府や国会議員(護憲派は除く)だけではなく、多くの改憲勢力からの攻撃に耐えてきたのです。「お疲れ様日本国憲法」などと引退を迫ったり、「憲法を現実に合わせろ」という憲法が何のためにあるのかを理解しない意見もあります。
既に、個別的自衛権のみならず集団的自衛権も認められるという「法的クーデター」といわれる現実もあります。しかも、裁判所もそれを制止しようとしないのです。
そして、米軍とともに世界のあちこちで武力の行使を可能とするための改憲策動も、執念深くかつ陰険に続けられているのです。
現在、政府は、中国、北朝鮮、ロシアとの対立(もっぱら中国)を前提に、米軍との一体化、自衛隊基地の強化、武器の爆買いなど戦争の準備を着々と進めています。戦争を避けるのではなく、戦争に備えているのです。
敵基地攻撃を行えば敵国からの反撃は避けられません。だから、「国民保護」も必要となります。「国民保護計画」は核攻撃があった場合も想定しています。「ヨード剤を飲んで雨合羽を被って風上に逃げろ」というものです。被爆者は「爆心地に向かえと言うのか」と怒っています。雨合羽とヨード剤で被害を食い止められるのなら、核戦争など「たいしたことはない」でしょう。政府は「被爆の実相」を無視しているのです。
岸田首相は「敵基地攻撃」や「戦闘機の共同開発」も「憲法の平和主義の理念の範囲内」と言っています。それが彼の憲法感覚なのです。そういう首相の下で、武力の行使を前提とする「国を挙げての防衛体制の確立」が進んでいます。「国を挙げて」の中には、自衛隊や政府機関、財界や読売新聞などのマスコミだけではなく、学界や地方自治体も含まれています。「防衛体制の確立」とは、米国とのグローバル・パートナーシップや同盟国・同志国との連携強化に基づく対中国包囲網の構築を意味しているのです。
学術団体や地方自治体や民間企業を戦争協力へと誘導あるいは強制するための仕組みも次々と作られようとしています。日本学術会議の法人化、政府の自治体に対する指示権、セキュリティ・クリアランス制度の導入などです。学問・研究、自治体、企業を経由して、個人生活も軍事色に染められようとしているのです。
それに対抗するたたかいも展開されていますが、事態は予断を許しません。
今、日本は、「核兵器を含む武力による安全と生存の維持」なのか「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼しての安全と生存の維持」なのかが正面から問われているのです。「武力による平和の道」は人類社会の終わりへの道です。「諸国民の公正と信義による平和への道」は78年前から示されている道です。「核の時代」の後にどのように未来社会を創るのか、その選択は私たちに委ねられているのです。
核兵器廃絶よりも前に、政府が「熱い戦い」を始めるかもしれません。「政府の行為によって再び戦争の惨禍」が起きるかもしれないのです。もちろんそれは他国の民衆の殺傷も意味しています。核兵器廃絶運動は政府や与党の動きに敏感でなければなりません。
核兵器廃絶や9条の擁護と世界化を希求する私たちには、「戦争前夜」といわれるほどに急速に進行している戦争の準備を阻止する運動が求められています。そのためには、反核平和勢力と護憲平和勢力との相互理解と相互協力とが必要不可欠です。
被爆80年・敗戦80年という節目の年を、この国の進路を大きく転換し、核兵器も戦争もない世界に一歩でも近づく機会にしようではありませんか。
腐敗し堕落した自民党政治を終わらせ、全ての人が、恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに、その個性を生かしながら、自由に生活できる社会をつくるために、引き続き頑張ろうではありませんか。
2024.7.11
引き続き、自民党政治の特徴についての話をします。
岸田文雄首相は、吉田茂元首相を「傑出した政治指導者の一人」と評価しています。その理由は、吉田氏が日本防衛を米国に任せ、米国資本を導入して、日本に奇跡的な高度成長をもたらしたからだということです。「日本は核とドルの下で生きていく」という「吉田ドクトリン」を最大限の評価しているのです。この「日本国の命運を米国の核とドルに委ねる」という基本姿勢は、現在も、何も変わっていません。岸田首相はそのことを私たちに判りやすく教えてくれているのです。
このことを違う言葉でいえば、米国に「自発的に従属する」ということです。この思考パターンによれば、米国に逆らったり、独自の政策をとることなど出来ないことになります。米国の「核の傘」という究極の暴力に依拠し、経済関係での利害を同一にしている立場からすれば、自主・自立など想定できないからです。「昔天皇、今アメリカ」という現象が起きているのです。日米安保条約の解消などは「国体の変革」を求めることと同様に「危険思想」扱いされるのです。
米国では、戦争を商売とする軍人と金儲けの機会とする軍事産業とその使い走りをする議員とそれを支持する愚かで野蛮な選挙民がいまだ力を持っています。「軍産複合体」の支配です。日本の支配層はその勢力に抵抗せずむしろ迎合しようというのです。それが「核とドルに依存する」という意味です。
私たちは、日米関係の基礎には、このような発想が根強くはびこっていることを視野に入れておかなければならないのです。その端的な表れが核兵器禁止条約についての日本政府の姿勢です。
核兵器のいかなる使用も「壊滅的人道上の結末」をもたらすので、それを避けるための唯一の方法は、核兵器を廃絶することであるとして「核兵器禁止条約」が発効しています。ところが、日本政府は「禁止条約は国民の命と財産を危うくする」として、禁止条約への署名・批准は拒否しているし、締約国会議へのオブザーバ参加にも消極的です。
ところが、岸田首相は核兵器廃絶を言っているのです。それは、核兵器がもたらす「容認できない苦痛と被害」や「壊滅的人道上の結末」、そして国民の反核感情を無視できないからでしょう。核兵器廃絶をいうことは大事なことです。けれども、氏は「核とドルの支配」を全面的に受け入れているので、米国の核兵器を否定する禁止条約を容認することはできないのです。だから、岸田さんは「今すぐなくす」とは言わないのです。それが日本の首相の正体です。
私たちは、核兵器廃絶を未来永劫の理想ではなく、喫緊の現実的課題とするリアリストでなければなりません。核戦争の危機が迫っているからです。被爆者の願いに応えるためにも、また、私たちと次世代の未来のためにも、核廃絶の掛け声だけでない行動が求められているのです。そして、そのたたかいは「核とドルの支配」を全面的に受け入れている政治勢力との戦いでもあることを忘れてはならないのです。
ここで、核兵器廃絶と憲法9条擁護の関係について考えておきましょう。
ここで、政府が1946年11月に発行した『新憲法の解説』を紹介しておきます。
一度び戦争が起これば人道は無視され、個人の尊厳と基本的人権は蹂躙され、文明は抹殺されてしまう。原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、または逆に戦争の原因を終息せしめるかの重大な段階に達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺するであろうと真剣に憂えているのである。ここに、本章(2章・9条)の有する重大な積極的意義を知るのである。
ここで識者とは幣原喜重郎氏のことです。幣原氏は、憲法改正が議論されていた帝国議会で政府を代表して次のような答弁をしています。
我々は今日、広い国際関係の原野に於きまして、単独にこの戦争放棄の旗を掲げて行くのでありますけれども、他日必ず我々の後についてくるものがあると私は確信しているものである。…原子爆弾というものが発見されただけでも、或戦争論者に対して、余程再考を促すことになっている、…日本は今や、徹底的な平和運動の先頭に立って、此の一つの大きな旗を担いで進んで行くものである。即ち戦争を放棄するということになると、一切の軍備は不要になります。軍備が不要になれば、我々が従来軍備のために費やしていた費用はこれもまた当然に不要になるのであります。
当時の政府は、次の世界戦争では核兵器が使用され、人類社会は滅びることになると予測して、核兵器のみならず、全ての戦力の放棄を提案していたのです。
日本国憲法9条は、「核の時代」を自覚し、核兵器だけではなく「一切の戦力」を放棄する徹底した非軍事平和思想に基づく最高規範として誕生したのです。憲法9条は「核のホロコースト」を経て創られた「核の時代の申し子」なのです。
現在の政府はそのことを忘れたかのようです。政府が忘れても、私たちは忘れてはならない「平和思想の到達点」なのです。9条の改悪は許さず、これを世界の規範としなければならないのです。
人類社会が水爆時代に入った1955年(ビキニ水爆実験は1954年)。ラッセルやアインシュタインたちは「もし多数の水爆が使用されれば、全世界的な死が訪れるでしょう。瞬間的に死を迎えるのは少数に過ぎず、大多数の人々は、病いと肉体の崩壊という緩慢な拷問を経て、苦しみながら死んでいくことになります」としていました。そして「私たちが人類を滅亡させますか、それとも人類が戦争を放棄しますか」と問いかけていました。
この「ラッセル・アインシュタイン宣言」の問いかけに私たちはどのように答えたらいいのでしょうか。
-->2024.7.11
この記事は、『やめさせよう裏金政治ー「政治とカネ」問題を考える-』をテーマに
「憲法改悪反対飯能日高共同センター」「小選挙区制・政党助成法の廃止をめざす飯能連絡会」が共催した学習会にて、講師としてお話させていただいた内容をまとめたものです。
世界を見ると、ロシアのウクライナ侵略やイスラエルのガザ地区でのジェノサイドなど、目を覆いたくなる事態が続いています。侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する武力の行使です。ロシアの行為はこれに該当します。ジェノサイド( genocide)とは、(種族:英語のgenos)と(殺害:英語のcide)の合成語で、国民的、民族的、人種的又は宗教集団の全部又は一部を集団それ自体として破壊する意図をもって行われる行為です。日本語では「集団殺害」、「集団虐殺」などと言われます。イスラエルの行為はこれに該当します。
けれども、ロシアに対する制裁は強調されていますが、イスラエルの暴挙を止めようとする動きは鈍いままです。
同時に、気候危機が進行し、地球という人類の生息環境そのものが脅かされています。国連のグテーレス事務総長は、「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が到来したのです」としています。
にもかかわらず、「民主主義国家」と「権威主義国家」などと対立が煽り立てられ、人類の危機に対する国際社会の足並みはそろっていません。
ロシアは核兵器使用をちらつかせているし、イスラエルも核兵器国であることを隠そうとしません。米国も未臨界核実験を継続しているし、中国も核兵器を増産しているようですし、北朝鮮も核兵器先制使用を憲法に書き込んでいます。日本や韓国は米国の「核の傘」依存を強めています。
国際情勢をもっともよく知る立場にある国連のグテーレス事務総長は、冷戦終結後最大の「核戦争の危機」だと言っています。米国の核兵器のことをよく知る科学者たちは、1947年以降で最も「終末」に近づいているとしています。
核戦争になれば「壊滅的人道上の結末」が起きることになることや「核戦争に勝者はない。核戦争を戦ってはならない」ことは、誰でも知っていることだけれど、核戦争は近づいているし、核兵器はなくなりそうもないのです。
気候危機を前にして、戦争や軍拡競争などしている場合ではないのに、「先進国」の政治リーダーたちは対立と分断を前提に物事を考えているのです。
G7が開催されているけど、そこで語られているのは、ロシアや中国との対立を前提とする話ばかりですし、核兵器への依存はそのままです。
国内では、「台湾有事は日本有事」と言われ、対中国戦争を念頭に、米軍と自衛隊の一体化や南西諸島の要塞化が進められています。まさに、日本版「先軍思想」に基づいて、現代版「国家総動員体制」が進行しているのです。
それを進めているのは自公政権です。それをサポートするのは日本維新の会や国民民主党などです。その中核にある自民党の腐敗と堕落は目を覆うばかりです。
私は、その腐敗と堕落が深刻化する原因は、30年前の1994年の「政治改革」にあると考えています。政治改革の柱は小選挙区の導入と政党助成金の導入でした。
ところで、当時、飯能では「小選挙区制・政党助成法の廃止を目指す飯能連絡会」が結成されており、2001年11月には「政党助成金訴訟の会」が結成されました。そして、2002年3月には、飯能、日高、名栗の住民113名が原告となって、東京地裁に「政党助成金違憲訴訟」を提起しました。
政党助成金は、1994年、政治改革と称して小選挙区制とともに導入された制度です。国会議員数や国政選挙での得票数に比例して、国民一人当たり年間250円の税金を各政党に交付する仕組みです。年間320億円もの税金が各政党に分配されることになったのです。
けれども、国民のなかには政党を支持している人もいれば、どの政党も支持していない人もいます。一方、国民は憲法によって思想・表現の自由や、集会・結社の自由が保障されていますから、どの政党に政治資金を寄付するか、寄付しないかというのは、各個人の自由に属することです。
だから、その各個人が支払った税金が勝手に支持もしていない政党に分配されてしまうというのは、憲法に保障された「良心の自由」の一形態である「政党支持の自由」を侵害することになるのです。
自民党などは、党員や支持者などの個々人から政治資金をコツコツと集める努力をせず、財界・大企業から巨額の政治献金をもとめる一方、より安定的に税金からも政治資金を得ようとして政党助成金制度を導入したのです。
また、政党というものは本来、国などから独立した存在ですから、税金で政党の運営資金をまかなうなどは邪道です。
ということで、原告は裁判を起こしたのです。
この裁判は、地裁・高裁で勝つことはできませんでした。裁判所は「政党への寄付への自由」は「思想・良心の自由」の一側面であって、憲法19条の保障を受けることは認めました。けれども、政党助成法は原告に対して特定の思想を強制したり、不利益を強制したりするものではない。税金の徴収と政党交付金の交付とは、その法的根拠や手続きが異なり、原告らの支払った税金が直ちに政党交付金としてそのまま政党に交付されているわけではないなどとして、請求を棄却したのです。
税金の徴収と助成金の交付は別の法律によるものだから、「政党への寄付の自由」とは関係ないという理屈です。税金の徴収も政党への交付も、国家の行為によって行われていることを無視した形式論なのです。
とうてい納得できない「肩透かし判決」と言えるでしょう。
もちろん上告し、最高裁への要請行動も数次にわたって行われました。
上告の理由は、政党助成法は、個人の直接的かつ自主的判断で決定されるべき「政党への寄付の自由」を侵害する法律であり、その制定と執行は憲法19条に違反する、というものでした。憲法判断を求めたのです。
飯能市の杉田實さんは、六年生は社会科教科書で、税金は本来、国民生活を豊かにするものと学習していることを紹介し、「政党が税金から自分たちの活動費を分けてもらうことは、小学生が学ぶ、税金の正しい使い方に照らして本来の姿ではないでしょう。純真な小学生にも理解できるような正しい判断を切望します」との陳述書を提出しました。
残念ながら、上告は棄却されました。憲法問題ではないという理由です。政党助成金は国民個人の「政党支持の自由」という基本的人権にかかわる事柄であるし、政党という私的団体に公費を投入することは民主主義の在り方にかかわる事柄であるにもかかわらず、最高裁は憲法問題ではないとしたのです。
これが、最高裁の人権観であり民主主義観なのです。
1994年当時の政権は日本新党の細川護熙氏を首班とする連立政権でした。政治改革関連法案は否決されたのですが、衆議院議長だった土井たか子氏は、細川総理と自民党の河野洋平総裁との「総総協定」を斡旋し、法案を成立させました。
国民の政治的意思と国会の議席との間に乖離が生ずる小選挙区比例並立制と憲法違反の政党助成金が日本の政治に導入されたのです。私は、この時に、現在の日本の政治の歪みが始まったと考えています。
「政党支持の自由」という基本的人権を侵害し、少数派の意思を切り捨てることにより国民の政治的意思を国会に反映しない選挙制度が、国会の多数派によって制定されたのです。しかも、最高裁は「問題なし」としたのです。立法も司法も基本的人権と民主主義の原理を軽視してしまったのです。
これでは、日本の政治状況や人権状況が悪化することは避けられないでしょう。それにしても、「総総協定」を仲立ちした土井たか子氏はとんでもないことをしたものです。
私は、その「政治改革」の歪みが、今、自民党の腐敗と堕落という形で噴出していると考えています。自民党の支持率と議席の占有率には大きな乖離が生まれています。2021年の衆議院選挙の自民党の小選挙区の得票率は48.4%だったけれど、65.4%の議席を確保しています。半分以下の得票率で3分の2近い議席を確保しているのです。小選挙区制は一人しか当選しないので、相対的多数派は議席においては絶対的多数を得ることが可能なのです。
また、政党助成金の導入と企業・団体献金の禁止は一体となるはずでした。それが、政治家個人への寄付は禁止されるけれど、政党や政治団体への寄付は許容されたのです。政党助成金と企業・団体献金の二重取りが始まったのです。
「政治改革」によって、自民党にとっては、議席も金も自分に都合よくなったのです。それが腐敗と堕落の温床となっているのです。
企業・団体からの政治家個人への寄付は禁止されています。政党や政治団体への寄付は、制限がありますが、禁止はされていません。対価を求めないで寄付をすることは背任となりうるし、対価を求めれば贈賄ということになります。税理士団体が自民党に献金することは、税理士個人の「政党支持の自由」を侵害することになるというのは最高裁の判断です。企業・団体献金は、そもそもそのような問題を抱えているのですから、禁止されなければならないのですが、そうはなっていないのです。
ところで、本来、パーティ券販売は寄付ではありません。会費をパーティで使えば余りはないからです。けれども、実際に販売されるパーティ券は対価性がありませんから寄付になります。政党や政治団体に対する寄付の制限の脱法行為ということになります。
更に問題は、ノルマを超えて販売されたパーティ券の代金は、政治家個人にキックバックされていたことです。政治家個人にかかわる政治団体がそのキックバック分を帳簿に記載しなければ「裏金」となるのです。これでは、政治家個人に対する献金が禁止されている意味がありません。その仕組みを誰が創ったのかは明らかにされていませんが、自民党が創ったことは間違いありません。
政治資金規正法は「議会制民主政治における政党や政治団体の重要性にかんがみ、政治資金の収支の公開などの措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、民主政治の健全な発達に寄与する」ために制定されています。
キックバック議員は、正確な「政治資金の収支」が大前提なのに、それを意図的にごまかしたのです。今回の事態は、政治の「公明と公正」を害し「民主政治」の根幹を揺るがす大問題なのです。彼らは「民主政治」を理解しない「犯罪者」であることを確認しておくことにしましょう。そもそも、彼らに国政を担う資格がないのです。
これは、政治資金規正法に問題があるのではなく、自民党や自民党議員に問題があるのです。規正法改正などと大騒ぎしていますが、どんな規制をしても、自民党の金権体質は変わらないでしょう。企業や保守系団体から献金を受け、その献金をした勢力のための政治を行うために、その勢力とは違う勢力の票も集めなければならないからです。要するに買収や供応による票集めです。河井夫妻の買収や「桜を見る会」の経緯を観れば、容易に理解できるのではないでしょうか。
領収書のいらない金を欲しがる人やタダの飲み食いが好きな人はいるのでしょう。だから、政治活動費の「透明化」など出来ないのです。河井夫婦の買収事件など、氷山の一角だと私は思っています。大企業や米国の利益とは縁のない人たちの票を集めるには「現ナマ」が有効なのでしょう。「後援会」の維持のためにもお金が必要なのでしょう。
そういう政治家に群がる人にも問題があるとしても、そういう政治家こそが問題であることは言うまでもありません。それがこの国の「民度」であるとすれば、私たちはその改善に取り組まなくてはなりません。
また、世論誘導をするためにも金は必要です。2013年、麻生太郎氏は「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と言っていました。
そのナチスの宣伝大臣などを務めたゲッペルスは、ナチスが初めて第一党として選挙に臨んだとき、「われわれは国家組織を動員できるようになったので運動は容易である。新聞とラジオは意のままである。われわれは政治宣伝の傑作を作るつもりだ。金は有り余っている」としていました。麻生太郎氏は、きっと、そのゲッペルスの手口を念頭に置いているのでしょう。自民党の諸君は「支持上げるちょろいもんだぜ民なんて」と思っているのかもしれません。
改憲のための国民投票に際して、金にものを言わせた、フェイクがあふれかえるような気がしてなりません。今、日本では、自民党流改憲に正面から反対するマスコミはほとんどありませんから、その危険性は一層高くなるでしょう。
各党に2024年に交付される政党助成金(もちろん国庫金です)総額は315億3652万円で、その内、自民党は160億5328万円です。
このようなことが、この30年間行われてきたのです。
2021年9月24日のNHKによれば、政党交付金を使い切らず積立てられた金額は、総額323億円で、その内、自民党は252億7200万円とされています。「金は有り余っている」のではないかと思うのですが、まだまだ足りないようです。腐敗と堕落に貪欲も加わっているようです。
ただし、彼らの腐敗と堕落を政治不信一般にしてはなりません。この事態は「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」という箴言のとおりの自民党の腐敗だということを見抜かなければなりません。マスコミは「政治不信」という言葉を使用し、自民党の問題だということを隠ぺいしようとしているので注意が必要です。
この「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」という言葉は、イギリスの思想家であるアクトン卿が1887年に使用したそうです。何とも鋭い指摘だと思います。
「権力を担当する者がすべての権力を濫用しがちであることは永遠の経験が示すところである。権力が濫用されないようにするためには、権力が権力を抑制するようにしておかなければならない。」(モンテスキュー『法の精神』・1748年)という言葉と合わせて記憶しておきたいと思います。これは、三権分立の考え方であり、権力を憲法という鎖で縛るという「立憲主義」の源流となる思想だからです。
自民党も永年権力を握ってきたので腐敗することは「永遠の経験」なので避けられないのでしょう。けれども、私たちはそれを許してはなりません。腐ったリンゴを排除しないと他のリンゴもダメになるからです。市民社会から腐ったリンゴを排除することは、市民社会の健全さを維持するために必要なことですが、腐ったリンゴではなく、リンゴ全体の問題とすることは、問題のすり替えです。
自民党が腐っているのに、政治一般に問題があるような言説は事態の把握としては不正確です。「政治不信」などと言う言葉は、リンゴ全体に問題があるかのように取り扱っているのです。これでは、「無関心層」を増やし、結果として、自民党の延命に手を貸すことにしかなりません。
私たちは、そのことをしっかり見抜き、自民党政治を終わりにしなければならないのです。そのための工夫が求められています。立憲野党の共同はその最も大きな課題です。
また、中長期的には、小選挙区制を基本とする選挙制度を改め、政党助成金を廃止することが求められています。これは、日本社会に民主主義と基本的人権を根付かせるために必要な作業だからです。
引き続き、自民党政治の特徴についての話をします。
-->2024.6.10
はじめに
6月7日と8日、広島で開催された韓国の「平和と統一のための連帯」(SPARK)が主催する標記の討論会に参加した。「原爆国際民衆法廷」というのは、韓国の被爆者が原告となって、米国の原爆投下を裁こうという反核平和運動である。
米国政府を米国の裁判所で裁かせるという構想もあわせ持つ模擬法廷の提起だ。正式の法廷であれ、模擬法廷であれ、法的構成も含めて、その主張を整理しておくことは必要である。だから、彼らは英知を結集するための「国際討論会」を企画しているのだ。
今回は、米国、ドイツ、スイス、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、日本などからの研究者、弁護士、市民活動家などが参加している。私も、日本反核法律家協会会長という立場で、昨年から討論者の一人になっている。
私のテーマ
今回、私に与えられたお題は「韓国被爆者の立場から見る米国の広島・長崎への核兵器投下の歴史的意味」だ。前回は「韓国人被爆者にとっての原爆投下の軍事的・政治的意味」だったから、似たようなテーマではある。今回も討論原稿はそれなりに準備したつもりでいる。結びだけ紹介しておくと、「植民地支配と被爆という二重の被害を受けている韓国人被爆者は、過去の清算と『核なき世界』という未来の形成に深くかかわっています。私は、日本の市民社会の一員である法律家として、過去の清算には加害者としての自覚を持ちながら、そして、『核なき世界』の実現のためには同じ志を持つものとして連帯していこうと決意としています」というものである。
ところで、会場の若い参加者から質問があった。「日本には戦争を終わらせようという市民社会の声はなかったのか」ということと「天皇の聖断というけれど、本当にそうなのか」という質問だ。何とも、鋭い質問だと思う。
私は、「大日本帝国時代の日本は万世一系の天皇が支配する国で、その国体に反対するものは、治安維持法の下で弾圧され、転向を迫られ、戦争に反対する声はかき消されてしまった」、「天皇は、終戦詔書で、敵は残虐な兵器を使用したのでこれ以上戦争を続けられないとして、敗戦を核兵器のせいにしている。戦争を始めたことを全く反省していない。ずるい態度だ」と答えておいた。彼女が納得したかどうかはわからないけれど、私はそのように考えている。
他のテーマ
他の分科会のテーマは、「1945年の米国の核兵器投下以降の国際法・特に国際人道法から見た核兵器使用の不法性」と「拡大核抑止の不法性と、それの朝鮮半島・北東アジアとの両立不可能性及び克服方策」だ。
「1945年以降の国際法から見た核兵器使用の不法性」についての報告者の一人は山田寿則さんだった。ジェノサイド条約や国際刑事裁判所規程などが紹介され、結論は「不法である」であった。
「拡大核抑止」についての報告も興味深かった。米国のチャールズ・モクスリー弁護士の報告は原稿を見ないで歩き回りながらだった。きっと、彼は法廷でこんな調子で弁論をしているのかもしれない。内容はともかくとして印象には残った。
報告者や討論者の原稿は、全て、韓国語、英語、日本語でかつての電話帳並みの分厚い報告書に収録されている。河上暁弘さんに奨められて私の話を聞きに来たというNHKの小野文恵アナウンサーが「これをタダでもらっていいのかしら」というので、「大丈夫です。彼らの意気を感じておきましょう」と対応しておいた。
韓国の市民団体が広島で国際会議を企画し運営するのだからその意欲とエネルギーには驚嘆する。韓国からは2世、3世の被爆者を含む80名からの参加だ。日本を含む外国からの参加者を含めれば200名近い規模だ。平岡敬元広島市長の姿もあった。韓国語、英語、日本語の同時通訳が行われていた。青年たちの溌剌とした姿がまぶしい。マスコミからの取材も受けた。どのように生かされるのか楽しみではある。
平和資料館と韓国人被爆者慰霊塔
「国際討論会」に合わせて平和資料館の見学や韓国人慰霊塔前での慰霊祭なども開催された。資料館の展示はいつ見ても怒りが湧いてくる。こんな悲劇を惹き起こす核兵器に依存しようとしている勢力に対する怒りだ。平和公園にある韓国人被爆者の慰霊塔前での慰霊式で、日本からの参加者を代表してのスピーチを依頼された。何を語ればいいのか悩んだけれど、次のような内容にした。
慰霊の言葉
慰霊の式典に際して、日本人参加者の一人として、一言ご挨拶させていただきます。
私の父は、大日本帝国陸軍の一兵卒として、中国大陸に従軍しました。その父は、私に「戦争だけは絶対だめだ」と言っていました。父は私に語ることができないようなことをしてきたのかもしれません。
母は私に「原爆が落とされた時、銀行が開くのを待っていた人が、影だけを石に残して死んだ」という話をしたことがあります。資料館に展示されている「人影の石」のエピソードです。私は、この話を聞いた時、何とも言えない恐怖心に襲われました。日常が、抗えない力によって、一瞬のうちに奪われることの恐怖です。
私は、その父や母の子供として、戦争も核兵器もない世界を作りたいと考えるようになったのだと思います。
もう一つの話をさせてください。私の小学生時代の恩師が、弁護士になった私に電話をかけてきました。「ケンちゃん。うちの子が朝鮮人と結婚すると言っているんだ。何とか止める方法はないだろうか」というのです。私は驚きました。朝鮮人に対する差別意識がこのように深く日本人に沁み込んでいることに対する驚きでした。
私は、そういう風土の中で生活していることを忘れないようにしようと思ったものです。
ところで、私たち日本反核法律家協会は、この8年間、「朝鮮半島の非核化のために」をテーマとして、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、中国などの人も含めて、意見交換をしてきました。その問題意識は、朝鮮半島で核戦争は絶対に起こしてはならない、そのためには「北の核」だけを問題にすればいいわけではないとうことでした。多くの有意義な議論はできたとは思っていますが、朝鮮半島の非核化はまだ実現していません。
更に、現在、ロシアやイスラエルは、核兵器使用の威嚇を伴いながら、侵略戦争やジェノサイドを行っています。国連のグテーレス事務総長は核戦争の危機はかつてなく高まっていると警告しています。核戦争の危機は朝鮮半島だけではなく全世界に広がっているのです。核兵器が人間に何をもたらすかは誰でも知っているにもかかわらず、核戦争の危機が高まっていることはまさに異常な事態です。
その異常の原因は核兵器保有国や核兵器依存国が「核兵器は相手の攻撃を抑止する道具」としているからです。核兵器が国家安全保障の道具だとする核抑止論こそが、核戦争の危険性を生み出しているのです。核兵器が「死であり、世界の破壊者」であることは「原爆の父」と言われるオッペンハイマーが自覚していたことです。核抑止論者は核兵器という「死神」に地球の命運を委ねようとしているのです。
核抑止力が破綻しない保証は誰もしていません。それが破綻した時、「壊滅的人道上の結末」が起きることは、核兵器禁止条約が明言するところです。私たちは、この核抑止論を乗り越えなければ、また、原爆慰霊碑を作らなければならないどころか、慰霊碑を建立する人がいなくなってしまう事態を迎えるかもしれないのです。
そのような事態を起こさせないための根本的方法は、核兵器を廃絶することです。そのために求められることは、米国の政府や市民社会の核兵器観を変えることです。
私は、韓国の被爆者やその支援者にしかできないことは、原爆投下は植民地解放に役立ったかどうかにかかわらず、絶対に使用してはならない非人道的で国際人道法に違反する行為であることを、米国政府と市民社会に訴えることだと考えています。
この碑には、「韓民族は、この太平洋戦争を通じ、国家のない悲しみを骨身にしみるほど感じ、その絶頂が原爆投下の悲劇であった」と記されています。
私は、植民地支配と侵略戦争を行った日本人の末裔の一人として、自らの原点を忘れないようにしながら、韓国の皆さんとも連帯して、核兵器も戦争もない世界の実現のために微力を尽くしたいと考えています。
皆さん。ともに、頑張りましょう。
ありがとうございました。
まとめ
演壇から降りるとき「ありがとうございました」という声が聞こえた。席に戻ったら、隣に座っていた韓国人被爆者のリーダーのシム・ジンテさんから握手を求められた。硬い掌だった。なぜかうれしかった。
国際反核法律家協会のメンバーであるスイスのダニエル・リティエカーやドイツのマンフレッド・モアも参加していた。彼らと、佐々木猛也、足立修一、山田寿則、田中恭子さんたち日本反核法律家協会のメンバーと一献傾ける機会があった。ダニエルとマンフレッドが、SPARKの運動をどう思っているのかを私に聞いて来た。
私はこんなふうに答えておいた。
米国の原爆投下を米国の裁判所で裁かせるというプロジェクトは「ミッション・インポシブル」かもしれない。私もそれに挑戦したことがあるのでそう思う。けれども、彼らはそれに挑戦しているのだ。それを知ってしまった私は「逃げるわけにはいかない。出来ることはしなければ」と思っている。
彼らもうなずいていた。(2024年6月10日記)
2024.6.3
はじめに
5月22日~26日の5日間、日本AALA(アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会)が企画した、台湾・金門島、花蓮市をめぐる「平和のための市民交流の旅」に参加した。参加の動機は、「台湾有事」がいわれているので、台湾の状況を少しでも肌で感じたいということにあった。
丁度、中国が台湾の頼清徳新総裁の姿勢に反発して軍事演習をしている最中だった。台北のホテルではNHKニュースを視ることができるので、日本では「大騒ぎ」になっていることを知ることはできた。もちろん、台湾でもニュースになっているけれど、現地のガイドは「いつものことです」として緊張感はまったくなかった。
現地の新聞報道によれば、中国軍は米国の対応を考えて実弾は使用していなかったという。事務所のメンバーや家族には心配かけたけれど、金門島も含めて平穏な旅であった。
それはそれとして、いくつかの貴重な体験もした。「平和、武力反対、自主、気候重視」と題する反戦声明を発した学者グループとの対話、大日本帝国が台湾から撤退した後、台湾では民衆の抵抗や「白色テロ」があったことを知ったことなどである。ここでは、台湾の研究者との交流について報告する。
台湾の学者の反戦声明
昨年3月20日、台湾の学者・研究者37人が「反戦声明」を発出している。その内容は、⓵ウクライナの平和 停戦交渉を。②米国の軍国主義と経済制裁の中止を。③米中戦争はいらない 台湾は自主を 大国とは友好的で等距離の関係の維持を。④国家予算は人々の生活・気候変動緩和に使え 戦争や軍事に使うな。の4項目である。
⓵では、和平交渉は停戦の唯一の道であるとして、NATOに対して、外交的努力を妨害することを止めることなどを求めている。⓶では、アメリカは建国以来、戦争をしなかった年はほとんどない。2001年以降の20年間で米国の国防支出は14兆ドルに達し、そのうちの2分の1から3分の1が軍需産業の懐に入っている。NATOの兵器がウクライナに入り続ける限りこの戦争の終わりは見えない、ということなどに触れられている。③では、米中双方は、すべての意見の相違を平和的手段で解決しなければならない。台湾は自主独立の立場をとり、全人類の平等・福祉・平和を増進できる分野で各国と協力すべきである。各大国とは等距離の外交を維持し、知恵のある戦略と手腕をもって台湾海峡両岸の安全を守るべきである。アメリカの覇権主義の弟分や子分になるべきではなく、逆に、中国の「戦狼」の対抗関係の一環となるべきでもない、とされている。④では、世界が異常気象、水資源枯渇、生物多様性喪失などの多重の危機に直面している今、国家予算はこれらのために使用されるべきであって、軍拡競争や相互挑発というブラックホールにつぎ込むべきではない。13000発もの核弾頭を保有する世界において、迫り来る核による壊滅の脅威が気候変動の危機を覆い隠している。全てが静寂になってしまったとき、政治家たちが戦争で守れると主張する「主権」、「民主主義」、「自由」はどこにあるというのだろうか、とされている。
その結びはこうである。
私たちは大陸中国による台湾に対するあらゆる侮蔑、弾圧や武力による威嚇に反対する。しかし、台湾の主要メディアの戦狼・中国に対する批判を繰り返すことは、この声明の役割ではない。私たちが望むのは、人々の英知を集め、米中対抗の下でのより冷静で平和的な台湾独自の進むべき道を考え出すことである。
王さんたちとの交流
私たちは、この声明に署名している台湾中央研究院の王智明氏たちと交流した。台湾中央研究院は国立の研究機関で3千人からのメンバーがいて、自由に研究しているという。王氏の見解は声明に示されたとおりだし、同席した二人の若い研究員も「ロシアの武力行使は侵略だけれど、NATOの東方展開も問題だ」、「中国との緊張の責任はもっぱら米国にある」とか「べ平連の活動や全共闘の研究をしている」などと報告していたので、自由に研究をしているというのは本当だと思った。台湾では「学問の自由」や「言論の自由」は保障されているようである。
私の発言
私も日本の平和活動家として発言した。私は、まず、「13000発もの核弾頭を保有する世界において、迫り来る核による壊滅の脅威が気候変動の危機を覆い隠している。全てが静寂になってしまったとき、政治家たちが戦争で守れると主張する「主権」、「民主主義」、「自由」はどこにあるというのだろうか」という部分に強く共感すると述べた。私も、核兵器使用の危機は迫っているし、日本では国家あげての戦争準備が進められていることに危機感を抱いているだけではなく、「全てが静寂になってしまったとき」というフレーズにカントの「永遠平和のために」を感じたからである。
その上で、日本反核法律家協会の紹介と日本国憲法9条の話を続けた。9条の背景には原爆投下があったこと。つまり、今度、世界戦争になれば核兵器が使用されて人類社会は滅びるかもしれない。だから戦争をしてはならない。戦争をしないのであれば戦力はいらない、という論理を時の政府は展開していたことなどを紹介した。また、世界には軍隊のない国が26ヵ国あるのだから、核兵器も戦争もない世界の実現は決して夢物語ではないことも発言した。
そして、現在問われているのは「核兵器による平和か」、「平和を愛する諸国民の公正と信義による平和」かである。私たちの選択は明らかではないかと提起した。
最後に、皆さん方の考えが台湾では多数派でないことは承知している。私たちの主張も同様に国内では少数だ。けれども、皆さん方のような人が台湾にいることを知ったことはうれしい。私たちのような日本人がいることも知って欲しいと結んだ。
三人とも大きく頷きながら聞いてくれていた(ように見えた)。同行したメンバーは「いい交流ができた」と言ってくれた。有意義な時間だった。
まとめ
米国の対中政策が「関与」から「対立」へと変わったせいで、日本も台湾も中国との「熱い戦い」に巻き込まれるかもしれない。5月20日、中国の呉江浩駐日大使が、日本が「台湾独立」や「中国分裂」に加担すれば「民衆が火の中に連れ込まれることになる」と発言したという。それを問題発言だと騒ぎ立てる勢力があるけれど、「敵国」の大使が言っているのだからその危険はあると受け止めることが肝要であろう。「台湾有事は日本有事」というのは、「火の中に巻き込まれる」危険を自ら招くようなものだということを忘れてはならない。
私たちに求められていることは、米国の扇動に乗って軍事力を強化することでも、台湾に味方することでもなく、人々の英知を集め、米中対抗の下でのより冷静で平和的な日本独自の進むべき道を考え出すことであろう。武力衝突となれば核兵器が使用され「すべてが静寂となる」かもしれないからである。(2024年5月30日記)
2024.5.7
このタイトルは、日本平和委員会[1] の代表理事である岸松江弁護士の「核抑止論を克服するために」と題する講演に際してのものだ(『平和運動』2024年5月号掲載)。核抑止論を不断の努力とジェンダー平等で克服しようという決意がにじみ出ているタイトルといえよう。
私も「核兵器のない世界」を実現するためには、核抑止論の克服が必要だと考えているので、その問題意識に共感している。加えて、ジェンダー平等という視点は、重要な論点とされているので、大いに興味を覚えている。
そこで、ここでは、岸さんの講演を紹介しながら、ジェンダーと核兵器について考えてみたい。防衛研究所の核抑止論者たちは、冷戦終結による「核の忘却」の時代から、「新たな核時代」に入ったとして、「核の復権」をまことしやかに言い立て、核抑止論の維持・改善を主張しているので[2] 、そのことも念頭に置きながら論を進めることとする。
岸さんは、抑止力を次のように要約している。
抑止力とは、相手より優位に立つ強力な武器を持つことによって相手を威嚇し、攻撃を思いとどまらせようとする威嚇政策です。相手にナイフを突きつけながら仲良くしようというもので、相手を尊重し、相互信頼を前提とする対話と交流による平和外交とは真逆の概念です。
少し付け加えておくと、この「強力な武器」を核兵器に置き換えれば「核抑止論」ということになる。相手国に、自国を攻撃すれば核兵器によって懲罰的な反撃をするぞと威嚇することによって攻撃をためらわせて、自国の平和と安全を確保するという理論である。「平和を望むなら核兵器に依存せよ」という「平和を望むなら戦争に備えよ」というローマ時代の格言の現代版であり、核兵器保有国や日本政府などの核兵器依存国が信奉している原理・原則である。
日本政府は、中国、北朝鮮、ロシアが、わが国の安全を脅かしているとしているので、抑止の対象国はこれらの三国、とりわけ中国である。そして、これら三国はいずれも核兵器保有国なので、米国の核兵器(核の傘)によって抑止しようというのである。
唯一の被爆国が唯一の加爆国の核兵器によって、安全保障を確立するという「倒錯の構図」がここにある。核抑止論は、核兵器という「究極の兵器」に自国の運命を委ねようという理論だということを確認しておく。
抑止論は、岸さんがいうように「対話と交流による平和外交とは真逆の概念」なのだ。
では、抑止論とジェンダーはどういう関係にあるのか、岸さんの考えを聞いてみよう。
岸さんはジェンダーについては次のように言う。
ジェンダーとは、社会的・文化的に作られた性差です。社会が構成員に押し付ける、女性はこうあるべき、男性はこうあるべきだという行動規範や役割分担を指します。男らしさ・女らしさの背景には家父長制度、「家」制度があります。男性は家を発展させ支えるものだという家父長制度の要請のもとに、女らしさ、男らしさが作られてきたのです。
ここでは、「男らしさ」、「女らしさ」が求められた背景が語られている。それは、大日本帝国時代にさかのぼるが、その男性優位の社会は日本国憲法のもとでも続いているという。それは職場における「男らしさを競う文化」だとされている。
岸さんは、飯野由里子氏の見解を引用して次のように言う。
そこに共通する要素は、①「弱さを見せるな」。失敗や間違いを認めたら負け。②強さとスタミナ。長時間労働に耐えられること。③仕事第一主義。家庭を顧みないことをよしとする職場文化。④弱肉強食。仕事は協力ではなく競争。同僚は仲間ではなく競争相手、などです。資本主義社会の職場で成果と評価をえるために、こうした「男らしさ」を誇示することが暗黙裡に求められ、また評価されてきました。
そして、この「男らしさを競う文化」には弊害があるという。
相手より優位に立ち、相手を打ち負かそうとする「男らしさを競う文化」は、資本主義社会における競争原理、利潤第一主義に親和性があり、思想的に補強しています。「有害な男らしさ」は、資本主義社会の中で再生産・強化されます。市場の外には家庭や教育現場、自然がありますが、これらは本来利潤第一主義という原理はなじまない。でも、家庭から労働力を市場に提供し、市場で勝ち抜ける子が求められますから、勉強ができ、いい大学に行って、いい企業に入れるような子どもを育てたいという要求になります。とりわけ母親がその責任を負います。
ここでは、職場だけではなく、家庭も「男らしさを競う文化」に取り込まれていることが述べられている。
その上で、岸さんは、資本主義が発展し独占化し国家と結びつくとき、戦争になるという故畑田重夫さんの理論を援用している。「国家が戦争を遂行するとき、武器産業の買い手は国家である。国家は資本の利潤追求のために戦争を起こすことも厭わない」という理論だ。私は、この理論の説得力は世界の現実によって証明されていると考えているので、岸さんの援用に異議はない。
岸さんは、戦争を正当化する思想の背景にあるのが「有害な男らしさ」だとしている。「相手をリスペクトするのではなく、勝つか負けるか、弱みを見せたら負けだというものです」というのである。そして、次のように続ける。
マウントをとるという言い方がありますが、相手より優位に立とうとしたり相手に威圧的な態度で接したりする文化が、知らず知らずのうちに内面化されていくことがあります。それが抑止論を支えているのではないかと思います。
岸さんは、シンシア・エンロ―を引用して、「男らしさ」の観念による軍事化とは、例えば、男は自分の家族と国を守るために命をかけて戦場に行く。これが男の使命だと考える。戦場に行くことが男の使命だからと内面化することで出兵するわけです。そこに、「男らしさ」、「男の使命」というジェンダーが働いています、としている。
その上で、橋下徹の「命をかけて戦っている時に、精神的に高ぶっている集団を休息させようと思ったら、慰安婦制度が必要だということは誰だってわかる」という発言を、戦前の慰安婦制度はまさにこういう発想で作られたと評している。橋下流の愚劣さの指摘である。
更に、「女らしさ」の観念による軍事化については次のように言う。
兵士を生み出す軍国の「母」と、夫を送り出して家を守る「妻」が賞賛されます。一方で道徳的純潔と母性的自己犠牲の観念から外れた売春婦や、戦争に反対する女性は凌辱されてもしょうがない、「戦利品」として女性を与えるということが起こりました。
岸さんは、ここまでに述べてきたことに加えて、ジェンダーは戦争の場合だけに問題になるわけではない、日常生活にある性差別・性暴力と戦争は地続きだということとか、「女性の権利」についての国際的潮流の紹介などもしている。いずれも貴重な情報だし、勉強になる。その上で、岸さんの結論は次のとおりである。
社会の中の差別をなくす運動なしに平和は守れないというのが、今の到達点です。その一つとしてジェンダー平等を実現していかなければ抑止論を克服できず、平和が脅かされていくということではないでしょうか。
岸さんの講演は、ジェンダーと抑止論ということで、核抑止論に焦点を当てているものではない。けれども、核抑止論も抑止の論法である「強力な力で相手を従わせる」ということでは共通している。だから、抑止論一般を問題にすることに意味はある。
そして、岸さんの議論は、「戦争が日常に入り込むとき、あるいは、日常が『軍事化』されるとき、支配する性―支配される性、という伝統的で父権的なジェンダーが正当化され、そして、強化されていく」という、宮本ゆき氏の議論と共鳴している[3] 。
けれども、核兵器という「死神・破壊者」が現に存在し、いつ使用されるか分からない状況下においては、核抑止論にもっと焦点を当てて欲しいとも思う。
核軍拡競争のなかで、巨大な核戦力をうらやましく思うような男性の言葉や感情がみられることを指摘し、それが男性主義に根差すものであるとことを明らかにし、力への依存をジェンダー観点から解明する言説も存在しているからである[4] 。
冒頭紹介した防衛研究所の諸君は「核の復権」を歓迎しているかのようである。彼らも「巨大な核戦力をうらやましく思うような男性」なのであろう。
抑止論とは、結局は、力で相手の行動を制約しようとする理論である。人を脅して義務なきことを行わせたり、権利行使を妨害すれば、国内法的には「強要罪」として処罰されることになる。けれども、国際政治においては「皆殺しにするぞ」という脅しが幅を利かしているのである。しかも、その脅しが効いているかどうかは誰も検証できないのである。核抑止論は「最悪の集団的誤謬」とされていたことを想起しておきたい 。
この核抑止論を克服しない限り、核兵器は存続し続ける。そして、核兵器が存在する限り、それが使用される可能性は残り、いかなる理由であれそれが使用されれば「壊滅的人道上の結末」が人類社会を襲うことになる。
岸さんはそれを避けるための知恵を提供しているのである。(2024年5月5日記)
[1] 全国47都道府県で、草の根から平和を創るために活動しているNGO(非政府組織)。約1万8000人の会員がいる。私もその一人。
[2] 一政祐行(いちまさ・すけゆき)防衛研究所政策研究部サイバー安全保障研究室長編著『核時代の新たな地平』(2024年3月)は、「核の威嚇や核強要が横行する中、抑止力を維持・改善しつつ、意図せざる核戦争勃発を防止するための合理的な軍備管理の手段を講じることが先決だ」として、抑止力の維持・改善を主張している。軍備管理の必要性はいうが、核兵器廃絶という発想はない。意図せざる核戦争の勃発を防ぐには核兵器を廃絶することが唯一の効果的手段であるけれど、彼らはその論理は排除している。
[3] 宮本ゆき著「なぜ、原爆は悪ではないのか」(岩波書店、2020年)
[4] 川田忠明著『市民とジェンダーの核軍縮』(新日本出版社、2020年)は、ヘレン・カルディコットの研究を紹介している。
[5] 1980年国連事務総長報告 服部学監訳『核兵器の包括的研究』(連合出版、1982年)
-->2024.4.17
はじめに
日本戦略研究フォーラムという組織がある。「わが国の安全と繁栄のための国家戦略確立に資する…研究を行うと共に、その研究によって導き出された戦略遂行のため、現行憲法、その他法体系の是正をはじめ、国内体制整備の案件についても提言したい」として、1999年に設立された組織である。現会長は屋山太郎氏。故安倍晋三氏が永久顧問である。主要なテーマとして、日本の防衛力などを強化する政策提言が挙げられている。
そのフォーラムが、政治と国民の意識を啓蒙するために、台湾海峡に関するプロジェクトを立ち上げ、「台湾有事」についてのシミュレーションや兼原信克元国家安全保障局次長、岩田清文元陸将、尾上定正元空将、武居智久元海将の座談会を開催している。
その成果が『自衛隊最高幹部が語る台湾有事』(新潮新書・2022年5月)だという。そのリード文は「ウクライナの次は台湾か。その時日本はどうする?「有事の形」をシミュレーション。」とされている。
この小論は、その本で展開されている論理の紹介とそれに対するコメントである。現行憲法の是正を目的とし、防衛力の強化を提言する組織が、どのような発想で政治と国民を啓蒙しようとしているのか、それを知ることは不可欠の作業だと思うからである。以下、彼らはというのは、この本の執筆者4人の総称として理解していただきたい。
台湾海峡の平和が崩れるとき
彼らは、台湾海峡の平和が損なわれる事態は必ず日本に波及するという。
台湾と与那国島の間は約110キロの近さにある。中国のミサイル約1600発は南西諸島全域を射程に収めている。中国が台湾を隔離しようとすれば尖閣諸島の領域にも中国軍艦艇が遊弋する。東シナ海の様な半閉鎖海で紛争が起きれば、必ず沿岸国を巻き込むことになる、というのがその理由である。
台湾海峡危機は、日本の経済活動に甚大な影響を及ぼす。その影響を最小限に抑えるためには平素からどのような備えが必要になるか、それが問題であるとされている。
その答えは、グレーゾーン(有事とも平時とも言えない状態)から武力衝突の開始までの政策過程を検証する「政策シミュレーション」と「机上演習」であるという。その際に、最も重視したのは、有事法制(2003年)と平和安全法制(2015年)がうまく機能するかどうかどうかであったとされている。
要するに、台湾危機に際してどのような軍事的対応が可能かを検討しているのだ。そこには、その危機を避けるという発想はない。けれども、彼らは、台湾危機を期待しているわけでもない。こういうことも言われているからだ。
台湾危機を起こさせてはならない
彼らは次のように言う。
アメリカは台湾に核の傘を提供していない。軍事的に台湾海峡への対応を真剣に突き詰めている感じもない。「外交的に何とかします」と言われても国民に責任を持つ政治家なら「信用できない」というのが普通だろう。アメリカは強くて遠い。しかも核兵器を持っているから、米中全面戦争は起こりえない。しかし、日本は違う。台湾有事が始まれば、アジア最大の出城である日本は、台湾と同様に蹂躙される危険がある。だから、日本は台湾有事を起こさせてはならない。
台湾有事を起こさせてならないという結論に反対する人はいないだろう。日本人も台湾の人も中国大陸の人も大勢死ぬし、人間が作ったものも作れないものも破壊されるからである。それを避ける根本的な方法は、中台間の紛争を武力で解決しないことであり、そのためには、武力の行使ができないようにすることであり、更には、武力そのものを廃棄することである。
けれども、彼らの発想は逆である。アメリカに中途半端な態度をとるなとけしかけるだけではなく、自分たちの防衛力も極大化しようというのである。彼らの発想に耳を傾けてみよう。
中国は日本を狙っている
彼らは、こんなことを言っている。
中国はミサイルで日本を狙っている。1600発の弾道ミサイルを持ち、500基の発射台付き車両がある。この500基が一度に日本を狙えることになる。この全部を無力化することは不可能だ。しかし、「座して死を待たない」ためには、攻撃対象はミサイルでなくていい。指揮統制中枢でもいいし、司令部でもいい。場合によっては、日本の総理官邸にあたる敵のリーダーシップでもいい。
こうも言う。
中国の第1波というのは、必ずミサイルの一斉発射で来る。それによって航空戦力の発揮基盤を潰されると、航空優勢が取れなくなる。だから、そこをサバイバルしながら、第2波、第3波を防ぐために敵のミサイル基地やなどを無力化しなければならない。
彼らは、中国の武力行使を前提として、ミサイル基地を全部叩くことは不可能だから、敵基地攻撃どころか、習近平を狙える軍事力を持とうと言っているのである。相手が、岸田首相を狙ってくることを想定していないのだろうか。東京や北京に非戦闘員がいないとでも思っているのだろうか。民生用の施設が林立していることを知らないのだろうか。多分そんな頭は働いていないのだろう。
彼らは、台湾危機が発生すれば、在中国、在台湾の邦人をどうするか、先島諸島の住民をどう避難させるかなども考えている。その結論は、在中国在留邦人11万人の救出は絶対に無理だとしている。先島には戦車をおき、毎年演習をやるべきだとも言う。中国で働いている邦人やその家族などは知らん。そんなところにいる方が悪いのだと言わんばかりである。
15年戦争末期の「シベリヤ抑留」、「残留孤児」、「残留婦人」の現代版が起きることになる。そして、先島諸島の住民の生活など、日本を守るためなのだから犠牲になれというのであろう。
彼らは、与那国島に中国の工作員が潜入し、住民投票を行い、日本からの独立宣言をして、琉球王国を復活させるというシミュ―レーションまでしている。だったら、もっと、先島諸島はもとより、沖縄本島の人たちか置かれている状況を丁寧にシミュレーションすべきであろう。
全ては抑止のために
彼らは、「攻撃は最大の防御」とはいうけれど、自分たちが先に手を出したとは言われたくないとも考えている。あくまでも自衛権の行使としなければならないという意識はある。だから、全ての準備は攻撃されないための抑止力とされる。ミサイルの一斉発射に備えなければならないのだから、自衛隊の強化すだけでは済まないことになる。国力を上げての準備が求められるし、法律論などは邪魔者扱いされることになる。だから、こんなことも語られている
量子やサイバー研究の拠点は、横須賀あたりに作って、毎年1兆円くらいの予算を出せ。もちろん、反自衛隊、反日米同盟で軍事研究を許さないと頑張っている日本学術会議の息のかかった施設は除いて。
沖縄の反基地闘争とか、イージス・アショアの失敗とか制度的に地方自治の権限が強すぎる。国の安全保障に関して地方自治体が拒否権を持つことの是非を考えなければならない。
内閣法制局が「憲法違反の疑い」などという曖昧な一言で軍令事項(軍事作戦)に口を出していたが、これは健全な政軍関係から見て異常なことだ。法律論過剰だ。
ここでは、憲法の非軍事条項も、学問の自由も、地方自治も完全に無視されている。全てが、抑止力、防衛力という軍事力に劣後されているのである。日本版「先軍思想」といえよう。
憲法も法律も無視する議論が、国家安全保障局や自衛隊に在籍していた諸君によって、啓蒙家気取りで語られているのである。彼らには、立憲主義とか公務員の憲法尊重義務とか「法の支配」という概念は縁がないのであろう。
米国の核抑止
彼らは、非核兵器による抑止が崩壊した場合には、核による抑止も想定している。戦略核兵器は米国も中国も使用しないだろうと勝手に決めているけれど、戦術核兵器の使用は想定している。核共有は語られてはいないが、核の持ち込みについては検討されている。そして、米国に対しては、先制不使用政策や「唯一目的政策」(核兵器使用は核攻撃に対する反撃に絞る)を採用することは、抑止力の低下につながるので、絶対にやらないようにと注文している。核軍縮や軍備管理は必要だけれど、米国が一方的に変更すべきではないというのだ。岸田首相は核軍縮に強い信念を持っているようだが、台湾有事を念頭に、米国に核抑止の再保証を求めてもらいたいともしている。
米国の核兵器は抑止力として不可欠なのだから、それを弱めるようなことはするなと首相を啓蒙しているのであろう。非核戦力での抑止が機能しなかったら核抑止を機能させようというのである。その核抑止が機能しない場合には、核兵器が使用されることになる。米国が使用すれば、米中間での核の応酬が始まり、米国が使用しなければ、日本だけが中国の核兵器のターゲットとされることになる。広島と長崎が、那覇や佐世保で繰り返されることになる。そのような事態は少し想像力を働かせれば想定できることであろう。
彼らが中国を恐れる理由
彼らは、中国について次のような見解を持っている。
中国の経済力は日本の3倍、防衛費は5倍という規模だ。日本は、日米同盟を基本にしてアメリカとの役割分担を考えつつ、まずどう戦うかを考えなければならない。中国に対抗する防衛力を構築しなければならない。
親中派と言われるシニアの政治家たちは、ロシアが敵だった時の人たちだ。しかも、戦争の贖罪意識があった。70年代、80年代は正しかったもしれないけれど、当時と今とでは日中間の力の差が大きすぎる。今の中国は東の横綱だ。その横綱が、今や、尖閣と台湾を狙っている。経済は半分つながっているのでわざわざ喧嘩する必要はないけれど、外交、安全保障をうまくやらないと中国に屈服させられてしまう。そのくらいの感覚で、日本の対中戦略を完全に繰り替える必要がある。
要するに、中国が大国になり、台湾を併合しようとしているし、尖閣諸島の略奪をもくろんでいるので、それに対抗する防衛力を構築しようというのである。そうしないと屈服させられてしまうというのだ。ここでは、大国化した中国に対する恐怖が表明されている。彼らの「弱肉強食の世界観」が滲み出てきているようである。
また、2018年安倍首相(当時)の李克強中国首相歓迎晩さん会でのスピーチにあった「『戦略的互恵関係』の下、全面的な関係改善を進め、日中関係を新たな段階に押し上げていきたい」などという文言は完全に無視されている。故安倍晋三氏は彼らのフォーラムの永久顧問である。それから4年である。何とも早い変わり身である。安倍さんは草葉の陰でどんな想いでいるのだろうか。「よくやった」と思っているのであろうか。
まとめ
結局、彼らは、大国化した中国の危険性を言い立て、敵意を煽り、対抗する防衛力を構築しようというのである。しかも、その防衛力とは、500発のミサイル同時発射攻撃に対抗でき、北京にいる習近平を狙える程度のものだとしているのだ。のみならず、研究機関も地方自治体も防衛のために動員し、アメリカの核兵器にも依存しようというのである。それが、中国の侵略を抑止する方法だというのである。対中国戦争のための「国家総動員体制」確立の提案である。
彼らは、内閣法制局の戦争を知らないシンプルな頭の持ち主は、軍事のことなどに口出しするなとも言っている。彼自分たちがどのくらい戦争のことを知っているか疑問だし、彼らの方が余程単細胞だと思うけれど、彼らにはそんな自覚はないのであろう。
「専守防衛」のもとで、どのような実力を持てるのか、自衛隊を海外にどのように出すかなどについて「精緻な論理」を組み立ててきたはずの内閣法制局など、完全に虚仮にされているのである。
「専守防衛」は自衛のための実力の保有を認める立場であるが、彼らは、防衛のためという理由で北京へのミサイル攻撃の準備を主張しているのである。「専守防衛」の枠組みを超えていることは明白である。もちろん、「平和を愛する諸国民の公正と信義」などとは対極にある発想である。
既に、自衛隊や日米安保の合憲性について疑義をはさむ研究者などは学術会議から排除されている。今後は、その人たちから影響を受けていると思われる研究機関は、予算配分で冷遇されることになる。
彼らは、この日本を法や知性ではなく、軍事が優先する国家にしようとしているのだ。このような彼らの発想は、決して突出したものではない。つい最近、岸田首相に提出された「有識者会議の報告書」には、ここで紹介した彼らの主張があちこちにちりばめられている。与党合意も同工異曲である。打撃力という戦力の整備が準備されようとしているのである。
日本は、私が自覚しているよりももっと速いスピードで奈落に向かっているようである。何とかしなければならない。
追伸
この小論は、2022年12月7日に書かれている。
その後、12月7日には、「国家防衛戦略」などの「安保三文書」が閣議決定された。そこでは、ここで紹介した発想と提案が採用されている。それから、1年半が過ぎようとしている。
4月12日、「日米同盟は前例のない高みに到達した」とする日米首脳共同声明 「未来のためのグローバル・パートナー」が発出された。既に、「防衛装備品」の輸出や戦闘機の共同生産が堂々と行われるようになった。防衛産業などに従事する人たちの選別と監視が強化されることになる。それが「重要経済安保情報保護法」だ。「地方自治法改正」も予定されている。「有事」に際して、地方自治などは存在しないことになる。沖縄の抵抗を排除するための仕掛けである。
4月16日、今年の「外交青書」がまとまり、そこでは、日中関係について、多くの懸案を抱えているとする一方、双方が共通の利益を拡大していく「戦略的互恵関係」を推進することが5年ぶりに書き込まれた。建設的で安定的な関係の構築に取り組む姿勢も強調されているようである。
けれども、今、政府が進めているのは、本文で紹介してきたとおり、対中国敵視と戦争準備の強化である。「外交青書」に安倍政権時代の「戦略的互恵関係」などという文言を復活させたとしても、中国との関係改善には役に立たないであろう。中国包囲網を強化する米国との一体化を推進しながら語られる「互恵関係」などありえないからである。
武力に依存するのではなく、知恵と対話に基づく「互恵関係」の形成が求められている。
(2024年4月17日記)
2024.4.9
今国会は「裏金国会」などといわれている。国権の最高機関(憲法41条)である国会が何ともお粗末な状況にある。その原因は自民党議員のカネに対する汚さだ。
政治資金規正法は「議会制民主政治における政党や政治団体の重要性にかんがみ、政治資金の収支の公開などの措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、民主政治の健全な発達に寄与する」ために制定されている。
キックバック議員は、正確な「政治資金の収支」が大前提なのに、それを意図的にごまかしたのだ。今回の事態は、政治の「公明と公正」を害し「民主政治」の根幹を揺るがす大問題なのだ。彼らは「民主政治」を理解しない「無法者」であることを確認しておく。
ただし、彼らの腐敗と堕落を政治不信一般としてはならない。この事態は「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」という箴言のとおりの自民党の腐敗だということを見抜かなければならない。
有権者が見抜いていることは、「保守王国」といわれる群馬で共産党が自主支援する候補者が当選したこと、京都市長選挙では、私の知り合いの福山和人弁護士が、自民、公明、立憲、国民が推薦する候補の陣営に「もうダメかと思った」と言わせる大奮闘をしたことなどに現れている。この所沢でも、自民党市長が落選している。有権者は、腐敗は嫌いだし、誰が自分の味方なのか、きちんと見ているのである。
今、島根1区、長崎3区、東京15区で衆議院補選が予定されている。自民党が候補者を出せない選挙区もあるし、立憲の候補者を共産が自主支援するという選挙区もある。大きな変化が起きるかもしれない。「市民と野党の共闘」にも期待している。
ところで、その自民党は憲法改悪を進めている。緊急事態への対処、議員の任期なども言われている。緊急事態において、政府と与党にすべて任せろと言うのである。何とも「恥知らずな言い草」だと思う。法を守らない者たちが、自分に権限を付与している憲法を変えようというのだから「鉄面皮」というしかない。
のみならず、改憲の最終目的が9条の廃棄であることは明らかだ。「安保三文書」は、国家を挙げての防衛力の強化や「拡大核抑止力」を含む日米同盟の強化を内容とする「先軍思想」に基づく「国家総動員体制」の確立が必要だとしている。米国などと協力して、中国、北朝鮮、ロシアとの軍事衝突に備えようというのである。
岸田首相はその誓いを述べるために米国に召喚されている。「国賓」という名の「朝貢使節」のように見えてならない。
武力行使が人々にどのような凄惨な事態をもたらすかは、ウクライナやガザを見れば明らかではないか。しかも、核兵器使用までもが危惧されているのである。にもかかわらず、彼らは武力に依存しようというのである。「平和を望むなら核兵器に依存せよ」という核抑止論である。「平和を望むなら戦争に備えよ」というローマ時代への回帰である。
そもそも、9条誕生の背景には、「核の時代」にあっては、文明が戦争を滅ぼさなければ、戦争が文明を滅ぼすことになる。戦争をしないなら、戦力はいらないとの思想があったことを忘れてはならない。
「核の時代」であるからこそ、9条を護り、それを世界に広げることが求められているのだ。キックバックを受けた諸君を国会から放逐し、核兵器廃絶と9条擁護と世界化の運動を進めなければならない。(2024年4月9日記)
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